2016/01/17 - 2016/01/17
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たびたびさん
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今日は最終日。
八十八か所は、道隆寺と金倉寺。これに善通寺の周辺観光と山内うどんを挟んで、最後は金比羅さん。高松空港の帰りの時間もあるので、それを気にしつつ回ります。
全体としては、善通寺も金比羅さんも、久しぶりに懐かしいものを見たという感じだったのですが、一方で、香の香、山内うどんのおいしさにはちょっと驚愕。過去の経験で言えば、山越うどんや池上製麺所でも、食べてすぐにうまくて驚くようなことはない。初めの一杯はさほどでもなくて、種類を変えた二杯めや再訪した時にやっとその評判のうまさに気づいたものですが、今回は食べた瞬間にうまさが伝わってきました。普通、そんなことはないと思っていたんですけどねぇ。もしかしたら、進化しているんでしょうか。これも私としてはかなりのサプライズ。讃岐うどんの認識がまた一段階上がったような気がしました。
ただし、香川の魅力は屋島の源平合戦絡みが私としてはやっぱり一番かなあ。なぜなら、壇之浦は海上の戦いだし、一ノ谷の合戦などは実は正確な場所すら特定されてはいないんです。それに比べると屋島の史跡のリアルさは群を抜いているんですよね。ただ、いずれにしても今回の旅で香川の空白地帯がかなり埋まって、ちょっと落ち着いたような。しばらく、香川は置いてもいいかなあと思います。
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最終日は、早朝の道隆寺から。こちらは、四国八十八か所の第七十七番札所。善通寺などと同じように街中にあるお寺です。
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始まりは、天平の頃。当地の領主であった和気道隆という人物が誤って乳母を射殺してしまったため、これを悲しみ、桑の大木で薬師如来を刻んで堂に祀ったのだとか。
山門入ってすぐの立派な多宝塔から、 -
奥の本堂へ。
まだ朝早かったのですが、本堂には光が煌々と灯っていて、 -
奥に建つ四天王立像が美しい。四天王は普通、邪鬼を踏んづけているんですが、ここはむしろ善男に支えられていたりして、ちょっと変わっていますねえ。
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この後、長田 in 香の香で、うどんを食べるのですが、まだ店が開いていない。時間つぶしでもう少し周辺散策です。
これは、SLの碑というか、SLそのものが展示保存されているところ。
そして、地元の高校生が管理しているというのはどういうことなんでしょうか。このSLは公共のものだとは思うのですが、何かの意図があってのものでしょう。むしろ、そっちの方が気になりました。 -
葛原正八幡神社は、道隆寺第十二代祐禅が勅を奉じて勧請した八幡宮五社の一つ。
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広い境内には高さ27mの楠木の大木を始めとする古木が茂り、「葛原正八幡宮社叢」として県の自然記念物に指定されています。主要道から案内が出ているので、気が付いた方はどうぞ。
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金倉寺も先に回ります。ここは、四国八十八か所の第七十六番札所。
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始まりは、円珍の祖父である和気道善が宝亀5年(774年)に道善寺として創建。その後、醍醐天皇の勅命により地名を取った金倉寺と改名したもの。
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ちなみに、円珍とは、第5代天台座主の円珍で、ここが出生地。金倉寺は天台宗ですが、円珍は空海の姪の子という関係です。天台宗の祖、最澄は若い空海に対し膝を屈して密教の教えを乞うなど、天台宗の弱点は密教だったのですが、その欠点を補って、天台密教を完成させたのは第3代天台座主円仁と円珍なんですね。円珍の寺としては三井寺が有名ですが、いろんなことを考えさせられる寺だと思います。
一方、境内は、かなりスッキリした構造。本堂と大師堂が同じスタイルの建物なので、余計にそう感じるように思います。 -
さて、長田 in 香の香です。散策を終わって、開店前から並んで入りました。
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釜揚げうどんって、あんまり期待はしていなかったのですが、ここのは特別。
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イチオシ
最初に出てきた大きな徳利から出汁を移してちょっと味わうと、何んという芳醇な香り味わいでしょう。ブワーと広がって、これは驚き。板野のたらいうどんが有名で食べたことがありますが、全然比較になりません。
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うどんもこの出汁にぴったり。優しい味わいに気持ちがトロトロになってしまいました。
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恐るべしの釜揚げうどん。昨日まで食べたうどんもよかったんですが、このうまさは正直言って圧倒的だと思います。 待った甲斐がありました。
