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名鉄犬山線犬山遊園駅から徒歩15分、犬山城(いぬやまじょう、愛知県犬山市犬山北古券)は木曽川畔にそびえる小高い山に建てられ、その天守は現存する日本最古の城郭です。<br /><br />天文6年(1537)織田信長の叔父にあたる織田信康によって築城されたとされますが、天文16年(1547)信長の父織田信秀が美濃国斎藤道三をを攻めた時信康が戦死、犬山城は子供の信清が相続します。<br /><br />然しながら信長時代では信清は反信長に属した為、永禄8年(1565)犬山城は信長の攻撃を受けて落城、やがて犬山城は信長家臣の池田恒興に与えられます。<br /><br />天正12年(1584)秀吉と徳川家康・信長二男織田信雄(おだ・のぶかつ、1558~1630)との間でいわゆる小牧・長久手の戦いが始り、秀吉方でかつての城主池田恒興により犬山城攻略、小牧山城に陣を構えた家康と対峙する拠点となります。<br /><br />慶長5年(1600)関ヶ原合戦後に家康方の小笠原吉次(おがさわら・よしつぐ、1548~1616)入城、更に慶長12年(1607)、家康九男徳川義直(とくがわ・よしなお、1601~1650)が甲斐国25万石から尾張藩主に転ずると幼少の義直の付家老として平岩親吉(ひらいわ・ちかよし、1542~1612)が尾張に移り、藩政を行い併せて犬山城主として12万3千石に封じられます。<br /><br />尾張藩の付家老であった平岩氏が無継断絶すると、家康の命によって元和3年(1617)尾張藩付家老に任じられた成瀬正成(なるせ・まさなり、1567~1625)が同城の城主となり、以降幕末まで代々に亘り成瀬氏が勤めます。<br /><br /><br /><br />現地で入手したパンフレットには次の通り紹介されています。<br /><br />「 犬 山 城 の 沿 革<br /><br />犬山城は織田信長の叔父である織田信康が天文6年(1537)に木之本城を移して築城したと伝えられています。<br /><br />こののち江戸時代初期にかけて城主はめまぐるしく入れ替わりました。<br /><br />天正12年(1584)小牧・長久手合戦の際には羽柴(豊臣)秀吉は大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦いました。<br /><br />江戸時代になり、元和3年(1617)尾張藩付家老、成瀬正成が城主となってからは成瀬氏が代々受け継いで幕末を迎えました。<br /><br />明治維新に犬山城は廃城となり、天守を除いて櫓や門の大部分は取り壊され公園となりました。<br /><br />明治24年(1891)の濃尾震災で天守は大きな被害に見舞われました。同28年、愛知県から修復を条件に旧城主である成瀬氏に譲渡されました。また、多くの市民からの義援金により修復工事がおこなわれました。その後、昭和34年(1959)の伊勢湾台風などで天守の破損が激しくなったため、全面的な解体修理工事がおこなわれました。<br /><br />天守は昭和10年(1935)に国宝に指定され、同27年規則改正にともない再指定されました。また、天守の創建年代は天正(1573~92)頃、慶長5(1600)・6年などいくつかの説がありますが、現存する天守の中では最も古いといわれています。<br /><br />現在、犬山城天守は犬山城白帝文庫の所有となり、犬山市が管理をおこなっています。」

尾張犬山 信長叔父が改修し小牧長久手戦い及び関ヶ原合戦では西軍の拠点となり現存12天守のうち国宝指定された5城の一つである『犬山城』訪問

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2016/07/17 - 2016/07/17

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滝山氏照

滝山氏照さん

名鉄犬山線犬山遊園駅から徒歩15分、犬山城(いぬやまじょう、愛知県犬山市犬山北古券)は木曽川畔にそびえる小高い山に建てられ、その天守は現存する日本最古の城郭です。

天文6年(1537)織田信長の叔父にあたる織田信康によって築城されたとされますが、天文16年(1547)信長の父織田信秀が美濃国斎藤道三をを攻めた時信康が戦死、犬山城は子供の信清が相続します。

