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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。<br /><br />まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。<br /><br />イタリアには過去3度行ったことがあります。<br />最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。<br />2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。<br />3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。<br /><br />今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。<br /><br />イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。<br /><br />2015/5/6	水	成田→モスクワ→ローマ<br />2015/5/7	木	ローマ<br />2015/5/8	金	ローマ→ティヴォリ→ローマ<br />2015/5/9	土	ローマ<br />2015/5/10	日	ローマ<br />2015/5/11	月	ローマ<br />2015/5/12	火	ローマ<br />2015/5/13	水	ローマ→ナポリ<br />2015/5/14	木	ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ<br />2015/5/15	金	ナポリ<br />2015/5/16	土	ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ<br />2015/5/17	日	ナポリ→バーリ<br />2015/5/18	月	バーリ→マテーラ→バーリ<br />2015/5/19	火	バーリ→レッチェ→バーリ<br />2015/5/20	水	バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ<br />2015/5/21	木	バーリ→アンコーナ→フォリーニョ<br />2015/5/22	金	フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ<br />2015/5/23	土	フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ<br />2015/5/24	日	フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ<br />2015/5/25	月	フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト<br />2015/5/26	火	オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト<br />2015/5/27	水	オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト<br />2015/5/28	木	オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ<br />2015/5/29	金	ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ<br />2015/5/30	土	ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ<br />2015/5/31	日	ボローニャ<br />2015/6/1	月	ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/2	火	ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/3	水	ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/4	木	ヴィチェンツァ<br />2015/6/5	金	ヴィチェンツァ→ミラノ<br />2015/6/6	土	ミラノ<br />2015/6/7	日	ミラノ<br />2015/6/8	月	ミラノ→モスクワ→<br />2015/6/9	火	→成田<br /><br />3日目から6日目まではぜ〜んぶローマです。盛り沢山の計画を立てたんだけれど、どこまで実現できるかな? 一晩ぐっすり寝て、またサンタ・マリア・マッジョーレ教会の大音響の鐘の音で今日も爽やかにお目覚め。さあ、出かけまっせ!!

イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その11 ローマ サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ

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2015/05/09 - 2015/05/09

967位(同エリア6775件中)

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junemay

junemayさん

2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。

まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。

イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。

今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。

イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。

2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田

3日目から6日目まではぜ〜んぶローマです。盛り沢山の計画を立てたんだけれど、どこまで実現できるかな? 一晩ぐっすり寝て、またサンタ・マリア・マッジョーレ教会の大音響の鐘の音で今日も爽やかにお目覚め。さあ、出かけまっせ!!

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 今日もホテルからジョベルティ通りを南へ。途中ナポレオーネ通りを横切ります。<br /><br />トラムの5番はスタッチオネ(テルミニ)行。なかなか乗る機会がありません。<br />おっはよう!

    今日もホテルからジョベルティ通りを南へ。途中ナポレオーネ通りを横切ります。

    トラムの5番はスタッチオネ(テルミニ)行。なかなか乗る機会がありません。
    おっはよう!

  • 毎日起こしてくれるサンタ・マリア・マッジョーレの鐘楼にもご挨拶!<br /><br />今日も起こしてくれてありがとう!<br /><br />鐘楼の丸い飾りに注目。創建当時は〇の中に5色の陶器板がはめ込まれていたらしいのですが、落下したり壊れたりで、現在は見る限りでは殆どが緑色のものでした。手抜きかしら・・・

    毎日起こしてくれるサンタ・マリア・マッジョーレの鐘楼にもご挨拶!

    今日も起こしてくれてありがとう!

    鐘楼の丸い飾りに注目。創建当時は〇の中に5色の陶器板がはめ込まれていたらしいのですが、落下したり壊れたりで、現在は見る限りでは殆どが緑色のものでした。手抜きかしら・・・

  • 実は、今朝もサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂にお邪魔して、昨日見ることが出来なかったパオリーナ礼拝堂の内部を見ようと思ったのですが、またしてもミサの最中でした!<br /><br />パオリーナ礼拝堂とはどうも相性悪いみたいです。結局その後も行くことが叶わなかったので、次回回しということに。

    実は、今朝もサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂にお邪魔して、昨日見ることが出来なかったパオリーナ礼拝堂の内部を見ようと思ったのですが、またしてもミサの最中でした!

