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旅館を出るときに、長崎市内に行かれるなら、坂道が多く、道路が狭く、駐車場が少ないので、注意してくださいとの、忠告を得て出発した。<br />長崎市内に向けては、ループになっている57号線をまわり、途中から高速道路の長崎道路をはしり、宿泊先のホテルモントレ長崎に。そこで車を駐車場にいれ、市電(120円)で、長崎駅まで行き、定期観光バスに乗車。約5時間のツアーである。ガイドさんがいろいろと長崎のことを説明してくれた。長崎は、すり鉢状になっているため、周りはすべて段々畑のように家が建っている。長崎市の平地は、たったの20%で、残りの80%は、斜面になっているとのこと。そのため、細い坂道と階段でできているので、ある意味では住みにくいところになっている。平地20%というが、出島を埋め立てる前は、10%であったとのこと。斜面に住むお年寄りも、ほとんどが、歩いて生活している。このような土地柄、駐車場が少ない、あったとしても地下に、坂が多いので、自転車も機能しない。どこかに行きたくとも、駐車場が離れており、不便なことが多いとのことである。道路が狭いので、軽自動車万能の世界である。そういわれて車窓を見ると、1回だけ自転車を見たが、あとはせいぜいオートバイである。そのため市電も頻繁に通っていることを見ると市民の足になっている。<br />長崎のもう一つの忘れられないことは、原爆投下である。すり鉢状の底に投下をしたため、大変大きな被害となってしまったとのことである。広島のことはよく耳にするが、長崎の状況は、十分把握できていなかったので、目新しいことばかりであった。永井博士の投下後の狭い住居、3畳で妻を亡くし、博士と子供二人が住んでいた如己堂などを車窓から見、また永井博士が書いた書物の一説を朗読して、自分が、白血病で体力低下となりつつある状況と、残すことになるであろう子供たちのことを思う心は、大変心に染み入るものがあった。<br />原爆資料館は、5階建てから、バリアフリーで回れるように改築された新しい建物となっていた。ここにも、オバマ大統領が、広島に持ってこられた折り鶴と同じセットが、おいてあった。大統領の気持ちが伝わるものである。<br />そのあと有名な平和祈念像のある平和公園へ向かう。昔見た像は、白いものであった。今回は、修復され元の色である薄い水色になっていた。水色が、太陽により退色したことと、長年の鳩の糞による影響で、白く見えていたそうである。この大きな像が140個のピースに分解でき、それぞれの傷み具合により修復し、復元されたとのこと。前は、コンクリートで作られたと思っていたが、そうではなかった。途中は、駐車場もないことから、車窓での見学であった。一本柱鳥居など、ぜひ見たかったが、あっという間に通り過ぎてしまった。<br />次は、長崎歴史文化博物館で、長崎奉行所跡に建てられ、武家屋敷風に作った建物であった。隣の学校の門は、奉行所をあしらったものとなっており、意外性がありよかった。館内は、長崎開港以来、キリシタンを含め多くの資料が展示されていた。歴史が好きな人にはこたえられない情報が多々展示されていた。ボランティアガイドの方の説明もタイムリーであった。<br />長崎名所の一つ、めがね橋である。二連アーチ橋で、石造りである。国の重要文化財に指定されている。めがね橋の先が、出島であり、海である。一つ下の下流にある橋が、その分岐点であり、ちょうど上げ潮で、波が押し寄せていた。<br />孔子廟は、中国の方が管理をされ、裏にある博物館には、故宮博物館から借りてきたものが展示されていた。<br />最後は、大浦天主堂を見て、その内部のステンドグラスの色合いがすばらしかった。天主堂も、斜面に作られており、土地を大変有効活用していることがわかった。そのあと歩きながら、本日のメインであるグラバー園へ進んだ。丁度長崎港には、世界第二位のクルーズ船が、入港していた。168,000トン、全長350mと巨大な船である。この船の目印は、甲板上部に飾ってあるピンク色の熊が目印である。長崎港には、クルーズ船が、年間200隻以上もお客を連れてくるそうである。この船は、4150人の乗客と、1500人のスタッフであり、下船すると、百数十台のバスが、あつまり、見学へ散っていくそうである。長崎も、御多分に漏れず、中国語があちこちで聞こえた。世界一のクルーズ船は、残念ながら、湾を跨ぐ橋に閊えてしまうことから、今日見た船が、最高の大きさとなるそうである。<br />グラバー園から、長崎湾を一望でき、その景観は、なかなか良いものであった。グラバー園は、カラフルなお花で埋まっており、昔の記憶を思い出した。ここも斜面に建物が、多く移築されてきており、登りのエスカレーターが2基あり、多少のバリアフリーとなっていた。<br />出口には、長崎伝統芸能館があり、おくんちなどで使われる船や、蛇が飾ってある。<br />夕方は、市内を散策した。まず新地中華街である。イメージは、横浜の中華街と思っていたが、大変小さな場所であり、30数件のお店があるだけのまさにローカル中華街であった。メニューもちゃんぽんなどが飾ってあり、少し感覚が違った。道幅も狭く、肩がぶつかるような場所であった。味見もしたかったが、今回はスキップである。<br />グラバー通りを歩いていると、大変多くのカステラ屋さんがあった。まさに長崎はカステラの町である。全部でカステラ屋は、147件登録されており、それぞれが、支店、販売所など複数持っているので、数百店の規模で点在している。カステラのバラエティショップである。原材料は同じでも、その配合などで、特長を出しているようである。家内工業的に作っているところもあれば、大手のように工場を持って経営しているところもある。これだけのカステラ屋がひしめいていても、成り立っていることは、大変需要が根強いからであろう。土地の人が好きなカステラと、お土産のカステラでは、異なっているようである。味一つとっても、嗜好品といわれるゆえんでもあろう。<br />もう一つ多いのは、べっ甲細工のお店である。個人のお店が多い。伝統的な職人であろう。しかし現在は、べっ甲の原材料が、国際条約(ワシントン条約)で輸入ができなくなっており、今後の展望が心配である。何かべっ甲のメガネの枠があれば、欲しいと思ったが、さっと見ただけでは、選ぶことができなかった。<br />夜は、ホテルで紹介してもらった地元の居酒屋へ。ここは大変しゃれたダイニング亜沙というところで、割烹居酒屋で、地産地消の多くのものがあり、大変おいしかった。新鮮な魚介類は、格別であった。ちょっと飲みすぎで、長崎の夜景を見るのをスキップした。翌朝は、稲佐山展望台から、長崎湾の全貌を見て、名残を惜しんだ。

