2011/04/23 - 2011/05/09
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mikoyan358さん
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2011年、旧ユーゴスラビアを構成するスロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロの5か国を、レンタカーで旅しました。
前年にドイツ・オーストリア・チェコをレンタカーで巡って自信がついていたという状況でしたが、それでも
「そもそも外国人が車で飛び込んで大丈夫な場所なんだろうか?」
という一抹の不安も感じながら、車と宿の予約だけしてとりあえず飛び込んだ国々(笑)。
2000年前から続く悠久の歴史あり、世界にもまれなほどの奇勝地あり、そしていまだ残る内戦の爪あとあり...
危険を感じることもなく、かつてのユーゴスラビアという国が持つ魅力そして負の歴史を、肌で感じることができた旅でした。
もう5年前の出来事ですので多少状況も変わっている可能性がありますが、でもレンタカーでこの辺に行こうと思っているけど情報が少ないし、本当に大丈夫なのかな?とお考えの方に、少しでも参考になればと思っています。
1日目 4月23日(土) 成田⇒ミュンヘン→リュブリャナ
2日目 4月24日(日) リュブリャナ⇒ザグレブ
3日目 4月25日(月) ザグレブ⇒ベオグラード
4日目 4月26日(火) ベオグラード⇒モクラ・ゴラ⇒ヴィシェグラード
5日目 4月27日(水) ヴィシェグラード⇒サラエヴォ
6日目 4月28日(木) サラエヴォ
7日目 4月29日(金) サラエヴォ⇒モスタル⇒ドブロヴニク
8日目 4月30日(土) ドブロヴニク
9日目 5月1日(日) ドブロヴニク⇒コトル⇒ドブロヴニク
10日目 5月2日(月) ドブロヴニク⇒スプリト
11日目 5月3日(火) スプリト⇒トロギール⇒シベニク⇒プリトヴィツェ
12日目 5月4日(水) プリトヴィツェ⇒リエカ⇒プーラ⇒ポレチュ
13日目 5月5日(木) ポレチュ⇒ヴェネツィア⇒ポレチュ
14日目 5月6日(金) ポレチュ⇒ポストイナ⇒シュコツィアン⇒ブレッド湖
15日目 5月7日(土) ブレッド湖⇒クラニスカ・ゴラ⇒リュブリャナ
16日目 5月8日(日) リュブリャナ⇒ミュンヘン⇒(機中泊)
17日目 5月9日(月) ⇒成田
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旅行7日目。
今回は2週間以上の長い行程なので、まだまだ旅路も先は長く贅沢な時間が続きます。
ここまでの6日間、毎日何百キロか車で移動し、昨日は運転はしなかったものの結局3万歩以上歩いたため、疲労もピークを迎えていました。
とはいえゆっくり休む日程も設けてはいなかったので、後は頑張るしかありません(笑)。
そんな疲れた身には、このペンションの朝食が本当に力になりました。
種類はそれほど多くはありませんが、特に果物が驚くほど新鮮。
一番手前にあるヘルツェゴビナ産のイチゴが何より絶品で、胃の内容物の何割かがイチゴになるくらいドカ食い(笑)。Hotel Villa Harmony - Free Parking ホテル
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あまりに食べすぎたので、少しだけ出発を遅らせて部屋で食休み。
と、つけたテレビから唐突にJリーグの映像が流れてきました。
セレッソvsアルビレックスというこんな渋い組み合わせをヨーロッパでも中継してるのか...Hotel Villa Harmony - Free Parking ホテル
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いろいろとお世話になったペンションのオーナーに別れを告げ、建物のすぐ前の目がかかるところに囲われて安心して駐車できた車を2日ぶりに引っ張り出し、サラエヴォの中心街を最後に一瞥してから次の街を目指します。
一方通行に沿って走るので、まずはいったん目的地とは逆の左側へ。
ここは昨日行ったサラエヴォ事件の現場ですね。 -
ミリヤツカ川沿いに走り、国立図書館からバシュチャルシャの脇を通り、旧市街を横に見ながら今度は西へと進みます。
路面電車が入り込んできて流れが一気に混とんとしてきました。
そういえば、ここでナンバープレートに関して説明しておきましょう。 -
こちらは、今回訪れた5か国のうち、ボスニア以外の4か国で撮影したもの。
ヨーロッパ各国のフォーマットに沿ったものとそうでないものとが混在してはいますが、どれも基本的に同じスタイル。
真ん中の国のエンブレムを挟んだ右側が車の固有番号、そして左側には発行された地名の頭文字が付けられています。
左上から、リュブリャナ、ポストイナ(ここまでスロベニア)、ベオグラード(セルビア)、コトル(モンテネグロ)、ザグレブ、ドブロヴニク、スプリト、プーラ(この4つがクロアチア)。 -
一報、こちらがボスニア・ヘルツェゴビナを走る車のナンバープレート。
一見するとそんなに違いはないように見えますが、上の4か国と明らかに違う点がひとつ。
それは「地名を表す符号が入っていない」ということです。
これ、なぜだと思いますか?
