2015/09/23 - 2015/09/23
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たびたびさん
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午前中に京都駅で母を送って、今日は、そのまま米原を観光して東京に帰ります。
ただ、米原って、新幹線の米原駅くらいしか思い浮かばない人も多いかもしれませんね。まずは、この辺りの街で言うと、長浜・木之本、彦根という街があって、その関係を押さえることが基本です。米原は湖北ですが、今では長浜がその中心という認識が一般的でしょう。しかし、歴史的には湖北の中心は米原から長浜に移ったという経過があります。秀吉が初めて城をもらったのが長浜城で、その城下町として、近代的な街づくりをしたことで、こうした位置づけが固まったのですが、それ以前、北近江に覇を唱えていたのは京極氏です。京極氏は伊吹山のふもとの上平寺城が根拠地でした。今も残る菩提寺の清瀧寺徳源院は、柏原駅が最寄りです。その京極氏のもとで勢力を伸ばしたのがご存知、浅井長政を生んだ浅井氏。居城は現在の長浜市街の外れ小谷城で、京極氏は最後はこの浅井氏に北近江を追い出されることになります。浅井氏の居城は小谷城でこれは長浜市。その浅井氏が滅んで、秀吉が小谷城のそばの琵琶湖沿いに長浜城を造ったのです。
彦根が表舞台に出たのは、石田三成の佐和山城から。しかし、関ヶ原の戦いの後、これは徹底的に破壊され、近くに彦根城が作られます。それは井伊氏の居城であり、江戸時代、井伊氏の城下町として栄えたのが彦根なのです。しかし、地元での井伊氏は進駐軍的な受け止めですから、彦根が湖北の中心という感じはないでしょう。
これに対して、湖東の中心は近江八幡です。豪族で言えば、近江八幡は信長に最終的に滅ぼされましたが六角氏。六角氏は近江の守護として君臨しますが、京極氏の北近江にはどうしても力が及ばない。六角氏と京極氏はそういう関係です。なお、六角氏亡き後は、秀吉の時代、豊臣秀次が街づくりを行います。
長くなりましたが、再び米原に戻ると、明治になって、その重要性が復権したのはなんといっても鉄道のお蔭でしょう。米原と言えば米原駅というのは、たぶんその通り。中山道だったルートに東海道線が通って、ここが敦賀までの分岐点という重要な場所になったのです。
現在の米原市ですが、梅花藻で有名な醒ヶ井宿のほか、柏原宿に番場宿という中山道の宿場町があったのですが、米原駅の近くではない。なので、米原駅の周囲には観光地なんかないだろうと思っていたのですが、駅の東口からすぐのところに北国街道米原宿があるということを知り訪ねてみました。
確かにメジャーな観光スポットではないので、観光地らしいお店とかはありません。しかし、少し湾曲した通りに、青岸寺など古い寺社もあって、往時の賑わいがそこそこ感じられる。渋い町並みです。かつての米原湊の賑わいも感じられて、米原のイメージが少し膨らんだように思いました。その後は、米原観光の定番、醒ヶ井です。
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米原駅の東口を出てすぐのところに、米原湊跡の石碑というのがありました。説明書があって、米原は北国街道の宿というだけではなく、ここに琵琶湖に通じる港があったのだそう。琵琶湖の水運を使って、京都に物資を運んでいたんでしょう。鉄道が出来てしまって、琵琶湖の水運の重要性とかなかなか実感がわかないのですが、想像をたくましくして、こんなところで往時の賑わいを思い描いてもいいかなあと思います。
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それから道路を渡ってすぐの街並みが北国街道米原宿。ちょっとした地図があって、位置関係を確認します。
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通りは、少しですけど雰囲気があるような。。
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奥に進んで、これは廃校のような建物ですが、中からお囃子のような音が聞こえています。
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イチオシ
なんだろうと思って、ちょっと入って見ると曳山祭りのポスターとか。お囃子は曳山祭りのものでラジカセで流しているよう。中の片づけをしていた人が作業をしながら流していました。話を聞くと、長浜のような規模はないようですが、ここでもしっかり伝えられているということでした。
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さらに進んで山にぶつかったところに、金比羅大権現。
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金比羅って海の神様なんですが、何でこんなところにという場所。米原宿の高台に街を見下ろすように立っています。
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というのも、米原宿は米原湊という琵琶湖につながる港があったのです。その名残の一つがこの金比羅大権現。
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観光客でこれに気が付く人は少ないかもしれませんが、やはり米原宿の理解が深まる場所ではないかと思います。
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そして、さらに奥に進んで、これが米原宿の青岸寺。
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こちらは、室町時代初期の創建で、開基は若狭・近江・出雲・上総・飛騨・摂津守護だった佐々木道誉。道誉は、京極氏の一族でもあります。
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国の名勝である築山林泉式枯山水庭園「青岸寺庭園」が見どころです。拝観を申し込んで、奥の方へ。
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イチオシ
この庭は江戸時代に再興されたものようですが、
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回廊のようになった建物からいろんな角度で眺められるのが、
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京都だと光明院みたいですね。
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しかし、山の斜面を利用した石垣を組んで高低差をしっかり取った構造。とても力強い印象を与えて、独創性も感じます。
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ここが一段高いところにある離れなんですが、
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ここから見える客殿の眺めはどうでしょうか。手前の老松がいい感じに遠近を強調しています。
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今度は、客殿の方からみますと、たぶんこの中央の松と岩山は鶴亀を模したものでしょう。
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さっきの離れに続く空間が奥行きを感じさせます。
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イチオシ
これが正面からの景色。離れが茶室のように景色にアクセントを与えています。が、これは後世のもの。当初にあったのは、藁ぶき屋根か何かでしょうが、いずれにしても、基本的な構造、意図はよく分かります。
