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新城駅から約5分程の宗堅寺(そうけんじ、愛知県新城市作手杉平字本郷)は慶安元年(1648)7千石で入城した菅沼定実(すがぬま・さだざね、1629~1691)を初代とし定実の後11代続いた菅沼家の菩提寺です。<br /><br />定実は野田菅沼氏の後裔で、三代定盈(さだみつ、1542~1604)は元亀4年(1573)甲斐太守の武田信玄を相手に野田城で壮絶なる籠城戦を展開死力を尽くし1ケ月の抵抗を示した猛将として知られています。<br /><br />然しながら六代定昭(さだあきら、1625~1647)が3万8千石の丹波亀山藩主の頃、正保4年(1647)に急逝して嗣子なく断絶、幕府としては定盈以来の忠勤の家系を絶やすことを惜しみ、定昭の弟(幕府には未登録)である定実・定賞に遠祖の地である設楽郡内に都合1万石(定実7千石で三河新城、定賞3千石で三河海老)を与える事になります。<br /><br />新城菅沼氏は知行地が7千石で旗本でしたが交代寄合(知行地に所在する旗本の家格のひとつで老中支配であったので大名と同格)にとして他の譜代大名と同様に参勤交代が許され、代々に亘って大番頭として江戸城警備の他京都二条城並びに大坂城の在番を勤め、駿府城代や伏見奉行の役職を果たします。<br /><br />山門脇に配置された説明板には箇条書きに次の記載があります。<br /><br />「 宗 堅 寺<br /><br />○ 天正元年(1572)4月3日の野田城主菅沼定盈の桐谷山幸春寺建立に由来する。<br /><br />○定盈は伊勢国長嶋で生涯を終え、戒名の「勝徳院殿長翁宗堅大居士」から幸雲山宗堅寺と名を改め、信濃国松本全久院第六世真翁宗龍を開山としてえ、菅沼家の菩提寺とする。<br /><br />○その後、菅沼家は近江国膳所、丹波国亀山と転封されるが宗堅寺は藩主に従って移転した。<br /><br />○慶安元年(1648)菅沼定実が新城を与えられると宗堅寺も亀山から新城へ移転して今日に至る。尚、開山に勧請した全久院を本寺としたが明治になって全久院は廃却されたので、明治4年から大洞山泉龍寺の末寺となった。<br /><br />○新城歴代藩主(11代)の墓所(菅沼家家老の今泉家と家臣の墓碑もあり)菅沼定実① - 定易② - 定用③ - 定庸④ - 定前⑤ - 定賢⑥ - 定那⑦ - 定志⑧ - 盈富⑨ - 定信⑩ - 定長⑪<br /><br />○宝物<br />・信玄砲(伝説の鉄砲)・・野田城の戦いで武田信玄を撃った鉄砲。<br />・菅沼家累代の旗・・・・・縦3mX横1m(上から朱色、白色、朱色)<br />・艦長日記・・・・・・・・尾張国半田の船頭小栗重吉以下14名の漂流記録。<br />・本尊・・釈迦牟尼如来。涅槃図・・菅沼定芳から寄進。城主の肖像画。城主の墨跡等。<br />        平成22年2月吉日<br />                   新城観光協会 」

三河新城 東三河を歩く 6代定昭急逝で無嗣子断絶となるも祖父定盈の忠勤家系を鑑み幕府より家名存続を許された野田菅沼氏の菩提寺『宗堅寺』散歩

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2015/03/30 - 2015/03/30

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滝山氏照

滝山氏照さん

新城駅から約5分程の宗堅寺(そうけんじ、愛知県新城市作手杉平字本郷)は慶安元年(1648)7千石で入城した菅沼定実(すがぬま・さだざね、1629~1691)を初代とし定実の後11代続いた菅沼家の菩提寺です。

定実は野田菅沼氏の後裔で、三代定盈(さだみつ、1542~1604)は元亀4年(1573)甲斐太守の武田信玄を相手に野田城で壮絶なる籠城戦を展開死力を尽くし1ケ月の抵抗を示した猛将として知られています。

然しながら六代定昭(さだあきら、1625~1647)が3万8千石の丹波亀山藩主の頃、正保4年(1647)に急逝して嗣子なく断絶、幕府としては定盈以来の忠勤の家系を絶やすことを惜しみ、定昭の弟(幕府には未登録)である定実・定賞に遠祖の地である設楽郡内に都合1万石(定実7千石で三河新城、定賞3千石で三河海老)を与える事になります。

新城菅沼氏は知行地が7千石で旗本でしたが交代寄合(知行地に所在する旗本の家格のひとつで老中支配であったので大名と同格)にとして他の譜代大名と同様に参勤交代が許され、代々に亘って大番頭として江戸城警備の他京都二条城並びに大坂城の在番を勤め、駿府城代や伏見奉行の役職を果たします。

山門脇に配置された説明板には箇条書きに次の記載があります。

「 宗 堅 寺

○ 天正元年(1572)4月3日の野田城主菅沼定盈の桐谷山幸春寺建立に由来する。

○定盈は伊勢国長嶋で生涯を終え、戒名の「勝徳院殿長翁宗堅大居士」から幸雲山宗堅寺と名を改め、信濃国松本全久院第六世真翁宗龍を開山としてえ、菅沼家の菩提寺とする。

○その後、菅沼家は近江国膳所、丹波国亀山と転封されるが宗堅寺は藩主に従って移転した。

○慶安元年(1648)菅沼定実が新城を与えられると宗堅寺も亀山から新城へ移転して今日に至る。尚、開山に勧請した全久院を本寺としたが明治になって全久院は廃却されたので、明治4年から大洞山泉龍寺の末寺となった。

