2016/09/25 - 2016/09/26
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kojikojiさん
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県庁前で集合した後はバスに乗って「首里城公園」に移動します。地下の駐車場から表に出ると「守礼の門」が目の前に見えました。ここまでは昔来たことがありましたが、当時は「首里城」は再建されてはおらず、先に行った記憶は全くありませんでした。門の周りには紅型に花笠を被った女性がいて、記念写真を撮ると法外な金額を請求されるなんて話があったことを思い出しました。現在はそんな商売は認められないのか閑散としたイメージでした。ここからはバスガイドさんの案内で首里城内を見学します。正殿までみんなで移動してここからの有料エリアは希望者だけでした。この建物が修復されて以来ずっと来たいと思っていたので感無量でした。また今年は夏にベトナムの阮王朝の王都だった順化(フエ)を旅していたので、琉球王朝との比較も出来て勉強になりました。首里城の観光が終わると昔の日航グランドキャッスル、この7月から「ダブルツリーヒルトン首里公園」へ向かい他のツアーの方とはお別れです。このホテルに1泊延泊される方は他に3組だけで、2泊3日の方はこのまま那覇空港へ向かわれて東京に戻ります。午後4時前に部屋に入れてゆっくり出来たのは良かったです。本当は4時からの首里城の琉球舞踊を見たかったのですがさすがに時間が無くて諦めました。後で考えればタクシーを飛ばせば間に合ったかもしれません。予約した夕食は午後8時なので妻と母は部屋でゆっくりして、1人で首里公園周辺を散歩してみましたが、まずはホテルからの登り道が大変なことに気付きました。更に首里城まで登った後は反対側の「金城町(きんじょうちょう)石畳道」へ行きましたが、石畳を下りながらこの後どうしようと考えました。案の定下まで降り切るとタクシーも走っておらず、結局別のルートで山道を歩くことになりました。そのホテルまで戻る道の長いこと…。今回の旅で一番疲れました。部屋に戻って一休みしてタクシーで国際通りの「四つ竹」に向かいました。そのまま行くのは勿体無いので「龍潭」で車を停めてもらい、池に浮かぶ真っ赤な首里城も見ることが出来ました。午後8時に入った四つ竹は我々以外に3組ほどのお客さんがいなかったので、ステージの一番前の良い席に通されました。最初に沖縄の宮廷料理風の食事をいただきます。30分もすると琉球舞踊が始まります。四つ竹は久米に本店があり、そちらでも良かったのですが、料理は国際通りの方が良さそうだったのでこちらを予約しました。後で分かったのですが国際通りの店の踊りは現代風にアレンジしたものだそうです。伝統的な舞踊を希望の場合は本店の方が良いみたいです。もちろん獅子舞やエイサーもあって楽しい時間を楽しめました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 船 タクシー JALグループ 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
国際通りで食事した後は首里城公園へ直行です。途中宿泊する「ダブルツリーヒルトン首里公園」の脇を通りました。
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「首里城公園」には地下に巨大な駐車場があり、表に出ると目の前に「守礼門」がありました。30年以上前に来たときは紅型に花笠を被ったモデルさんがいて、一緒に記念写真を撮る定番の場所でしたが、そんな姿も無くなっていました。当時はこの門くらいしか首里城を思わせるものは無かったと思います。それと守礼門の切手が投機的に値段が吊り上げられたことも記憶に残っています。
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1958年に復元された門は中国の影響を受けた様式になっていて、中国からの歓迎された来訪者の時は「守礼之邦」、招かれざる客の時は「中山府(ちゅうざんふ)」の扁額が掲げられていたそうです。
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園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
尚真王によって1519年に創建されて国王が首里城を出て各地を巡行する際に道中の安全を祈願した拝所です。 -
見た目は門のように見えますが実際は人が通るようには出来ておらず、神様へ拝礼するための門だそうです。
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城郭内へ入る第一の正門が歓会門です。歓迎するという意味ですね。
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子供の頃に読んだ浦島太郎の絵本の竜宮城のような姿です。
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瑞泉門は城内郭にある別名樋川(ひかわ、フィージャーガー)御門(うじょう)とも呼ばれる首里城第二の門です。右下には龍の口から湧水がでていることから龍樋と呼ばれる水の放出口があります。
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中国皇帝の使者として琉球国王の即位を宣言するために遣わされた歴代の冊封使(さっぽうし)たちは、龍樋の水の清らかさを讃え、漢詩を詠んだり題字を残したそうです。
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「瑞泉門」の瑞泉には「めでたい泉」という意味があるそうです。
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別名「長御門(ながうじょう)」と呼ばれた首里城内郭の第四の門は、朱塗りの木造建物の中央が門になっています。廣福は「鎮まる」の意味で、「鎮まる」には「長い」という意味もあることから、「中山は治世よく永(とこ)しえに」との願いを込めて付けられたそうです。
