2014/09/28 - 2014/09/28
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naoさん
滋賀県米原市醒井は、中山道61番目の宿場町で、地名の由来ともなっている「居醒の清水」を源流とした地蔵川に沿って、江戸時代に建てられた格子や虫籠窓のある伝統的な町屋が点在し、当時の面影を今に伝えています。
「宿村大概帳」によると、天保14年(1843年)当時の醒井宿は、地蔵川に架かる橋から加茂神社までの、東西8町2間(約300m)の間に、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋11軒が建つ、中山道でも小さな規模の宿場だったようで、今も残る本陣跡が地蔵川の南側にある以外、脇本陣や旅籠屋は全て街道の北側に店を構えていました。
そんな宿場町の風情ただよう醒井ですが、現在、それ以上に人気を集めているのが地蔵川の清らかな流れです。
町並みの東に鎮座する加茂神社の石垣からこんこんと湧き出る「居醒の清水」を最初の水源に、西に向かう流れに沿って十王水、西行水と続く湧き水は清廉そのもので、夏ともなると、梅花藻の愛らしい花が水面に顔をのぞかせ、一目見ようと訪れる多くの方々の心を和ませています。
ちなみに、「居醒の清水」は『古事記』や『日本書紀』に登場するほどの歴史があり、日本武尊が身体を癒やした霊水だとの言い伝えが残っています。
醒ヶ井駅から地蔵川に向かう途中には、1915年、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計により建てられた旧醒井郵便局を再生した「醒井宿資料館」があります。
1973年まで郵便局として使われていたネオ・クラシシズムの建物は、1階を醒井宿の歴史を紹介する展示スペースを兼ねた休憩所とし、2階展示室には、代々醒井宿の庄屋や問屋を務めた江龍宗左衛門家伝来の絵図や古文書が展示されています。
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- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
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醒井へやって来ました。
駅前にある駐車場に車を停めさせてもらって町歩きを始めます。 -
中山道の町並みへ向かう途中に、松尾寺政所があります。
松尾寺の本山は、ここからすこし離れた松尾山中にある天台宗の古刹で、奈良時代後期、役行者(えんのぎょうじゃ)による創建と伝えられています。
ご本尊は、飛行観音と呼ばれる十一面観音菩薩で、飛行機を含めた旅の守り仏の寺として知られています。 -
元々料理旅館の建物だった松尾寺政所は、現在、鱒料理のお店に衣替えして使われています。
唐破風に精緻な棟飾りの瓦を載せた玄関は、明治26年に建てられた醒ヶ井小学校の玄関だったもので、貴重な文化遺産を活かそうと、ここに移築したものだそうです。 -
松尾寺政所の少し先には、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計による旧醒井郵便局を再生した「醒井宿資料館」があります。
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1973年まで郵便局として使われていた建物は・・・
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1階を醒井宿の歴史を紹介する展示スペースを兼ねた休憩所とし、2階展示室には、代々醒井宿の庄屋や問屋を務めた江龍宗左衛門家伝来の絵図や古文書が展示されています。
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中山道に近づくにつれ、風情のある町家が姿を現わします。
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地蔵川に架かるこの橋から、東側の加茂神社までの約300mの間に、宿場町の面影を残す町並みが続いています。
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橋から東側の町並みを望みます。
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そんな宿場町の風情ただよう醒井ですが、今それ以上に人気を集めているのが地蔵川の清らかな流れです。
「この駅に三水四石の名所あり 町中に流れありて 至って清し 寒暑に増減なし」と、江戸時代の「木曽路名所図会」にもあるように、地蔵川には醒井の地名の由来である「居醒の清水」をはじめ、「十王水」、「西行水」の三つの有名な水源があります。
これはその内の一つで、平安中期に天台宗の高僧によって開かれたと伝えられている「十王水」です。 -
地蔵川の南側に建つ町家の皆さんは・・・
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清らかな流れの上に橋を架け、日常生活を営んでおられます。
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こちらは江戸時代から続く旅籠だった町家で、今は料理屋さんを営んでおられます。
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店先の水槽で梅花藻を育てていることで知られるお休み処。
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ここでは、天然のものではありませんが、梅花藻の可憐な花を間近で見ることができます。
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でっ、こちらが地蔵川の川面で揺れる天然の梅花藻で、開花の最盛期には、訪れる多くの観光客の心を和ませています。
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今回訪れたのが9月末だったのであまり期待していなかったんですが、いまだに可憐な花を見せてくれています。
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米原市の汚水桝の蓋。
合併前の旧米原町の、町の花サツキと、町の木イチョウをモチーフにしています。 -
宿場町の風情ただよう醒井の町並み。
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この橋には竹の手すりが付けられています。
手すりが無かったら危ないですものね・・・。 -
格子の美しい町家。
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幹がこんなに朽ち果てているのに、命をつないでいる百日紅の古木。
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この町家のお隣には・・・
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醒井の清らかな湧水で仕込んだ、美味しい醤油と味噌を作る醸造元があります。
風味豊かなその味は、創業以来守り続けておられるそうです。 -
店先の行燈には、「ここは なかせんどう」と書かれています。
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この辺りには、梅花藻が密生しています。
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こんなにきれいな水ですから、川岸に「かばた」を設けて日常的に利用されているようです。
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川の流れに変化をつけるためなのか、はたまた、修景を意図しているのか、川の中に石が並んでいます。
