2015/06/22 - 2015/06/22
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chiaki-kさん
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世界遺産、そして国宝の姫路城は、基礎や心柱の交換にまで及んだ昭和の大修理から45年経過するが、予想以上に漆喰や木材の劣化が進んでいたため、2009年から始まった平成の修理では大天守の白漆喰の塗り替え・瓦の葺き替え・耐震補強を重点とした補修工事が行われ、2015年3月に白い鷺が舞い立つような優美な姿によみがえり、一般公開された。
トップの写真は二の丸から見た姫路城、手前の小天守の後ろに真っ白な大天守が堂々とそびえている。
2024/03/05 一部修正
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
6/22
昨夜、宿泊したのはJR姫路駅から徒歩5分ほどにあるドーミーイン姫路。ドーミーインについては下記口コミをご覧ください。
http://4travel.jp/dm_hotel_tips_each-11801127.html -
時間があったので朝食後、JR姫路駅付近を散策。北側の2Fデッキから見た大手前通りの向こうに姫路城が見える。
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9:00の開門に併せて8:40にドーミーイン出発。10分ほどで大手門駐車場到着。平日、しかも一番ということでスンナリ駐車できた。(3時間600円)
写真は大手門駐車場からゾロゾロ出てきた団体観光客さん。後ろにある建物が駐車場の売店。団体さんに抜かれないよう先を急ごう。 -
城の正門である大手門へは、この桜門橋を渡って入る。
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桜門橋から見た天守。
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大手門から三の丸広場へ入ると、お約束の世界遺産の碑が。
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三の丸広場の右側を歩いて行くと姫路市動物園発見!
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そして、前方に姫路城天守が近づいてきた。
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ここで姫路城の歴史その1(興味の無い方は飛ばしてね)
姫路城の始まりは、1346年の赤松貞範による築城とする説が有力で、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採っている。一方で赤松氏時代のものは砦や館のような小規模なもので、城郭に相当する規模の構築物としては戦国時代後期に西播磨地域で勢力を持っていた小寺氏の家臣、黒田重隆・職隆父子による築城を最初とする説もある。
戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏や羽柴氏が城代になると、山陽道上の交通の要衝・姫路に置かれた姫路城は本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張された。江戸時代には姫路藩の藩庁となり、更に西国の外様大名監視のために西国探題が設置されたが、その頃城主が頻繁に交替している。池田氏に始まり譜代大名の本多氏・榊原氏・酒井氏や親藩の松平氏が配属され、池田輝政から明治新政府による版籍奉還が行われた時の酒井忠邦まで約270年間、6氏31代(赤松氏から数えると約530年間、13氏48代)が城主を務めた。(Wikipedia参照) -
三の丸広場を過ぎると、入城口。何度も言うがこんな空いている姫路城はまれである。
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入場料金は大人1000円、一挙に400円のUP!さすがは世界遺産。
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入場して最初にある門は「菱の門」、表門にふさわしい格式高い櫓門。伏見城から持ってきたのではという説もあるみたい。
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菱の門を入って左へUターンすると西の丸へ続く石段。西の丸は大坂夏の陣のあと、城主となった本多忠政が息子忠刻と千姫の住まいとして御殿を建てた場所。千姫については後述。
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西の丸を囲むように築かれた長屋は長さが300mもあるので「百間廊下」とも呼ばれ、城外側は廊下に、内側は西の丸御殿で働く女官達の住んでいた部屋となっている。
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廊下の外は断崖、そして内堀となっており、守りを固めている。
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延々と続く廊下。
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二の丸から見た天守。手前の小天守は2002年に修理が終わっているので、屋根の色が大天守と違っている。
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忠刻と千姫もこんなふうに天守を眺めていたのだろうか。
