2016/04/29 - 2016/04/29
744位(同エリア1198件中)
滝山氏照さん
JR・近鉄鳥羽駅から徒歩10分、又は近鉄中之郷駅から徒歩5分に鳥羽湾を見下ろす鳥羽城(とばじょう、三重県鳥羽市鳥羽)は天正14年(1586)に築城に着工、8年後の文禄3年(1594)に完成した鳥羽藩3万5千石を有する大名九鬼嘉隆(くき・よしたか、1542~1600)が本拠とする海城です。
上述の嘉隆を代表とする九鬼一族は遡る事南北朝時代中期、現在の三重県中央部を東の伊勢湾に突出する志摩半島の突端にあたる大王崎・波切(なぎり)を領する海賊として活躍していました。
当時の海賊とは海を活動の舞台とし、通行船や商船を襲撃しその積荷を奪うというより、海域の水先案内人、各種船の護衛、兵員武器の輸送又は水軍として雇われ合戦に出陣する海の武士団でもありました。
そもそも九鬼一族は熊野水軍の一派で紀州牟婁郡・九木崎(くきさき)(現在の三重県尾鷲市)の住民で、南北朝時代中期の貞治元年(1362)頃、波切九鬼一族の初代九鬼隆良(くき・たかよし)が紀州から志摩半島の波切に渡ってきたと伝えられています。
九鬼波切初代の隆良が志摩半島に移住した時、志摩半島の海岸には志摩十三人衆と呼ばれる各港を核として勢力を有する海賊の勢力があり、九鬼一族もその小勢力のなかの一勢力となっていきます。
一方桶狭間で今川義元を討ち取り、次いで念願の尾張を統一、永禄6年(1563)居城を小牧山に移した織田信長は美濃攻略を図るとともに、近江進出の布石として先に北伊勢の桑名郡・員弁郡の土豪を攻略させた家臣蟹江城主滝川一益(たきがわ・かずます、1525~1586)に改めて本格的な北伊勢侵攻を命じ、南近江の六角義賢の影響下にある諸土豪を排除または臣従させて上洛の道筋をつけます。
入手のパンフレットには項目ごとに詳細に亘り記載されその内容は下記の如くです。
「【立地】
鳥羽城跡は、水軍の基地に適した、良港で知られる泊浦(鳥羽)の妙慶川河口部に位置し、標高40mの小山を中心に築かれた平山城で、南方山頂部に設けられた本丸を中心に、自然地形を利用して雛壇上状に曲輪を配しています。
【築城主】
織田信長や豊富秀吉のもとで、水軍大将として活躍した九鬼嘉隆により文禄3(1594)年に竣工したとされています。
【鳥羽城の構造】
鳥羽城は、大手門は海に開いた水門で、内陸側には堀を巡らせ、四方を海に囲まれた「海城」でした。
外曲輪を含めた総面積は32,280坪(約106,500m2)で、内陸部からは藤口門、横町口門、相橋口門の3つの橋で連絡し、天守をはじめ、13の櫓が廃城時にありました。
城内は、絵図によれば、本丸の北西寄りに3層の天守があり、南側には本丸には本丸御殿がありました。内藤忠勝の時代の延宝8(1680)年に内藤家が断絶となった際の作事書に、天守の規模は5間X6間で、高さ約19.5mであったとされています。
【城主の変遷】
城主は築城主の九鬼氏が御家騒動により、国替えとなった後、寛永10(1633)年に譜代である内藤忠重が城主となりますが、その後、内藤氏が江戸で殺傷事件により領地没収となると、幕府直轄地を経て、土井?松平(大給)?板倉?戸田(松平)と城主の交代が相次ぎます。享保10(1725)年に稲垣氏の入封により、ようやく安定し、幕末まで続くことになりました。
【城の終焉】
明治2年(1869)年の版籍奉還により、城地は官有地となり、明治4(1871)年には天守をはじめ城郭の建物、城門、櫓等の建物は取り壊されました。
また、明治9(1876)年には、内陸の蓮池が埋め立てられ、海側も造船所が造られたため、城の遺構は壊されました。
昭和に入ると、本丸より一段下がった南には旧鳥羽小学校、家老屋敷跡の南にも鳥羽市役所、市民文化会館が建設されました。昭和40(1965)年に本丸跡と家老屋敷跡の2箇所が三重県の史跡に指定されました。
【城の石垣】
本丸跡の周囲には野面積みの石が残存し、当寺野姿を留めています。その他にも鳥羽市民文化会館裏の家老屋敷跡周辺に石垣が残っています。堀は、大半が埋められて残っていませんが、妙慶川の相橋に堀の石垣が唯一残っています。
石垣の石材は、カンラン岩と千枚岩を使用しており、これらの石材は、周辺の海岸部で採取されたものと思われます。
【戦国最強の水軍大将九鬼嘉隆】
九鬼嘉隆は、志摩地方に勢力を伸ばしていた水軍の将でしたが、織田信長が天下統一を目指す過程で、苦心していた長島の一向一揆や、石山本願寺との戦いにおいて水軍を率いて数々の戦功を挙げました。
なかでも、天正6(1578)年の第2次木津川口の戦いで、当時としては異例の大型の鉄甲船6隻を率いて毛利水軍を打ち破り、信長の石山本願寺の攻略に大きく貢献し、その功績により鳥羽の地を賜りました。
信長の死後は豊臣秀吉に仕え、志摩3万5千石を拝領しました。
嘉隆は「日本丸」という大型軍船を建造し、文禄元(1592)年の朝鮮出兵の際にも日本丸を中心とした大型船団を率いて参陣しました。
嘉隆は、家督を子、守隆に譲り隠居しますが、慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いでは、嘉隆は石田三成側の西軍、守隆は徳川家康側の東軍に属し父子で、戦いをしました。西軍の敗北後、嘉隆は、答志島へ逃れました。
守隆の決死の助命願いにより許されたのも知ることもなく、嘉隆は、答志島の和泉庵にて切腹しました。現在、答志島には嘉隆の首塚、胴塚が残っています。」
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄
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三の丸跡
近鉄志摩線中之郷駅下車、当駅の山側道路を線路に沿って徒歩5分鳥羽方向に歩きます。 -
三の丸広場
三の丸跡は整備されて現在では城の玄関口となっています。当時は現在の近鉄志摩線の線路と国道42号線部分に二の丸御殿があったと考えられています。 -
三の丸口掲示板
事実上の玄関口ですから鳥羽城に関する説明板が掲示されています。 -
「鳥羽城跡」説明板
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「水軍の将九鬼嘉隆」説明板
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パンフレット収納ケース
このケ?スの中に鳥羽城跡・九鬼嘉隆に関する記事が書かれたパンフレットがあり自由に取り出すことができます。 -
