2011/04/23 - 2011/05/09
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mikoyan358さん
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2011年、旧ユーゴスラビアを構成するスロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロの5か国を、レンタカーで旅しました。
前年にドイツ・オーストリア・チェコをレンタカーで巡って自信がついていたという状況でしたが、それでも
「そもそも外国人が車で飛び込んで大丈夫な場所なんだろうか?」
という一抹の不安も感じながら、車と宿の予約だけしてとりあえず飛び込んだ国々(笑)。
2000年前から続く悠久の歴史あり、世界にもまれなほどの奇勝地あり、そしていまだ残る内戦の爪あとあり...
危険を感じることもなく、かつてのユーゴスラビアという国が持つ魅力そして負の歴史を、肌で感じることができた旅でした。
もう5年前の出来事ですので多少状況も変わっている可能性がありますが、でもレンタカーでこの辺に行こうと思っているけど情報が少ないし、本当に大丈夫なのかな?とお考えの方に、少しでも参考になればと思っています。
1日目 4月23日(土) 成田⇒ミュンヘン→リュブリャナ
2日目 4月24日(日) リュブリャナ⇒ザグレブ
3日目 4月25日(月) ザグレブ⇒ベオグラード
4日目 4月26日(火) ベオグラード⇒モクラ・ゴラ⇒ヴィシェグラード
5日目 4月27日(水) ヴィシェグラード⇒サラエヴォ
6日目 4月28日(木) サラエヴォ
7日目 4月29日(金) サラエヴォ⇒モスタル⇒ドブロヴニク
8日目 4月30日(土) ドブロヴニク
9日目 5月1日(日) ドブロヴニク⇒コトル⇒ドブロヴニク
10日目 5月2日(月) ドブロヴニク⇒スプリト
11日目 5月3日(火) スプリト⇒トロギール⇒シベニク⇒プリトヴィツェ
12日目 5月4日(水) プリトヴィツェ⇒リエカ⇒プーラ⇒ポレチュ
13日目 5月5日(木) ポレチュ⇒ヴェネツィア⇒ポレチュ
14日目 5月6日(金) ポレチュ⇒ポストイナ⇒シュコツィアン⇒ブレッド湖
15日目 5月7日(土) ブレッド湖⇒クラニスカ・ゴラ⇒リュブリャナ
16日目 5月8日(日) リュブリャナ⇒ミュンヘン⇒(機中泊)
17日目 5月9日(月) ⇒成田
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
部屋が若干暑かったので、前の晩は窓を開け放ったまま眠りについていました。
朝。
さざ波の音が、目覚ましより前に爽やかに起こしてくれます。
窓から目を下ろすと、崖にへばりつくようなホテルの他の部屋、そしてその一番下にあるプライベートビーチが!
泳げる時期ならば真っ先にここに行ったでしょうが、まざ残念ながら5月で誰も泳いでいる人がおらず、遠目から見るにとどめました。
次行ったときにはこういうところで泳ぎたいなあ。ホテル ベルビュー ドブロクニク ホテル
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眺めの良いレストランでの素晴らしい朝食を終え(翌日の景色がさらに素晴らしかったので、写真はそちらで紹介することにします)、今日の行動を開始。
今日はレンタカーは宿の駐車場に置きっぱなしにして、公共交通機関と徒歩でドブロヴニクを観光します。
宿から旧市街までは、歩くと2〜30分ほど。ホテル ベルビュー ドブロクニク ホテル
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往復のバスや博物館への入場など、いろいろ細かいお金の出し入れがありそうですが、そんな時に便利だったのがこちらの「ドブロヴニクカード」。
最近はどこの都市でも見られるようになった「交通機関と観光名所の入場料がセットになったお得なパス」です。
左が、旧市街を中心とした博物館などの入場券。
今日最初の目的地である旧市街の城壁も含まれていて、これ1つでけっこういろいろなところに入れてかなりお得。
右は、市営バスの1日乗車券。