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ここから善通寺に向かいます。何度か来ているし、パスするのもありだったんですが、やっぱりせっかくなので。。
下吉田ぜいたく堂本舗は、観光客がいるような場所ではないんですが、車で通りかかったのでちょっと寄ってみた次第。 -
イチオシ
ジャンボカステラが看板商品なんですが、私は、お店の傍らでご主人が黙々と焼いている、ベビーカステラ風の「かすていら焼き」500円をお土産に買いました。ところが、これがうまいのなんの。バター風味のしっかりした歯ごたえもあって、これはちょっと抜きんでたうまさ。これは、そんじょそこらのベビーカステラとはわけが違います。食べだすと、もう止まりませ〜ん。
いいものに出会いました。 -
駐車場にとめて、善通寺の正覚門から入ります。
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他の札所と違って、ここは奥が深いというか境内は広大です。
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御影堂も立派。大師堂じゃなくて、御影堂というんですが、真宗みたいな名前ですね。
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中に入ったのは初めてですが、宝物館を覗いてみることにしたんです。
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つまり、善通寺は、空海の生まれ故郷なので、この宝物館でもなにか空海ゆかりのものがあるのではないかと期待したんです。しかし、それはちょっと期待外れ。空海は地元の有力者、佐伯氏の一族なので、せめてその佐伯氏関係でもあればまた違うのでしょうが、それもなし。そんなのは博物館のマターなのかもしれません。いずれにしても、仏像の類が多数展示されていましたが、後世のものばかりでした。
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ただ、「弘法大師 産湯の御水」というのが中庭にあって、これが唯一くらいでしょう。
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本堂にあたる金堂や五重塔の方はまだ先です。
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仁王門を抜けた道沿いに、もう一つのお目当てがあって、
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それは、善通寺の名物、カタパンのお店。早めに売り切れるということで早めに行ったつもりでしたが、大中小の大きさの大と中は既に売り切れでした。
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小を買いましたが、確かに堅い。薄いのに中まで火がしっかり通っているのでとっても堅いんですね。
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イチオシ
表面に生姜の砂糖が塗ってあってその味がまず来るんですが、カタパン自体にもうまみがあって、とてもおいしいです。
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さらに進んで、
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懐かしい眺めの本堂と五重塔です。
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しかし、二つの建物を写真に収めるのはけっこうアングルが難しいんですよね。本堂だけを撮ってもイマイチだし、
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五重塔から本堂を見るアングルもイマイチかなあ。
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これが善通寺の市街から言うと正面の門。赤門の隣りの門ですが、高麗門の形式。本来は簡素な形式とされている門なんですが、これだけ大きいとそんなことは感じさせないでしょう。
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この南大門も軒唐破風は付いていますが高麗門の形式。金堂を正面に見るので、これが正門の位置づけだと思います。
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少し離れた場所から見た景色。なるほど、これならもっとよく分かる。善通寺はこっちが正面のような感じ。整った姿だと思います。今回初めて気づきました。
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で、こっち方面に来たのは、旧日本軍関係の施設を見るため。
善通寺には、戦前、四国を管轄していた旧陸軍第11師団の、乃木記念室を始めとする関連施設が自衛隊の施設に引き継がれて残っているんです。これですね。 -
受付を済ませると、私一人なのに、係りの人が付き添って案内してくれる親切さ。自衛隊の資料館はほかにもあって、勝手に見てくれ的な施設がほとんどですが、ここは違います。ちょっと恐縮してしまいました。
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イチオシ
第11師団司令部の初代師団長は、あの乃木大将。そして、その当時の執務室が乃木記念室として、ほぼそのまま保存されています。