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中山(ちゅうざん)とは琉球王国の異称で中国側からの呼称になります。小国家の中山が北山・南山を滅ぼし統一王朝を樹立したことが由来だそうです。
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朱塗りの美しい門というか建物です。これほど綺麗な朱塗りの建物を見たのは初めてです。
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奉神門には「神を敬う門」という意味があります。3つの入口があり、中央は国王や中国からの使者「冊封使」など身分の高い人だけが通ることができた門です。ここからは有料エリアになります。団体の割引チケットを受け取って中央の入口から見学に入ります。
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正殿と南殿と番所、北殿と奉神門(ほうしんもん)の建物によって囲まれた中庭広場を「御庭(うなー)」というそうです。御庭では元旦の儀式など重要な祭事や中国からの使者を迎える儀式をはじめとした外交上の儀式などが行われていました。王国の儀式の会場は正殿内ではなくこの屋外でした。「磚(せん)」という赤と白の2色の瓦が敷きつめられており、この色違いの列は儀式の時に諸官が位の順に並ぶ目印となっていました。中央の道は「浮道(うきみち)」と言われ、国王や冊封使(さっぽうし)など限られた人だけが通るをことを許されました。
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入ったところで記念写真を撮ってもらいました。係の方にシャッターを押していただきました。知らず知らずに「浮道」に立っていました。何となく京都御所の紫宸殿をバックに写真を撮っているようです。昔、御殿内の高御倉まで見せてもらった事を思い出しました。
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中国の宮殿とも違った琉球王国のオリジナル性を感じます。この首里城も2019年10月31日に火災により焼失しています。消失前に母と一緒に見学することが出来て良かったです。
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火事の当日はトルコのエーゲ海沿いのアンタルヤに滞在していて、夜のニュースでこの場面を見たときは衝撃的でした。
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琉球独自の「龍柱」です。左右で阿吽のような口になっています。中国だと軒を支えている柱になっていますが、このような柱は初めて見ました。この龍柱は火災の後も残ったと聞いています。
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南殿の内部は撮影禁止になっています。書院と鎖之間は正殿につぐ大きな建物で、この建物は南殿と渡り廊下でつながっています。きらびやかな正殿とは対照的に、建物と庭園が一体的で落ち着いた雰囲気がありこちらは撮影しても大丈夫でした。
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建物の中は檜の良い香りがします。その多くは台湾の檜だそうです。
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庭の石組も変わっています。やはり琉球独自の文化があったのだなと感じます。
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軒裏の仕舞が海洋博公園のおきなわ郷土村で見た建物と同じ造りです。庭に植えられた蘇鉄は今でこそ当たり前の植物ですが、高松の栗林公園には島津藩より贈られた鳳尾塢(ほうびう)と呼ばれる40株の見事な蘇鉄がありますし、岡山の後楽園には蘇鉄畑があることからも高価な植物だったのでしょう。
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今まで見たことの無いような庭園が続きます。
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南殿から正殿に移ります。首里城正殿は政治や儀式の中心だった建物で、中国の紫禁城をモデルに日本の建築様式を取り入れ建築されています。同じ紫禁城をモデルにした順化(フエ)の王宮はまるで中国のミニチュア版のようですが、琉球王国は独自の様式美があったように思えます。
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玉座はベトナムも沖縄も中国と同じようです。2か月前はベトナムのフエで同じような玉座に座って写真を撮ったことを思い出します。そして登って座りたい衝動に駆られます。
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康熙帝の贈った「中山世土」(ちゅうざんせいど)と雍正帝の贈った「輯瑞球陽」(しゅうずいきゅうよう)と乾隆帝の贈った「永祚瀛壖」(えいそえいぜん)の3つの扁額が本人の筆跡や落款を再現した上で復元されて飾られています。
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壇の形式は寺院の須弥壇(しゅみだん)に似ていて側面の羽目板には葡萄(ぶどう)と栗鼠(りす)の文様が彫刻されています。高欄には正面に一対の金龍柱(きんりゅうちゅう)が立ち、他の部材には黒漆(くろうるし)に沈金(ちんきん)が施されています。
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金龍柱の右側は「阿形」の口をしています。
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左側は「吽形」の口をしています。
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イチオシ
玉座の肘掛にも一対の龍が正面を見据えています。
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金龍柱も正面から見るとあどけない表情です。