1日券・3日券・1週間券などいくつかの種類があり、私は1日券を手に入れました。
確かこれで当時は130クーナ(2500円くらい)だったかな。
1日券は使用を開始してから24時間利用できるタイプです。
両方ともけっこう使い倒したので、元は十分に取ることが出来ました。
何より、バスで細かいお金を用意しなくてよかったので、本当に楽! -
さっそく、ホテルの近くにあるバス停から、旧市街へ向けてバスに乗りました。
歩いてもよい距離ではあるのですが、旧市街に着いてからもかなり歩くこともあり、体力温存のためにはバスは重要な手段です。
便は頻発していて、バス停に着く際に1本見送ったものの、ものの5分もすると次のバスがやってきました。 -
バスを使って、10分足らずで旧市街の西の入口、ピレ門の前までやってきました。
とりあえずふらっと城壁に登るかな〜と考えていたところに、道端のオーディオガイドの貸し出しの看板が目に留まります。
こちらはオフィシャルなものではなさそうですが、8時間ほど借りて確か800円くらい。
各国の言語で城壁のポイントごとでの解説が入っていて非常にためになりそうだったので、迷わずレンタルしました。
日本語のガイドは、たぶん留学生か誰かに読ませたんだと思いますが、棒読みで聞くたびに吹いていましたが(笑)。ドブロブニーク観光案内所 (ピレ門前) 散歩・街歩き
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ドブロヴニク旧市街と言えばまずは城壁!
ということで、朝一番の観光は城壁をぐるっと一周するところから始めます。
朝9時前くらいですが、次から次へと観光客が押し寄せてきてますね。
この城壁、そもそもの幅が狭いので、お昼ごろのピークになると入場制限がかかって入口に行列が出来たりするんだそうです。
ただ単に朝っぱらの高いところが気持ち良い、というのもありますが、私が行った時もこの時間帯は全く混雑など無縁のすがすがしいウォーキングになりましたので、城壁を堪能したい方はぜひ朝一で行ってみてくださいね。ピレ門 史跡・遺跡
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ピレ門の入口の脇にある階段を上り、街の目抜き通りであるプラッツァ通りを見渡します。
まだ路面が見えていますが、団体観光客もぞろぞろと来ていて、ピークになるとここが人でぎっしりと埋め尽くされていくんですね。
手前の右側にある円形の建物は「オノフリオの噴水」。
またあとで街歩きする中で紹介します。ピレ門 史跡・遺跡
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この日は土曜日。
週末なので朝一でもけっこう人が多いかな?と思って焦って来ましたが、かなり早かったせいかまだこんな感じで安心しました。
ということで、さっそうと城壁ウォークをスタートします。 -
昨日歩いてきたように、旧市街は山側のほうにかなりの傾斜がありました。
ただ、これはそれとは逆の海側を見たところですが、こうしてみるとけっこう購買ありますね。
後でここを歩いていかなければならないんですが(笑)。
どこまでも続くオレンジ色の屋根が、ああ自分はいま異国にいるんだなあという強い郷愁を呼び起こします。 -
旧市街の一番南西の端っこ付近。
手前は旧市街から出っ張った見張り場かな?
そして向こう側に見えるのが、小さな湾を挟んだ反対側にある「ロヴリイェナツ要塞」。
かつての一大海洋国家「ラグーサ」の雰囲気が、このアングルだけでも十二分に感じ取れますね。
※ドブロヴニク観光を予定されている方は、地図に写真撮影したスポットをかなり詳細かつ正確に入れてありますので、ぜひ参考にしてください。 -
要塞に囲まれた小さな湾が、本当に絵になる!
どのみち要塞には寄る予定でしたが、これを見てますます早く行きたくなりました。 -
旧市街を囲む城壁を、西のピレ門から反時計回りに歩いていきます。
概ねその方向に歩く人が多く、ほぼ順路になっている感じ。
海に突き出した場所を歩いていると、まるで鳥たちと会話しているかのような至近距離で触れ合うことが出来ます。
ジブリ映画ならここで会話できてしまうんでしょうが(笑)。 -
私以外の観光客の日頃の行ないがよかったためか、雨男の私にしては珍しくこの日のドブロヴニクは快晴!