事前にその話を聞いて注意深くナンバーを観察し、そしてなるほどなあと思ったのですが、この地名が入っていない理由は「ナンバープレートによる出自を明らかにしないようにする」ためなんです。
凄惨な内戦を経て、民族が分断しいまだに憎しみが解けたとは言い難いこの国。
ナンバープレートを見れば、中にはその車が「自分たちのテリトリーではない場所から来た」ことが一目瞭然な場合もあります。
そんな状態を作り出し、ドライバーをいたずらに危険にさらすことのないよう、このような地名を入れないナンバリングがなされているのだそうです。
目立たないところに、民族紛争の爪あとがしっかりと残っていました。 -
走り去る車のそんなナンバーを眺めつつ、サラエヴォの最後のハイライトとなる景色を楽しみます。
何度も通ったホリデイ・インとスナイパー通り。
次にサラエヴォに来る時には、この辺はどういう景色になっているでしょうか。 -
この日は、この標識にも書かれている南部の世界遺産のある街「モスタル」を経由し、最終的には国境を越えてクロアチアのドブロヴニクまで行く長丁場。
果たして明るいうちに着けるのか?? -
たまにこうした奇抜なビルが顔を表すのですが、あとで家に戻ってからいろいろと画像や映像を調べたら、例外なくこうした建物のかつての無残な姿が見えてくるんですよね...
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真っすぐ行くとモスタルそしてドブロヴニク。
クロアチアを表す「HR」の文字に心が躍ります。
そして、左に曲がると「ビイェラシュニツァ山」方面へ。
この山のふもとあたりが、サラエヴォ五輪のジャンプ・アルペンなどの会場があったところです。
もう1日あれば寄りたいところでしたが...
(寄っても見学できるかどうか保証がなかったので、この時は諦めました) -
空港を過ぎると、市街地は去りこうした山がちでのどかな風景が戻ってくるようになります。
この日は遅い車も少なくて、ドライブも快適でした。 -
カーナビによれば、モスタルまでは3時間ほどの道のり。
しかし道中はすいているので、ぐんぐん到着予想が短くなっていきます。
これは、モスタルにだいぶ近づいた「Jablanica」という街を通り過ぎたところ。
当時は知る由もありませんでしたが、このJablanicaという街は現サッカー日本代表監督、ヴァヒド・ハリルホジッチの生まれ育った場所でもあります。
この旅、結果的には日本サッカーと縁の深い行程ですね(笑)。 -
サラエヴォからモスタルまでの行程は、途中から「ネレトヴァ川」に沿ったルートになります。
サラエヴォの南側に源を発し、モスタルの街の中心を貫き、アドリア海へと注ぐこの川。
このあとモスタルまで、そしてモスタルの先でもずっと右手に雄大な川の姿が見えていました。
このネレトヴァ川、第2次大戦中に枢軸国とチトー率いるユーゴパルチザンとの激しい戦いが行なわれ、それは「ネレトバの戦い」という映画にもなりました。
いちおう現地に行く前に何とか見つけ出して鑑賞しておいたため、(映画自体はそれほど印象には残らなかったですがw)感慨深いものがあります。 -
ネレトヴァ川に沿って走るうちに徐々に標高が下り、そして周囲が賑やかになってきました。
モスタルの街はもうすぐそこです。
事前に話には聞いていましたが、ボスニア・ヘルツェゴビナには日本の支援で導入されたインフラが多いそうです。
なかなかそれまでは目にすることが出来なかったのですが、走ってたらたまたま前に現れてくれてラッキー(笑)。 -
事前に駐車場の場所を調べてカーナビに覚えさせていました。
車はいったん街に入る手前でネレトヴァ川の右岸へと渡り、スターリ・モストの西側、ちょっと離れたところに駐車。
(この界隈には小さいパーキングがいくつかありますし、ダメでも裏道に路駐が可能なので、それほど困ることはないと思いますが)
