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 6月2日から始まって、正味78日間の、2015年の旅も、いよいよ最後の2日間に成りました・・・特別に、予定はないのですけれど、とりあえず、最終日は鉄道で「サン・ドニ」まで行くつもりです、フランス王家のお墓を、まだ見ていなかったので・・・それ以外は、パリで、まだ見ていないところ「オペラ座の内部」・・・とりあえず、1日目は、これですね・・・正直言って、キンキラ趣味には、あまり興味は無いのですけど、入ってみないと、何とも言えませんし、なんと言っても「バリの名所」。<br /><br /> ところで、2016年になって、フランス・ベルギー・ドイツと、ヨーロッパは立て続けに「テロ騒ぎ」・・・被害者面した、自称・先進国は、何処もかしこも、「テロと戦う」と、口先で言うけれど、「テロを無くそう」とは誰も言わない、これが一番の「偽善」です・・・彼らが「テロと戦う」のは、全て、彼らの「権力維持」と「金儲け」の為、ぶっちゃけて言えば、世界の「混乱」と「テロ」を、彼らは、必要と考えているわけで・・・アメリカの「9.11」と呼ばれる事件に、今も、「自作自演」の説が絶えないのも、むべなるかな・・・日本の、アメリカへの「隷属政権」が中国や韓国を敵視し、無駄な軍事費の拡大と、企業と大学で「軍事産業化」を狙っているのも、全ては「同根」なのですね・・・<br /><br /> ともあれ、今回の旅に持ってきた、水野和夫氏の「資本主義の終焉と歴史の危機」を読むと、そもそも、テロと戦争の、元ネタとも言うべき、資本主義と言うものは、もう間もなく、お仕舞なのだとか・・・ならば、今の世に大流行の、この「新自由主義」と言う、極めて、悪辣で原始的な「資本主義」と言うものは、いったいいつまで続くのか?・・・キンキン・キラキラの「オペラ座」でも観光しながら・・・この辺りの事について、少し、考えてみます・・・<br /><br /> 表紙の写真は、言わずと知れた「モンマルトル」、「ダリダ広場」からの眺めです、「モンマルトル」で、一番、良い感じの眺めかも? 見つけるのが、なかなか大変でした・・・最後の2日は、この町に宿泊です。

ツール・ド・エウロパ 2015 フランス編 57 旅の終わりのパリで、「資本主義の終わり」について考える・・・ついでに、サン・ドニまで・・・

46いいね!

2015/08/17 - 2015/08/19

1043位(同エリア16384件中)

14

94

ももんがあまん

ももんがあまんさん

 6月2日から始まって、正味78日間の、2015年の旅も、いよいよ最後の2日間に成りました・・・特別に、予定はないのですけれど、とりあえず、最終日は鉄道で「サン・ドニ」まで行くつもりです、フランス王家のお墓を、まだ見ていなかったので・・・それ以外は、パリで、まだ見ていないところ「オペラ座の内部」・・・とりあえず、1日目は、これですね・・・正直言って、キンキラ趣味には、あまり興味は無いのですけど、入ってみないと、何とも言えませんし、なんと言っても「バリの名所」。

 ところで、2016年になって、フランス・ベルギー・ドイツと、ヨーロッパは立て続けに「テロ騒ぎ」・・・被害者面した、自称・先進国は、何処もかしこも、「テロと戦う」と、口先で言うけれど、「テロを無くそう」とは誰も言わない、これが一番の「偽善」です・・・彼らが「テロと戦う」のは、全て、彼らの「権力維持」と「金儲け」の為、ぶっちゃけて言えば、世界の「混乱」と「テロ」を、彼らは、必要と考えているわけで・・・アメリカの「9.11」と呼ばれる事件に、今も、「自作自演」の説が絶えないのも、むべなるかな・・・日本の、アメリカへの「隷属政権」が中国や韓国を敵視し、無駄な軍事費の拡大と、企業と大学で「軍事産業化」を狙っているのも、全ては「同根」なのですね・・・

 ともあれ、今回の旅に持ってきた、水野和夫氏の「資本主義の終焉と歴史の危機」を読むと、そもそも、テロと戦争の、元ネタとも言うべき、資本主義と言うものは、もう間もなく、お仕舞なのだとか・・・ならば、今の世に大流行の、この「新自由主義」と言う、極めて、悪辣で原始的な「資本主義」と言うものは、いったいいつまで続くのか?・・・キンキン・キラキラの「オペラ座」でも観光しながら・・・この辺りの事について、少し、考えてみます・・・

 表紙の写真は、言わずと知れた「モンマルトル」、「ダリダ広場」からの眺めです、「モンマルトル」で、一番、良い感じの眺めかも? 見つけるのが、なかなか大変でした・・・最後の2日は、この町に宿泊です。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
50万円 - 100万円
交通手段
鉄道 自転車 徒歩
航空会社
大韓航空
旅行の手配内容
個別手配

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  •  8月17日(月) パリ<br /><br /> 2015年の旅も、あと二日・・・今日は最初に、残り二日間の宿を探します・・・少し疲れも有りますので、ユース・ホステルから、普通のホテルに代わります・・・出来れば、「モンマルトル」に宿を取りたい・・・、

     8月17日(月) パリ

     2015年の旅も、あと二日・・・今日は最初に、残り二日間の宿を探します・・・少し疲れも有りますので、ユース・ホステルから、普通のホテルに代わります・・・出来れば、「モンマルトル」に宿を取りたい・・・、

  •  Montmartre パリ<br /><br /> 「サクレ・クール寺院」が見えます・・・此処は「モンマルトル」・・・

     Montmartre パリ

     「サクレ・クール寺院」が見えます・・・此処は「モンマルトル」・・・

  •  Hotel Montmartre パリ<br /><br /> 「ホテル・モンマルトル」・・・ビジネスホテル風の安宿ではありますが、清潔だし、ホテルマンのお兄さんの、感じが悪くなさそうだったので、ここにしました・・・窓の下を「プチ・トラン」が走ってます・・・此処は「モンマルトル」・・・

     Hotel Montmartre パリ

     「ホテル・モンマルトル」・・・ビジネスホテル風の安宿ではありますが、清潔だし、ホテルマンのお兄さんの、感じが悪くなさそうだったので、ここにしました・・・窓の下を「プチ・トラン」が走ってます・・・此処は「モンマルトル」・・・

  •  モンマルトル パリ<br /><br /> 同じく、ホテルの窓からの街並みです・・・「モンマルトル」な気がして、良い眺め・・・何処がと言われても、説明に困りますけど・・・何となく・・・

     モンマルトル パリ

     同じく、ホテルの窓からの街並みです・・・「モンマルトル」な気がして、良い眺め・・・何処がと言われても、説明に困りますけど・・・何となく・・・

  •  ホテル・モンマルトル<br /><br /> こちら、ホテルの入り口です・・・2泊で、123.28ユーロと、お値段も、バリとしては、かなり安い、TVもシャワーも付いてます・・・部屋はもちろん、広くはないけど、寝るだけです・・・これで十分、

     ホテル・モンマルトル

     こちら、ホテルの入り口です・・・2泊で、123.28ユーロと、お値段も、バリとしては、かなり安い、TVもシャワーも付いてます・・・部屋はもちろん、広くはないけど、寝るだけです・・・これで十分、

  •  モンマルトル パリ<br /><br /> 何処だったか?・・・不明ですけど・・・雰囲気の良い通り。

     モンマルトル パリ

     何処だったか?・・・不明ですけど・・・雰囲気の良い通り。

  •  バスティーユ<br /><br /> 宿を確保してから、先ずは、自転車屋さんのあるバスティーユに・・・自転車を買い戻して頂く為・・・だったのですけれど・・・

     バスティーユ

     宿を確保してから、先ずは、自転車屋さんのあるバスティーユに・・・自転車を買い戻して頂く為・・・だったのですけれど・・・

  •  バスティーユ<br /><br /> 「ギャア〜」・・「ウソ〜」・・・「バカンス休暇」なんですって・・・8月25日には帰ってくるそうですけど・・・ワタクシは、その前に帰ります・・・さすがフランス、8月は「バカンス月間」だったのですね・・・これまでは、いつ来ても営業してたし・・・この事態は、考えてなかったです・・・暫し、茫然・・・迂闊だったなあ〜・・・

     バスティーユ

     「ギャア〜」・・「ウソ〜」・・・「バカンス休暇」なんですって・・・8月25日には帰ってくるそうですけど・・・ワタクシは、その前に帰ります・・・さすがフランス、8月は「バカンス月間」だったのですね・・・これまでは、いつ来ても営業してたし・・・この事態は、考えてなかったです・・・暫し、茫然・・・迂闊だったなあ〜・・・

  •  Palais Royal パリ<br /><br /> されどまあ、どうしようも無し・・・という事で、自転車の始末をどうすべきか、思案しながら、ともあれ「パレ・ロワイアル」へ・・・今回の旅のはじめは、1968年の「パリ五月革命」の舞台「カルチェラタン」への訪問でしたので、旅の最後は、当然?此処「パレ・ロワイアル」で閉めねば・・です・・・1789年の、本家の「フランス革命」の発火点の一つ。

     Palais Royal パリ

     されどまあ、どうしようも無し・・・という事で、自転車の始末をどうすべきか、思案しながら、ともあれ「パレ・ロワイアル」へ・・・今回の旅のはじめは、1968年の「パリ五月革命」の舞台「カルチェラタン」への訪問でしたので、旅の最後は、当然?此処「パレ・ロワイアル」で閉めねば・・です・・・1789年の、本家の「フランス革命」の発火点の一つ。

    パレ ロワイヤル庭園 自然・景勝地

  •  パレ・ロワイアル<br /><br /> Wikiに依れば、この宮殿は、もともとはルイ13世の宰相リシュリューの城館「パレ・カルディナル」(Palais-Cardinal)だったものが、彼の死後、主君に寄贈され・・・ルイ13世の死後、1643年に当時5歳のルイ14世がルーヴル宮殿から移り住んだことで、パレ・ロワイヤル(王宮)と呼ばれるようになったとか・・その後は、王弟・オルレアン公・フィリップ1世が住むようになって、リシュリュー時代の建物は取り壊されたのだとか・・・

     パレ・ロワイアル

     Wikiに依れば、この宮殿は、もともとはルイ13世の宰相リシュリューの城館「パレ・カルディナル」(Palais-Cardinal)だったものが、彼の死後、主君に寄贈され・・・ルイ13世の死後、1643年に当時5歳のルイ14世がルーヴル宮殿から移り住んだことで、パレ・ロワイヤル(王宮)と呼ばれるようになったとか・・その後は、王弟・オルレアン公・フィリップ1世が住むようになって、リシュリュー時代の建物は取り壊されたのだとか・・・

  •  パレ・ロワイアル パリ<br /><br /> オルレアン公・フィリップ1世の時代から、庭園は、パリの庶民にも開放されていたが、革命前の「フィリップ2世」の時代には、庭園の周辺の建物は、借金のかたに売りに出され、レストランや商店が入り、中庭にはカフェが並び、庶民の憩いの場でもあり、庶民が政治について語らう、革命の温床ともなったのだとか・・・また、パリの「カフェ」の原点でもあります・・・<br />

     パレ・ロワイアル パリ

     オルレアン公・フィリップ1世の時代から、庭園は、パリの庶民にも開放されていたが、革命前の「フィリップ2世」の時代には、庭園の周辺の建物は、借金のかたに売りに出され、レストランや商店が入り、中庭にはカフェが並び、庶民の憩いの場でもあり、庶民が政治について語らう、革命の温床ともなったのだとか・・・また、パリの「カフェ」の原点でもあります・・・

  •  噴水のある中庭 パレ・ロワイアル パリ<br /><br /> 若く、貧乏な弁護士の青年「カミ―ユ・デムーラン」が、この庭園で、パリの市民に、「武器を取れ」と呼びかけ、それが、数日後の「バスティーユ要塞の陥落」に繋がったのは、有名な話です・・・まさに、フランス革命が、始まった場所の一つなのですね・・・因みに、カミーユは、最終的には、ロベスピエール派と対立し、「寛容」を説いた為に、ダントンと共に「粛清」されることになります・・・カミーユとともに、この場所にいた恋人(後の愛妻)の「リュシル」もまた、夫の死の二週間後に、断頭台の露となったとか・・・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B7

     噴水のある中庭 パレ・ロワイアル パリ

     若く、貧乏な弁護士の青年「カミ―ユ・デムーラン」が、この庭園で、パリの市民に、「武器を取れ」と呼びかけ、それが、数日後の「バスティーユ要塞の陥落」に繋がったのは、有名な話です・・・まさに、フランス革命が、始まった場所の一つなのですね・・・因みに、カミーユは、最終的には、ロベスピエール派と対立し、「寛容」を説いた為に、ダントンと共に「粛清」されることになります・・・カミーユとともに、この場所にいた恋人(後の愛妻)の「リュシル」もまた、夫の死の二週間後に、断頭台の露となったとか・・・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B7

  •  パレ・ロワイアル パリ<br /><br /> 今も中庭の両サイドには、カフェやレストランが並んでます・・・記念ですので当然、ビールで一休み(少し高い5ユーロ)・・・また、1879年当時の此の辺りは、お金持ち相手の「高級娼婦」の溜り場でもあったのだとか、今は、其れらしき姿は、見当たりませんけど・・・元娼婦で有り、男装の麗人として、革命の舞台に登場した「テロワーニュ・ド・メリクール」は、この場所で「バスティーユ陥落」の報を聞いたのだとか・・・革命における「自由」とは、彼女にとっては「女であること」からの自由であるように思えたのか、これ以降、彼女は、乗馬服に身を固め、腰にサーベルと二丁拳銃を差して街を闊歩し、革命の先頭に立ったとか・・・勿論、フランス革命が、徹底して、男中心の革命であったことは、歴史の知らしめるところで、「革命」に裏切られた彼女は、哀れにも、その晩年を、精神病院で終えることとなったとか・・・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB<br /> 因みに、フランス革命と女性については、「フランス革命と四人の女性」新潮新書・安達正勝著、と言う本が有ります・・・マリー・アントワネットは、出てきませんけれど、革命にかかわった、興味深い女性達の物語。

     パレ・ロワイアル パリ

     今も中庭の両サイドには、カフェやレストランが並んでます・・・記念ですので当然、ビールで一休み(少し高い5ユーロ)・・・また、1879年当時の此の辺りは、お金持ち相手の「高級娼婦」の溜り場でもあったのだとか、今は、其れらしき姿は、見当たりませんけど・・・元娼婦で有り、男装の麗人として、革命の舞台に登場した「テロワーニュ・ド・メリクール」は、この場所で「バスティーユ陥落」の報を聞いたのだとか・・・革命における「自由」とは、彼女にとっては「女であること」からの自由であるように思えたのか、これ以降、彼女は、乗馬服に身を固め、腰にサーベルと二丁拳銃を差して街を闊歩し、革命の先頭に立ったとか・・・勿論、フランス革命が、徹底して、男中心の革命であったことは、歴史の知らしめるところで、「革命」に裏切られた彼女は、哀れにも、その晩年を、精神病院で終えることとなったとか・・・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB
     因みに、フランス革命と女性については、「フランス革命と四人の女性」新潮新書・安達正勝著、と言う本が有ります・・・マリー・アントワネットは、出てきませんけれど、革命にかかわった、興味深い女性達の物語。

  •  パリ オペラ座周辺<br /><br /> 次は、本日のメーンイベント、パリの「オペラ座」を目指します・・・オペラ座界隈には、寿司屋とかラーメン屋とか、やたらと、日本語のお店が多いのですね、日本人の観光客も多いのでしょうけれど、フランス在住の、日本の、ビジネスマン達の巣になっているようで、背広姿の東洋人が目立ちます・・・日本の本屋さん「ジュンク堂」まであります。

     パリ オペラ座周辺

     次は、本日のメーンイベント、パリの「オペラ座」を目指します・・・オペラ座界隈には、寿司屋とかラーメン屋とか、やたらと、日本語のお店が多いのですね、日本人の観光客も多いのでしょうけれど、フランス在住の、日本の、ビジネスマン達の巣になっているようで、背広姿の東洋人が目立ちます・・・日本の本屋さん「ジュンク堂」まであります。

  •  Palais Garnier opera house パリ<br /><br /> 「ジャーン」・・天井が凄いです・・・入った途端に、これです・・キンキラの成金趣味・・?<br /> パリの「オペラ座」・・建築家の名を撮って「ガルニエ宮」とも、「オペラ・ガルニエ」とも呼ばれる建物・・・これまで、何度も、外側は見てますけれど、中に入ったのは、今回が初めて・・・まあ、キンキラ趣味と言うのが、さして好みじゃないもので・・・後回しになってました・・・