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入母屋屋根の、妻入りの町家があります。
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地蔵川の南側にある本陣跡です。
今は日本料理屋さんを営んでおられます。 -
この橋の奥にある建物は「醒井木彫美術館」です。
醒井出身の彫刻家の作品を展示しているそうです。 -
風にそよぐススキの穂が秋の訪れを告げています。
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こちらは地蔵堂です。
雨乞いのためにこの地を訪れた僧が、「地蔵菩薩の像を安置すれば、雨が降り草木も生き返るであろう。」とのお告げを受け、言われた通り坐像を安置すると、大雨が三日間降り続いたと云う伝説が伝えられています。 -
地蔵堂の奥の水面には、小島、橋、名石などを配した・・・
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池泉式庭園風のしつらえがなされています。
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モミジと橋のシルエット。
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流れの中に名前の付いた石が据え付けられています。
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奥に見えるのは地蔵堂です。
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地蔵堂の陰と陽のモミジ。
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地蔵堂へ渡る橋。
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醒井宿の東の外れには、醒井の地名の由来である「居醒の清水」が湧き出ています。
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加茂神社の石垣からこんこんと湧き出る「居醒の清水」は、『古事記』や『日本書紀』に登場するほどの歴史があり、日本武尊が身体を癒やした霊水だとの言い伝えが残っています。
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この「居醒の清水」を最初の水源として、地蔵川は流れています。
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池泉式庭園の修景に欠かせない石橋と・・・
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小島に見立てた石。
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石に張り付いた水苔に根をおろす野草。
では、この辺りで引き返します。 -
水面を覆う百日紅と、それに寄り添うススキ。
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ススキの穂が陽の光を浴びて輝いています。
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ススキの下で水中をたゆたう梅花藻。
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地蔵川と共に生きる町の証である橋は、醒井の人々の日常生活に溶け込んでいます。
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百日紅は、花はもちろんこと、幹も鑑賞に値するほどきれいな樹肌を見せてくれます。
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この石の列は、上流側から見ると単に修景の為ではなく、意図的に流れを変えるように配置されているように思われます。
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醒井宿には、かつて宿場を通行する人々に馬の提供や荷物の引継ぎなどの業務をこなしていた「問屋場」が残っており、近年、築300年を越える建物が復元され「醒井宿資料館」として一般に公開されています。
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町家の石積み擁壁が、落ち着いた川岸の修景に一役かっています。
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地蔵川沿いの彼岸花もきれいだとの情報があったので期待していたんですが、残念ながら最盛期は過ぎてしまったようで、名残の花が咲いているだけでした。
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梅花藻はこんなにたくさん咲いているというのに・・・。
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5弁の花びらを持つ梅花藻の花。
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これらのアップ写真は、梅花藻を育てているお休み処で写させていただきました。
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川岸にたたずむかわいいご兄弟。
もちろん、お母さんに許可をいただきました。 -
湧水を水源とする地蔵川には・・・
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本当にきれいな水が流れています。
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奥にある橋を右に行けば醒ヶ井駅に戻るんですが、左手の中山道を進み、「西行水」へ向かいます。
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「西行水」に着きました。
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この岩の間から「西行水」が湧き出ています。
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ここ「西行水」には、平安時代末期の僧であり歌人の西行法師にまつわる「幼児」の伝説が伝えられているそうです。
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その伝説が、真しやかな史実であるかのように・・・
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幼児の石像が多数立てられています。
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このことから、今もこの辺の小字名を「児醒井」と云うそうです。
では、車を取りに駅へ戻ります。 -
駅へ向かう分岐点にある橋の手前を左手に進みます。
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来た時も目に付いた町家。
格子のデザインがいいですね。 -
旧醒井郵便局を再生した「醒井宿資料館」まで戻って来ました。
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入口脇に立つ郵便ポストが、かつて郵便局だった頃の名残を留めています。
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醒ヶ井駅から中山道のある方向の風景です。
では、次の目的地へ向かいます。
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