2016/03/26 - 2016/03/30
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entetsuさん
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「冬は寒いから嫌!」と家内が言うのに抗し切れず、やっと3月、12回目のソウルです。
航空機はチェジュ航空で、往復料金12000円。諸税・燃油サーチャージ等込みで@17,910円。
宿泊は、南山近くの「ヒル ハウス ホテル」にツインの部屋4泊で税込み32,542円。
よく、「12回もソウルに行ってたら、もう行く所ないでしょ?」などと言われますが、いやいやまだまだありますよ〜(笑)。
飽きないし・・・。
今回のテーマは、「ソウル市内をちょこちょこ歩く」という感じでしょうか?
2日目は、まず、ソウル文化観光解説ボランティアさんの解説を聞きながら、久しぶりに朝鮮時代の正宮「景福宮」観覧です。
☆ (1)出発、ホテルチェックイン、夕食、「ドラムキャット」観賞
★ (2)ソウル市ウォーキングガイドツアーで「景福宮」を観覧
☆ (3)「青瓦台サランチェ」、再び「景福宮」、お決りのサムゲタン屋さん
☆ (4)「景福宮」近くをもう少し歩きます
☆ (5)「国立古宮博物館」
☆ (6)今さらながら春川の「冬のソナタ」ロケ地に行ってみました
☆ (7)「プチ・フランス」にも足を延ばしてみた
☆ (8)ソウル市ウォーキングガイドツアー「清渓川?コース」を歩きました
☆ (9)「ソウル風物市場」、再び「清渓川」、「東大門」まで歩きました
☆(10)ロッテマートで買物、夜は「FIREMAN(ファイヤーマン)」公演を観賞
☆(11)4泊5日の旅行も最終日。でも、午前中いっぱいは楽しみます
☆(12)いよいよ帰国です
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 徒歩 飛行機
- 航空会社
- チェジュ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2日目になりました。
ホテルには朝食も付いています。
7:30〜10:00。ヒル ハウス ホテル ホテル
-
派手さは無いけど、「お袋の味」的な料理が並びます。
バイキング方式です。 -
私のチョイスは、韓国海苔、青菜の炒め、オデン、青菜のお浸し、白菜キムチ、煮ピーナッツ、味付けウズラ卵、ポテトサラダ、チヂミ。
ぞれに、ライスとスープ。 -
家内は、トースト、ポテトサラダ、ハム、チャプチェ、キムチ、青菜の炒め、韓国海苔。
写ってないですが、牛乳・オレンジジュース・コーヒーなどもきちんとあります。
十分に満足です。
(ちょっと朝から食べすぎですが・・・) -
ホテルの部屋にあったティッシュケースには、ホテル「オンドギチッ」。
「丘の家」という意味ですが、今は「ヒルハウス ホテル」と名前を変え、室内などを改装したんでしょうね。
ティッシュケースまでは、手が回らなかった?(笑)。 -
ホテルの前の通りを、左に進み更に坂を上って行った右側には・・・。
-
「ナムサン・ヒル・ホテル」があります。
昨年の9月に泊まったホテルです。ナムサン ヒル ホテル ホテル
-
このホテルより、今泊まってるホテル(こちら)の方が、いいかな。
-
当初、南大門市場で摂る予定だった朝食を、ホテルで済ませることが出来たのでやや時間的には余裕が出来、ゆっくり目にホテルを出て「景福宮」を目指してます。
ホテル裏の通りにはビール瓶のケースが並んでました。 -
この三輪車で引っ張るのかと思ったら、さすがにそうではないらしい。
この近辺、「南大門市場」に近いので、この様な三輪車(ミゼット?)やバイク、リヤカーなどが多く見られる街並みです。
こういう景色を見るのも、楽しい。 -
ホテル最寄の4号線「会賢」駅から地下鉄に乗ります。
何度もお話してますが、隣駅が「ソウル駅」、反対側の隣駅が「明洞」ときわめて好立地。
「南大門市場」「崇礼門(南大門)」へはこの駅から。
また、以前泊まったこともありますが、「ミレニアムソウルヒルトン」へも、ここが最寄です。
