2016/07/08 - 2016/07/09
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続日本百名城の高天神城の紹介です。最初の築城は、室町時代に今川氏が守護大名から戦国大名に脱皮する過程の中で行われたようです。今川氏の滅亡後、徳川氏の持ち城となりました。
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苔生した石碑の光景です。中央に『高天神城址』の文字が刻まれていました。大正13年(1924年)1月に建てられた石碑でした。足元が少し心配な建て方でした。
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この辺りは、既に本丸エリアに入っているようでした。高天神城が難攻不落だった理由は、眼下には下笠川などの河川が流れて、天然の堀を形成し、尾根は三方が断崖絶壁であったことが大きく作用したようです。
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頑丈な石の囲いとチェーンで護られた石碑の光景です。中央部分の文字は、『陸軍歩兵一等卒・春田啓作君之碑』らしい文字が読み取れました。日清か日露戦争辺りのようです。
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石垣を積んだ上に建てられていた石碑の光景です。高天神城とは直接は関係しない石碑も多くあったようです。
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高天神城の本丸から見下ろした麓の光景です。雨で霞んで、右手の舗装道路だけが白く浮き上がって見えました。
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イチオシ
左端が『御前曲輪跡』の木標、その右が城主と奥方の記念撮影場所です。城主の小笠原与八郎長忠は、天正2年(1574年)の武田勝頼による高天神城攻めの時の城主です。援軍を待ちきれず、落城する前に勝頼軍に開城しました。
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石段の左下にあった白い木標には、『高天神社』の文字が記されていました。石段の上に鳥居があり、その先に社があるようです。天神社ですから、祀られているのは学問の神様、菅原道真公です。
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達筆な草書体の文字が刻まれた石碑の光景です。読み取れない文字が幾つもありました。無理して読めば、『征清軍靴〇記念』当たりの文字でした。
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『土塁址』の木標が建っていた場所付近の光景です。木標の前には、水溜まりもでき始めていました。
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土塁は、白い木標の後ろ側にありました。年月を経て、低くなっていたかもしれません。あるいは空堀との組合せだったかもしれません。現状の規模と形ではほとんど防御機能はないように見えました。
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先程の『土塁址』の標識があった付近とは別の場所です。白い木標には、天正2年の文字があったようですから、武田勝頼による高天神城攻めがあった年です。通路が、次第に水路のようになってきました。
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帰り道の難所の一つでした。排水溝のない山道ですから、あっという間に通路が水浸しになりました。
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高天神城の紹介はここまでです。益々雨脚はきつくなり、この辺りを下る時には水路のようになってきました。武田と徳川がせめぎ合った山城の見学としては、その雰囲気を味わうには、願ってもない天候だったかもしれません。
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高天神城の奪還のため、家康はその拠点として、大須賀康高に命じ天正6年(1578年)横須賀城を築きました。パンフレットの図中にあるように、高天神城に近い西側の駿河湾に近い場所です。この城を拠点として家康が高天神城を攻め落としたのは、天正9年(1581年)のことです。高天神城は廃城にし、横須賀城の初代城主は築城者の大須賀康高にしました。豊臣氏の天下の時代には、横須賀城には豊臣系の城津が入りましたが、関ヶ原の戦いの翌年の慶長6年(1601年)に松平(横須賀)忠正が城主となり、譜代大名の城となりました。
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イチオシ
『横須賀城跡』のタイトルがあった説明パネルです。横長の縄張り図が紹介されていました。横須賀城は東西に長い形をした縄張りを持つ城で、大手門が東西二箇所に設けられていたことから、『両頭の城』という異名を持ちます。城内に船着き場もありました。絵図に下には、横須賀城の歴史が記してありました。
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先程の絵図にも記されていたように、江戸時代の中頃まで、横須賀城のすぐ傍には横須賀湊があり、水運・物流の拠点になっていました。掛川城が東海道の陸の押さえであったのに対し、横須賀城は遠州灘の海の押さえであったといえます。説明パネルのタイトルは『西の丸西斜面の石垣』でした。発掘された遺構と出土品が説明されていました。
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横須賀城は、山城と平城の両方の特徴を併せ持つ『平山城』とされます。1868年(明治元年)に入場となり、天守は現存していませんが、3重4階の天守があったとされます。
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城跡を移動中の光景が続きます。東海道の抑えの掛川城と、海の拠点の横須賀城との間は、江戸時代には船で結ばれていたとされます。
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標識がないと、ただの草原に見えます。縄張り図を参照しますと、西の丸から二の丸を経て本丸方向に移動しているようでした。
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通路部分には、簡易舗装が施されていましたから、多少の雨が降っても、足元の心配はありませんでした。
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先ほど見学した山城の高天神城と比べますと、平山城だけに足元は恵まれていました。荒天の中を一人だけでの見学は気が滅入りますが、大勢での見学ですと、割り切りができます。
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木々の間から姿を現した、横須賀城の一番の見所の玉石垣の光景です。とりあえずは、撮影と見学ポイント探しです。
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上から石垣を眺めるツアーに参加の皆さん方です。滑ってしまうのを恐れて、しゃがみこんで見学や写真撮影をする人達もいました。特に玉石の上が滑りやすいようでした。
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横須賀城の見所は、玉石を使った石垣です。玉石は、天竜川産出の物が使われています。玉石以外の石材が見当たらないほど玉石が多く使われていました。
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イチオシ
玉石を使った横須賀城の石垣のズームアップ光景です。玉石垣が、横須賀城見学のハイライトといってよいようです。
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見学のハイライトの玉石垣の光景が続きます。記録によれば、安政元年(1854年)の安政東海大地震で、横須賀城と城下町は大被害を受けたとされます。3重4階の天守も傾いたとされます。
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石垣の撮影は、余り縁に寄ると芝で滑ってしまいそうで、おっかなびっくりの撮影となりました。地震被害では、宝永4年(1707年)の宝永大地震の時、湊が隆起してしまい、用水路を作って凌いだとされます。東海道沖から南海道沖を震源域として発生した巨大地震で、南海トラフのほぼ全域にわたってプレート間の断層破壊が生じたと推定されています。
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『横須賀城址』の文字が刻まれた石標の光景です。末尾に『子爵西尾忠方書』の落款がありました。西尾忠方公(1886~1958年)は、旧横須賀藩第12代西尾家当主で貴族院議員、子爵でした。西尾家歴代の藩主のなかでも第二代の忠尚(1713~1760年)は名君の誉れ高く、若年寄を務め5千石加増され、都合3万5千石になり、老中も務めました。
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