2015/05/07 - 2015/05/07
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
「真実の口」目当ての人は、教会には興味がないみたい。入り口横のポルティコは混雑していたけれど、中はあまり人がおらずヒンヤリ、ああ~涼しくて良い気持ち! 教会ってほんと、癒しの場所なんだなあと悟った次第・・・
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「真実の口」とは、ご対面しただけで満足して、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会に入ってきました。ここは、パラティーノ、アヴェンティーノ、そしてカピトリーノの丘が落ち合うテレヴェ川沿いの平地にあって、古くからローマの祈りの場の原点でした。
身廊は幅が10m足らずで大変狭いです。3本ずつ1組になった美しいコリント式柱が左右に3組ずつあり、天井はシンプルなトラス式木造屋根です。 -
この教会は6世紀に古代ローマの市場の跡に建てられ、782年に再建。教皇ハドリアヌス1世の元では、コンスタンティノープルから因習打破主義者の迫害によって追放されてきたギリシャ人の僧侶たちが運営していたようで、今でもビザンティンの影響が色濃く出ています。
身廊部分より一段高くなっている側廊部分は、この教会で最も中世を感じさせるスコーラ・カントルムSchola cantorumと呼ばれる典礼の際に合唱団が使用するステージです。その先にある左右の説教壇、そして中央を横切る仕切りもビザンティンを感じさせます。 -
ねじりのある燭台が、とても美しい〜!
1123年には鐘楼の新設を含む大規模な修復が行われました。その当時と内部は大きく変わってはいません。コスメディンという名前は、「宝石」という意味のギリシャ語から来ているようです。 -
また床ですか?と言われそうですが、サンタ・マリア・コスメディン教会の床は、11世紀にコズマーティ一族によって施された、正真正銘のコズマーティ・ザ・オリジナルですよ。その後、修復された個所もあるようですが・・・まあ、お気にせずに!!
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傷んでいるところもちらほら見受けられました。
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石は、イタリア国内だけでなく、エジプト、アルジェリア、ギリシャのスパルタなど、方々から運ばれました。
三角形、四角形、ひし形、平行四辺形、六角形・・・色々な組み合わせ、パターンが見られて楽しい!!同じものを探す方が苦労します。 -
フィレンツェ風ゴシック様式で作られた主祭壇の後ろ 後陣には、真ん中に聖母子、その右側にサン・ディオニシウス(フランスの守護聖人と言われています、フランス語ではサン・ドニ)とサン・ニコラウス(サンタクロースともいわれるサン・ニコラウスはイタリア南部バーリの町の守護聖人。ギリシャ正教でもニコラウスは聖人となっています)・・・
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左側には、サン・オーガスティン(初期キリスト教会の偉大な教父のうちの1人)とサン・フェリックス(イスラムから捕虜を助けるために三位一体会をつくりました)の描かれたフレスコ画がありました。
中央に、神の手が見えます。主祭壇が大きすぎて、全景を写すことは諦めました。 -
側廊の、大きな絵の下に、さりげなく置かれているのは、なんと! セント・ヴァレンタイン・ディでお馴染みのサン・ヴァレンティーノ様の遺骸が入ったケース(と書かれていますが、真偽のほどは如何に?)。
中の骸骨と目が合ってしまい、ちょっとショックでした。
2月14日のヴァレンタイン・ディは彼のお祭りの日。当日は、このケースはたくさんのバラの花々で飾りたてられるのだそうです。骸骨を飾りたてるってどういう心境なんだろう・・・? -
こちらは、左側廊奥の礼拝堂です。レース編み模様のような窓が印象的です。こちらの礼拝堂は、ロレートの聖母に捧げられていました。
ロレートはイタリアマルケ州にある町で、
伝説によると、ナザレにあった聖母マリアの家はトルコ人による破壊を避けるため、1291年、天使によってダルマツィアのフィウメに運ばれ、3年後、またも奇跡によりレカナーティの近くの月桂樹の林Lauretum(ロレートの町の名はここから生まれた)に運ばれた。
(出典:世界大百科事典 第2版)とあります。
百科事典に大真面目に書いてあるところが興味深いでしょう?
