2015/10/22 - 2015/10/24
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nanaoさん
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60回の節目の式年造替が行われている春日大社と神武天皇2600年大祭が行われる橿原神宮がに行きたい。
そう思って決めた奈良旅行。
3日目はちょっと足をのばして、お色直しが終わった姫路城にも行くことに。
でも奈良県から兵庫県はちょっと遠いのね。
しかも今回、新幹線は京都駅から乗らないといけない。
かなり移動の多い一日となりましたが、真っ白な姫路城が見れて満足です。
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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1日目はまず目的の橿原神宮の特別公開へ。
神社の方に案内してもらいながら、いつもは入れないところまで行ってきました。橿原神宮 寺・神社・教会
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その後は行けたらいいな〜と思っていた薬師寺で地上に降りてきた水煙を見れました。
薬師寺 寺・神社・教会
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2日目はこれも今回の旅の目的だった春日大社。
こちらも神社の方に案内してもらいながらのんびり見学できました。春日大社 寺・神社・教会
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その後、開幕前日の正倉院展を見てきました。
見事!としかいいようのない宝物の数々。 -
ひょんなことから興福寺では貴重な限定御朱印帳を手に入れることができました。
なんとなく、奈良に呼ばれたのかな〜と思ったり。興福寺 寺・神社・教会
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そして3日目。
ホテルでの朝食です。
ご当地メニューがいろいろあるのがうれしい。
柿の葉寿司はもちろん、三輪そうめんや奈良の郷土料理である飛鳥鍋をアレンジした豆乳鍋などがありました。ホテル日航奈良 宿・ホテル
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ハロウィンの飾りつけも。
この後、姫路へ移動です。
なお、部屋に戻ったのち、なぜか体の力が抜けて動けない……。
しばし部屋で横になり、予定より大幅に遅れて出発。
ホテルが駅のすぐそばで助かりました。 -
姫路までだいたい2時間くらい。
奈良県を出て大阪府を経由して兵庫県だもんね。
そりゃ遠いよね。
幸い座れたのでなんとか姫路までこれました。
大阪もいつかは行ってみたいな〜。
駅には「あさが来た」の撮影地が紹介されてます。姫路駅 駅
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荷物を預けるべくロッカーを探しますがどこもいっぱい……。
とりあえずお昼を食べましょう。
迷うことなくうどん。
チェーン店とか関係なし。
本当、旅を楽しむためには健康第一よね〜と実感してます。つるまる饂飩 ピオレ姫路ごちそう館店 グルメ・レストラン
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お昼を食べて終え、再びロッカー探し。
今度はなんとか空いてるところ発見!
姫路城がブームですが、ロッカー足りてないんじゃない??
駅前の観光案内所で姫路城の待ち時間がわかるのはいいサービスだと思います。
ガイドブックを一切持ってないので地図などをもらっていきましょう。姫路観光案内所 (愛称:姫路観光なびポート) 名所・史跡
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身軽になり、姫路城へ。
マンホールは白鷺。
姫路城の別名は白鷺城だもんね。 -
姫路城へ向かうまでにもいろいろと楽しませてくれます。
この写真を撮る前、ここで欧米のお兄さん2人が楽しそうに記念撮影してました。 -
おぉ〜白い!
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姫路城は法隆寺とともに1993年12月、日本で初めてユネスコの世界文化遺産に登録。
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国宝でもあります。
いま見られる全容が整ったのは戦乱の世が落着いた1617年のことだとか。 -
菱の門から中に入ります。
櫓門と呼ばれる型式の二の丸の入口を固めた門で、両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋のあることから、この名前が付いています。門全体に安土桃山時代の様式を残しており、城内で最も大きな門です。(姫路城HPより) -
これは…菱の紋ではないわよね。
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姫路城は戦にまみえることなく、近代の戦災に遭うこともなかった、たぐいまれな城なんだと。
その結果天守や櫓、門などの保存状態が非常によいうえ、ほかに類例のない遺構も多く、極めて貴重な文化遺産となっているそう。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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三脚を立てて撮ってるおじさまがいらっしゃったので
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隣に立って撮ってみる。
たぶんちょっと違うんだろうな……。 -
これくらいズームした方がいいかな?