なので、どこにカメラを向けてもそれがベストショットになります。
海と瓦の色のコントラストが、本当に鮮烈。
頭の中では、ここに勝手にポルコ・ロッソを書き足しておりました(笑)。 -
一つ前の写真は海に屋根が突き出していましたが、基本的には「要塞」であったこの旧市街では、そんな場所は例外的。
ほとんどは、このような堅固な石造りの城壁、そしてところどころにある見張り場という外周に囲まれています。 -
かつてのラグーサは、現在のドブロヴニク周辺のみという非常に小さい領土ながら、海上交易でヴェネツィア共和国と覇権を争っていました。
こうした大砲も実際に活躍した場面が多かったはず。 -
昨日スルジ山から見たロクルム島が見えてきた、ということは、旧市街の南東側へ近づいてきたという事ですね。
それにしても人がいない(笑)。
自由に歩けないことを覚悟して来ていただけに、これだけすいてると逆に拍子抜けしてしまいますね。
やはり、城壁の朝は格別です。 -
ぱっと振り返った景色の美しいこと!
来る前は「アドリア海の真珠とは言うけど、単に観光地化されていてそんなに見どころもないんじゃ?」と若干疑っていましたが、実際来てみて世界に誇る特異な景色をもつ場所であることを再確認しました。 -
さすが歴史のある街、こんな風景の中に日常が溶け込んでいます。
こんな場所で育ったら面白そうだなあ、と思う反面、いつ何時も衆人環視状態というのも嫌なもんです(笑)。 -
30分ほどかけて、のんびりと風を感じながら、鳥たちを横目に散策します。
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こういう観光地の海は残念なことの方が多いですが、ここは街のそばでも本当に水が澄み渡っています。
快晴で必要以上に暑く、やっぱり泳ぎたくなりました。 -
旧市街の東側はかつての貿易港であり、現在はヨットハーバーそしてロクルム島へのフェリーの乗り場になっています。
絵に描いたような地中海沿いの港町! -
そんな港に突き出た「聖イヴァン要塞」の中にある「海洋博物館」に入ってみました。
ドブロヴニクカードにも含まれているので気軽に入れます。
かつての要塞の建物をそのまま利用したつくり。海洋博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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かつて、このような船が大挙してこの街を訪れたんでしょう。
街の姿はほとんど変わりがないはずですから、この船さえ空想で沖合いに浮かべてしまえばよいですね(笑)。海洋博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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実際に当時使われていた船乗りたちの道具が展示されています。
館内はそれほど大きくなく、また船に興味がないとそれほど長続きしないかもしれない場所ですがw海洋博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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「REPUBLICA DI RAGUSA(ラグーサ共和国)」の文字が残る当時の書類。
城壁から見ている限り、ひたすらに可愛らしい街ではありますが、ここが確かに
大国と渡り合っていたんですよねえ...海洋博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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その聖イヴァン要塞から見渡せる対岸、港に入る手前のところに、このような建物があります。
こちらは、かつてのラグーサの港に面して設けられた検疫所。