なお、乃木大将が師団長に着任したのは明治31年。日露戦争の激戦地、旅順の攻略はその後の明治37年。乃木が旅順で率いた軍の主力は、第1師団とこの第11師団だったという関係です。 -
ただ、こうした乃木大将など日清・日露戦争の関係の資料展示は珍しくないのですが、驚いたのは太平洋戦争関係の資料展示が堂々と残っていること。これは他の自衛隊施設ではたぶんけっしてないことでしょう。
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第11師団の関係ではなく、同じ四国の高知出身ということでの展示でしたが、例えば山下奉文の遺品などがあるのはちょっと驚愕。ちなみに、山下奉文はマレーの虎と恐れられ、第25軍司令官としてシンガポールを陥落させた司令官。
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対米戦の南方戦線で戦った陸軍においては、第14軍司令官としてフィリピンにあった本間雅晴、第8方面軍司令官としてラバウルにあった今村均と並ぶ三人のキーマンの一人といえるでしょう。不幸な戦争を経験してしまった日本ですが、こうした事実に目をつぶるだけでは、確かな反戦の決意にはつながらないようにも思います。
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善通寺市街に戻ってきて。
善通寺市立郷土館は、大型の瓶や土器など、近くにあるという有岡古墳群から出土した副葬品を展示する資料館。 -
歴史は好きですけど、ここまで古いのは想定外です。係の人が説明しますよということでしたが、ざっと見ておしまいにしました。九州と畿内に挟まれた瀬戸内は早いうちから先進的な文化が広まっていたことは想像に難くない。そこまででいいかなあと思いました。やっぱり空海がらみが欲しかったですね。
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善通寺市観光交流センターも、同じく市街中心部。観光客の休憩場所としての利用とかを考えたのでしょうが、善通寺の駐車場はこちらとは反対側。
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人の流れはこの辺りにはないので、宝の持ち腐れとなっているような気もします。
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善通寺駅の本屋は、大正11年に建てられたもの全体は寄棟造りなんですが、正面玄関の切り妻のデザインがシンプルですが個性的な印象です。今でも現役なのは、構造が単純だったことも要因でしょう。琴平駅の方は、もう少し切り妻が大きいのですが、大きく言えば同じ部類。大正時代の四国にはこのような駅が他にいくつもあったのかもしれません。
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旧日本軍の関係施設で、もう一つあるのは旧善通寺偕行社。
明治36年に建てられた建物です。 -
陸軍将校のための施設だったようですが、後の大正天皇が休憩所として使ったり、後の昭和天皇が宿泊したりと迎賓館的な利用もされています。
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内部の見学は無料ですが、
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イチオシ
パンフレットもあってなかなか親切。
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広いホールや紺の絨毯が敷かれた応接間など自由に見ることができました。
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さて、善通寺はこれくらいにして、山内うどんに向かいます。
その途中ですが、二宮忠八飛行館は、道の駅空の夢もみの木パークの敷地内にある有料施設。 -
イチオシ
二宮忠八は、明治時代の航空機研究者で、ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物と紹介していました。ライト兄弟の成功は1903年。忠八が、「飛行器」を考案したのは、1889年だったということです。陸軍に実用化を提案したのに取り上げられなかったのは残念なことですが、日本が遅れていたのは飛行機だけではない。それも仕方がないことだと思います。ただ、夢はある話です。
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こちらは、道の駅空の夢もみの木パーク。
平野の多い香川県なのですが、この辺りはかなり山の中に入ってきたようなところで、少し心細くなりかけてきたので、ちょっと一息。 -
地元産品の売り場ではみかんなどもあって、けっこう充実していました。
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そして、山内うどんに到着。
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実は、私は四国に住んだことがあるので、香川のうどんって、もうおいしい店にはあらかた行って、そのうまさは十分に分かっているつもりでした。
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池上製麺所に山越うどん、わらやもやっぱりすごいですよね。スダチを垂らした生醤油うどんなんか最高です。
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イチオシ
しか〜し、この山内うどん店はこれまでの私の常識をすべて打ち破るものでした。