ソウル駅から近いということは、インチョンや金浦からも便利ということで、最近はずっとこの近辺で泊まっています。会賢駅 駅
-
「東大門歴史文化公園」駅で3号線に乗換えて、「景福宮」駅下車。
20分ほどで、「景福宮」にやって来ました。
ボランティアのガイドさんとの待ち合わせ時刻は10:00。
少し時間がありますので、「光化門」の方に行ってみよう。景福宮 城・宮殿
-
「光化門(クァンファムン)」です。
「景福宮」の正門。光化門 史跡・遺跡
-
イチオシ
「ヘチ(またはヘテ)」。
善悪を見抜き、正義を守ると伝わる伝説の動物。
一般庶民の間では邪悪なものや火事から身を守る辟邪の意味をも持ち、災害を追い払う神獣として広く知られています。 -
イチオシ
「光化門」。
当初は、1395年に創建されましたが、豊臣秀吉の朝鮮出兵で1592年の文禄の役で景福宮とともに焼失。
約270年後の1864年、景福宮再建の際にその姿を取り戻したものの、日本植民地時代の1927年に朝鮮総督府が景福宮東側に強制移転。
1950年の朝鮮戦争で再び焼失。
1968年に鉄筋コンクリートで復元されましたが、当時のもとの位置に戻すため、約4年の復元工事を経て2010年8月15日に今の姿に生まれ変わったそうです。
こういった話を聞くたびに、「申し訳ない」と思ってしまいます。光化門 史跡・遺跡
-
丹青。
綺麗ですね〜。 -
「光化門」を中から撮った写真。
光化門 史跡・遺跡
-
「光化門」から入って、2番目の「興礼門」。
普段は、10時から衛兵交代式をやっているのですが、この日は仮設のステージが用意され、何か別の催しがあるようです。
先にも書きましたが、日本統治下の1916年に朝鮮総督府が建てられ、興礼門をはじめとする行閣などが撤去されてしまいます。
しかし2001年10月、85年ぶりに興礼門と興礼門の周辺が復元され、昔の姿を取り戻しました。
後でガイドさんに教わりましたが、「朝鮮総督府」の建物は、1997年まで韓国の役所として使用されていたのだそうです。興礼門 史跡・遺跡
-
「景福宮」に入場するチケット購入。
@3000ウォンです。
一人300円ですので、日本の感じからすると安い。
そうこうしているうちに、時間も10時になり、ボランティアガイドさんとも無事にご対面。 -
ソウル市ウォーキングツアーは、ソウルの主な観光スポットをソウル文化観光解説ボランティアさんの専門的な解説を聞きながら巡るソウル市の観光プログラム。
参加費は無料です。
コースは21コースほどあり、私はこの内すでに8コースほど案内してもらっております。
今日は「景福宮コース」。
初めて韓国旅行に来た時に、お決まりの市内観光をした際に来て以来、随分久しぶりに「景福宮」にやって来ました。
それでは、順に建物などを解説していただきます。永済橋 史跡・遺跡
-
「永済橋」(ヨンジェギョ)。
正殿の門の前には、必ず外の世界と宮閣を分離する意味を持つ禁川が流れています。
今は水は流れていませんが、昔は水が流れていたそうです。
「永済橋」と禁川には魔よけの意味を持つ複数の置物がありますが、その中で代表的なものは「天祿(チョンロク)像」。
ヘテと同じように想像上の生き物ですが、邪気を追い払う役割をしています。
ただ、顔は案外可愛らしい。 -
「永済橋」を渡ると、最後の門である「勤政門」(クンジョンムン)が現れます。
「景福宮」の正殿である「勤政殿」の正門です。
現存する李朝王宮の正殿正門のうち、唯一中層の建物として残っている門だそうです。勤政門 史跡・遺跡
-
「勤政門」。
中央部分は、駕籠に載った王だけが通る道。
ヘチが左右を守っています。 -
中央には鳳凰。
鳳凰は「王」を象徴します。 -
これが、「勤政殿」(クンジョンジョン)。
「景福宮」の正殿。
宮殿の正殿の建物の中では最も大きく、多包様式の建物で現存する最大の木造建築物です。
「勤政殿」では王が臣下の朝礼を受けたり、公式な国家儀式や宴会が催されました。
また外国の使臣との接見もここで行われました。
「政務に勤べし」という意味でこの名が付けられたとか。勤政殿 城・宮殿
-
「勤政殿」前の広場の地面です。
ガイドさん情報。
