2011/04/23 - 2011/05/09
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mikoyan358さん
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2011年、旧ユーゴスラビアを構成するスロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロの5か国を、レンタカーで旅しました。
前年にドイツ・オーストリア・チェコをレンタカーで巡って自信がついていたという状況でしたが、それでも
「そもそも外国人が車で飛び込んで大丈夫な場所なんだろうか?」
という一抹の不安も感じながら、車と宿の予約だけしてとりあえず飛び込んだ国々(笑)。
2000年前から続く悠久の歴史あり、世界にもまれなほどの奇勝地あり、そしていまだ残る内戦の爪あとあり...
危険を感じることもなく、かつてのユーゴスラビアという国が持つ魅力そして負の歴史を、肌で感じることができた旅でした。
もう5年前の出来事ですので多少状況も変わっている可能性がありますが、でもレンタカーでこの辺に行こうと思っているけど情報が少ないし、本当に大丈夫なのかな?とお考えの方に、少しでも参考になればと思っています。
1日目 4月23日(土) 成田⇒ミュンヘン→リュブリャナ
2日目 4月24日(日) リュブリャナ⇒ザグレブ
3日目 4月25日(月) ザグレブ⇒ベオグラード
4日目 4月26日(火) ベオグラード⇒モクラ・ゴラ⇒ヴィシェグラード
5日目 4月27日(水) ヴィシェグラード⇒サラエヴォ
6日目 4月28日(木) サラエヴォ
7日目 4月29日(金) サラエヴォ⇒モスタル⇒ドブロヴニク
8日目 4月30日(土) ドブロヴニク
9日目 5月1日(日) ドブロヴニク⇒コトル⇒ドブロヴニク
10日目 5月2日(月) ドブロヴニク⇒スプリト
11日目 5月3日(火) スプリト⇒トロギール⇒シベニク⇒プリトヴィツェ
12日目 5月4日(水) プリトヴィツェ⇒リエカ⇒プーラ⇒ポレチュ
13日目 5月5日(木) ポレチュ⇒ヴェネツィア⇒ポレチュ
14日目 5月6日(金) ポレチュ⇒ポストイナ⇒シュコツィアン⇒ブレッド湖
15日目 5月7日(土) ブレッド湖⇒クラニスカ・ゴラ⇒リュブリャナ
16日目 5月8日(日) リュブリャナ⇒ミュンヘン⇒(機中泊)
17日目 5月9日(月) ⇒成田
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
3日目の朝。
昨日、店がイースター休暇でたいがい閉まっていたこともあり、何もすることがないのでとっとと寝てしまった関係で、朝5時台に勝手に目が覚めてしまいました。
宿泊したアパートメントの部屋はこんな感じ。
部屋もわりと広く、使いやすいキッチンもあり、洗濯機なども完備されていて長期滞在には申し分ない感じです。 -
あまりに早く起きすぎて暇だったので(笑)、周囲を散策。
ザグレブの旧市街から北東側のこの辺は高級住宅街のようで、1つ1つの家の構造がやたら洗練されています。
警備厳重そう。 -
アパートメントで用意された朝食はこちら。
シンプルではありますが、一通りのものは揃っていて量も申し分ありません。
現地の濃厚な牛乳がたっぷり飲めて大満足(^^) -
ほとんど使う時間がありませんでしたが、雰囲気のいいバルコニーもついた部屋。
これだけついて1泊8000円弱くらいなので、とても助かります。
(今回、レンタカー代が国をまたいだことでかなり高くついたこともあって途中の宿は極力切り詰めていましたが、その際の大きな味方になっています) -
まるで友人の部屋を1日借りたかのような滞在を終え、ザグレブの市街地を抜けて再び高速道路へ。
今日は、さらに東へ向かい、国境を越えてセルビアの首都ベオグラードを目指します。
お出迎えしてくれたのは菜の花畑。
ところどころに、はるか遠くからでもわかる黄色い空間を作り出していて、単調な景色の中での大いなる安らぎになります。 -
高速道路は、南東向きに開いた「V」の字型をしたクロアチアの国土の上の辺にあたる「スラヴォニア地方」をまっすぐに進んでいきます。
カーナビを見ていると、南側にほんの数キロ行けばボスニア・ヘルツェゴビナの国境がある場所も。