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3階へ昇る階段の踏板は足を乗せるだけでは無く、手摺兼用のデザインになっています。写真では分かりにくいので現地でご確認ください。
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再現された茶室の設えです。この辺りは日本の文化に近い物を感じさせます。
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対幅の掛物の左には鳳凰が描かれています。最近見つかった伊藤若冲の鳳凰に似ています。
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右の軸には麒麟の姿がありますが、どちらも中国から伝わった霊獣です。
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最後に北殿の中を見学します。ここも写真撮影は可能で、飾ってあった精巧な模型が往時を想像させてくれます。タイの博物館はこういったミニチュアが精巧なのですが、同じくらいのクオリティの高さを感じます。
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「御涼傘(うりゃんさん)」という日傘から派生したもので、国王や高貴な人が行幸するときの装飾用の傘です。
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鳳凰が描かれているので女性用でしょうか。写真撮影禁止でしたが、南殿には王様が使う金色の傘が展示してありました。
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ラスト・エンペラーのワンシーンを見ているようです。
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イチオシ
時間までに地下駐車場に戻ってツアーは終わりです。一緒だった40人くらいの方はこのまま那覇空港へ向かい、東京への便に乗るとの事です。
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我々と他3組の方は7月から経営の変わった「ダブルツリー・ヒルトン那覇首里城」でバスを降ります。元々はホテル日航那覇グランドキャッスルだったホテルですが、名前だけ変わって客室などはそのままでした。部屋も狭くちょっとがっかりでした。午後4時前にチェックイン出来たので疲れた母と妻はお昼寝です。
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私も小1時間昼寝しましたが時間がもったいないので散歩に出掛けました。ホテルから首里城公園までは物凄い坂道でした。絶対に紅型工房のある階段なんて使わない方がいいと思いました。タクシーを使うのがベストです。
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先ほど歩かなかったところを少し見学してみます。
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階段を降りるのを避けて歩かなかった「久慶門」に向かいます。
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久慶門は首里城外郭の北側に位置し、別名喜び誇るを意味する「ほこり御門」とも呼ばれたそうです。国王や外国の使臣など男性が使用する正門の歓会門(かんかいもん)に対して、久慶門は主に女性が利用する通用門としての役割があったそうです。
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公園から表に出ると真っ白い屋根瓦に素焼きのシーサーが座っていました。
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公園の反対側の「金城町(きんじょうちょう)石畳道」へ行ってみました。この辺りは「島添坂」と書いて「シマシービラ」と呼ぶ坂です。ビラとは沖縄方言で坂のことだそうです。薄暗い中に「ハブ、キケン!」の看板を見るとちょっとビビります。
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坂の上からずっと下りながら帰りはどうしようと考えていました。夕方の5時過ぎにこんな所を歩いている観光客はいないので尋ねようもありません。
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重力に身を任せ下って行くだけです。雰囲気的には誰もいなくて良いのですが…。
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ここに電柱と電線を架設した人はセンスないなと思いました。首里城から国場川の真玉橋に至る長さ4キロ、総延長10キロの官道であった真珠道の一部だと思うと往時を偲べます。
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「内金城の御嶽」の石垣の正面には直線の楯石(まぐさ)をかけた石門があり、石囲いの中にアカギの大木がありました。
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不思議な雰囲気の場所です。
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また石畳に戻ります。本当に電柱が景観を損ねています。
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しかし誰とも行き交いません。だんだん寂しくなってきました。
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「金城大樋川毛跡」現在の金城村屋がある一帯は、樋川毛と呼ばれる広場になっていて、国王一行が識名園へ向かう際に村人がお茶でもてなした休憩地だったそうです。坂道を通る人々や馬の休憩所としても使われたそうで、万座毛と同じく「毛(モー)」は方言で野原や雑草の生えた広場の意味です。金城村屋は現在でも金城町の公民館として、町内の季節祭事や町民のサークル活動に利用されているようで、この時も地元の人の宴会が行われていました。