これによりロレートは重要な巡礼地の一つとなるのです。後に、カラバッジョが「ロレートの聖母」という素晴らしい作品を描いています。 -
この天使たちによって、空を飛んで、おうちごと運ばれたのでしょうか?
いやはや、カトリックの世界は「奇跡」で満ち溢れていますね。面白い!!
下のフレスコ画は、左側が聖母の誕生、右側が聖母の死 です。状態はあまりよくありません。 -
右側廊奥の礼拝堂は、洗礼者サン・ジョヴァンニ(聖ヨハネ)に捧げられています。窓のスタイルは、左側廊の礼拝堂と同じですね。
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ドーム部分には上部に神の手、中央に神の子羊、羊の下にある生命の樹から唐草のような蔓系植物が画面いっぱいに伸びていくさまが描かれたフレスコ画。所々に赤い花が咲いています。
その下には、洗礼者聖ジョヴァンニの生涯から二つの場面が描かれています。
フレスコ画の出来はいまいちですが、生命の樹は、好きなデザインの一つだったので、じっくりと拝見。 -
最期にこちらのモザイクを紹介しましょう。聖具室に飾られていたこのモザイクは、「東方三博士の礼拝」の断片です。元々教皇ヨハネ7世の時代(706年〜707年)に、古いサン・ピエトロ寺院で作られたものと言われています。
モザイクというより、絵画を見ているような印象を覚えました。特に顔の表情が大変表情が豊かだと思います。マリア様のまなざしにうっとりです。 -
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会を出てチルコ・マッシモ通りを行くと、ローマの「石松」並木の向こうに見えてきたのは、古代ローマの競技場チルコ・マッシモ。こちらは、後でじっくりと見ることにして、先ほど遠くから眺めたヤヌスのアーチを目指します。
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右手に見えてきたのは、パラテイーノのサンタ・アナスタシア聖堂Basilica di Santa Anastasia al Palatino。ローマ帝国時代のティトルスの一つで、起源は4世紀という歴史ある教会ですが、何度も修復されて昔の面影は残っていません。
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聖堂に続く一帯は、ちょうどフォロ・ロマーノの反対側。パラティーノの丘に点在する遺跡が塀の隙間からよく見えました。以前は、こちらからも入場できたようですが、今は扉を固く閉ざしています。
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先ほど、真実の口広場から通りを挟んで見えていたヤヌスのアーチにやってきました。
ヤヌスは、前後を見る二つの顔を持つ、出入口(門)と扉を司る古代ローマの神です。このアーチは四方向に出入り口がある四面門で、高さが16m、幅が12m 上から見ると正方形の形をしています。 -
作られたのは、4世紀初め、コンスタンティヌス1世かコンスタンティヌス2世の時代。凱旋門としてというよりは、境界線を示す門という意味合いが強かったと言われています。ローマ人の古いものの再利用は、中世に始まったものではなく、このアーチにも、それ以前に使われていた建物の廃材が随所に見られます。たとえば、大理石の部分には、明らかに別の場所で使われていた石碑などが混ざっています。
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アーチの各面にはクラムシェルの形をしたニッチが横に3列、縦に2段並び、かつてはそこに彫像が置かれていたのでしょう。大きなアーチの中央付近に出っ張っている石がありますが、こちらは東西南北異なっていて、ヤヌス、ローマ、ケレス、ミネルヴァの神がそれぞれかたどられているそうですが、目を凝らしてみても、どれが誰だかよくわかりませんでした。
中世の時代には、要塞として使用されたこともあるヤヌスのアーチ。だいぶ風化が進み、排気ガスで煤けて、ハトの住み家と化していますが、こちらも柵で囲む以外に方法はないのでしょうかねえ。 -
ヤヌスのアーチのすぐ近くには、もう一つ、高さ6.15m、幅3.3mの小さな門があります。それがこちらのアルジェンタリ門Arco degli Argentari。日本語に訳すと「両替商の門」だそうです。門は、隣のサン・ジョルジョ・イン・ヴェラーブロ教会の壁に一方がくっついた形で立っていました。
