2016/10/17 - 2016/10/22
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Eivor the WKさん
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アラサー公務員・人生初の海外1人旅の行き先として選んだのはポーランド!
歴史ある美しい街はヨーロッパにたくさんありますが、ワルシャワが背負っているものは別格だと思います。
ショパンやキュリー夫人が生まれた場所で、観光スポットもたくさんあるのですが、ワルシャワ観光・後半戦はこの街と切り離すことのできない、「戦争」というテーマにしぼって歩きました。
ポーランドの旅最終章!
今回は至ってマジメです。
ちょっと重いです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ワルシャワ観光に来れば必ず通るであろう、「新世界通り」というところです。
車道も歩道も広く、街灯がオシャレです。
写っている建物は全て戦後に建てられたものです。すべて。 -
後半戦1ヶ所目に訪れたのはパヴィアク刑務所博物館。
監獄自体は1800年代につくられましたが、ナチスドイツ支配のもと、政治犯(ナチスに本気で盾ついた人、ユダヤ人の扱いに対する批判や、平和を訴え続けた人など)が収容されたことでその存在が広く知られることになりました。
70年前に破壊されましたが、手前に写っている木だけは近年まで生きていました。
枯れてしまってもブロンズのモニュメントとなって、静かにたたずんでいます。
幹に貼られたプレートは、ここで亡くなった方のお名前です。
木曜日だったので無料で見ることができました。 -
収容者は内部の様子を絵にして残していました。
-
ポーランドの「P」とワルシャワの「W」を組み合わせたマークは、今もワルシャワ市民にとって深い意味をもつものです。
解説はのちほど。 -
収容者のIDカードや、監獄で使われていた食器です。
-
右側のパネルの人はマクシミリアン・コルベ神父です。
ポーランド国民では、知らない人はいないといってもいい存在。
日本にも来たことがあるそうです。
彼が書いたものはナチス批判的だということで目をつけられ、このパヴィアク刑務所へ投獄されました。
その後、アウシュヴィッツへ送られました。
死刑宣告をされた他の収容者に代わり、自分が処刑されることを申し出てこの世を去りました。
この出来事から、彼は「アウシュビッツの聖者」とも呼ばれています。
神父によって命を救われた人は、生きて収容所を出ました。
90代まで長生きしたそうです。
コルベ神父パネルの後ろに写っているのは、この収容所で亡くなった人々の写真です。
ここに来てから撮影されたものではなく、当時誰もが大事に持っていた、家族写真のような感じでした。 -
収容者の食事を再現したサンプル。
まずそう。 -
独房です。
すべて再現されたものです。 -
数人で1つの房を使うこともありました。
地元の高校生か大学生のグループも見学していたため、薄暗い廊下は混みこみでした。
小学生や、それより小さい子ども達はきらびやかな宮殿などを見学し、年齢を重ねるとこのような場所を見学して、ワルシャワのたどった歴史を学ぶのでしょう。 -
刑務所を後にして向かったのは2000年代に入ってからオープンしたユダヤ人博物館です。
まるで現代アート美術館であるかのような外観です。
この日は14:30が最終入場だったらしく、タイムアップで中に入ることはできませんでした。
ショック!!(TдT)
シナゴーグ(ユダヤ教の教会)を再現したものとか、見たかった。
この博物館はドント・シンク・フィール方式のかけ足見学でも、1時間以上かかるとのこと。
次にワルシャワに来たら、必ずコースに入れます。 -
博物館前に建てられていたモニュメント。
ユダヤ民族の誇りを表しているのでしょう。
イスラエルからやってきた40人くらいのご一行様は、お花を供え、集合写真を撮っていました。
高校生か、大学生くらいの若者ばかりで、全員イディッシュ語の書かれた白いパーカーを着ていました。
これを日本人に置き換えれば、「なんとか高校」と書かれたジャージを全員着ているような感じなのでしょう。
ユダヤ民族が建国したイスラエルでは、国や自治体のプログラムでポーランドに連れてくるようにしているのかもしれません。 -
博物館を空振りしてヘコんだので、元気を出すために「ポンチキ」を食べます。
ポンチキはポーランド風ドーナツです。
平成狸合戦に出てくるたぬきの名前みたいな響きが好きです。
店の雰囲気が可愛らしくて、白いエプロン姿のお姉さんがとっても美人だったので、ここで買うことにしました。
説明はポーランド語オンリーでしたので、頭脳フル回転で薔薇ジャム入りのスタンダード・ポンチキを探します。
途中、お客さんが数組入ってきてパンを買っていたので、この店は当たりかも!!
という期待が膨らみます。 -
ポンチキちゃんです。
ミスターのドーナツ屋で売っているものに、見た目も大きさも似ています。
1こ60円くらいです。
表面にはグレーズ(砂糖を溶かしたもの)がかかっています。
食べ応えのある生地をモグモグしていくと、甘酸っぱいジャムにたどり着きます。
サクランボジャムのような、梅ジャムのような、バラのジャム・
私は好きな味でした。
また食べたい、瓶で買って帰れば良かった!!