小さい街でもあり、疫病等が入り込むことが国家の危機に直結していたラグーサでは、検疫のシステムが極めて周到に発達していました。
当時は、検疫の必要がある動植物はまず、先ほど目にした沖合いのロクルム島に水揚げされ、そこで40日間の検疫を受けていたそうです。
そこでOKだったものはこちらに運ばれ、最後に検査を受けて初めて陸地へと入ることが出来たんだとか。
ちなみに、この「40日間」を表す現地の言葉が「quarantena」でした。
現在、検疫のことを「quarantine」と表しますが、これはこのラグーサの習慣が起源となっているんですね。 -
船の姿かたちは変わっても、おそらく大きな変化のないであろう賑わい。
港を過ぎ、今度は街を囲む城壁の北側の辺へと入っていきます。 -
時刻は10時反くらい。
この頃になると、城壁も街の中も観光客でごった返すようになってきました。 -
反時計回りの人も、時計回りの人もいて城壁の狭い通路もだいぶ歩きにくくなってきていましたが、反時計回り組にとっては後ろ側にこんな絶景が控えていて、立ち止まって人の流れをよけてはこの景色を愛で、そしてまた少し動いてよけては・・・というのの繰り返し。
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聖ヴラホ教会やルジャ広場など、旧市街の中心部がある方向。
向こう側にロクルム島も見えています。 -
南側の城壁は街の屋根の高さに沿っていましたが、北側は徐々に標高も上がってきていて、完全に街を見下ろせる状態になっています。
山の上からも見た、オレンジで統一された街並みを桟敷席で独占! -
こちらは西のピレ門側。
のちほど寄るサンフランシスコ教会の尖塔なども見えています。 -
北西方向に向かうにつれてどんどん標高が上がっていったその先に、この「ミンチェタ要塞」の雄大な姿が見えてきます。
おそらくここが城壁ウォークのハイライト、と考えながら疲れを振り切り、急な階段を登って要塞の屋上へ出てみると... -
ドブロヴニクのハイライトとなる風景が、高台にいて見下ろしているはずのこちらを圧倒するような迫力で広がっていました。
城壁の坂を登っている時からそうでしたが、もうここでは「魔女の宅急便」のBGM「海の見える街」が頭の中で止まりません!
あの映画はスウェーデンなどがモデル地になっていてこの場所はそれほど関係ないかもしれませんが、そのBGMを流すことがすべての楽曲の中で最善手であると確信できるほど、この風景とマッチしています。ミンチェタ要塞 史跡・遺跡
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ほぼ街を一周したところで、さらに観光客は増加。
そろそろ歩きにくさの方が上回ってきたので、城壁を降りていったん街の外に出ることにしました。 -
ピレ門を出て、先ほど南西側の城壁から見えていたロヴリイェナツ要塞に近づきます。
門の脇には「ナウティカ」などドブロヴニクを代表するレストランがありますが、その敷地をかすめて入江へと下った先には、街やレストランにはなかった静けさがありました。ナウティカ シーフード
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要塞の方から見た旧市街。
海に向かって標高が上がっているのがよくわかりますね。 -
小さな入江からはボートが出入りし、近くの海を漂う遊覧船と複雑なクロスラインを描いていきます。
時間があったら海中散歩もしてみたいところですが。 -
こちらも要塞の名にふさわしく、かつての姿を思わせる大砲のデモ展示が目立ちます。
旧市街に近づく船を横から攻撃できる絶好の位置。 -
その大砲の中に詰めたであろう巨大な石も置いてありました。
しかしこんな巨大な石、筒の中に入るんかなw -
要塞の中は特に複雑なものはないので、景色と雰囲気を存分に楽しんで外へ。
と、入口の上に、何やら文章が書かれています。
近づいてよく見てみると... -