長崎市内(第二日目)

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2017/03/06 - 2017/03/06

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    旅館を出るときに、長崎市内に行かれるなら、坂道が多く、道路が狭く、駐車場が少ないので、注意してくださいとの、忠告を得て出発した。
    長崎市内に向けては、ループになっている57号線をまわり、途中から高速道路の長崎道路をはしり、宿泊先のホテルモントレ長崎に。そこで車を駐車場にいれ、市電(120円)で、長崎駅まで行き、定期観光バスに乗車。約5時間のツアーである。ガイドさんがいろいろと長崎のことを説明してくれた。長崎は、すり鉢状になっているため、周りはすべて段々畑のように家が建っている。長崎市の平地は、たったの20%で、残りの80%は、斜面になっているとのこと。そのため、細い坂道と階段でできているので、ある意味では住みにくいところになっている。平地20%というが、出島を埋め立てる前は、10%であったとのこと。斜面に住むお年寄りも、ほとんどが、歩いて生活している。このような土地柄、駐車場が少ない、あったとしても地下に、坂が多いので、自転車も機能しない。どこかに行きたくとも、駐車場が離れており、不便なことが多いとのことである。道路が狭いので、軽自動車万能の世界である。そういわれて車窓を見ると、1回だけ自転車を見たが、あとはせいぜいオートバイである。そのため市電も頻繁に通っていることを見ると市民の足になっている。
    長崎のもう一つの忘れられないことは、原爆投下である。すり鉢状の底に投下をしたため、大変大きな被害となってしまったとのことである。広島のことはよく耳にするが、長崎の状況は、十分把握できていなかったので、目新しいことばかりであった。永井博士の投下後の狭い住居、3畳で妻を亡くし、博士と子供二人が住んでいた如己堂などを車窓から見、また永井博士が書いた書物の一説を朗読して、自分が、白血病で体力低下となりつつある状況と、残すことになるであろう子供たちのことを思う心は、大変心に染み入るものがあった。
    原爆資料館は、5階建てから、バリアフリーで回れるように改築された新しい建物となっていた。ここにも、オバマ大統領が、広島に持ってこられた折り鶴と同じセットが、おいてあった。大統領の気持ちが伝わるものである。
    そのあと有名な平和祈念像のある平和公園へ向かう。昔見た像は、白いものであった。今回は、修復され元の色である薄い水色になっていた。水色が、太陽により退色したことと、長年の鳩の糞による影響で、白く見えていたそうである。この大きな像が140個のピースに分解でき、それぞれの傷み具合により修復し、復元されたとのこと。前は、コンクリートで作られたと思っていたが、そうではなかった。途中は、駐車場もないことから、車窓での見学であった。一本柱鳥居など、ぜひ見たかったが、あっという間に通り過ぎてしまった。
    次は、長崎歴史文化博物館で、長崎奉行所跡に建てられ、武家屋敷風に作った建物であった。隣の学校の門は、奉行所をあしらったものとなっており、意外性がありよかった。館内は、長崎開港以来、キリシタンを含め多くの資料が展示されていた。歴史が好きな人にはこたえられない情報が多々展示されていた。ボランティアガイドの方の説明もタイムリーであった。
    長崎名所の一つ、めがね橋である。二連アーチ橋で、石造りである。国の重要文化財に指定されている。めがね橋の先が、出島であり、海である。一つ下の下流にある橋が、その分岐点であり、ちょうど上げ潮で、波が押し寄せていた。
