2016/04/06 - 2016/04/06
1150位(同エリア6695件中)
愛吉さん
京都御所の見学を終えて表に出ました、次の目的地は銀閣寺。
タクシーで約15分、先ず空いている内にと昼食をとります。
それにしてもすごい人、銀閣への参道は人で溢れます、桜も丁度満開。
久し振りの銀閣ですが、ゆっくり観賞出来ません、又人を追い越す事もならず、人波に押されて一回りです。
その後は疎水に沿って哲学の道を南禅寺迄歩きます、途中法然院にも立ち寄りました。
哲学の道を歩くのはこれで4回目、しかし最近でも30年程前のこと、やはり桜の季節でした。
古いアルバムを取り出し見比べますが人の数が違います、その前の紅葉の時期は、歩いているのは私達だけのようです。
時代も変わりました、先ずは写真をご覧下さい。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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銀閣寺参道入口でタクシーを降ります。
疎水が流れ、これ以上は入れません。
哲学の道もここから始まるようです。 -
銀閣寺へ疎水に沿って歩きます。
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疎水は、花筏ならぬ花びらの蓋となって居ます。
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銀閣が近ずくに連れ人が多くなります。
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桜は丁度満開です。
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どうやら銀閣に到着した様です。
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山門をくぐります。
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銀閣です。
ここ慈照寺は室町幕府8代将軍足利義政公が自分の隠棲場所として建てた東山山荘が始まりです。
義政公の時代は飢饉や幕府内の内紛が続き、応仁の大乱を引き起こし、其の為政治からの逃げ場として東山文化に熱中、その作品の一つがこの銀閣寺なのです。
彼の妻は悪妻の代表日野富子でした。 -
向月台と銀沙灘
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同上
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国宝、東求堂。
義政公の持仏堂で、書院造りの発祥建物です。
又東山文化の発祥場所でもあります。 -
展望所依りの眺め。
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同上
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同上
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銀閣寺の参道を戻り、再び哲学の道へ。
平日なのに、この人出。 -
哲学の道、南禅寺を目指します。
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銀閣を離れるにつれ、少しづつ人が減って来ます。
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所どころにお休み処があります。
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疎水縁の屋敷の桜。
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哲学の道はまだまだ続きます。
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途中の法然院に到着。
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山門
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境内に入り、本堂にお参りします。
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又哲学の道に戻り散策を続けます。
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疎水の畔にこんな石碑があります。
丁度中間辺りです。 -
法然院を過ぎるとさらに人出が減少します。
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疎水縁の桜並木はまだまだ続きます、私達もゆっくり歩きます。
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でも少々疲れました、適当な場所で一休みしましょう。
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人出が増えて来ました、終点が近くなったのでしょう。
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疎水縁に建つお食事処、環境に配慮した造りです。
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哲学の道もそろそろ終わりです。
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終点の若王子神社、ここまでが哲学の道になります。
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私達はそのまま直進。
ここは永観堂、紅葉でお世話になりました。 -
紅葉だけでなく桜もきれいです。
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散策の終着点、南禅寺に着きました。
四季を通じ人気の寺院で、今日も山門の上には人が溢れます。
しかし私達は山門前を通過して無鄰菴に向かいます。
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門前には名物湯豆腐の店もあります。
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インクライン、桜の名所です。
琵琶湖から水を引き、当時は船も通いました。
江戸時代まではここら辺りも南禅寺の境内地、当時南禅寺は佐幕派であった為、明治新政府に睨まれ、境内に琵琶湖疎水を通す事、広大な土地の一部を供出する事等を求められ反対出来ませんでした。
その時供出した土地が、南禅寺の別荘群として今に伝わります。
次項ではその内の1軒、山縣有朋の別荘無鄰菴からスタートします。
ではこの項はこれにて終了。おやすみなさい。
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