然しながら信長時代では信清は反信長に属した為、永禄8年(1565)犬山城は信長の攻撃を受けて落城、やがて犬山城は信長家臣の池田恒興に与えられます。

天正12年(1584)秀吉と徳川家康・信長二男織田信雄(おだ・のぶかつ、1558~1630)との間でいわゆる小牧・長久手の戦いが始り、秀吉方でかつての城主池田恒興により犬山城攻略、小牧山城に陣を構えた家康と対峙する拠点となります。

慶長5年(1600)関ヶ原合戦後に家康方の小笠原吉次(おがさわら・よしつぐ、1548~1616)入城、更に慶長12年(1607)、家康九男徳川義直(とくがわ・よしなお、1601~1650)が甲斐国25万石から尾張藩主に転ずると幼少の義直の付家老として平岩親吉(ひらいわ・ちかよし、1542~1612)が尾張に移り、藩政を行い併せて犬山城主として12万3千石に封じられます。

尾張藩の付家老であった平岩氏が無継断絶すると、家康の命によって元和3年(1617)尾張藩付家老に任じられた成瀬正成(なるせ・まさなり、1567~1625)が同城の城主となり、以降幕末まで代々に亘り成瀬氏が勤めます。



現地で入手したパンフレットには次の通り紹介されています。

「 犬 山 城 の 沿 革

犬山城は織田信長の叔父である織田信康が天文6年(1537)に木之本城を移して築城したと伝えられています。

こののち江戸時代初期にかけて城主はめまぐるしく入れ替わりました。

天正12年(1584)小牧・長久手合戦の際には羽柴(豊臣)秀吉は大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦いました。

江戸時代になり、元和3年(1617)尾張藩付家老、成瀬正成が城主となってからは成瀬氏が代々受け継いで幕末を迎えました。

明治維新に犬山城は廃城となり、天守を除いて櫓や門の大部分は取り壊され公園となりました。

明治24年(1891)の濃尾震災で天守は大きな被害に見舞われました。同28年、愛知県から修復を条件に旧城主である成瀬氏に譲渡されました。また、多くの市民からの義援金により修復工事がおこなわれました。その後、昭和34年(1959)の伊勢湾台風などで天守の破損が激しくなったため、全面的な解体修理工事がおこなわれました。

天守は昭和10年(1935)に国宝に指定され、同27年規則改正にともない再指定されました。また、天守の創建年代は天正(1573~92)頃、慶長5(1600)・6年などいくつかの説がありますが、現存する天守の中では最も古いといわれています。

現在、犬山城天守は犬山城白帝文庫の所有となり、犬山市が管理をおこなっています。」

交通手段
高速・路線バス 私鉄
  • 犬山遊園駅(最寄駅)

    犬山遊園駅(最寄駅)

  • 犬山城下町絵地図<br /><br />犬山遊園駅周辺に建てられた犬山城周辺地図にて犬山城の位置関係を確認します。<br /><br />

    犬山城下町絵地図

    犬山遊園駅周辺に建てられた犬山城周辺地図にて犬山城の位置関係を確認します。

  • 犬山橋<br /><br />木曽川に架けられた犬山橋は車輌と電車の架橋が備わっています。

    犬山橋

    木曽川に架けられた犬山橋は車輌と電車の架橋が備わっています。

  • 木曽川の景観ポスター<br /><br />

    木曽川の景観ポスター

  • 犬山城(遠景)

    イチオシ

    犬山城(遠景)

  • 木曽川風景<br /><br />木曽川に沿った遊歩道を歩いて犬山城に入ります。

    木曽川風景

    木曽川に沿った遊歩道を歩いて犬山城に入ります。

  • 犬山城(近景)<br />

    犬山城(近景)

