2017/03/16 - 2017/03/16
1293位(同エリア4466件中)
みーみさん
最初は嵐山でまだ行ってないところで、松虫寺や松尾大社、大覚寺に行って
みようということで、出かけましたが、あちこちで見かける水路や嵐山の山
麓にある神社の湧水など、「水」が印象に残った旅となりました。
嵯峨天皇がこの場所に離宮を造営したのも、唐の洞庭湖を模した池を造り
たいということから、この場所を選んだじゃないかと思いました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
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阪急電車嵐山線・上桂駅から少し歩くと、住宅街の中にこんな昔風の家があった
りして、静かでのんびりとした雰囲気に包まれます。 -
行く先々水路に突き当ります。
このへんに来るのは初めてですが、水路は水量も多く、水もきれいです。 -
鈴虫寺に到着。正式名は妙徳山 華厳寺ですが、鈴虫寺の名前で知られています。
現在は臨済宗のお寺です。
嵐山の斜面に建てられいて、お寺までは階段を上ります。
いい風情ですね。 -
鈴虫の音は外にいてても、聞こえてきます。
堂内には飼育ケースがたくさん置かれて、鈴虫の音色を聴きながら、
説法を聞きます。(写真撮影は不可)
拝観者は、やはり、女性が多かったです。 -
堂内、庭とも自由散策はできず、時間ごとに説法を聞いてから、お庭の散策となり
ます。
ただ、建物やお庭はそれほど特筆するものはないように思いました。 -
鈴虫寺の拝観を終えて、嵐山のふもとを北へ進むと、月読神社に行きあたりまし
た。階段を上って斜面に造られた境内へ。
この神社は松尾大社の摂社です。 -
月読は天照大神の兄弟神ですがが、この神社の「月読」はそれとは別の神様と言わ
れ、長崎県壱岐にある月読神社を分祀したもので、当時海人であった壱岐氏の潮の
干満を司る神様ではないかと言われています。
古代に壱岐からこの地へ一部の壱岐氏が移り住んだということがあったのでしょうか。
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手水鉢の水は山から湧き出る清水で、手水鉢から溢れた水はそのまま細い水路
になって、山をくだっていきます。 -
帰ってから調べると、この嵐山の水路は洛西用水あるいは桂川用水と呼ばれるも
ののようで、桂川から取水されていて、桂川の西側を南に
走り、なんと、長岡京市まで続いているようです。
嵐山の山際は湧水はあるけど、農業用水としては足りなかったのでしょうね。 -
松尾大社の大鳥居。
さすが、酒の神様、大きな徳利が鳥居前に鎮座。こういうのは徳利ではなくて、瓶
子というのでしょうか。 -
本殿は修理工事中で現在見ることができません。
松尾大社は有史以前に、この域に住んでいた人が自然崇拝を行っていた
のが起源だそうです。
神社というのはもともとそういったものなのでしょうね。 -
松尾大社の前にも水路が流れています。
水路は1948年から20年をかけて改修されましたが、
水路そのものは昔からあったということですね。
いつぐらいから今のような水路ができたとかは、わかりません。 -
酒の神様ということでk、清酒会社の樽がずら~っと並んでいます。
壮観! -
松尾大社境内にある神泉・亀の井。
別名「よみがえりの水」と呼ばれているそうですよ。 -
亀の井のさらに背後にある霊亀の滝。
写真ではちょっとわかりにくいですが、鳥居の奥のほうに滝が流れています。
水の量はそれほど多くなく、湧水が流れているような感じでした。
月読神社も松尾大社も嵐山の山際にあって、山の中から水が溢れてくる場所
なのでしょう。 -
松尾大社前からは大覚寺行きのバスに乗って、大覚寺に到着。
緑色の屋根部分は江戸時代の初めに御所から移築されたもの。 -
後宇多法皇が使用した籠。
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お寺といっても、門跡だけあって、すべてが優美で華麗。
宸殿は、後水尾天皇に嫁いだ徳川秀忠の娘東福門院和子が使用していたものを御所
から移したもので、折り上げ格天井や華やかな障壁画が格式の高さを感じさせます -
蔀も黒塗りに金の金具とひじょうに優美なものです。
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金具には蝉の装飾がついています。
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安井堂の天井画。
花や法具が描かれており、絵がひとつひとつ違っており見ていても
楽しいです。 -
安井堂の天井には雲龍図もありますが、奥の内々陣にあるのでちょっと踏み込んで
覗きこみましょう。 -
朱塗りの霊明殿
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床までが朱塗りなのにはびっくり!
床まで赤いというのは珍しいのでは? -
正寝殿は12の部屋を持つ書院造の建物です。
板絵、襖絵など、見どころが多いです。 -
正寝殿にはいたるところに板絵を見ることができます。
普通、板絵は退色しているのが多いのですが、
ここの板絵はひじょうに保存状態がよく色が鮮やかでした。 -
イチオシ
ウサギの絵がかわいい。
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日本最古の人工の池・大沢池。
五大堂から舞台が張り出していて、大沢池の景色を眺められるようになっています -
池の周りを散策してみました。
心経宝塔は1967年に嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立されたもの。
朱塗りの姿がきれいですね。 -
野仏を集めて安置してありました。
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発掘調査で遣水の跡が発見されました。
滝が枯れてしまい、水が流れなくなった庭はそのまま打ち捨てられて
しまったのでしょうか。 -
名古曽の滝跡。
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞こえけれ
この歌が詠まれた当時すでにもう滝は枯れていたということですね。
この滝跡は復元されたものです。 -
大沢池から水路へ水が流れ出ていました。大覚寺の周辺にはまだまだ畑がたくさん
残されているので、今も農業用水として利用されているのでしょうか。
ところで、流れて出ていくということは、池の水は
どこからか絶えず供給されているということ。
で、気になって調べてみました。 -
この大沢池の水がどこから来ているかというと、大覚寺の北側から流れて
くる有栖川の水のようです。
有栖川は大覚寺の北東付近で西へと流れる川と、南へと流れる川に分岐
します。南へと流れる川は五大堂の大沢池を望む舞台からも見ることがで
き、舞台の下を通って流れていきますが、その一部が大沢池の北西にある
放生池に溜められて、そこから大沢池に流されるという仕組みになって
いるようです。
この放生池は透明度がすごく高かったです。
大沢池はこのように絶えず水の入れ替えが行われているので水が
きれいなんですね。(たぶん)
有栖川から水を引いて池を造れるという点がこの場所を離宮に選んだ
理由だったのかなと思わせられました。(たぶん)単なる私の推測です。
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