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門は、204年に前述の両替商らにより、当時の皇帝セプティミウスセウェルスと皇族たちに敬意を表して建てられました。
門にはセウェルス帝だけでなく、彼の一家全員(息子で将来の皇帝カラカラ、帝の後妻ユリアドムナ、カラカラの異母弟でユリアドムナの子ゲタ、ゲタの妻プラウティッラと義父プラウティアヌス)の姿がレリーフとして彫られていました。
しかし、本妻の子カラカラと後妻の子ゲタの仲は悪く、しばしば対立。セウェルス帝が亡くなった211年、義母ユリアドムナがわざわざ用意した和解の席上で、ゲタは、カラカラが差し向けた刺客により殺されたのです。
その後、カラカラはゲタの全ての記録を抹殺。全ての書類、全ての彫像、家族の肖像画からさえゲタの存在が消されたのです。陰湿な空恐ろしい性格ですねえ。ここにある門のレリーフも勿論対象外ではありませんでした。 -
こちらは、左からセウェルス帝、妃ユリアドムナ、そして消された肖像・・・
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カラカラの左には、消された肖像・・・
下のレリーフから消えたのは、ゲタの妻プラウティッラと義父プラウティアヌ。この2人の命もなかったのでしょうね。 -
隣接するサン・ジョルジョ・イン・ヴェラーブロ教会に入ります。こちらも元ティトルスだった教会で、7世紀の創建。サン・ジョルジョは、東方においては、大聖人とされています。
ヴェラーブロとは「泥沼」というような意味で、テヴェレ川沿いの湿地帯の中でも特に低い土地です。かつてローマを建国したロルムスとレムスは、バスケットに入れらえてこの辺りに捨てられ、オオカミに拾われたのだそうです。 -
壁には、いくつかの碑文の断片が並べられていましたが、解読不能・・・
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内部は三廊式。天井を見ていただくと、すぐにわかりますが、身廊は長方形ではなく、奥に行くほど狭くなる、いびつな台形をしています。
16本ある柱は、お馴染みの「寄せ集め」の再利用です。側廊にも装飾がなく、シンプルな漆喰の壁が続いています。 -
1923年〜1926年に行われた改修で、建築家アントニオ・ムニョスは、多くのバロック様式の装飾や陰気なモニュメントなどを剥ぎ取り、彼がイメージする「この教会の元々の状態」に近づけることに専念しました。その結果、今見ている、「人工的に作られた中世」の教会が出来上がったのです。聖域への階段も、以前は3段だったものをムニョスが7段に変更したのだそうです。写真でかさ上げされた部分がはっきりと分かりますね。
ムニョス先生は、同様の「ラジカルな」修復を他のローマのいくつかの教会でもやってのけたそうです。
左右の柱は、全くマッチしていません。左はコリント式。右はイオニア式です。 -
祭壇はグレーの大理石製。コリント式の柱が伸びていった先には・・・
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たくさんの小さな柱で囲まれた屋根があり、てっぺんに8角形のドームが乗っています。シンプルだけれど、美しい祭壇でした。
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後陣のフレスコ画は13世紀の作品。キリストは、白馬を連れたサン・ジョルジョ、聖母マリア、サン・ピエトロ、サン・セバスティアーノを従えています。作者は、ジョットという説もありますが、ピエトロ・カヴァリーニという説が有力なようです。
何度調べても、右端はサン・セバスティアーノと書かれていますが、こんなお年を召したセバスティアーノを見たことがないので、にわかに信じられません。同じ名前の聖人は他にいないし、本当かしら! 嘘〜! -
後陣のコズマーティ様式の床の一番端には、司教座が設けられていましたが、司教がいなくなってから久しいようです。
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側廊には、壁に隠れていたコリント式柱が見えるように、わざわざ壁を剥がした状態で置かれていました。これも、ムニョス氏のなせる業なのでしょうか?
