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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。<br /><br />まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。<br /><br />イタリアには過去3度行ったことがあります。<br />最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。<br />2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。<br />3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。<br /><br />今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。<br /><br />イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。<br /><br />2015/5/6	水	成田→モスクワ→ローマ<br />2015/5/7	木	ローマ<br />2015/5/8	金	ローマ→ティヴォリ→ローマ<br />2015/5/9	土	ローマ<br />2015/5/10	日	ローマ<br />2015/5/11	月	ローマ<br />2015/5/12	火	ローマ<br />2015/5/13	水	ローマ→ナポリ<br />2015/5/14	木	ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ<br />2015/5/15	金	ナポリ<br />2015/5/16	土	ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ<br />2015/5/17	日	ナポリ→バーリ<br />2015/5/18	月	バーリ→マテーラ→バーリ<br />2015/5/19	火	バーリ→レッチェ→バーリ<br />2015/5/20	水	バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ<br />2015/5/21	木	バーリ→アンコーナ→フォリーニョ<br />2015/5/22	金	フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ<br />2015/5/23	土	フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ<br />2015/5/24	日	フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ<br />2015/5/25	月	フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト<br />2015/5/26	火	オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト<br />2015/5/27	水	オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト<br />2015/5/28	木	オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ<br />2015/5/29	金	ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ<br />2015/5/30	土	ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ<br />2015/5/31	日	ボローニャ<br />2015/6/1	月	ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/2	火	ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/3	水	ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/4	木	ヴィチェンツァ<br />2015/6/5	金	ヴィチェンツァ→ミラノ<br />2015/6/6	土	ミラノ<br />2015/6/7	日	ミラノ<br />2015/6/8	月	ミラノ→モスクワ→<br />2015/6/9	火	→成田<br /><br />剣闘士の学校ルドゥス・マグヌスから目指すサン・クレメンテ・アル・ラテラーノ聖堂はすぐです。コロッセオ広場を境にニコーラ・セルヴィから名前を変えたラピカラ通りを進み、2本目の角を右に折れるとじきに到着します。<br /><br />ここは、今回の旅行で外せない教会の一つでした。そのわけはと言えば、見ればわかるこの後陣の「モザイク」と地下にある教会と神殿です。

イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その12 ローマ サン・クレメンテ・アル・ラテラーノ

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2015/05/09 - 2015/05/09

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junemay

junemayさん

2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。

まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。

イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。

今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。

イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。

2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田

剣闘士の学校ルドゥス・マグヌスから目指すサン・クレメンテ・アル・ラテラーノ聖堂はすぐです。コロッセオ広場を境にニコーラ・セルヴィから名前を変えたラピカラ通りを進み、2本目の角を右に折れるとじきに到着します。

ここは、今回の旅行で外せない教会の一つでした。そのわけはと言えば、見ればわかるこの後陣の「モザイク」と地下にある教会と神殿です。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • サン・クレメンテ・アル・ラテラーノ聖堂に着きました。教会の入り口に男の人が立っているでしょ。この人に寄付を求められたので、教会関係者だと思い、帰りに少しばかりの小銭を渡したのですが、実は全く関係のない、「乞食」さんの関係者だったようです。サン・クレメンテという方は乞食の守護聖人なので、彼らを追い出すようなことはしないんだそうです。<br /><br />イタリアのサイトに、「戸口に立ち、入場料や寄付が必要と言ってくる人に注意!」と書かれていました。しまったぁ・・・でも大満足での帰り道だったので、ま いいか! 神のおぼしめしです。<br /><br />現在の教会は、4世紀後半に建てられ、1084年のノルマン人の略奪により廃墟となった教会の上に12世紀に建てられました。そして、その4世紀の教会の下には、1世紀初めに建てられたローマの貴族の館があるという三重構造になっています。教会は無料で入れますが、地下の遺構は有料です(5ユーロ)。

    サン・クレメンテ・アル・ラテラーノ聖堂に着きました。教会の入り口に男の人が立っているでしょ。この人に寄付を求められたので、教会関係者だと思い、帰りに少しばかりの小銭を渡したのですが、実は全く関係のない、「乞食」さんの関係者だったようです。サン・クレメンテという方は乞食の守護聖人なので、彼らを追い出すようなことはしないんだそうです。

    イタリアのサイトに、「戸口に立ち、入場料や寄付が必要と言ってくる人に注意!」と書かれていました。しまったぁ・・・でも大満足での帰り道だったので、ま いいか! 神のおぼしめしです。

    現在の教会は、4世紀後半に建てられ、1084年のノルマン人の略奪により廃墟となった教会の上に12世紀に建てられました。そして、その4世紀の教会の下には、1世紀初めに建てられたローマの貴族の館があるという三重構造になっています。教会は無料で入れますが、地下の遺構は有料です(5ユーロ)。

  • いきなりメインディッシュです。実はこれにはわけがあります。<br /><br />ローマの教会にしては珍しく、この教会の内部は地下を含めて全面的に撮影禁止なんです。これから3枚の写真は、東側の中庭の入り口付近から望遠で撮ったものです。「撮影禁止」と書いてあるのに、全く気にすることなく、バシバシ撮っていらっしゃる方もいましたが、小心者ゆえ、一旦中庭に出て、撮らせて頂いた次第です。それすら良いとは言われていないんですけれどね。私と同じような「小心者」の観光客は順番に並んで、同じ場所から撮っていましたよ。<br /><br />。ちなみにこの教会は聖堂(バシリカ)です。教会と聖堂の違いは、大司教、司教が司祭を務めるか、普通の神父が司祭を務めるかの違いだそうです。