土産物のマーケットになっている細い路地は、観光客でごった返しています。 -
ネレトヴァ川が見えてくると同時に、モスタルのハイライトであるこちらが見えてきました。
「スターリ・モスト」、英語で言うなら「old bridge」と呼ばれるこの橋。
16世紀半ば、先日訪れたヴィシェグラードのドリナの橋と同じく、当時ここを支配していたオスマン帝国によりここに橋が建設されました。
完成したのはこちらの方が少し早く、1567年という記録が残っていますスターリモスト橋 建造物
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オスマンの偉大なる皇帝スレイマン1世によって命じられたこの橋は16世紀に完成し、長らく建設当時のままでこのモスタルの2つの岸を結んでいました。
しかし、ボスニア紛争がこの街そしてこの橋の運命を大きく変えます。
1992年から始まった紛争で、この街もボシュニャク人勢力とクロアチア人勢力が激しい争いを繰り広げました。
その最中、物流の拠点、そしてボシュニャク人の象徴であるこの橋は狙われ、ついに1993年11月、周辺の街並みもろとも完全に破壊されてしまいます。
橋のたもとには、かつての橋の残骸を使ったものでしょうか、戦争の記憶を留めるモニュメントが置いてありました。 -
紛争が終わった後もこの橋は無残な状態のまま残っていましたが、1998年からユネスコや世界銀行、アガ・カーン財団などの世界的なネットワーク、そしてクロアチア・オランダ、それに(もともとこの橋を作った国でもある)トルコといった国々の援助を得て再建がスタート。
(後ほど紹介しますが)破壊された橋の瓦礫を集めて丹念に組み直すという気の遠くなるような作業を経て、2004年7月についにこの橋は元の姿に戻りました。 -
橋を渡りながら、ネレトヴァ川の下流を望みます。
ある一時期、ここをめがけて雨あられのような砲弾が注がれたんですね。
この光景のどこに、それが現実であったという事を見出せばよいのでしょうか。 -
こちらは上流側、モスタルの古い街並みが栄えている側。
切り立ったところを渡っている橋のため、川面からの高さは20メートル以上もあります。
明確にのぞき込まないと川の様子はよくわかりません。
川の中に橋脚のない、いわゆる「シングルスパン」の橋としては世界で初めて作られたということですが、確かにこの高さは16世紀当時の人々にとっては脅威に感じられたでしょう。 -
橋を渡り終えた先からは、旧市街の街並みが続いていきます。
この橋と旧市街をあわせ、橋が再建された翌年の2005年、一帯がボスニア・ヘルツェゴビナとして初めての世界文化遺産に登録されました。
スターリ・モストが持つ特異な歴史と驚異的な構造、そして内戦を経て復活したという「平和の象徴」としての存在が、登録の決め手となったようです。 -
少し離れて見ると、美しい円形のアーチが際立ちます。
私が訪れたときにはいませんでしたが、もう少し暖かい時期になると橋の真ん中あたりで観光客からお金を集め、川へと飛び込むというパフォーマンスをする猛者がいるそうです。
昔からここでは度胸試しのひとつとして飛び込みが行なわれていて、現代でも(内戦の時期は当然途絶えていましたが)夏には飛び込みの大会が開かれるとか。オールドバザール クユンジュルク 市場
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世界遺産のマークは、それほど苦労することなく見つかりました。
帰国後に見たNHKのドキュメンタリーで、この橋からの飛び込み大会に情熱を燃やすボシュニャク人青年の話が綴られていました。
かつては民族分け隔てなく参加していたその大会も、ここがクロアチア人が主に住む地域となった今、単に飛び込む以上の覚悟が必要になっている...