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うどんって、もっとこんなにおいしくできるんだと思い知らされました。舌触りから、噛みごたえ、甘さを含んだ味わいの深さ。今朝の香の香にも衝撃を受けていた私ですが、これはまたそれを突き抜けたうまさです。これはまさに神の領域かもしれません。
最近、持ち帰りも始めたらしくて、うどん玉をいくつか買って帰りました。家族は「おいしかった」というだけの感想でしたが、そんなもんじゃないんですけどねえ。そこは、まあ、仕方ありません。 -
これから、最後は金比羅さんへ向かうのですが、その前にせっかくですから、満濃池にも寄ってみました。これは堤防の駐車場。ダムみたいな感じです。
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香川県最大の溜池、満濃池は金倉川をせき止めて造られたもの。満濃池の堤防から再び流れ出す金倉川はここから金比羅さんの脇、琴平町内から丸亀平野を通って、瀬戸内海に注ぎます。満濃池と金倉川はセットで丸亀平野の灌漑に資してきたということかと思います。
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そして、満濃池の駐車場の周囲に何かないかなあと探したら、神野神社というのがありました。駐車場から少し高台に上がった場所。
満濃池の守護神として奉斎され、延喜式内讃岐二十四社の一つにかぞえられた古社ということですが、今の姿はちょっと粗末なもの。しかし、満濃池の歴史とともにあった神社ではあるようです。 -
琴平駅に到着しました。駅前に車を止めて、ここからは歩くことにします。
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駅前の通りを進んで、
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最初に見つけたのは浪花堂餅店の支店。さっそく立ち寄りました。
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老舗のお餅屋さんですが、色とりどりの大福もちは斬新です。バラで一個買って、歩きながら食べました。色と違って、味の方は正統派。餅は柔らかめで、餡子もちょっと抑えた甘さが落ち着いています。
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すぐに見えてきたのは、高燈籠。琴平町のランドマークと言った遺構です。幕末の慶応元年(1865年)に建てられたそうで、高さは27m。日本一の高さを誇ります。実際に瀬戸内海を航海する船の指標であり、こんぴらさんを拝む目標灯だったのですが、地元の有志で建てられたそう。いい話だと思います。
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琴平線は、高松市内の高松築港駅と金比羅さんの琴電琴平駅を結ぶ鉄道です。
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30分に一本なので微妙なのですが、途中に名物のうどん屋さんもポツポツあるので調べておくと、それなりに途中下車の旅もできなくはない。例えば、山越うどんなら最寄駅は滝宮駅。以前、レンタサイクルを使って行ったこととかも思い出しました。
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橋の前に鳥居が建つのは金刀比羅宮参道大宮橋です。先ほどから歩いているこの道は旧丸亀街道になります。この橋を渡ると通り町。そこからは一気ににぎやかなエリアに入るので、この橋は金比羅さんの玄関と言った位置づけです。
渡って、すぐを右に折れると、多度津と善通寺経由で金比羅さんを結んでいた多度津街道。丸亀街道や高松街道に比べればマイナーだったように思います。今でも、特に賑やかな通りでもなくて、目立たないです。 -
通町に出てきました。ここから表参道に向かいますが、ここももう賑やかさがある通りです。
これは、かまど。大きな口を開けたような形のお菓子が看板商品です。塩田で塩を作る際に使っていたかまどをデザインしたというのですが、本店は坂出にあって香川を代表する銘菓の一つです。きめの細かい卵黄の香りの皮とそれに包まれた黄み餡の香川ではお馴染みのお菓子です。 -
金比羅さんの表参道入口に「こんぴら饅頭」と大書したお店があって、ここにもさっそく寄ってみました。
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白餡をベースにした焼き菓子の饅頭ですね。ミルクの香りがそこそこして、この味はやや定番の感じがしなくもないですが、いい仕上がりだとは思います。
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さて、これが表参道です。金比羅の有名店が軒を並べるホットスポット。
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表参道に入ってすぐの中野うどん学校。なんでうどんで学校なのという、奇抜な名前でインパクトがあると思います。ここでは、うどんを作る体験ができるんです。
昔、ここで私も体験してしてみましたが、一番緊張したのは、最後の生地を包丁で切る行程。どちらかといえば、サクサク思い切って切る方がいいような。ぐずぐず慎重に切っても、あんまりうまくいかないような気がしました。 -
目立った店舗の灸まんは、琴平町というより、香川を代表するお菓子。香川のお土産物でも定番中の定番でしょう。香ばしい皮と黄み餡の組み合わせは、いわゆるくりまんじゅうのおいしさですが、最大の特徴はお灸の形であること。