旧ソ連のように恣意的な国境配置がなされたわけではありませんが、やはりこの多様な民族を抱えるバルカンの諸国らしい国境配置だな、と改めて感じます。
とはいっても、国境の気配などは何もありません。
内戦の時代にはこんな景色ではなかったのでしょうが、少なくとも今は「ふつうのヨーロッパの田舎の風景」と呼んで差支えない状況です。
この写真の場所は、ここを分岐すればハンガリーへ、という地点。
今日は4時間走る予定なので、2時間走ってここがようやく中間です。 -
さらにもう1時間くらい走ったところで、こちらの検問が見えてきました。
クロアチアの出国審査の列に並びます。 -
パスポート、免許証(国際と日本の2点)、車検証の国境通過3点セット。
車検証は、今回事前に渡航する国をレンタカー屋に申請していたことで特に問題はなかったようですが、いきなりどこかの国で借りて別の国へ行こうとすると問題が発生するかもしれません。
あと、肝心なのが免許証の問題。
今回渡航した国の中で、日本が加盟しているジュネーブ条約に加盟しているのはセルビアとモンテネグロの2か国。
この2つは問題なかったので、それ以外の国はいろいろ調査し、
・スロベニアは、国際免許証で短期滞在ならば問題なし
・クロアチアは、国が寛容な姿勢で国際免許証で走れるとの見解を出している(ただし行ってみないとわからない)
・ボスニアヘルツェゴビナは、加盟していたユーゴスラビアの権限が適用されるのかが決まっておらず、当面の間は可能
という状況だったので、まあ行ってだめだったら何とかしようと思いつつ(笑)飛び込んだ次第です。
結果として、5か国とも走行については全く問題はありませんでした。
また、ビザもボスニア・ヘルツェゴビナだけ通過ビザが現地で必要でしたが(これは当時、現在ではビザは不要です)それも国境で取得可能であり、その他の4か国は短期滞在であれば不要なので事前手続きもいりませんでした -
クロアチアの出国はせいぜい5分で終わり、またカーナビのグレーの国境線を越えてセルビアの入国審査へ。
長蛇の列のように見えますが、せいぜい10分ほどで通り抜けられました。 -
こうして無事にセルビア入国を果たしましたが、まず大きな変化として目に飛び込んできたのが道路脇の看板。
ここまでの2か国ではアルファベット表記のみでしたが、国境を越えた瞬間にキリル文字がトップに表示されるようになりました。
この「キリル文字で表示=セルビア文化圏」というのは、後日の旅行記でも一つのキーポイントになるので、覚えておいてください。 -
ベオグラードの市街にぐんぐん近づいていくと、さっそく「いかにもな共産圏の奇抜な形状のレトロモダンな建物」というティピカルな光景が目に飛び込んできます。
-
高速を降り、一方通行がよくわからない地図の読み解きに苦労しながらも、何とか市街地の便利な場所にある「ライフデザインホテル」へと到着。
駐車場に入る路地、そして地下駐車場の通路がやたら狭くて、危うくぶつけるところでしたw
今日の走行距離は300キロ。あ〜疲れた。
部屋はやたら広くて快適。
そして、早く着いたためか眺めのいい部屋をあてがってくれたので、まだ出歩く前ながらベオグラードの中心部が見渡せます。
アルマティ、タシケントなど旧ソ連の首都をいくつか目にしてきましたが、それに輪をかけたような「典型的旧社会主義の都」をここに見ることが出来ます。ライフ デザイン ホテル
-
運転疲れもあり1時間ほど宿でグダグダしていたら、もう16時前。
身支度を整えてベオグラードの街へと繰り出します。
宿から歩いて5分ほど来ると、ベオグラードの一番の目抜き通りである「テラジエ通り」へと出ます。
19世紀後半から栄え、ホテル・パリ、ホテル・モスクワといった豪奢なホテル群が建ち並ぶ、ベオグラードで一番優雅な場所でした。
社会主義の時代を経て、画一的でエアコンの室外機ばかりが目立つ地味な建物が並ぶ通りに姿を変え、往時の繁栄はここからは読み取れません。 -
ここから、共和国広場、そしてカレメグダン公園へという、ガイドブックなどでも紹介されているベオグラードの観光スポットへ向け歩いていきます。
テラジエ通りに建つこの建物は「アルバニア宮殿」。
第二次大戦前の1937年に完成した、13階建てと当時としてはかなり高い部類に入る歴史的建造物です。 -
アルバニア宮殿の脇を抜けていき、国立劇場に面した「共和国広場」へ。