というのをその番組で見て、改めて内戦の陰がなくなってもしこりが残ったままの民族間の立ち位置の難しさを痛感した次第です。 -
橋に向けた視線を少し右上に上げると、丘の上には大きな十字架が。
ここからの砲撃で、1993年に橋は崩壊しました。
ボスニア紛争は、本来はボシュニャク人とクロアチア人の国家「ボスニア・ヘルツェゴビナ」の建国をよしとしないセルビア人と他の2民族との間の諍いがきっかけでしたが、その流れの中でクロアチア人がヘルツェゴビナ部分だけで独立を宣言したことから、この地域ではボシュニャク人vsクロアチア人の図式も出来上がりました。 -
サラエヴォや東部ではセルビア人と、南部ではクロアチア人と闘わねばならなかったボシュニャク人は当初大変苦戦を強いられた状態。
しかし、セルビアに覇権を握らせたくない(=ロシアの影響力を下げたい)アメリカや西側諸国は、94年ごろから仲介を繰り返してボシュニャク人・クロアチア人の停戦・同盟締結を促し、反セルビア勢力が一本化します。
その後、NATOのセルビア人勢力への空爆などでセルビア側も弱体化し、最終的に1995年のデイトン合意で停戦が実現、内戦は終結しました。
こうして、流れを追っていかないとなかなか理解が難しいような展開が、ボスニア内戦の中にはたくさん潜んでいます。 -
川沿いに旧市街を下ってきたところにあるモスク。
17世紀からの歴史を持つ由緒ある建物です。
川に面していて、敷地内には自由に入れます。
(ミナレットに登るには別料金が必要でしたが、混んでいたのでパス)
このモスクがあるために、周囲の雰囲気がすっかりオスマン的になります(笑)。コスキ メフメド パシャ モスク 寺院・教会
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ですが、よく見ると...
無数の銃撃の跡が克明に残っているのがわかりますでしょうか。コスキ メフメド パシャ モスク 寺院・教会
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モスクから少し歩いてきた建物にも、銃弾だけではなく火災の跡などが至る所に確認できます。
全部壊さずに修復して住もうというその根性。
やはり、何があっても地元であるという事実は変わらない、という事でしょうか。 -
ふと見つけた中国人の店。
私が行った時もそうでしたが、内戦からの復興に際して中国人の流入が非常に多く、現地に溶け込まずにいいところだけ持っていく彼らは現地では猛烈に嫌われていて「中国人と間違えられないように」というアドバイスさえWEBには載っていました。
実際に旅した限りでは、間違えられて不快な思いをしたという事はありませんでしたが...
(むしろ、時期が時期だっただけに日本人というだけで対応が温かくなったりしましたけどね) -
内戦は全く別の星の出来事ではなく、こうして自分も知る遊びを楽しむ人々のもとに起こった事実。
モスタルの街を歩いてそれを噛みしめようとしましたが「破壊された街が元に戻った」という目で見てわかることを体感は出来ても、街に流れる見えない空気のような「戦争の本当の原因」を感じることは、ほとんどといっていいほど出来ませんでした。
まあ、それを感じられる状況であれば旅行など出来ないはずなので致し方ないことなのですが... -
橋へと至る道の脇には、橋や街の歴史、そして内戦の傷跡をうかがい知ることが出来る小さな博物館がありました。
今はこうして観光客でごった返していますが... -
これが破壊された後の橋。
とても修復が可能な状態には見えませんね...スターリ モスト博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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2つ前の写真に写っている川沿いの通りも、かつてはオスマン時代からの風情が残っていましたが、原型を留めない状況になっていました。
これがわずか15年で元通りになっていて、さも「何もなかった」かのようになっていることが、何より驚愕です。スターリ モスト博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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下側の大きな玉ねぎをかぶった(笑)ような人が、ヴィシェグラードのドリナの橋、そしてイスタンブールのモスクなど多数の名建築を残した、オスマン当代一の建築家、ミマール・スィナン。
メフメト2世(左上)やスレイマン大帝(右上)に寵愛され、現在残っているオスマンの建築のほとんどが彼自身もしくはその流れをくむ弟子たちのものといっても過言でない人です。
このモスタルの橋は、このスィナンの弟子であるミマール・ハイルディンという人物により建設されました。スターリ モスト博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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いろいろ謎が多く、彼に関する記述はあまり多く残っていません。
こちらはその数少ない生き残り?である、橋の完成を伝える書簡。
彼は「これまで見たこともないような橋を作れ、さもなくば命はない」という皇帝からの無茶ぶりの恐怖に耐えながら、現代にまで残る名作を完成させました。スターリ モスト博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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こちらは、昔のつり橋から木の橋、そして石の橋への変遷のようす。
当時の技術でいったいどうやってこの難工事を成し遂げたのか、詳細な部分は現在でもよくわかっていません。スターリ モスト博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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19世紀末ごろの橋付近の様子です。