    パオリーナ礼拝堂とはどうも相性悪いみたいです。結局その後も行くことが叶わなかったので、次回回しということに。

  • ついでだから、こちらも寄っちゃいました。サンタ・プラセーデ教会。サン・ゼーノ礼拝堂はどなたかの寄付により煌々と明かりがついていたので、またじっくりと見物。

    ついでだから、こちらも寄っちゃいました。サンタ・プラセーデ教会。サン・ゼーノ礼拝堂はどなたかの寄付により煌々と明かりがついていたので、またじっくりと見物。

  • 昨日と全く同じ写真なので、以下割愛。この床はプラセーデ教会のどこで撮ったのか、覚えていないのですが、とっても素敵なコズマーティです。<br /><br />相変わらず床好き女よ〜ん!

    昨日と全く同じ写真なので、以下割愛。この床はプラセーデ教会のどこで撮ったのか、覚えていないのですが、とっても素敵なコズマーティです。

    相変わらず床好き女よ〜ん!

  • 主祭壇と後陣をちらっと拝んで、ちらっとだけうっとりして、次の場所に移動です。

    主祭壇と後陣をちらっと拝んで、ちらっとだけうっとりして、次の場所に移動です。

  • ジョヴァンニ・ランツァ通りに出ると、目に付いたのは、またしても教会の後陣。名前はサン・マルティーノ・アイ・モンティ San Martino ai Monti。この教会は予定に入っていなかったのですが・・・

    ジョヴァンニ・ランツァ通りに出ると、目に付いたのは、またしても教会の後陣。名前はサン・マルティーノ・アイ・モンティ San Martino ai Monti。この教会は予定に入っていなかったのですが・・・

  • 気になったのは、その前の広場に立つこちらの塔。アルチオーネ・カポッチの塔torre dei Arcione Capocciというのだそうです。教会とは関係がなかったみたい・・・<br /><br />塔はアルチオーネ家によって、近くにあったトラヤヌスの浴場から煉瓦を運び出して作ったのだそうです。高さは36mほど。後にカポッチ家のものとなり、カポッチ家は搭の周りを要塞化し(今はもうありません)、住居として使っていました。カポッチ家はこの辺りにたくさんの要塞住宅を持っていたそうです。<br /><br />古いものの再利用。ローマに来てから、こういう話いくつ聞いたでしょうか?! 面白いですねえ。

    気になったのは、その前の広場に立つこちらの塔。アルチオーネ・カポッチの塔torre dei Arcione Capocciというのだそうです。教会とは関係がなかったみたい・・・

    塔はアルチオーネ家によって、近くにあったトラヤヌスの浴場から煉瓦を運び出して作ったのだそうです。高さは36mほど。後にカポッチ家のものとなり、カポッチ家は搭の周りを要塞化し(今はもうありません)、住居として使っていました。カポッチ家はこの辺りにたくさんの要塞住宅を持っていたそうです。

    古いものの再利用。ローマに来てから、こういう話いくつ聞いたでしょうか?! 面白いですねえ。

  • ジョヴァンニ・ランツァ通りからいかにも裏通りといったイン・セルチ通りに入っていきます。

    ジョヴァンニ・ランツァ通りからいかにも裏通りといったイン・セルチ通りに入っていきます。

  • いつのものだかわからないほど、長い間使われてきた煉瓦の壁・・・この中に現代的な暮らしなんてなさそうですが、あるんですよね。これが!

    いつのものだかわからないほど、長い間使われてきた煉瓦の壁・・・この中に現代的な暮らしなんてなさそうですが、あるんですよね。これが!

  • 失礼、間違えました。なかったかもしれません・・・ここは修道院でした(笑)。

    失礼、間違えました。なかったかもしれません・・・ここは修道院でした(笑)。

  • 少々陰気くさいイン・セルチ通りが再びジョヴァンニ・ランツァに合流する直前にこちらのGioacchino e Anna ai Monte教会があります。その角を曲がると・・・

    少々陰気くさいイン・セルチ通りが再びジョヴァンニ・ランツァに合流する直前にこちらのGioacchino e Anna ai Monte教会があります。その角を曲がると・・・

  • こんな階段が見えるはずです。階段を見ると、待ってましたとばかりに上りたくなる私。

    こんな階段が見えるはずです。階段を見ると、待ってましたとばかりに上りたくなる私。

  • はい。上りましたよ。この短い階段のある道にも名前がついていました。モンテ・ポラッコ通り。ポーランドの山という意味なので、着いたところも同じ名前かと思ったら、こちらはコッレ・オッピオ。<br /><br />これがただならない名前なんです。日本語に直すと「アヘンの丘(山)」ですって。ローマ帝国守備隊の隊長さんの名前らしいですが、ここで彼の名前とアヘンとの関係を追及するのはやめておきますね。