    いきなりメインディッシュです。実はこれにはわけがあります。

    ローマの教会にしては珍しく、この教会の内部は地下を含めて全面的に撮影禁止なんです。これから3枚の写真は、東側の中庭の入り口付近から望遠で撮ったものです。「撮影禁止」と書いてあるのに、全く気にすることなく、バシバシ撮っていらっしゃる方もいましたが、小心者ゆえ、一旦中庭に出て、撮らせて頂いた次第です。それすら良いとは言われていないんですけれどね。私と同じような「小心者」の観光客は順番に並んで、同じ場所から撮っていましたよ。

    。ちなみにこの教会は聖堂(バシリカ)です。教会と聖堂の違いは、大司教、司教が司祭を務めるか、普通の神父が司祭を務めるかの違いだそうです。

  • ここは、ローマの守護聖人サン・ピエトロと面識があったという、第4代教皇クレメンス1世(在位91年?〜101年?)に捧げられた教会です。クレメンス1世は、その頃ギリシャの植民地だったクリミア半島で殉教したため、ギリシャ正教会でも聖人として崇められています。<br /><br />教会の内部はとても単純な構造です。身廊の両脇にアーチ型の側廊があり、それぞれ中は礼拝堂になっています。先ほど入ってきた教会の入り口は、左側廊の後方にあり、入り口を入るとすぐ右手に、フレスコ画で有名なアレキサンドリアのサンタ・カテリーナ礼拝堂があります。翼廊はありません。<br /><br />正面には後陣の素晴らしいモザイクが見えています。これについては、後ほど絵葉書の写真で説明しますね。

    ここは、ローマの守護聖人サン・ピエトロと面識があったという、第4代教皇クレメンス1世(在位91年?〜101年?)に捧げられた教会です。クレメンス1世は、その頃ギリシャの植民地だったクリミア半島で殉教したため、ギリシャ正教会でも聖人として崇められています。

    教会の内部はとても単純な構造です。身廊の両脇にアーチ型の側廊があり、それぞれ中は礼拝堂になっています。先ほど入ってきた教会の入り口は、左側廊の後方にあり、入り口を入るとすぐ右手に、フレスコ画で有名なアレキサンドリアのサンタ・カテリーナ礼拝堂があります。翼廊はありません。

    正面には後陣の素晴らしいモザイクが見えています。これについては、後ほど絵葉書の写真で説明しますね。

  • 私が撮った唯一の床の写真です。ご覧の通り、素晴らしいコズマーティ模様と様々な色の石、主に大理石を使ったテセレーション(日本語では平面充填と呼ぶそうですが、初耳でした)、の組み合わせです。<br /><br />床マニアとしては、ぜひともカメラに収めたかったのですが、仕方ありません。貴重な1枚となりました。ローマの色々な教会で見られるこのテセレーションは、10世紀頃、東ローマ帝国からシチリアに伝わり、それから徐々にイタリア全土に広がっていったと言われています。

    私が撮った唯一の床の写真です。ご覧の通り、素晴らしいコズマーティ模様と様々な色の石、主に大理石を使ったテセレーション(日本語では平面充填と呼ぶそうですが、初耳でした)、の組み合わせです。

    床マニアとしては、ぜひともカメラに収めたかったのですが、仕方ありません。貴重な1枚となりました。ローマの色々な教会で見られるこのテセレーションは、10世紀頃、東ローマ帝国からシチリアに伝わり、それから徐々にイタリア全土に広がっていったと言われています。

  • 東側のメイン扉から一旦中庭(アトリウムと呼ばれています)に出ました。回廊のあるこちらの中庭は12世紀に作られたものです。ローマで唯一残っている中世の回廊と言われています。<br /><br />対角線に沿って、Xの形に大きめの白い長方形の石板が敷かれており、その中央には、小さな噴水がありました。

    東側のメイン扉から一旦中庭(アトリウムと呼ばれています)に出ました。回廊のあるこちらの中庭は12世紀に作られたものです。ローマで唯一残っている中世の回廊と言われています。

    対角線に沿って、Xの形に大きめの白い長方形の石板が敷かれており、その中央には、小さな噴水がありました。

  • ここからは、私が購入した本、絵葉書の画像です。相変わらず写真の撮り方が下手で、画像がいまいちですがご勘弁を!<br /><br />回廊の古いイオニア式とドーリア式の柱は、例のごとくローマ帝国時代の豪邸からの略奪品の可能性が高いそうです。そしてほぼ間違いなく、4世紀後半に建てられた、この敷地の下にある教会でも使っていた柱なのだそうです。<br /><br />

    ここからは、私が購入した本、絵葉書の画像です。相変わらず写真の撮り方が下手で、画像がいまいちですがご勘弁を!