     Palais Garnier opera house パリ

     「ジャーン」・・天井が凄いです・・・入った途端に、これです・・キンキラの成金趣味・・?
     パリの「オペラ座」・・建築家の名を撮って「ガルニエ宮」とも、「オペラ・ガルニエ」とも呼ばれる建物・・・これまで、何度も、外側は見てますけれど、中に入ったのは、今回が初めて・・・まあ、キンキラ趣味と言うのが、さして好みじゃないもので・・・後回しになってました・・・

    オペラガルニエ 劇場・ホール・ショー

  •  オペラ・ガルニエ<br /><br /> 19世紀頃の「貴婦人」のコスチュームでしょうね・・・もちろん、これもキンキラ趣味・・・この建物は、1862年着工の1874年の完成、ナポレオン三世の「第二帝政」から、普仏戦争の敗北を経て、第三共和制へと至る時代ですね・・・19世紀後半から20世紀にかけての時代、時代としては「ブルジョワ」の時代・・・衣装や建物の、キンキラ趣味を見ていると、まるで、王侯貴族の様ですけれど・・・これは、フランス革命が、最終的に「ブルジョワ」の勝利に帰着した事で、彼らが、新たなる支配者として、王侯貴族の真似事を始めた時代・・・「オペラ・ガルニエ」は、そんな「ブルジョワの時代」の象徴と言えます・・・

     オペラ・ガルニエ

     19世紀頃の「貴婦人」のコスチュームでしょうね・・・もちろん、これもキンキラ趣味・・・この建物は、1862年着工の1874年の完成、ナポレオン三世の「第二帝政」から、普仏戦争の敗北を経て、第三共和制へと至る時代ですね・・・19世紀後半から20世紀にかけての時代、時代としては「ブルジョワ」の時代・・・衣装や建物の、キンキラ趣味を見ていると、まるで、王侯貴族の様ですけれど・・・これは、フランス革命が、最終的に「ブルジョワ」の勝利に帰着した事で、彼らが、新たなる支配者として、王侯貴族の真似事を始めた時代・・・「オペラ・ガルニエ」は、そんな「ブルジョワの時代」の象徴と言えます・・・

  •  オペラ・ガルニエ<br /><br /> 建て始められたのは、ナポレオン三世の時代ですけれど、劇場のオープンは、第三共和制の時代ですから、王侯貴族などが、居るはずは無いのですけれど・・・お金持ちたちは、時代の支配者として、そんな「王侯貴族」の気分を味わいたかったという事なのでしょうね・・・マア、元貴族もいたかもしれないけれど・・・多くは、新たに権力を握った、新興の「ブルジョワジー」たちだと思います、劇場は、そうした人たちの「社交場」になったとか・・・新時代(ブルジョワジー)の「ヴェルサイユ」ですね・・・

     オペラ・ガルニエ

     建て始められたのは、ナポレオン三世の時代ですけれど、劇場のオープンは、第三共和制の時代ですから、王侯貴族などが、居るはずは無いのですけれど・・・お金持ちたちは、時代の支配者として、そんな「王侯貴族」の気分を味わいたかったという事なのでしょうね・・・マア、元貴族もいたかもしれないけれど・・・多くは、新たに権力を握った、新興の「ブルジョワジー」たちだと思います、劇場は、そうした人たちの「社交場」になったとか・・・新時代(ブルジョワジー)の「ヴェルサイユ」ですね・・・

  •  オペラ・ガルニエ<br /><br /> 「ブルジョワ」の時代とは、すなわち「資本主義」の時代、すなわち「金儲け」が、この世で最高の「美徳」であるという、そんな時代です・・・勿論、今現在の、我々の世界が、まさに始まった時代なのですね・・・勿論「資本主義」自体は、もっと以前から存在したのでしょうけれど・・・それが、道徳的にも、倫理的にも、「美徳」であることが認知されることになった、そんな時代・・・マア、イギリスやオランダでは、ずっと前から、そんな時代が始まっていたのでしょうけれど・・・フランスは、王権や教権が強すぎて、遅れていたのですね・・・

     オペラ・ガルニエ

     「ブルジョワ」の時代とは、すなわち「資本主義」の時代、すなわち「金儲け」が、この世で最高の「美徳」であるという、そんな時代です・・・勿論、今現在の、我々の世界が、まさに始まった時代なのですね・・・勿論「資本主義」自体は、もっと以前から存在したのでしょうけれど・・・それが、道徳的にも、倫理的にも、「美徳」であることが認知されることになった、そんな時代・・・マア、イギリスやオランダでは、ずっと前から、そんな時代が始まっていたのでしょうけれど・・・フランスは、王権や教権が強すぎて、遅れていたのですね・・・

  •  オペラ・ガルニエ<br /><br /> 天井のキンキラ・・・20世紀の初め(1904年)、マックス・ウェーバーと言う人が「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」と言う書物を出版します・・・これは、プロテスタントの一派(主としてカルヴィニズム)の禁欲的生活と勤勉さが、「富」の蓄積を生み、近代資本主義の元となったという説ですけれど・・・・言わば、キリスト教社会においては、一般には嫌悪されるべき「富=金儲け」と言うものに、プロテスタントの勤勉さと禁欲的生活と言う「美徳」成るものの、実践の結果と言う「正当性」を与えたものと言えます・・・新興のブルジョワジーにとっては、待ち望まれていた「へ理屈」と言えるかもしれません・・・マア、マックス・ウェーバー自身が、裕福な「ブルジョワ」の生まれですから、己の階級を正当化した、いわば「自画自賛」の書なのです・・・ネタバレしてますね・・・

     オペラ・ガルニエ

     天井のキンキラ・・・20世紀の初め(1904年)、マックス・ウェーバーと言う人が「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」と言う書物を出版します・・・これは、プロテスタントの一派(主としてカルヴィニズム)の禁欲的生活と勤勉さが、「富」の蓄積を生み、近代資本主義の元となったという説ですけれど・・・・言わば、キリスト教社会においては、一般には嫌悪されるべき「富=金儲け」と言うものに、プロテスタントの勤勉さと禁欲的生活と言う「美徳」成るものの、実践の結果と言う「正当性」を与えたものと言えます・・・新興のブルジョワジーにとっては、待ち望まれていた「へ理屈」と言えるかもしれません・・・マア、マックス・ウェーバー自身が、裕福な「ブルジョワ」の生まれですから、己の階級を正当化した、いわば「自画自賛」の書なのです・・・ネタバレしてますね・・・

  •  オペラ・ガルニエ<br /><br /> この建物で、最も華やかな部屋です・・・休息所なのだとか・・・オペラの幕間や、休息時間に、お金持ちたちが、社交に励んだ部屋なのだとか・・・新たなる「王侯貴族」となったお金持ち(自称エリート達)にとっては、さぞかし、その虚栄心を満足させたであろう、キンキラの部屋です・・・

     オペラ・ガルニエ

     この建物で、最も華やかな部屋です・・・休息所なのだとか・・・オペラの幕間や、休息時間に、お金持ちたちが、社交に励んだ部屋なのだとか・・・新たなる「王侯貴族」となったお金持ち(自称エリート達)にとっては、さぞかし、その虚栄心を満足させたであろう、キンキラの部屋です・・・

  •  大休息室(社交場) オペラ・ガルニエ<br /><br /> マックス・ウェーバーは、カルヴィニズムの禁欲と勤勉な労働が、「富」の蓄積を生んだという事は、それなりに説明しているように見えますけれど、でも、それだけで「資本主義」が成立したとは考えていなかったようです・・・水野和夫氏の本「資本主義の終焉と歴史の危機」では、資本主義を成り立たせるものは「利潤」であり「利子」なのだと述べています・・・そして、「利潤」や「利子」を可能にする為には、常に「周辺」の存在を必要とすると述べています・・・マックス・ウェーバーも同じように、カルヴィニストの富の追求が、やがて「利潤の追求」と「利子の肯定」に至ったことを述べているのですけれど・・・何故、謹厳実直で、善良なるキリスト者が、それまで「罪悪」とされていた「利子」を容認するようになったのか?・・・そこの処は、あまり、説得力が有るようには見えません・・・単なる「富」の蓄積と、それとは別の「資本主義」を成り立たせる「利子」や「利潤」の間には、プロテスタンティズムではない、別の何かか介在しているような、そんな気がします・・・まあ、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」と言う本は、あまり、面白く無かったし、途中で挫折してしまったので、確かなことは言えませんけど・・・面白くなかったのは、ワタクシが、ブルジョワで無かったからかも・・?・・「自画自賛」には、興味無しですしね・・・

    イチオシ

     大休息室(社交場) オペラ・ガルニエ

     マックス・ウェーバーは、カルヴィニズムの禁欲と勤勉な労働が、「富」の蓄積を生んだという事は、それなりに説明しているように見えますけれど、でも、それだけで「資本主義」が成立したとは考えていなかったようです・・・水野和夫氏の本「資本主義の終焉と歴史の危機」では、資本主義を成り立たせるものは「利潤」であり「利子」なのだと述べています・・・そして、「利潤」や「利子」を可能にする為には、常に「周辺」の存在を必要とすると述べています・・・マックス・ウェーバーも同じように、カルヴィニストの富の追求が、やがて「利潤の追求」と「利子の肯定」に至ったことを述べているのですけれど・・・何故、謹厳実直で、善良なるキリスト者が、それまで「罪悪」とされていた「利子」を容認するようになったのか?・・・そこの処は、あまり、説得力が有るようには見えません・・・単なる「富」の蓄積と、それとは別の「資本主義」を成り立たせる「利子」や「利潤」の間には、プロテスタンティズムではない、別の何かか介在しているような、そんな気がします・・・まあ、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」と言う本は、あまり、面白く無かったし、途中で挫折してしまったので、確かなことは言えませんけど・・・面白くなかったのは、ワタクシが、ブルジョワで無かったからかも・・?・・「自画自賛」には、興味無しですしね・・・

  •  大休息室(社交場) オペラ・ガルニエ<br /><br /> 「資本主義の終焉と歴史の危機」においては、単なる「富」の蓄積では無く、その「富」を集合させる為の、「利子」こそが「資本主義」を成り立たせる「本質」であると述べられています・・・つまり、今現在の世界において、「利子」が限りなく「ゼロ」に近い事は、「資本主義」が、その限界に近ずいている事を示しているのだとか・・・<br />

     大休息室(社交場) オペラ・ガルニエ

     「資本主義の終焉と歴史の危機」においては、単なる「富」の蓄積では無く、その「富」を集合させる為の、「利子」こそが「資本主義」を成り立たせる「本質」であると述べられています・・・つまり、今現在の世界において、「利子」が限りなく「ゼロ」に近い事は、「資本主義」が、その限界に近ずいている事を示しているのだとか・・・

  •  オペラ・ガルニエ<br /><br /> テラスから眺めた、外の風景・・・観光客が座っている「階段」が見えます・・・<br /><br /> 水野和夫氏によれば、「資本主義」の限界が、何故、訪れたかと言えば、それは、第三世界や植民地やフロンティア等の「周辺」の消失であると、述べています・・・言葉を変えて言えば、第三世界やフロンティアと言う名の「搾取の源」が、もはや無くなったという事でしょうか・・・ざっくり言えば「利子」や「利潤」とは、「搾取」によって成立するものであり、「資本主義」とは「搾取」によって成り立つ「経済システム」であるという事になるようです・・・

     オペラ・ガルニエ

     テラスから眺めた、外の風景・・・観光客が座っている「階段」が見えます・・・

     水野和夫氏によれば、「資本主義」の限界が、何故、訪れたかと言えば、それは、第三世界や植民地やフロンティア等の「周辺」の消失であると、述べています・・・言葉を変えて言えば、第三世界やフロンティアと言う名の「搾取の源」が、もはや無くなったという事でしょうか・・・ざっくり言えば「利子」や「利潤」とは、「搾取」によって成立するものであり、「資本主義」とは「搾取」によって成り立つ「経済システム」であるという事になるようです・・・

  •  オペラ・ガルニエ<br /><br /> どの部屋だったか・・・?<br /><br /> 銀行等の「利子」が限りなくゼロに近くなり、「資本主義」に危機が訪れたのが、「周辺」や「フロンティア」の消失であることから・・・今「資本主義」は、これまでは「外部」にあった「周辺」を「内部」に作り出す事に励んでいるのだとか・・・アメリカを筆頭に、先進国の国内における「貧富の格差」の拡大と、国内での、貧困の創出の意味は、まさにここにあるのだとか・・・そして、アメリカの「資本主義」は、もはや、自国内の「周辺」さえも食い尽くし・・・今は、属国(日本等)の「周辺化」「フロンティア化」を、次の目標としているという・・・それが「TPP」等の真の意味であるようです・・・

     オペラ・ガルニエ

     どの部屋だったか・・・?

     銀行等の「利子」が限りなくゼロに近くなり、「資本主義」に危機が訪れたのが、「周辺」や「フロンティア」の消失であることから・・・今「資本主義」は、これまでは「外部」にあった「周辺」を「内部」に作り出す事に励んでいるのだとか・・・アメリカを筆頭に、先進国の国内における「貧富の格差」の拡大と、国内での、貧困の創出の意味は、まさにここにあるのだとか・・・そして、アメリカの「資本主義」は、もはや、自国内の「周辺」さえも食い尽くし・・・今は、属国(日本等)の「周辺化」「フロンティア化」を、次の目標としているという・・・それが「TPP」等の真の意味であるようです・・・

  •  オペラ・ガルニエ<br /><br /> 劇場(舞台)の天井の、シャガールの作品・・・キンキラの劇場には、なんとなく不似合いな気もしますけれど・・・シャガールはユダヤ人なのですね・・・先ほど、プロテスタントの倫理による「富」の蓄積と、「資本主義」を成り立たせる「利子」の容認や「利潤」の追求の間には、謹厳・実直な「プロテスタントの倫理」とは、別の何かがあるのでは・・?・・と書きましたけれど、答えの一つは、此処に有るのかも?・・・「資本主義」の確立に果たした、「ユダヤ人の役割」ですね・・?・・つまり、「利子」を取る「銀行業」と言うのは、元々、キリスト教社会では、ユダヤ人の仕事だったのですね、近代の資本主義に果たした、ユダヤ人の「倫理」と「道徳」が、プロテスタンティズムの「倫理」以上に、「利子」や「利潤」の容認という「資本主義の経済システム」の本質に、より重要な役割を果たしているのではないかと言う、ワタクシの仮説・・・?<br /><br /> 新興の「ブルジョワ成金」と「ユダヤ資本]との蜜月・協力関係が、この「劇場」と「天井」に見て取れるというのは、少し、うがち過ぎでしょうか・・?・・「資本主義という経済システム」が、何故、いち早く「プロテスタント」の国々(オランダ・イギリス・スイス・アメリカ等)で花開き、「カソリック」の有力な国々(スペイン・イタリア・フランス等)で遅れたのか?、それは、事実ではあるけれど・・・そこにただ、「プロテスタンティズムの倫理」を見ることは、あまりにも単純で、安直すぎるのではなかろうか?・・・ワタクシには、単に、これら「プロテスタント」の国々に於いては、「銀行家」としてのユダヤ人たちが、「カソリック諸国」以上に、商業活動の自由を持っていたと考えたほうが、合理的に見えます・・・そして、台頭する「ブルジョワ」たちが、いち早く、その、ユダヤ人達の「職業倫理」と「商道徳」を我が物としたのだと・・・謂わば、「資本主義」とは、カルヴィニズムの「倫理」以上に、当時の、ユダヤ人達の「職業倫理」と「商道徳」が、色濃く花開いた「経済システム」ではないのかという事?・・・厳しく言えば、シェイイクスピアーの「ベニスの商人」の世界ですけれど・・・゜天井の「シャガール」が、その秘密を囁いているように、ワタクシには聞こえる・・・たぶん、空耳?

    イチオシ

     オペラ・ガルニエ

     劇場(舞台)の天井の、シャガールの作品・・・キンキラの劇場には、なんとなく不似合いな気もしますけれど・・・シャガールはユダヤ人なのですね・・・先ほど、プロテスタントの倫理による「富」の蓄積と、「資本主義」を成り立たせる「利子」の容認や「利潤」の追求の間には、謹厳・実直な「プロテスタントの倫理」とは、別の何かがあるのでは・・?・・と書きましたけれど、答えの一つは、此処に有るのかも?・・・「資本主義」の確立に果たした、「ユダヤ人の役割」ですね・・?・・つまり、「利子」を取る「銀行業」と言うのは、元々、キリスト教社会では、ユダヤ人の仕事だったのですね、近代の資本主義に果たした、ユダヤ人の「倫理」と「道徳」が、プロテスタンティズムの「倫理」以上に、「利子」や「利潤」の容認という「資本主義の経済システム」の本質に、より重要な役割を果たしているのではないかと言う、ワタクシの仮説・・・?