人々がかぶっている帽子が、まだオスマン文化が色濃く残っていることを示していますね。スターリ モスト博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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細かいことはようわからんですが、きれいに計算された構造ということのようです(笑)。
スターリ モスト博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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博物館は橋の脇にある塔の階下にあるのですが、ここではかつての土台などを目にすることが出来ます。
ずっと長い期間このままの状態だったようで、まるで鍾乳洞のように石筍のようなものも出来ていました。スターリ モスト博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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橋は破壊され、組まれていた石は粉々になってネレトヴァ川に崩落しました。
まずは、このような石を集めるところから、この大規模な復興プロジェクトはスタート。
こちらは実際に16世紀の橋に使われていた部分だそうです。スターリ モスト博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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橋の復興にあたって何より重視されたのが「もともとあった通りの素材を使い、昔通りの姿に戻すこと」でした。
そのため、川に落ちた石は一つずつ丁寧に拾い上げられ、ナンバリング。
その形などからもともとあった場所を類推し一つずつあてはめていく、という、ドレスデンのフラウエン教会でも見たような「壮大な立体パズル」に、長い時間が費やされました。スターリ モスト博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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基礎となる石組みがこのように作られたところに、
スターリ モスト博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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場所が判明した石が、順番に配置されていきます。
スターリ モスト博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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当然ながら、一度破壊された石組みは断面が削れていたり、細かく破壊されて行方不明になったりして「ピースが足りない」部分が発生していきます。
そこには、その足りない形にぴったり合わせる形で新しい石を配置していきました。
結果「オリジナルのものを完全復活させた」と言って差し支えない、新しくて古い橋が出来上がったんですね。
この途方もない計画を実現させた根性と執念に、頭が下がります。スターリ モスト博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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2時間ほど、ゆっくりとスターリ・モスト周辺を巡り、モスタルの主だった場所の観光は終了。
スターリ・モストに近い、ネレトヴァ川を望むカフェに入り、こちらのチェバブチチ(串で焼いた肉団子的なやつ)のワイルドな風味を堪能します。 -
時間は15時。
ここからは一気に国境を越え、ドブロヴニクまで走りきります。
こういう「大ざっぱな道路標示」を見ると、レンタカー走行マニアとしては血沸き肉躍ります(笑)。 -
...その看板から少しだけ視線を下ろすと、ここにも「忘れるな」という感じで内戦の爪あとが残る建物が見えてきます。
ここまで銃弾の跡が多い建物は、この国に入ってから見た中でも初めてでしたね。 -
モスタルを後にして、再びネレトヴァ川の流れに沿って南下します。
ドブロヴニクまでは順調にいくと3時間ほど。
今日は天気もよさそうだし、夕方の街並みを見たいところですが間に合うかどうか微妙なので、ついついアクセルを踏み込んでしまいます(笑)。 -
モスタルから国境までは40キロほどと、案外近く。
順調に行ったおかげで30分ちょっとで到着しました。 -
こちらが、ボスニア・ヘルツェゴビナ出国の車の列。
国境は例によって撮影禁止のため、かなり遠くからのアングルで申し訳ありません(笑)。
ここで10分くらい待ちましたかね。
台数が多いだけで、手続き自体は簡単なものでした。
いろいろ苦労して取ったトランジットビザも、結局のところは一瞥されただけで終了。
何事もなくて本当に良かった。。 -
振り返ると「ようこそヘルツェゴビナへ」の看板が。
モスタル(とこの後ちょっと寄るネウム)以外は通り抜けただけでしたが、山がちで静かな自然が印象的な場所でした。 -
クロアチアへ入ってからも10分ほどネレトヴァ川に沿って走り、海にだいぶ近づいたところで左折。
クロアチアの海岸線を走る幹線道路、国道8号線を南東方向へと向かいます。 -
ほどなく見えてきた、澄み渡るようなアドリア海。
個人的にも初アドリア海で興奮気味になり、いっそうアクセルが深く踏み込まれますw
この景色を見ながらのドライブは最高でした! -
8号線に入ってアドリア海が見えてきてほんの数分。
この、アドリア海に向けてまっすぐ突っ込むような坂を一気に下ったところに、大きな街が見えてきます。 -
と、その手前にこのようなゲートが見えてきました。
このゲートは、クロアチアの出国審査のゲートです。
「え、さっき国境超えたんじゃ?」と思われるかもしれませんが...