この劇場は19世紀半ばに建てられたものです。
街はおおむね社会主義のフィルターを通ってきてはいますが、こちらの方がかつてのベオグラードの姿に近いんでしょうね。
このピンクの美しい花は、形からしてチューリップかと思われます。国立博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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共和国広場の脇から北西側、ドナウ河畔へと向かう方向に「クネズ・ミハイロヴァ通り」が伸びています。
ここは、テラジエ通りよりも19世紀の香りが強く残っている場所です。
現在では多くのショップが建ち並び、歩行者天国になっていて「街をぶらぶら歩く人たち」の大半がここに集まっているようにも感じます。
それにしても、入っている店が「ナイキ」だったり「ZARA」だったり、かつて世界に確かな存在感を示した社会主義国の首都とは思えないほど「普通に資本主義的」なのが、隔世の感があります。クネズ ミハイロバ通り 散歩・街歩き
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西ヨーロッパです、と言われても何の不思議もない繁華街を抜けて、川沿いにひろがるこの「カレメグダン城址公園」へと入りました。
ヨーロッパでもっとも古い部類に入るという長大な歴史を持つベオグラード。
ドナウ川の恵みを得て栄えたその古都の最初期は、このカレメグダン公園付近でした。カレメグダン城址公園 (ベオグラード要塞) 広場・公園
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街なかにはそれほど大きな公園が見当たらなかったのですが、まあこれだけ広くて車の入らない場所があれば、そりゃあみんな集まりますよね。
犬の散歩、ジョギング、ちょっとしたスポーツ。
さまざまなイースター休暇の午後を過ごす人々で溢れていました。カレメグダン城址公園 (ベオグラード要塞) 広場・公園
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楽しげに過ごす人々を横目で見ながら歩くと、川が見える場所へと出てきました。
目の前にある古めかしい建物に興味津々(笑)。
その建物の奥に見えているのが、ドナウ川の支流「サヴァ川」。
スロベニア北部に源を発し、現在のクロアチア/ボスニア・ヘルツェゴビナ国境を流れ、多くの河川の水を集めながら最終的にはドナウ川へと合流します。 -
カレメグダン公園は、かつての砦の名残りでもあります。
ドナウ川に面した交通の要衝でもあり、様々な民族がここを通過し、そして領土をめぐって争ってきました。
一番眺めがよくて守りやすい場所に砦ができるのは、必然でしょう。 -
目立つこの時計塔の下をくぐって、かつての城砦の中へと入ります。
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その周囲には、ここが砦だった時に使われていたような武器が、けっこう投げっぱなし(笑)で展示されていました。
島国だとなかなか実感わかないですが、これだけ民族が入り組んだ場所で交差点に面していたら、望む望まざるにかかわらずこのようなものを使って「生き抜いていく」必要があったのでしょう。 -
そして、城砦の一番眺めがよい場所までやってきました。
見えているのは、ヨーロッパの2大大河のひとつ、ドナウ川の本流。 -
紀元前におこり、そして19世紀に至るまで「現役」で活躍していたこの砦。
階層構造に、その歴史を感じることができます。 -
左奥側から右側へ流れているのが、ドナウ川。
そして左手前から合流して来ているのがサヴァ川。
宇宙から見ても非常にわかりやすい場所ですね、ここは。 -
遠くを見渡すと、やはりこの街の歴史のほんの何分の1程度しか続かなかった社会主義時代のいかにもなデザインの建物が、そこかしこに顔を出しているのが見えます。
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ドナウ川をボーっと見ていると、小さなタグボートに引かれた巨大な土砂運搬用のはしけがいくつも通り過ぎていきます。
ここを遡れば、去年行ったブラチスラバ、そしてウィーンの街に至るのか...