なお、サン・ジョルジョ・イン・ヴェラーブロ教会では、結婚式を挙げられるカップルを募集中です。興味のある方はご連絡を! -
教会を出て、パラティーノの丘を今度は左に見ながら、来た道を戻ります。
丘の上にある遺跡の修復作業。足場を組むだけでも大変お金がかかりそうです。 -
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の裏手にある右の建物は、ローマ市警の建物。ローマのパトカーはフィアットでしたよ。
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通りを渡って、チルコ・マッシモを見下ろします。あらっ 何かスポーツ祭典の準備中のようです。
2015年5月15、16、17の3日間、Race for the Cureという乳がんの正しい知識を広め、乳がん検診の早期受診を推進するイヴェントが行われるんですって。5kmと2kmのレースも実施されます。それにピンクの女性のお祝い・・ああピンクリボン運動ね。
会場には白いテントがずらりと並んでいて、何もない野原を想像していた私は、ビックリ! でした。 -
またみつけましたよ。ローマの水飲み場ナゾーネ君。今日みたいな暑い日には、ナゾーネ君大活躍です。ランニング中だった彼女もペットボトルに水汲んでいますよ。
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古代の競技場では、白いテントの設営が着々と準備中。その向こうになだらかなパラティーノの丘が広がっていて、見えているのは、ドムス・アウグスティーナ、マッセンツィの浴場辺りでしょうか? おお〜まさに絶景じゃあないですか!
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白いテントの終点辺りまで行くと、ようやくチルコ・マッシモの中央分離帯のあるトラックが見えてきました。紀元前4世紀ころから使われ始めて、トラヤヌス帝(在位98年〜117年)の頃には、収容人員が30万人という世界一の娯楽施設になっていたと言われるチルコ・マッシモ。
ここで思い出すのは、やはり、昔見たベン・ハーの戦車競走でしょうか。キリストの「奇跡」というのを知ったのも、あの映画が生まれて初めてだったかもしれません。 -
チルコ・マッシモとお別れして、今度はパラティーノの丘とは反対側にあるアヴェンティーノの丘に向かいます。イタリアのイタリア統一運動時代の政治家ジェゼッペ・マッツィーニGiuseppe Mazzini の銅像がある広場から、ローマ市立バラ園を抜けて行きます。
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ほらほら。ちょうどバラが見頃でしたよ。
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蔓バラもご覧の通り。今が盛りと咲いています。
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ようやく、街歩き、お散歩という雰囲気になってきましたね。色とりどりのバラの花を見ながら、ゆっくりと丘を上っていきます。
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最後は、この門から出て、サンタ・サビーナ通りに入ります。道は穏やかな上り。写真のような日陰道が、今日は嬉しい。
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次の目的地に到着です。オレンジ庭園Giardino degli Aranci、またの名をサヴェッロ公園。その入り口は、サンタ・サビーナ教会の横手にありました。
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入り口脇にあった噴水。「真実の口」のお友達みたいでしたよ。
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園内には、ローマの松がこれでもか、とばかりに、枝を伸ばしています。木蔭も沢山あって、気持ち良い場所です。
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そして、その先には・・・
ジャーン!テヴェレ川とその向こうにローマの町が見下ろせるステキな展望台がありました。
サン・ピエトロ寺院。意外と遠いなあ〜 -
あららっ ボケていますね。失礼!
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北の方角には、またまた景色をぶち壊すヴィットリオ・エマニュエーレ記念堂がひときわ高くのさばっていました。
初日から飛ばし過ぎたからなあ とおとなしく反省して、公園で一休みしました。観光客よりも近所の子供たちやおばちゃんたち、家族連れが一杯訪れていたサヴェッロ公園。お勧めです。 -
赤い実がついた木々の下を通って・・・
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今日いくつ目だか、すでにわからなくなりましたが、サンタ・サビーナ聖堂に向かいます。
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一歩足を踏み入れて驚きました。椅子がない!