    はい。上りましたよ。この短い階段のある道にも名前がついていました。モンテ・ポラッコ通り。ポーランドの山という意味なので、着いたところも同じ名前かと思ったら、こちらはコッレ・オッピオ。

    これがただならない名前なんです。日本語に直すと「アヘンの丘(山)」ですって。ローマ帝国守備隊の隊長さんの名前らしいですが、ここで彼の名前とアヘンとの関係を追及するのはやめておきますね。

  • 道を右に折れて、少し行くと、ようやく今日の最初の目的地・・・

    道を右に折れて、少し行くと、ようやく今日の最初の目的地・・・

  • サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会です。使徒の一人サン・ピエトロに捧げられた教会です。ヴィンコリとは「鎖」の意味。<br /><br />ここは、サン・ピエトロがつながれていた鎖を祀るために、東ローマ帝国のエウドキシア妃が5世紀に創建した教会なのです。

    サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会です。使徒の一人サン・ピエトロに捧げられた教会です。ヴィンコリとは「鎖」の意味。

    ここは、サン・ピエトロがつながれていた鎖を祀るために、東ローマ帝国のエウドキシア妃が5世紀に創建した教会なのです。

  • 身廊に入りました。この教会も天井は後からつけられたものなので、身廊の幅に対して、天井がやたら低く感じます。溝のついた立派なドーリア式の柱が左右に10本ずつ並んでいます。果たして、こちらの柱は、どこの邸宅の再利用でしょうか? かなりのハイレベルなものとお見受けいたしましたぞ。<br /><br />天井中央のフレスコ画は、1706年にジョヴァンニ・バッティスタ・パロディによって描かれた「奇跡の鎖」。もう1枚写真を撮ったのですが、ボケているので、中途半端なこちらでご勘弁を!<br /><br />床は、1960年の修復で古いものを覆い尽くす大理石製に取って代わられました。残念・・・

    身廊に入りました。この教会も天井は後からつけられたものなので、身廊の幅に対して、天井がやたら低く感じます。溝のついた立派なドーリア式の柱が左右に10本ずつ並んでいます。果たして、こちらの柱は、どこの邸宅の再利用でしょうか? かなりのハイレベルなものとお見受けいたしましたぞ。

    天井中央のフレスコ画は、1706年にジョヴァンニ・バッティスタ・パロディによって描かれた「奇跡の鎖」。もう1枚写真を撮ったのですが、ボケているので、中途半端なこちらでご勘弁を!

    床は、1960年の修復で古いものを覆い尽くす大理石製に取って代わられました。残念・・・

  • 主祭壇と後陣の遠景です。主祭壇の前が少し低くなっていて、聖遺物である「鎖」が祀られている箱が見えます。

    主祭壇と後陣の遠景です。主祭壇の前が少し低くなっていて、聖遺物である「鎖」が祀られている箱が見えます。

  • メインに行く前に、側廊をまわってみましょう。まずは右側廊。<br /><br />のっけからどなたの記念碑、あるいはお墓なのか分かりませんが、祭壇画に描かれているのはサン・ピエトロ(日本ではペトロかな?)にほぼ間違いないと思われます。。

    メインに行く前に、側廊をまわってみましょう。まずは右側廊。

    のっけからどなたの記念碑、あるいはお墓なのか分かりませんが、祭壇画に描かれているのはサン・ピエトロ(日本ではペトロかな?)にほぼ間違いないと思われます。。

  • 引き続き右側廊です。次に現れたのは、17世紀ボローニャ派を代表する画家ドメニキーノの祭壇画のあるこちらのお墓です。こちらの主人公もサン・ピエトロ。タイトルは「サン・ピエトロの解放」。1581年の作品です。<br /><br />少々見えにくいですが、舞台はエルサレムの牢獄の中です。中央の天使が左下のピエトロに手を差し伸べているのが見えるでしょうか? 天使がピエトロを牢から救い出したのです。

    引き続き右側廊です。次に現れたのは、17世紀ボローニャ派を代表する画家ドメニキーノの祭壇画のあるこちらのお墓です。こちらの主人公もサン・ピエトロ。タイトルは「サン・ピエトロの解放」。1581年の作品です。

    少々見えにくいですが、舞台はエルサレムの牢獄の中です。中央の天使が左下のピエトロに手を差し伸べているのが見えるでしょうか? 天使がピエトロを牢から救い出したのです。

