2016/07/17 - 2016/07/23
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ミズ旅撮る人さん
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今回のラジャスタンの旅は前半が世界遺産の城塞都市巡りで、後半はこのハヴェーリー巡りが目的です。いよいよ最終段階に来ました。
シェカワティ地方のハヴェーリーは、ジャイサルメールのものに規模こそ及びませんが、その数で圧倒します。
シェカワティ地方では、いくつもの町でハヴェーリーを見ることが出来ますが、今回は、ファテープルとマンダワを訪れます。
ここのハヴェーリーは、ジャイサルメールのように圧倒的な細かい彫刻を纏ったものとは違い、数多くの美しい壁画が特徴です。
本当に小さな町なのに、これほどのものが多数建っているのが不思議でなりません。
ファテプールのハヴェーリーは本当にたくさんあるので、2回に分けます。
今回は、なぜシェカワティにハヴェーリーが集まっているのかも織り込んで話していきます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ファテープルは、小さな町です。ここがメインストリートなのです。
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街角には、こんな魅惑的な女性も・・・
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メインストリートの途中で車を降り、道路に面した建物に向かいます。
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入り口の門を見て、びっくり仰天。なんてこった。こんな道端で、こんなすごいものを見るなんて、さすがはインド。
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ひょっとして、下の方は塗っちゃった?うわ~~~、もったいない!
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こんな綺麗なターコイズブルーの壁画。予想もしていなかっただけに、魅了されます。
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それを上から無残にも塗りたくるなんて!ああ、なんてこと。
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門の向こうは極楽浄土でした。
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真正面にはお金の神様ガネーシャが祀られています。
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目に鮮やかなブーゲンビリア。麗しの庭園。
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ガイドが言うには、綺麗な寺院だから、いつも案内しているそうなんですが、なんという寺院なのかわかりません。
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少し手を入れれば、十分いい状態で保存できると思うのですが。
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象とクジャク。青い鎧戸が印象的なお堂。
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本堂の側面を回り込みます。
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真上を見上げると、配管や壁と庇の間から木の枝が生えています。このままでは、建物が植物に壊されます。
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本堂の裏手の建物も、かつては相当みごとな壁画で装っていたのでしょうが、その大部分は失われつつあります。
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本堂の建物は、かなり凝った造りになっています。
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日本風に言うと寺男らしいおじさんが、ライトを外側から当てています。
すると、窓の部分は壁が薄いので、内側に窓の形に光が透けて見えます。
以前カジュラホに行った時にも、寺院の奥でおじさんが、仏像の後ろから光を当てて、後光が差したようにみえるのを実演してくれました。 -
本堂の裏手から狭い階段を上って2階に上がりました。
建物の白と、庭の緑が、清々しいコントラストを奏でています。 -
角の張り出したテラスが別天地のよう。
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かつては、多くの人がここで夕涼みなどをしたのでしょうか。
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庇(ひさし)などにも、神話の場面が彫り込まれています。
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本堂から、入って来た門を見下ろします。
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本堂の中に入りました。天井からカラフルなシャンデリアが吊り下げられています。色のバリエーションは様々です。
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壁画の絵は稚拙ですが、色合いが綺麗です。
ガネーシャは二人の妻、リッディーとシッディーを両脇に伴っています。 -
足元のカラフルに彩色した像はいただけませんが、みごとな扉です。
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大写しです。
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シャンデリアのいくつかはカバーがされていて、見ることが出来ません。
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なんとも不思議な空間です。どうしてこんなにたくさんのシャンデリアが必要だったのでしょう?
まるで、照明器具売り場です。 -
寺院を出ると、道路の向こう側では、トウモロコシを売っていました。
汚い家に見えますが、それでも柱などの彫刻は見事なものです。 -
こんなに小さな田舎町のファテープルに、なぜ、このようなハヴェーリーがたくさんあるのでしょう?
