嵐山・嵯峨野・太秦・桂旅行記(ブログ) 一覧に戻る
高山寺<br />高山寺は京都市右京区栂尾(とがのお)にある古刹である。創建は奈良時代に遡るともいわれ、その後、神護寺の別院であったのが、建永元年(1206)明恵上人が後鳥羽上皇よりその寺域を賜り、名を高山寺として再興した。 <br />鳥獣人物戯画、日本最古の茶園として知られるが、デュークエイセスの唄「女ひとり」にも歌詞の中に登場しています。 <br />また、川端康成、白洲正子や河合隼雄の著書にも紹介されています。<br />■JR京都駅からJRバス高雄・京北線「栂ノ尾」「周山」行で約55分<br /> (途中、四条大宮・二条駅前・円町などを経由)、栂ノ尾下車。 <br />■京都市営地下鉄烏丸線四条駅から、市バス8系統で約50分、<br /> 高雄下車、徒歩約15分。<br />■栂ノ尾バス停近くに市営駐車場があります。100台(無料)※11月のみ有料<br />※嵐山高雄パークウェイは有料、営業時間8時~20時(季節によって変更あり)<br /><br />土門拳のこの寺院への想い入れの強さはひとしおで、自身で何回も通ったことを記しています。<br />ぼくは何十遍高山寺に行ったことだろう。ほんのお志を懐にしては高山寺に通い、石水院の広縁に坐って、古寺巡礼撮影で苛立った頭を休めた。行くたびに、いい。いついっても、いい。同じところ、同じものを見るだけだが、行くたびに新しい発見がある。だから飽きることはがない。そしていつも行くたびに、今日の高山寺が今までで一番良かった、と思って帰る。幸福なことである。<br />さて妄想へ 著者注)<br />本紀行は、写真撮影記に私の妄想が入り、過去の人物などが出る事があります。入江:入江泰吉 土門:土門拳 佐藤:佐藤義清 楠木:楠木正成<br />1月13日 寒波到来の予報を得、深夜3時まで雪雲の様子を探る。<br />奈良市内には雪が入らず、京都に大量に降っている。<br />ライブカメラでも京都市内は、積雪の模様である。<br />京都方面に作戦開始を決定する。<br />しかし目的地が定まらない。清水寺、神護寺、金閣寺などが挙がる。<br />金閣寺は、俗物的なので後回し、清水寺は、修理中になったというので必死になって最近の画像を検索したが、工事の幕が張ってあるのかわからずギャンブルはあきらめ断念した。2月になっても写真が撮れるような工事の状態です(2月12日現在)<br />さて神護寺を目標に置くと、検索に高山寺が抱き合わせで出てくる。<br />体力もないし、雪なのでバイクで神護寺の山門まで登るのも不可能。<br />最終決定は、高山寺、西明寺、戦力に余裕があれば神護寺攻めである。<br />雪の高雄に行くには、バスしかない。<br />公共交通機関で<br /> →<br />JR京都駅、地下鉄烏丸線京都駅からJRバス「高雄・京北線」で約50分、「山城高雄」下車、徒歩約20分<br /> →<br />阪急京都線烏丸駅、地下鉄烏丸線四条駅から市バス8号系統で約45分、「高雄」下車、徒歩約20分<br />地元の人の話では、JRバスどんなことになっても意地でも来るが、市営バスは運休することがあるとのことである。<br />余裕を見て始発に近い時間の地下鉄で家を出る。<br />四条大宮手前で突然阪急が止まる。雪のためドアを点検します。<br />バスとの接続時間がどんどん無くなる。<br />階段を上り外に出る。<br />目の前をJRバスが走る。あわてて走りこける・・・・<br />寝不足とリュックの重さに立ち上がれない。<br />走るぞ と心の中に呼びかける声が。<br />私「土門先生」<br />何とか転びながらバスに乗る。<br />アイスバーンの歩道の出来事である。<br />7時前、チェーンをまいたバスが大雪の京都市内をゴトゴト走る。<br />高雄はすごい雪である。