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そして、想定していなかったこちらの仏像。鎌倉時代中期作の木造十一面観音菩薩立像だそうで、なにげに落ち着いた穏やかさをたたえていて、意外に見応えあり。リアルさがウリの鎌倉期の仏像ですが、これは浄土思想を表わす平安期の風を感じます。
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青岸寺を出て、近くをもう少し。
湯谷神社は、元々は古来六所権現と称したものを、明治以後、湯谷神社と改めたよう。創建は上古出雲国人が云々とあって、なにやら古そうです。 -
イチオシ
さっき聞いた子供歌舞伎の山車の倉庫がここにあって、何かの準備なのでしょうか地元の方が大勢集まっていました。
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ここは神社ですけど、
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地域の集会所と言った存在にもなっているのかもしれません。
さて、以上で米原駅周辺はおしまいにして、 -
醒ヶ井駅に到着。ここは以前から気になっていたのですが、何故かこれまで縁がなくて、今回が初めての訪問です。
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醒井水の宿駅は、醒ヶ井駅を出てすぐにある道の駅のようなところ。
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施設の入口に、こんこんと溢れる湧水があって、これがこの施設のシンボルでしょう。
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産直のお店も充実しているし、醒井の名物食堂の情報もここでゲットできました。
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これが梅花藻ですね。
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もうシーズンはとっくに終わっているはずなんですが、白い小さな花がまだたくさんついていました。ゆらゆら揺れて、いいですね〜。
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中心部はこちらの方ですか。
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泡子堂は、醒井宿に入って、西行水の方に曲がったところ。
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イチオシ
六方焼が店頭に積まれていましたが、でかい。こんな大きさの六方焼は初めてみました。そんなことを言ったら、ご主人がお菓子は中身が大事。包装とかもできるだけ簡単にしているんですとのこと。しかし、このビニールの包装の緑色もセンスを感じますよ〜。白餡の程よい甘さがちょっと心に沁みました。
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そのまま、西行水へ。あれですね。
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西行水は、醒ヶ井の散策では名所の一つ。
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東国へ旅立つ西行法師がここに立ち寄った際にお茶を飲んだのですが、その法師が飲み残したお茶の泡を飲んだ茶店の娘が懐妊し、男の子を出産。帰路にこの話を聞いた西行が「もしわが子なら元の泡に返れ」と念じると、子はたちまち消えて元の泡になったという不思議な話が伝わります。
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勢いよく水が湧いていて、よく見ると小魚の群れが泳いでいました。
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ここから、本街道の方に戻ります。
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イチオシ
十王水は、醒ヶ井市街のなかほど。地蔵川の中に「十王」と書いてある石灯籠が建っていて、それが目印です。平安中期、天台僧浄蔵により拓かれた名水ということですが、川の流れの中なので、水源がある湧水であることはちょっと分かりにくいと思います。
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家々には、川まで降りていく階段があって、昔はこれが水道の代わりだったんですよね。
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街道はゆるくカーブしていて、これも昔の名残ですね。
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向こうに見えてきた了徳寺は、醒ヶ井の中心部。
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ここが入口です。
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了徳寺では、オハツキイチョウという樹齢150年、高さ25mの銀杏が知られています。傍らに説明書があって、銀杏の実が葉の表面にできるというのが珍しいところ。銀杏の木の原型を示すものではないかという貴重なものなのだそうです。
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再び通りに戻って。
地蔵川は街道沿いに流れていて、あるところは激しく、 -
あるところは緩やかに。その中を梅花藻がゆらゆらとい揺れていて、水の豊かさを感じられる景色があちこちにありました。
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もうだいぶ奥の方にやってきたと思います。
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醤油屋喜代治商店は、醒ヶ井の醤油屋さん。ただ、ヤマキ醤油と言った方が分かるでしょう。
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ちょっと覗いて見たら、醤油ゼリーというお菓子があって、試しにそれを買ってみました。
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イチオシ
包みを開けると、なんですかあ。薄く醤油の色がついてはいますが、きれいな透明なゼリーの中に黒豆が浮いていて、これは素晴らしい姿です。味の方もほんのり醤油の香りがして、絶妙な味わい。老舗のお菓子屋さんもビックリの逸品だと思います。
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これは、醒井宿資料館。というか、地蔵川のほとりにあって問屋場と書いた看板が目立ちます。
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これは街道の宿駅で、宿場を通行する大名や役人に人足や馬の提供などの事務を行なっていたところ。シンプルな建物ですが、当時の姿で残っている例はけっこう珍しいようです。
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で、この辺りも梅花藻の美しい緑。
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日を受けると