    回廊の古いイオニア式とドーリア式の柱は、例のごとくローマ帝国時代の豪邸からの略奪品の可能性が高いそうです。そしてほぼ間違いなく、4世紀後半に建てられた、この敷地の下にある教会でも使っていた柱なのだそうです。

  • ファサードは、通りからは見えません。この中庭の反対側に来て、ようやく全景を見ることが出来ました。特徴と言えば、建物2階両端に見える渦巻き模様くらいでしょうか。<br /><br />ロッジアには4本のイオニア式柱が並んでいます。ヤシの木はやや貧弱な感じですね。<br /><br />背後に見える鐘楼は、18世紀のもの。かつては、ローマでよく見られる煉瓦造りのロマネスク様式の鐘楼がファサードに向かって右側にあったのですが、古くなって取り壊され、その代わりに今の鐘楼が建てられました。

    ファサードは、通りからは見えません。この中庭の反対側に来て、ようやく全景を見ることが出来ました。特徴と言えば、建物2階両端に見える渦巻き模様くらいでしょうか。

    ロッジアには4本のイオニア式柱が並んでいます。ヤシの木はやや貧弱な感じですね。

    背後に見える鐘楼は、18世紀のもの。かつては、ローマでよく見られる煉瓦造りのロマネスク様式の鐘楼がファサードに向かって右側にあったのですが、古くなって取り壊され、その代わりに今の鐘楼が建てられました。

  • 教皇クレメンス11世(在位 1700年〜1721年)時代に大々的な修復を施した身廊の全景です。<br /><br />この写真で見ると、左右のアーケードの柱の色がバラバラで、長さや太さもそれぞれ異なることに気が付きます。<br /><br />身廊の中央には、美しいコズマーティ模様が埋め込まれた聖歌隊席(スコーラ・カントゥールム)が見えます。サンタ・マリア・イン・コスメディンやサンタ・サビーナと同じような造りですね。<br /><br />主祭壇と会衆との間にいかなる建造物も置いてはならないとする16世紀の典礼規範変更に伴い、ローマの教会ではほとんどのスコーラ・カントゥールムが破壊されてしまいました。18世紀に入り、その価値が見直されたことで、奇跡的に残った貴重な建造物です。もし、バロック期の修復工事が17世紀に行われていたとしたら、間違いなくなくなっていたであろうとされています。<br /><br />そしてまたまた、注目してしまうのは床の美しさ!祭壇まで続く見事なコスマーティの装飾は圧巻です。

    教皇クレメンス11世(在位 1700年〜1721年)時代に大々的な修復を施した身廊の全景です。

    この写真で見ると、左右のアーケードの柱の色がバラバラで、長さや太さもそれぞれ異なることに気が付きます。

    身廊の中央には、美しいコズマーティ模様が埋め込まれた聖歌隊席(スコーラ・カントゥールム)が見えます。サンタ・マリア・イン・コスメディンやサンタ・サビーナと同じような造りですね。

    主祭壇と会衆との間にいかなる建造物も置いてはならないとする16世紀の典礼規範変更に伴い、ローマの教会ではほとんどのスコーラ・カントゥールムが破壊されてしまいました。18世紀に入り、その価値が見直されたことで、奇跡的に残った貴重な建造物です。もし、バロック期の修復工事が17世紀に行われていたとしたら、間違いなくなくなっていたであろうとされています。

    そしてまたまた、注目してしまうのは床の美しさ!祭壇まで続く見事なコスマーティの装飾は圧巻です。

  • 天井中央の拡大図です。天井もクレメンス11世により修復が加えられました。金と青色を使った複雑な格子天井で、中央のフレスコ画の上下にある装飾は、クレメンス11世の紋章です。<br /><br />フレスコ画は、ジュゼッペ・キアリによる「サン・クレメンテの神格化」です。

    天井中央の拡大図です。天井もクレメンス11世により修復が加えられました。金と青色を使った複雑な格子天井で、中央のフレスコ画の上下にある装飾は、クレメンス11世の紋章です。

    フレスコ画は、ジュゼッペ・キアリによる「サン・クレメンテの神格化」です。

  • こちらは、ローマでも最高級の一つと言われるモザイクで、後陣前にある勝利の門(凱旋門)の一部です。<br /><br />12世紀の作品と言われていますが、使われているビザンチン様式を見ると、もっと古いものであるように思えます。地下にある古い教会から一部持ち出したのかもしれません。この教会には翼廊がないため、勝利の門と後陣のモザイクが一体化しているのが特徴です。<br /><br />アーチの一番高い部分の上にある「全能の支配者キリスト」像です。左手で本を、右手で祝福のポーズをとっています。キリストのすぐ下には、初めと終わりを示すαとωが見えますね。<br /><br />キリストを中心に、勝利の門には、他に四福音記者のシンボル、聖人達(左側にはサン・ロレンツォ、サン・パオロ、右側にはサン・ピエトロ、サン・クレメンテ)預言者イザヤとエミレア、ベツレヘムとエルサレム、羊たちというお馴染みのアイテムが描かれていました。<br /><br />色が抜群に綺麗です。中でも勝利の門のアーチを縁どる赤い帯(中には金色で縁取られた青の楕円と四角が並んでいる)はよく目立ちます。<br />

    こちらは、ローマでも最高級の一つと言われるモザイクで、後陣前にある勝利の門(凱旋門)の一部です。

    12世紀の作品と言われていますが、使われているビザンチン様式を見ると、もっと古いものであるように思えます。地下にある古い教会から一部持ち出したのかもしれません。この教会には翼廊がないため、勝利の門と後陣のモザイクが一体化しているのが特徴です。

    アーチの一番高い部分の上にある「全能の支配者キリスト」像です。左手で本を、右手で祝福のポーズをとっています。キリストのすぐ下には、初めと終わりを示すαとωが見えますね。

    キリストを中心に、勝利の門には、他に四福音記者のシンボル、聖人達(左側にはサン・ロレンツォ、サン・パオロ、右側にはサン・ピエトロ、サン・クレメンテ)預言者イザヤとエミレア、ベツレヘムとエルサレム、羊たちというお馴染みのアイテムが描かれていました。