大雪の京都 高雄 高山寺 ワレ雪中ヲ行軍ス

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2017/01/14 - 2017/01/14

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bakaneko

bakanekoさん

高山寺
高山寺は京都市右京区栂尾(とがのお)にある古刹である。創建は奈良時代に遡るともいわれ、その後、神護寺の別院であったのが、建永元年(1206)明恵上人が後鳥羽上皇よりその寺域を賜り、名を高山寺として再興した。
鳥獣人物戯画、日本最古の茶園として知られるが、デュークエイセスの唄「女ひとり」にも歌詞の中に登場しています。
また、川端康成、白洲正子や河合隼雄の著書にも紹介されています。
■JR京都駅からJRバス高雄・京北線「栂ノ尾」「周山」行で約55分
 (途中、四条大宮・二条駅前・円町などを経由)、栂ノ尾下車。
■京都市営地下鉄烏丸線四条駅から、市バス8系統で約50分、
 高雄下車、徒歩約15分。
■栂ノ尾バス停近くに市営駐車場があります。100台(無料)※11月のみ有料
※嵐山高雄パークウェイは有料、営業時間8時~20時(季節によって変更あり)

土門拳のこの寺院への想い入れの強さはひとしおで、自身で何回も通ったことを記しています。
ぼくは何十遍高山寺に行ったことだろう。ほんのお志を懐にしては高山寺に通い、石水院の広縁に坐って、古寺巡礼撮影で苛立った頭を休めた。行くたびに、いい。いついっても、いい。同じところ、同じものを見るだけだが、行くたびに新しい発見がある。だから飽きることはがない。そしていつも行くたびに、今日の高山寺が今までで一番良かった、と思って帰る。幸福なことである。
さて妄想へ 著者注)
本紀行は、写真撮影記に私の妄想が入り、過去の人物などが出る事があります。入江:入江泰吉 土門:土門拳 佐藤:佐藤義清 楠木:楠木正成
1月13日 寒波到来の予報を得、深夜3時まで雪雲の様子を探る。
奈良市内には雪が入らず、京都に大量に降っている。
ライブカメラでも京都市内は、積雪の模様である。
京都方面に作戦開始を決定する。
しかし目的地が定まらない。清水寺、神護寺、金閣寺などが挙がる。
金閣寺は、俗物的なので後回し、清水寺は、修理中になったというので必死になって最近の画像を検索したが、工事の幕が張ってあるのかわからずギャンブルはあきらめ断念した。2月になっても写真が撮れるような工事の状態です(2月12日現在)
さて神護寺を目標に置くと、検索に高山寺が抱き合わせで出てくる。
体力もないし、雪なのでバイクで神護寺の山門まで登るのも不可能。
最終決定は、高山寺、西明寺、戦力に余裕があれば神護寺攻めである。
雪の高雄に行くには、バスしかない。
公共交通機関で
 →
JR京都駅、地下鉄烏丸線京都駅からJRバス「高雄・京北線」で約50分、「山城高雄」下車、徒歩約20分
 →
阪急京都線烏丸駅、地下鉄烏丸線四条駅から市バス8号系統で約45分、「高雄」下車、徒歩約20分
地元の人の話では、JRバスどんなことになっても意地でも来るが、市営バスは運休することがあるとのことである。
余裕を見て始発に近い時間の地下鉄で家を出る。
四条大宮手前で突然阪急が止まる。雪のためドアを点検します。
バスとの接続時間がどんどん無くなる。
階段を上り外に出る。
目の前をJRバスが走る。あわてて走りこける・・・・
寝不足とリュックの重さに立ち上がれない。
走るぞ と心の中に呼びかける声が。
私「土門先生」
何とか転びながらバスに乗る。
アイスバーンの歩道の出来事である。
7時前、チェーンをまいたバスが大雪の京都市内をゴトゴト走る。
高雄はすごい雪である。