地面には形や大きさが異なり、表面に凹凸のある石材を敷き詰めてあります。
これには理由があって、①大理石のように平らな石材だと、王が臣下を見渡すとき眩しいため②文官や武官達の靴の裏は豚の革で出来ており、雨などが降ると滑ってしまうため
だそうです。 -
「勤政殿」は内部が吹き抜けになった2階建です。
確かに、でかい〜。
1395年(太祖4年)建立されましたが、文禄・慶長の役で焼けてしまい、その後李朝末期の1867年(高宗4年)11月に興宣大院君が再建、2001年に復元工事が終了し、現在に至ります。勤政殿 城・宮殿
-
「勤政殿」の手すりの柱には青龍、朱雀、白虎、玄武などの四神とねずみ、ウサギ、牛、ヘビ、馬、羊、猿、鶏などの十二支の動物像などが配置されています。
これは双獅子でしょうか? -
子供ですが・・・。
ガイドさんも、これが何だとははっきり教えてくれなかった・・・。 -
牛と言っていたかな・・・。
-
これは、ウサギだったか・・・。
似てるけど。 -
華やかな丹青で装飾が美しい。
-
「勤政殿」には四方とも壁がなく、すべてを持ち上げることができるようになっています。
国家的な行事の際には、内部を開放できるようにしているのだそうです。 -
王の座る御座。
後ろには王を象徴する「日月五嶽図」(または五峰図)屏風が必ず置かれています。
韓国の一万ウォン紙幣でも、世宗大王の後ろに描かれています。
左側の月は王妃、右側の日は王様。
その背景に2筋の滝が流れる5つ峰と、一番前に植えられた松から成ります。
これは陰陽五行説に基づき、太陽と月はこの宇宙の陰と陽を表し、絵の中の日、月、山、松、水は、天界、地界、生物界の生命力をあらわし、森羅万象永遠の生命力を象徴する王の絶対的な権力を表したものといわれています。 -
天井には、2匹の龍の装飾があります。
-
建物の西側に配置されている白虎。
四神は中国の神話において、天の四方の方角を司る4体の霊獣。
東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武が配されます。
猫みたいですが、白虎です(笑)。 -
「ドゥム」。
実際に消火用水を入れる容器であるとともに、火魔が水に映った自分の姿(大変醜いのだそうです)に驚いて逃げるようにして、火災を予防する役割もあるそうです。 -
さすがに「景福宮」です。
「勤政殿」は観光客が多く、ゆっくり観賞出来なかった〜。
で、やって来たのが「修政殿」(スジョンジョン)。
ハングルの創製者である世宗大王の時代、学問を研究する場である「集賢殿」として使われ、「訓民正音」もこちらで作られたと言われています。
高宗時代の1867年の再建時に、「修政殿」に名称を変更し、主に王が生活をする場として使われました。修政殿 史跡・遺跡
-
「慶会楼」(キョンフェル)にやって来ました。
王室の大きな宴を開いたり、外国の使臣を接待した所で、1867年に再建されたました。
予約制で特別観覧が開始されていて内部の観覧ができますが、時期は4月〜10月です。
去年の7月には予約をしていたのですが、真夏の炎天下歩き回って疲れきってキャンセルした苦い思い出もあります。慶会楼 城・宮殿
-
「慶会楼」は48本の柱で構成されています。
24節気を象徴する外側24本の柱は四角い柱が、内側には円形の柱が立てられているのだそうですが、ここからは判り辛い・・・。
帰りにゆっくり見ましょう。
なお、屋根の雑像(例の三蔵法師ご一行様(笑))ですが、こちらが韓国で最も多い11個の雑像が置かれているのだそうです。 -
「千秋殿」(チョンチュジョン)です。
王が臣下と国事を行っていた「思政殿」の西側の便殿。
この建物は文禄・慶長の役で焼失したのを1865年(高宗2年)に再建したもので、元は世宗大王と学者たちがここでさまざまな新しい文物を創り出したと伝わります。千秋殿 史跡・遺跡
-
「思政殿」(サジョンジョン)。
「勤政殿」のすぐ裏側に位置しています。
「勤政殿」では公式的な行事が行なわれたのに対し、「思政殿」は王が日常的な業務を処理していた執務室です。思政殿 史跡・遺跡
-
場所的に、「勤政殿」のすぐ裏ということもあり、観光客多いです。
-