この写真の位置情報の地図を開いてもらえればよくわかりますが、海岸線に沿って伸びるクロアチアの領土に、ほんのわずかだけボスニア・ヘルツェゴビナが飛び出しています。
この出っ張りがあることで、すっかり内陸国のイメージしかないボスニア・ヘルツェゴビナは海岸線を持っています。
また、ここで区切られたドブロヴニクのある地域は、クロアチアの飛び地ということにもなりますね。 -
簡単なチェックを終えて、およそ30分ぶり(笑)にボスニア・ヘルツェゴビナに再上陸。
と言っても交通ルールは特に変わらず、普通にすっ飛ばすだけですw -
見えてきたこちらの風光明媚な街は「ネウム」といいます。
(立地的にも当然ですが)ボスニア・ヘルツェゴビナきってのリゾート地。
特にこの街に見るべき場所はないので、この景色だけ堪能してまた先を急ぎます。 -
なんでこのようなややこしい国境になっているのか。
これは、かつてのこの地域の勢力争いの産物なんです。
かつてこの辺は、現在のドブロヴニク、当時は「ラグーサ」と呼ばれていた共和国がこの地域から南東側を、そして北西側をヴェネツィア共和国が支配していました。
ともに海洋国家で交易の覇権を争っていた両国。
直接的なライバルでもあり、争いが絶えないある意味犬猿の仲だったようです。
そんなところに、陸側を通ってやってきたのがオスマン帝国。
ラグーサ共和国は、オスマンに恭順を誓い税金を納めることによりその庇護下に入り、自治を保っていました。
ここで一計を案じたラグーサ。
ちょうどこのネウム周辺の地域を、あっさりとオスマン帝国に献上します。
領土を譲り渡すという一見「何の意味が?」という行為ですが、争いの絶えなかったヴェネツィアと直接国境を接しないようにすることで争いを防ぐという、ある意味「緩衝材」的な位置づけがあったそうです。
その後、支配する国は様々に変化しましたがこの地域の図式は変わらず、結果としてここだけがボスニア・ヘルツェゴビナの海への回廊として残りました。ネウム 散歩・街歩き
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写真ストップも込みで15分、そんな歴史などを噛みしめている暇もないほどあっという間にこの回廊を通り抜け、再びクロアチアへと入ります。
ここはまた数日後に通り抜けます。
ちなみに、国境審査は両側ともかなり簡単なもので、先日ボスニア入国時に要求されたトランジットビザもここでは必要ありません。
なぜかというと、ひとつはあまりにその距離が短いという事。
そしてもう一つは、スプリトとドブロヴニクという2大観光地を結んでいて、かつ沖合にクロアチア領の島もたくさんあるこの地域、いざボスニア側が検問を厳しくしてしまうとクロアチア側が島伝いに橋をかけてこの地域をう回してしまう(それはボスニア側にとっては観光客減少という困った状態になる)ため、厳しくしたくてもできない、という事情があるからです。 -
再度のクロアチア入国後、ドブロヴニクまでは1時間弱。
気持ちの良いアドリア海との並走も続き、気が付いたらついつい速度が100キロを超えてたりします(笑)。
とはいっても、気が付くとこんな風に事故で渋滞も発生。
通り抜ける時に事故現場が見えましたが、けっこう血が見えたのでかなり深刻な事故のようでした。。。 -
ネズミ捕りがいたら一発でアウトになりそうな快走(笑)を楽しみ、モスタルから2時間半、17時半ごろにようやくこちらの橋へ到着。
その名も「トゥジマン・ブリッジ」。
ユーゴ崩壊の二の矢となるクロアチア独立を宣言、その後セルビア勢力との内戦でも強硬な姿勢を崩さず、(国外から見れば賛否両論ありますが)その強力な指導力と外交力でクロアチアという国の成立に大きく寄与した初代大統領、フラニョ・トゥジマンの名前が付けられています。