旅行の満足度
5.0
  • おおっ!清滝川が<br />土門「寒いぞ。」<br />私「8時前ですよ。開門は9時からです。積雪は10-20cmでしょうか」

    おおっ!清滝川が
    土門「寒いぞ。」
    私「8時前ですよ。開門は9時からです。積雪は10-20cmでしょうか」

  • 高山寺入り口

    高山寺入り口

  • すごい雪です。

    すごい雪です。

  • 土門「新雪がいいぞ。雪の室生寺もいいがな」<br />私「先生。大雪の室生寺は知らんでしょう」<br />土門「だまれ!!」

    土門「新雪がいいぞ。雪の室生寺もいいがな」
    私「先生。大雪の室生寺は知らんでしょう」
    土門「だまれ!!」

  • 金堂への階段<br />高山寺では、清滝川から楞伽山(りょうがせん)へいたる斜面に堂宇が造営されている。金堂は境内の最も奥まった場所にある。その左右にひろがる平坦地にかつては堂宇が建ち並び、創建時の高山寺の中心をなした。表参道から金堂へは、亭々たる杉木立の中、やや勾配の急な石段を踏んであがる。

    金堂への階段
    高山寺では、清滝川から楞伽山(りょうがせん)へいたる斜面に堂宇が造営されている。金堂は境内の最も奥まった場所にある。その左右にひろがる平坦地にかつては堂宇が建ち並び、創建時の高山寺の中心をなした。表参道から金堂へは、亭々たる杉木立の中、やや勾配の急な石段を踏んであがる。

  • 金堂<br />かつての本堂の位置に立つ。桁行3間、梁間3間の一重入母屋造、銅板葺。承久元年(1219)に完成した本堂は、東西に阿弥陀堂、羅漢(らかん)堂、経蔵、塔、鐘楼、鎮守を従えた檜皮葺(ひわだぶき)5間4面の堂宇で、運慶作の丈六盧舍那仏(るしゃなぶつ)などが置かれたという。その本堂は室町時代に焼失し、現在の金堂は江戸時代寛永年間(1624~44)に御室仁和寺真光院から古御堂を移築したものである。釈如来像を本尊とする。

    金堂
    かつての本堂の位置に立つ。桁行3間、梁間3間の一重入母屋造、銅板葺。承久元年(1219)に完成した本堂は、東西に阿弥陀堂、羅漢(らかん)堂、経蔵、塔、鐘楼、鎮守を従えた檜皮葺(ひわだぶき)5間4面の堂宇で、運慶作の丈六盧舍那仏(るしゃなぶつ)などが置かれたという。その本堂は室町時代に焼失し、現在の金堂は江戸時代寛永年間(1624~44)に御室仁和寺真光院から古御堂を移築したものである。釈如来像を本尊とする。

  • 土門「雪が落ちるぞ。この一瞬だ!!」

    土門「雪が落ちるぞ。この一瞬だ!!」

  • 土門「一瞬が大事だ!!へたくそ!!」

    土門「一瞬が大事だ!!へたくそ!!」

  • すごい雪です。<br />私「先生。頭の上に雪が」<br />土門「はくしょん!!」<br />私「つばが・・・・」

    すごい雪です。
    私「先生。頭の上に雪が」
    土門「はくしょん!!」
    私「つばが・・・・」

  • ええ感じの道です

    ええ感じの道です

  • 裏参道<br />裏手の駐車場・バス停から境内に入る道が裏参道である。近年はこちらを利用する人が多い。苔に覆われた石垣と草木の中をつづら折にのぼっていく。一木一草をそのままに、手を入れすぎない自然が美しい。段を登り切ると、石積みの上に低い白壁が続く。壁の向こうが石水院である。境内は昭和41年(1966)「史跡」、平成6年(1994)「世界文化遺産」に登録された。