    色が抜群に綺麗です。中でも勝利の門のアーチを縁どる赤い帯(中には金色で縁取られた青の楕円と四角が並んでいる)はよく目立ちます。

  • 前述した勝利の門の右側部分の拡大です。<br /><br />左側のサン・ピエトロが右側のサン・クレメンテに、こう問うています。<br />「クレメンテ。貴方に約束したように、キリストのことを思いなさい。」<br /><br />クレメンスは、トラヤヌス帝の時代に彼の布教により多くの者がキリスト教に改宗したため、ローマ兵に捕えられ、首に錨をつけられて黒海に沈められたと言われています。そのため、彼のシンボルである錨を持って描かれています。二人の足元には、オールのある船と、画面にはありませんが二匹の魚が描かれています。

    前述した勝利の門の右側部分の拡大です。

    左側のサン・ピエトロが右側のサン・クレメンテに、こう問うています。
    「クレメンテ。貴方に約束したように、キリストのことを思いなさい。」

    クレメンスは、トラヤヌス帝の時代に彼の布教により多くの者がキリスト教に改宗したため、ローマ兵に捕えられ、首に錨をつけられて黒海に沈められたと言われています。そのため、彼のシンボルである錨を持って描かれています。二人の足元には、オールのある船と、画面にはありませんが二匹の魚が描かれています。

  • さて、こちらが後陣のモザイクの拡大図です。<br /><br />写真を撮ることが出来なかったおかげで、長い時間、うっとりさせてもらいました。こちらのモザイクの特徴は、中央の十字架とその左右に広がる渦巻き模様のアカンサスの葉と蔓、背景の黄金色です。この模様に似たものは、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会でも見ましたね。<br /><br />http://4travel.jp/travelogue/11030004

    さて、こちらが後陣のモザイクの拡大図です。

    写真を撮ることが出来なかったおかげで、長い時間、うっとりさせてもらいました。こちらのモザイクの特徴は、中央の十字架とその左右に広がる渦巻き模様のアカンサスの葉と蔓、背景の黄金色です。この模様に似たものは、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会でも見ましたね。

    http://4travel.jp/travelogue/11030004

  • 中央の碑文の上には、一対の鹿がいます。鹿の間には噴水のような4筋の噴き上がっている水柱。これは、旧約聖書「詩篇」42章 「涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、私の魂はあなたを求める」から取っているそうです。鹿は聖獣なんです。<br /><br />鹿の上に描かれた巨大なアカンサス。そこから左右に蔓が伸び、25個ずつの渦巻きを形成しています。渦巻きの中には、様々な花が描かれています。左右対称になっているみたいです。<br /><br />ところで、画面下に見える?マークのようなもの。これなんだと思います?<br /><br />どうやら、人間を堕落させた、悪魔そして狡猾さの象徴でもある蛇のようです。その蛇の中にもう一匹の鹿が見えますね。

    中央の碑文の上には、一対の鹿がいます。鹿の間には噴水のような4筋の噴き上がっている水柱。これは、旧約聖書「詩篇」42章 「涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、私の魂はあなたを求める」から取っているそうです。鹿は聖獣なんです。

    鹿の上に描かれた巨大なアカンサス。そこから左右に蔓が伸び、25個ずつの渦巻きを形成しています。渦巻きの中には、様々な花が描かれています。左右対称になっているみたいです。

    ところで、画面下に見える?マークのようなもの。これなんだと思います?

    どうやら、人間を堕落させた、悪魔そして狡猾さの象徴でもある蛇のようです。その蛇の中にもう一匹の鹿が見えますね。

  • アカンサスの上には、12羽のハトが留まっている十字架がありました。12羽のハトは、勿論十二使徒を表しているのでしょうね。キリストの左右には、聖母マリアとサン・ジョバンニ(福音記者ヨハネ)。<br /><br />モザイクは、蛇によって「罪」がこの世界に入り込んだがために枯れてしまった生命の樹が、キリストが最終的に「罪」に勝利したこと(そのシンボルが十字架)により、新しい生命の樹に取って代わられた様を表しているのだそうです。<br /><br />わかったようなわからないような・・・やはりわからないかも。

    アカンサスの上には、12羽のハトが留まっている十字架がありました。12羽のハトは、勿論十二使徒を表しているのでしょうね。キリストの左右には、聖母マリアとサン・ジョバンニ(福音記者ヨハネ)。

    モザイクは、蛇によって「罪」がこの世界に入り込んだがために枯れてしまった生命の樹が、キリストが最終的に「罪」に勝利したこと(そのシンボルが十字架)により、新しい生命の樹に取って代わられた様を表しているのだそうです。

    わかったようなわからないような・・・やはりわからないかも。

  • モザイクにばかり目が行きがちですが、後陣モザイクの下に描かれたフレスコ画も大変素晴らしい作品です。<br /><br />キリストと聖母マリア、そして十二使徒を描いたこちらのフレスコ画も12世紀の作品。<br /><br />

    モザイクにばかり目が行きがちですが、後陣モザイクの下に描かれたフレスコ画も大変素晴らしい作品です。

    キリストと聖母マリア、そして十二使徒を描いたこちらのフレスコ画も12世紀の作品。

  • 聖人と聖人の間にはナツメヤシの木。聖人たちの足元を見ると、魚が跳ねているので、どうやら川の中のようです。

    聖人と聖人の間にはナツメヤシの木。聖人たちの足元を見ると、魚が跳ねているので、どうやら川の中のようです。

  • この絵は、どこかの礼拝堂の祭壇画でしたが、正確な場所を覚えていません。ジョヴァンニ・バッティスタ・サルビ作のマドンナで、一般的には「サッソフェッラートのマドンナ」として知られています。彼は、この色の組み合わせの衣服を身に着けた聖母を何枚も描いていますが、いずれの聖母も凛とした気品ある美しさをたたえていて、思わずハッとさせられます。<br /><br />オリジナルはロンドンのナショナルギャラリーにあるということなので、こちらの作品はコピーでしょうか?