  • そして、早くもメインディッシュの登場です。<br /><br />右側廊奥、サン・マルガリータに捧げられた礼拝堂の手前にあるのが、教皇ユリウス2世(在位 1503年〜1513年)の墓廟。ミケランジェロによる作品です。<br /><br />この墓廟の前には、大きな張り紙がありましたよ。「団体客に説明するために、モーゼ像の前で立ち止まらないこと!」

    そして、早くもメインディッシュの登場です。

    右側廊奥、サン・マルガリータに捧げられた礼拝堂の手前にあるのが、教皇ユリウス2世(在位 1503年〜1513年)の墓廟。ミケランジェロによる作品です。

    この墓廟の前には、大きな張り紙がありましたよ。「団体客に説明するために、モーゼ像の前で立ち止まらないこと!」

  • 堂々とした立派な墓ですが、当初のプランはこの数倍の大きさのもので、この墓のためにミケランジェロは40体近くの像を作ったと言われています。使われなかった彫像(主に奴隷像)は今、パリのルーブルとかフィレンツェのベッキオ宮、アカデミア美術館などにあるそうですよ。<br /><br />ユリウス2世は高い場所で、背後に聖母子、左にシビュラ、右に預言者を従えるというエトルリア風葬祭スタイルで横たわっています。シビュラと預言者については、作者がミケランジェロの弟子ラファエロ・デ・モンテルーポRaffaello da Montelupo作だということが判明しています。

    堂々とした立派な墓ですが、当初のプランはこの数倍の大きさのもので、この墓のためにミケランジェロは40体近くの像を作ったと言われています。使われなかった彫像(主に奴隷像)は今、パリのルーブルとかフィレンツェのベッキオ宮、アカデミア美術館などにあるそうですよ。

    ユリウス2世は高い場所で、背後に聖母子、左にシビュラ、右に預言者を従えるというエトルリア風葬祭スタイルで横たわっています。シビュラと預言者については、作者がミケランジェロの弟子ラファエロ・デ・モンテルーポRaffaello da Montelupo作だということが判明しています。

  • ミケランジェロが自らノミで彫ったのは一体どの像か? という疑問は昔から繰り返し話題になってきましたが、確固たる証拠がない以上、結論は出るわけないですよね。<br /><br />こちらが一番有名なモーゼ像です(制作1513年〜1515年)。モーゼはシナイ山に住む神と会見した後、「十戒」の書かれた石板を携えて下りてきて、今まさに座ったばかりという雰囲気です。

    ミケランジェロが自らノミで彫ったのは一体どの像か? という疑問は昔から繰り返し話題になってきましたが、確固たる証拠がない以上、結論は出るわけないですよね。

    こちらが一番有名なモーゼ像です(制作1513年〜1515年)。モーゼはシナイ山に住む神と会見した後、「十戒」の書かれた石板を携えて下りてきて、今まさに座ったばかりという雰囲気です。

  • モーゼの頭にある「角」については、面白い話を聞きました。これはヘブライ語の「光線」を誤って「角」と誤訳したために起きたことなのだそうです。<br /><br />シナイ山を下りてくるときに、「モーゼの頭には角があった」と訳された文章。実は「モーゼの頭は光輝いていた」だったそうですよ。

    モーゼの頭にある「角」については、面白い話を聞きました。これはヘブライ語の「光線」を誤って「角」と誤訳したために起きたことなのだそうです。

    シナイ山を下りてくるときに、「モーゼの頭には角があった」と訳された文章。実は「モーゼの頭は光輝いていた」だったそうですよ。

  • モーゼの左隣はラケル。右隣はレア。この二人は、アブラハムの孫にあたるイサクの最初の妻(レア)と2番目の妻(ラケル)。ラケルはトランプのクイーンのモデルと言われています。彼女がイサクとの間に産んだヤコブの12人の子供達が、その後のイスラエルの民の先祖となりました。<br /><br />旧約聖書の話は延々と続きますが、「十戒」の映画を見られた方にはイメージがつきやすいと思います。こうした話を聞かずとも、ミケランジェロのモーゼ像の迫力は十分伝わってきますが、背景を知るとなおのこと。今にも立ち上がってこちらに歩いてきそうなモーゼ像。幸い混雑していなかったので、心行くまで味わうことが出来ました。