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そういえば戦時中、姫路は空襲にあっています。
真っ白なお城は目立つだろう、とせめてもの措置として黒い網をかけてカモフラージュをしたそう。 -
その網のおかげか市民の願いが通じたのか燃えることなく戦争を乗り越えました。
焼野原に凛と立つ白亜の城、勇気づけられた市民もいたとか。 -
再び門をくぐります。
-
でもお城が遠いんですけど……。
なぜならば巧妙な螺旋式縄張というつくりらしい。
お城の要塞としての機能性は、縄張(設計、構成、仕組み)のよしあしで決まります。姫路城の縄張は、抵抗(防御)線が3重の螺旋形になった複雑巧妙なもの。これは江戸城と姫路城にしか類例のない形式です。(姫路城HP) -
姫路城は桜もきれいで春はなかなかの人込みみたいですね。
確かにお城と桜っていいコンビ。 -
戦うための狭間も平和な世で見るとデザイン。
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家紋もいろいろ。
なぜなら、
姫路城の大天守だけでも7万5千枚以上の瓦が使用されています。特に姫路城は、丸瓦や平瓦、軒先に使われる軒平瓦(唐草瓦)、軒丸瓦(巴瓦)、あぶみ瓦、棟込瓦、のし瓦、菊瓦、鬼瓦、棟飾りの鯱瓦など、実に56種類もの瓦が使用されています。寺院などの場合、軒丸瓦は巴の紋が入ることが多いのですが、城の場合は城主の家紋が入ることになります。姫路城は城主がよく変わったので、その種類も多くなっているのです。歴代城主の家紋は、赤松氏(二ツ引両)、黒田氏(橘)、羽柴氏(桐)、池田氏(揚羽蝶)、本多氏(三ツ葉立ち葵)、榊原氏(源氏車)、奥平姓松平氏(沢瀉)、松平氏(三ツ巴)、酒井氏(剣酸漿)などとなっています。(姫路観光情報HP) -
少し近づいてきた?
なお、ここら辺はもう城内に入るために並んでます。
この日は約1時間待ちだったかな?
前に家族が来た時は3時間待ちだった〜と話してる人がいたから混雑具合もだいぶ落ち着いたのかな? -
この日はかなり暖かく半袖の人がいたくらい。
並んでる間にこまめに水分補給。 -
だいぶお城が近づいてきました♪
手前の木は桜っぽかったけどそういう品種?狂い咲き?? -
下から見ると本当、白いよね。
-
並んでるのに飽きてきた、というのもある。
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いよいよ中に入ります。
並び始めて30分弱。
あら、結構いいペースじゃない? -
屋根瓦のつなぎ目も白くしてますが、一部黒くなってます。
排気ガス等で黒くなっちゃうらしい。
そのため、真っ白な姫路城が見れるのはお色直し後2〜3年ってことなのね。 -
そういえば「姫路城にドローンがぶつかった」ってニュースがあったけど、あれはどこ?
のちにあれは簡単に見つかるところじゃないっぽいことを知る。 -
奥に見えてるのは百間廊下だよね?
その奥が男山八幡宮がある男山かな? -
城内にあった模型。
これは昔の城下町を再現したんだっけ?? -
ちょっと見にくいけど、紋が入った瓦。
姫路城のどこかにこれが逆さまになった瓦があるそう。
あえて完成させない、という意味なんだけど、どこにあるんだろう〜? -
だいぶ高いところまできました。
手前の網にピントが合って残念。
もうひとつ登れば最上階。
でもそこへ上がる前にしばし待つこととなる。
最上階に上がってわかったけど、最上階、狭い!
そりゃ人数制限するよ。 -
階段も狭いので上るのも下りるのもゆっくり。
ようやく最上階に上がったら、一方通行なので下りるのも順番待ち。
この頃が最も具合が悪く、げんなりしてたらタイミングよく上ってきた階段を下りとして開放する、と。
長壁神社にもお参りしたし、景色を一周する余裕もないからさっさと下りよう! -
行きは城内の展示を見たり、上るのに並んだりして時間がかかったけれど、帰りはスムーズ。
待ち時間ってのは大天守までの時間だったのね。 -
大天守
天守台の東南隅に位置し、外観5重・内部は地下1階・地上6階の造りになっていて、最上階の大棟両端には阿吽(あうん)一対の大鯱瓦(しゃちがわら)を飾っています。外観は千鳥破風(ちどりはふ)・大千鳥破風・唐破風(からはふ)を組み合わせ、調和のとれた非常に美しいものになっています。(姫路城HPより) -
手前の人がいるところが備前丸。
本丸の一郭で、城主池田輝政が住んでいた所。客と会見する対面所などがありましたが、明治15年の火災で焼失してしまったそう。 -