    裏参道
    裏手の駐車場・バス停から境内に入る道が裏参道である。近年はこちらを利用する人が多い。苔に覆われた石垣と草木の中をつづら折にのぼっていく。一木一草をそのままに、手を入れすぎない自然が美しい。段を登り切ると、石積みの上に低い白壁が続く。壁の向こうが石水院である。境内は昭和41年(1966)「史跡」、平成6年(1994)「世界文化遺産」に登録された。

  • 定番の積水院 廂の間 善財童子<br />石水院の西正面。かつて春日・住吉明神の拝殿であったところで、正面には神殿構の板扉が残る。欄間に富岡鉄斎筆「石水院」の横額がかかる。鉄斎は明治期の住職土宜法龍と親交があり、最晩年を高山寺に遊んだ。落板敷の中央に、今は小さな善財童子(ぜんざいどうじ)像が置かれている。華厳経(けごんきょう)にその求法の旅が語られる善財童子を明恵は敬愛し、住房には善財五十五善知識の絵を掛け、善財童子の木像を置いたという。吊り上げの蔀戸(しとみど)、菱格子戸、本蟇股(かえるまた)によって、内外の境界はあいまいにされ、深い軒が生む翳りの先に光があふれる。<br />昔、印度の国に善財童子という少年がいました。<br />お金持ちの家の子供でしたので、なに不自由なく過ごしていました。<br />頭の良いことにかこつけて、毎日遊んでばかりいましたので、みんなからは馬鹿にされていました。<br />ある日のこと、それに気がついた善財童子は、心を入れ替え勉強しようと思い立ち旅に出ました。<br />いろいろな人々を、次々に訪ね歩いて教えをうけて回る旅でした。<br />その訪ね歩いた人たちというのが、名も無い人々でした。善財童子は気がつきます。<br />「どんなにつまらなさそうに見える人でも、何か一つは立派なものを持っているものだ」 善財童子は、ますます真剣に「多くに人から出来るだけ教えを受け、自分の心を磨き、人に笑われないようになりたい」と、旅を続けました。<br />こうして彼は、「五十三人」の人々からたくさんの知恵や経験を学び、<br />立派な心の人になったいうことです。<br /><br />善財童子の昔話を聞く時、何不自由なく毎日を過していた善財童子と現代の子供たちの立場が共通しているように思います。<br />現代の子供たちが善財童子と同じように、頭が良いことも共通しています。<br />では、決定的に違うところはどこでしょう?<br />「心を入れ替えて勉強しなおそう」と気がついたか、気がつかなっかたかということです。<br />「ああ、これではいけない。何とかしなければ」と心の中から湧き上がってきたのが<br />善財童子の素直な心であり、立派なところです。<br />この素直な心が大切なのです。<br /><br />

    定番の積水院 廂の間 善財童子
    石水院の西正面。かつて春日・住吉明神の拝殿であったところで、正面には神殿構の板扉が残る。欄間に富岡鉄斎筆「石水院」の横額がかかる。鉄斎は明治期の住職土宜法龍と親交があり、最晩年を高山寺に遊んだ。落板敷の中央に、今は小さな善財童子(ぜんざいどうじ)像が置かれている。華厳経(けごんきょう)にその求法の旅が語られる善財童子を明恵は敬愛し、住房には善財五十五善知識の絵を掛け、善財童子の木像を置いたという。吊り上げの蔀戸(しとみど)、菱格子戸、本蟇股(かえるまた)によって、内外の境界はあいまいにされ、深い軒が生む翳りの先に光があふれる。
    昔、印度の国に善財童子という少年がいました。
    お金持ちの家の子供でしたので、なに不自由なく過ごしていました。
    頭の良いことにかこつけて、毎日遊んでばかりいましたので、みんなからは馬鹿にされていました。
    ある日のこと、それに気がついた善財童子は、心を入れ替え勉強しようと思い立ち旅に出ました。
    いろいろな人々を、次々に訪ね歩いて教えをうけて回る旅でした。
    その訪ね歩いた人たちというのが、名も無い人々でした。善財童子は気がつきます。
    「どんなにつまらなさそうに見える人でも、何か一つは立派なものを持っているものだ」 善財童子は、ますます真剣に「多くに人から出来るだけ教えを受け、自分の心を磨き、人に笑われないようになりたい」と、旅を続けました。
    こうして彼は、「五十三人」の人々からたくさんの知恵や経験を学び、
    立派な心の人になったいうことです。