このお店は元は旅館で、「金毘羅灸」というお灸が評判だったことから、後世になってこのお菓子を考案したのだそう。歴史ありのお菓子です。 -
そして、今回一番のお目当ては人気急上昇中の「嫁入りおいりソフトクリーム」です。
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イチオシ
カラフルな見た目のインパクトがすごいんですが、おいりもほんのりした甘さと口どけの良さが軽い感じでこれまたグッド。見た目も味も兼ね備えています。まいうーです。
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金比羅さんの石段は自分で上る人がほとんどですが、たまあにかごを使っている人を見ることがあって、今回もたまたま出合うことができました。なんかラッキー。ほのぼのとした気持ちになりました。
ただ、かごのかき手はニコニコしてますけど、そんなに楽ではないでしょう。お疲れ様です〜 -
石段が始まるのはここからですね。
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登り始めてすぐの本家船々堂。
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看板商品は、船々せんべい。「金比羅船船〜」の「船船」ですね。店先で御主人が一生懸命煎餅を焼いているのが見えて、すぐにそれと分かります。
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煎餅の方は、なんというか素直な味わい。小麦系のせんべいだと典型的な味なのですが、これはやっぱり洗練された味わいだと思います。
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で、金比羅山に登る前に久しぶりに旧金毘羅大芝居も覗いてみますか。
金比羅さんへの階段を登り始めてすぐに左手に折れて入っていったところです。 -
天保6年(1835年)に建立された歌舞伎劇場は今でも現役。金比羅の観光スポットとしては定番の一つです。係りの人が「時間はありますか」と聞いてきて、あると答えると丁寧に見どころを説明してくれます。以前も来ているし、他の劇場も見ているので、いまさらという気もなくはなかったのですが、改めて説明を受けるとなるほどねと思うところも少なくない。じっくり話を聞いてみるのもいいと思います。
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イチオシ
舞台に続く、花道から入って、
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観客席から舞台を正面に眺めます。ぶら下がった提灯は出演する役者さんの印が入っているんだそうです。
天井は透けていますが、紙ふぶきとかをまけるようにということです。 -
両脇の観客席も雰囲気ありますよね。
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下の座敷から見た方が正面でいいように思うのですが、この両脇の方がいい席なんだそうで、少し幅の広い柱の席があって、そこが最上席です。
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花道の途中にある仕掛け。ここから役者さんがにゅっと出てくるというものです。
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舞台の両袖と
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舞台から観客席を見た眺め。
地方にある昔の劇場って、小坂の康楽館や内子の内子座、飯塚の嘉穂劇場、山鹿の八千代座など見てきましたが、やっぱりここが一番。ここまでの磨きこまれた感はほかではないように思います。 -
裏の楽屋に
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奈落ですね。
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二階の席にも上がって、
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最後はこれが最上席という眺めも確認しました。
ちょっと時間がかかりましたが、すっきりですね。 -
さて、石段の方に戻って、ここからひたすら登りです。
登るのは琴平山。琴平町の背後にそびえる524mの山で、別名が金毘羅山(こんぴらさん)金刀比羅宮はその中腹に鎮座します。 -
金刀比羅宮は1368段の階段が有名ですが、実質的に山登りだからと考えれば、当然のこと。むしろ安全に登れることを感謝しないといけないのかもしれません。
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大変ですけど、感謝。感謝ですよ〜
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さて、一之坂鳥居から見上げるような急な石段の一之坂を登り切ったところが大門です。
これは金刀比羅宮の総門。 高松藩初代藩主の松平頼重から寄進されたもの。二層入母屋造瓦葺の堂々とした姿で、「琴平山」の額が掛かっていて、これは有栖川宮熾仁親王の親筆です。 -
大門を過ぎて、金刀比羅本教総本部の前にあるのは、金刀比羅宮の青銅大燈籠。重要有形民俗文化財となっているそうですが、知らない人でもちょっと目を留めてしまう豪華さでしょう。
寄進者はそれなりの人なんでしょうが、立派なところを見るとお礼の寄進なのかなあと勝手に想像をしました。 -