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金城村屋の隣りに「金城大樋川」がありました。金城村の各家に水道がひかれる前はこの樋川が村ガー(共同井戸)として利用されていたそうです。周辺の石積みは「あいかた積み」で頑丈につくられてあります。井戸端の広場(カーヌナー)も石敷されていて正面には井戸の神が祀られています。
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首里殿内(スイドゥンチ)という琉球料理の店までで散歩は終わりにしました。が、ここからが大変でした。石段を少し戻り掛けましたが諦めてタクシーを捕まえようとしました。ところが日曜日の夕方なので全く走っていません。仕方なく車道を登りながらホテルを目指します。方角は合っていましたが、下り道が無くて更に大回りしたり、這う這うの体でたどり着きました。
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唯一救われたのは夕焼けが綺麗だったことでしょう。
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イチオシ
ちょっと夕焼けモードにしています。
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イチオシ
部屋に戻ってシャワーを浴びて着替えて午後8時前まで休んだのは言うまでもありません。
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イチオシ
予約してあった「四つ竹」へ真っ直ぐ行くのも勿体ないので、運転手さんにちょっと回り道して「龍潭」の畔で車を停めてもらいます。
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タクシーの運転手さんに聞いても、夜の首里城のライトアップはここしか無いそうです。
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トルコでこの火災のシーンを見たときはこの辺りから撮影したのではないかと思いました。
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国際通りの「四つ竹」に到着しました。ここは琉球舞踊と宮廷料理のお店です。
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このお店は事前にネットで予約してありました。条件としてステージの前の席をお願いしましたが、日曜日の2回目のステージは空いていたので杞憂に終わりました。
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まずはオリオンビールで乾杯です。
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こんな朱塗りの器で料理が出てきます。こちらは「姫芙蓉」という5,000円のコースです。
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沖縄風の刺身は酢味噌でいただきます。ちょっと鯉の洗いみたいです。
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「豆腐よう」は昔は美味しいと思わなかったのですが泡盛に合います。あまりに美味しかったので買って帰りました。
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「モズク酢」はどこで食べても美味しいのですが店によって味付けも違います。
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「じぃまぁみぃ豆腐」はここで食べたのが一番でした。最終的には翌日平和通りの花商で買ったのが一番濃厚でした。
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この店の「ミミガー」は豚の耳の皮を蒸して千切りにしてピーナッツ味噌で和えたものです。サッパリ美味しい。
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大根の漬物はウコンで色付けされたそうです。横の物は肉味噌です。
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「グルクンのから揚げ」は熱いうちにいただきます。
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「ラフテー」はブタの皮つき三枚肉を煮込んだもので角煮とは違います。島豆腐と一緒に上品な味を楽しめます。
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個人的にこの豚肉と昆布を使って、野菜を一緒に煮た「クーブイリチ(昆布の炒め煮)」は積極的に食べたい料理ではありません。
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3人共料理を次から次に平らげていきます。
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コラーゲンたっぷりの「テビチー」です。豚足はあまり好きではないのですが、臭みも無くサッパリ美味しかったです。
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サイトからネット予約すると割引があり、泡盛をそれぞれ一杯いただきました。
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「中身汁」はおすましのようです。島豆腐が一切れ入っています。
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「炊き込みご飯のジューシー」はあまりに美味しいので仲居さんに聞いてみると糯米を入れて炊いているとの事でした。
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最後に黒糖寒天とパイナップルでコースは終わりです。
