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静岡県のお城巡りです。高天神城(たかてんじんじょう)は、小規模ながら、山城として堅固さを誇り、戦国時代末期には武田信玄・勝頼と徳川家康が激しい争奪戦を繰り広げたお城です。

2016梅雨、静岡県の名城(10/20):7月9日(1):高天神城(1):島田のホテル、高天神城へ

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2016/07/08 - 2016/07/09

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旅行記グループ 2016梅雨、静岡の名城巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

静岡県のお城巡りです。高天神城(たかてんじんじょう)は、小規模ながら、山城として堅固さを誇り、戦国時代末期には武田信玄・勝頼と徳川家康が激しい争奪戦を繰り広げたお城です。

交通手段
観光バス

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  • 1泊2日のバスツアーに参加しての静岡県の名城巡りの2日目です。島田で泊まったホテルでの朝食です。私にとっては、十分過ぎる朝食の品数でした。バイキング方式ではなく、予め用意されていた和食です。

    1泊2日のバスツアーに参加しての静岡県の名城巡りの2日目です。島田で泊まったホテルでの朝食です。私にとっては、十分過ぎる朝食の品数でした。バイキング方式ではなく、予め用意されていた和食です。

  • 泊まったホテルから眺めた島田市郊外の景色です。島田氏は、高天神城がある掛川市の東側に隣接しています。高速インターに近いホテルでしたから、周りは田園風景でした。その田園風景も次第に市街化が始まっているようでした。

    泊まったホテルから眺めた島田市郊外の景色です。島田氏は、高天神城がある掛川市の東側に隣接しています。高速インターに近いホテルでしたから、周りは田園風景でした。その田園風景も次第に市街化が始まっているようでした。

  • 同じく、泊まったホテルから眺めた島田市郊外の景色です。今は梅雨の真最中、今日の天気は雨と予報されていました。この時間帯、既に雨が降っているようでした。

    同じく、泊まったホテルから眺めた島田市郊外の景色です。今は梅雨の真最中、今日の天気は雨と予報されていました。この時間帯、既に雨が降っているようでした。

  • 田植えをされて間もない稲が、梅雨の季節になり、生き生きと伸びてきたようです。緑の色が濃くなっていました。右上に高速道路が見えていました。東名高速道のようです。北側には、新東名高速道も開通しています。

    田植えをされて間もない稲が、梅雨の季節になり、生き生きと伸びてきたようです。緑の色が濃くなっていました。右上に高速道路が見えていました。東名高速道のようです。北側には、新東名高速道も開通しています。

  • 定時にホテルを出発し、高天神城の駐車場に到着しました。泊まった島田のホテルからは、それほど時間はかからなかった記憶です。現在時刻は、9時少し過ぎです。

    定時にホテルを出発し、高天神城の駐車場に到着しました。泊まった島田のホテルからは、それほど時間はかからなかった記憶です。現在時刻は、9時少し過ぎです。

  • 駐車場でボランティアガイドさんと合流しました。駐車場の案内板にも、『高天神城のご案内をします・高天神城観光ボランティアの会』の標識がありました。

    駐車場でボランティアガイドさんと合流しました。駐車場の案内板にも、『高天神城のご案内をします・高天神城観光ボランティアの会』の標識がありました。

  • バス駐車場付近から眺めた付近の光景です。高天神城とは反対側になる北側の光景になります。駿河湾とは反対側ですから、遠くには山並みが見えました。

    バス駐車場付近から眺めた付近の光景です。高天神城とは反対側になる北側の光景になります。駿河湾とは反対側ですから、遠くには山並みが見えました。

  • この天候で、朝早い時間帯ですから、ほかに見学者の姿はありませんでした。駐車場から眺めた南側方面の光景です。高天神城がある鶴翁山の左手(東側)の光景になります。

    この天候で、朝早い時間帯ですから、ほかに見学者の姿はありませんでした。駐車場から眺めた南側方面の光景です。高天神城がある鶴翁山の左手(東側)の光景になります。

  • 雨具の用意をして、高天神城の見学の始まりです。北側から南側に向かっての山登りです。左手が本丸のある山、右手が二の丸のある山になります。その中間部に向かっての山登りです。標高132メートル、比高100メートルの鶴翁山です。

