2015/08/30 - 2015/08/30
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たびたびさん
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白河と言えば、みちのくへの玄関、奥州街道の起点であり、芭蕉の奥の細道でも知られる白河の関。それに、小峰城と少し知っている人が南湖公園というくらいでもうおしまいと思っていたのですが、そうでもないような。今回、二回目の白河で、街歩きをしてみると意外に懐の深い街であることが分かりました。
ところで、江戸時代の白河藩ですが、奥羽地方の外様大名の抑えが役割であり、有力な親藩、譜代大名が藩主となっています。
まず初めは、信長の二番家老であった丹羽家からその後の混乱期を何とか乗り切った丹羽長重の10万石。次いで、徳川四天王榊原康政の孫、榊原忠次の14万石。これも、家康の重臣、本多家の本多忠義が12万石。
その後、親藩の時代に入り、奥平松平家から越前松平家の15万石。久松松平家の11万石と続き、ここで、老中首座に進み寛政の改革を行なった松平定信が登場します。しかし、久松松平家も長続きせず、旧領の伊勢国桑名藩に転封。
そして、替わって武蔵国忍藩より入部した阿部家が幕末までの8代44年間を在封することとなります。ただ、この阿部家とても、本家の福山藩は老中を四人も出した名門中の名門。白河藩でも第7代藩主、正外が老中となり、攘夷派の反対を押し切って兵庫開港を決定するという重要な役割を果たしています。
藩主が入れ替わって、落ち着かないところもありますが、その重要性は不変。東北の名門という位置づけも間違いのない事実でしょう。
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新白河駅から、白河駅に到着。
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駅舎にはステンドグラスもあって、レトロな感じ。白河の街歩きはここから出発です。
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そして、JR白河駅の観光案内所で白河の街歩き地図をいただきましたが、これが何というか尋常でないほど詳細な地図。白河のありとあらゆる施設を解説していて、ちょっと驚きました。白河といえば、白河の関と小峰城に、少し知っている人が南湖公園というところでしょう。白河の街歩きをしようと思っただけでも、けっこうマニアックだろうと思っていたのに、これには参りました。地元の人たちの熱い支援があってのものかと思います。
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駅の隣りの広場では朝市をやっていました。
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野菜に
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くだもの。
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新鮮なものばかりですが、これから街歩きをする私ですから、さすがにここで何かを買うということはできません。
ざっと見ただけで済ませて、さあ、街の方へ行ってみましょう。 -
まず目に付いたのは、御菓子司 清寿。
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店内もきちんとしてますね。
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いただいた鹿の子は、しっかり煮込んだ小豆が艶々で、
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期待通り芳醇な味わい。まだ開店直後で、作業をしている途中のようなご主人が出てきて応対してくれました。でも、なんかシャイでお客の対応は得意じゃないんでしょうか。もうちょっと何か話をしてくれたらなあという感じでした。
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しばらく歩いて、今度は山木屋さん。たぶん、ここも老舗の和菓子屋さんなんですが、
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イチオシ
ご主人は髭ぼうぼうだし、お店に猫を飼っていたりして、あんまり感心しないなあと思いつつも、看板商品の黒あんまんじゅうをいただきます。
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と。。
黒砂糖の香りもしっかりしていて、これは意外な出来栄えですよ。
白河の街の情報にも明るくて、あれこれ裏情報のようなことも教えてくれました。白河は街歩きのパンフレットがとんでもなく充実しているのですが、こうした人たちの支えがあって出来たものなんだなあとちょっと感心した次第です。 -
とにかく、もらったパンフレットを頼りに歩くんですが、掲載されているスポットはかなりの数。重い軽いも分からないので、とにかく歩き倒すしかありません。
ということで、
この圓養寺は、江戸時代は「連峯山福寿院」だったそうですが、境内の案内板には「関山満願寺」の名前があったりして、ここが圓養寺とはすぐにわかりません。本堂に成田山と書いてあって、やっと「成田山圓養寺」と確認できました。
いずれにしても、成田山新勝寺の不動尊を勧請したお寺です。 -
天神神社は、古い絵馬とか古いお宝がそれなりにあったらしいのですが、火事か何かにあってなくなってしまったのだとか。
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現在は復旧はしているのですが、小高い山の上の境内でそんな神社だったという雰囲気を感じるくらいしかないようです。
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子規の句碑がポツンとありました。
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小峰寺は、時宗開祖、一遍上人が創建したと伝えられる寺。また、その後白河城内に移されたりしたこともあって、白河結城氏の菩提寺でもあるよう。
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境内はそれなりに広いし、ひなびた中にもちょっと威厳のある雰囲気が感じられます。県指定の重要文化財「小峰寺厨子」の説明板もありました。