     新興の「ブルジョワ成金」と「ユダヤ資本]との蜜月・協力関係が、この「劇場」と「天井」に見て取れるというのは、少し、うがち過ぎでしょうか・・?・・「資本主義という経済システム」が、何故、いち早く「プロテスタント」の国々(オランダ・イギリス・スイス・アメリカ等)で花開き、「カソリック」の有力な国々(スペイン・イタリア・フランス等)で遅れたのか?、それは、事実ではあるけれど・・・そこにただ、「プロテスタンティズムの倫理」を見ることは、あまりにも単純で、安直すぎるのではなかろうか?・・・ワタクシには、単に、これら「プロテスタント」の国々に於いては、「銀行家」としてのユダヤ人たちが、「カソリック諸国」以上に、商業活動の自由を持っていたと考えたほうが、合理的に見えます・・・そして、台頭する「ブルジョワ」たちが、いち早く、その、ユダヤ人達の「職業倫理」と「商道徳」を我が物としたのだと・・・謂わば、「資本主義」とは、カルヴィニズムの「倫理」以上に、当時の、ユダヤ人達の「職業倫理」と「商道徳」が、色濃く花開いた「経済システム」ではないのかという事?・・・厳しく言えば、シェイイクスピアーの「ベニスの商人」の世界ですけれど・・・゜天井の「シャガール」が、その秘密を囁いているように、ワタクシには聞こえる・・・たぶん、空耳?

  •  観客席 オペラ・ガルニエ<br /><br /> 座席もキンキラ・・・朱色も派手・・・水野和夫氏によれば、この地球上の、人類の歴史で、「豊かさ」を享受出来た人々は、あらゆる社会で、常に、人口の「15%」程度なのだとか・・・近代の一時期に、北半球の多くの自称・先進国で、社会の下層の人々までが「豊かさ」を享受出来たのは、ひとえに、第三世界と言う「周辺」が存在したからなのだと・・・第三世界が、もはや「搾取」と「収奪」の「フロンティア」と成り得なくなった時、自称・先進国の多くの国民が、豊かさを享受できる「15%」の内に入れる保証は、もはや、無くなったという事になります・・・「富」が更に、その一部に集中すればするほど、その「豊かさの享受」のパーセンテージは、更に少なくなる理屈ですけれど、アメリカ辺りでは、それは今や、「1%」に成っているとか?・・・勿論、こんな事が、何時までも続くはずは無いし・・・誰も、語らないけれど、実際の、世界の状況はまさに、フランス革命の「前夜」と同じなのかもしれません・・・バーニー・サンダースやトランプ現象の、真の意味が、このあたりに有りそうなのですね・・・

     観客席 オペラ・ガルニエ

     座席もキンキラ・・・朱色も派手・・・水野和夫氏によれば、この地球上の、人類の歴史で、「豊かさ」を享受出来た人々は、あらゆる社会で、常に、人口の「15%」程度なのだとか・・・近代の一時期に、北半球の多くの自称・先進国で、社会の下層の人々までが「豊かさ」を享受出来たのは、ひとえに、第三世界と言う「周辺」が存在したからなのだと・・・第三世界が、もはや「搾取」と「収奪」の「フロンティア」と成り得なくなった時、自称・先進国の多くの国民が、豊かさを享受できる「15%」の内に入れる保証は、もはや、無くなったという事になります・・・「富」が更に、その一部に集中すればするほど、その「豊かさの享受」のパーセンテージは、更に少なくなる理屈ですけれど、アメリカ辺りでは、それは今や、「1%」に成っているとか?・・・勿論、こんな事が、何時までも続くはずは無いし・・・誰も、語らないけれど、実際の、世界の状況はまさに、フランス革命の「前夜」と同じなのかもしれません・・・バーニー・サンダースやトランプ現象の、真の意味が、このあたりに有りそうなのですね・・・

  •  観客席 オペラ・ガルニエ<br /><br /> こちらも、キンキラ・・・ホントに、成金の「ブルジョワ」と言うのは、金色がお好きなのですね・・・まあ、一応、綺麗には見えるけど・・・品が良いのか悪いのか、ワタクシの未熟な「審美眼」では、判断出来ません・・・ヴェルサイユなんかのキンキラは、とても、センスが良いとは、思えなかったですけれど・・・

    イチオシ

     観客席 オペラ・ガルニエ

     こちらも、キンキラ・・・ホントに、成金の「ブルジョワ」と言うのは、金色がお好きなのですね・・・まあ、一応、綺麗には見えるけど・・・品が良いのか悪いのか、ワタクシの未熟な「審美眼」では、判断出来ません・・・ヴェルサイユなんかのキンキラは、とても、センスが良いとは、思えなかったですけれど・・・

  •  観客席 オペラ・ガルニエ<br /><br /> でも、「資本主義」はどのようにして終わるのでしょう?・・・水野和夫氏によれば、あと100年程度は、さまざまに「周辺」を作りながら「搾取」を繰り返し、「資本主義」は、生き延びようとするだろう・・・との事ですけれど・・・その前には、様々な処で「クラッシュ」しそうですね・・・そして、「資本主義」が、完全に見捨てられ、終わった後に、どんな「経済システム」が現れるのか、其れが「マルクス」の言う「共産主義社会」なのか、或いは、もっと別の、革命的な「システム」なのか・・・ワタクシには解りませんけれど・・・気付かないだけで、今もすでに、その「胎動」は有るのかもしれません・・・?・・・でもまあ、それまで、あと100年も、人類の社会が、生き延びられるかどうか?・・・ワタクシは、そちらの方が、更に、心配ですけれど・・・

     観客席 オペラ・ガルニエ

     でも、「資本主義」はどのようにして終わるのでしょう?・・・水野和夫氏によれば、あと100年程度は、さまざまに「周辺」を作りながら「搾取」を繰り返し、「資本主義」は、生き延びようとするだろう・・・との事ですけれど・・・その前には、様々な処で「クラッシュ」しそうですね・・・そして、「資本主義」が、完全に見捨てられ、終わった後に、どんな「経済システム」が現れるのか、其れが「マルクス」の言う「共産主義社会」なのか、或いは、もっと別の、革命的な「システム」なのか・・・ワタクシには解りませんけれど・・・気付かないだけで、今もすでに、その「胎動」は有るのかもしれません・・・?・・・でもまあ、それまで、あと100年も、人類の社会が、生き延びられるかどうか?・・・ワタクシは、そちらの方が、更に、心配ですけれど・・・

  •  博物館 オペラ・ガルニエ<br /><br /> 回廊に有った「Museo」を見物します、これは、舞台のミニチュア・・・オペラ「ローエングリン」なのだとか・・・と言われても、ワタクシにはピンとこないけど・・・オペラって、ワタクシの耳には、猫や犬の、苦しそうな「悲鳴」にしか聞こえない・・・ハハ・・・

     博物館 オペラ・ガルニエ

     回廊に有った「Museo」を見物します、これは、舞台のミニチュア・・・オペラ「ローエングリン」なのだとか・・・と言われても、ワタクシにはピンとこないけど・・・オペラって、ワタクシの耳には、猫や犬の、苦しそうな「悲鳴」にしか聞こえない・・・ハハ・・・

  •  博物館 オペラ・ガルニエ<br /><br /> これも「ローエングリン」なのでしょうか・・・確か?、ワーグナーでしたっけ、聞いたことないですけど・・・一部くらいは聞いてるかも・・?<br /><br /> 纏めです・・・「資本主義」が「周辺」や「搾取」によってしか成り立たない「経済システム」だとしても・・・「マックス・ウェーバー」の言説に、ある程度の真実が有るとすれば・・・「経済システム」とは、本質的に、「倫理」や「道徳」を含む、「人間性」の結果であり、様々な、変革可能な「社会システム」の一つだという事に成ります・・・繰り返すけれど、「経済システム」と言うものが、所詮は、その時代の人間社会の「人間性」の「現れ」にすぎないのだとすれば・・・「資本主義経済システム」とは、基本的には、数百年前に台頭した「ブルジョワジー」と呼ばれる社会階層の人々の「人間性」の現れと言う事に成ります・・・<br /><br /> もし、その「資本主義システム」が、必然的に終わるとすれば、同時にそれは、「ブルジョワジー」の「人間性」に代わる、「新しい社会階層」の、新しい「倫理」や「モラル」が、基盤となるのかもしれません・・・あるいは「ブルジョワジー」自身の「改心」が有るか?・・・出来れば、その「システム」が、少しは進歩した「倫理観」や「道徳観」を持つ、いくらかでも良質の「人間性」に由来するものであってほしいと、ワタクシは、そんな風に、願います・・・人間社会の、「教育」や「経験」や「歴史」と言うものは、本来、その「進歩」や「理想」の為に、有る筈のものなのだから・・・?

     博物館 オペラ・ガルニエ

     これも「ローエングリン」なのでしょうか・・・確か?、ワーグナーでしたっけ、聞いたことないですけど・・・一部くらいは聞いてるかも・・?

     纏めです・・・「資本主義」が「周辺」や「搾取」によってしか成り立たない「経済システム」だとしても・・・「マックス・ウェーバー」の言説に、ある程度の真実が有るとすれば・・・「経済システム」とは、本質的に、「倫理」や「道徳」を含む、「人間性」の結果であり、様々な、変革可能な「社会システム」の一つだという事に成ります・・・繰り返すけれど、「経済システム」と言うものが、所詮は、その時代の人間社会の「人間性」の「現れ」にすぎないのだとすれば・・・「資本主義経済システム」とは、基本的には、数百年前に台頭した「ブルジョワジー」と呼ばれる社会階層の人々の「人間性」の現れと言う事に成ります・・・

     もし、その「資本主義システム」が、必然的に終わるとすれば、同時にそれは、「ブルジョワジー」の「人間性」に代わる、「新しい社会階層」の、新しい「倫理」や「モラル」が、基盤となるのかもしれません・・・あるいは「ブルジョワジー」自身の「改心」が有るか?・・・出来れば、その「システム」が、少しは進歩した「倫理観」や「道徳観」を持つ、いくらかでも良質の「人間性」に由来するものであってほしいと、ワタクシは、そんな風に、願います・・・人間社会の、「教育」や「経験」や「歴史」と言うものは、本来、その「進歩」や「理想」の為に、有る筈のものなのだから・・・?

  •  博物館 オペラ・ガルニエ<br /><br /> オペラ・スターの肖像画のようです・・・「L・Doucet」と、名前が書かれていますけど、どんな人だったのかは、全く知りません・・・どなたか、解る人、教えてくださいませ。

     博物館 オペラ・ガルニエ

     オペラ・スターの肖像画のようです・・・「L・Doucet」と、名前が書かれていますけど、どんな人だったのかは、全く知りません・・・どなたか、解る人、教えてくださいませ。

  •  大階段 オペラ・ガルニエ<br /><br /> 最後に、大階段の風景・・・此処も「キンキラ」・・・写真下の、女性が二人立っている所が、記念写真のスポットになっているようです。

     大階段 オペラ・ガルニエ

     最後に、大階段の風景・・・此処も「キンキラ」・・・写真下の、女性が二人立っている所が、記念写真のスポットになっているようです。

  •  モンマルトル<br /><br /> 今日の「ノルマ」を終えて、「モンマルトル」へ帰ります・・・こちらは、新しい「ムーラン・ルージュ」、この辺りには「風俗店」が多い・・・今でも「カンカン踊り」をやってるんでしょうかね・・・ワタクシの予算では、ちと苦しい・・・自転車を買い戻してもらえなくなってしまったし・・・150ユーロくらいは、大丈夫だろうと思ってたのに・・・お土産代が少なくなってしまいました・・・

     モンマルトル

     今日の「ノルマ」を終えて、「モンマルトル」へ帰ります・・・こちらは、新しい「ムーラン・ルージュ」、この辺りには「風俗店」が多い・・・今でも「カンカン踊り」をやってるんでしょうかね・・・ワタクシの予算では、ちと苦しい・・・自転車を買い戻してもらえなくなってしまったし・・・150ユーロくらいは、大丈夫だろうと思ってたのに・・・お土産代が少なくなってしまいました・・・

    ムーラン ルージュ ナイトライフ

  •  モンマルトル<br /><br /> 階段のある風景・・・登って行ったら、「サクレ・クール寺院」の丘ですね・・・

     モンマルトル

     階段のある風景・・・登って行ったら、「サクレ・クール寺院」の丘ですね・・・

  •  サクレクール寺院 モンマルトル<br /><br /> 一応、ご挨拶・・・また来たよ・・・今日は入りませんけれど・・・

    イチオシ

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     サクレクール寺院 モンマルトル

     一応、ご挨拶・・・また来たよ・・・今日は入りませんけれど・・・

    サクレクール寺院 寺院・教会

  •  モンマルトル<br /><br /> モンマルトルの夕暮れです・・・偶然写った女性が、なかなか魅力的ですね・・・

     モンマルトル

     モンマルトルの夕暮れです・・・偶然写った女性が、なかなか魅力的ですね・・・

  •  HotelMont-martre モンマルトル<br /><br /> ホテルの部屋です・・・自転車をどう処分するか? 思案していたのですけれど、ホテルのお兄ちゃんに、事情を話して・・・「自転車を売りたいんだけど、誰かいない?・・いい自転車だから・・」と言ったら、自転車を見るなり「いい自転車だ! 私が買う、いくら?」との事・・・・どうせ、いざとなったら、ホームレスにでもあげようと思っていたので、「ディナーが食べられればいいから、20ユーロでいいよ」と言ったら・・・「40ユーロで買う!」とのこと、なかなか良心的です・・・まあ、中古ですけど600ユーロもしたし、普通に、新車で買えば、20万円を超える「Canondale社」製です・・・多分、ホテルのお兄ちゃんの給料では、簡単には買えません・・・とっても、嬉しそうだったので・・・ワタクシも嬉しい・・・

     HotelMont-martre モンマルトル

     ホテルの部屋です・・・自転車をどう処分するか? 思案していたのですけれど、ホテルのお兄ちゃんに、事情を話して・・・「自転車を売りたいんだけど、誰かいない?・・いい自転車だから・・」と言ったら、自転車を見るなり「いい自転車だ! 私が買う、いくら?」との事・・・・どうせ、いざとなったら、ホームレスにでもあげようと思っていたので、「ディナーが食べられればいいから、20ユーロでいいよ」と言ったら・・・「40ユーロで買う!」とのこと、なかなか良心的です・・・まあ、中古ですけど600ユーロもしたし、普通に、新車で買えば、20万円を超える「Canondale社」製です・・・多分、ホテルのお兄ちゃんの給料では、簡単には買えません・・・とっても、嬉しそうだったので・・・ワタクシも嬉しい・・・

  •  モンマルトル<br /><br /> 自転車が売れたので、ホテルの近くで、二日連続の「中華」が食べれました・・・ビールは「青島」で・・・テイクアウトのお店ですけれど、中には「テーブル」も有って、ゆっくり食べれます。<br /><br /> 明日は、ついに、最後の一日・・・サン・ドニに行く予定です・・・

     モンマルトル

     自転車が売れたので、ホテルの近くで、二日連続の「中華」が食べれました・・・ビールは「青島」で・・・テイクアウトのお店ですけれど、中には「テーブル」も有って、ゆっくり食べれます。

     明日は、ついに、最後の一日・・・サン・ドニに行く予定です・・・

  •  8月18日(火) モンマルトル パリ<br /><br /> 最後の一日です・・・本日は、まず最初に「サン・ドニ」まで・・・

     8月18日(火) モンマルトル パリ

     最後の一日です・・・本日は、まず最初に「サン・ドニ」まで・・・

  •  Saint Denis Basilique Saint-Denis サン・ドニ<br /><br /> あっという間に、「サン・ドニ」に到着・・・確かに、「サンス」の「サン・テティエンヌ大聖堂」に似てますね・・・因みに、この教会に来るのは二度目です・・・今回の目的は、前回(2011年)の訪問で見忘れた、フランス王家の「霊廟」です。

    イチオシ

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     Saint Denis Basilique Saint-Denis サン・ドニ

     あっという間に、「サン・ドニ」に到着・・・確かに、「サンス」の「サン・テティエンヌ大聖堂」に似てますね・・・因みに、この教会に来るのは二度目です・・・今回の目的は、前回(2011年)の訪問で見忘れた、フランス王家の「霊廟」です。

    サン ドニ バジリカ大聖堂 寺院・教会

  •  サン・ドニ大聖堂 <br /><br /> 正面中央の「時計」です・・・「サンス」の教会には無かったですけど、似たような「薔薇の窓」は有りました。

     サン・ドニ大聖堂 

     正面中央の「時計」です・・・「サンス」の教会には無かったですけど、似たような「薔薇の窓」は有りました。

  •  サン・ドニ大聖堂 <br /><br /> 四年前には、長年の汚れで真っ黒だった入り口です・・・綺麗に、お色直しが出来てるようで・・・ご同慶の至り・・・

     サン・ドニ大聖堂 

     四年前には、長年の汚れで真っ黒だった入り口です・・・綺麗に、お色直しが出来てるようで・・・ご同慶の至り・・・

  •  サン・ドニ大聖堂 <br /><br /> タンパンの絵柄は「最後の審判」のようですけれど、最下段の、棺桶から出てきた人々のレリーフを見ないと、其れとは解らない、地味な絵柄です・・・アーキヴォルトに描かれているのは、主として「聖人」たちだと思いますけれど、いちばん内側には、天国行の人々と、地獄行の人々が描かれています・・・「最後の審判」の絵柄としては、珍しい「レイアウト」ですね・・・

     サン・ドニ大聖堂 

     タンパンの絵柄は「最後の審判」のようですけれど、最下段の、棺桶から出てきた人々のレリーフを見ないと、其れとは解らない、地味な絵柄です・・・アーキヴォルトに描かれているのは、主として「聖人」たちだと思いますけれど、いちばん内側には、天国行の人々と、地獄行の人々が描かれています・・・「最後の審判」の絵柄としては、珍しい「レイアウト」ですね・・・

  •  サン・ドニ大聖堂<br /><br /> もう少し、解りやすいように「ズーム・アップ」しておきます。

     サン・ドニ大聖堂

     もう少し、解りやすいように「ズーム・アップ」しておきます。

  •  サン・ドニ大聖堂 <br /><br /> 向かって右側の入口です・・・こちらも、綺麗になってます。

     サン・ドニ大聖堂 

     向かって右側の入口です・・・こちらも、綺麗になってます。

  •  サン・ドニ大聖堂<br /><br /> 右側入口「タンパン」の、ズームアップです・・・中央の司教冠を被っているのは「サン・ドニ」さんでしょうか?・・・首がくっ付いたのかな・・・?