その文章の中でも燦然と輝くのが、この「LIBERTAS」の文字。
英語のLIBERTYのもとにもなったこの言葉は、ラテン語で「自由」という意味があります。
そしてこの門に書かれている文章は
「いかなる黄金と引き換えてでも、自由だけは売り渡してはならない」という意味を表しています。
ヴェネツィア、オスマントルコ、イギリスなどといった中世に強力な権力を誇った海洋国家に対して、この極めて小さな国家ラグーサは一貫して独立を保っていました。
その理由のひとつが、この精神。
オスマン帝国にも抵抗することなく上納金をおさめて自治を確保するなど、何よりも自分たちの主権を第一に考えてきたからこそ、群雄割拠の時代の中を長期間にわたって行き抜けられたんですね。 -
そんなドブロヴニクの人々の精神を改めて目にしたので、再び街に入って彼らの生き様を見ることにしました。
このモディリアーニの絵のように首の長いおっさん(笑)は、ドブロヴニクの守護聖人である聖ヴラホ。
大通りの一番海側にある教会にもその名が残っていますね。
中世ヨーロッパの街の守護聖人らしく、街を左手に抱えています。ピレ門 史跡・遺跡
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ピレ門をくぐる手前に、よく見るとこのウッドデッキみたいな場所があります。
これは、中世からの街並みでは非常によく見られる「夜になると門を閉じて守りを固める」という習慣の名残です。
この跳ね橋を引き上げて入口を閉ざす形ですね。
なるほど、この橋の周囲は少しくぼんでいて、馬などが簡単にアプローチできないようになっています。Pedestrian Bridge 建造物
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そのピレ門を入ったすぐの所にあるのが、朝にもちらっと見た「オノフリオの大噴水」。
噴水といっても派手に水が上に向かって噴き出すアレではなく、周囲の口から出てくる水をすくって利用する事が出来る、ドブロヴニクの水がめ的な存在です。
海に近いものの山からの川の流れが乏しいこの地域は、昔から本当に水の確保には苦労してきたそうです。
15世紀になって10キロ以上も離れた水源からひいたこの噴水が出来た時には、本当に便利になってみんな激しく喜んだらしいですが。
ちなみに「大噴水」と呼ばれていますが、これは街の東側に「オノフリオの小噴水」があるための呼び名。
その名前は、15世紀にこの噴水を作ったナポリの水道技師オノフリオ・デッラ・カヴァにちなんでいます。
なるほど名前がイタリア系ですね。
ヴィンセント・ドノフリオもそっち方面ですし。オノフリオの大噴水 広場・公園
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大噴水の水をすくって、日焼けしてひりつく顔を洗ってから、プラッツァ通りへと入ります。
既にもう、休日の渋谷くらいの賑わいになってます。
世界各国から集まった人々が口々に違う言葉を喋りながら、同じ方向へと進んでいくという図はなかなか壮観。 -
プラッツァ通りの入口近く、ピレ門を背にして左側にあるこの目立つ尖塔。
こちらが「聖フランシスコ教会」です。
13世紀初頭に、旧市街の城壁の外に建てられた教会が前身。
14世紀の初めごろに内部に移設され、100年近くもの年月をかけて現在の姿に近いものになり、その後も何度か修復が加えられているそうです。 -
こちらが、入口をくぐった中庭に広がる修道院。
14世紀半ばに造られていて、ロマネスク様式のアーチが印象的です。
ドブロヴニクも地震の多い場所であり、17世紀半ばの大地震では大半が崩壊したそうです。フランシスコ会修道院 寺院・教会
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その建物の中にあるこちらのお店は、薬局。
何とこの薬局、教会が城壁内に移設された1317年から営業を続けているんです!