  • 郷瀬川<br /><br />犬山城の外堀ともいうべき郷瀬川に沿って犬山城に入ります。

    郷瀬川

    犬山城の外堀ともいうべき郷瀬川に沿って犬山城に入ります。

  • 公園橋<br /><br />郷瀬川を渡って大手道を進みます。

    公園橋

    郷瀬川を渡って大手道を進みます。

  • 大手道

    大手道

  • 国宝犬山城説明板

    国宝犬山城説明板

  • 「悠久の歴史蘇る」説明<br /><br />友好都市日南市(宮崎県)より飫肥杉で造られたベンチ、花壇、案内板の寄贈があったそうです。

    「悠久の歴史蘇る」説明

    友好都市日南市(宮崎県)より飫肥杉で造られたベンチ、花壇、案内板の寄贈があったそうです。

  • 堀切<br /><br />遮断された堀切を繋ぐ架橋を渡り本丸をめざします。

    堀切

    遮断された堀切を繋ぐ架橋を渡り本丸をめざします。

  • 空堀

    空堀

  • 大手道

    大手道

  • 大手道

    大手道

  • 犬山城大手門遠景

    犬山城大手門遠景

  • 犬山城大手門

    犬山城大手門

  • 犬山城天守

    犬山城天守

  • 犬山城の歴史説明板<br /><br /><br /><br /><br />「 犬山城の歴史<br /><br />犬山城は天文6年(1537)に織田信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって造られました。<br /><br />戦国時代なので、その後何代も城主が代わりましたが、1600年の関ヶ原合戦の頃を中心に城郭は整備されていきました。<br /><br />小牧長久手合戦(1584)の際には、豊臣秀吉は大阪から十二万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦いました。<br /><br />江戸時代になり、尾張藩の付家老、成瀬隼人正成が元和4年(1618)城主となってからは、成瀬家が代々うけついで明治に至りました。明治4年(1871)九代目成瀬正肥のとき廃藩置県で廃城となり、櫓や城門など天守閣を除く建物はほとんど取り壊されてしまいました。<br /><br />明治24年の濃尾震災で天守閣の東南角の付櫓など、ひどく壊れましたので、それを修理する条件で再び成瀬家所有の城となりました。<br /><br />その後、伊勢湾台風などでも被害を受けましたが、昭和36年(1961)から40年まで4年間をかけて解体修理をおこないました。望楼型の独立天守で、高さは24メートルです。<br /><br />国宝に指定されている犬山城、松本城、彦根城、姫路城の4城のなかでも、最も古い城であります。<br /><br />平成16年4月、財団法人 犬山城白帝文庫が設立され、城の所有は個人から財団法人になりました。 」<br />

    犬山城の歴史説明板




    「 犬山城の歴史

    犬山城は天文6年(1537)に織田信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって造られました。

    戦国時代なので、その後何代も城主が代わりましたが、1600年の関ヶ原合戦の頃を中心に城郭は整備されていきました。

    小牧長久手合戦(1584)の際には、豊臣秀吉は大阪から十二万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦いました。

    江戸時代になり、尾張藩の付家老、成瀬隼人正成が元和4年(1618)城主となってからは、成瀬家が代々うけついで明治に至りました。明治4年(1871)九代目成瀬正肥のとき廃藩置県で廃城となり、櫓や城門など天守閣を除く建物はほとんど取り壊されてしまいました。

    明治24年の濃尾震災で天守閣の東南角の付櫓など、ひどく壊れましたので、それを修理する条件で再び成瀬家所有の城となりました。

    その後、伊勢湾台風などでも被害を受けましたが、昭和36年(1961)から40年まで4年間をかけて解体修理をおこないました。望楼型の独立天守で、高さは24メートルです。

    国宝に指定されている犬山城、松本城、彦根城、姫路城の4城のなかでも、最も古い城であります。

    平成16年4月、財団法人 犬山城白帝文庫が設立され、城の所有は個人から財団法人になりました。 」

  • 市街展望<br /><br />犬山城天守から木曽川をはじめ鵜沼市街を一望します。当該川の向こうは旧国では美濃で、国境を接する重要な城郭であっことがわかります。

    市街展望

    犬山城天守から木曽川をはじめ鵜沼市街を一望します。当該川の向こうは旧国では美濃で、国境を接する重要な城郭であっことがわかります。

  • 市街展望<br /><br />木曽川は鵜飼で知られています。

    市街展望

    木曽川は鵜飼で知られています。

  • 犬山城天守<br /><br />中央部が弓なりにせりあがっているいわゆる唐破風の天守が見えます。

    犬山城天守

    中央部が弓なりにせりあがっているいわゆる唐破風の天守が見えます。

  • 犬山城石垣<br /><br />野面積みの石垣が歴史の重さを語っています。

    犬山城石垣

    野面積みの石垣が歴史の重さを語っています。

  • 矢来門の礎石

    矢来門の礎石

  • 松の丸門跡

    松の丸門跡

  • 犬山城石碑

    犬山城石碑

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