2016/04/29 - 2016/04/29
666位(同エリア933件中)
滝山氏照さん
JR桑名駅から国道1号を渡り八間通り北側に在る法性山・海蔵寺(かいぞうじ、三重県桑名市北寺町)には江戸幕府の厳命により木曽・揖斐・長良の河川治水工事に従事して犠牲となった85名のうち自害切腹した51名の半数を占める治水奉行平田靱負(ひらた・ゆきえ、1704~1755)以下23名の薩摩藩士の墓があります。
宝暦3年(1573)、時は9代将軍家重の時代、老中西尾忠尚(にしお・ただなお)を中心とする幕閣は木曽三川の治水工事を決定しそのお手伝い普請を縁もゆかりもない薩摩島津藩に命じます。
お手伝い普請とは幕府が治水工事の設計並びに監督のもと、経費と人夫は命ぜられた島津藩が受け持つというもので、当然ながら島津藩では賛否両論で騒然となり理不尽な幕命に対し幕府と一戦を交える雰囲気が支配的でした。
しかしながら勘定方家老の平田靱負は「戦さをすれば薩摩は戦場と化し農民らが犠牲となる。むしろこの厳命を成し遂げて島津藩の安泰を図ろう」と諸藩士を説得、この情理を尽くした平田の言葉に反対するものなく約950名の薩摩藩士が刀を捨てて伊勢・尾張で治水工事に取り組むことになります。
境内入口には次の内容の説明があります。
「海蔵寺(薩摩義士墓所)
薩摩義士とは、当地方に度々水害をもたらした木曽・揖斐・長良三大河川の治水工事による薩摩藩八五名の犠牲者を言います。この工事は、宝暦三年江戸幕府より薩摩藩に命じられ、工事奉行平田靱負他藩士約九五十名と予算三十万両で始められ約一年半の工期で完成したが、この間八五名の犠牲者と、多大な工事費用を費やしました。これにより長年荒れ狂った大河川も制御されたのです。
当寺には、工事終了後大幅な予算超過と多数の藩士を失った責任を負い切腹した奉行平田靱負の墓碑を中心に二四義士墓があります。
義士によって築かれた油島(岐阜県海津市)の堤防には数千本の松が植えられ、現在も千本松原と呼ばれて偉大な功績跡を残しています。」
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル
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海蔵寺石門
石門の左には「宝暦治水 薩摩義士墓所」と記載の案内板が付されています。 -
海蔵寺・薩摩義士墓所説明板
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薩摩義士説明板
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海蔵寺・本堂
天正2年(1574)創建の漕洞宗の寺院で本山は福井県永平寺となっています。 -
海蔵寺・境内
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薩摩義士説明板
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本堂扁額
本堂入口上部には「法性山」の山号が掲載されています。 -
薩摩義士廟案内板
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宝暦治水薩摩義士之碑
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薩摩義士廟
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イチオシ
平田靱負墓石
薩摩藩治水奉行として全責任を取って切腹した平田靱負の墓石が廟の中央部に配されています。 -
宝暦治水薩摩義士墓石配置図
海蔵寺に埋葬並びに墓碑建立、再建された義士24名の配置が描かれています。自害した藩士については幕府への反抗心と受け取られることを恐れてすべて病死と偽って幕府に報告せざるを得ない事情がありました。 -
廟周辺の風景
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