広い三廊式の聖堂内は、人がほとんどいないので、がらんとしています。素晴らしいコリント式の列柱ばかりが目立ちます。これは2世紀のものだそうです。ローマ帝国が衰退したころに、この辺りにあった古い宮殿から調達したもののようですが、柱頭のアカンサスがとても美しい!! -
サンタ・サビーナ教会は、ローマの中でも初期キリスト教様式(palaeo-Christian)の代表的な聖堂で、創建は425年。2世紀の殉教者サンタ・サビーナに捧げられています。しかし、この教会にも、先ほどヴェラーブロで述べたムニョス先生の修復の手(1930代)が入っているようですよ。彼のモットーは、「中世以降の変更や修正をすべて剥ぎ取り、オリジナルだと彼が信じる状態に戻す」です。
左右のアーチの上に続く様々な色の石をはめ込んだ装飾は、初めて目にするものです。 -
広い聖堂の中央付近には、珍しいモザイクでできた墓がありました。ローマでは唯一残されたものです。1300年に亡くなったドメニコ会のマエストロ ムニョス・デ・サモラの墓と言われています。
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後陣にあった5世紀のモザイクは長い年月のうちに失われ、1560年、タッデオ・ツッカリのフレスコ画に置き換えられました。彼は、失われたモザイクを忠実に復元したと述べたそうですが、キリストを中心に、川辺に集まった十二使徒、聖人達、そして静かに草を食む羊たちが描かれたこの絵から、元のモザイクを想像することはできませんねえ。
後陣手前のアーチには、初期キリスト教に見られたセピアフレスコという手法で15人の聖人の胸像がトンド(円形)スタイルで描かれています。こちらも残念ながら20世紀になってから修復されたものです。 -
フレスコ画の下の窓ガラスの模様、身廊のアーチと同様の多色石張りの装飾、そのまた下の大理石の紋様。清楚で、地味で、落ち着きがあって、私はごてごてバロックより好みです。
祭壇への仕切り扉横壁のレリーフは、transennaeと呼ばれている中世の石板で、基本、十字架のデザインですが、色々なパターンがあって、それぞれ手の込んだデザインを楽しむことが出来ます。 -
この教会の礼拝堂はわずか2つしかありませんでした。こちらは、右側廊にあった礼拝堂の天井画。中央の円形部分が強烈です。真ん中の白いものは後光?帆立貝? それとも太陽の光でしょうか?
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こちらは、左側廊にある、トスカーナの貴族エルシー家の礼拝堂。シエナのサンタ・カタリナに捧げられたこの礼拝堂を見て、驚いたのは、天井と壁のフレスコ画。絵が3Dのように浮き上がって見えて、今にも天使たちが落っこちてきそう!! ジョヴァンニ・オダッツィの作品です。
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ドームをズームアップ!
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この礼拝堂、よく見ると八角形をしています。祭壇画は、ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィによるロザリオの聖母。祭壇の両脇に広がる4色のコリント式石柱見事ですねえ。
床には、エルシー家の紋章「双頭の鷲」が目立っていました。 -
聖堂に光が入り込み過ぎて、西側にあった美しいモザイクのパネルの撮影に失敗しました。代わりといってはなんですが、シンプルだけれど、味わいある窓を写しました。ステンドグラスを見慣れた目には新鮮に写ります。
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先ほど慌てて入ったので、ポルティコの辺りをまだ写していませんでした。ここは、ほっと一息和ませてくれる、優しい空気に満ちていました。
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最期に出てきたのは、こちらの広場に面した側の口。正面出入口ではないのですが、こちらの方がサンタ・サビーナの雰囲気にマッチしています。
2本のコリント式の白い柱が印象的。中ほどのふくらみが優雅です。
2枚上の写真の窓は、外から見るとこんな感じ。繊細で柔らかな印象です。 -
続いて、お隣のサンティ・ボニファチオ・エ・アレッシオ アッラヴェンティーノSanti Bonifacio ed Alessio all'Aventinoに入ります。またまた、長〜い名前です。ボニファチオとアレッシオという2人の聖人に捧げられた教会です。