    この絵は、どこかの礼拝堂の祭壇画でしたが、正確な場所を覚えていません。ジョヴァンニ・バッティスタ・サルビ作のマドンナで、一般的には「サッソフェッラートのマドンナ」として知られています。彼は、この色の組み合わせの衣服を身に着けた聖母を何枚も描いていますが、いずれの聖母も凛とした気品ある美しさをたたえていて、思わずハッとさせられます。

    オリジナルはロンドンのナショナルギャラリーにあるということなので、こちらの作品はコピーでしょうか?

  • 後陣から、教会の入り口そばにある「アレキサンドリアのサンタ・カテリーナ礼拝堂」に移動しましょう。<br /><br />この礼拝堂は、ローマではかなり珍しいゴシック様式をとっていて、中はほぼ全面的に、大変美しい初期ルネサンス(15世紀)のフレスコ画で覆われています。ローマにおけるルネッサンス期の作品としては、最も重要なものの一つに挙げられています。1428年から1431年にかけてのマゾリーノ・ダ・パニカーレの作品と言われています。<br /><br /><br />こちらは、礼拝堂の入り口壁の上にあるフレスコ画からのピックアップで、お馴染みの受胎告知のマリア様です。

    後陣から、教会の入り口そばにある「アレキサンドリアのサンタ・カテリーナ礼拝堂」に移動しましょう。

    この礼拝堂は、ローマではかなり珍しいゴシック様式をとっていて、中はほぼ全面的に、大変美しい初期ルネサンス(15世紀)のフレスコ画で覆われています。ローマにおけるルネッサンス期の作品としては、最も重要なものの一つに挙げられています。1428年から1431年にかけてのマゾリーノ・ダ・パニカーレの作品と言われています。


    こちらは、礼拝堂の入り口壁の上にあるフレスコ画からのピックアップで、お馴染みの受胎告知のマリア様です。

  • 更に拡大したバージョンです。金髪のマリア様って珍しくないですか?<br /><br />ルネッサンス期に移行する時代らしい柔らかいタッチの筆遣いが大変魅力的です。これだけ拡大すると肉眼では遠くてよくわからないマリア様の思い悩む表情が、じかに伝わってきますね。

    更に拡大したバージョンです。金髪のマリア様って珍しくないですか?

    ルネッサンス期に移行する時代らしい柔らかいタッチの筆遣いが大変魅力的です。これだけ拡大すると肉眼では遠くてよくわからないマリア様の思い悩む表情が、じかに伝わってきますね。

  • こちらが天使ガブリエル。左手に持つ2輪の百合の花が印象的です。<br /><br />本物は、アーチの両側に描かれていて、両者の間にかなりの距離があるのですが、個人的には、フラ・アンジェリコやレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた受胎告知の距離がベストだと思っています。<br /><br />2枚の絵葉書を向い合せに置いて、両者の距離のベストポジションを探すなんてこと迄して楽しんでしまいました。

    こちらが天使ガブリエル。左手に持つ2輪の百合の花が印象的です。

    本物は、アーチの両側に描かれていて、両者の間にかなりの距離があるのですが、個人的には、フラ・アンジェリコやレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた受胎告知の距離がベストだと思っています。

    2枚の絵葉書を向い合せに置いて、両者の距離のベストポジションを探すなんてこと迄して楽しんでしまいました。

  • 礼拝堂入り口壁の左側の壁隅にあった、サン・クリストフォーロ像。彼は地球を持った子供時代のキリストを肩に乗っけています。クリストフォーロとはギリシャ語で「キリストを運ぶ者」という意味だそうで、3世紀、皇帝デキウスの時代に殉教したと言い伝えられています。<br /><br />キリストをみつめる目が実に生き生きとしていて素晴らしい。

    礼拝堂入り口壁の左側の壁隅にあった、サン・クリストフォーロ像。彼は地球を持った子供時代のキリストを肩に乗っけています。クリストフォーロとはギリシャ語で「キリストを運ぶ者」という意味だそうで、3世紀、皇帝デキウスの時代に殉教したと言い伝えられています。

    キリストをみつめる目が実に生き生きとしていて素晴らしい。

  • 祭壇のある壁には、キリストの磔の場面のフレスコ画がありますが、残念ながらあまり良い状態ではありません。右隅にある枢機卿ベネデット・ナロの碑文がフレスコ画を完全にぶち壊していますが、なんとこの暴挙が行われたのは1833年のこと。比較的最近です。(ごめんなさい。写真はありません)<br /><br />祭壇に向かって左側の壁には、サンタ・カタリーナの生涯がフレスコ画で描かれていました。<br /><br />こちらがサンタ・カタリーナ。彼女は287年生まれのアレキサンドリアの知事の娘で、当時としては最高の教育を受けた博識ある女性でした。<br /><br />母の影響でキリスト教の洗礼を受けた彼女は、キリスト教徒を迫害するやり方は間違っていると時の皇帝マクセンティウスに説こうとしました。皇帝の送り込んだ50人の賢者を次々と論破した彼女を、皇帝は牢に入れ、スパイクのついた車輪に体を縛り付けて転がすという刑を宣告します。しかし、彼女が車輪に触れると、なぜか車輪はすぐに壊れてしまったため、終いに斬首刑になったという話です。<br /><br />青いドレスを着た彼女は、いかにも聡明そうな瞳で、宙の一点を見つめています。<br />