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玄豆屋は、白河市街のお休み処登録をされているコーヒー屋さん。しかし、それだけではない。
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向かいの小屋のような建物には、
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おびただしい数の昭和のヒット曲レコードがずらりと展示されていて、ちょっとびっくり。自由に覗けますので、気が付いた方はどうぞ。
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萬持寺は、天正3年(1575年)関川寺の住職を退隠した得峯和尚が開山したと伝えられる曹洞宗お寺。
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寺の境がはっきりしていなくて、空き地のような場所に山門とか本堂、薬師堂が適当に建っているという感じ。苔むした大木が歴史を語っています。
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虚空蔵堂は、白河市街の中心部。白河市街にはお寺が多くて、街歩きの案内にはそのことごとくが観光スポットとなっている感がありまして、これもその一つ。
明治初年に廃寺となった法雲寺境内のお堂。中をのぞいても何があるわけでもないような。続きにある建物は公民館のようになっていて、空き地では子供たちが遊んでいる。街に溶け込んだ存在になっているお堂です。 -
通りが途中でどんといきなり突き当りになる構造。かつての城下町の名残り。街の防衛を目的としたもので、白河の街の見どころの一つになっています。
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月心院は、白河結城氏12代義親が天正14年(1586年)に、母の七回忌にあわせて創建した曹洞宗の寺。元々は関川寺の境内にあったということですし、城主に関係した寺ですから格式は高いのでしょう。この日は仏事があるようで、喪服を着た人が何人も集まって活気がありました。
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並びに建つ妙徳寺の始まりは常陸の豪族が建てた寺だそうですが、見どころは本堂の前に立つ大桜。
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見上げると枝ぶりが雨が降り注いでくるような感じ。この通りには、すぐのところに妙関寺の乙姫桜もあって、桜の銘木が競演しているエリアです。
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こちらが本堂。
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妙徳寺を後にして。
さらに進んで、妙関寺の方へ。 -
白河の街歩きは、観光案内に従って歩くと実質はお寺巡りみたいになってしまいます。
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イチオシ
が、抹香臭い中でも、この乙姫桜はスカッとする明るさを持った場所。
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妙関寺の赤い山門にしだれかかった桜の大木は、その山門を入って真下に立つと桜の枝がシャワーみたいに降り注いでくるよう。
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この感じはちょっといいと思います。
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結城宗広の墓は、関川寺の裏手の方。
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寂しげな道をしばらく歩いていくことになります。
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結城宗広は、後醍醐天皇の討幕の綸旨を受け、新田義貞とともに鎌倉幕府を滅ぼした武将。足利尊氏と戦ったりして、南朝の有力武将として活躍しますが、最後は北朝軍に追われ、津市のあたりで病死しています。
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そして、白河にはたくさんの寺がありますが、なんといっても一番の名刹はこの関川寺でしょう。
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イチオシ
もと関銭院と称し、「関銭(通行料)」を取っていたのが由来だそうです。
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境内は、古い雰囲気のある日本庭園があったり、歴史を感じる雰囲気がムンムン。
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司馬遼太郎も訪れたということで、
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何か面白いものが拝観できるのではないかと思ったのですが、
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お寺の方に紹介されたのは、この四十七士の一人である中村勘助の妻の墓。期待からするとちょっとこれではなあという感じ。もうちょっと何とかならないのかなあと思います。
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これが参道から見た眺め。こっちから逆に出て、次のスポットへ向かいます。
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勝軍地蔵堂は、明治になって廃寺となった西光寺境内の地蔵堂が残ったもの。
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中をのぞくと名前にある銅製の勝軍地蔵が鎮座していました。それなりの存在感があって、こうして残ったのもうなずける。江戸時代の中期に造られたもののようでした。