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人っ子一人いない静かな空間です。教会は2階建て。13世紀に作られた鐘楼を従えています。シンプルな5つのアーチからなるポルティコがあります。
こちらの教会の柱は、1階部分はドーリア式、2階部分はコリント式ですね。 -
中庭に、日本でもよく見かけるような造りの噴水?があって、なぜか懐かしい気持ちにさせられました。イタリアで、こういうもの見たことないなあ・・・
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ポルティコの右側には、バロック様式による配置換えの完成記念に、1752年にキリニ枢機卿によって建立された教皇ベネディクト13世の石膏像がありました。
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中にも誰もいません。し〜んと静まり返っています。
内部は三廊式で、2本の柱が重なった複合壁柱が、両側に3つずつのアーチを作っています。
新しさを感じる身廊の装飾は、19世紀ミケーレ・オッタヴィアーニによるもの。 -
よく見ると、それなりに綺麗なんですが、これまで見てきた物が物だっただけに、完璧で、整い過ぎている気がします。
ラーメン丼みたいな模様もありますね。この模様は結構色々な場所で目にしました。昨年ジェノバの駅舎でも見た記憶があります。
http://4travel.jp/travelogue/10944315 -
でも、コズマーティ模様は健在だったので、良しとしましょう(ってなんのこっちゃ?)。
こちらのコズマーティも凝っていますね。右から2番目のグレイの円が特に♪お気に入り♪です! -
主祭壇の天蓋は16世紀に作られた、下部が四角形、上部が八角形のドーム状になっていて、美しい装飾で覆われいています。
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1591年に亡くなった、この教会の最初の司教 枢機卿ジョヴァンニ・ヴィンチェンツォ・ゴンザーガの墓石は、周りのコズマーティ模様に良くマッチしていて、中央のブロンズの紋章がやけに目立っていました。
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後陣奥まで、床のコズマーティ模様は続いています。ここでも新たなパターンを発見して、暫し見入ります。おやおや、こちらにも、どなた様かのお墓がありましたよ。
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後陣半月ドームのフレスコ画は、ちょっと珍しい白い服を着て、赤十字のついた旗を持ったキリストでした。
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右側廊の出口に近いところにあるサン・アレッシオの礼拝堂はちょっと変わった造りです。
そこには、斜めに置かれた階段のようなものがあって、その下に一人の男が横たわっています。
聖アレッシオ伝(聖アレクシス伝 フランス語)は、日本ではあまりポピュラーではないのですが、ヨーロッパではよく知られた話で、聖アレッシオは巡礼者と乞食の守護聖人となっています。
聖アレッシオ伝 正確ではないですが、概略はこんなお話です。
4世紀ローマの貴族の一人息子アレッシオは若い時から神への奉仕に身を奉げてきたが、両親が彼のために花嫁を選んだ翌朝、全ての装飾品を彼女に与え、旅に出る。メソポタミアを巡礼して回り、弱者、病人の世話をし、自らも貧困と謙虚の中で神に仕える日々を過ごす。長い年月の後、彼は再びローマの自宅に戻るが、家族でさえも彼のことがわからず、召使は階段下に彼を追いやる。父親がその夜、夢の中のお告げで男が誰だかを知り、駆け寄ったが、時すでに遅く、アレッシオはすでに疲労と飢えにより息絶えていた。 -
こちらが、祭壇上の階段の下の死せるアレッシオ像です。巡礼者の服装で、右手で十字架を、左手で巡礼杖を握りしめています。
この像は18世紀後半、アンドレア・ベルゴンデイによって制作されました。 -
サンティ・ボニファチオ・エ・アレッシオ教会を出ると、お隣の建物の前に何やら人だかりが・・・と言っても、たいした人数ではないので、並んじゃいました。
ここは、マルタ騎士団長の家。家自体は公開されていませんが、行列の狙いは別の目的がありました。 -
実は、騎士団長の家の覗き見です。
ところで、マルタ騎士団というものが、今現在も存在しているのをご存知ですか?中世の時代に十字軍を送ったあの騎士団です。彼らの本部は、とっくにマルタ島を出て、ここローマにあるのです。そしてこの家は、マルタ騎士団のイタリアおよびバチカン市国大使邸なのだそうです。「えっ大使がいるの?」とびっくりされるかもしれませんが、イタリアはマルタ騎士団を一種の国として「承認」しているんですって。 -