     サン・ドニ大聖堂

     右側入口「タンパン」の、ズームアップです・・・中央の司教冠を被っているのは「サン・ドニ」さんでしょうか?・・・首がくっ付いたのかな・・・?

  •  サン・ドニ大聖堂 <br /><br /> 向かって左の扉口、タンパンのアップです・・・wizさんの旅行記に依れば、この左側の入口には、元々は、修道院長「シジェール」が造らせた「聖母の戴冠」のモザイク」が有ったのだとか・・・現在のレリーフは、19世紀に造り直されたもので、「サン・ドニと、その弟子たち」なのだとか、ロマネスクっぽく創ってますけど、パッチものなんですね・・ハハ・・・手首を縛られ、首に鎖を付けられてます・・・天使が、弟子たちの頭にも、リングを配っているように見えます・・・

     サン・ドニ大聖堂 

     向かって左の扉口、タンパンのアップです・・・wizさんの旅行記に依れば、この左側の入口には、元々は、修道院長「シジェール」が造らせた「聖母の戴冠」のモザイク」が有ったのだとか・・・現在のレリーフは、19世紀に造り直されたもので、「サン・ドニと、その弟子たち」なのだとか、ロマネスクっぽく創ってますけど、パッチものなんですね・・ハハ・・・手首を縛られ、首に鎖を付けられてます・・・天使が、弟子たちの頭にも、リングを配っているように見えます・・・

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂 <br /><br /> 今回の目的は此処「王家の霊廟」です・・・メロヴィング朝のクローヴィス以来の、ほぼすべての王(8人を省く)と、その妻や、幼くして死んだ子供たちが葬られているのだとか・・・因みに、ルイ16世と王妃(マリー・アントワネット)は、革命時代に、別の墓地に葬られたものの、王政復古の時代に、ルイ18世によって探し出され、今は、この霊廟の地下の納骨堂に埋葬されているのだそうです・・・Wikiに依る・・・

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂 

     今回の目的は此処「王家の霊廟」です・・・メロヴィング朝のクローヴィス以来の、ほぼすべての王(8人を省く)と、その妻や、幼くして死んだ子供たちが葬られているのだとか・・・因みに、ルイ16世と王妃(マリー・アントワネット)は、革命時代に、別の墓地に葬られたものの、王政復古の時代に、ルイ18世によって探し出され、今は、この霊廟の地下の納骨堂に埋葬されているのだそうです・・・Wikiに依る・・・

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> 霊廟での、お墓の並び方は、かなり「ランダム」ですけれど、この旅行記では、年代の古い順に並べてみます・・・まず最初は、メロヴィング朝の創始者「クローヴィス」(在位481年〜511年)・・・この「霊廟」が出来たのは、ルイ9世(在位:1226年〜1270年)によるもので、カペー朝がメロヴィング朝の正式の後継王朝であることを示す為。制作されたものなのだとか・・・従って、彫像は「ゴシック風」ですね・・・もちろん、この霊廟が作られたのは「ルイ9世」の時代なので、クローヴィスの「遺体」が入っているわけではありません・・・wizさんの旅行記によれば、彼の遺体は、おそらく現アンリ4世高等学校(サント・ジュヌヴィエーヴ修道院 Abbaye Sainte-Genevieve de Paris) にあるだろうとされているようです。<br /><br /> 因みに、ルイ9世の時代以降の王族の遺体の方は、其々の石棺に入っていたらしいのですけれど、フランス革命時に引きずり出され、纏めて、地下(クリプト)の穴倉に放り込まれたのだとか・・・もはや、誰が誰やらも解らず、、そのままになっているらしい・・・

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     霊廟での、お墓の並び方は、かなり「ランダム」ですけれど、この旅行記では、年代の古い順に並べてみます・・・まず最初は、メロヴィング朝の創始者「クローヴィス」(在位481年〜511年)・・・この「霊廟」が出来たのは、ルイ9世(在位:1226年〜1270年)によるもので、カペー朝がメロヴィング朝の正式の後継王朝であることを示す為。制作されたものなのだとか・・・従って、彫像は「ゴシック風」ですね・・・もちろん、この霊廟が作られたのは「ルイ9世」の時代なので、クローヴィスの「遺体」が入っているわけではありません・・・wizさんの旅行記によれば、彼の遺体は、おそらく現アンリ4世高等学校(サント・ジュヌヴィエーヴ修道院 Abbaye Sainte-Genevieve de Paris) にあるだろうとされているようです。

     因みに、ルイ9世の時代以降の王族の遺体の方は、其々の石棺に入っていたらしいのですけれど、フランス革命時に引きずり出され、纏めて、地下(クリプト)の穴倉に放り込まれたのだとか・・・もはや、誰が誰やらも解らず、、そのままになっているらしい・・・

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> キルデベルト1世(Childebert 496年頃〜558年12月23日) の石棺、クロヴィス1世と王妃クロティルデの次男、父の死後、兄弟との間で、領地を分割相続して「パリ王」(在位:511年 - 558年)となったとか・・当時の「パリ王国」とはソンム川とロワール川の間に挟まれた地域を領土としており、ブルターニュ、ノルマンディー、ブリーの諸地方およびアキテーヌ地方西部から構成されていたとか・・・後には、弟クロタールと図り、兄弟の領地「オルレアン」を奪ったり、「ブルグント王国」ヲ攻撃して「プロヴァンス」を領有したとか・・・結構やり手・・・されど、男子の子が無かったため、その領地は、死後にに弟「クロタール」に奪われ、妻と娘は「追放」の憂き目にあったとか・・・薄情な時代なのです・・・キルデベルト1世の遺体は、自らが建立したパリの聖ヴァンサン修道院(後にサン=ジェルマン=デ=プレ修道院)に葬られたとか・・・この修道院はその後、メロヴィング家の霊廟に定められ、キルデベルトは同修道院に埋葬された王家の最初の人物となり、未亡人ウルトゥロゴタも、死後に夫と同じ修道院に埋葬されているとか・・・wikiによる。

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     キルデベルト1世(Childebert 496年頃〜558年12月23日) の石棺、クロヴィス1世と王妃クロティルデの次男、父の死後、兄弟との間で、領地を分割相続して「パリ王」(在位:511年 - 558年)となったとか・・当時の「パリ王国」とはソンム川とロワール川の間に挟まれた地域を領土としており、ブルターニュ、ノルマンディー、ブリーの諸地方およびアキテーヌ地方西部から構成されていたとか・・・後には、弟クロタールと図り、兄弟の領地「オルレアン」を奪ったり、「ブルグント王国」ヲ攻撃して「プロヴァンス」を領有したとか・・・結構やり手・・・されど、男子の子が無かったため、その領地は、死後にに弟「クロタール」に奪われ、妻と娘は「追放」の憂き目にあったとか・・・薄情な時代なのです・・・キルデベルト1世の遺体は、自らが建立したパリの聖ヴァンサン修道院(後にサン=ジェルマン=デ=プレ修道院)に葬られたとか・・・この修道院はその後、メロヴィング家の霊廟に定められ、キルデベルトは同修道院に埋葬された王家の最初の人物となり、未亡人ウルトゥロゴタも、死後に夫と同じ修道院に埋葬されているとか・・・wikiによる。

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> 色大理石と銅のモザイクで作られた石棺・・・・血なまぐさいと言われる「メロヴィング朝」の歴史の中でも、極め付きに残虐であったと言われる、王妃「フレデグンド」(Fredegonde)の石棺・・・彼女は、メロヴィング朝の一族・スワソンの王「キリベリク1世」の元愛妾であり、キリべりク1世の最初の妻「アウドヴェラ」を、奸計をめぐらして、修道院に追いやって後、その二人の子共を暗殺・・・2度目の妻である、西ゴート族の王女「ガルスウィント」をも暗殺、そのため、その妹であるブルグントの王妃「ブルンヒルド」とは、40年以上の抗争を繰り返したのだとか・・・ともあれ、彼女の奮闘の甲斐あってか、息子「クロータール2世」は、無事に「メロヴィング朝」三代目の王として就任・・・彼女も、死後は無事に、サン・ドニの修道院に葬られたとか・・・この石棺は、本物なのでしょうか?・・・因みに、その「残虐さ」ゆえ、シンデレラの継母のモデルであるとの説もあるとか・・・<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%B0%E3%83%B3%E3%83%89

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     色大理石と銅のモザイクで作られた石棺・・・・血なまぐさいと言われる「メロヴィング朝」の歴史の中でも、極め付きに残虐であったと言われる、王妃「フレデグンド」(Fredegonde)の石棺・・・彼女は、メロヴィング朝の一族・スワソンの王「キリベリク1世」の元愛妾であり、キリべりク1世の最初の妻「アウドヴェラ」を、奸計をめぐらして、修道院に追いやって後、その二人の子共を暗殺・・・2度目の妻である、西ゴート族の王女「ガルスウィント」をも暗殺、そのため、その妹であるブルグントの王妃「ブルンヒルド」とは、40年以上の抗争を繰り返したのだとか・・・ともあれ、彼女の奮闘の甲斐あってか、息子「クロータール2世」は、無事に「メロヴィング朝」三代目の王として就任・・・彼女も、死後は無事に、サン・ドニの修道院に葬られたとか・・・この石棺は、本物なのでしょうか?・・・因みに、その「残虐さ」ゆえ、シンデレラの継母のモデルであるとの説もあるとか・・・
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%B0%E3%83%B3%E3%83%89

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> こちらは、まず最初に、向かって左側の一番奥が「カール・マルテル」(685〜741)・・・「メロヴィング朝」の宰相であり、自身は、王には成らなかったけれど、「カロリング朝」の御先祖・・・「トゥール・ポワティエの戦い」で、イスラム軍を撃破し、キリスト教のヨーロッパを守った人として、世界史で、必ず出てくる方・・・<br /><br /> その手前は「クローヴィス二世」(在位:639年〜658年)メロヴィング朝5代目の王・・・<br /><br /> 他の3人は「カペー朝」の人々・・・一番手前の女性は「イザベル・ダラゴン」(Isabelle d&#39;Aragon, 1247年〜1271年)で、「カペー朝」のフランス王フィリップ3世の王妃で、フィリップ4世の母・・・父はアラゴン王ハイメ1世、母はその2番目の妃でハンガリー王アンドラーシュ2世の娘ビオランテ・・・wikiによる。<br /><br /> 向かって右側の二人は、その亭主「フィリップ3世」(在位:1270〜85年)と、その息子「フィリップ4世」・・・「3世」のフィリップは、「大胆王」とも呼ばれたらしいけど、どちらかと言えば、おっちょこちょいだったよう? 親「ルイ9世」の七光りで、大過なく過ぎたものの、戦争には、弱かったらしい・・・<br /><br /> その息子「フィリップ4世」(在位:1285年〜1324年)は、言わずと知れた「美男王」・・・ただし性格は陰険で、「テンプル騎士団」に「異端」の嫌疑をかけて「財産」を没収したり・・・「教皇庁」を「アヴィニョン」に移して監視し、教会の「徴税権」に手を突っ込んだりと、金には相当、汚かったよう・・・?

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     こちらは、まず最初に、向かって左側の一番奥が「カール・マルテル」(685〜741)・・・「メロヴィング朝」の宰相であり、自身は、王には成らなかったけれど、「カロリング朝」の御先祖・・・「トゥール・ポワティエの戦い」で、イスラム軍を撃破し、キリスト教のヨーロッパを守った人として、世界史で、必ず出てくる方・・・

     その手前は「クローヴィス二世」(在位:639年〜658年)メロヴィング朝5代目の王・・・

     他の3人は「カペー朝」の人々・・・一番手前の女性は「イザベル・ダラゴン」(Isabelle d'Aragon, 1247年〜1271年)で、「カペー朝」のフランス王フィリップ3世の王妃で、フィリップ4世の母・・・父はアラゴン王ハイメ1世、母はその2番目の妃でハンガリー王アンドラーシュ2世の娘ビオランテ・・・wikiによる。

    向かって右側の二人は、その亭主「フィリップ3世」(在位:1270〜85年)と、その息子「フィリップ4世」・・・「3世」のフィリップは、「大胆王」とも呼ばれたらしいけど、どちらかと言えば、おっちょこちょいだったよう? 親「ルイ9世」の七光りで、大過なく過ぎたものの、戦争には、弱かったらしい・・・

     その息子「フィリップ4世」(在位:1285年〜1324年)は、言わずと知れた「美男王」・・・ただし性格は陰険で、「テンプル騎士団」に「異端」の嫌疑をかけて「財産」を没収したり・・・「教皇庁」を「アヴィニョン」に移して監視し、教会の「徴税権」に手を突っ込んだりと、金には相当、汚かったよう・・・?

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> こちらも「カペー朝」、手前が「アンリ1世」(在位:1031年?1060年)。その向こうは「ルイ6世」(在位:1109〜37年)・・・どちらも、それほど有名ではないですね。

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     こちらも「カペー朝」、手前が「アンリ1世」(在位:1031年?1060年)。その向こうは「ルイ6世」(在位:1109〜37年)・・・どちらも、それほど有名ではないですね。

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> こちらは、王族の人々、手前は、ルイ9世の末弟「シャルル・ダンジュー」(1226〜1285)、ナポリとシシリーの王でもあった人物、アンジュー伯でも有り・・・その向こう側は、「アランソン家」の二人の息子、その向こう側は、ルイ10世の娘、「ブランシュ・ド・フランス」なのだとか・・・シャルル・ダンジュー以外は、誰も知らないですね・・・

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     こちらは、王族の人々、手前は、ルイ9世の末弟「シャルル・ダンジュー」(1226〜1285)、ナポリとシシリーの王でもあった人物、アンジュー伯でも有り・・・その向こう側は、「アランソン家」の二人の息子、その向こう側は、ルイ10世の娘、「ブランシュ・ド・フランス」なのだとか・・・シャルル・ダンジュー以外は、誰も知らないですね・・・

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> その次は「ヴァロワ朝」の人々・・・<br /><br /> こちらは向かって左から「ジャン2世」(在位:1350〜64)、百年戦争の前半で、連戦連敗を続け、最後には、イングランドの捕虜に成り、息子の「シャルル5世」にまで、見放された王様・・・以来、縁起が悪いのか「ジャン」と言うフランス王はいません・・・イングランドの「ジョン王」(失地王)のような、同類ですね。<br /><br /> その右は、「フィリップ6世」(在位;1328〜50)、「ジャン2世」の父親、さすが親子、そっくりですね・・・ヴァロワ朝初代の王、次の写真が、アランソン伯・シャルル2世だとすれば、兄弟にあたります・・・似てないけど?<br /><br /> その右の3人は、左から「フィリップ5世」(在位;1316〜22)&その妻「ジャンヌ・ド・フランス」&その弟「シャルル4世」(在位;1322〜28)「カベー朝」末期の王たちです。<br />

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     その次は「ヴァロワ朝」の人々・・・

     こちらは向かって左から「ジャン2世」(在位:1350〜64)、百年戦争の前半で、連戦連敗を続け、最後には、イングランドの捕虜に成り、息子の「シャルル5世」にまで、見放された王様・・・以来、縁起が悪いのか「ジャン」と言うフランス王はいません・・・イングランドの「ジョン王」(失地王)のような、同類ですね。

     その右は、「フィリップ6世」(在位;1328〜50)、「ジャン2世」の父親、さすが親子、そっくりですね・・・ヴァロワ朝初代の王、次の写真が、アランソン伯・シャルル2世だとすれば、兄弟にあたります・・・似てないけど?