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百間廊下にある部屋には姫路城に関する歴史的なものや、各年代ごとに行われてきた修理の内容などを示した資料が飾ってある。これは江戸時代(と思われる)に書かれた城の見取り図。二の丸には御殿が、また、今は広場となっている三の丸には大きな屋敷が建ち並んでいたのがわかる。
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黒田官兵衛が活躍していた戦国時代の姫路城の模型。ほとんど砦だ。もう一度言うが、今の姫路城は関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって大規模な城郭へ拡張されたもの。
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百間廊下の最後に化粧櫓があるが、千姫が登城する際、実際に化粧した部屋だそうだ。部屋には召使いと遊ぶ千姫の人形が置かれているが、ここで千姫についてスタディ。
徳川家康の孫娘、千姫は7歳で大阪城の豊臣秀頼と政略結婚するが、大坂夏の陣で秀頼と淀君は自害、千姫は運良く助け出されるが、江戸城へ戻る途中で本多忠政の長男忠刻と再婚、姫路城に住むこととなる。このとき千姫20歳、忠刻21歳で、一男一女にも恵まれ、幸せな日々を送る。しかし、長男は3歳で亡くなり、忠刻も31歳という若さで亡くなると千姫は江戸へ戻り、髪を下ろしてから「天樹院」と称して大奥などに影響力を持つが、最後は竹橋にあった御殿で70歳の生涯を閉じた。 -
西の丸から菱の門に戻り、三国堀越しに見る天守。
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堀に映る天守もどうぞ。
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姫路城の門には い、ろ、は などの、ひらがなや、水○門などの名前がつけられているが、これは いの門。
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ろの門を過ぎ、天守に向かって石段を歩くと はの門が見えてきた。
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はの門を過ぎ、次は にの門を目指す。なかなか天守には近づけない。
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やっと にの門に到着。
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頭上注意の小さな門を抜け・・・
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ここは 水一門 と呼ぶ門。
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水二門
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頭上に天守がのしかかる。
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水三門。
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いつのまにか 水六門へ。いよいよここから天守に入る。なお、履き物は用意されたビニール袋へ入れます。
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一階(だと思いますが)にあった江戸時代と思われる姫路城と城下の様子を示すジオラマ。内堀、中堀、外堀の三重の堀で城は守られていたのがわかる。
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ジオラマを見る観光客の皆さん。ちなみに国籍はいろいろ。
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天守2階か?中央側には槍などの武器を掛ける設備が。
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多分2階から3階へ上る階段。何故人がいないかというと・・・
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天守混雑緩和の為、10分ほど階段手前で入場制限。後ろにはたちまち観光客が。
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上の階からOKが出て一斉に階段を登る皆さん。なお、階段は最上階まで、すべて登り・下り専用階段が出来ていた。
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六階の天守閣には、こんな神社が祭られている。長壁神社と呼ばれ、城が建っている姫山の地主神を祭ってある。
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天守閣からの眺め、その1。南側は眼下に二の丸、三の丸、そして・・・・
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大手前通りとJR姫路駅が見える。
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天守閣からの眺め、その2。東側は姫路神社と姫路市立美術館などが見える。
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戦争前は陸軍の施設だった。ここで姫路城の歴史その2