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今度は川を渡って。
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常宣寺は、和泉式部ゆかりの寺。
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白河の地で和泉式部が庵を結び、阿弥陀三尊を安置したのがはじまりです。
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この地に移ったのは、初代白河藩主丹羽長重の時代。境内もかなり広いし、
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イチオシ
四脚門の立派な山門が格式の高さを表しているように感じました。
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その奥をしばらく歩いて、今度は龍興寺。この寺は、白河藩主本多忠義が建立した弁財天を安置する堂宇が始まり。
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イチオシ
龍興寺の寺号も、松平定信の養祖父松平定賢から与えられたものということで、藩主との関係も濃い寺です。
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境内に戊辰戦争関連の碑も。白河口の戦いで敗れた会津藩軍事奉行海老名衛門はここに逃れて来た後、奥羽越列藩同盟軍敗戦の責任をとって?本堂前で切腹したということです。
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ここまできて、かなり歩いたと思いますが、これではやはり物足りない。やっぱり、南湖公園まで足を延ばすことにしましょう。
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しかし、それがまたけっこう遠いんですよね〜
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しばらく歩いて、やっと
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公園の端っこにたどり着きました。
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しかし、実は
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ここからがまた遠いんですよね。
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南湖は、千波湖みたいに大きいです。
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ところで、南湖公園は、白河藩主松平定信が庶民も憩える「士民共楽」という思想を掲げて、この地を開放したのが始まり。
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日本最古といわれる公園です。
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中心にある南湖は人造湖なんですが、一周はたぶん何キロもある広大なもの。
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私はこれから歩いて半周することになるんですが、
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イチオシ
それでもかなり大変です。
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何んとか到着して。。
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南湖神社の参道脇に、名物南湖だんごと書いた看板を掲げているのは、楽翁会館。
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なんでも名物といえばいいってもんじゃないですよねと思ったんですが、
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イチオシ
みたらしとごまと餡子のだんごの三種類が一皿に乗って、これは美しいですねえ。それに、みたらしの甘辛さとか餡子のスキっとした甘さとか。これは一級品。見た目だけじゃなくて味もとってもよろしゅうございます。
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南湖神社は、大正11年に設立された、白河藩第3代藩主、松平定信を祀る神社。
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松平定信は、第11代将軍徳川家斉のもとで寛政の改革を行い、幕政再建を目指したことで有名。
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その改革は、田沼意次派を一掃し、祖父吉宗の享保の改革を手本にしたものだったのですが、6年で失脚。白河に帰るとここでも手腕を発揮。名君として慕われることになったようです。
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そして、これは翠楽苑。
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南湖神社の隣りにある回遊式日本庭園で、
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南湖公園の思想を受け継ぐものとされています。
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ただ、平成7年に完成したものであって、歴史的なものではありません。
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イチオシ
それなりの景色とはなっていますが、
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いかんせん、木が幼くて弱弱しい感じが否めない。
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そういう意味では本物の南湖公園をじっくり鑑賞すべきなんでしょうが、南湖公園はあまりにも広大。