    雨具の用意をして、高天神城の見学の始まりです。北側から南側に向かっての山登りです。左手が本丸のある山、右手が二の丸のある山になります。その中間部に向かっての山登りです。標高132メートル、比高100メートルの鶴翁山です。

  • 梅雨の雨の中で、少し俯き加減で咲いていたムクゲ(木槿、槿)の白い花です。フヨウ(芙蓉)によく似た、アオイ科フヨウ属の落葉樹です。

    梅雨の雨の中で、少し俯き加減で咲いていたムクゲ(木槿、槿)の白い花です。フヨウ(芙蓉)によく似た、アオイ科フヨウ属の落葉樹です。

  • 『高天神城想像図』のタイトルがあった、かつての山城の縄張り図です。急峻な山の尾根を利用した堅城であることが見て取れる絵図でした。現在地が、本丸の上側(南側)の麓に記されていました。

    イチオシ

    『高天神城想像図』のタイトルがあった、かつての山城の縄張り図です。急峻な山の尾根を利用した堅城であることが見て取れる絵図でした。現在地が、本丸の上側(南側)の麓に記されていました。

  • かつての搦手道の登山道を跨いで設置されていた、石の鳥居の光景です。菅原道真公を祀る高天神社の入口表示のようでした。

    かつての搦手道の登山道を跨いで設置されていた、石の鳥居の光景です。菅原道真公を祀る高天神社の入口表示のようでした。

  • 『高天神社境内略図』のタイトルがあった案内板です。祭神は、『天皇産霊(たかみむすび)神』、天菩毘(あめのほひ)神』と菅原道真公の三柱でした。例祭や大祭などの日も記されていました。

    『高天神社境内略図』のタイトルがあった案内板です。祭神は、『天皇産霊(たかみむすび)神』、天菩毘(あめのほひ)神』と菅原道真公の三柱でした。例祭や大祭などの日も記されていました。

  • 御前崎遠州灘県立自然公園になっている、『高天神保健休養林案内図』の紹介です。左下に掛川市の表示がありましたから、市が管理しているようでした。

    御前崎遠州灘県立自然公園になっている、『高天神保健休養林案内図』の紹介です。左下に掛川市の表示がありましたから、市が管理しているようでした。

  • 右端の黒白の木標には、『搦手門址』の文字がありました。この搦手門が天神山城の北側、大手門が南側に位置しています。左手に見える看板は、『搦手門』の標識と素の説明文でした。

    右端の黒白の木標には、『搦手門址』の文字がありました。この搦手門が天神山城の北側、大手門が南側に位置しています。左手に見える看板は、『搦手門』の標識と素の説明文でした。

  • 長い石段登りが始まりました。傾斜は緩やかですから、1段の幅が広く、段差の少ない石段でした。祖の淵には、河原で採れる玉石が使われていました。

    長い石段登りが始まりました。傾斜は緩やかですから、1段の幅が広く、段差の少ない石段でした。祖の淵には、河原で採れる玉石が使われていました。

  • 振り返って眺めた石段の長い登り坂の光景です。道の両脇にはちゃんとした排水溝が整備されていましたから、少々の雨では、上り下りに支障はないようでした。

    振り返って眺めた石段の長い登り坂の光景です。道の両脇にはちゃんとした排水溝が整備されていましたから、少々の雨では、上り下りに支障はないようでした。

  • 長く続いた石段の紹介です。雨は本降りですが、石段登りの時は風を感じることはありませんでした。

    長く続いた石段の紹介です。雨は本降りですが、石段登りの時は風を感じることはありませんでした。

  • もう一度振り返って眺めた、後方の光景です。写真を撮りながら殿(しんがり)近くを歩いていましたが、まだ後ろを歩いている方もいました。

    もう一度振り返って眺めた、後方の光景です。写真を撮りながら殿(しんがり)近くを歩いていましたが、まだ後ろを歩いている方もいました。

  • 注連縄がなければ見落としてしまいそうな『三ヶ月井戸』の光景です。カーブした崖を背にして、道路側には玉石が並べられていました。

    注連縄がなければ見落としてしまいそうな『三ヶ月井戸』の光景です。カーブした崖を背にして、道路側には玉石が並べられていました。

  • 井戸とは道の反対側にあった、『三ヶ月井戸』の木標の光景です。急峻な地形から言っても、高天神城は長い籠城での命綱は水のように思えますから、『三ヶ月井戸』も大切な井戸だったのかも知れません。