    善財童子の昔話を聞く時、何不自由なく毎日を過していた善財童子と現代の子供たちの立場が共通しているように思います。
    現代の子供たちが善財童子と同じように、頭が良いことも共通しています。
    では、決定的に違うところはどこでしょう?
    「心を入れ替えて勉強しなおそう」と気がついたか、気がつかなっかたかということです。
    「ああ、これではいけない。何とかしなければ」と心の中から湧き上がってきたのが
    善財童子の素直な心であり、立派なところです。
    この素直な心が大切なのです。

  • 石水院の南縁<br />石水院の南面は清滝川を越えて向山をのぞみ、視界が一気に開ける。縁から一歩下がって畳の上に腰をおろすと、風景が柱と蔀戸(しとみど)、広縁によって額縁のように切り取られる。南面の欄間には伝後鳥羽上皇の勅額「日出先照高山之寺(ひいでてまずてらすこうざんのてら)」がかかり、寺号の由来を語る。西面には長く高山寺の中心的子院であった十無盡院(じゅうむじんいん)の額も見ることができる

    石水院の南縁
    石水院の南面は清滝川を越えて向山をのぞみ、視界が一気に開ける。縁から一歩下がって畳の上に腰をおろすと、風景が柱と蔀戸(しとみど)、広縁によって額縁のように切り取られる。南面の欄間には伝後鳥羽上皇の勅額「日出先照高山之寺(ひいでてまずてらすこうざんのてら)」がかかり、寺号の由来を語る。西面には長く高山寺の中心的子院であった十無盡院(じゅうむじんいん)の額も見ることができる

  • 土門「わしは撫でたぞ」<br />高山寺には明恵上人が座右に置いて愛玩した遺愛の犬と伝えられるかわいい木彫りの子犬(伝快慶作)があります。<br />伝運慶作「木彫りの狗児」は栂尾山高山寺(京都市右京区梅ケ畑栂尾町)の石水院に飾られています。宝亀5年(774年)、光仁天皇の勅願で建立された神護寺度賀尾坊という寺院が始まりであると高山寺のwebサイトで紹介されていますが、山岳修行の適地として、小寺院が営まれていたということ以外はどうも実態は不明のようです。<br /> 実質的な開祖は鎌倉時代の華厳宗の僧 明恵上人(栂尾上人)で、華厳宗の復興に努めた上人は建永元年(1206年)に後鳥羽上皇から栂尾の地を与えられ、寺名のもとになった「日出先照高山之寺」の額を下賜されたことから高山寺と号したとのことです。<br /> 上人は平重国の子として生まれましたが、治承・寿永の乱で両親を失い、16歳の時に出家。真言密教、華厳宗・倶舎宗の教学、悉曇、禅を学んだ後、白上山で修行。学問研究と実践修行した高僧と今も敬愛されています。<br /> 超人的な学僧とも称される明恵上人ですが、動物を慈しんだというエピソードも数多く伝わっています。亡き父母を慕う薬師丸(上人の幼名)は、小動物を見てはその生まれ変わりかもしれないと思い、子犬をまたいでしまった後に振り返って拝んだという逸話は、幼い頃の寂しさと優しさが深く忍ばれる逸話です。そうした逸話と結びつく愛らしい実寸大の狗児像。伝運慶作という彫刻の出来云々よりも、大人になった上人が座右に置いて愛玩した遺愛の子犬というエピソードに見る人の心が動かされるのでしょう。<br /> 志賀直哉も「時々撫で擦りたいような気持のする彫刻」と語ったそうですが、持ち主の深い愛情を感じるとてもかわいらしいわんこの像です。石水院の部屋の中で南側の縁側を通って帰ってくる明恵上人を待っているかのようにちょこんと鎮座している狗児像。鳥獣戯画があまりにも有名なお寺ではありますが、小さな狗児像にも話しかけてあげてください。