    モーゼの左隣はラケル。右隣はレア。この二人は、アブラハムの孫にあたるイサクの最初の妻(レア)と2番目の妻(ラケル)。ラケルはトランプのクイーンのモデルと言われています。彼女がイサクとの間に産んだヤコブの12人の子供達が、その後のイスラエルの民の先祖となりました。

    旧約聖書の話は延々と続きますが、「十戒」の映画を見られた方にはイメージがつきやすいと思います。こうした話を聞かずとも、ミケランジェロのモーゼ像の迫力は十分伝わってきますが、背景を知るとなおのこと。今にも立ち上がってこちらに歩いてきそうなモーゼ像。幸い混雑していなかったので、心行くまで味わうことが出来ました。

  • 後陣の壁のフレスコ画は、ヤコポ・コッピ(イル・メッリオ)によって1577年に制作されました。<br /><br />ピエトロがエルサレムの牢獄から解放される場面、エルサレムの司教Juvenalがエウドキシア妃に鎖を見せる場面、そしてエウドキシア妃が教皇レオ1世に鎖を見せる場面などが天井と壁いっぱいに描かれています。

    後陣の壁のフレスコ画は、ヤコポ・コッピ(イル・メッリオ)によって1577年に制作されました。

    ピエトロがエルサレムの牢獄から解放される場面、エルサレムの司教Juvenalがエウドキシア妃に鎖を見せる場面、そしてエウドキシア妃が教皇レオ1世に鎖を見せる場面などが天井と壁いっぱいに描かれています。

  • こちらが、エウドキシア妃が教皇レオ1世に鎖を見せている場面ですね。

    こちらが、エウドキシア妃が教皇レオ1世に鎖を見せている場面ですね。

  • 主祭壇から2段下がったところには、この教会のもう一つの目玉「鎖」が美しい金とガラス製の容器に入って祀られています。<br /><br />それでは「鎖」の奇跡を披露しましょう。<br /><br />ここには、ピエトロが巡礼に行った際につながれたエルサレムのものと彼がローマにあるマメルティヌスの牢獄につながれていた時のものと、二つの鎖があるのですが、この教会を建て、元々あったローマの鎖に、新しくコンスタンチノープルから届けられた鎖を重ねたところ、それらは見事に合体し、1本の鎖になったというのです。5世紀半ばの話です。

    主祭壇から2段下がったところには、この教会のもう一つの目玉「鎖」が美しい金とガラス製の容器に入って祀られています。

    それでは「鎖」の奇跡を披露しましょう。

    ここには、ピエトロが巡礼に行った際につながれたエルサレムのものと彼がローマにあるマメルティヌスの牢獄につながれていた時のものと、二つの鎖があるのですが、この教会を建て、元々あったローマの鎖に、新しくコンスタンチノープルから届けられた鎖を重ねたところ、それらは見事に合体し、1本の鎖になったというのです。5世紀半ばの話です。

  • 「鎖」の左側にはサン・ピエトロ。右には、エルサレムで彼を牢から救い出した天使の像がありました。<br /><br />8月1日の記念日にしか見ることが出来ないと聞いていたのですが、何の記念日でもないこの日も「奇跡の鎖」を見ることが出来ました。<br /><br />モーゼに比べると、観光客の数は少なかったですよ。

    「鎖」の左側にはサン・ピエトロ。右には、エルサレムで彼を牢から救い出した天使の像がありました。

    8月1日の記念日にしか見ることが出来ないと聞いていたのですが、何の記念日でもないこの日も「奇跡の鎖」を見ることが出来ました。

    モーゼに比べると、観光客の数は少なかったですよ。

  • 今度は、左側廊を行きます。<br /><br />まず、こちらは枢機卿オドアルド・ヴェキアレッリOdoardo Vecchiarelliの墓。トンドの中の彼の肖像は、2対の骸骨に守られています。この骸骨の手の動きが実に優雅(!)です。女性の骸骨かしら???

    今度は、左側廊を行きます。

    まず、こちらは枢機卿オドアルド・ヴェキアレッリOdoardo Vecchiarelliの墓。トンドの中の彼の肖像は、2対の骸骨に守られています。この骸骨の手の動きが実に優雅(!)です。女性の骸骨かしら???