     その右の3人は、左から「フィリップ5世」(在位;1316〜22)&その妻「ジャンヌ・ド・フランス」&その弟「シャルル4世」(在位;1322〜28)「カベー朝」末期の王たちです。

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> アランソン泊・シャルルと、その妃・・・王族としての「アランソン家」は、百年戦争(1337年〜1453年)の少し前に始まるとか・・・シャルルと言うのは1世・2世・3世と、3人続き、多分この人は、2世か3世、調べたけれど、確定できず・・・妃はスペインの姫君の様なのですけど・・・アランソン家は、百年戦争中は、良く王家に仕え、ジャン2世(14091年〜476年)は、ジャンヌ・ダルクの戦友として知られる人物。

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     アランソン泊・シャルルと、その妃・・・王族としての「アランソン家」は、百年戦争(1337年〜1453年)の少し前に始まるとか・・・シャルルと言うのは1世・2世・3世と、3人続き、多分この人は、2世か3世、調べたけれど、確定できず・・・妃はスペインの姫君の様なのですけど・・・アランソン家は、百年戦争中は、良く王家に仕え、ジャン2世(14091年〜476年)は、ジャンヌ・ダルクの戦友として知られる人物。

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> 足元に「獅子」と「ワンちゃん」がいます、男性の足元には「獅子」、女性の足元には「ワンちゃん」という事になっているようです・・・様式としては「中世」の、ルネサンス以前ですね・・・?

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     足元に「獅子」と「ワンちゃん」がいます、男性の足元には「獅子」、女性の足元には「ワンちゃん」という事になっているようです・・・様式としては「中世」の、ルネサンス以前ですね・・・?

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> 幼くして無くなった、アランソン家の姫君の石棺。

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     幼くして無くなった、アランソン家の姫君の石棺。

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> こちらは、「100年戦争」で、大活躍した、初期の「ヴァロワ朝」の人々・・・<br /><br /> 手前の二人は、「シャルル5世」と王妃「ジャンヌ・ド・ブルボン」・・・奥の二人は「シャルル6世」と王妃「イザボー」、その間の二人の騎士は、左の小さいのが「ベルトラン・デュ・ゲクラン」で、大きいのが「ルイ・ド・サンセール」。

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     こちらは、「100年戦争」で、大活躍した、初期の「ヴァロワ朝」の人々・・・

     手前の二人は、「シャルル5世」と王妃「ジャンヌ・ド・ブルボン」・・・奥の二人は「シャルル6世」と王妃「イザボー」、その間の二人の騎士は、左の小さいのが「ベルトラン・デュ・ゲクラン」で、大きいのが「ルイ・ド・サンセール」。

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> 本人の生存中に、本人に似せて作られたといわれる「大理石像」・・・「シャルル5世」(賢明王・在位:1364年〜1380年)です・・・「ジャン2世」と神聖ローマ帝国「カール4世」の姉「ボンヌ・ド・リュクサンブール」の子・・・父「ジャン2世が」「ポワティエの戦い」でイングランド軍に敗れ捕虜となると、王太子のまま摂政となり、困難な国政を担当することとなった・・・幼いころから病弱で、物静かな読書家ながら、軍事面では、名将「ベルトラン・デュ・ゲクラン」を徴用、イングランド軍に奪われていた、大部分の領地を奪回、百年戦争前半のフランスに勝利をもたらした、有能な王様・・・内政面においても、ジャックリーの乱を鎮圧し、王に反旗を翻した「パリ」を奪回、常備軍を設置し、官僚制を引き、税制を改め、後の世の「絶対王政」の基礎を作ったとか・・・・因みに、捕虜となった父に、身代金を払わず「客死」させるという酷薄な面が有るとともに、自らの将軍「ベルトラン・デュ・ゲクラン」には、何度「捕虜」となっても、莫大な身代金を支払ったとか・・・役に立つものと、役に立たないものを、鮮やかに峻別した「リアリスト」という事でしょうか・・・アリストテレスを筆頭に、当時の自由学芸七科を修めた、極めて教養の深い「統治者」であったとか・・・

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     本人の生存中に、本人に似せて作られたといわれる「大理石像」・・・「シャルル5世」(賢明王・在位:1364年〜1380年)です・・・「ジャン2世」と神聖ローマ帝国「カール4世」の姉「ボンヌ・ド・リュクサンブール」の子・・・父「ジャン2世が」「ポワティエの戦い」でイングランド軍に敗れ捕虜となると、王太子のまま摂政となり、困難な国政を担当することとなった・・・幼いころから病弱で、物静かな読書家ながら、軍事面では、名将「ベルトラン・デュ・ゲクラン」を徴用、イングランド軍に奪われていた、大部分の領地を奪回、百年戦争前半のフランスに勝利をもたらした、有能な王様・・・内政面においても、ジャックリーの乱を鎮圧し、王に反旗を翻した「パリ」を奪回、常備軍を設置し、官僚制を引き、税制を改め、後の世の「絶対王政」の基礎を作ったとか・・・・因みに、捕虜となった父に、身代金を払わず「客死」させるという酷薄な面が有るとともに、自らの将軍「ベルトラン・デュ・ゲクラン」には、何度「捕虜」となっても、莫大な身代金を支払ったとか・・・役に立つものと、役に立たないものを、鮮やかに峻別した「リアリスト」という事でしょうか・・・アリストテレスを筆頭に、当時の自由学芸七科を修めた、極めて教養の深い「統治者」であったとか・・・

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> こちらは、その「シャルル5世」とは、特別の感情で繋がれていたといわれる、名将「ベルトラン・デュ・ゲクラン」確かに、伝えられるとおりのチビですけど、それほど、ボロクソに言われるほどの「ブ男」でもなし・・・美男とは、お世辞にも言えないけど・・・「鎧を着た豚」とか、「レンヌからディナンまでで、最も醜い男」とか言われたらしいし、その醜さから、母親にまで疎まれて、子供のころに里子に出されたとか・・・悲しい生い立ちなのですね・・・・「シャルル5世」と出会って後は、その右腕として、「エドワード黒太子」のイングランド軍と戦い、これを海の彼方に追いやることに成功・・・死後は、「シャルル5世」の命により、王家との血のつながりのない人間としてはただ一人、この「霊廟」に葬られることとなったとか (その2か月後にはシャルルも死亡)・・・因みに、心臓だけは、故郷「ディナン」の「サン・ソヴール教会」に収められたとか・・・詳しくは、佐藤賢一氏の小説「双頭の鷲」をどうぞ・・・

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     こちらは、その「シャルル5世」とは、特別の感情で繋がれていたといわれる、名将「ベルトラン・デュ・ゲクラン」確かに、伝えられるとおりのチビですけど、それほど、ボロクソに言われるほどの「ブ男」でもなし・・・美男とは、お世辞にも言えないけど・・・「鎧を着た豚」とか、「レンヌからディナンまでで、最も醜い男」とか言われたらしいし、その醜さから、母親にまで疎まれて、子供のころに里子に出されたとか・・・悲しい生い立ちなのですね・・・・「シャルル5世」と出会って後は、その右腕として、「エドワード黒太子」のイングランド軍と戦い、これを海の彼方に追いやることに成功・・・死後は、「シャルル5世」の命により、王家との血のつながりのない人間としてはただ一人、この「霊廟」に葬られることとなったとか (その2か月後にはシャルルも死亡)・・・因みに、心臓だけは、故郷「ディナン」の「サン・ソヴール教会」に収められたとか・・・詳しくは、佐藤賢一氏の小説「双頭の鷲」をどうぞ・・・

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> 「ベルトラン」の棺の向こう側の、「シャルル6世」(狂気王・在位:1368年 - 1422年)と、その妃「イザボー」の棺・・・せっかく平和になったフランスを、再び、ボロボロにして、イングランド軍を招き入れた二人ですね・・・「シャルル6世」の方は「狂気王」と言われるように、少し病気だったので、仕方のない面もあるけれれど・・・王妃「イザボー」は、「オルレアン公・ルイ」と関係したり、ブルゴーニュ公「ジャン・サン・ブール」と通じたり、挙句の果てには、子どもであるはずの「シャルル7世」の正当性を疑わせるなど、かなり、行動と発言に問題ありの女性 (淫乱女王と呼ばれたとか)・・・ここに、しかも、夫に並んで埋葬されているのが、やや不思議なくらいの人物・・・マア、どうせ、王侯貴族の結婚なんぞ、全て、政略結婚なのだから、こんなものかもしれんけど・・・フランス王家は、心が広い・・・?

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     「ベルトラン」の棺の向こう側の、「シャルル6世」(狂気王・在位:1368年 - 1422年)と、その妃「イザボー」の棺・・・せっかく平和になったフランスを、再び、ボロボロにして、イングランド軍を招き入れた二人ですね・・・「シャルル6世」の方は「狂気王」と言われるように、少し病気だったので、仕方のない面もあるけれれど・・・王妃「イザボー」は、「オルレアン公・ルイ」と関係したり、ブルゴーニュ公「ジャン・サン・ブール」と通じたり、挙句の果てには、子どもであるはずの「シャルル7世」の正当性を疑わせるなど、かなり、行動と発言に問題ありの女性 (淫乱女王と呼ばれたとか)・・・ここに、しかも、夫に並んで埋葬されているのが、やや不思議なくらいの人物・・・マア、どうせ、王侯貴族の結婚なんぞ、全て、政略結婚なのだから、こんなものかもしれんけど・・・フランス王家は、心が広い・・・?

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> 百年戦争も終わって・・・時代は、ぐっと下がって、「ルイ12世」(在位:1498年〜1515年)と、その妃「アンヌ・ド・ブルターニュ」の霊廟・・・この時代辺りから、やたら豪華になってます・・・王家が、お金持ちになったのですね・・・<br /><br /> 「ルイ12世」は、もともとは「オルレアン公」・・・毒蜘蛛とあだ名された「ルイ11世」の息子「シャルル8世」が、男子の息子が無く夭折したために、ヴァロワ家の傍流の「ルイ」に、お鉢が回ってきたもの・・・オルレアン公時代の妻「ジャンヌ」(ルイ11世の娘)を、ローマ法王に直訴して、離縁してもらい、前王(シャルル8世)の妻「アンヌ」を、「ブルターニュ」への野心のために娶ったと言われています・・・オマケに、下段には、死体の裸体像・・・グロです・・・

    イチオシ

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     百年戦争も終わって・・・時代は、ぐっと下がって、「ルイ12世」(在位:1498年〜1515年)と、その妃「アンヌ・ド・ブルターニュ」の霊廟・・・この時代辺りから、やたら豪華になってます・・・王家が、お金持ちになったのですね・・・

     「ルイ12世」は、もともとは「オルレアン公」・・・毒蜘蛛とあだ名された「ルイ11世」の息子「シャルル8世」が、男子の息子が無く夭折したために、ヴァロワ家の傍流の「ルイ」に、お鉢が回ってきたもの・・・オルレアン公時代の妻「ジャンヌ」(ルイ11世の娘)を、ローマ法王に直訴して、離縁してもらい、前王(シャルル8世)の妻「アンヌ」を、「ブルターニュ」への野心のために娶ったと言われています・・・オマケに、下段には、死体の裸体像・・・グロです・・・

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> 「ルイ12世」と「アンヌ・ド・ブルターニュ」・・・「アンヌ」は、「ブルターニュ公国」の最後の女相続人、本来は、神聖ローマ帝国のマクシミリアンとの結婚を望んでいたようなのですけれど、フランス王の圧力に屈して「シャルル8世」と結婚、「シャルル」が死んで後の3日後には、「ルイ12世」との結婚が決められたとか・・・たらい回しですね・・・しかも「ルイ12世」は、すでに「ルイ11世」の娘「ジャンヌ」と結婚しており、この結婚を解消するために、ローマ法王庁に訴えて、裁判を起こすこととなります・・・事の顛末は、佐藤賢一氏の小説で、直木賞の受賞作「王妃の離婚」をどうぞ・・・

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     「ルイ12世」と「アンヌ・ド・ブルターニュ」・・・「アンヌ」は、「ブルターニュ公国」の最後の女相続人、本来は、神聖ローマ帝国のマクシミリアンとの結婚を望んでいたようなのですけれど、フランス王の圧力に屈して「シャルル8世」と結婚、「シャルル」が死んで後の3日後には、「ルイ12世」との結婚が決められたとか・・・たらい回しですね・・・しかも「ルイ12世」は、すでに「ルイ11世」の娘「ジャンヌ」と結婚しており、この結婚を解消するために、ローマ法王庁に訴えて、裁判を起こすこととなります・・・事の顛末は、佐藤賢一氏の小説で、直木賞の受賞作「王妃の離婚」をどうぞ・・・

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> 「アンヌ・ド・ブルターニュ」は、当代一の美女との評判で有名な女人・・・・でも、こうしてみると、美人と言うより、可愛い感じですね・・・彼女は、フランス王妃となりながらも、ブルターニュに心を寄せ、何度もブルターニュを行脚し、ブルターニュの自治に力を尽くしたとか・・・ルイ12世との間には、二人の娘をもうけ、その一人を、神聖ローマ帝国の継承者(後のカール1世)と結婚させることを望み、最後まで、ブルターニュ公国の、フランスからの独立を望んでいたのだとか・・・残念ながら、娘「クロード」は、フランソワ1世と結婚、ブルターニュ公国は、その後、フランスに吸収されることに成ります・・・・「アンヌ」は今も、ブルターニュでは、至る所に名を残し、愛されている「最後の女公」。

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     「アンヌ・ド・ブルターニュ」は、当代一の美女との評判で有名な女人・・・・でも、こうしてみると、美人と言うより、可愛い感じですね・・・彼女は、フランス王妃となりながらも、ブルターニュに心を寄せ、何度もブルターニュを行脚し、ブルターニュの自治に力を尽くしたとか・・・ルイ12世との間には、二人の娘をもうけ、その一人を、神聖ローマ帝国の継承者(後のカール1世)と結婚させることを望み、最後まで、ブルターニュ公国の、フランスからの独立を望んでいたのだとか・・・残念ながら、娘「クロード」は、フランソワ1世と結婚、ブルターニュ公国は、その後、フランスに吸収されることに成ります・・・・「アンヌ」は今も、ブルターニュでは、至る所に名を残し、愛されている「最後の女公」。

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> 「アンヌ・ド・ブルターニュ」の年老いた「裸体」だそうです・・・ちょっと「グロ」過ぎて、あまり見てられない・・・なぜ、こんなのを作るのかなあ〜って感じ・・・アンヌが可愛そう・・・

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     「アンヌ・ド・ブルターニュ」の年老いた「裸体」だそうです・・・ちょっと「グロ」過ぎて、あまり見てられない・・・なぜ、こんなのを作るのかなあ〜って感じ・・・アンヌが可愛そう・・・

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> こちらは、アンヌの娘「クロード」と、その夫「フランソワ1世」(在位:1515年〜1547年)の霊廟・・・王の死後11年を経て建てられれた霊廟で、フランソワ1世好みの、ギリシャ風、ルネサンス様式になっているのだとか・・・因みに、フランソワ1世は、レオナルド・ダ・ビンチを庇護し、息子アンリ2世の為に、メディチ家の「カトリーヌ・ド・メディシス」を嫁に迎えたという、イタリアびいきのフランス王・・・もともとは、アングレーム伯家の出身であり、ヴァロワ家としては傍系だったため、少し、張り切ったのでしょうか・・・快活・明朗で、巨大な体躯の持ち主であったようですけれど、傍から見ると、少し、自惚れ過剰で、はしゃぎ過ぎの性格では有ったようです・・?・・おかげで、周辺との争いは、常に、絶えることが無かったとか・・・

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     こちらは、アンヌの娘「クロード」と、その夫「フランソワ1世」(在位:1515年〜1547年)の霊廟・・・王の死後11年を経て建てられれた霊廟で、フランソワ1世好みの、ギリシャ風、ルネサンス様式になっているのだとか・・・因みに、フランソワ1世は、レオナルド・ダ・ビンチを庇護し、息子アンリ2世の為に、メディチ家の「カトリーヌ・ド・メディシス」を嫁に迎えたという、イタリアびいきのフランス王・・・もともとは、アングレーム伯家の出身であり、ヴァロワ家としては傍系だったため、少し、張り切ったのでしょうか・・・快活・明朗で、巨大な体躯の持ち主であったようですけれど、傍から見ると、少し、自惚れ過剰で、はしゃぎ過ぎの性格では有ったようです・・?・・おかげで、周辺との争いは、常に、絶えることが無かったとか・・・

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> 王妃「クロード」(1499年〜1524年)の裸体・・・これもまた、フランソワ1世の、イタリア・ルネサンスかぶれの影響でしょうか・・・?

