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日本百名城の松阪城の紹介です。築城の名手、蒲生氏郷の工夫と美意識が随所にみられる石垣は見応えがありました。

2017初夏、日本百名城の松阪城(6/8):松阪城(6):松阪城址碑、裏門、御城番屋敷、土蔵

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2017/06/22 - 2017/06/22

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旅行記グループ 2017年、三重の百名城巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

日本百名城の松阪城の紹介です。築城の名手、蒲生氏郷の工夫と美意識が随所にみられる石垣は見応えがありました。

交通手段
私鉄 徒歩

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  • 『裏門跡』の文字が刻まれた石標の光景です。『裏門』とは思われない、通路の広さと石垣の高さに驚かされます。表門は、南側に、この裏門は西側に位置します。

    イチオシ

    『裏門跡』の文字が刻まれた石標の光景です。『裏門』とは思われない、通路の広さと石垣の高さに驚かされます。表門は、南側に、この裏門は西側に位置します。

  • 『裏門跡』から、振り返って眺めた幟方向の矩形です。虎口だったらしい、道を直角に折り曲げる石垣の光景がありました。

    『裏門跡』から、振り返って眺めた幟方向の矩形です。虎口だったらしい、道を直角に折り曲げる石垣の光景がありました。

  • 裏門の入口にもあった、『史蹟・松坂城跡』の石標の光景です。登り勾配と正面の石垣が虎口の機能を有しているようでした。松阪城址には、折れを多用した枡形虎口が数多く残っていました。

    裏門の入口にもあった、『史蹟・松坂城跡』の石標の光景です。登り勾配と正面の石垣が虎口の機能を有しているようでした。松阪城址には、折れを多用した枡形虎口が数多く残っていました。

  • 織田信長の安土城の築城に参加した蒲生氏郷ですが、松阪城にもこの時の石垣作りが採り入れられています。『野面積』が主体ですが、隅の部分は『切込接ぎ』と『算木積』の工法が使われています。

    イチオシ

    織田信長の安土城の築城に参加した蒲生氏郷ですが、松阪城にもこの時の石垣作りが採り入れられています。『野面積』が主体ですが、隅の部分は『切込接ぎ』と『算木積』の工法が使われています。

  • コーナー部分の『切込接ぎ』と『算木積』の工法のズームアップ光景です。これらの石垣積の工法は、『穴太衆(あのうしゅう)』と呼ばれる近江国の石工集団が、安土城の築城で、今までの日本にはなかった新しい工法を発案したとされます。蒲生氏郷は、自分の出身地でもある近江国の穴太衆を活用して松阪城を築きました。

    コーナー部分の『切込接ぎ』と『算木積』の工法のズームアップ光景です。これらの石垣積の工法は、『穴太衆(あのうしゅう)』と呼ばれる近江国の石工集団が、安土城の築城で、今までの日本にはなかった新しい工法を発案したとされます。蒲生氏郷は、自分の出身地でもある近江国の穴太衆を活用して松阪城を築きました。

  • 松阪城址に残る、数少ない建築物とされる土蔵の光景です。三重県の文化財に指定されている御城番屋敷・土蔵は、江戸時代末期に松阪城の隠居丸に建てられたものが、松阪城の廃城後に苗秀社に払い下げられた建物と伝えられています。

    イチオシ

    松阪城址に残る、数少ない建築物とされる土蔵の光景です。三重県の文化財に指定されている御城番屋敷・土蔵は、江戸時代末期に松阪城の隠居丸に建てられたものが、松阪城の廃城後に苗秀社に払い下げられた建物と伝えられています。

  • 『御城番屋敷・公開中』の立看板がありましたので、入場して見学しました。

    『御城番屋敷・公開中』の立看板がありましたので、入場して見学しました。

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2017年、三重の百名城巡り

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