「鳥羽城の歴史」説明板
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「鳥羽城主変遷と年表」説明板
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本丸への登り口
急峻な石段を登って行きます。 -
ひな壇形状の石垣
再生された石垣なのかどうか不明ですがひな壇形状となって敵の侵入を防ぐ役割のようです。 -
鳥羽湾風景
登城の途中から鳥羽湾を眺めてみます。まだ全景が視野に入りません。 -
本丸への登り口
更に長めの石段を進んでいきます。 -
城山公園広場
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鳥羽湾風景
城山公園から答志島を含む鳥羽湾を一望します。 -
城山公園説明板
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本丸跡方向
城山公園広場から本丸跡方向を捉えます。 -
本丸跡入口
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本丸跡案内板
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鷹羽龍年の鳥羽城詩歌碑
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本丸石垣
関ヶ原の戦い以前に積まれた「野面積(のづらづみ)」は九鬼嘉隆築城時と思われ見応えがあります。また角部の「算木積(さんきづみ)」は手前と奥のと新旧が認められます。 -
「本丸石垣」説明板
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本丸石垣
歴史と共に石垣の形が変化しますが、初期的な野面積の石垣が実に見事で歴史の経過が見て取れます。 -
本丸石垣
逆方向から野面積の石垣を見ます。 -
本丸跡
以前は旧鳥羽小学校の運動場として活用されていたそうです。 -
本丸跡風景
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イチオシ
鳥羽湾
本丸跡からは鳥羽湾がきれいに展望できます。正面の島は答志島で関ヶ原の戦いで西軍に付いた嘉隆が自害した島でそこには嘉隆の首塚・胴塚が在るとのことです。 -
鳥羽湾風景
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鳥羽湾風景
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「本丸跡からみ鳥羽湾」説明板
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鳥羽城天守跡
規模は5間X6間、高さは19.5mの三層で望楼型の天守があったとされます。 -
「鳥羽城天守跡」説明板 -
鳥羽城本丸跡
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本丸跡説明板
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本丸天守
説明板には下記の通り紹介されています。
『延宝8年に作成された鳥羽城の財産目録には、建物について非常に詳しく書かれています。天守について、「一 天守三重、内一重、五間に六間」とあり、3層であったことがわかります。また、鳥羽城の天守は、屋根の構造から「望楼型(ぼうろうがた)」と呼ばれる古い型式の天守であったと推定されており、九鬼氏が城主の時代には天守は建設されていたと考えられます。』 -
本丸御殿跡
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本丸御殿跡説明板
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本丸跡南側
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大井戸跡
本丸御殿に付随し、直径2.7m、深さ45mの岩盤をくり貫いた素掘りの井戸となっています。 -
「大井戸跡」説明板
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「本丸跡の発掘調査」説明板
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本丸跡北側
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鳥羽湾風景
本丸跡から答志島を含む鳥羽湾を一望します。 -
本丸跡北側
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二の丸方向
現在では近鉄鳥羽線並びに国道と化した二の丸方向を一望します。 -
石垣
ひな壇形状の石垣が印象的です。 -
石垣
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二の丸方向
現在事実上の玄関となっている三の丸の向こうには近鉄鳥羽線と国道が走っておりこの付近が二の丸跡となっていました。 -
三の丸看板
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鳥羽城跡案内図
九鬼氏が移封後の寛永10年(1633)、城主となった内藤忠重(ないとう・ただしげ)により二の丸、三の丸が増設されて近世城郭の体裁を整えます。 -
鳥羽城跡案内図(拡大縄張図)
水軍の城郭にふさわしく大手門(水門)が海側に設置されると共に四方を海に囲まれた海城でありました。 -
鳥羽城跡
帰路は鳥羽まで徒歩で移動しますが、鳥羽城跡真下から見上げると「九鬼水軍の海城・城山公園」の看板が掲げられています。 -
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御木本幸吉立像
英虞湾にて真珠の養殖に成功した御木本翁の立像が鳥羽駅前に配されています。 -
伊勢志摩エリアマップ
鳥羽駅前には伊勢志摩エリアマップが掲示されています。 -
鳥羽市周辺地図
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