○新城歴代藩主(11代)の墓所(菅沼家家老の今泉家と家臣の墓碑もあり)菅沼定実① - 定易② - 定用③ - 定庸④ - 定前⑤ - 定賢⑥ - 定那⑦ - 定志⑧ - 盈富⑨ - 定信⑩ - 定長⑪

○宝物
・信玄砲(伝説の鉄砲)・・野田城の戦いで武田信玄を撃った鉄砲。
・菅沼家累代の旗・・・・・縦3mX横1m(上から朱色、白色、朱色)
・艦長日記・・・・・・・・尾張国半田の船頭小栗重吉以下14名の漂流記録。
・本尊・・釈迦牟尼如来。涅槃図・・菅沼定芳から寄進。城主の肖像画。城主の墨跡等。
        平成22年2月吉日
                   新城観光協会 」

旅行の満足度
3.5
交通手段
JRローカル
  • 宗堅寺・山門

    宗堅寺・山門

  • 菅沼墓所・石標<br /><br />山門左側には「旧新城藩主菅沼家菩提所」と刻された石標が立っています。

    菅沼墓所・石標

    山門左側には「旧新城藩主菅沼家菩提所」と刻された石標が立っています。

  • 宗堅寺説明板<br /><br />山門の右側塀に掲載された「宗堅寺」と題した沿革が記されています。

    宗堅寺説明板

    山門の右側塀に掲載された「宗堅寺」と題した沿革が記されています。

  • 宗堅寺説明板(近景)<br />

    宗堅寺説明板(近景)

  • 山門の扁額<br /><br />山号の「幸雲山」と書かれた扁額が設置されています。

    山門の扁額

    山号の「幸雲山」と書かれた扁額が設置されています。

  • 宗堅寺・本堂

    宗堅寺・本堂

  • 本堂扁額<br /><br />寺号「宗堅寺」が掲げられています。

    本堂扁額

    寺号「宗堅寺」が掲げられています。

  • 「信玄砲」説明板<br /><br />野田の戦いの時、野田城から鉄砲の名手である鳥居半四郎が武田信玄を撃ったと伝えられる鉄砲が宗堅寺に保存されている由です。<br /><br />

    「信玄砲」説明板

    野田の戦いの時、野田城から鉄砲の名手である鳥居半四郎が武田信玄を撃ったと伝えられる鉄砲が宗堅寺に保存されている由です。

  • 菅沼家廟<br /><br />壁に囲まれた廟の門扉は開けられています。

    菅沼家廟

    壁に囲まれた廟の門扉は開けられています。

  • 廟内部風景

    廟内部風景

  • 廟内部風景

    廟内部風景

  • 初代菅沼定実(さだざね、1629~1691)<br /><br />膳所城主菅沼定芳の二男として膳所城で出生。父の死後、兄定昭より丹波国亀山領内にで2千石分地されるが、定昭急逝後、祖先の旧領の新城に7千石を分け与えらる。<br />定実は茶人として知られるなど風流を愛する人物で、豊川の畔に桜の木を植えて今では東三河で桜の名所となっているそうです。<br /><br /><br />

    初代菅沼定実(さだざね、1629~1691)

    膳所城主菅沼定芳の二男として膳所城で出生。父の死後、兄定昭より丹波国亀山領内にで2千石分地されるが、定昭急逝後、祖先の旧領の新城に7千石を分け与えらる。
    定実は茶人として知られるなど風流を愛する人物で、豊川の畔に桜の木を植えて今では東三河で桜の名所となっているそうです。


  • 二代菅沼定易(さだやす、1668~1739)<br />

    二代菅沼定易(さだやす、1668~1739)

  • 三代菅沼定用(さだもち、1701~1768)

    三代菅沼定用(さだもち、1701~1768)

  • 四代菅沼定庸(さだつね、1735~1771)<br />

    四代菅沼定庸(さだつね、1735~1771)

  • 五代菅沼定前(さださき、1764~1797)

    五代菅沼定前(さださき、1764~1797)

  • 六代菅沼定賢(さだかた、1777~1803)

    六代菅沼定賢(さだかた、1777~1803)

  • 七代菅沼定邦(さだくに、1787~1845)

    七代菅沼定邦(さだくに、1787~1845)

  • 九代菅沼盈富(みつとみ、1838~1860)

    九代菅沼盈富(みつとみ、1838~1860)

  • 十代菅沼定信(さだのぶ、1839~1862)

    十代菅沼定信(さだのぶ、1839~1862)

  • 八代菅沼定志(さだゆき、1803~1866)

    八代菅沼定志(さだゆき、1803~1866)

  • 十一代菅沼定長(さだなが、1847~1876)

    十一代菅沼定長(さだなが、1847~1876)

  • 境内風景<br /><br />本堂手前から山門に向けて風景を捉えます。

    境内風景

    本堂手前から山門に向けて風景を捉えます。

  • 本堂屋根瓦と寺紋<br /><br />屋根頂点には山号「幸雲山」が右から左に刻され、更にその下部には菅沼氏家紋が付されています。

    本堂屋根瓦と寺紋

    屋根頂点には山号「幸雲山」が右から左に刻され、更にその下部には菅沼氏家紋が付されています。

  • 本堂寺紋

    本堂寺紋

  • 山門旧鬼瓦<br /><br />山門内側には取り外された旧鬼瓦が配され、その瓦にも「品」の菅沼氏家紋が施されています。

    山門旧鬼瓦

    山門内側には取り外された旧鬼瓦が配され、その瓦にも「品」の菅沼氏家紋が施されています。

  • 山門鬼瓦

    山門鬼瓦

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