廃藩置県・廃城令で日本の城は多くが廃棄されたが、姫路城も例外では無く、一旦競売にされ城下の金物商が落札する。しかし,城跡は陣地として好適な場所であったことから陸軍省が買い上げ、歩兵第十連隊が置かれることになった。この際、三の丸の建物や武蔵野御殿、向屋敷などの数多くの建物が取り壊された。一方天守は東に傾き、ペンペン草が生え、見るも無惨な状態だったが、中村重遠工兵大佐の尽力もあり、なんとか修理にこぎつけるが、出来たばかりの新政府にも金が無く応急修理にとどまった。1910年にやっと予算がつき、明治の大修理にこぎつける。(1910年?1911年)しかし傾いた柱は基礎石が城の重さに耐えかねて沈んだもので、根本的修理までにはいたらなかった。
1945年7月3日、姫路は空襲を受け城下は焼き尽くされるが、幸いなことに天守に落ちた焼夷弾は不発だったことなどにより城は無事だった。
1950年から昭和の大修理(一部は戦前から始まっていたが戦争で中断)が本格的に始まり、1956年には天守は完全に解体され、地盤沈下の原因だった礎石は撤去され、新たに鉄筋コンクリート製の強固な基礎構造物が姫山の岩盤上に直接構築された。さらに腐食していた西の心柱も交換、瓦も軽量なものに交換するなど、約10億円の費用をかけて大修理は1964年(東京オリンピックの年!)に完了する。 -
これが昭和の大修理で取り出された礎石。こんなもので6000トンもの重量物を支えていたのだ。
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天守閣からの眺め3。眼下には菱の門、そして西の丸には百間廊下を有する長い櫓と、一番手前に化粧櫓が見える。なお、左にある電線は避雷針のアース線。
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長居は迷惑なので写真を撮ってから、さっさと下へ降りる。途中に西の心柱があった。
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天守を出て、本丸の広場から見上げた姫路城天守閣。
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こんな感じ。
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UPです。
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子天守です。
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本丸の広場だが、以前はここにもお屋敷が建っていた。
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右側の門から退城する。
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三の丸広場に降りてきた。広場から眺める天守もきれい。最後に日本の天守のある城についてスタディ。
城の象徴である天守は織田信長に始まったともいわれ、関ヶ原の戦い前後に築城の最盛期を迎えるが、江戸幕府の一国一城令による破却で城郭の数は減少するとともに、武家諸法度により新たな築城や増改築は禁止された。また、災害などによる焼失や倒壊によって、その後は再建されなかった天守もあったため(江戸城・大坂城など)、その数は減少の一途であった。しかも、幕末から明治にかけての戦乱や明治政府の廃城令に伴う撤去、また天災や第二次世界大戦での空襲などにより、更に失われた。
1940年代までは20城の天守が現存し、戦前・敗戦直後までは国宝保存法で国宝などの文化財に指定され現存天守と呼ばれていた。これらのうち1945年にアメリカ軍の攻撃によって水戸城・大垣城・名古屋城・和歌山城・岡山城・福山城・広島城の7城の天守が焼失し、1949年に失火によって松前城天守が焼失した。現在、文化財として見ることができる天守は主に残る12城の天守のみとなっており、現存12天守と総称される。
現存12天守は以下の通り
1 弘前城
2 松本城(国宝)
3 丸岡城
4 犬山城(国宝)
5 彦根城(国宝)
6 姫路城(国宝・世界遺産)
7 松江城
8 備中松山城
9 丸亀城
10 松山城
11 宇和島城
12 高知城
(Wikipedia参照)
11:00に姫路を離れ、姫路東ICから山陽道へ入り、山陽道→中国道→名神高速→中央道をセルボは激走?、19:00に帰宅する。自分にお疲れ様。
これで「2015年 姫路旅行記:姫路城」は終了です。最後まで、ご覧いただきありがとうございました。
2024/03/05 一部修正
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この旅行記へのコメント (6)
-
- thierryさん 2016/02/06 00:27:41
- ありがとうございました。
- chiaki-kさん、初めまして。
私のマカオ旅行記に訪問して頂き、また投票下さりありがとうございました。
今月、姫路へ行くのでとても興味深く読ませて頂きました。
説明も詳しく書かれているので参考になりました!
また、他の旅行記も少しづつ拝見させて頂きたいと思います。
thierry
- chiaki-kさん からの返信 2016/02/06 07:10:57
- はじめまして
- ・
thierryさん、はじめまして。
姫路旅行記に”いいね”をありがとうございました。
旅行記中にも記述してありますが、姫路城はこれで
2度目の訪問です。前回は職場の旅行で、さっと見た
だけでしたが、今回はじっくりと見学できました。
今度姫路に行かれるとのことですが、何かのお役に
たてれば、とても嬉しいです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
2016年1月マカオ&香港(2)マカオ【世界遺産巡り?