王が政務を執り行う空間として中央に御座があり、御座の前には、史草を作成する史官と秘書室に該当する承政院(ソンジョンウオン)の官員が同席したと考えられているそうです。
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正面の階段の脇には、朝鮮時代に多く使用された「アンブイルグ」という日時計が置かれています。
-
「万春殿」(マンチュンジョン)。
「思政殿」の東側にある便殿。
王は便殿で臣下と国事について議論し、聖賢の本を読み、時には臣下と宴会を開いたとされています。
高宗代に再建されましたが、朝鮮戦争の時に破壊され、現在の建物は1988年に再建されたものだそうです。万春殿 史跡・遺跡
-
「康寧殿」(カンニョンジョン)。
王が仕事を終えた後、寝室として使われていた場所です。
王が健康で安らかであれば人民も安らかでいられるという意味から「康寧殿」という名前がつけられたそうです。
日本統治時代に撤去されましたが、1994年に復元されたそうです。
王の寝殿なので、ご覧の通り屋根に棟を置いていないのが特徴です。
(棟瓦は龍棟と呼ばれ、王=龍であることから省いたといわれます)康寧殿 史跡・遺跡
-
「慶成殿」(キョンソンジョン)。
「康寧殿」の西側にある付属の建物で、寝殿である「康寧殿」の東西両側に置かれた小寝殿のうち、西側の方の建物。慶成殿 史跡・遺跡
-
「延生殿」(ヨンセンジョン)。
同じく「康寧殿」の東側にある付属の建物。
「天地の生と成をお手本とし、政治を明るくする」という意味から延生殿と慶成殿とつけられたそうです。延生殿 史跡・遺跡
-
「延吉堂」(ヨンキルダン)。
「延生殿」の裏手にある小さな寝殿です。
1867年に景福宮を再建したと、最初に建てられたもので、寝殿としてあるいは臣下を接見する目的で用いられたそうです。
当初は、「延生殿」、「康寧殿」回廊で繋がっていたそうです。
日本占領下に燒失された昌徳宮を復元する過程で取り壊されてしまったが、1995年に復元したとのことです。 -
「慶成殿」の裏手を歩いております。
-
これは、先ほどから見てきた建物と少し様子が異なり、優美な感じがします。
王妃の寝殿として使用された「交泰殿」です。 -
「交泰殿」(キョテジョン)。
「康寧殿」のすぐ後ろにある王妃の寝室。
棟が無いのは、「康寧殿」と同じ理由です。交泰殿 城・宮殿
-
王妃の住まいというわけで、景福宮の中で最も華麗に飾られ、裏には人工庭園である「峨嵋山(アミサン)」が広がっています。
王妃はここに居住し、内命府のさまざまな仕事を処理していました。
現在の建物は日本統治時代に撤去されたものを1994年に復元したものだそうです。 -
「含元殿」(ハムォンジョン)。
主に仏事を行った場所といわれています。
何度かの消失を経て、現在の建物は1995年に復元されたものだそうです。含元殿 史跡・遺跡
-
「峨嵋山」(アミサン)。
王妃の住まいである「交泰殿」の裏庭には、「慶会楼」の池から出てきた土で造った人工的な山があります。石築を4層に積み上げて造成しています。
ガイドさんによると、王妃にはストレスが多く、気分を紛らわすために作られたということです。
今でこそ、誰でも見ることが出来ますが、中宮殿の深い裏庭で、自由が少なく気が塞ぎがちな王妃のために造成されたと言います。峨嵋山 史跡・遺跡
-
4段の花壇には梅、ボタン、ユスラウメ、クロフネツツジなどの花が咲き、実がなる木や、松、エノキ、ケヤキなどが植えられています。
木々の間には石鉢、日影台、石蓮池、洗心台(心を洗い清める場所)などの造形物が置かれています。 -
六角形の煙突は4本あり、淡いオレンジ色のレンガの上に瓦屋根を乗せてあります。
煙突には、さまざまな彫刻が施されています。
鳳凰は王妃を、こうもりは富貴を、梅と菊は君子の心を、鶴、鹿、不老草、松、竹、石などの十長生は長寿を意味するとか。 -
これは、「交泰殿」の付属建物である「健順閣(コンスンガク)。
王妃の建物だけあって、色彩は一層優美です。 -
こちらは、昨年新しく再建された「焼厨房」(ソジュバン)。
王の神殿である「慶成殿」の東側に位置し、王にささげる料理を作っていた空間です。