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少し離れた所にも、びっしりと壁画のある寺院が建っています。
Dwarkadheesh Templeです。 -
どうしたら、こんな派手な壁画にする気になるんでしょうねえ。余程の目立ちたがり屋か。
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この寺院は正面から見るだけです。この外観ですから、中はどれほどなのか興味があります。
ファテープルはイスラム教のムガール帝国に支配された町でした。そのため、芸術面ではイスラムとヒンズーの混淆(こんこう)のような
建築物が出来ました。
ムスリムは抽象的な幾何学模様や花弁などを描き、ヒンズーはそこにヒンズーの神々や王の姿を描き込んだのです。
このような混淆はシェカワティ地方の特徴となりました。 -
珍しい3輪バイクです。元は2輪だったものを改造したのかな?なんでもありのインドです。
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インドの女性は、頭の上に物を乗せて歩くからでしょうか、みんなスラッと姿勢がいいです。
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今や「懐かしの」へび使いを発見。ちゃんとコブラが入っています。でも、笛を吹くのではなくて、籠の縁を叩くだけ。かつては、ターバンに白装束で、胡坐をかいて座り、笛を吹いたものですが。
左手の籠には、もちろんチップが入っています。でも、蛇を見せるだけで商売するなんて、セコいなあ。 -
何ということはない、普通の商店ですが、よく見るとこれらの建物にも、壁画が描かれているのです。
ただ、年月とともに劣化・風化して見る影もありません。 -
このハヴェーリーも壁画が素晴らしいですが、劣化も激しいです。現在も民家になっているようです。
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「CHOTIA HAVELI」珍しく大きな看板が出ています。
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正面玄関。ここは開いているので、中を覗けそうです。
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向かって右側の壁画は、洋服を着て椅子に座っています。ちょっとインドらしくないような。
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ちょっと見づらいのですが、壁画の右端に写真のような白黒で、古い形の自動車が描かれています。
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玄関の上の庇です。
これから、しばらくシェカワティ地方のハヴェーリーがなぜ造られたかについて、書いて行きます。
ラジャスタン州のジョードプル藩王国(マールワール地方)の出身者をマールワーリーと呼びます。
ムガール帝国の16世紀頃からそう呼ばれるようになりましたが、やがてラジャスタン地方出身を広くマールワーリーと呼ぶようになりました。 -
マールワーリーの住む地域は、デリーなどの内陸部とアラビア海沿岸のグジャラート州を結ぶ交易の中継地として発展しました。
しかし、イギリスが植民地支配を進めると、綿花などの輸出産品を産地から、ムンバイ(旧ボンベイ)やコルカタ(旧カルカッタ)といった新しく建設した港湾都市に直接運ぶようになり、衰退して行きました。 -
困窮したマールワーリー(Marwari)たちは、1830年代から、ムンバイやコルカタに商売に出掛けるようになりました。
彼らは、新天地での商売で非常に成功し、現在では代表的な商業コミュニティーとなっています。
こう書くと単純に商売で成功した人が多かったで済みそうですが、マールワーリーの規模は桁違いです。
2015年インド人長者番付トップ100の実に4分の1がマールワーリーたちで占められ、そのトップはインド3大財閥の一つであるビルラーです。
ちなみに、インド最大の財閥タタは、イラン出身のパーシー(ゾロアスター教徒)で、1868年にムンバイに綿貿易会社を設立したのが始まりです。 -
マールワーリーたちは、事業で得た資金を故郷の村に投資しました。邸宅、寺院、井戸、貯水池、キャラバンサライなどの建造物を次々に建てたのです。
それは1830年代から1930年代の約100年間に及びました。
この間に、マールワーリーは「移住商人」から「産業資本家」へと成長して行きました。 -
1820年代から移住を開始した当初は、男子だけが現地に赴き、家族はシェカワティ地方に残していました。
そのため、あくまでも「故郷」はシェカワティ地方だったのです。 -
ところが、1916年にシェカワティ~カルカッタ間に鉄道が開通したことで、以後、家族全員でカルカッタへ移住するマールワーリーが増えました。
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既にカルカッタ生まれの3代目が大半を占め、シェカワティを訪れるマールワーリーはいなくなりました。
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ハヴェーリーは、内部に2つの中庭を持つ様式で建てられています。一つは、商売のための事務所の機能を持ち、来客を多く接待する外交的な庭。もう一つは女性たちをはじめとする家族の庭です。