    祭壇のある壁には、キリストの磔の場面のフレスコ画がありますが、残念ながらあまり良い状態ではありません。右隅にある枢機卿ベネデット・ナロの碑文がフレスコ画を完全にぶち壊していますが、なんとこの暴挙が行われたのは1833年のこと。比較的最近です。(ごめんなさい。写真はありません)

    祭壇に向かって左側の壁には、サンタ・カタリーナの生涯がフレスコ画で描かれていました。

    こちらがサンタ・カタリーナ。彼女は287年生まれのアレキサンドリアの知事の娘で、当時としては最高の教育を受けた博識ある女性でした。

    母の影響でキリスト教の洗礼を受けた彼女は、キリスト教徒を迫害するやり方は間違っていると時の皇帝マクセンティウスに説こうとしました。皇帝の送り込んだ50人の賢者を次々と論破した彼女を、皇帝は牢に入れ、スパイクのついた車輪に体を縛り付けて転がすという刑を宣告します。しかし、彼女が車輪に触れると、なぜか車輪はすぐに壊れてしまったため、終いに斬首刑になったという話です。

    青いドレスを着た彼女は、いかにも聡明そうな瞳で、宙の一点を見つめています。

  • サンタ・カタリーナに論破されるアレキサンドリアの賢者達。彼らの表情が面白いです。カタリーナを信じられないという顔で見つめています。

    サンタ・カタリーナに論破されるアレキサンドリアの賢者達。彼らの表情が面白いです。カタリーナを信じられないという顔で見つめています。

  • こちらは反対側、カタリーナの右側にいる賢者たち。彼女は彼らに背中を向けています。口をへの字に曲げて、もう付き合いきれんといった雰囲気が伝わってきます。

    こちらは反対側、カタリーナの右側にいる賢者たち。彼女は彼らに背中を向けています。口をへの字に曲げて、もう付き合いきれんといった雰囲気が伝わってきます。

  • 同じサンタ・カタリーナの生涯からもう2枚ご紹介しましょう。<br /><br />こちらは、カタリーナが獄中にいる間に、好奇心から面会に来たローマ皇帝の妃との面会シーンです。カタリーナは皇帝自身を改宗させられませんでしたが、妃については改宗させることに成功したと書かれた本もありました。

    同じサンタ・カタリーナの生涯からもう2枚ご紹介しましょう。

    こちらは、カタリーナが獄中にいる間に、好奇心から面会に来たローマ皇帝の妃との面会シーンです。カタリーナは皇帝自身を改宗させられませんでしたが、妃については改宗させることに成功したと書かれた本もありました。

  • 車輪での拷問が効かなかったため、最後に皇帝マクセンティウスにより斬首刑となるカテリーナ最後の場面です。

    車輪での拷問が効かなかったため、最後に皇帝マクセンティウスにより斬首刑となるカテリーナ最後の場面です。

  • 次は、地下1階にある4世紀の教会に参りましょう。ガイドや掲示による説明が一切ないため、そのまま手ぶらで行っても、理解することが難しいと思われます。地下への入り口になっている教会内のショップには、案内書が並んでいましたので、1冊購入して持っていかれることをお勧めいたします。<br /><br />この写真は4世紀の教会のナルテックス(前室)です。第38代教皇シリキウス(在位 384年〜399年)が第4代教皇クレメンス1世に捧げる教会を、クレメンス家(クレメンス1世との関係は分かりません)の邸宅跡地に作ったと言われています。4世紀の教会は現在の教会より若干広く、身廊、左右の側廊、そしてこの前室と、発掘されていませんが、列柱の並ぶ中庭(現在ある中庭の真下)から成るとされています。

    次は、地下1階にある4世紀の教会に参りましょう。ガイドや掲示による説明が一切ないため、そのまま手ぶらで行っても、理解することが難しいと思われます。地下への入り口になっている教会内のショップには、案内書が並んでいましたので、1冊購入して持っていかれることをお勧めいたします。

    この写真は4世紀の教会のナルテックス(前室)です。第38代教皇シリキウス(在位 384年〜399年)が第4代教皇クレメンス1世に捧げる教会を、クレメンス家(クレメンス1世との関係は分かりません)の邸宅跡地に作ったと言われています。4世紀の教会は現在の教会より若干広く、身廊、左右の側廊、そしてこの前室と、発掘されていませんが、列柱の並ぶ中庭(現在ある中庭の真下)から成るとされています。

  • 壁にはたくさんのフレスコ画が残っていますが、これらは新しい教会が建つ直前の11世紀後半に描かれたという説が有力です。<br /><br />こちらは南側の側廊。手前には井戸の跡、前方左側には、869年に亡くなったサン・チリッロが埋葬されてる場所があります。