  • 床には、メノウ、カルセドニー、ジャスパー、ラピスラズリなどの硬い貴石を組み合わせた細工で仕上げた、ヴェキアレッリ家の紋章がありました。物凄く手が込んでいますね。<br /><br />

    床には、メノウ、カルセドニー、ジャスパー、ラピスラズリなどの硬い貴石を組み合わせた細工で仕上げた、ヴェキアレッリ家の紋章がありました。物凄く手が込んでいますね。

  • 続いての祭壇には、なんと7世紀に作られたビザンチン様式のモザイク・イコンが飾られていました。碑文にはペスト終焉に感謝するために提供云々と書いてあるそうです。なんとこの方、サン・セバスティアーノですって! <br /><br />彼は若者で裸体像という先入観があったので、あれ〜っと思ったのですが、髭もじゃで大礼服を着たおじいさんのセバスティアーノ。最近どこかで見ましたね。<br /><br />そうそう。サン・ジョルジョ・イン・ヴェラーブロ教会の後陣のフレスコ画でした。<br />大ショック2回目です。1回目はこちら!<br /><br />http://4travel.jp/travelogue/11030004<br />

    続いての祭壇には、なんと7世紀に作られたビザンチン様式のモザイク・イコンが飾られていました。碑文にはペスト終焉に感謝するために提供云々と書いてあるそうです。なんとこの方、サン・セバスティアーノですって! 

    彼は若者で裸体像という先入観があったので、あれ〜っと思ったのですが、髭もじゃで大礼服を着たおじいさんのセバスティアーノ。最近どこかで見ましたね。

    そうそう。サン・ジョルジョ・イン・ヴェラーブロ教会の後陣のフレスコ画でした。
    大ショック2回目です。1回目はこちら!

    http://4travel.jp/travelogue/11030004

  • 再び骸骨の登場です。ちょっと漫画チックな骸骨ですよね。ヴェールをつけていて、羽まで生えていますよ。<br /><br />こちらは、枢機卿Cinzio Passeri Aldobrandiniの墓で、「死」を擬人化するとき、ヨーロッパでは、鎌を持つ骸骨(グリム・リーパー)が登場するんですって。こちらは、カルロ・ビッツァチェリの1610年の作品です。<br /><br />

    再び骸骨の登場です。ちょっと漫画チックな骸骨ですよね。ヴェールをつけていて、羽まで生えていますよ。

    こちらは、枢機卿Cinzio Passeri Aldobrandiniの墓で、「死」を擬人化するとき、ヨーロッパでは、鎌を持つ骸骨(グリム・リーパー)が登場するんですって。こちらは、カルロ・ビッツァチェリの1610年の作品です。

  • 左側廊の端には、フィレンツェの芸術家アントニオとピエロのPollaiuolo兄弟の記念碑がありました。<br /><br />上に描かれたフレスコ画は状態があまりよくないですが、ペストの流行中に「お清め」の儀式を行う様が描かれていて、興味深かったです。<br /><br />本当にヨーロッパというところは、繰り返し、繰り返し、ペストに痛めつけられてきたんだということを実感しましたよ。

    左側廊の端には、フィレンツェの芸術家アントニオとピエロのPollaiuolo兄弟の記念碑がありました。

    上に描かれたフレスコ画は状態があまりよくないですが、ペストの流行中に「お清め」の儀式を行う様が描かれていて、興味深かったです。

    本当にヨーロッパというところは、繰り返し、繰り返し、ペストに痛めつけられてきたんだということを実感しましたよ。

  • お終いは、アンドレア・ブルーニョによるレリーフ。西の壁にあったニコラス・デ・クサの墓です。彼は1449年から1464年に亡くなるまで、この教会の枢機卿でした。<br /><br />場面はサン・ピエトロの前のニコラス枢機卿みたいです。右側には、ピエトロを助けた天使の姿もありますね。<br /><br />レリーフの下にあった、枢機卿の紋章はなんとロブスターでした! 派手〜!

    お終いは、アンドレア・ブルーニョによるレリーフ。西の壁にあったニコラス・デ・クサの墓です。彼は1449年から1464年に亡くなるまで、この教会の枢機卿でした。

    場面はサン・ピエトロの前のニコラス枢機卿みたいです。右側には、ピエトロを助けた天使の姿もありますね。

    レリーフの下にあった、枢機卿の紋章はなんとロブスターでした! 派手〜!

  • サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会前の広場に出てきました。中央よりやや右寄りにも新たな塔発見です。こちらは、Rettoria San Francesco di Paola ai Montiという教会の鐘楼でした。<br /><br />町の至る所で、教会と塔にぶつかります。そのうちに慣れて、珍しくもなんともなくなるのでしょうが、今のところはまだ全てに対し、好奇心旺盛です。

    サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会前の広場に出てきました。中央よりやや右寄りにも新たな塔発見です。こちらは、Rettoria San Francesco di Paola ai Montiという教会の鐘楼でした。

    町の至る所で、教会と塔にぶつかります。そのうちに慣れて、珍しくもなんともなくなるのでしょうが、今のところはまだ全てに対し、好奇心旺盛です。

  • 次の目的地に向かいます。<br /><br />元来た道セッテ・サーレ通りを引き返します。先ほど階段を上った辺りの地名を「アヘンの丘(山)」と言うと書きましたが、この通りをさらに進むと、前方に見えてくる緑のある場所が、「コッレ・オッピオ公園」日本語で言うと「アヘンの丘公園」です。

    次の目的地に向かいます。

    元来た道セッテ・サーレ通りを引き返します。先ほど階段を上った辺りの地名を「アヘンの丘(山)」と言うと書きましたが、この通りをさらに進むと、前方に見えてくる緑のある場所が、「コッレ・オッピオ公園」日本語で言うと「アヘンの丘公園」です。

  • 公園にはすぐに入れたのですが、公園内にアフリカ系と思われるホームレスの方が数十人たむろしていたので、ぐるりと大回りして、人通りの多い入り口から公園に入りました。

    公園にはすぐに入れたのですが、公園内にアフリカ系と思われるホームレスの方が数十人たむろしていたので、ぐるりと大回りして、人通りの多い入り口から公園に入りました。

  • 今朝、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリに行く途中で見たアルチオーネ・カポッチの塔の資材調達場所となったトラヤヌスの浴場は、この公園の中にありました。<br /><br />今回は行きませんでしたが、公園の南側には、広大な浴場跡が残っています。

    今朝、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリに行く途中で見たアルチオーネ・カポッチの塔の資材調達場所となったトラヤヌスの浴場は、この公園の中にありました。

    今回は行きませんでしたが、公園の南側には、広大な浴場跡が残っています。

  • 地図で見ると、これが皇帝ネロの黄金宮殿Domus Aureaのはずなのですが、入り口が見つけられませんでした。<br /><br />黄金宮殿は、皇帝ネロ(在位54〜68年)の贅の限りを尽くした住まいで、発掘された部分だけでも150室あるそうです。大部分はこの地下に埋まっていて、公園から染み込む雨水のためにたびたび崩落が起こり、抜本的改修工事のため、長い間閉鎖されていました。<br /><br />

    地図で見ると、これが皇帝ネロの黄金宮殿Domus Aureaのはずなのですが、入り口が見つけられませんでした。

    黄金宮殿は、皇帝ネロ(在位54〜68年)の贅の限りを尽くした住まいで、発掘された部分だけでも150室あるそうです。大部分はこの地下に埋まっていて、公園から染み込む雨水のためにたびたび崩落が起こり、抜本的改修工事のため、長い間閉鎖されていました。

  • 2014年秋から、土日のみ完全予約制で見学を受け付けていると聞いています。今日は土曜日ですが、予約していないので、入場は絶望的なはずですが、とりあえず、外観だけでもちらっと見たかったのです。しかし、結局公園側には入り口はありませんでした。<br /><br />今回の街歩きの計画からは外れていたんですが、一番後ろ髪を引かれる思いでした。

    2014年秋から、土日のみ完全予約制で見学を受け付けていると聞いています。今日は土曜日ですが、予約していないので、入場は絶望的なはずですが、とりあえず、外観だけでもちらっと見たかったのです。しかし、結局公園側には入り口はありませんでした。

    今回の街歩きの計画からは外れていたんですが、一番後ろ髪を引かれる思いでした。

  • アヘンの丘公園を出ると、目の前にはコロッセオが迫っていました。駐車場に大型バスが増え、急に観光客の姿が目立つようになります。

    アヘンの丘公園を出ると、目の前にはコロッセオが迫っていました。駐車場に大型バスが増え、急に観光客の姿が目立つようになります。

  • 私の記憶より、ずっときれいだと思っていたら、コロッセオは現在修復工事中でした。私の訪れた時期、本当にあらゆる観光名所で修復工事が行われていました。コロッセオについては、2014年12月から工事が始まり、工事終了は2015年半ばを予定と書いてありますから、今頃はきっと美しい姿を見せていることでしょう。

    私の記憶より、ずっときれいだと思っていたら、コロッセオは現在修復工事中でした。私の訪れた時期、本当にあらゆる観光名所で修復工事が行われていました。コロッセオについては、2014年12月から工事が始まり、工事終了は2015年半ばを予定と書いてありますから、今頃はきっと美しい姿を見せていることでしょう。

  • アヘンの丘公園の樹木の茂みを利用して、なるべく工事用のシートが入らないように撮った1枚ですが、一部見えちゃてます!