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ここでコンパクトに日本庭園を楽しむことで、それに代えたいというニーズは分からないではありません。
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ということで、もう一度、本物の南湖公園の方にやってきました。やっぱり、これは相当の規模。
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それでも何とか荒れた感じにはなっていないのは、相当な努力の賜物でしょう。そして、帰りはバスか何かがないかと探したのですが、やっぱりなし。来た道を引き返すしかないとのことで、また長い道をとぼとぼと帰りました。いやー、これはきついです。
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さて、帰ってきて、改めて向かったのは初代白河藩主・丹羽長重の霊廟と墓。
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小さな沼のような小南湖の
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奥に入った寂しげな場所でした。
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ちなみに、丹羽長重は、織田信長の重臣、丹羽長秀の長男。丹羽長秀の死後、秀吉の元では、越前国・若狭国・加賀国123万石から次々と領土を削られ、4万石まで落されたり。
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関ヶ原の戦いで西軍に付き、改易となる悲運も経験しながら、徳川氏のもとで復権。同じく改易の憂き目にあった立花宗茂と並んで10万石以上の領主となった苦労人です。
小峰城の改築、現在の白河の町並みの基礎を築いたのは、この丹羽長重の功績です。 -
もう、かなりヘトヘトなんですが、こうなったら、やけっぱち。行けるところまで行ってみましょう。
大統寺は、白河市街の中心部。白河法皇が勅願をもって創建し、始まりは弘仁年間(810〜24)という古刹です。 -
イチオシ
その後、白河結城氏3代顕朝が父親朝の菩提を弔うために中興。
白河市指定重要文化財である谷文晁筆の仏涅槃図もあるようです。 -
となりの永蔵寺は、創建が少し下った建武3年(1336年)。
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鎌倉時代の末期、幕府を調伏したという罪で、この地の豪族、結城宗広に預けられた僧円観。逆に、宗広の尊崇を受けたことから、この寺が始まったとか、楠正成が後醍醐天皇から賜った千手観音が円観を介して結城宗広に渡ったことで始まるとかの説があるよう。山門の脇に開設の駒札がありました。本堂は蔵造りのような白い漆喰が美しいです。
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山王寺も、大統寺の隣りで、境には塀もないので自由に行き来できるようになっています。
始まりは、慈覚大師(円仁)が立石寺に下る際に建立したもの。境内は、あまり手が入っていないような感じ。ちょっと荒れているかなあと思いました。 -
で、実はもう一つ楽しみにしていたのが、このあすなろ食堂。
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白河ラーメンの店ではあるんですが、名物はオムライス。
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日本一という巨大オムライスで有名となり、ここにもあの石ちゃんが来ていました。
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イチオシ
私は、普通サイズをいただきましたが、びちょっとした水分の多いライスは優しい味わい。チャーシューを入れたのも、優しい味わいに奥行きを出していると思いました。確かにうまい。名物です。
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龍蔵寺は、万寿3年(1026年)、白河の領主太田別当行隆が創建。その後、結城宗広が名前を龍蔵寺と改めたという寺。江戸時代には白河地域の真言宗寺院を統括し、壇林(修行僧の学問所)でもあったといいます。
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境内には、元禄時代に城主から寄進されたという銅鐘(国の認定、重要美術品)もありました。
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あけぼのって、たぶんチェーン店なんですが、このレトロな店構えを見たら、立ち寄るしかないでしょう。
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奥の厨房では一仕事終えたご主人が寛いでいる姿も見えましたが、いかにも職人さん風で、いいですねえ。茶饅頭をいただきましたが、垢抜けた味わい。田舎の饅頭屋さんと思ったら大間違いです。
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だるまは高崎だけかと思ったら、白河にもありました。白河城主だった松平定信がだるまの技術を習得させ、だるま市を張らせたのが始まりだとか。
そして、白河の市街には名物のだるまのお店が二軒あります。佐川だるま製造所とこちらの渡辺だるま店。それも通りを挟んで向かい合って建っています。 -
敢えて比較すると佐川だるま製造所の方は販売にも力を入れていて、店内もきれいに陳列されています。渡辺だるま店の方は、作業場といった感じが強いかもしれません。
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白河だるまの絵付けは谷文晁によるもの。まゆは鶴、ひげは亀、あごひげは松、びんひげは梅、顔の下には竹を模様化してあるのですが、その構成はだるまに共通しているかもしれません。
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こちらの佐川だるま製造所では、女将さんが身振り手振りで説明してくれました。ありがとうございました