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     王妃「クロード」(1499年〜1524年)の裸体・・・これもまた、フランソワ1世の、イタリア・ルネサンスかぶれの影響でしょうか・・・?

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> こちらは、その息子「アンリ2世」(在位:1547年 - 1559)と、その妃「カトリーヌ・ド・メディシス」(1519〜89)の霊廟・・・グロな裸体(死体)の横たわっているのは、先代の二人の王と同じですね・・・黒い石像は、リアルではあるけれど、「美徳」などを表現した、中世風の「寓意像」・・・この霊廟は、1560年〜1573の制作で、当の「カトリーヌ」の生存中に造られたものなのだとか・・・

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     こちらは、その息子「アンリ2世」(在位:1547年 - 1559)と、その妃「カトリーヌ・ド・メディシス」(1519〜89)の霊廟・・・グロな裸体(死体)の横たわっているのは、先代の二人の王と同じですね・・・黒い石像は、リアルではあるけれど、「美徳」などを表現した、中世風の「寓意像」・・・この霊廟は、1560年〜1573の制作で、当の「カトリーヌ」の生存中に造られたものなのだとか・・・

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> 裸体で横たわる「アンリ2世」と、王妃「カトリーヌ・ド・メディシス」・・・いかに、リアルさを身上とする「ルネサンス期」の作品と言えど・・・お墓ですしね・・・少し、やりすぎの感は有ります・・・?・・・因みに「アンリ2世」は、馬上槍試合で、眼球を突っつかれて死亡し、ノストラダムスの予言詩が的中したという事で、有名になった王様・・・それ以外は、おやじの跡を継いで、ハプスブルグ家の神聖ローマ帝国と争ったくらい・・・殆ど、業績らしい業績の無い王様・・・?

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     裸体で横たわる「アンリ2世」と、王妃「カトリーヌ・ド・メディシス」・・・いかに、リアルさを身上とする「ルネサンス期」の作品と言えど・・・お墓ですしね・・・少し、やりすぎの感は有ります・・・?・・・因みに「アンリ2世」は、馬上槍試合で、眼球を突っつかれて死亡し、ノストラダムスの予言詩が的中したという事で、有名になった王様・・・それ以外は、おやじの跡を継いで、ハプスブルグ家の神聖ローマ帝国と争ったくらい・・・殆ど、業績らしい業績の無い王様・・・?

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> こちらは、衣装を着た「アンリ2世」と「カトリーヌ・ド・メディシス」の横臥像・・・二人とも、デブです・・・

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     こちらは、衣装を着た「アンリ2世」と「カトリーヌ・ド・メディシス」の横臥像・・・二人とも、デブです・・・

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> 最後はこちら、更に時代は下って、ギロチンに架けられた「王」と「王妃」、「ルイ16世」(1774〜92年)と「マリー・アントワネット」(1755〜93年)・・・二人の遺体は、当初は、共同墓地である「マドレーヌ墓地」に葬られたものの、王政復古の時代に発見され、現在は、この霊廟の地下(クリプト)に安置されているのだとか・・・革命で散逸し、誰が誰やら解らなくなった遺体が殆どであるのに比べ、この両人の遺体は、当人で間違いないらしい・・・それにしても、「マリー・アントワネット」は、やはり、評判に違わぬ、なかなかの美人ですね・・・裸の「横臥像」は有りません。

    イチオシ

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     最後はこちら、更に時代は下って、ギロチンに架けられた「王」と「王妃」、「ルイ16世」(1774〜92年)と「マリー・アントワネット」(1755〜93年)・・・二人の遺体は、当初は、共同墓地である「マドレーヌ墓地」に葬られたものの、王政復古の時代に発見され、現在は、この霊廟の地下(クリプト)に安置されているのだとか・・・革命で散逸し、誰が誰やら解らなくなった遺体が殆どであるのに比べ、この両人の遺体は、当人で間違いないらしい・・・それにしても、「マリー・アントワネット」は、やはり、評判に違わぬ、なかなかの美人ですね・・・裸の「横臥像」は有りません。

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> 二人の名誉のために書いておくと、「ルイ16世」は、以前に言われていたほどの、変人で、暗愚な王では無かったとか、むしろ、ディドロの「百科全書」を購入するなどの、知的な、啓蒙主義者であったとか・・・やや、決断力に乏しいところは有ったが、それも本来なら「慎重さ」と言う「美徳」であり、愛妾を持たなかったことと言い、世が世ならば、愛される「名君」たりえたであろうとか・・・?<br /><br /> 「マリー」もまた、贅沢な浪費家で、フランスの財政を傾けたとか、世間知らずの、おバカな発言ばかりが有名ですけれど、フランスの財政は、すでに「ルイ15世」の頃から傾いており、彼女の責任ではありえないし、状況が悪くなってからは、自らの立場をよくわきまえ、自覚していたとか・・・惜しむらくは、フランスの「王制」を守るために、実家のオーストリアと通じ、画策したことが、フランスへの裏切りと、民衆には、受け取られたこと・・・なのだとか・・・?

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     二人の名誉のために書いておくと、「ルイ16世」は、以前に言われていたほどの、変人で、暗愚な王では無かったとか、むしろ、ディドロの「百科全書」を購入するなどの、知的な、啓蒙主義者であったとか・・・やや、決断力に乏しいところは有ったが、それも本来なら「慎重さ」と言う「美徳」であり、愛妾を持たなかったことと言い、世が世ならば、愛される「名君」たりえたであろうとか・・・?

     「マリー」もまた、贅沢な浪費家で、フランスの財政を傾けたとか、世間知らずの、おバカな発言ばかりが有名ですけれど、フランスの財政は、すでに「ルイ15世」の頃から傾いており、彼女の責任ではありえないし、状況が悪くなってからは、自らの立場をよくわきまえ、自覚していたとか・・・惜しむらくは、フランスの「王制」を守るために、実家のオーストリアと通じ、画策したことが、フランスへの裏切りと、民衆には、受け取られたこと・・・なのだとか・・・?

  •  王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂<br /><br /> 「シュジェ大修道院長」の後陣・・・「シェジュ」は、サンドニ大聖堂の建築に着手した「修道院朝」・・・<br /><br /> 「クリプト」が有るのですけれど、どうやら、入り忘れた様です・・・閉まっていて、入れなかったのか・・?・・でも、「クリプト」と「ステンドグラス」については、wizさんの旅行記に詳しいので、是非、そちら↓で、お楽しみください。<br /> http://4travel.jp/travelogue/10770987

     王家の霊廟 サン・ドニ大聖堂

     「シュジェ大修道院長」の後陣・・・「シェジュ」は、サンドニ大聖堂の建築に着手した「修道院朝」・・・

     「クリプト」が有るのですけれど、どうやら、入り忘れた様です・・・閉まっていて、入れなかったのか・・?・・でも、「クリプト」と「ステンドグラス」については、wizさんの旅行記に詳しいので、是非、そちら↓で、お楽しみください。
     http://4travel.jp/travelogue/10770987

  •  モンマルトル パリ<br /><br /> 帰ってきました、「パリ」・・・「モンマルトル」です、今日の残りは、これまで見つけることのできなかった、「モンマルトル」の名所を見つけるつもり・・・

     モンマルトル パリ

     帰ってきました、「パリ」・・・「モンマルトル」です、今日の残りは、これまで見つけることのできなかった、「モンマルトル」の名所を見つけるつもり・・・

  •  モンマルトル墓地 パリ<br /><br /> この墓地は、これまでも、何度か観光してますので・・・きょうは「パス」・・・

     モンマルトル墓地 パリ

     この墓地は、これまでも、何度か観光してますので・・・きょうは「パス」・・・

    モンマルトル墓地 建造物

  •  モンマルトル バリ<br /><br /> 街角の「カフェ」・・・モンマルトルは、坂の多い街です・・・

     モンマルトル バリ

     街角の「カフェ」・・・モンマルトルは、坂の多い街です・・・

  •  モンマルトル パリ<br /><br /> 風車が見えます・・・「モンマルトル」の丘には、風車が、二つほどあるとか・・・?

     モンマルトル パリ

     風車が見えます・・・「モンマルトル」の丘には、風車が、二つほどあるとか・・・?

  •  モンマルトル パリ<br /><br /> 坂道の「カフェ」・・・何処をどう歩いているのか・・・良く解りません・・・「ダリダ広場」を捜してるのですけれど・・・歩いてる人に聞いても、要領を得ない・・・?

     モンマルトル パリ

     坂道の「カフェ」・・・何処をどう歩いているのか・・・良く解りません・・・「ダリダ広場」を捜してるのですけれど・・・歩いてる人に聞いても、要領を得ない・・・?

  •  Place Marcel Ayme モンマルトル バり<br /><br /> 見つけました・・ダリダ広場じゃないけど、これも見たかった・・・「マルセル・エイメ広場」の「壁抜け男」です・・・写真の左側が、広場なのですけれど、現在「工事中」・・・

    イチオシ

     Place Marcel Ayme モンマルトル バり

     見つけました・・ダリダ広場じゃないけど、これも見たかった・・・「マルセル・エイメ広場」の「壁抜け男」です・・・写真の左側が、広場なのですけれど、現在「工事中」・・・

  •  モンマルトル パリ<br /><br /> 再び、「ダリだ広場」を求めて・・・坂道をウロウロ・・・

     モンマルトル パリ

     再び、「ダリだ広場」を求めて・・・坂道をウロウロ・・・

  •  Le Moulin de la Galette モンマルトル<br /><br /> ルノワールの絵やカンカン踊りなどで有名な、昔の「ダンスホール」・・・「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」・・・現在は「レストラン」なのですね。

     Le Moulin de la Galette モンマルトル

     ルノワールの絵やカンカン踊りなどで有名な、昔の「ダンスホール」・・・「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」・・・現在は「レストラン」なのですね。

    ムーラン ド ラ ギャレット フレンチ

  •  モンマルトル<br /><br /> 昔ながらの「風車」が有ります・・・まあ、此処には何度か来てるので、あまり新鮮味はないけれど・・・先ほど、下から見えた「風車」とは違うようです・・・?

     モンマルトル

     昔ながらの「風車」が有ります・・・まあ、此処には何度か来てるので、あまり新鮮味はないけれど・・・先ほど、下から見えた「風車」とは違うようです・・・?

    ムーラン ド ラ ギャレット フレンチ

  •  モンマルトル パリ<br /><br /> 坂道の風景・・・

     モンマルトル パリ

     坂道の風景・・・

  •  モンマルトル パリ<br /><br /> 「サン・ドニ」さんの石造のある公園「シュザンヌ・ビュイッソン公園」・・・「モンマルトルの丘」は、「サン・ドニ」さんが、首を切られたと伝えられる場所・・・両手に、自分の首を持っている姿は月並みなので・・・後姿をご紹介・・・「サン・ドニ」の後姿なんて、めったに見られないし・・・ハハ・・・

     モンマルトル パリ

     「サン・ドニ」さんの石造のある公園「シュザンヌ・ビュイッソン公園」・・・「モンマルトルの丘」は、「サン・ドニ」さんが、首を切られたと伝えられる場所・・・両手に、自分の首を持っている姿は月並みなので・・・後姿をご紹介・・・「サン・ドニ」の後姿なんて、めったに見られないし・・・ハハ・・・

    シュザンヌ ビュイッソン公園 広場・公園

  •  モンマルトル パリ<br /><br /> 公園わきの、細い道を抜けると・・・<br /><br /> 追記です 実はこの道は「霧の遊歩道 Allee des Brouillards」と言う道なのだとか・・・この道の向かいのお屋敷は「霧屋敷」と呼ばれ、過ってはかの「ルノアール」が一角を借りて、住んでいたのだとか・・・wizさんの旅行記から・・・

     モンマルトル パリ

     公園わきの、細い道を抜けると・・・

     追記です 実はこの道は「霧の遊歩道 Allee des Brouillards」と言う道なのだとか・・・この道の向かいのお屋敷は「霧屋敷」と呼ばれ、過ってはかの「ルノアール」が一角を借りて、住んでいたのだとか・・・wizさんの旅行記から・・・

  •  ダリダ広場 モンマルトル パリ<br /><br /> 見つけました「ダリダ」さん・・・広場と言うほど広くない・・・「ダリダ」さんのブロンズ像が有るだけですね・・・因みに、「ダリダ」は、エジプト(カイロ)生まれ(1933年)のイタリア人、シャンソン歌手になって、フランスに帰化したとか・・・ミス・エジプト(1954)に選ばれたほどの美貌で、恋多き女性だったとも・・・死因は、度重なる失恋の末の、睡眠薬の飲み過ぎによる「自殺」(1987)らしい・・・「アラン・ドロン」のせいかも・・・?・・・今は、モンマルトルの墓地に眠ってます、「自殺」なんてイメージは、欠片も無い「墓碑」ですけどね・・・<br /> ワタクシの世代としては、勿論、この歌ですね・・・「あまい囁き」・・・<br /> https://www.youtube.com/watch?v=_ifJapuqYiU

    イチオシ

    地図を見る

     ダリダ広場 モンマルトル パリ

     見つけました「ダリダ」さん・・・広場と言うほど広くない・・・「ダリダ」さんのブロンズ像が有るだけですね・・・因みに、「ダリダ」は、エジプト(カイロ)生まれ(1933年)のイタリア人、シャンソン歌手になって、フランスに帰化したとか・・・ミス・エジプト(1954)に選ばれたほどの美貌で、恋多き女性だったとも・・・死因は、度重なる失恋の末の、睡眠薬の飲み過ぎによる「自殺」(1987)らしい・・・「アラン・ドロン」のせいかも・・・?・・・今は、モンマルトルの墓地に眠ってます、「自殺」なんてイメージは、欠片も無い「墓碑」ですけどね・・・
     ワタクシの世代としては、勿論、この歌ですね・・・「あまい囁き」・・・
     https://www.youtube.com/watch?v=_ifJapuqYiU

    ダリダ広場 広場・公園

  •  モンマルトル パリ<br /><br /> 「ダリダ広場」から、「サクレクール寺院」の見える「風景」・・・wizさん「お勧め」の風景です・・・この風景が見たかった・・・「モンマルトル」で一番の、美しい「坂道」かも・・・?

    イチオシ

    地図を見る

     モンマルトル パリ

     「ダリダ広場」から、「サクレクール寺院」の見える「風景」・・・wizさん「お勧め」の風景です・・・この風景が見たかった・・・「モンマルトル」で一番の、美しい「坂道」かも・・・?