ここを渡ると、行政区分的にもいよいよ「ドブロヴニク市」へと入ります!Franjo Tudman Bridge 建造物
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海沿いの細長い街の高台を走る国道から分岐し、市街地へ。
カーナビに従い、こんなトンネルをくぐったすぐ先には、もうドブロヴニクの中心街がありました。 -
ドブロヴニクの宿に選んだのは「ホテル・ベルビュー」。
ドブロヴニクには、旧市街にいくつか、そして旧市街から数キロ離れた半島の先のほうに豪華ホテルが固まっている、という状況で、旧市街の観光に歩いて行ける範囲のホテルが意外と少ないんです。
そんな中、豪華でアドリア海の眺望もよく、そしてぎりぎり徒歩圏内にあるのがこのホテル。
これまでの行程の宿に比べると格段に高い5つ星ホテルですが、この宿がドブロヴニク観光を成功に導くキーポイントと考えていたので、躊躇なく予約しました。
斜面にへばりつくように作られたホテルは、どの部屋からもアドリア海が見渡せます。
私が入った部屋もおしゃれで、バルコニーこそありませんが窓からは素晴らしい景色と海風を楽しむことが出来ます。ホテル ベルビュー ドブロクニク ホテル
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部屋で疲れを癒していたら時計はもう18時過ぎ。
車は宿の駐車場に入れて明後日までは乗らないつもりでいたので、ひとまずバスに乗って旧市街方面へと繰り出しました。
日もだいぶ傾きかけていたので、旧市街の散策はあとにまわし、まずはこちらのケーブルカーの乗り場を一直線に目指します。
このケーブルカーは、旧市街の裏手にある「スルジ山」の山頂を目指すものです。
昔から旧市街を見晴らせる絶景ポイントとして人気のあったこの山。
私がいく数か月前にこのロープウェイが完成し、だいぶ楽に登れるようになりました。
すいていたので苦も無く海側の座席をゲットできました。
その時の、少しずつ変わっていく景色を、ぜひこちらでご堪能ください。
https://youtu.be/thc510B4Ykwドブロブニク ケーブルカー その他の交通機関
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そして、頂上からの旧市街の絶景!
なんか、このまま両手にすくって持って帰りたくなるような感じですね。
一気に標高400メートルの山頂まで来たので、やや寒いくらい。
でも途中すっ飛ばしたおかげで、夕暮れの絶妙なタイミングに間に合わせることが出来ました。
じっと見ていると、街なかを人々がうごめいているのがよくわかります。
だいぶ時間は遅くなってきましたが、まだまだ人が帰る気配はありません。スルジ山 山・渓谷
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このケーブルカー、私が渡航する数か月前に完成したという話をしましたが、実はその前からも存在していました。
こちらは、1969年に建設された初代ケーブルカーのかつての姿。スルジ山 山・渓谷
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しかし、ここにも内戦の嵐は襲ってきました。
(翌日の日記でも詳しく触れますが)ドブロヴニク旧市街すら主戦場となったクロアチア内戦において、ここはクロアチア人とセルビア人の激しい争いの火中に置かれ、ケーブルカーの施設もかなりひどく破壊されたという過去があります。
ほんの20年程度昔の話。スルジ山 山・渓谷
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砲撃を受けて完全に朽ち果てた建物、斜面に落下したケーブルカー...