    壁にはたくさんのフレスコ画が残っていますが、これらは新しい教会が建つ直前の11世紀後半に描かれたという説が有力です。

    こちらは南側の側廊。手前には井戸の跡、前方左側には、869年に亡くなったサン・チリッロが埋葬されてる場所があります。

  • これは、壁に描かれていたビザンチン風の聖母子のフレスコ画です。8世紀という推定ですが、定かではありません。

    これは、壁に描かれていたビザンチン風の聖母子のフレスコ画です。8世紀という推定ですが、定かではありません。

  • 前にも書きましたが、サン・クレメンス1世は、黒海に投げ込まれて殉教しました。クリミアの海岸には彼を祀った祠のある島がありますが、普段は水の中にあってみることが出来ません。しかし、毎年彼の殉教したその日になると、海は大干潮となり、水の中から祠が現れるのだそうです。その日は世界中から巡礼者が祠を見にやってきます。<br /><br />あるとき、偶然一人の少年が祠に残されてしまいました。満潮が訪れた時、誰もが彼は海に飲み込まれたと考えていましたが、1年後、少年はすこぶる元気な状態でその祠で発見されたのです。またしても奇跡ですねえ。<br /><br />このフレスコ画は、母親が魚で一杯の海に囲まれた少年を発見した「アゾフ海の奇跡」(Azof)を描いたものだそうです。<br />

    前にも書きましたが、サン・クレメンス1世は、黒海に投げ込まれて殉教しました。クリミアの海岸には彼を祀った祠のある島がありますが、普段は水の中にあってみることが出来ません。しかし、毎年彼の殉教したその日になると、海は大干潮となり、水の中から祠が現れるのだそうです。その日は世界中から巡礼者が祠を見にやってきます。

    あるとき、偶然一人の少年が祠に残されてしまいました。満潮が訪れた時、誰もが彼は海に飲み込まれたと考えていましたが、1年後、少年はすこぶる元気な状態でその祠で発見されたのです。またしても奇跡ですねえ。

    このフレスコ画は、母親が魚で一杯の海に囲まれた少年を発見した「アゾフ海の奇跡」(Azof)を描いたものだそうです。

  • 4世紀の教会の身廊部分です。左右9個ずつのアーチを備えています。アーチの隙間から、所々にフレスコ画が描いている壁があるのがわかると思います。天井のヴォールトはとてもしっかりしていて、とても4世紀の物とは思えません。きっと修復の手が入っているのでしょう。<br /><br />ここから更に下に降りていくと、いよいよ、紀元1世紀の世界となります。

    4世紀の教会の身廊部分です。左右9個ずつのアーチを備えています。アーチの隙間から、所々にフレスコ画が描いている壁があるのがわかると思います。天井のヴォールトはとてもしっかりしていて、とても4世紀の物とは思えません。きっと修復の手が入っているのでしょう。

    ここから更に下に降りていくと、いよいよ、紀元1世紀の世界となります。

  • 最下層にあるこちらの建物は総煉瓦造り。煉瓦の刻印から紀元90年から96年の建立であることがわかっています。<br /><br />屋敷は広大で、中央には回廊のある大きなホール、その西側には大きな部屋が4つありました。南側には上につながる階段があり、少なくとも館は3階建てだったと言われています。この邸宅の建物が何に使われていたかは定かではありませんが、近くにあるコロッセオと何らかの関係のある商売をしていたとする説があります。<br /><br />こちらは寺院の入り口。天井にはうっすらと緑がかった色の壁画が残されているのを見ることが出来ます。

    最下層にあるこちらの建物は総煉瓦造り。煉瓦の刻印から紀元90年から96年の建立であることがわかっています。

    屋敷は広大で、中央には回廊のある大きなホール、その西側には大きな部屋が4つありました。南側には上につながる階段があり、少なくとも館は3階建てだったと言われています。この邸宅の建物が何に使われていたかは定かではありませんが、近くにあるコロッセオと何らかの関係のある商売をしていたとする説があります。

    こちらは寺院の入り口。天井にはうっすらと緑がかった色の壁画が残されているのを見ることが出来ます。

  • こちらはミトラ神殿。ミトラ教は古代のインド、イランを起源とする太陽神ミトラを崇める宗教で、ヘレニズムの頃に地中海地方に入ってきて、その後ローマで紀元前1世紀から5世紀にかけて勢力を伸ばしたと言われていますが、はっきりとしたことはわかっていません。<br /><br />この部屋は、紀元200年頃に神殿に作り変えられたようです。両側には長い石のベンチ、奥はに祭壇、そして中央には、牡牛と戦っているミトラ像が置かれています。天井のヴォールトは星で飾られていたようです。<br /><br />そうそう、屋敷にはミトラ教を教える学校まであったのを今思い出しました。<br />

    こちらはミトラ神殿。ミトラ教は古代のインド、イランを起源とする太陽神ミトラを崇める宗教で、ヘレニズムの頃に地中海地方に入ってきて、その後ローマで紀元前1世紀から5世紀にかけて勢力を伸ばしたと言われていますが、はっきりとしたことはわかっていません。

    この部屋は、紀元200年頃に神殿に作り変えられたようです。両側には長い石のベンチ、奥はに祭壇、そして中央には、牡牛と戦っているミトラ像が置かれています。天井のヴォールトは星で飾られていたようです。

    そうそう、屋敷にはミトラ教を教える学校まであったのを今思い出しました。

  • さて、お終いは、1世紀の邸宅の(当時の)1階にあった部屋です。<br /><br />その部屋がどのあたりだったかよく覚えてはいませんが、1世紀の邸宅とはいえ、ローマ帝国のことですから立派に水道の設備があり、彼らが使っていた水道がいまだに管を伝って流れていく音が聞こえた部屋がありました。<br /><br />素晴らしいモザイクに始まり、サンタ・カテリーナの表情豊かなフレスコ画、そして古い教会、異教の神殿、水音が聞こえる部屋と、本当に盛りだくさんのサン・クレメンテ・アル・ラテラーノでした。時を遡りながら、大変充実した時間を過ごすことが出来たと思っています。写真の材料が足りないことだけが残念ですが、目に焼き付けようと必死に頑張ってみました。<br /><br />さあ、時間を戻して外に出ましょう。<br /><br />