媽閣廟〜ドン・ペドロ5世劇場 】編、拝見しました。
*グルグル巻きお線香・・・
ホイアンのお寺でうかつに触ってしまい灰だらけ
になりました。
*聖ヨセフ修道院・・・白と黄色の綺麗な建物ですね
*鄭家屋敷・・・こんなに詳しいレポートは初めてです
まるで行ったような気分になりますね。
マカオは2011年7月にツアーで行きましたが、フリー
タイムを利用して何カ所か世界遺産巡りをしました。
夜だったので迷子になったり、閉まっていたりして
予定の1/3も廻れませんでした。
http://4travel.jp/travelogue/10584744
もし、今度往くことがあれば昼間1日かけて全部廻って
みたいな・・・なんて妄想しています。
次回は「聖オーガスチン教会〜モンテの砦まで」と
いうことですが、楽しみにお待ちしています。
では、また。
chiaki-k
-
- ふわっくまさん 2015/07/23 11:55:04
- はじめまして・・☆
- chiaki-kさん 私の旅行記にも、ご訪問&いいね!ありがとうございました。
1ヶ月違いで見事、旅行記がかぶってしまったのに・・・
それに詳しい説明を頂いて復習もさせていただき、感謝!!です(^-^)
又ちょこちょこお邪魔させてもらいますので、宜しくお願いします。
ふわっくま
- chiaki-kさん からの返信 2015/07/23 13:31:37
- RE: はじめまして
- ・
ふわっくまさん、はじめまして。
私の旅行記にたくさんの”いいね”をありがとうございます。
世界遺産・姫路城・日帰りバス旅行、拝見しました。
*土日曜・祝日も4000円・・・入場料・昼食付きで
これはお得ですね。
*ジュエリー店立ち寄り・・・エコツアーの宿命ですね。
2011年1月に25000円の格安ツアーに釣られて北京へ
行ったんですが、1日3軒以上の店に連れ込まれ、
まいりました。
*西の丸にも写真スポット・・・私のブログのトップ画像です。
正面からだと平面的になってしまいますが、
西の丸からだと立体的に見え、さらに手前に
子天守を従えた大天守が一段と立派に見えます。
*嬉しそうな顔をされ、「郷土愛」を感じました・・・
空襲で焼け野原になった姫路の街ですが、奇跡的に
焼け落ちなかった城を見て、姫路の市民は涙を
流して喜んだそうです。
chiaki-k
-
- わんぱく大将さん 2015/07/22 07:32:48
- うちの実家のご近所に
- chiaki-kさん
ありゃ、ド―ミーインにお泊まりでしたか。 そこを出て道に沿って左に3分ほど歩いていただくとうちの実家があったのですが。と言っても古いほうの実家は壊してしまいましたが。
姫路城、昨年夏に帰省した時とあまり色は変わらないようですね。まあ、Sgファミリアの新しい箇所と古い箇所のような感じです。
昔はお城、毎日見てましたというか、すぐ近くの中学だったので。 たまに庭の掃除にも行かされてました。
大将
- chiaki-kさん からの返信 2015/07/23 06:09:54
- 姫路城は姫路市民の誇りですね
- ・
大将さん、こんにちは。
”いいね”及びコメントありがとうございます。
>そこを出て道に沿って左に3分ほど歩いていただくと
うちの実家・・・
私は郊外の別荘みたいな所に住んでいますので、
駅近くの家にはあこがれます。
ところで今回宿泊したのは、ドーミーイン倉敷、
及びドーミーイン姫路です。
以前は東横イン(会員です)が多かったのですが、
朝食が物足りないのと、温泉に惹かれて、すっかり
ドーミーインのファンになってしまいました。
> 姫路城、昨年夏に帰省した時とあまり色は変わらない
ようですね・・・
と、いうことは、昨年の夏にはもうカバーは取れて
いたんですね。屋根瓦に盛ってある漆喰ですが、
いずれは黒ずんでしまうそうですが、今回は結構
持っているようです。
>たまに庭の掃除にも行かされてました。
昔風に言うと”勤労奉仕”ってやつですか。
旅行記中にも記述しておきましたが、ほんとうに
姫路城は姫路市民のシンボルであり、誇りですね。
では、また。
chiaki-k
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