これは有名な五人百姓。
金比羅さんの境内で特別に商売が認められている飴屋さんです。
帰りに一つ買って帰りましたが、この飴って、最後に飴が薄くなってしまうと、舌を切りそうになる。それがちょっと厄介です。 -
さらに進んで、
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これは桜馬場西詰銅鳥居。表書院に至る石段に建つ銅の緑が美しい門です。
黄色の横断幕で「しあわせさん こんぴらさん」と書いてあるのを見ると、いつもほのぼのとした気持ちにさせられます。金比羅宮の石段は長いですが、ところどころにこうしたちょっとした見どころがあって、気を紛らわせてくれるのはとてもありがたいことだと思います。 -
石段を上がるとすぐに御厩。金刀比羅宮の神馬を飼っている建物です。
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普段はこの中にいるのでしょうが、この日は脇の広いスペースに連れ出して、運動をさせていました。白い美しい馬で走るとたてがみが揺れたり、優雅な姿。しばらく見とれてしまいました。
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元気が出たところで再び登りはじめます。
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今度は社務所門。これは、表書院の門のこと。かつて、この書院に社務所があったことから、門だけは今でも社務所門と呼ばれているのだそうです。ただ、ここに立つと門よりも奥に見える大きな書院の玄関の方が気になります。応挙の襖絵とかが有名なので、時間があればどうぞ。以前、伊藤若冲の企画展がここであって、それと一緒に拝見しました。何か、イベントがあると寄りやすいかもしれません。
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もうすぐ旭社という場所ですが、ちょっとした平地にある祓戸社は、ここで汚れを祓ってから本宮にお参りするという社。これと同じ意味のものが出雲大社でもありましたが、けっこう一般的なものなのでしょうか。しかし、そのようにしている人は今はほとんどいないので、形だけが残っているという感じです。
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旭社の手前の平地に祓戸社と並んであるのが火雷社。祓戸社と比べるとかなり小さめです。ちなみに、火雷(ホノイカヅチ)は黄泉の国でイザナミの体に生じていたというのですが、火を司どる神で消防の神様なのだそうです。
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そして、これが旭社です。
天保8年(1837年)の建立。国の重要文化財にも指定されている銅瓦葺、二層入母屋造の建物は、これがてっきり本殿だと思ってしまう人がいるのもうなずけるほど、立派で堂々としています。本堂から下ってくる際は、この旭社の脇に降りてきますので、お参りは帰りにどうぞ。 -
旭社を越えて本宮に向かうとすぐに現れるのが、この賢木門。長宗我部元親が献上した門だそうですが、唐門の意匠は一生懸命に石段を登ってきた参詣者をもうひとふんばり穏やかな気持ちにさせてくれるように思います。表書院のデザインと共通するようなところもあるように思いますが、いかがでしょうか。
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これが最後の石段です。一気に上がらないといけない険しい石段です。
えっちら、おっちら。 -
そして、急な石段を登り切ると、そのすぐ前に金刀比羅宮 御本宮が現れます。
こんなに時間をかけて上ってきたのに、あまりにもあっさりと前に現れるので、ちょっと物足りなく思う人もいるかもしれません。そして、そのまま本殿の階段を上がってお参りしますが、それもあっけない。ここまで上がることが大変だし、そのプロセスが大事だということでしょう。 -
金刀比羅宮の本殿から右手奥に進んだ清水の舞台のような場所。
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ここからは讃岐平野に讃岐富士など、ののどかな景色が見渡せます。たぶん地元の人には見慣れた光景なのでしょうが、これは香川でしかない風景。観光客にとっては、実は金刀比羅宮のベストポイント。間違いなく香川に来たことを実感できる場所だと思います。
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本宮の建つエリアはそれなりの広さがあります。帰り道もこの先なので、私も人の流れに従って進みましょう。
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大きな神社だと時々見かける神楽殿ですが、金刀比羅宮にも神楽殿がありました。本殿のはす向かい。入母屋造・檜皮葺の建物はちょっと見上げるような高さ。雅楽の太鼓が中央に置いてあって、鮮やかな色彩が目につきました。
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金刀比羅宮は、「しあわせさん こんぴらさん」の黄色のお守りがあって、これを扱っているのが、本殿のそばにあるこちらの神札授与所。ここまで長い階段を登って、ようやく辿り着いた場所。ここなら爽やかな気分でいただけるというものでしょう。
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金刀比羅宮の南渡殿は、本殿と三穂津姫社を結ぶ廊下のような建物。これだけが独立しているのではなく、付属建物と言ったことかと思います。