    孔子廟は、中国の方が管理をされ、裏にある博物館には、故宮博物館から借りてきたものが展示されていた。
    最後は、大浦天主堂を見て、その内部のステンドグラスの色合いがすばらしかった。天主堂も、斜面に作られており、土地を大変有効活用していることがわかった。そのあと歩きながら、本日のメインであるグラバー園へ進んだ。丁度長崎港には、世界第二位のクルーズ船が、入港していた。168,000トン、全長350mと巨大な船である。この船の目印は、甲板上部に飾ってあるピンク色の熊が目印である。長崎港には、クルーズ船が、年間200隻以上もお客を連れてくるそうである。この船は、4150人の乗客と、1500人のスタッフであり、下船すると、百数十台のバスが、あつまり、見学へ散っていくそうである。長崎も、御多分に漏れず、中国語があちこちで聞こえた。世界一のクルーズ船は、残念ながら、湾を跨ぐ橋に閊えてしまうことから、今日見た船が、最高の大きさとなるそうである。
    グラバー園から、長崎湾を一望でき、その景観は、なかなか良いものであった。グラバー園は、カラフルなお花で埋まっており、昔の記憶を思い出した。ここも斜面に建物が、多く移築されてきており、登りのエスカレーターが2基あり、多少のバリアフリーとなっていた。
    出口には、長崎伝統芸能館があり、おくんちなどで使われる船や、蛇が飾ってある。
    夕方は、市内を散策した。まず新地中華街である。イメージは、横浜の中華街と思っていたが、大変小さな場所であり、30数件のお店があるだけのまさにローカル中華街であった。メニューもちゃんぽんなどが飾ってあり、少し感覚が違った。道幅も狭く、肩がぶつかるような場所であった。味見もしたかったが、今回はスキップである。
    グラバー通りを歩いていると、大変多くのカステラ屋さんがあった。まさに長崎はカステラの町である。全部でカステラ屋は、147件登録されており、それぞれが、支店、販売所など複数持っているので、数百店の規模で点在している。カステラのバラエティショップである。原材料は同じでも、その配合などで、特長を出しているようである。家内工業的に作っているところもあれば、大手のように工場を持って経営しているところもある。これだけのカステラ屋がひしめいていても、成り立っていることは、大変需要が根強いからであろう。土地の人が好きなカステラと、お土産のカステラでは、異なっているようである。味一つとっても、嗜好品といわれるゆえんでもあろう。
    もう一つ多いのは、べっ甲細工のお店である。個人のお店が多い。伝統的な職人であろう。しかし現在は、べっ甲の原材料が、国際条約(ワシントン条約)で輸入ができなくなっており、今後の展望が心配である。何かべっ甲のメガネの枠があれば、欲しいと思ったが、さっと見ただけでは、選ぶことができなかった。
    夜は、ホテルで紹介してもらった地元の居酒屋へ。ここは大変しゃれたダイニング亜沙というところで、割烹居酒屋で、地産地消の多くのものがあり、大変おいしかった。新鮮な魚介類は、格別であった。ちょっと飲みすぎで、長崎の夜景を見るのをスキップした。翌朝は、稲佐山展望台から、長崎湾の全貌を見て、名残を惜しんだ。

    同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    交通手段
    レンタカー ANAグループ 徒歩
    旅行の満足度
    4.5
    観光
    4.0
    ホテル
    4.0
    グルメ
    4.5

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