こうなったら「ドナウ川が面している首都を全制覇」すべく、ブダペストにも行かないといけないですね(笑)。 -
ここまで歩いて登ってこなければならないので、どちらかというとこの辺は若者向け。
といっても京都の鴨川沿いのようなカップルが等間隔で並ぶ図式ではなく、意外なほどに野郎ども(笑)数人のグループが多い気がします。
将来の夢でも語っているんでしょうか。
それとも、ドナウ川に向かってバカヤローと叫んでいるかw -
見晴らしの良いところから、改めてサヴァ川の流れに目をやります。
この旅行では、途中でサヴァ側に合流する「ドリナ川」河畔の街を明日訪れます。
なので、名前は違えど「再会」が約束された川。
同じ川の流れを全然違う場所で見ると、旅行のスケールがぐっと大きくなりますね。 -
かつての傭兵の視点で。
一度やってみたかったので、ここからSNSに「どなう」とつぶやきましたw -
だいぶ空も陰ってきたので、カレメグダン公園を離れ、再びのテラジエ通りから今度は街の南東側へ。
ベオグラード観光はこの日しか予定していないので、行動は分刻みです。
慌ただしい(笑)。
途中、通りに面したスポーツショップに入って、サッカーの名門「レッドスター・ベオグラード」のユニフォームをゲット。
自分用、そしてサッカー好きの同僚へのいいお土産ができました。
ただ、本当は(かつてレッドスターで頭角を現した)ストイコビッチの名前を入れてもらいたかったのですが、聞いてみたら「イースター休暇でそういうのができる人がいない」と断られてしまいました。
いいかげん、イースターが嫌いになってきたw -
テラジエ通りから分岐して進むと、こんな「浜松町の世界貿易センタービル」をほうふつとさせるような色合いの古めかしいビルに出会います。
(さっき、部屋からも見えていましたね)
調べてみたら、この「ベオグラジャンカ」という建物、1974年建設で世界貿易センタービルと比較的近い時期でした。
当時の流行りだったんですかね、これ。 -
その先、「クネズ・ミロシュ通り」という大通りに入ると、このような建物が見えてきます。
真ん中のあたりが派手に壊れているのがわかりますね。旧ユーゴスラビア国防省 建造物
-
通りを挟んだ向かい側の建物も、同じように無残な姿になっています。
このクネズ・ミロシュ通り自体に「空爆通り」という異名がついているのが示す通り、この建物の破壊は空爆によるものでした。 -
これらのビルは1960年代に建てられ、第二次大戦での激戦地だった渓谷をイメージしたツインビルとして機能していました。
社会主義化でのモダンな建築として、左側の連邦国防省ほか、この建物には政府機関が多く入り、周辺を含めて東京でいう霞が関のような官公庁街でした。
しかし、コソボ紛争が激化した1999年、NATOをはじめとした連合国の「アライド・フォース作戦」によるピンポイントの空爆を受け、このような姿に。 -
今にも崩れそうな姿のまま、放置された状態になっています。
記憶にある方も多いと思いますが、このNATOの空爆に抗議する意味で当時名古屋グランパスに所属していたストイコビッチがJリーグの試合中、ゴールを決めた後にユニフォームを脱ぎ、アンダーシャツに書かれていた「NATO STOP STRIKES(NATOは空爆をやめよ)」というメッセージを示していました。
どちらが正しいとは断言できない戦争の中で、故郷がこんな姿になったらそりゃチェアマンが何といおうが抗議するよな... -
ビルに近づこうとすると、怪しい犬たちが寄ってきます。
それをよけると、今度は警官が遠くから私めがけて近づいてきて「何撮ってんだ、失せろ!」くらいの勢いで話しかけてきました。
とりあえず空気を読んで安全圏まで逃げてから、撮影続行(笑)。 -
画面の右側のほうに警官が立ってますね。
特に撮影禁止というわけではなくツアーにも組み込まれているような場所ですが、正直なところ撮ってほしくない、という気持ちもわからんでもないです。 -
空爆ビルをじっくり見ていたら暗くなってきたので、再びテラジエ通りを越え「スカルダリヤ」と呼ばれる繁華街へ。
「ベオグラードのモンマルトル」という別名の通り、社会主義の時代を経てまだこんな場所が残ってたんだなー、と改めて感心するような東欧の古い街並みが続きます。
どうやら、かつてボヘミア方面から人が流れ込み独自の文化を作ったことが、画一的な街の中で異彩を放つ風景につながっているようです。
暗くなりすぎたのと腹減ってレストラン探しに熱中していたので写真は撮り忘れましたが(笑)、確かに街並みは前年に訪れたチェコ南部の風景にかなり近いように感じます
そんな通りの中にある「ドヴァ・イェレナ」という歴史ある名店へ飛び込んで、名物のセルビア風カツレツ(上のトマホークミサイルのようなやつ)をいただきました。
これとビールがてきめんに効いて...ドヴァ イェレナ その他の料理
-
共和国広場を通り抜けて宿に戻ったら、シャワーも浴びずに寝てしまいました。
明日もまた長距離ドライブが待っています。
(4日目へ続く)国立博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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