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神社にはよく神楽殿があって、花道のような入場するための廊下が付いていたりしますがそれをさらに伸ばしたような形です。
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三穂津姫社は、金刀比羅宮の本宮のエリア。本殿と対を成すような位置にありますが、それもそのはず、三穂津姫社は、本宮の祭神である大物主神の后である三穂津姫神を祀っています。檜皮葺の優美で整った美しさが印象的です。
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さらに奥の場所に建つのが絵馬堂です。
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金刀比羅宮は、海の神様なので、海上保安庁の船を始めとして、
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日本郵船、今治造船、ヤンマーなど現代の一流企業の奉納した真新しい絵馬も掛かっていて、今でも海の安全を願う気持ちは昔とそうは変わっていないと思います。まあ、当然ですね。
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もう一度、ここで振り返った眺めです。
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下りはじめて、これはこんぴら狗。こんぴら狗というのは、自分が金比羅参りができない代わりに犬に参詣させていたということを記念したモニュメント。首に巻いた袋には初穂料等が入っていたようですが果たして本当にあったことなんでしょうか。ただ、金比羅宮にそれだけ人気があったことは確かなことだと思います。
ところで、このこんぴら狗からすぐのところに、高橋由一館というのがあって、これが実はすごいんですよね。日本の洋画の先駆け。私からすると、黒田清輝なんか高橋由一の迫力と比較するとひよっこのようなもの。美術館でも、高橋由一の作品があったりすると、その美術館の格が上がったような気になります。 -
さっきの五人百姓ももうすぐですね。ここは馬場のような地形です。
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表参道の奥から金刀比羅宮の石段は始まります。両側にはお土産物屋さんがぎっしりという感じですが、百段目くらいになるところに、この一之坂鳥居があります。ここから大門に至る急な坂道が一之坂。逆に、ここまで帰ってくるとほっとする。目印になる地点だと思います。
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灯明堂は、その一ノ坂の途中。坂に沿って長い屋根が続いた建物で、その中に収めてあるのがかつては参詣者の足元を明るく照らしたであろう灯籠。それなりに立派なものですが、いかんせん傷みも相当な感じ。修理するのは大変そうです。
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表参道に帰ってきて、いかにも老舗といった構えのうどん屋さんがこんぴらうどんです。人の出入りも多くて、人気店ですね。
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きつねうどんをいただきました。でかい油揚げは、しっかりした味の出汁が浸みてうまいです。うどんの方もつるんとしてコシもある。ただ、きちんと整っているなあというくらいで、穏便なうどんのレベル。地元ならではのワイルドさには欠けると思います。
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こんぴら観光案内所は、表参道の中ほど。ちょっと奥まった場所なのですが、スタッフは二人。しょうゆ豆のことを聞いたのですが、あまりよくわからない。せめてお勧めの店とかを聞きたかったのですが、それもだめ。逆に、しょうゆ豆は一般的なものでどこがどうというような差はないものなのかもしれません。
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こちらは金陵の郷です。
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酒蔵の見学はあちこちであって、珍しいものではないのですが、
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さすがに観光地の真ん中にあるだけに、
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酒づくりの現場を人形などで生き生きと再現したり、見せる工夫はすばらしいですね。入った場所にある大きな一升瓶から酒が流れ出す姿にもびっくり。興味のない人でも、十分楽しめると思います。
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これでほぼおしまいと思ったのですが、もうちょっと探索してみますか。
これは琴平町歴史民俗資料館。ちょっと地味な外観です。 -
金丸座の方もよかったのですが、劇場はあくまで箱ですから、肝心なのはその中身。
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演目を題材にした大きな浮世絵のポスターなど華やかな歌舞伎の世界が精いっぱい展示されていて、楽しく拝見しました。