ああ、残念! ボロい腕とボロいカメラのせいで、レンズは捉えることが出来ませんでした。
私の目にははっきりとこの庭園の緑の額縁の中に、サン・ピエトロ寺院のドームが納まっているのが見えたんですけれどね。
興味のある方は、こちらのWikipediaに写真が掲載されているのでご覧くださいね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Villa_del_Priorato_di_Malta -
マルタ騎士団長の家の前の広場です。こんな派手なモニュメントに囲まれた塀が続いていました。
こちらは、ベネディクト会のサン・アンセルモ・ダヴェンティーノという大学の敷地のようです。 -
こちらがその入り口。さすがに入っていくのはためらわれました。
今日の予定はほぼ終了したので、これからゆっくりと坂を下って、マルモターラ通りに向かいます。
マルモターラ通りには路面電車が走っていました。よーし!あれに乗ろうと思い、停留所で、待っていた女性客に声をかけます。
「ピラミデ方面はこちらでいいんですよね。」
ところが、彼女、「ピラミデならすぐだから、乗る必要はないわ。この道真っ直ぐ行けばじき着くわよ。」
「あの〜乗ってみたいんですが・・・」
「さっきから待っているけれど、全然来ないんだから。歩いたほうが早いわ。さあ! あっち!」
彼女に背中を押されて、仕方なく歩き出します。路面電車に乗ってみたかったのになあ…残念! -
彼女の言った通りで、ものの5分でピラミデ到着です。
ローマのピラミデ、つまりピラミッドは、眩しいほど白く輝いていました。以前は煤けていたそうですが、ある日本企業の社長さんが、このピラミッドに惚れ込み、修復作業にポーンと200万ユーロ寄付したのだそうです。太っ腹ぁ〜!
その修復工事も終わったのでしょうね。真っ白に輝くピラミッドが誇らしげでしたよ。 -
このピラミッド、正式名をガイウス・ケスティウスのピラミッド(イタリア語はピラミデ・チェスティア)と言います。建造されたのは紀元前18年〜12年の間で、ローマ帝国の執政官で、宗教団体のメンバーだったガイウス・ケスティウスが自分のために建てた墓です。
土台は石灰岩。その上に大理石のスラブを積み重ねています。三角錐の底辺の長さは29.6m、高さは37mあります。 -
イチオシ
内部には埋葬室、長さ5.95m、幅4.10m、高さ4.80mのフレスコ画で飾られた埋葬室があるそうです。以前は考古学者等、特定の人のみ内部に入ることを許されていましたが、修復の終わった今年5月から、月2回、ほんの数時間だけ、事前予約で内部見学ができると書いてありました。
次回の旅行プランは、ピラミッドの見学時間を念頭に入れて、立てねばなりませんぬ。 -
ローマ帝国時代の町を囲んでいた城壁は、ピラミッドのすぐ脇。実際、アウレリアヌスの時代、ピラミッドが城壁の一部と化していた時代もあったそうです。
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こちらは、ピラミッドのすぐわきにあるサン・パオロ門。作られた当初の3世紀には、ここからオスティエンセ街道が南に伸びているために、オスティエンセ門と呼ばれていましたが、少なくとも6世紀には、ここがローマの出口で、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂へつながる門であることから、名前が変更されました。
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現在、塔の上部は博物館となっています。その名も、オスティエンセ街道博物館。昔のメイン街道の資料、絵等を中心に展示されています。
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古い城壁のある風景。城壁の平均の厚みは3.5m、高さは8mほど。四角い塔が29.6mおきに立っています。切り取られた断面を見ると、土台の部分の厚みは、その倍ほどありそうですね。
長い1日でした。地下鉄B線ピラミデからテルミニに戻ることにしましょう。本当はここから反対方向に乗って、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂にも行きたかったのですが、足が限界です。 -
ここからはおまけ。地下鉄テルミニ駅に戻ってきました。適当な出口を出たら、チンクエチェント(500人)広場に出てきました。広大な広場のど真ん中に突っ立っています。
正面に見える建物は、Casa per ferie キリスト教関係の宿泊施設のようです。建物の屋上に金ぴかの像が見えたのが気になりました。 -
ほらっ キリストが屋上から私を手招きしていましたよ!