  •  モンマルトル パリ<br /><br /> 少し、アングルを変えて、もう一枚・・・ついつい撮ってしまいますね・・・この風景を見るために、此処へ来たので・・・今日の目標は達成・・・あとは、のんびり散歩と、ゆっくりディナーを楽しんで、ホテルの綺麗なベッドで眠るだけ・・・シアワセ・・・

     モンマルトル パリ

     少し、アングルを変えて、もう一枚・・・ついつい撮ってしまいますね・・・この風景を見るために、此処へ来たので・・・今日の目標は達成・・・あとは、のんびり散歩と、ゆっくりディナーを楽しんで、ホテルの綺麗なベッドで眠るだけ・・・シアワセ・・・

  •  モンマルトル パリ <br /><br /> 「モンマルトル」の坂道・・・家族連れの観光客です・・・

     モンマルトル パリ 

     「モンマルトル」の坂道・・・家族連れの観光客です・・・

  •  モンマルトル パリ<br /><br /> 「モンマルトル」の階段・・・歌ってる人がいます・・・中々お上手でした。<br /><br /> 2015年の「ツール・ド・エウロパ」は、これでお仕舞・・・明日は、シャルル・ド・ゴールから「エール・フランス」に乗るだけ・・・いつもの事ですけど、飛行機が、落ちないように、お願い・・・

     モンマルトル パリ

     「モンマルトル」の階段・・・歌ってる人がいます・・・中々お上手でした。

     2015年の「ツール・ド・エウロパ」は、これでお仕舞・・・明日は、シャルル・ド・ゴールから「エール・フランス」に乗るだけ・・・いつもの事ですけど、飛行機が、落ちないように、お願い・・・

  •  8月19日(水) シャルル・ド・ゴール パリ<br /><br /> いよいよ帰国です・・・今の日本は、どんな「惨い」国になっているんでしょう・・・最近は、外国に出るたびに心配になる・・・酷い国に成りました・・・最近、ワタクシの引っ越した町では、いつも夕暮れになると、神様にお祈りしながら、町を練り歩いている人がいるけれど・・・彼らは何を祈っているのでしょう・・・それをはっきりと聞いたことが無い・・・そこのところが、彼らの祈りの「難点」だと思う・・・ひょっとしたら、とんでもないことを祈ってるのかも?

     8月19日(水) シャルル・ド・ゴール パリ

     いよいよ帰国です・・・今の日本は、どんな「惨い」国になっているんでしょう・・・最近は、外国に出るたびに心配になる・・・酷い国に成りました・・・最近、ワタクシの引っ越した町では、いつも夕暮れになると、神様にお祈りしながら、町を練り歩いている人がいるけれど・・・彼らは何を祈っているのでしょう・・・それをはっきりと聞いたことが無い・・・そこのところが、彼らの祈りの「難点」だと思う・・・ひょっとしたら、とんでもないことを祈ってるのかも?

    シャルルドゴール空港 (CDG) 空港

  •  シャルル・ド・ゴール パリ<br /><br /> もう、旅は終わったけど・・・「モンマルトル」のポスターですね・・・

     シャルル・ド・ゴール パリ

     もう、旅は終わったけど・・・「モンマルトル」のポスターですね・・・

  •  フランス<br /><br /> さよなら「フランス」、さよなら「パリ」・・・また、そのうちに、帰ってくるかも・・・?<br /><br /> 残念ながら、2016年の「長期旅行」は出来なくなったけど・・・おかげで、最後まで、ノンビリ旅行記を書くことが出来ました・・・<br /><br /> 明日の事は解らないけど・・・See y0u Again・・・

     フランス

     さよなら「フランス」、さよなら「パリ」・・・また、そのうちに、帰ってくるかも・・・?

     残念ながら、2016年の「長期旅行」は出来なくなったけど・・・おかげで、最後まで、ノンビリ旅行記を書くことが出来ました・・・

     明日の事は解らないけど・・・See y0u Again・・・

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この旅行記へのコメント (14)

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  • コクリコさん 2016/09/01 14:56:16
    2015年ツール・ド・ヨーロッパ完成おめでとうございます!
    ももんがあまんさん、お久しぶりです。

    長い旅行記完成しましたね。
    文章を考えたり写真を選ぶのも大変だったと思います。
    2015年のフランス編、まだ全部は読んでいないので、またゆっくり読ませていただきますが、まずは完成おめでとうございます。

    昨日フランスから帰りました。
    美術館などでの荷物チェックが厳しかった事と警察・軍人が多かった以外はいつものように旅できました。

    今回はパリに到着した日とアキテーヌからパリに戻ってきた日、ブルゴーニュからパリに戻った1日に荷物を預ける関係でモンマルトルの安宿に泊ったのでももんがあまんさんのモンマルトル歩き懐かしく拝見しました。
    同じような所をウロウロしていました。

    ダリダ広場は私もお気に入りです。
    モンマルトルってちょっと外れるとオシャレな空間もあって楽しいです。
    『壁抜け男』の彫刻は以前も書いたかもしれませんが作者は美男俳優ジャン・マレー。壁抜け男のモデルは「モンマルトルの壁抜け男」の作者マルセル・エーメ。
    壁抜け男の「手」だけはジャン・マレーの愛人のジャン・コクトーというなかなか興味深い作品ですね。

    ダリダの自殺の原因はアランよりもミッテラン元大統領の方が知っているかも、、、でもミッテランも既に故人だし。
    ミッテランと友人だったそうですよ〜(恋人に近い友人だったかは?)

    >街角の「カフェ」・・・モンマルトルは、坂の多い街です・・・
    と、ももんがあまんさんが書いたレストラン、以前私入りましたよ。
    友達トラベラーのCANさんもここで食事したのですよ。
    結構お手頃価格なので、ももんがあまんさんが自転車を売ったお金でおつりがたくさん来ます。
    味も良かったです(私はメインとデザートで10数ユーロ)。

    毎年2泊お邪魔しているブルゴーニュの夫の友達の運転で偶然オーセールに行けたのはラッキーでした。
    ももんがあまんさんの旅行記で見たオーセールが見られるとは!
    夫に「パリのサン・ジェルマンとオーセールのサン・ジェルマンは別人よ〜」
    と偉そうに教えてあげましたが、これもももんがあまんさんの旅行記と掲示板でのwizさんとのやり取りを読んだおかげです(エヘン!)
    オーセールの帰りついでにちょっとだけ懐かしのヴェズレーも寄ってくれまし
    た。

    それではまた。

    ももんがあまん

    ももんがあまんさん からの返信 2016/09/01 21:16:36
    RE: 2015年ツール・ド・ヨーロッパ完成おめでとうございます!
     お帰りなさい、コクリコさん。

     無事で帰ってこられて、何よりです・・・こう、言わなければならないのも、困ったことですけど・・・

     > 長い旅行記完成しましたね。
     > 文章を考えたり写真を選ぶのも大変だったと思います。
     > 2015年のフランス編、まだ全部は読んでいないので、またゆっくり読ませていただきますが、まずは完成おめでとうございます。

     有難うございます、最後は、やっつけ作業になるかなと思ってたのですけど・・・幸か不幸か、旅に行けなくなって、最後まで、きっちり、好きなことを思い切り、書くことが出来ました・・・ハハ・・・とりあえず満足です。

     > 今回はパリに到着した日とアキテーヌからパリに戻ってきた日、ブルゴーニュからパリに戻った1日に荷物を預ける関係でモンマルトルの安宿に泊ったのでももんがあまんさんのモンマルトル歩き懐かしく拝見しました。
     > 同じような所をウロウロしていました。

     モンマルトルは、ウロウロし甲斐が有りますね、モンパルナスも、悪くないけど・・・モンマルトルには、シャンソンの似合いそうな、街並みが好きです・・・歌えないけど・・・

     > ダリダ広場は私もお気に入りです。
     > モンマルトルってちょっと外れるとオシャレな空間もあって楽しいです。
     > 『壁抜け男』の彫刻は以前も書いたかもしれませんが作者は美男俳優ジャン・マレー。壁抜け男のモデルは「モンマルトルの壁抜け男」の作者マルセル・エーメ。 > 壁抜け男の「手」だけはジャン・マレーの愛人のジャン・コクトーというなかなか興味深い作品ですね。

     「壁抜け男」の話は、昔、漫画か何かで、読んだような気がするのですけど・・?・・コクリコさんの旅行記で、読んだだけかも?・・・とりあえず、広場の方は工事中でしたけど、一目見られて、一応「満足」です・・ハハ・・

     > ダリダの自殺の原因はアランよりもミッテラン元大統領の方が知っているかも、、、でもミッテランも既に故人だし。
     > ミッテランと友人だったそうですよ〜(恋人に近い友人だったかは?)

     そうなんですか・・・そう言えば、昔、そんな話を、何処かで、聞いたような記憶が・・?・・ミッテランって、「不倫は文化」を体現してたような人ですからね・・・

     > >街角の「カフェ」・・・モンマルトルは、坂の多い街です・・・
     > と、ももんがあまんさんが書いたレストラン、以前私入りましたよ。
     > 友達トラベラーのCANさんもここで食事したのですよ。
     > 結構お手頃価格なので、ももんがあまんさんが自転車を売ったお金でおつりがたくさん来ます。
     > 味も良かったです(私はメインとデザートで10数ユーロ)。

     そうなんですか・・・今度、モンマルトルに行ったら、思い切って、入ってみたいですね。

     > 毎年2泊お邪魔しているブルゴーニュの夫の友達の運転で偶然オーセールに行けたのはラッキーでした。
     > ももんがあまんさんの旅行記で見たオーセールが見られるとは!
     > 夫に「パリのサン・ジェルマンとオーセールのサン・ジェルマンは別人よ〜」と偉そうに教えてあげましたが、これもももんがあまんさんの旅行記と掲示板でのwizさんとのやり取りを読んだおかげです(エヘン!)
     > オーセールの帰りついでにちょっとだけ懐かしのヴェズレーも寄ってくれました。

     ワタクシとwizさんの「往復書簡」・・・お役にたてて良かったです・・・ハハハ・・・旅行記、楽しみに、お待ちしてますね・・・ワタクシは只今、「フランスの美しい村・ベスト50」と、「フランスの美しい町」・ベスト50」の選択に、悪戦苦闘中です・・・

                         by ももんがあまん
  • マリアンヌさん 2016/08/29 11:58:39
    旅の終り♪
    ももんがあまんさん、こんにちわ。

    ずっと楽しみに拝見していましたが、2015年の旅、終りなのですね。
    今年は、ご親族の関係?で断念なのですよね。
    旅も残念ですが、ご心配ですね。

    フランスの美しき村、定年後、少しは訪れてみたいので本当にいつも楽しく見させていただいていました。
    なにやら美しき村ベスト50?作成していただけるのですか?
    楽しみですし、参考になります。

    サンドニは、まだ行ったことがないのですが、王家の墓すごいですね。
    メロヴィング朝からあるなんて、ロマンですね。
    フランス史は、ほんの少ししか知らないので解説、興味深かったです。

    この夏、王妃マルゴがマイブームで数冊本を読んだので、アンリ2世やカトリーヌ・ド・メディシス妃を見れてほほぉという感じでした。
    マルゴの兄弟のアンリや夫のアンリの墓もあるのでしょうか?

    佐藤賢一の「双頭の鷲」まだ読んでないんです。
    読んだらまたサンドニ覘きにきます。

    自転車は購入され、買い戻していらっしゃるのですね。
    休暇中とは・・・
    ホテルの方、お得でしたね!(私でも欲しい)

    ももんがあまんさんのリヴィエラ走行に触発され、9月にプチ旅行に行ってきます。
    長い2015ツール・ド・エウロパ、ありがとうございました。
    マリアンヌ

    ももんがあまん

    ももんがあまんさん からの返信 2016/08/30 00:50:39
    RE: 旅の終り♪
     今晩は、マリアンヌさん。

     > ずっと楽しみに拝見していましたが、2015年の旅、終りなのですね。
     > 今年は、ご親族の関係?で断念なのですよね。
     > 旅も残念ですが、ご心配ですね。

     有難うございます・・・母も、もう90を超えてますのでね、心配しても仕方ないのですけれど・・・具合が悪い時に、長期の旅に出るのも・・・なかなか、踏ん切りがつきません・・・

     > フランスの美しき村、定年後、少しは訪れてみたいので本当にいつも楽しく見させていただいていました。
     > なにやら美しき村ベスト50?作成していただけるのですか?
     > 楽しみですし、参考になります。

     参考にしていただければ、とても嬉しいです・・・なかなか、絞れなくて・・・50が60に増えるかも・・・ハハ・・・

     > サンドニは、まだ行ったことがないのですが、王家の墓すごいですね。
     > メロヴィング朝からあるなんて、ロマンですね。
     > フランス史は、ほんの少ししか知らないので解説、興味深かったです。
     >
     > この夏、王妃マルゴがマイブームで数冊本を読んだので、アンリ2世やカトリーヌ・ド・メディシス妃を見れてほほぉという感じでした。
     > マルゴの兄弟のアンリや夫のアンリの墓もあるのでしょうか?

     マルゴの夫の「アンリ4世」と「アンリ3世」の墓碑は、残念ながら、気が付かなかったです、有る筈なんですけれどね?・・・せめて、4世の方は見つけたかったです。

     > 佐藤賢一の「双頭の鷲」まだ読んでないんです。
     > 読んだらまたサンドニ覘きにきます。

     実は、一番思い入れのあったのが、この「シャルル5世」と「ベルトラン・デュ・ゲクラン」の棺だったのですね・・・「双頭の鷲」は、佐藤さんの小説の中では初期のものなので、情熱を感じますね・・・ワタクシの好みですけれど、直木賞受賞作「王妃の離婚」より面白かったです。

     > ももんがあまんさんのリヴィエラ走行に触発され、9月にプチ旅行に行ってきます。

     「アプリカーレ」と、その手前の「ドルチェアックア」もお忘れなく・・・楽しいご旅行を・・・旅行記、楽しみに、お待ちしてますね。

                        by ももんがあまん
  • milkさん 2016/08/25 21:01:53
    お疲れ様でした!
    ももんがあまんさん、こんばんは。

    自転車で周るフランスの旅もついに終わってしまいましたね。
    お疲れ様でした。

    表紙の写真になっているモンマルトルの坂道、私も3年前に行って気に入った通りです!
    「壁抜け男」は探したのに、私には見付けられなかったのですよね...。
    本当に壁を抜けてるんですね!
    モンマルトルの街並みはパリの中でも特に気に入っています。

    サン・ドニ大聖堂はまだ行った事がありません。
    フランス歴代の王族が眠っているのですね。
    私はルイ16世とマリー・アントワネットもここで眠る事が出来たのは良かったと思います。
    それにしても、ももんがあまんさんはフランスの歴史に詳しいですね!
    様々な本も読んでいらっしゃるようですし、とても勉強になる旅行記です。

    そうそう、8月のフランスでは私もバカンス休暇に泣かされました(>_<)
    私の場合は、欲しかったお菓子が買えなかったり、食べたかったケーキが食べられなかったりと食べ物に関した事ばかりですが...。
    でも、自転車の買い手が見つかって良かったですね。
    しかも、自転車の価値を分かっている方のようですから、きっと大事に乗ってくれますね。

    私とは違った旅の楽しみ方を見せて下さって本当にありがとうございました。

    milk

    ももんがあまん

    ももんがあまんさん からの返信 2016/08/26 11:35:54
    RE: お疲れ様でした!
     こんにちは、milkさん。

     > 自転車で周るフランスの旅もついに終わってしまいましたね。
     > お疲れ様でした。

     有難うございま〜す、前半は、特に暑かったので、ホントに草臥れました・・・8月は、意外と、涼しい日が多かったですけど・・・

     > 表紙の写真になっているモンマルトルの坂道、私も3年前に行って気に入った通りです!
     > 「壁抜け男」は探したのに、私には見付けられなかったのですよね...。
     > 本当に壁を抜けてるんですね!
     > モンマルトルの街並みはパリの中でも特に気に入っています。

     「壁抜け男」は、ワタクシも、やっと見つけました・・・地図にも、何も書いてないし・・・ダリダ広場も見つけにくかったです・・・でも、「モンマルトル」は、ぶらぶら歩くだけでも、楽しいですね、「カフェ」も多いし・・・暑くなければですけど・・・

     > サン・ドニ大聖堂はまだ行った事がありません。
     > フランス歴代の王族が眠っているのですね。
     > 私はルイ16世とマリー・アントワネットもここで眠る事が出来たのは良かったと思います。
     > それにしても、ももんがあまんさんはフランスの歴史に詳しいですね!
     > 様々な本も読んでいらっしゃるようですし、とても勉強になる旅行記です。

     有難うございま〜す・・・基本は、旅行記を書きながら、勉強してます・・・ワタクシにとって、旅は、何かを考える「機会」ですのでね・・・出来るだけ多くのものを見て、何だか解らないものは、写真に撮っておいて、あとから調べる・・・こういうパターンも多いです。

     > そうそう、8月のフランスでは私もバカンス休暇に泣かされました(>_<)
     > 私の場合は、欲しかったお菓子が買えなかったり、食べたかったケーキが食べられなかったりと食べ物に関した事ばかりですが...。
     > でも、自転車の買い手が見つかって良かったですね。
     > しかも、自転車の価値を分かっている方のようですから、きっと大事に乗ってくれますね。