初期のハヴェーリーは、事業の心臓部でもあるため、防犯の機能を備えるため、1階には窓がありません。
小さな窓がある場合もありますが、多くの場合、手の届かない高さです。 -
こちらのハヴェーリーは、もっと後のものだとわかります。
無粋な波板の屋根が付けられていますが、あれがなかったらもっと壁画が傷んでいたことでしょう。致し方ありません。 -
これらのハヴェーリーが次々と建てられた時代は、どれだけ華やかだったことでしょう。
マールワーリーは「移住商人」と言われます。
農民のように土地に根を生やして定住するのではなく、商業が盛んな土地、支配者との関係が良好な土地を選んで住みます。
シェカワティの中でも、力を持ったマールワーリーが藩王と対立して町を出て行ったという話があります。
藩王がなだめすかして戻ってもらったとか。 -
出て行くにしても、このテラスの柵だけは持って行きたいな。
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大写しです。
大層、西洋風のデザインです。カルカッタで、成功したマールワーリーは、次第に富の象徴として西洋文明を生活に取り入れて行きます。ジャイサルメールの城の中に軽飛行機があったように。
イギリスを通して西洋の物が送り込まれ、その対価として大量の資産がイギリスに流れて行ったのです。 -
玄関アーチを下から見上げています。
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このアーチは、ちょっと味わいがあって好きですが、顔がなんとも漫画チック。
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巨大で、彩色も綺麗で目立つハヴェーリー。
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アーチの中に円形の肖像画があります。これが、とても稚拙で全体の雰囲気がいいだけに、がっくりです。
なぜなら、急に輸入されてきた西洋のポスターや写真をもとに、見よう見真似で描いているからなのです。 -
この辺りは、幹線道路から外れたからか、人通りがまばらで、静かな佇まいです。
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やはり象は邸宅のシンボル
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1930年以降、マールワールたちが訪れなくなったハヴェーリーは、以後、新しく建てられることもなく、修復されることもなく近年まで放置されていました。
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しかし、1990年代から、インド独立直前の歴史の遺産としての価値が見直され、保存の動きが見られるようになりました。
中には、フランス人でハヴェーリーを活動の場として、修復に力を入れている人もいるそうです。 -
この「股覗き」がおもしろくて、癖になっています。
ずっと向こうまで繋がっているから、アーケードになっているのかと思ったら、1軒1軒で足元が途切れているので、家ごとに地面に降りなければならず、かえって不便でした。 -
割とシンプルなハヴェーリー。庇にはやはりガネーシャと二人の妻。一説には、ガネーシャの妻は別の二人だったり、8人だったり。
それぞれに子供もいるのだとか。二人の妻は「知性」と「成就」の象徴です。 -
ハヴェーリーには、大きな門が付いていますが、普通の出入りにはこの、くぐり戸を使用しています。
防犯の観点からもありますが、入る時に頭をぶつけないようにかがめるので、主人に対して頭を下げるようにしてあるのだとか。 -
ファテープルのハヴェーリーは、ほとんどが名前がわかりません。
日本のように、ガイドマップがあるわけでなく、グーグルマップにも道しかなく(アースはほとんど建物の影しか、わかりません)、数ある建物のどれがどれやら。 -
ここの庇(ひさし)は、極彩色です。描かれている人物も建物もヨーロッパの教会の庇のようです。
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こちらのハヴェーリーは、傷みがひどいですが、他の物よりラピス色が多用されていて、特色が出ています。
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ここの「股覗き」は、撮りがいあるなあ。
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左右をきっちり合わそうなんて、全然思っていない所が、手書きの味わい。
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ロバの引く荷車が通ります。インドは本当に動物が日常的にいるところです。
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堅牢な初期のハヴェーリーです。1階の窓は低そうに見えますが、実は窓下が2mくらいあります。
このくらいの大きさだと、一族で同居していたと思われます。 -
自分でも、どれだけのハヴェーリーを見たのかわかりません。ファテープルのハヴェーリーの数は計り知れません。
あまりハヴェーリーだらけでも疲れるので、一旦終了とします。次回もハヴェーリーになりますが、今度は内部に入ります。
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