    さて、お終いは、1世紀の邸宅の(当時の)1階にあった部屋です。

    その部屋がどのあたりだったかよく覚えてはいませんが、1世紀の邸宅とはいえ、ローマ帝国のことですから立派に水道の設備があり、彼らが使っていた水道がいまだに管を伝って流れていく音が聞こえた部屋がありました。

    素晴らしいモザイクに始まり、サンタ・カテリーナの表情豊かなフレスコ画、そして古い教会、異教の神殿、水音が聞こえる部屋と、本当に盛りだくさんのサン・クレメンテ・アル・ラテラーノでした。時を遡りながら、大変充実した時間を過ごすことが出来たと思っています。写真の材料が足りないことだけが残念ですが、目に焼き付けようと必死に頑張ってみました。

    さあ、時間を戻して外に出ましょう。

  • サン・クレメンテ・アル・ラテラーノ聖堂から、次の目的地サンティ・クワットロ・コロナーティ聖堂まではものの5分とかかりません。但し、少々きつい上り坂です。

    サン・クレメンテ・アル・ラテラーノ聖堂から、次の目的地サンティ・クワットロ・コロナーティ聖堂まではものの5分とかかりません。但し、少々きつい上り坂です。

  • 右手に、恐ろしく何度も修復を繰り返してきたらしい、古い建物が姿を現しました。

    右手に、恐ろしく何度も修復を繰り返してきたらしい、古い建物が姿を現しました。

  • いやあ これは骨董品だなあと、折角なのでもう少し近くで写真を撮ろうかなと、古めかしい階段を上っていきました。

    いやあ これは骨董品だなあと、折角なのでもう少し近くで写真を撮ろうかなと、古めかしい階段を上っていきました。

  • そうしたら、なんとこの建物が目指すサンティ・クワットロ・コロナーティ聖堂でした。ビックリです。こんな外見の教会は初めてです。どうやら修道院が併設された教会のようです。<br /><br />聖なる4人の王冠をつけた者(殉教者)という不思議な名前の教会です。4人とは一体誰のことを指すのか。この件に関しては、何百年も論争の的となってきました。2001年11月に発行された「ローマの殉教者大観」によれば、アスクレピオスの像を彫ることを拒否したために、皇帝ディオクレティアヌスにより川に投げ込まれた5人(4人ではなく)の石工という説が最も有力ですが、他にもこの5人の石工が殺された2年後に、アスクレピオスの生贄になることを拒否したために、やはりディオクレティアヌスにより処刑された4人の兵士だという説もあるそうです。<br /><br />この外観からして不思議が一杯そうな予感です。この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その13 ローマ サンティ・クワットロ・コロナーティで。

    そうしたら、なんとこの建物が目指すサンティ・クワットロ・コロナーティ聖堂でした。ビックリです。こんな外見の教会は初めてです。どうやら修道院が併設された教会のようです。

    聖なる4人の王冠をつけた者(殉教者)という不思議な名前の教会です。4人とは一体誰のことを指すのか。この件に関しては、何百年も論争の的となってきました。2001年11月に発行された「ローマの殉教者大観」によれば、アスクレピオスの像を彫ることを拒否したために、皇帝ディオクレティアヌスにより川に投げ込まれた5人(4人ではなく)の石工という説が最も有力ですが、他にもこの5人の石工が殺された2年後に、アスクレピオスの生贄になることを拒否したために、やはりディオクレティアヌスにより処刑された4人の兵士だという説もあるそうです。

    この外観からして不思議が一杯そうな予感です。この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その13 ローマ サンティ・クワットロ・コロナーティで。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • マリアンヌさん 2015/08/06 15:08:08
    行きたかった教会♪
    はじめまして、junemayさん。

    サン・クレメンテ・アル・ラテラノ、TVでも見たことがあります。
    イタリアは15回行ってますが、ローマは深堀できてなくて・・・
    ミトラの遺跡なんて震えますねぇ。
    ご紹介いただきありがとうございます。私もいつか!

    続き楽しみにしています。
    マリアンヌ

    junemay

    junemayさん からの返信 2015/08/08 20:50:16
    RE: 行きたかった教会♪
    マリアンヌさま

    今週初めから山形県に行き、月山や鶴岡、酒田などを廻って、昨夜帰京しました。お返事が遅くなりましたことお許しください。

    マリアンヌさまの旅行記は依然拝見させていただいております。イタリア初心者ゆえ、私の旅行計画の大半は皆様の旅行記で印象に残った場所。貴女の旅行記から参考にさせていただいたことも多々あるのではと思います。改めて感謝申し上げます。

    遅筆につき、なかなか前に進まない旅行記ですが、今しばらくお付き合いいただければ幸いです。間違いがあったら是非指摘していただけると助かります。
    どうぞよろしくお願いいたします。

    junemay

    > はじめまして、junemayさん。
    >
    > サン・クレメンテ・アル・ラテラノ、TVでも見たことがあります。
    > イタリアは15回行ってますが、ローマは深堀できてなくて・・・
    > ミトラの遺跡なんて震えますねぇ。
    > ご紹介いただきありがとうございます。私もいつか!
    >
    > 続き楽しみにしています。
    > マリアンヌ

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