ふわふわ感ではミスターの店に軍配ですが、おいしくいただきました。
小腹を満たしてガッカリから立ち直ったら、トラムでワルシャワ蜂起博物館へ向かいます。 -
ワルシャワ蜂起博物館はこの日、夜8時まで営業している日でした。
団体さんがロビーを埋め尽くしていたので、
(これは、ひょっとしてチケットなくても入場できたんじゃ…)
と考えたのもつかの間、係の人にあっさり発見され、ちゃんとチケットを買っておいてよかったと思い直しました。
ワルシャワ蜂起というのは、終戦の前年・1944年にワルシャワ市民が街を占領するナチスドイツを倒そうと、ゲリラ戦を仕掛けた出来事です。
ポーランドのPと、ワルシャワのWを組み合わせたマークは、武器をとったワルシャワ市民がよりどころとしたものです。
「ワルシャワ市民よ、立ち上がれ」
と、武装蜂起を呼びかけるラジオも、ソヴィエト連邦(現在のロシア)によって流されていました。
しかし、ソ連軍はワルシャワのすぐ近くまで来ていながらも、市民に手を貸すことはありませんでした。
結果的にワルシャワ市民はナチスの猛反撃にあい、大勢の市民の命が奪われ、街は壊滅的な状態、廃墟と化しました。
この博物館は、忘れがたい記憶を後世に語り継ごうとつくられたものです。
内装は戦時中のワルシャワをイメージしており、床や壁に映し出されたモノクロ映像や多くの写真、そして音で、ワルシャワ蜂起を五感に伝えています。
銃声、迫撃砲が炸裂する音、人の鼓動が館内に響いています。
ゲリラが移動に使った地下水道や、死者が埋葬された場所を再現しているものもありました。 -
レトロな電話の受話器をあげると、軍歌が聴こえてきました。
-
70年前に配られたビラや、ワルシャワ市民が持っていた小さなポーランド国旗なども展示されていました。
-
天井には戦闘機のレプリカ、床は石畳と当時の映像が映し出されたパネルのハイブリッド。
-
実際にビラの印刷に使われていたようです。
同じ手法で印刷され、当時配られたものと全く同じ内容が書かれたビラを無料で配っていたので1枚記念に持って帰りました。 -
これが例のビラです。
現在は私の職場デスクマットの下に収まっています。 -
ひざまづくポーランド人男性の、絶望感がひしひしと伝わります。
あの時代、こんなことはヨーロッパでも、アジアでも、世界中の至るところで起きていました。
生きている人間がいちばんこわい。 -
この出来事が嘘であるかのように、今のワルシャワのまち並みは美しい。
-
旧市街を歩いていると、新しさや、“意図的に古めかしくつくられたもの”という雰囲気があります。
なぜならそれは、戦後に市民達が写真や絵画、生存者の話をもとに「壁のヒビの1本まで」再現・再建したものだからです。
市民の固い意志と、強い愛によって、ワルシャワは焦土から不死鳥のごとく蘇りました。 -
王宮そばの砦。
ギターの弾き語りをしている人がいましたが、あまり上手じゃなかったです。
次会うときはもっと上達しているといいなぁ。
ここに来る前、通りを歩いていたら20代~30代前半の男の人にナンパをされました。
声をかけてきた男の人は、クラクフに向かうバスのオヤジ以来です。
しかもポーランド語ではなく、なぜかロシア語で飲みに誘われる。
日本人だヨ、ロシア語わかんねーヨ。言うと、
「オー!!アイ・ラブ・ジャパン!!」
と若干興奮気味。
イケメンだけど、アヘン窟みたいなところに連れて行かれたり、新興宗教の勧誘だと非常にめんどくさいことになるので
「お父ちゃんと待ち合わせしてるんで」
と言って、競歩でまきました。 -
お父ちゃんと待ち合わせしているわけもなく、お腹がすいたのでポーランド最後の晩餐をとることにしました。
ザピエチェクという、市内に何店舗かあるポーランド料理のお店です。
観光客にも入りやすい雰囲気ですが、地元の人もいて、夕食時は混雑します。
1店舗目は満席で入れませんでした。
ホールスタッフさん(ポーランドの民族衣装を着ていて可愛い。でも女子大生のアルバイトっぽい)が、近くにある他の店舗を教えてくれました。
次の店は運よく何席か空いていて、ジュレック(ポーランドの国民食的スープ)セットとビールにありつくことができました。
お客さんいっぱいで忙しそうでしたが、英語の通じるスタッフさんはメニューについて聞くと、ちゃんと丁寧に答えてくれました。
ビールはちょいぬる。
寒かったけど、日本人はやっぱり冷たいビールが好き!
肉汁ジュワっでパリパリなソーセージ、ビールを堪能したら、スープと黒パンでしめます。
黒パンに添えてあったゆで卵サラダのカラシ多すぎで、ヒーヒーしました。
ともあれ、ポーランド料理は日本人のお口に合うと思います! -
腹ごなしにちょっとお散歩です。
ハロウィン前に行ったので、かぼちゃを飾っているお店がたくさんありました。
このお店はガイドブックにも載っているレストラン「ウ・フキエラ」。
きれいなお洋服で行った方がいいお店です。
入り口がとっても素敵で撮ってしまいました。 -
ライトアップしている場所もたくさんあります。
-
雨で濡れた石畳に明かりが反射し、市民の手で生まれ直したワルシャワはきらめいていました。
歴史ある美しい街はヨーロッパにたくさんありますが、ワルシャワが背負っているものは別格だと思います。
チェコでもなく、フランスでもなく、ポーランドへ行こうと決めた理由は、
死ぬまでにアウシュヴィッツを見たいということ、
蘇った街・ワルシャワを歩きたいということ、
そして、度重なる他国からの支配に耐え、国土と母国語を守りぬいた人々に会ってみたい、
という思いからでした。
Day5 帰国、デンマーク編へつづく。
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