※その後エストニアのタリンに行った時に、15世紀初頭から営業しているという「ヨーロッパで一番古い薬局」というのを見たんですが、この一番古いとかはどういう基準なんでしょうかね。
あるいはドブロヴニクがヨーロッパに含まれていないのかもしれませんが(笑)。
建物は古いですが、設備はそこそこ近代的になっていて、もちろん普通の薬局として十分機能しています。
とはいえ特に買うものはないので(笑)、冷やかしのみ。マラ ブラーチャ薬局 専門店
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世界各国の著名人の来訪の記録がありました。
日本代表は紀宮さま。
真ん中下のあたりですね。マラ ブラーチャ薬局 専門店
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20世紀になって改装する前はこんな感じだったそうです。
怪しげな瓶が並んでいるという、典型的な中世の薬屋のイメージ。マラ ブラーチャ薬局 専門店
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中世の空気を味わってから、再びプラッツァ通りへと戻ります。
この通り、もともとは現在の旧市街の中心部がある島と、教会のある大陸側とにはさまれた運河でした。
周囲が山がちで住みやすい場所が少ないところに、街の発展に伴った人口爆発があり、結局ここは埋め立てられてしまったそうです。
もともと水があった場所で水はけがあまり良くなかったためか、路面にはわずかにかまぼこ状の隆起があり、またサイドには水が流れやすくなるような溝が設けられています。
溝、この程度で足りるのかな...プラッツァ通り 旧市街・古い町並み
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だって、このように山側は急傾斜になっているので、いったん雨が降ったら全部プラッツァ通り目がけて流れていきそうですしね。
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脇道にそれたりしながらプラッツァ通りを東側へ進むと、港の手前で道が折れるとともに広場が姿を現しました。
こちらが街の中心「ルジャ広場」。
奥に見えているのは、街の守護聖人をまつった「聖ヴラホ教会」です。ルジャ広場 広場・公園
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その手前で勇ましく剣を構えているこの像。
こちらは「ローラント像」。
フランスの叙事詩「ローランの歌」に登場するこの伝説の騎士。
中世のフランスやドイツや中央ヨーロッパでは、ブレーメンに代表されるように各地にこのような像があります。
手に勇ましく持っている聖剣は「デュランダル」。
なんか短距離でキレを発揮しそうですね(笑)。
ドブロヴニク、かつてのラグーサだった時代から街の中心はここであり、重要な決定や布告は必ずここで行なわれたそうです。オーランドの像 モニュメント・記念碑
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この像、単なる街のシンボルにとどまらず、ドブロヴニクという交易国家にとってなくてはならない存在になっていました。
それを示す痕跡が、像の台座の所に記されています。
手前の石の断面に沿うように、薄い線が引かれているのがわかりますでしょうか。
交易が盛んだったラグーサの国では、貿易をよりシステマティックに行なうために、当時はあいまいだった「ものの大きさの単位」を決めていました。
それをしっかり定義することで、どんぶり勘定で損をしたりしないようにするためのものです。
その、大きさの単位として用いられていたのが、このローラント像の「ひじから手までの長さ」。
約50センチあまりだそうですが、この長さは「ドブロヴニクの肘」と呼ばれて交易の際に実際に非常によく使われていたそうです。
さすが商売人。こういうのを考えるのには本当に長けていますねー。オーランドの像 モニュメント・記念碑
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こちらは聖ヴラホ教会の内部。
小ぢんまりとした教会で、特に派手さのない静かな場所です。
外の賑やかさに若干疲れていた身には、この静寂は思いのほか癒しになりますね。聖ヴラホ教会 寺院・教会
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こうしてドブロヴニクの中心部を巡っていく中でちらほらと目に入ってくるのが、このような看板。
ここまでにもたびたび触れてきましたが、このドブロヴニクは1991年からのクロアチア紛争で、激しい戦闘の舞台となりました。
セルビア人勢力を中心とするユーゴスラビア人民軍に数か月にわたって包囲され、街を望むスルジ山からの絶え間ない砲撃にさらされ、街は大きな被害をうけて修復に10年近くの期間を要することになりました。
この地図は、その砲撃で街にどれほどの被害が出たかを示しています。
赤いマークは全壊、黄色いマークは半壊。
こうしてみると、それほど大したことないんじゃないの?と思ってしまいますが...スポンザ宮殿 城・宮殿
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こちらが、8枚目の写真に写っている城壁のあたり。
巡った限りではそのような痕跡は全く見当たりませんでしたが、これでは観光どころではないですね。スポンザ宮殿 城・宮殿
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こちらはプラッツァ通り。
人っ子ひとり見当たりません。
大戦後のドイツすら連想させるような荒廃ぶりです。スポンザ宮殿 城・宮殿
