2016/02/23 - 2016/02/29
334位(同エリア3873件中)
ちょんたさん
昨年、どういういきさつか思い出せないのですが、2月に姉とフィレンツェに行こう!と決めました。
日程は月曜日に行って月曜日に帰る、しかありません。実質は5泊のイタリア滞在。最初は、フィレンツェ2泊、ヴェローナ2泊、そしてフィレンツェに戻って1泊。フィレンツェからヴェローナに行く間にラヴェンナを経由、ヴェローナからパドヴァを経由してフィレンツェに戻る・・などと欲張った計画をしたのですが、何しろ真冬のフィレンツェ。旅行記を読むと猛吹雪で電車はストップ、行った教会は人が来ないので閉まっていたなどと読むとちょっと無謀かと・・。
結局、ラヴェンナに滞在すると良いと強く勧めた方の忠告に従って、
2月23日0時半 羽田出発
23日朝10時 シャルルドゴール乗換フィレンツェ着(エアー・フランス)・泊
24日・25日 フィレンツェからボローニャ乗換ラヴェンナ泊
26日・27日 フィレンツェ泊
28日昼12時半 フィレンツェ出発 ローマ経由(アリタリア)
29日朝11時10分 成田着
というコースにしてみました。ラヴェンナ2泊は大正解でした。フィレンツェはまだまだ泊まりたかったのですが、今回は姉と私の一番行きたかったところに絞りました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今回は短い期間だし、安く行こう!と言っていたのですが、前の晩に7万円でビジネスに変更できるという姉からのメールで思わず『乗って』しまいました。
夜の便なので、フラットで寝られれば、着いた朝からフィレンツェを元気よく歩き回れるし・・という判断でしたが、この読みは大当たりでした! -
ディナーのコース。いろいろ選べるのですが、時間が時間(夜中の2時ごろ)なので、リゾットにしてみました。
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こちらです。
野菜中心に頂いてみました。お味は、まあまあ・・。 -
到着前に出てきた朝食。このオムレツは見事な美しさ。パンが美味しかったです。
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何と国際便の映像に山田和樹さんが出ていました。
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乗り換え便の通路。
前回、何故か迷ってしまったので、記録用です。今回はスムーズに乗り換えられました。 -
そして明け行く太陽・・・。
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時間通りフィレンツェに到着しました。奇跡のようです!!
こちらはホテル。
タクシーで空港から22ユーロでした。これはもう決まった額なので、とても気が楽です。
でも、うっかりすると、にこっと笑ったままお釣りを渡さない運転手さんもいるので、(帰りのホテルから空港でこれをやられました。勿論しっかりお釣りを受け取りました!)気を抜かずにチェックが肝心です。 -
ホテルを出てすぐの小道からジョットの鐘楼の姿が見えて感激。
今回のホテル、「HOTEL DE LA VILLE」は、サンタ・マリア・ノヴェッラ駅(中央駅)から歩いても6〜7分、デゥオーモにも5〜6分と言う足の便の良いところでした。 -
メディチ家礼拝堂
その後行った教会とどういう関係かどうもよくわからなかったのですが、こういうことだそうです。
サンロレンツォ教会にくっついて「メディチ家礼拝堂」があります。これは元来サン・ロレンツォ教会の一部なのですが、礼拝堂と新聖器室だけが別の入り口となっているものです。 ここも見逃せないスポットの一つです。
インターネット情報です。
それで次に行ったところにもメディチ家のお墓があったのですね。 -
アンナ・マリア・ルイザ・ディ・メディチの彫像。メディチ家最後の方。
この方がいなかったら、メディチ家の財宝は散り散りになってしまったとのことです。
コジモ3世の娘で、プファルツ選帝侯に嫁いだ彼女は、
子供のないまま死別し故郷フィレンツェに戻りますが、
彼女の兄フェルディナンドも
弟ジャンガストーネも子供に恵まれず、
3世紀以上にも亘って長く栄華を誇ったメディチ家直系は
家系断絶目前となっていました。
様々な手が打たれたものの、家系断絶は免れない状況となり、
彼女が1743年にこの世を去る前に
メディチ家の後を継いでトスカーナ大公となった
ハプスブルグ・ロレーナ家と交わした契約で
「メディチ家の芸術コレクションや宝飾品が
フィレンツェにとどまり、
国家の財産として一般に公開されることを条件に、
全てのコレクションをトスカーナ大公に託す」と遺しています。
この遺言により、メディチ家のコレクションは
フィレンツェから門外不出となり、
この街を世界でも唯一無二の芸術の宝庫としているのです。
H・I・SのHPより。 -
財宝のごくごく一部・・。
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どなたのお墓なのか…。
こうして足もとにお入りになられているというのが、日本人としては、いつまでたっても慣れません。 -
それにしても手の込んだ調度品でした。
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1階は大したことが無かったのですが、ほとんど期待しないで登った2階の見事さにびっくり。
この日最初のびっくりポン!