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イチオシ
いっそう緑が映えるように思います。
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少し奥にあるのが醒井地蔵尊地蔵堂。地蔵川のほとりです。
こちらは伝教大師最澄ゆかりの寺。ひでりの中、最澄が醒井で地蔵菩薩を彫刻して降雨を祈願し、大雨が3日間降り続いたと言い伝えられています。地蔵は花崗岩の仏様です。 -
そして、その隣りが、居醒の清水。
醒ヶ井には有名な湧水がいくつかありますが、やはり、この居醒の清水が本家本元と言ったところではないでしょうか。 -
これがまさに地蔵川の水源。このあたりは池のように広くなっていて、流れはほとんど感じません。
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平成の名水百選にも選ばれていて、地蔵川の始まりとでもいうべき場所。
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加茂神社の門前に湧き出る名水で、古事記や日本書紀にも登場していて、
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日本武尊が熱病に倒れた時、体毒を洗い流した霊水とも伝えられます。
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その傍らに建つのが加茂神社です。
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居醒の清水は、この前なのですが、
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逆に、ここにこの神社を造ったというのが本当のところなのかもしれませんね。
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鳥居をくぐって、
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急な石段を上った先に本殿があるのですが、
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登ってしまうとそれほどの風情はないような。下から眺める景色の方がいいように思います。
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ところで、醒ヶ井で名水をいくつも見れば、これにちなんだ何かを食べたくなるのは自然なこと。そんな時にお勧めなのは丁子屋の水まんじゅうでしょう。
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店内にひかれた湧水でひんやり冷やされた水まんじゅうは見た目にも涼しげ。プリンとした食感は、醒ヶ井の名水と一緒にいただいている気分になるようです。
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この店の前にも、美しい梅花藻です。
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少しバックして、ここは醒井木彫美術館。
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地元出身の彫刻家、森大造の作品を常設展示する個人美術館です。
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展示室の雰囲気もいいので、作品の魅力が最大限に引き出されているのもいいところ。
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イチオシ
管理人も兼ねているようですが、これも彫刻をやっていますというおじさんが応対してくれて、
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彫刻談義に花が咲いて、楽しい時間を過ごしました。
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ノミの跡が程よく残っているところもいいでしょう。円空さんだけではなくて、こうした彫刻をする人は素人まで含めて、すそ野は広いんですよね。
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またちょっと梅花藻を見ながら、戻ります。
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この建物は、醒井宿資料館のもう一つの建物です。
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こちらは、旧醒井郵便局局舎で、大正4年に建てられたもの。あのヴォーリズが設計に携わっていたという国の登録文化財。昭和48年まで醒井郵便局として使われていたそうです。
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もう少し戻って、これは松尾寺政所。
玄関口にかなり詳しい説明板があります。近江西国第13番の札所で、本尊は雲に乗った飛行観音像だそう。ただ、明治26年に建てられたという旧醒ヶ井尋常小学校の玄関を移築したという唐門風の建物が目立っていると思います。 -
ところで、醒ヶ井では、湧水を使った鱒の養殖が明治11年に始められたという日本でも最古の歴史を持っているのだそう。その話を醒井水の宿駅で聞いていたので、何か食べねば。。
で、勧められたのがこちらの鱒の姿鮨です。 -
一見グロテスクですが、
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イチオシ
味は意外と自然な味わい。初めて食べても違和感はないと思います。富山県の郷土料理でも鱒鮨がありますが、まあ似た感じかなと思いました。
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こっちはにぎり。女将さんが一個だけサービスしてくれました。
さて、これで醒ヶ井は終了。ついでなので、ここから名古屋までローカル線で出ることにします。 -
で、途中下車したのは大垣。例によって、少しスイーツチェックをしてみます。
田中屋せんべい総本家は、創業安政6年。六代、150余年にわたり守り続ける手焼きの煎餅という老舗です。そんな歴史を感じさせる店内もちょっと重々しい。看板商品の味噌煎餅をいただきましたが、これって静岡の名物とも似ているかなあと思います。どちらもいいものをと一途に作り続けたものでしょう。共通するものがあるのは当然かもしれません。 -
餅惣は、元祖水まんじゅうのお店と聞いて訪ねたのですが、それは夏だけの限定で今はありませんとのこと。
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実は大垣で降りた目的はこの店だったのですが、これは残念。9月でもだめなんですねとつぶやくと、「きりがないのでそこはそうさせてもらっています」との答え。代わりに麩饅頭をいただきました。これも餡子に特徴があるような。水まんじゅうのおいしさもちょっと想像できたかなあと思います。 -
駅前通り商店街の一角。もう大垣城も近い辺りの和菓子屋さんは風月です。
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ついでに、ここでは季節のくりきんとんをいただきました。しっかり絞ったくりきんとんは、濃厚な栗の香りがいい感じ。ずば抜けてよくできているというほどではないと思いますが、かなりいい線行っていると思います。
はい、これで本当におしまい。一路東京へと帰ります。5日間の旅、お疲れ様でした。
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