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オノフリオの大噴水も、水が止められ、その姿をとどめておくのに精一杯という感じ。
スポンザ宮殿 城・宮殿
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そして、先ほど見た聖ヴラホ教会と、その前のローラント像。
像に至っては、木で覆われて破壊されないようにしておくことくらいしかできていません。
これを見るとむしろ「よく残っていてくれたな」という感謝にも似た感情のほうが強くなります。
来る前も内戦のことは知ってはいましたが、ここまでドブロヴニクが瀕死の状態であることは知らず、現在の姿と比較することで改めて強く驚かされました。スポンザ宮殿 城・宮殿
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これらの写真は、ルジャ広場に面した小さな無料の展示スペースで見ることかできますが、そこには内戦で命を落とした青年たちの写真もあわせて飾られていました。
この青年は、私と同じ年の生まれ。
私が怠惰な学生生活を送っているころ、彼は銃を手に取り、そして物言わぬ存在になってしまいました。
世が世なら、この街ですれ違い、もしかしたら知り合いにさえなっていたかもしれないですね。スポンザ宮殿 城・宮殿
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ここまで歩いたところで、街の教会から鐘が鳴り響き、午後がやって来たことを知ります。
朝にたくさん食べましたが、精力的に動いたことで腹の虫がかなり強く次のエサを要求してきたので(笑)、ここでランチタイムに。
新しいレストランを開拓してもよかったのですが、昨日隣で食べていた人の注文した料理があまりに気になっていたので、「ラグーサ2」に16時間ぶりの再訪。
その、ずっと脳裏から離れなかった「ムール貝のワイン蒸し」の山盛りと、この日運転がないのをいいことに昼から頼んだワインで、十二分に心と腹を満たしました。
日本でもあれば頼んでしまい、そしてオランダに行ったときにはバケツ丸ごとエンドレスで食べていたほどの無類のムール貝好きの私にとって、このアドリア海沿岸は本当に天国のような場所ですwラグーサ 2 地元の料理
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ムール貝を食べきったら何かパスタでも、と思っていたのですが、ムール貝とパン(底にたまったスープを吸わせて食べるとこれまた絶品)だけで十分にお腹が膨れたので、そのまま街歩きへと戻ります。
ルジャ広場のすぐ南側にあるこの横に長い建物。
これは「スポンザ宮殿」といいます。
一見するとヴェネツィアのドゥカーレ宮殿の正面を連想しますね。やはり文化が近いので似る部分も多いのかな。
16世紀に建造され、聖フランシスコ教会のところでも触れた地震も乗り切り、長らく街の経済を支える施設として利用されてきました。スポンザ宮殿 城・宮殿
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交易国家だったラグーサの根幹である「税関」、そして財政をつかさどる施設がここに置かれ、交易での収益の管理を一手に担っていました。
その後、交易が下火になってくるとここは知識人が集うサロンに。
そもそも共和国だったラグーサには王様は存在していなかったので、「宮殿」という名はついていますが至って実務的なもので、想像していたほどの煌びやかさはありません。スポンザ宮殿 城・宮殿
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「スポンザ」という名前は「スポンジ」にも通じますが、給水施設がつくられていたことからだそう。
てっきり税金をスポンジの如く吸い取るからそう呼ばれてるんだと思ってましたが(笑)。スポンザ宮殿 城・宮殿
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宮殿を出て、青空市場が広がるグンドゥリッチ広場を抜け、街の南側へと向かいます。
グンドゥリッチ スクエア 広場・公園
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登る気力を萎えさせるような急な階段を登り切ったところにあるバロック様式の「聖イグナチオ教会」。
ルジャ広場のあたりは人でぎっしりですが、ちょっと奥のほうにあるこの教会のあたりまでくると、人もまばらになります。
人の波に疲れたので、この教会の静寂の中で少し座って目をつぶり、心を休めました。聖イグナチオ教会 寺院・教会
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時間は14時。
午前中の抜けるような青空が消え、徐々に曇りがちになってきました。
歩いている分には嬉しいのですが、その分歩きすぎてかなり疲れて来ていたので、この辺から観光もやや惰性になります(笑)。
やや涼しくなってきたので、海の風に当たりたくなって港エリアへ。 -
ちょうど、ロクルム島からのフェリーが到着したばかりのタイミングで、街に入り込んでくる人の波が続いていました。
着ているものは違っていても、昔はこんな感じだったんだろうなあ。旧港 旧市街・古い町並み
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ドブロヴニクは地中海を巡る豪華客船のクルーズでも定番の立ち寄り地点になっています。
なので、ちょっと視線を海の先に向けると、こんな風に巨大な客船が碇をおろしてたたずんでいるのが見えます。
午前中に街に着き、ここから小型のボートに乗り換えて街へと入り、そして夕方には再び船に戻ってクルーズを続ける...
