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静岡県のお城巡りの締め括りです。台風1号の影響で梅雨前線が活発化し、全国各地が大荒れの天候だったようですが、山城を含め、予定の6カ所をすべて回り終えました。

2016梅雨、静岡県の名城(20/20):7月9日(11):掛川城(5):掛川城御殿、展示品

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2016/07/08 - 2016/07/09

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旅行記グループ 2016梅雨、静岡の名城巡り

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旅人のくまさん

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静岡県のお城巡りの締め括りです。台風1号の影響で梅雨前線が活発化し、全国各地が大荒れの天候だったようですが、山城を含め、予定の6カ所をすべて回り終えました。

交通手段
観光バス

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  • 安政の大地震で倒壊した御殿は、安政2年(1855年)12月に再建されました。その上棟式に用いられたものの1本で、梵天(ぼんてん)、あるいは幣束(ぬさ)と呼ばれた品です。下付された『大工伝蔵』の曾孫の方からの寄贈品です。

    安政の大地震で倒壊した御殿は、安政2年(1855年)12月に再建されました。その上棟式に用いられたものの1本で、梵天(ぼんてん)、あるいは幣束(ぬさ)と呼ばれた品です。下付された『大工伝蔵』の曾孫の方からの寄贈品です。

  • 明かり採りのために雨戸が半開きになっていた、土間の光景です。ブルーシートの上に展示品が置かれていました。展示された四つの石は、『掛川城御殿・式台玄関礎石』です。

    明かり採りのために雨戸が半開きになっていた、土間の光景です。ブルーシートの上に展示品が置かれていました。展示された四つの石は、『掛川城御殿・式台玄関礎石』です。

  • 梅鉢紋、あるいは桔梗紋が記された『長持』です。この展示品は掛川市在住の寄贈者の名前も記されていました。

    梅鉢紋、あるいは桔梗紋が記された『長持』です。この展示品は掛川市在住の寄贈者の名前も記されていました。

  • 重いものを移動するのに便利なように、下部に車が付いた『車長持』です。この品も掛川市在住の方の寄贈品でした。

    重いものを移動するのに便利なように、下部に車が付いた『車長持』です。この品も掛川市在住の方の寄贈品でした。

  • この品も、下部に車が付いた『車長持』です。

    この品も、下部に車が付いた『車長持』です。

  • 『徒目付(かちめつけ)』の部屋です。『徒または徒士(かち)』は、江戸時代の下級武士の1つで、それを監督した徒目付が使用した部屋です。<br />

    『徒目付(かちめつけ)』の部屋です。『徒または徒士(かち)』は、江戸時代の下級武士の1つで、それを監督した徒目付が使用した部屋です。

  • 『吟味奉行』の部屋です。藩内の訴訟や事件、あるいは経理関係の取り調べをした、吟味奉行が使用した部屋です。

    『吟味奉行』の部屋です。藩内の訴訟や事件、あるいは経理関係の取り調べをした、吟味奉行が使用した部屋です。

  • 3枚展示されていた棟札の光景です。一番左が安政5年(1858年)の『掛川城大手門棟札』、その右が重要文化財の安政年間の『掛川城御殿棟札』、一番右が重要文化財の文久年間の『掛川城御殿棟札』です。

    3枚展示されていた棟札の光景です。一番左が安政5年(1858年)の『掛川城大手門棟札』、その右が重要文化財の安政年間の『掛川城御殿棟札』、一番右が重要文化財の文久年間の『掛川城御殿棟札』です。

  • 『御使用人部屋』の光景です。藩の財政や庶務万端を取り扱った、藩主側近の容認が使用した部屋です。

    『御使用人部屋』の光景です。藩の財政や庶務万端を取り扱った、藩主側近の容認が使用した部屋です。

  • 掛川城御殿内の展示状況です。火縄銃や槍、長刀(なぎなた)などが、ガラスケースの中に展示してありました。

    掛川城御殿内の展示状況です。火縄銃や槍、長刀(なぎなた)などが、ガラスケースの中に展示してありました。

  • 同じく、掛川城御殿内の展示状況です。額に収められた絵図などです。

    同じく、掛川城御殿内の展示状況です。額に収められた絵図などです。

  • 同じく、掛川城御殿内の展示状況です。大名行列の様子を現した人形表示です。

    同じく、掛川城御殿内の展示状況です。大名行列の様子を現した人形表示です。

  • 2006年に放映されたNHKの大河ドラマ、『功名が辻』の展示パネルです。原作は司馬遼太郎が1960年代初頭に執筆した同名小説です。主人公の千代とその夫・山内一豊は、仲間由紀恵と上川隆也がそれぞれ演じました。