    井戸とは道の反対側にあった、『三ヶ月井戸』の木標の光景です。急峻な地形から言っても、高天神城は長い籠城での命綱は水のように思えますから、『三ヶ月井戸』も大切な井戸だったのかも知れません。

  • ボランティアガイドさんは、ベテランの女性の方でした。持参の資料が濡れないよう、ビニル袋に入れての道先案内と解説でした。

    ボランティアガイドさんは、ベテランの女性の方でした。持参の資料が濡れないよう、ビニル袋に入れての道先案内と解説でした。

  • 左上が『高天神城跡略図』、右上の図が『高天神城攻防城砦図』のタイトルがありました。その下に『鶴翁山高天神城略年表』が添えられていました。高天神城の攻防は、攻め手が徳川方の天正9年(1581年)の時のようです。

    左上が『高天神城跡略図』、右上の図が『高天神城攻防城砦図』のタイトルがありました。その下に『鶴翁山高天神城略年表』が添えられていました。高天神城の攻防は、攻め手が徳川方の天正9年(1581年)の時のようです。

  • 本丸エリアから、振り返って眺めた二の丸エリアとの分岐点の光景です。先干し搦手口から登って来た場所です。

    本丸エリアから、振り返って眺めた二の丸エリアとの分岐点の光景です。先干し搦手口から登って来た場所です。

  • キン肉マンの狛犬の光景です。高天神社に向かって右手の雄獅子です。阿形でした。比較的新しい造りのようでした。霞がかかり、幻想的な光景になっていた高天神城の本丸エリアの光景です。

    イチオシ

    キン肉マンの狛犬の光景です。高天神社に向かって右手の雄獅子です。阿形でした。比較的新しい造りのようでした。霞がかかり、幻想的な光景になっていた高天神城の本丸エリアの光景です。

  • 同じく、キン肉マンの狛犬の光景です。高天神社に向かって左手の雌獅子です。子獅子の姿のない吽形の像でした。

    同じく、キン肉マンの狛犬の光景です。高天神社に向かって左手の雌獅子です。子獅子の姿のない吽形の像でした。

  • 狛犬のほかに、天神様に付き物が牛です。狛犬と同様、左右に一対で置かれていました。台座の飾りの中央には、菅原道真公の梅鉢紋がありました。菅公は承和12年(845年の)乙丑(きのとうし)に誕生され、数多くの牛に纏わる逸話が残されています。

    狛犬のほかに、天神様に付き物が牛です。狛犬と同様、左右に一対で置かれていました。台座の飾りの中央には、菅原道真公の梅鉢紋がありました。菅公は承和12年(845年の)乙丑(きのとうし)に誕生され、数多くの牛に纏わる逸話が残されています。

  • 左右に一対で置かれていた牛の像のもう一体の紹介です。いくつかの官公の牛に纏わるエピソードのいくつかを箇条書きで紹介します。<br />①道真には牛がよくなつき、道真もまた牛を愛育した。<br />②大宰府への左遷時、牛が道真を泣いて見送った。<br />③人に引かせず牛の行くところにとどめよ。(遺言) 等々です。<br />

    イチオシ

    左右に一対で置かれていた牛の像のもう一体の紹介です。いくつかの官公の牛に纏わるエピソードのいくつかを箇条書きで紹介します。
    ①道真には牛がよくなつき、道真もまた牛を愛育した。
    ②大宰府への左遷時、牛が道真を泣いて見送った。
    ③人に引かせず牛の行くところにとどめよ。(遺言) 等々です。

  • 前方に見えてきたのは、高天神社の鳥居と、その先の長い石段です。高天神社は城砦の守り神で、約290年前に御膳曲輪から現在の位置に遷されたとされます。

    前方に見えてきたのは、高天神社の鳥居と、その先の長い石段です。高天神社は城砦の守り神で、約290年前に御膳曲輪から現在の位置に遷されたとされます。

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