ここは天井まで30mはあろうかという「君主の礼拝堂」と言われているところです。 -
天井も高く、美しいフレスコ画で飾られ・・。
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いろいろな色の大理石に囲まれ・・。
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なんとまあ立派な石棺???
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床も美しいモザイク模様…。
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そしてなんといってもこの細工の美しさには見とれてしまいました。すべて色の違う大理石をはめ込んであるのです。
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先ほどの全体像。いたるところ紋章があります。
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踊っているライオン。楽しそう。(笑)
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このブルーの美しいこと。ラピズラズリでしょうか。
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正面には祭壇。この絵も実は大理石でのはめ込みなのです!
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例えばこんなに繊細な花々も・・。ちょっといい加減な気のするイタリアの陽気な国民性から想像もつきませんが、素晴らしい職人軍団があったのですね。
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法王の被られたものでしょう。
これもすべて宝石です。 -
本物はすごい。
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と、感心してぐるりと回り、左手にある小さな扉の中に入ったとたんに、かの有名なミケランジェロが目に飛び込んできました。
な〜んのお知らせもなく(あったのかもしれませんが、大体読めない!)いきなりの対面にこの日2度目のびっくりポン!
ここは聖具室と訳されていますが、どういうことでしょう。 -
ミケランジェロは女性の裸を見たことが無いのではと言われているとか…。こんな筋肉質の女性、あまりいませんね。胸、変!(笑)
「新聖具室には有名なミケランジェロの彫刻が側壁に3体、 2つの石棺の上に2体ずつで4体、計7体あります。
石棺の上の、組になった「昼と夜」、「曙と黄昏」の内、昼と黄昏は男性像で未完成。 夜と曙は女性像で完成している。
何故昼と黄昏は男性で夜と曙は女性なのかと不思議に思ったのですが、 イタリア語を齧った時に判明しました。
イタリア語の昼と黄昏は男性名詞で夜と曙は女性名詞なのでした。
また石棺の上にある記念碑が何故ロレンツォ豪華王やコジモ、 教皇になったレオ10世等の有名処ではないのかと疑問に思ったのですが、 メディチから出た時の教皇クレメンス7世がヌムール公とウルビーノ公になった メディチ家の若者に肩入れして、気の乗らぬミケランジェロに強いてのことでした。」ネットより転載。 -
少し離れて・・。確かに右側の男性は荒削りと思っていたのですが、未完成だったのですね。
反対側はあまり有名ではないので省略。 -
街の飾りもおしゃれなんです。
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反対側に回ると、写真で見覚えのある建物が見えてきました。
サン・ロレンツォ聖堂のようです。
こちらと、先ほどまで見てきたメディチ家礼拝堂との関係が良くわからなかったのですが、もともとひとつなのですね。
ミケランジェロの設計により建て始められたのだそうですが、とうとうこのファサードは未完のままメディチ家が衰退してしまったそうです。 -
後で「美術館訪問記」の方から拝借してきましたが、こういうことです。
「この聖堂はフィレンツェで最も古く、393年に献堂され、 11世紀にロマネスク様式に変更されたものをメディチ家が、 誰もなしえなかったフィレンツェ大聖堂のクーポラを見事完成させた、 フィリッポ・ブルネッレスキに依頼して建て直したものです。
そのためか、大きさは小型ながら、 クーポラの色も形もフィレンツェ大聖堂にそっくり。
ファサード(建築物の正面)は後にミケランジェロに依頼され、 彼は前回のカーサ・ブオナローティに展示されている木製模型は造ったものの、 実際の作業は行われず、粗い石の地肌がむき出しのまま。
内部は外見とはまるで異なり、天井は白色で、柱や壁は明るいグレー。 近代建築の趣すらある優雅な空間。」
そう言う訳で、街を歩いていると、小さなドゥオーモみたいなクーポラが見えたのですが、こちらのだったのですね。分かりました。角度によると、まるでドゥオーモです。
中庭の大きなオレンジの樹が印象的でした。このあたりで雨が…。 -
すっきりとした回廊。
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なんと美しい入れ物でしょう。
とても大きなものです。 -
こちらの布飾りも刺繍の盛り上がりが見事でした。
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ここからは、どうもメディチ・リッカルディ宮殿の写真の様なんです。
中庭にはレリーフのような飾り。
最初の日の街歩きだったもので、どこをどう歩いたのか・・・。 -
でも、この絵のあるのはメディチ・リッカルディ宮殿なんです。
礼拝堂の中は撮影禁止とこの旅行記を書く時に調べたら書かれていましたが、実際には何も表示がありませんでしたし、係の人も何も言いませんでした。 -
天井の装飾も豪華で見事です。
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部屋の見事なこと。貴族、その中でも格段の財力のあったメディチ家の居城。どれほどの豪華な毎日を送っていたのでしょう。
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でも、わりに質素な寝室です。
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イギリスにもこんな服装の絵がありましたが、この時代はどこも同じような流行だったのかしら?