    2006年に放映されたNHKの大河ドラマ、『功名が辻』の展示パネルです。原作は司馬遼太郎が1960年代初頭に執筆した同名小説です。主人公の千代とその夫・山内一豊は、仲間由紀恵と上川隆也がそれぞれ演じました。

  • 2006年に放映されたNHKの大河ドラマ、『功名が辻』の展示パネルなどです。左上の3枚は、一豊を支えた千代の活躍をまとめたパネルです。『雨あがる』は、江戸を舞台にした山本周五郎の短編小説ですが、そのロケに使われたようです。

    2006年に放映されたNHKの大河ドラマ、『功名が辻』の展示パネルなどです。左上の3枚は、一豊を支えた千代の活躍をまとめたパネルです。『雨あがる』は、江戸を舞台にした山本周五郎の短編小説ですが、そのロケに使われたようです。

  • 『御殿賄方使用・槌目打銅製や缶』の表示があった、重さ11キロ、容積二斗の銅製大ヤカンです。

    『御殿賄方使用・槌目打銅製や缶』の表示があった、重さ11キロ、容積二斗の銅製大ヤカンです。

  • 『ほかい(行器、外器)』と呼ばれる食料品の運搬容器です。説明プレートには、『保元物語』には、首桶の代わりに足高行器を用いたとも解説されていました。『保元(ほうげん)物語』は、保元元年(1156年)に起こった、保元の乱の顛末を描いた軍記物語です。源平の武士が台頭し始めた頃の戦いです。

    『ほかい(行器、外器)』と呼ばれる食料品の運搬容器です。説明プレートには、『保元物語』には、首桶の代わりに足高行器を用いたとも解説されていました。『保元(ほうげん)物語』は、保元元年(1156年)に起こった、保元の乱の顛末を描いた軍記物語です。源平の武士が台頭し始めた頃の戦いです。

  • 『掛川大祭り・三大余興』のタイトルがあった展示コーナーです。出し物の『三大余興』といわれるには、『仁藤の大獅子』『獅子舞かんからまち』と『奴道中』です。

    『掛川大祭り・三大余興』のタイトルがあった展示コーナーです。出し物の『三大余興』といわれるには、『仁藤の大獅子』『獅子舞かんからまち』と『奴道中』です。

  • 『大太鼓の由来』と題する背詰立札があった大太鼓です。延享年間(1744〜1747年)の時の小笠原家第3代城主の小笠原能登守に因む太鼓のようです。太鼓楼にあった大太鼓は、御殿広間に展示してありました。

    『大太鼓の由来』と題する背詰立札があった大太鼓です。延享年間(1744〜1747年)の時の小笠原家第3代城主の小笠原能登守に因む太鼓のようです。太鼓楼にあった大太鼓は、御殿広間に展示してありました。

  • 槍や長刀などの展示です。槍は実用の物ではなく、飾目的の物もあるようです。

    槍や長刀などの展示です。槍は実用の物ではなく、飾目的の物もあるようです。

  • 『御天守台石垣芝土手崩所絵図』のタイトルがあった古い絵図です。安政の大地震での天守台の被害を江戸幕府に届けた際の絵図のようです。安政大地震は、<br />①1854年12月23日(嘉永7年11月4日):安政東海地震(巨大地震)<br />②1854年12月24日(嘉永7年11月5日):安政南海地震(巨大地震)<br />を始めとして、<br />③1855年11月7日(安政2年9月28日):遠州灘で地震、東海地震の最大余震<br />④1855年11月11日(安政2年10月2日):安政江戸地震<br />⑤1856年8月23日(安政3年7月23日):安政八戸沖地震(巨大地震)<br />⑥1857年7月14日(安政4年閏5月23日):駿河で地震<br />のほか、東北から中国地方に及ぶ広範囲で数々の地震を連続発生させました。1847年の信州の善光寺平から始まった地震は、北海道と沖縄を除いた地域を10年ほどに亘って揺さぶり続けました。