一度でいいからそんな優雅な旅をしてみたいもんです。 -
まだまだ行っていないエリアもたくさんありましたが、だいたい主だった観光ポイントを巡れたことと、疲労がピークに達して足が動かなくなってきた事もあったので、いったんホテルへと戻って休養を選択。
こちらはピレ門のすぐ脇にあるバス停ですが、ここにも前の写真で紹介した「リベルタス」の文字がありますね。
市営バスの名前になるくらいに、ドブロヴニクの人に今なお愛され尊重されている言葉であることがわかります。Brsalje Street 散歩・街歩き
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宿に戻って2時間ほど仮眠し、18時過ぎに再び旧市街へと繰り出しました。
この時間になると街にはしとしとと雨が降り注ぎ、傘を持っていなかったこともあってまずは傘屋を探し、手ごろな折り畳み傘を手に入れます。
※しかし、ここで買った傘はほんの2か月後、海外での2回目の使用の際にあえなく骨が折れて使えなくなりました。
やっぱりこういう製品の耐久度は日本のものが一番(笑)。 -
晩御飯は、事前に調べていたトリップアドバイザーで(当時)ドブロヴニクの1位に君臨していた「oliva」というピッツェリアへ。
(最新ので調べるとだいぶ下がってるなあ。何があったんだろう)
いろいろ食べてみたかったのですが、1人だとこの巨大なピザ1枚を平らげるだけで精いっぱい(笑)。
でも、久しく味わったことのないもっちもちの生地で、大いに満足。 -
そして、さすがイタリアが近いこともあり、コーヒーが行程を進めるにつれてどんどん美味しくなっていきます。
これはこの後が楽しみ! -
雨雲がやってきたので、街は一気に暗くなってきました。
天気もあって人通りも激減し、街歩きという意味では快適です。 -
狭い路地にはこんな風に色とりどりのランプが設置されていて、暗くなると途端にムーディーになります。
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沖合いに見えていた豪華客船も消えています。
人がいなくなると、街は全く違った姿になりますね。 -
スルジ山もかろうじて見えている状態。
今日はさすがに登ってる人はいないだろうなあ... -
雨が強くなってきたので、ルジャ広場に面したアーチの下で雨宿りしていたら、誰も歩いていない通りの向こうからこんな2人がやってきました。
どうやら、聖ヴラホ教会での結婚式のあと、そのまま広場でセレモニーをやる予定だったようです。
突然の大雨で、特に花嫁さんは歩きにくそう。オノフリオの小噴水 モニュメント・記念碑
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列席者でごった返すアーチの下に2人が到着し、著しく高い人口密度の中で2人への祝福が続いていきます。
何となく私も拍手していました(笑)。オノフリオの小噴水 モニュメント・記念碑
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朝の快晴が嘘のような激しい天気変化でしたが、今日一日でドブロヴニクの魅力はほとんどすべて体感することが出来ました。
よく頑張った自分!
明日はホテルに荷物を置いたまま、隣国モンテネグロまでの日帰り旅行...なのですが、この雨は明日に向けてさらに激しくなるという予報が気になります。
果たしてちゃんとたどり着けるのか?
そしてまともな観光は出来るのか?
(9日目へ続く)ルジャ広場 広場・公園
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ホテル ベルビュー ドブロクニク
3.38
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