再建されるまでには15年近くの年月を要しました。
まず、街の再建、何よりも住んでいる人々が生活を取り戻すことのほうが先だったんですね。スルジ山 山・渓谷
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麓からもよく見えていた十字架。
一説にはナポレオンが寄進したという十字架が。
なんとなく眉唾に聞こえますが(笑)、かつてのラグーサ共和国を滅ぼしたのは他ならぬナポレオンですから疑う必要はなさそうです。スルジ山 山・渓谷
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2代目ケーブルは、まるでもう10年も20年もそこにあるかのように、何気なくそしてしっかりと張られています。
その姿の向こうに見えるのは、ロクルム島。
かつてハプスブルク家の別荘が置かれ、今でも植物園が残っているんだとか。スルジ山 山・渓谷
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頂上にはテレビ用のアンテナなどもあります。
基本的には新しく整備された建物ばかりですが、このように一部には内戦の名残りを感じられるものも。スルジ山 山・渓谷
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ドブロヴニクの近辺は、海岸沿いに2〜3キロの幅でクロアチア領が伸びています。
なので、頂上から見た反対側、この山の向こう側はもうボスニア・ヘルツェゴビナの大地になりますね。パノラマ 地元の料理
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30分ほど頂上で待っていると、日の入りの素晴らしい色彩が周囲を覆ってきました。
この旅行で初めて見る、絶景の日没!
この景色と、アドリア海から吹き上げてくる優しい風。
すっかり魔法にかかり、しばしその場にくぎ付けになりました。スルジ山 山・渓谷
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時計を見たらもう20時近く。
いつもそうですが、サマータイムのヨーロッパは本当に夜になるのが遅いですね。
けっこう混んでいる下りの便に滑り込んで、あの目の前に見えている旧市街へと飛び込むことにしました。ドブロブニク ケーブルカー その他の交通機関
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旧市街の北側のケーブルカー乗り場から、そのまま北門にあたるブジェ門を通り「裏側」から旧市街の城壁内へと入りました。
旧市街は上から見ると真っ平らに見えますが、北側3分の1くらいのところはずっと斜面になっていて、こんな路地があみだくじのように何本も走っています。 -
その中の一本で足を止め、路地にはみ出して並べられているテーブルにつきました。
この旅行では、クロアチア北部やセルビアではスラブ系の料理、ボスニアではトルコ系が中心の肉料理が続いていました。
アドリア海沿岸に来たからにはシーフードを食べたい!
そんな思いから選んだのが、こちらの「ラグーサ2」というレストランでした。
路地にそのまま腰かける感じのこの雰囲気が最高。
唯一気になるのは「モヤさま2」的なその名前くらいですが。ラグーサ 2 地元の料理
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ワインに、シーフードのスープとシーフードパスタを堪能。
パスタはちょっとだけゆで過ぎ感がありましたが、まあ海外に行くとアルデンテ過ぎるかゆで過ぎかどっちかですからね(笑)。
それよりも、隣のテーブルの人が食べていたムール貝の山盛りにすっかり目を奪われてしまいました。
明日また食べに来よう(笑)。ラグーサ 2 地元の料理
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食べているうちにすっかり真っ暗になりました。
明日じっくり巡る予定ではありますが、ざっくりと街の主だったところを散策して観ます。
こちらは旧市街の一番の目抜き通りである「プラッツァ通り」。
昼間は人手が凄いことになっているはずですが、この時間はかなり閑散としています。プラッツァ通り 旧市街・古い町並み
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そのプラッツァ通りの東の端にあるルジャ広場。
教会などがほのかにライトアップされていて、とても絵になります。ルジャ広場 広場・公園
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土産物屋はほとんど閉まっていますが、こんないかにもな雰囲気の店もあったりして、ふと気が付くと仮面をかぶった人が路地から出てきそうな感じ。
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まばらな人並みをすいすいとすり抜けて、街をひとめぐり。
やはり、ドブロヴニクは拠点となるホテルがかなり遠くにあり、旧市街はごく限られた高級ホテルか安宿かどちらか、という感じなので、この時間は減ってしまうんでしょうね。 -
その場ですいすいと鮮やかに描いていくスプレーアートのパフォーマンスに見入ったりしながら歩いていたら、もう21時近くになっていました。
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最後は西の端のピレ門から出て、遅くまで走っている市営のバスに乗ってホテルまで。
今日も長い一日でした。。
明日は、ドブロヴニクの旧市街を1日でどっぷり堪能する予定です。
(8日目へ続く)ピレ門 史跡・遺跡
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