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さあ琉球舞踊のショーが始まりました。
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最初は「四つ竹」です。
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よく見ると女性の踊り手では無くて男性のようです。
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この方の踊りはとても上品でした。
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イチオシ
化粧をしていると男性か女性か分かりにくいです。
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続いては「エイサー」で、こちらは女性2人と男性1人でした。
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迫力のある演技でした。目の前で叩かれる太鼓の音は心に響きます。
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店の方に聞いた所同じ四つ竹でも久米の本店は伝統的な踊りを見せて、国際通りのYOTSUTAKEでは現代風にアレンジした踊りを見せるそうです。予約する場合はその点をご注意。我々はここまでに伝統的な踊りを見ていたので、現代風のものも良かったですが。
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首里城内で催される「舞への誘い」を観ることが出来なかったのが残念です。今回の心残りは「舞への誘い」を観られなかったのと、宮廷料理の「美栄」で食事できなかったことです。「美栄」はこの日の夜は営業していませんでした。
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「獅子舞」は琉球村で見た通りで本土の獅子舞いと違って胴体は幕ではなく、胴も足も芭蕉の繊維で作られた気ぐるみ風の装いの中に2人1組で入っています。獅子頭は材質の軽い梯梧(でいご)の木で造られていて、歯を合わせると凄い音がします。
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やっぱりバリ島のバロンのように見えてしまいます。
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母とアイコンタクトを取っているようです。
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そして仲良しになりました。
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妻に親しみを持っているようです。何となく似ているかも。
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私は食べられました。
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「貫花(ぬちばな)」は琉髪に手巾を前結びにして紅白の鮮やかな貫花(花輪)を首にかけて白足袋をはいた衣装で踊ります。
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右肩袖抜きにして中の赤襦袢を見せるのは女性の姿なので、男性の場合は普通に踊るのでしょうか。
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イチオシ
同じ踊りでもりりしさを感じます。
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手軽にこのような琉球舞踊が観られる環境が整っていていいです。東京ではどこに行けば見られるのか…。
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「雑踊り」と呼ばれる庶民の生活や思いを主題とした踊りのようです。躍動感溢れる軽快な踊りが特徴的で、衣装は絣など日常の着物で踊られて当時の風俗習慣が映し出されるそうです。
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コミカルな表情が面白いです。
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この方の踊りは素人が見ても上手です。
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「三板(サンバ)」は3枚の板を紐で綴って片手に持ち、小指と親指で挟んだり、もう片方の手で叩いて音を鳴らす琉球舞踊の楽器です。
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1度叩くと2回音が鳴るので華やかで軽快なリズムです。サンバの語源ではありません。
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三板のリズムに乗った獅子に母も食べられてしまいました。初日のやんばるの森の恐竜を思い出します。
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最後にはステージに上がらせてもらい記念写真を撮ってもらいました。
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国際通りをブラブラしてからタクシーでホテルに戻ります。
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33年前初めて那覇空港に降り立った時に空港に並んでいるタクシーが全部漁船に見えたことがありました。下半分が赤で上半分が青だったと記憶しています。まだ同じようなデザインのタクシーが走っていて懐かしく感じました。
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