     そうですね、とても喜んでました・・・あれだけ喜ばれると、ワタクシもうれしいです。

     > 私とは違った旅の楽しみ方を見せて下さって本当にありがとうございました。

     旅の目的や楽しみ方は、人それぞれですからね、個性的なのが一番です。
     当分、暇なので、最近、五年間で訪問した、フランスの町や村を選択して、現在「フランスの美しい村・ベスト50』と、「フランスの美しい町・ベスト50」を現在制作中です・・・選定が、かなり「難航」してるので、アップするのに、時間がかかりそうですけれど・・・また、お楽しみいただければ、嬉しいです。

                     by ももんがあまん
  • ippuniさん 2016/08/25 01:47:13
    ついに最終回
    ももんがあまんさん、こんにちは

    2015年の旅もこれで終わってしまいましたね。
    2016年の旅はキャンセルになったとのこと、
    しばらくは旅行記にお目にかかれないですね。。。

    資本主義、良いのか悪いのか、良くわからなくなっています。
    フランスも、共産主義っぽい生活・システムを国民に強いているけれど
    北アフリカなどの元フランス領ではやり放題。
    フランスだけではなく、戦争でお金を儲けている国は多々ありますから、
    戦争やテロと言ったものは今後もなくならないでしょうね。
    共産主義も、良し悪いしです。
    どちらをとってもユートピアになんかならないので、
    とにかくいずれにしろ徹底することが大事なんだと思うんですけどね。

    モンマルトルの風景、楽しませていただきました。
    今は育児休暇中で自宅でのんびり娘と引きこもり生活をしていますが、
    私の職場は18区、モンマルトルの丘のすぐお隣ですので、
    良く遊びに行っていたものです。
    写真に出てきたレストランも、入った事のあるレストランです。

    そういえば、先週の土日にノワイエとシャブリ、ミィ・ラ・フォレに行きました。
    ノワイエは想像していたよりずっと良かったです。
    洒落たレストランが1軒ありましたよ。
    我が家にとっては失敗でしたけど、雰囲気はかなり立派なレストランでした。

    ippuni

    ももんがあまん

    ももんがあまんさん からの返信 2016/08/26 01:54:57
    RE: ついに最終回
     今晩は、ippuniさん。

     > 2015年の旅もこれで終わってしまいましたね。
     > 2016年の旅はキャンセルになったとのこと、
     > しばらくは旅行記にお目にかかれないですね。。。

     只今「フランスの美しい村・ベスト50」と「フランスの美しい町・ベスト50」を作成中です・・・選定には、相当に悩みそうなので、時間がかかると思いますけど・・・出来ましたら、一つずつアップしま〜す・・・良かったら、ご覧下さ〜い。

     > 資本主義、良いのか悪いのか、良くわからなくなっています。
     > フランスも、共産主義っぽい生活・システムを国民に強いているけれど
     > 北アフリカなどの元フランス領ではやり放題。
     > フランスだけではなく、戦争でお金を儲けている国は多々ありますから、戦争やテロと言ったものは今後もなくならないでしょうね。

     アメリカの「軍産複合体」が、JFKの暗殺を指示したとの説もありますし、トンキン湾事件とか、最近では、「ウクライナ」のクーデターとか、明白になっている「謀略事件」もたくさんありますし、戦争と混乱が、商売になるという連中は、間違いなくいますからね・・・「9.11」も、ワタクシは、相当に怪しいと、当時から考えておりました・・・あまりにも、ブッシュと戦争屋の思惑に、都合よすぎですしね・・・
     
     > 共産主義も、良し悪いしです。
     > どちらをとってもユートピアになんかならないので、
     > とにかくいずれにしろ徹底することが大事なんだと思うんですけどね。

     マルクスは、爛熟した資本主義社会が崩壊して後に、共産主義社会が出現すると述べていますし、同時に、資本主義の経験の無い「共産主義」は、必然的に、「独裁体制」をもたらすとも述べているとか・・・ある程度、資本主義と民主主義は、並行して歩むようなところもあるので、民主主義の経験の無い社会の「共産主義」は、独裁をもたらすと考えても同じかと?・・・民主主義的経験の極めて脆弱な日本が「共産主義」に成っても、多分、良い事は何もないでしょうね・・・そう言えば、戦前の「大日本帝国」と言うのは、一種の「共産主義社会」の様なものでした・・・今の「北朝鮮」は、これの「後継者」の様なものですからね・・・

     迂遠な方法かもしれないけれど、結局は、「倫理感」や「道徳観」の様な、一種の「人間性」を磨くことでしか、「経済システム」や「社会システム」の改善を目指す方法は無いのかも?・・・と言うのが、ワタクシの今回の旅行記の「主旨」ですね・・・正しいかどうかは、自信無しですけど?・・・これからの時代、情報工作などは、より巧妙になっていくと思いますし・・・第二・第三の「スノーデン」や、第二・第三の「ウイキりークス」や「パナマ文書」等の「内部告発」が必要になる時代・・・頼るべきは、人々の「倫理感」や「人間性」なのではないかと・・・ワタクシ自信の人間性には、あまり自信は無いけれど・・ハハ??

     > そういえば、先週の土日にノワイエとシャブリ、ミィ・ラ・フォレに行きました。
     > ノワイエは想像していたよりずっと良かったです。
     > 洒落たレストランが1軒ありましたよ。

     それは、良かったです・・・「ミィ・ラ・フォレ」って、ひょっとしたら「↓」でしょうか・・・?・・・旅行記、楽しみにしてます。
     http://4travel.jp/travelogue/10721195

                    by ももんがあまん

    ippuni

    ippuniさん からの返信 2016/08/26 02:52:28
    RE: RE: ついに最終回
    はい、そうです。
    近いのに一度も行ったことがなかったのですが、森の中に現代美術の不思議な建造物もあり、コクトーの礼拝堂もあり、なかなか良い街でした。

    ippuni
  • wiz さん 2016/08/24 23:35:22
    おぉ〜!
    ももんがあまんさん、Bonsoir!

    まさか今回の旅行記の表紙がダリダ広場からのサクレクールになるとは! 想像していませんでした! (*^^*) 同じ場所からの撮影、うれしいです♪

    モンマルトルのお写真、だいたいどこを歩かれているか分かりましたよ!
    坂道のカフェというのは、「エミール・グードー広場」のあたりで、ガイドブックでは、「アトリエ洗濯船」が載っている広場のあたりです!
    http://goo.gl/BpQHBX

    それと、初めの風車の写真と、数枚後のアンヴァリッドが遠くに映っている坂道の風景は、私も旅行記で載せていたのですが、どちらも「トロゼ通り」から見た風景で、この通りの下から見る風景(風車が見える)、上から見る風景(アンヴァリッドが見える)です!
    http://goo.gl/OisSne

    ダリダの像の前の写真・・これも私も載せていましたが・・「霧の遊歩道 Allee des Brouillards」です!

    サン・ドニは2日目、とおっしゃっていたので、この次かなぁと思っていたら、今旅行記に2日分入っていたのですね! 左扉口は、シュジェール(シュジェ)の時代は「聖母の戴冠」があったのではないか、というのは、まだ断定はされていないようです。 ローマにあるサンタ・マリア・イン・トラステヴェレの後棟の「聖母の戴冠」のモザイクは1140年に着工されたらしいのですが、このローマのモザイクはシュジェールの友人インノケンティウス2世の注文を受けて制作されたもので、このインノケンティウス2世がパリとサン・ドニを1131年に訪問しているそうです。 エミール・マールは、サンリスの「聖母の戴冠」の美しい図像は、サンリスで生まれたものではなく、もっとしかるべき場所ではじめに作られたのではないかと考え、それがサン・ドニであったのではないか? という・・。 2003年の本でも、おそらくここに「聖母の戴冠」もしくは「聖母の勝利」があったのではないか・・となっていて、まだ確定はされていない感じでした・・。

    ホテルの方に自転車を買ってもらえて良かったですね!!!

       wiz

    ももんがあまん

    ももんがあまんさん からの返信 2016/08/25 21:31:00
    RE: おぉ〜!
     Bonsoir! wizさん。

     > まさか今回の旅行記の表紙がダリダ広場からのサクレクールになるとは! 想像していませんでした! (*^^*) 同じ場所からの撮影、うれしいです♪

     良いところですよね、モンマルトルで、一番、美しい坂道かも・・・? wizさんの旅行記の写真を覚えていたので、捜したのです・・・ダリダにも、会いたかったし・・・

     > モンマルトルのお写真、だいたいどこを歩かれているか分かりましたよ!
     > 坂道のカフェというのは、「エミール・グードー広場」のあたりで、ガイドブックでは、「アトリエ洗濯船」が載っている広場のあたりです!
     > http://goo.gl/BpQHBX

     凄いです・・・ワタクシも何度か歩いてるのですけど・・・なかなか、地理が頭に入りません・・・まあ、歩くだけで満足しているところも有って、そのせいで、覚えないのかも知れませんけどね・・・あと、2〜3回行けば、なんとかなるかも・・・?

     > ダリダの像の前の写真・・これも私も載せていましたが・・「霧の遊歩道 Allee des Brouillards」です!

     「霧の散歩道」っていうんですか・・・なかなか、ロマンチックですね・・ワタクシには、あまり、似合わないですけど・・ハハハ・・・追記で、書いておきますね・・・隣の屋敷に、ルノワールが住んでいたとか・・・知る人ぞ知るですね・・・

     > サン・ドニは2日目、とおっしゃっていたので、この次かなぁと思っていたら、今旅行記に2日分入っていたのですね! 

     そうなんです、今回の「サンメドニ訪問は、「王家の霊廟」が目的だったので、量的には、写真もあまり、多くなかったのです・・・でも、「クリプト」を捜したのですけど、入口が解らなかったのです・・・もしかしたら、閉まっていたのかも?・・・でも、4年前に見た入口の「タンパン」が綺麗になっていて、その点は儲けました・・・

     > 左扉口は、シュジェール(シュジェ)の時代は「聖母の戴冠」があったのではないか、というのは、まだ断定はされていないようです。 ローマにあるサンタ・マリア・イン・トラステヴェレの後棟の「聖母の戴冠」のモザイクは1140年に着工されたらしいのですが、このローマのモザイクはシュジェールの友人インノケンティウス2世の注文を受けて制作されたもので、このインノケンティウス2世がパリとサン・ドニを1131年に訪問しているそうです。 エミール・マールは、サンリスの「聖母の戴冠」の美しい図像は、サンリスで生まれたものではなく、もっとしかるべき場所ではじめに作られたのではないかと考え、それがサン・ドニであったのではないか? という・・。 2003年の本でも、おそらくここに「聖母の戴冠」もしくは「聖母の勝利」があったのではないか・・となっていて、まだ確定はされていない感じでした・・。

     そうなんですか、今度「ローマ」に行くことが有れば、忘れないようにせねば・・ですね・・・それにしても、今思うと、やっぱりあの「サンリス」の「聖母の戴冠」のレリーフ、絶品でしたですね。

     今年は、長期旅行は出来なくなったのですけど、出来れば10日前後の短期でもと、考えてはおります・・・でもマア、概ね、暇なので・・・次は「フランスの美しい村・ベスト50」と「フランスの美しい町・ベスト50」を、アップしたいと考えてます・・・現在選定中・・・かなり「難航」してますけど・・・また宜しく、お願いしま〜す。

                      by ももんがあまん

    wiz

    wiz さん からの返信 2016/08/25 23:32:34
    RE: RE: おぉ〜!
    Bonsoir! ももんがあまんさん!

    >  良いところですよね、モンマルトルで、一番、美しい坂道かも・・・? wizさんの旅行記の写真を覚えていたので、捜したのです・・・ダリダにも、会いたかったし・・・

    私も、モンマルトルの中でも一番好きなフォトスポットかもしれません。 2006年位に歩いていた時にルノワールの屋敷を目指して歩いていたらダリダ広場をみつけたんですけどね!


    >  凄いです・・・ワタクシも何度か歩いてるのですけど・・・なかなか、地理が頭に入りません・・・まあ、歩くだけで満足しているところも有って、そのせいで、覚えないのかも知れませんけどね・・・あと、2〜3回行けば、なんとかなるかも・・・?

    そういえば、ももんがあまんさんも、「フランス歴史の旅」お持ちでしたよね? あの本の「モンマルトル」の簡単な地図に、「霧屋敷」とか「洗濯船」とかも載っていますよ〜! Allee des Brouillardsを霧の散歩道と訳したのは私が勝手にそう書いたのか、どこかで見てそう書いたのか忘れてしまいましたが・・^^;


    >  そうなんです、今回の「サンドニ訪問は、「王家の霊廟」が目的だったので、量的には、写真もあまり、多くなかったのです・・・でも、「クリプト」を捜したのですけど、入口が解らなかったのです・・・もしかしたら、閉まっていたのかも?・・・でも、4年前に見た入口の「タンパン」が綺麗になっていて、その点は儲けました・・・

    ほんとうにタンパンというか西ファサード全体がクリーニングされた感じですよね〜。 ベルトラン・デュ・ゲクランのは、まわりに比べるとほんとうに小さいですよね。 今、サンドニ大聖堂のクチコミを見たら、2015年9月訪問の方が地下工事中で見れなかった、と書かれていました。 ももんがあまんさんの時も工事中だった可能性が高いですね・・。 入場料がけっこうするからクリプトが見れなかったのはちょっと残念でしたよね・・。 クリプトはちょっと独特の空気が流れている感じがしましたけど・・。


    >  今年は、長期旅行は出来なくなったのですけど、出来れば10日前後の短期でもと、考えてはおります・・・でもマア、概ね、暇なので・・・次は「フランスの美しい村・ベスト50」と「フランスの美しい町・ベスト50」を、アップしたいと考えてます・・・現在選定中・・・かなり「難航」してますけど・・・また宜しく、お願いしま〜す。

    そうなんですよ!!! ももんがあまんさんのベスト20とか何十?とかがこの旅行記になかったので、あれ?もしかしたら特別編でも作成中なのかなぁと想像していました〜。 ベスト50作成されるんですね! 順位をきっちりつけるのが大変そうだけれど・・ 楽しみにしていますね〜♪

    なにはともあれ、ひとまず、2015年分本編ほんとうにお疲れさまでした!!!

    また新しい旅行が決まったら教えてくださいね〜!

       wiz
  • sanaboさん 2016/08/24 22:52:52
    お疲れ様でした!
    ももんがあまんさん、こんばんは

    遂に、ご無事に78日間ものご旅行を終えられ帰国の途に就かれましたね。
    57編もの《超》長編旅行記の完結もおめでとうございます(笑)

    自転車を買い戻してもらう予定の自転車屋さんがバカンス中とは
    流石フランスらしいエピソードでした。
    想定外の事態にももんがあまんさんも驚かれたようでしたけど
    600ユーロで購入した自転車の(ホテルのお兄さんへの)売値を20ユーロと
    おっしゃった太っ腹なももんがあまんさんにも、私はびっくりでした。
    40ユーロと言ってくれたお兄さんも良心的(?)といえばそうだけど、
    それでもお得なお買い物に大喜びだったでしょうね^^

    まだ拝見していない旅行記がたくさんありますので
    またお邪魔させていただきます。

    sanabo

    ももんがあまん

    ももんがあまんさん からの返信 2016/08/25 20:49:03
    RE: お疲れ様でした!
     こんばんわ〜 sanaboさん。

     > 遂に、ご無事に78日間ものご旅行を終えられ帰国の途に就かれましたね。
     > 57編もの《超》長編旅行記の完結もおめでとうございます(笑)

     有難うございま〜す・・・やり遂げましたです・・・ちょっと草臥れたです・・ハア・・・

     > 自転車を買い戻してもらう予定の自転車屋さんがバカンス中とは
     > 流石フランスらしいエピソードでした。

     そうなんですよね・・・考えてみれば、有り鵜も事なんですけど・・・これまでは、9月とか11月とかで、8月に行ったことが無かったのですね・・・全く「迂闊」と言うほかないですね・・・

     > 想定外の事態にももんがあまんさんも驚かれたようでしたけど
     > 600ユーロで購入した自転車の(ホテルのお兄さんへの)売値を20ユーロと
     > おっしゃった太っ腹なももんがあまんさんにも、私はびっくりでした。
     > 40ユーロと言ってくれたお兄さんも良心的(?)といえばそうだけど、
     > それでもお得なお買い物に大喜びだったでしょうね^^

     どうせ、いざとなったら、「ホームレス」にあげようと思ってたので・・・でも、お金を欲しがるだけで、現物だと、もらてくれない「ホームレス」もいるのですね・・ハハ・・マア、道端に捨てたくは無いですし、ゴミに成りますしね・・・お互いに「ハッピー」なのが一番です。

     > まだ拝見していない旅行記がたくさんありますので
     > またお邪魔させていただきます。

     宜しく、お願いしま〜す・・言って背も、大歓迎です。

                    by ももんがあまん

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