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専念寺は、江戸時代初期の慶長年間が始まり。出羽国最上出身の僧、徳庵和尚による開山で、その際、法華経一万部供養を行ったということです。赤い瓦ぶきの山門がちょっと格式を感じさせる匂い。
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境内はさほど広くはありませんが、木々の緑が濃いように感じました。
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長寿院は、白河藩主松平家の菩提寺孝顕寺の住職が再興した寺。
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その孝顕寺は、松平氏の転封で姫路に移ったため、今では白河にある松平家藩主の霊廟を守るのはこの寺です。
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なお、境内にの一角には慶応戊辰殉国者墳墓(西軍)があって、戊辰戦争の戦死者を弔っていました。
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白河の中心部の大通り沿い。菓子舗玉家という名前の通り、老舗風のしっとりした構えのお店です。
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名物の一口羊羹をいただきましたが、何んというか垢抜けた甘さが気持ちいい。包装もかわいらしいし、お客を楽しませたいという心を感じました。
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同じならびにある大谷忠吉本店は、明治12年に創業。白陽のブランドで知られます。
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大通りに面したな所に駒札があって、それによると萩原朔太郎の細君の実家はここなのだとか。昭和の初期、大谷家の当主であった大谷忠一郎は萩原朔太郎に師事していた詩人だったそう。それが縁となって、忠一郎の妹が朔太郎に見初められたのだそうです。
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ほとんど隣にある山田パンは、地元に愛されるソウルフードだそうですね。ちょっと寄ってみたんですが、若い夫婦連れが大量買いしていったりして、なるほど確かにそんな感じです。
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いただいたのは、ピザパン。基本は普通なんですが、ちょっと柔らかめなのが食べやすい。派手さはないですが、観光客が立ち寄るにも悪くないお店です。
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さて、この通りも例によって、この先が突き当たりになっています。
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その手前なんですが、脇本陣柳屋旅館は、大通りに木戸があって、そこから奥に続く細い道を行った先。
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当時、白河宿には約50軒の旅籠があったそうですが、この柳屋旅館には、戊辰戦争白河口の戦いの際、新撰組の局長、斎藤一ほか106名の隊士が宿営。また、明治天皇が第2回東北・北海道巡幸した際にも、宿泊されたということです。
ただ、中は荒れ果てた感じで入ることはできず、外から土蔵辺りをうかがうことしかできませんでした。 -
常瑞寺は、源義経に従った佐藤継信・忠信兄弟の討死を知った母が尼となり、草庵を建てたのが始まり。その後、親鸞の孫の如信が念仏道場を建て、浄土真宗の拠点としました。境内は敷石が敷き詰められた都会的な感じ。本堂横の聖徳太子を祀る太子堂も見どころです。
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天恩皇徳寺は、大同年間(806〜10)に、法相宗の僧、勝道が建てた勝道寺が前身という古刹。
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一方で面白いのは、
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奥にある、この小原庄助のお墓。朝寝・朝酒・朝湯が大好きでのあの人物。実在していたこと自体知りませんでしたが、徳利と杯を組み合わせたような墓石がひっそりとありました。
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白河ハリストス正教会のハリストスはキリストのこと。函館のハリストス正教会が一番有名かもしれませんが、白河のハリストス正教会も白い外観が立派です。
外観を見るだけで、内部の見学は予約が必要。山下りんのイコン作品があるようです。 -
野村屋は、白河駅にだいぶ戻ってきたあたりにあるアイスキャンデーの専門店。レトロな店内には、昔懐かしい例の冷蔵庫が何台か置いてあって、いろんな種類がありますねえ。
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いただいたのは、ミルク。濃厚な感じを予想していたのですが、これと反して、薄味のさっぱりさわやかな味わい。やっぱり、アイスキャンデーを食べてのどが渇くようじゃだめですよね。この程よいさわやかさが専門店の真骨頂のような気がします。
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最後は、楽蔵。ここまで帰れば、白河駅までは歩いて数分です。白河市街の中にある地域おこし的な施設は、産直の生鮮野菜を販売するコーナーとかも充実していて、道の駅のような感じ。それが市街中心部にあるので、歩いて回る観光客にとってはとても便利な施設だと思います。
しかし、帰りの列車の時間が迫っている。もう急いで帰るしかないようです。
ちょっと、観光案内との我慢比べ的な街歩きとなりましたが、う〜ん。なんとか回りきったかなあ。そして、もしかしたら。。結局、白河の関や小峰城の陰に隠れていても、地元の人が誇りたいのは、もっと身近で小さなことだったんじゃないでしょうか。そんなことを思いながら、帰途に着きました。おしまい。
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