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観光客はほとんどいない感じでしたが、演劇の楽しさを想像する場所としては意外な穴場。
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けっこうお勧めだと思います。
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琴平町歴史民俗資料館をさらに進んで、もう金丸座の下の方です。
琴平町公会堂って、入口付近とか雰囲気的に人けがなかったので、心配して訪ねましたが、 -
イチオシ
昭和7年に建てられたという純日本建築は、素晴らしい大ホールを備えていて、なんとも痛快。
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縁側のスペースを利用して喫茶店もありましたが、女主人が気持ちよく中を見せてくれました。観光客でもこれなら、遠慮せずにもっとどんどん行けばいいと思います。
ちなみに、ここを見学するのに、ここの女主人が気持ちよく迎えてくれまして、このカフェに気付いた次第。琴平町公会堂の外観がちょっと敷居が高いし寂しい感じなので、それがちょっと残念。こんないいカフェがあるのに、もっと知られていいと思いました。 -
そして、鞘橋も琴平町内を流れる金倉川に架かる名物橋。表参道からは市街の外れに向けて少し歩きます。銅ぶき屋根の付いた橋で、ちょっと意表を突く姿。雨が降った時でも安心ということなんでしょうが、そもそもそういうニーズがあるんでしょうか。これは好きものが考えた橋なんじゃないかと思います。
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金刀比羅宮の表参道から市街の方にまっすぐ進んだ先にあるアーケード商店街が新町商店街。昔の高松街道に相当するレトロな商店街ですが、いくつかの名物店があるんです。
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すぐにあるのが平岡精肉店。ここのコロッケはかなり昔に食べたことがあって、そのうまさが記憶に残っていました。
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で、今回久しぶりに食べるとそのうまさは今でも健在。ジャガイモのホクホク感に加えて、牛肉のうまみがしっかりとしていて、これは琴平の名物といっても過言ではないと思います。
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商店街の中ほどにあるのが、へんこつ屋。大正初期創業の老舗です。
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この辺りでは最も古い和菓子屋さんだそうですが、確かに店構えも渋いですねえ。
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さて、看板商品のへんこつ饅頭はというと。。薄い皮の焼き菓子なんですが、中にどっしりと存在感ある餡子が詰まったヘビーな味わい。直球勝負のこの堂々とした貫録はなかなか真似ができるものではないような気がします。
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そして、最後のうどんは、おがわうどんへ。金刀比羅の賑やかな場所ではないのですが、細いうどんがウリの人気店。閉店前に滑り込んで、冷やしキツネうどんをいただきました。うどんは細いというほど細くはないような。どっちにしても柔らかめのうどんです。おばちゃんがうどんをゆでながら、たっぷりの湯でゆでることか、自宅でうどんをゆでる時のコツを教えてくれました。
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うどんの方は、柔らかい分、観光客にとってのインパクトは弱いのですが、良質な家庭の味と言った感じ。地元のリピーター向けのうどんのような気がします。
さて、いい時間になってきました。これから一気に高松空港に向かいます。以上で、四日間の旅は無事終了。お疲れ様でした。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
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- わんぱく大将さん 2016/06/23 07:17:44
- そんなに美味しいうどん ?
- たびたびさん
ご無沙汰してしました。 香川のトラベラーさんにいただいた(この1月?)うどんが未だ、いただいてないのですが。。。 うどんはやっぱり自分で作るより店で食べたいですね。そんなにおいしいうどんでしたか。
へんこつや、行ったことはないですが、うちの従兄がそちらに住んでまして、遊びに行った時に土産にここの饅頭を持たせてくれました。これやったか。
大将
- たびたびさん からの返信 2016/06/23 09:26:08
- RE: そんなに美味しいうどん ?
- コメントをいただき、ありがとうございます。
今回の体験で、香川うどんはまだまだ進化を続けているという思いを強くしました。特に、やまうち。シコシコ、ツルツルの感じは、まさに神の領域です。一般的に、うどんは、そばに比べるとなにか奥深いというようなイメージもなくて、低く見られるようなところがあると思いますが、やっぱりそうとばかりも言えないようです。
東京のうどんだと、最近みつけた「こくわがた」くらいがまともでしょうか。さぬきうどんのおいしさはまだまだ知られていないように思います。
たびたび
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