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おしまいは、テルミニ駅前にあるセルウィウス帝時代の城壁です。先ほどピラミデ駅近くで見た城壁はアウレリアヌス城壁。作られたのは、271年から275年。
こちらにあるのは、紀元前6世紀ごろから作り始められたというセルウィウス城壁です。城壁の高さは最高で10mというから驚きですね。3世紀頃までローマ帝国は向かうところ敵なしでしたが、ゲルマン民族の大移動により、ローマを防衛する必要性を感じたアウレリアヌス帝により、それまでの倍以上の大きさの城壁を作ることになったのだそうです。
紀元前のものが、いまだにこんなに強固に美しく残っているということに素直に感動したフィナーレでした。
この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その6 ローマ サンタ・プラッセーデ聖堂で -
おまけの地図です!
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この旅行記へのコメント (2)
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- cheriko330さん 2017/03/01 22:33:31
- 素晴らしい旅行記ですね♪
- junemayさん、こんばんは☆
初めまして。
先日は、私の方へもいらして頂きありがとうございました。
イタリアは大好きな国です。
ただ好きというだけで、junemayさんのように詳しくありません。
JALの機内誌でパドヴァを知りまして、とっても素敵な所だと
是非行きたいと思っておりました。丁度、ツアーに入ってるのを
見付けて7年前くらいですが、行くことが出来ました。
パドヴァの旅行記は以前に見せて頂きました。とても詳しく丁寧に
書かれていますね。素晴らしいです。
ローマの続きから、また少しずつ見せて頂きたいです。
どうぞ宜しくお願い致します。
では、また。
cheriko330
- junemayさん からの返信 2017/03/02 14:43:59
- RE: 素晴らしい旅行記ですね♪
- cheriko330さん こんにちは
コメントありがとうございました。
私もイタリア大好きですが、行き当たりばったりの性格で、予定をばっちり立ててから行くわけではないので、詳しくないですよ。帰ってからいろいろと調べて、それで再度旅を楽しんでいるというのが現実です。あれもこれも見ていない、また行かねばということばかりで、もう少し綿密なスケジュールを立てなくてはといつも後悔しています。
それで、2015年の1か月の旅行記をアップするのに1年半もかかってしまいました。海外へは毎年2回ほど出掛けているので、この分だとすべて完成するのはいつのことやら?
今cheriko330さんの北イタリアを楽しんでいます。今年は北の方、ドイツに行きたいと思っていましたが、どうしてもイタリア抜きでは考えられず、ヴェネツィアからクロアチア、オーストリアを経てドイツに至る移動が長い旅になりそうです。またお出かけくださいね。
junemay
junemayさん、こんばんは☆
>
> 初めまして。
> 先日は、私の方へもいらして頂きありがとうございました。
> イタリアは大好きな国です。
> ただ好きというだけで、junemayさんのように詳しくありません。
>
> JALの機内誌でパドヴァを知りまして、とっても素敵な所だと
> 是非行きたいと思っておりました。丁度、ツアーに入ってるのを
> 見付けて7年前くらいですが、行くことが出来ました。
> パドヴァの旅行記は以前に見せて頂きました。とても詳しく丁寧に
> 書かれていますね。素晴らしいです。
>
> ローマの続きから、また少しずつ見せて頂きたいです。
> どうぞ宜しくお願い致します。
>
> では、また。
>
> cheriko330
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