「景福宮」は1592年、豊臣秀吉による「文禄・慶長の役」の戦火によって全焼します。それ以降、王宮として不吉だという理由で273年もの間、再建されませんでしたが、1865年高宗時代に再建が始まり、1868年には創建当時の規模に復元され、。
同年7月に高宗が「昌徳宮(チャンドックン)」からこの地に王宮を移しました。
しかし1895年、閔妃(高宗の妃)が日本人の暴徒に殺害されるという事件が起こり、翌年2月に高宗はロシア公館に避難し、「景福宮」は王宮としての運命を終えることになります。
そして日本の統治下になると、景福宮内にあった約200の殿閣のほとんどが壊され、慶会楼(キョンフェル)や勤政殿(クンジョンジョン)などの10棟のみが残るだけとなります。
さらに日本が「勤政殿」の南側正面に朝鮮総督府庁舎を建て、「景福宮」の景観は完全に破壊されてしまいました。
終戦後の朝鮮総督府庁舎は、政府の中央庁舎や国立博物館として使われますが、景福宮復元事業(1991年6月5日起工)に合わせて1996年11月14日、総督府の建物が完全に撤去されます。
そして現在も、「景福宮」はもとの姿を取り戻すために復元工事の真っ最中で、復元工事が終わるのは2025年とのことです。 -
「焼厨房」は、生物房、外焼厨房、内焼厨房などの空間に分けられます。
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「生物房」は、いろんな種類のお餅や茶菓子などが作られていました。
-
「生物房」で作られた茶菓子などは、外焼厨房や内焼厨房などでも使われました。
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「外焼厨房」の蘭芝堂。
王の誕生日や祝日などの宴会時のお祝い膳を作っていた所です。 -
また、食材を管理し、宴会に必要な料理を作るほかにも、普段は酒膳や簡単な腹ごしらえ用の軽食も作られていたそうです。
-
「内焼厨房」では、王の日常の食事(「水刺(スラ)」王の膳)を作っていました。
「水刺間(スラッカン)」とも呼ばれます。 -
井戸の後も再現されています。
-
膳の様子です。
-
「慈慶殿」(チャギョンジョン)。
王の母親(大妃)のために建てられた宮殿です。
西側に必要なときだけ火を焚いて煖房できる寝房・福安堂(ブガンダン)と、昼間滞在する中央の慈慶殿、夏は涼しく過ごせるように東南側の楼閣である清燕楼(チョンヨンル)で構成されています。慈慶殿 史跡・遺跡
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「緝敬堂」(チッギョンダン)。
「交泰殿」の裏庭の「峨嵋山」の北側(裏)には嬪宮(皇太子妃)が住む数多くの殿閣があったそうですが、日本統治時代にほとんどが撤去されてしまい、現在、緝敬堂と咸和堂だけが残っています。緝敬堂 史跡・遺跡
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オンドル部屋の説明を聞いております。
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「慈慶殿」裏庭にある十長生煙突。
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王の母親(大妃)の長寿と健康を祈願する十長生が刻まれています。
太陽・月・雲・山・水・松・竹・不老草(霊芝)・鶴・亀・鹿などのうち10種を一つの構図に盛り込んでいるのだそうです。 -
漢字の読み(音読み)の音が「福」と同じで福に通じるとされる蝙蝠(こうもり)の彫像。
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塀には、長寿を祈願する意味を持つ文字や、花、蝶、竹の形が刻んで入れられています。
-
この花は日本にもありますが、韓国の春を代表する花で、ケナリ(朝鮮レンギョウ)だそうです。
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「香遠亭」(ヒャンウォンジョン)にやって来ました。