    土門「わしは撫でたぞ」
    高山寺には明恵上人が座右に置いて愛玩した遺愛の犬と伝えられるかわいい木彫りの子犬(伝快慶作)があります。
    伝運慶作「木彫りの狗児」は栂尾山高山寺(京都市右京区梅ケ畑栂尾町)の石水院に飾られています。宝亀5年(774年)、光仁天皇の勅願で建立された神護寺度賀尾坊という寺院が始まりであると高山寺のwebサイトで紹介されていますが、山岳修行の適地として、小寺院が営まれていたということ以外はどうも実態は不明のようです。
     実質的な開祖は鎌倉時代の華厳宗の僧 明恵上人(栂尾上人)で、華厳宗の復興に努めた上人は建永元年(1206年)に後鳥羽上皇から栂尾の地を与えられ、寺名のもとになった「日出先照高山之寺」の額を下賜されたことから高山寺と号したとのことです。
     上人は平重国の子として生まれましたが、治承・寿永の乱で両親を失い、16歳の時に出家。真言密教、華厳宗・倶舎宗の教学、悉曇、禅を学んだ後、白上山で修行。学問研究と実践修行した高僧と今も敬愛されています。
     超人的な学僧とも称される明恵上人ですが、動物を慈しんだというエピソードも数多く伝わっています。亡き父母を慕う薬師丸(上人の幼名)は、小動物を見てはその生まれ変わりかもしれないと思い、子犬をまたいでしまった後に振り返って拝んだという逸話は、幼い頃の寂しさと優しさが深く忍ばれる逸話です。そうした逸話と結びつく愛らしい実寸大の狗児像。伝運慶作という彫刻の出来云々よりも、大人になった上人が座右に置いて愛玩した遺愛の子犬というエピソードに見る人の心が動かされるのでしょう。
     志賀直哉も「時々撫で擦りたいような気持のする彫刻」と語ったそうですが、持ち主の深い愛情を感じるとてもかわいらしいわんこの像です。石水院の部屋の中で南側の縁側を通って帰ってくる明恵上人を待っているかのようにちょこんと鎮座している狗児像。鳥獣戯画があまりにも有名なお寺ではありますが、小さな狗児像にも話しかけてあげてください。

  • 雪深い高山寺

    雪深い高山寺

  • これが見たかったのです。

    これが見たかったのです。

  • この時点10時で4-5人です。

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  • おお一瞬光が

    おお一瞬光が

  • さて外に出てみます。<br />土門「日本の雪だな」

    さて外に出てみます。
    土門「日本の雪だな」

  • さすがにピンクのヤッケの中国人はいません

    さすがにピンクのヤッケの中国人はいません

  • 土門「秋の残像だなあ」

    土門「秋の残像だなあ」

  • 私「先生、下におりましたよ」<br />土門「次行くか!!」<br />私「エッ・・そうですね」<br />まだまだ雪の旅は続きます。

    私「先生、下におりましたよ」
    土門「次行くか!!」
    私「エッ・・そうですね」
    まだまだ雪の旅は続きます。

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この旅行記へのコメント (1)

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  • 墨水さん 2017/02/22 23:33:19
    前進。
    bakanekoさん、今晩は。
    鉄馬に一鞭入れて、進軍したのかと思ったよ。(笑)
    さすがに、此の雪じゃね仕方が無いかな。
    そう言えば、楠木公は休みか?。
    武士は、雪じゃ戦が出来ないので、休みかい。(笑)
    後醍醐帝が泣いてるぞ!。(笑)
    ときに、土門拳が出てきたのには驚いたよ!。
    (えっ、旅行記に、是ってアリなの?!。笑)
    雪中前進アルノミ、ワレ汝の奮闘、努力アルヲ祈念ス。
    墨水。

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