そもそもこの場所が高台にあります。
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姫路城は美しい連立式天守閣らしい。
5重6階の大天守と3つの小天守が渡櫓(わたりやぐら)でつながり、幾重にも重なる屋根、千鳥破風(はふ)や唐(から)破風が、白漆喰総塗籠造(しろしっくいそうぬりごめつくり)の外装と相まって、華やかな構成美をつくっているそう。 -
狭間をのぞいてみる。
昔はここから弓や鉄砲、石などを投げて攻撃してたのよね。 -
歴代のしゃちほこが展示されてました。
大天守からは現役のしゃちほこがよく見えたらしい。
ここでガイドのおじさんがいたからちゃっかり聞いてたんだけど…どうやら有料のガイドさんだったみたい。
興味深かったけど、タダでついて回るのは、ね。 -
せっかくなので百間長屋も見て行きますかね。
-
西の丸までくるとかなり人が少なくなります。
西の丸長局(百間廊下)は千姫に仕えた侍女たちが居たところで、千姫は毎朝この廊下から男山を拝んでいたと伝えられているそう。 -
千姫は二代将軍徳川秀忠の娘で豊臣秀吉の息子・秀頼に幼くして嫁ぎ、死別。
その一年後、本多忠刻と再婚。
政略結婚ながらも仲睦まじい夫婦だったとか。
子どもも生まれ、よかったね〜。
というところですが、嫡男・幸千代は3歳で病死。その後は子宝に恵まれず。
さらに夫・忠刻や母・江も次々と没し、未亡人となった千姫は出家して天樹院と号し江戸に戻りました。(姫路発 お城からの手紙HPより) -
その千姫が日々祈りを捧げた男山天満宮。
時間があれば行って見たかったけど、出足が遅かったし、体力的にムリでした…。
姫路に一泊してもよかったかな。 -
ちゃんとわかりやすく看板が出てます。
待ち受けにして姫力アップ!って…。 -
観光地にはお決まりの顔出し看板。
こんな感じのこじんまりとした部屋っぽのがたくさんありました。
展示があるのもあればないのも。
最後にあった千姫の部屋はさすが、ひときわ大きかったです。 -
百間長屋の部屋からもお城が見えます。
-
長屋からでてきました。
それにしてもよく残ってたわよね〜。 -
しつこくお城を撮ってます。
もう少し長屋の中の写真も撮っておけばよかったな。 -
そういえば姫路城は黒田官兵衛にゆかりがある、と大河ドラマの時にも話題になったっけ。
-
俯瞰図。明治初期のもの。
黒田重隆により姫路城築城。これが姫路城建築史に記される本格的な姫路城郭の誕生だといわれます。
官兵衛もここで生まれました。
その後、秀吉が城の改築に取りかかり、地下に穴蔵のある外観三層、内部四階建ての本格的な天守閣を持つ堂々とした城をわずか1年で完成。 -
月日は流れ、天下分け目の関ヶ原の合戦からわずか1ヶ月後、徳川方の武将として活躍した池田輝政が姫路入り。
9年の歳月をかけて慶長14年(1609年)、連立式の天守を持つ白亜の名城を完成させたのです。
輝政没後の元和三年(1617年)、本多忠政が城主として姫路へやって来ます。
太平の世となるにつれ、居住性を伴った「政治拠点」としての城づくりを行います。三の丸に自分が住む館を建て、息子・忠刻と千姫のために武蔵野御殿と呼ばれる館を建て、西の丸には千姫の侍女が住む長局や千姫と忠刻がくつろぐ化粧櫓も整えました。さらに武蔵野御殿の北側に向御屋敷、内堀の外には西御屋敷、東御屋敷も建てました。こうして天下の名城・姫路城が完成したのです。
(以上姫路観光情報HPより) -
姫路城のゆるきゃら?
穴子の店が目についたけど、姫路の名産なのね。 -
お城を後にします。
この建物はなんだったんだろう??
なんとなく三越を彷彿とさせるライオンですが…。
とりあえずハロウィンの仮装中。 -
反対側にもいました。
お城以外にも周辺の神社や好古園などにも行ってみたかったけど、そこまでの時間はなさそう。 -
京都まではまた長い旅路。
とりあえず小腹を満たすためカフェへ。
白いのはコーヒーのケーキです。 -
電車を調べ、始発の列車に乗って京都へ。
1時間半くらいだったかな。
これも座れたので楽でした。
そして京都の人の多さにびっくり!京都駅 駅
-
「はしたて」でちょっと早めの夕飯を食べようと思いましたが待ってる人が多くて断念。
代わりにお弁当を購入。
新幹線の中で食べました。
なお、絶賛不調だった胃はかかりつけの胃腸科へ行き、薬を出してもらったら次第に落ち着きました。
本当、なんだったんだろう……。
おわり。はしたて グルメ・レストラン
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