香遠亭 史跡・遺跡
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「香遠亭」(ヒャンウォンジョン)。
ちょうどこの一帯が「景福宮」の後苑にあたります。
1867年、26代王高宗が「乾清宮(コンチョングン)」を建てる際に、その南側に池を掘り、池の真ん中に島を造ってそこに香遠亭を建てました。
香遠亭は、後方の北岳山(ブガッサン)と調和して素晴らしい姿を誇ります。
イ・サンのモデルの正祖が、「昌徳宮」に芙蓉池に芙蓉亭を造った例を受け入れたものとみられるのだとか。
香遠池と香遠亭は、その規模においては昌徳宮後苑の芙蓉池よりはるかに大きく作られています。 -
池の北側にあるのが「乾清宮」です。
乾清宮 城・宮殿
-
「乾清宮」(コンチョングン)。
1873年、 26代王高宗により建てられ、高宗とその妃の明成皇后(閔妃)が暮らした場所です。正門は、両脇の屋根より高い高柱大門の形をしているのが特徴です。
1895年には、明成皇后が景福宮に日本軍守備隊、領事館警察官、日本人壮士(大陸浪人)、朝鮮親衛隊、朝鮮訓練隊、朝鮮警務使らが侵入する事件が発生、その混乱の中で殺害される(乙未事変)という悲しい事件の現場でもあります。乾清宮 城・宮殿
-
建物は、日本統治時代の1915年に撤去されましたが、2007年10月に復元され、現在は一般公開されています。
-
「資善堂(ザソンダン)」の基壇と礎。
「資善堂」は王世子と世子妃)の居所を指します。 -
「資善堂」は、1427年に「勤政殿」の東に建立された後、複数回の火災で焼失と再建を重ねて1888年に再建されますは、1914年、日本は資善堂を撤去し日本に持ち出します。
大倉喜八郎(大倉財閥の設立者でホテルオークラの設立者でもあります)は、1916年に資善堂を東京の自分の屋敷に持ち帰って「朝鮮館」という扁額をつけて私設美術館として使用しました。
しかし、1923年の関東大地震で建物はすべて消失され、基壇と礎石だけが残されました。
1995年に韓国に返還されますが、安全構造上の問題で建築資材として使われず、今の場に残っっています。 -
ガイドさん。
かれこれ2時間近く一生懸命に解説してくださいました。 -
「乾清宮」は、「景福宮」を再建した後、高宗が休憩を取るために建てた離宮で、煩雑な宮殿を離れて、ここで過ごすことを好んでいたとのことです。
-
建築様式は、宮殿の寝殿様式とは違って両班の住宅を応用し、質素な造りになっています。
-
高宗が過ごしながら、仕事をしていた場所の「長安堂(ジャンアンダン)」です。
-
質素ではありますが、王を象徴する「日月五嶽図」があります。
-
北岳山が美しい。
-
「香遠亭」の池の裏手には、高宗が書斎として建てた「集玉斎」「協吉堂」「八隅亭」が並びます。
朝鮮時代の韓服を着た女の子は、当日、学生たちには無料で韓服体験が出来るイベントがあったようで、この子達以外にも何人も見かけました。
そろそろ、ウォーキングツアーも終わりに近づきました。
北門である、「神武門」に向かいます。 -
「神武門」(シンムムン)。
「景福宮」の北門です。
元は、1443年に建設されました。
李朝時代は北岳山からの怒気を防ぐためにといつも開けられていたと伝えられています。神武門 城・宮殿
-
天井には北を守護する聖獣「玄武」が描かれています。
-
「神武門」の外に出てきました。
ガイドさんとはここでお別れです。
熱心に解説してくださいました。
「カムサハムニダ〜」。
久しぶりの「景福宮」。
やっぱり正宮ですね。
規模が大きい!
人が多くてもう少しゆっくり見たかった「勤政殿」は帰りにもう一度見ることとしましょう。 -
「神武門」を出て、北側を見ると「青瓦台」があります。
ご存知大統領官邸ですね。
昨年、真夏にここを内覧しました。
その際の旅行記です。
http://4travel.jp/travelogue/11037863
(3)に続きます。
http://4travel.jp/travelogue/11117085青瓦台 史跡・遺跡
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