この方もメディチさん? -
ハ〜〜、なんと美しい会議室なのでしょう。
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フレスコ画のフレッシュな色合いが古さを感じさせません。
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ここも国際会議場のようです。
こんなところで会議があったら、かばん持ちで良いからついていきたいです。 -
そして中庭。驚くことに、もう晴れていました。
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おやおや、なんだか無粋なものをつけています。しかも色が違うなんて…。後で付けたことが見え見えです!
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全景を入れてみました。
さて、このあたりですでに2時ごろだったので、インフォメーションで聞こうかと立ち寄ったところ、日本人と知ってから、日本語で書かれたかなり分厚く立派なフィレンツェの紹介の大判の本2冊と、ウインドーに飾ってあった大きな古いフィレンツェの地図2枚を、これまた大きな黒筒に入れてプレゼントしてくれたのです。
これを持ったままサン・マルコ美術館に行くのも・・と思いまたもやホテルに戻りました。最初は、メディチ家礼拝堂でカメラを忘れた人がいたもので戻り、今日2回目です。(笑) -
帰り道なので、素敵な陶器やさんに寄り込んで、やはり買ってしまいました。手書きのスープカップとオリーブの実が書かれた可愛らしい器。
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おじいさんの名前だそうです。 -
という訳で、変なところでホテルの紹介写真が続きます。
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ベッドわき。カーテンのストライプがいかにもイタリア。
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こういう絵と額縁がおしゃれなんですね。
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机の上には鏡。こういう縁取りが豪華です。
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そしてウエルカムのワイン。
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やっとピッツェリアを見つけて入りました。
私はキノコ、姉はクワトロフロマージュ。どちらも美味しかったのですが、さすがに大きくて、持って帰ることに。レストラン イル グランデ ヌーティ イタリアン
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広場の真正面だったので、お店の名前を取らなくてもわかるだろうとたかをくくっていたのですが、これが大間違い。
こんなに素敵で美味しいお店だったので、また入ろうとしたのですが、どこの広場だったのか、二人とも全然覚えていないのです!!
二人ともてっきりドゥオーモの広場で、サン・ジョバンニ礼拝堂の前だと思っていたのですが、次の日には無い!!まさか引っ越さないでしょうし…。残念なことをしました。 -
持って帰ると言ったら、こんなに素敵な箱に入れてくれたのですが…。
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またさっきのところを通ったので、とりあえず写真。
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こんな外観です。何でも外観を質素にしたのは、庶民にこのメディチ家の豪華な暮らしぶりに反感を持たれないためだとか…。
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ところが、やっとたどり着いたフラ・アンジェリコのフレスコ画「受胎告知」のあるサン・マルコ美術館は13:50で閉まってしまってました!!!
それにしてもいくら朝8:15からやっていると言っても、終わるの早すぎませんか?? -
こんなところからもドゥオーモが見えます。近いんですね。
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そういえば、ローマより噴水の数が少ないような気がしました。
ローマはいたるところに噴水がありますから、それが普通だと思っていたのですが、そうでもないのですね。 -
では、予定を変更して「アノンツァート教会」へ。
何でもとても古い受胎告知の絵のある教会だそうです。
こちらは4時からなので、少し待つことに・・。
日本時間では、ここが23日の最後らしく、写真の日付がこの後は24日になってしまってますので、ここでひとまず終わりといたしましょう。まだまだイタリアの長い一日は終わりませんが…。
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