    『御天守台石垣芝土手崩所絵図』のタイトルがあった古い絵図です。安政の大地震での天守台の被害を江戸幕府に届けた際の絵図のようです。安政大地震は、
    ①1854年12月23日(嘉永7年11月4日):安政東海地震(巨大地震)
    ②1854年12月24日(嘉永7年11月5日):安政南海地震(巨大地震)
    を始めとして、
    ③1855年11月7日(安政2年9月28日):遠州灘で地震、東海地震の最大余震
    ④1855年11月11日(安政2年10月2日):安政江戸地震
    ⑤1856年8月23日(安政3年7月23日):安政八戸沖地震(巨大地震)
    ⑥1857年7月14日(安政4年閏5月23日):駿河で地震
    のほか、東北から中国地方に及ぶ広範囲で数々の地震を連続発生させました。1847年の信州の善光寺平から始まった地震は、北海道と沖縄を除いた地域を10年ほどに亘って揺さぶり続けました。

  • 『御談の間』の光景です。藩に用事がある者の用件の取次や、談合、会議などの際に使用された部屋です。

    『御談の間』の光景です。藩に用事がある者の用件の取次や、談合、会議などの際に使用された部屋です。

  • 『御談の間』のズームアップ光景です。外に面した奥の方が板張り、手前が畳敷の部屋でした。

    『御談の間』のズームアップ光景です。外に面した奥の方が板張り、手前が畳敷の部屋でした。

  • 鹿の角を使った『刀掛台』の光景です。静岡県内の方からの寄贈品でした。

    鹿の角を使った『刀掛台』の光景です。静岡県内の方からの寄贈品でした。

  • 『三日月堀(みかづきぼり)』の説明パネルです。深さ8メートルの本丸門前に配置された三日月状の堀の説明板です。『三日月堀』は、武田氏の築城技術の特徴といわれる堀の形です。水堀のほか、空堀も使われたようです。

    『三日月堀(みかづきぼり)』の説明パネルです。深さ8メートルの本丸門前に配置された三日月状の堀の説明板です。『三日月堀』は、武田氏の築城技術の特徴といわれる堀の形です。水堀のほか、空堀も使われたようです。

  • 発掘作業の結果に基づき再建された『三日月堀(みかづきぼり)』の光景です。『三日月堀』は、丸馬出(まるうまだし)の外側を防御するために必然的に三日月状の形になったものです。

    発掘作業の結果に基づき再建された『三日月堀(みかづきぼり)』の光景です。『三日月堀』は、丸馬出(まるうまだし)の外側を防御するために必然的に三日月状の形になったものです。

  • 同じく、発掘作業の結果に基づき再建された『三日月堀(みかづきぼり)』の光景です。

    同じく、発掘作業の結果に基づき再建された『三日月堀(みかづきぼり)』の光景です。

  • 『掛川城公園』の石碑の光景です。その石碑を飾るように庭木の松が枝を枝垂れていました。その背後に城門に上る石段の脇の白い塀が見えていました。

    『掛川城公園』の石碑の光景です。その石碑を飾るように庭木の松が枝を枝垂れていました。その背後に城門に上る石段の脇の白い塀が見えていました。

  • 別の場所にも『掛川公園』の石碑がありました。その前後に、『東海の名勝・十二景しめ』らしい文字がありましたが、その意味は分かりませんでした。

    別の場所にも『掛川公園』の石碑がありました。その前後に、『東海の名勝・十二景しめ』らしい文字がありましたが、その意味は分かりませんでした。

  • 『掛川城大手門の復元について』と題する、掛川市名の説明プレートです。天正18年(1590年)から慶長5年(1600年)まで在城した山内一豊に因む門で、止むを得ず元の場所から50メートル北側に再建した事情などが説明されていました。

    『掛川城大手門の復元について』と題する、掛川市名の説明プレートです。天正18年(1590年)から慶長5年(1600年)まで在城した山内一豊に因む門で、止むを得ず元の場所から50メートル北側に再建した事情などが説明されていました。

  • これで静岡県内の6カ所のお城巡りの紹介はお仕舞です。台風1号の影響で梅雨前線が活発化し、日本全国が大荒れの天候だったようですが、山城を含め、予定の6カ所をすべて回り終えました。お城近くの道の脇に咲いていたランタナです。和名は、今回の天候のような『七変化』です。

    これで静岡県内の6カ所のお城巡りの紹介はお仕舞です。台風1号の影響で梅雨前線が活発化し、日本全国が大荒れの天候だったようですが、山城を含め、予定の6カ所をすべて回り終えました。お城近くの道の脇に咲いていたランタナです。和名は、今回の天候のような『七変化』です。

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