2015/09/30 - 2015/09/30
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ドクターキムルさん
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同志社大学の創始者・新島襄の終焉の地が大磯町であることは知らなかった。NHK大河ドラマ「八重の桜」で主人公・八重の再婚相手が新島襄である。新島襄の墓は京都・東山にある同志社大学の墓地に建っているから、ここ大磯町から遺骸を京都まで運んだのであろうか?
明治18年(1885年)に松本順により医療の目的で大磯海水浴場が開設され、大磯海岸の潮風は病弱の人の療養には活路を開くあこがれの地であったようだ。新島襄は以前から大磯に来たいと思っていたようで、明治22年(1889年)11月、病に倒れたのを機に知人の勧めもあり、同年12月28日、大磯で静養し再起を計ることになった。
海岸に程近い百足屋(むかでや)旅館の、松林に囲まれた別館の愛松園にて再起の希望を持ち静かに療養していたが、明治23年(1890年)1月20日危篤に陥い、妻の新島八重も東海道線に乗って京都から大磯にやって来た。「グッドバイ、また会わん」。これが襄が八重に送った最後の言葉である。襄は1月23日午後2時21分、46歳11ケ月の生涯を閉じ、大磯が終焉の地となった。
徳富蘇峰の筆による「新嶋先生終焉之地」碑は、没後50周年の昭和15年(1940年)に、新島襄の門下生が集い、旧百足屋の敷地内に建てられた。
(表紙写真は「新嶋先生終焉之地」碑)
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