    アヘンの丘公園の樹木の茂みを利用して、なるべく工事用のシートが入らないように撮った1枚ですが、一部見えちゃてます!

  • でも最後にがっかりコロッセオ見せちゃいます。自分が行ったときにこの姿見たくないですよね。<br /><br />まあこれはこれで、記念としますか・・・

    でも最後にがっかりコロッセオ見せちゃいます。自分が行ったときにこの姿見たくないですよね。

    まあこれはこれで、記念としますか・・・

  • コロッセオを横目に見ながら、アヘンの丘公園の門の前を通り過ぎ、ニコーラ・セルヴィ通りを更に東へ。

    コロッセオを横目に見ながら、アヘンの丘公園の門の前を通り過ぎ、ニコーラ・セルヴィ通りを更に東へ。

  • コロッセオ広場を渡るとすぐに見えてきたのがルドゥス・マグヌスです。剣闘士養成所の中でも最大規模を誇る学校として、ドミティアヌス帝(在位81年〜96年)時代に、エスクイリーノの丘とチェリオの丘の谷間に建てられました。<br />

    コロッセオ広場を渡るとすぐに見えてきたのがルドゥス・マグヌスです。剣闘士養成所の中でも最大規模を誇る学校として、ドミティアヌス帝(在位81年〜96年)時代に、エスクイリーノの丘とチェリオの丘の谷間に建てられました。

  • 今見えているのは、トラヤヌス帝(在位98年〜117年)時代に建て直されたものです。ご覧の通り、コロッセオからは目と鼻の先なので、双方を結ぶ地下通路も完備されていました。<br /><br />ルドゥス・マグヌスの存在は1562年には知られていましたが、本格的な発掘が始まったのは1937年のこと。

    今見えているのは、トラヤヌス帝(在位98年〜117年)時代に建て直されたものです。ご覧の通り、コロッセオからは目と鼻の先なので、双方を結ぶ地下通路も完備されていました。

    ルドゥス・マグヌスの存在は1562年には知られていましたが、本格的な発掘が始まったのは1937年のこと。

  • 敷地の真ん中には練習用の楕円形のアリーナがありました。発掘されたのは楕円の半分のみで、もう半分は、向かい側に見える建物の下に埋まっているようです。

    敷地の真ん中には練習用の楕円形のアリーナがありました。発掘されたのは楕円の半分のみで、もう半分は、向かい側に見える建物の下に埋まっているようです。

  • この図が分かりやすいかなあ。<br />楕円形を横切る通りがサン・ジョヴァンニ通りvia di san giovanni。上の写真で見えている通りです。<br /><br />発掘が終了した部分は、図のサン・ジョヴァンニ通りより下の部分ということになります。

    この図が分かりやすいかなあ。
    楕円形を横切る通りがサン・ジョヴァンニ通りvia di san giovanni。上の写真で見えている通りです。

    発掘が終了した部分は、図のサン・ジョヴァンニ通りより下の部分ということになります。

  • ルドゥス・マグヌスは、コロッセオにおける闘技会が5世紀に非合法化されるにつれ、徐々に使用されなくなり、建物は打ち捨てられ、一部の敷地は墓地となりました。そして6世紀半ばまでに、教会が沢山建てられた一方、剣闘士学校のことは人々の記憶から消えていきました。<br /><br />この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その12 ローマ サン・クレメンテ・アル・ラテラーノで。

    ルドゥス・マグヌスは、コロッセオにおける闘技会が5世紀に非合法化されるにつれ、徐々に使用されなくなり、建物は打ち捨てられ、一部の敷地は墓地となりました。そして6世紀半ばまでに、教会が沢山建てられた一方、剣闘士学校のことは人々の記憶から消えていきました。

    この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その12 ローマ サン・クレメンテ・アル・ラテラーノで。

  • 参考のため、ホテルからルドゥス・マグヌスまでの地図を添付します。

    参考のため、ホテルからルドゥス・マグヌスまでの地図を添付します。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • duc teruさん 2017/09/18 18:59:30
    ご訪問ご投票ありがとうございました
    junemayさん

    お礼に参上しました。お立ち寄り頂いた愚作に比して、

    貴記の素晴らしいこと、素敵な写真と、詳細な解説、大変参考になりました。

    教会シリーズ、大作ですね、1か月に及ぶ旅も大変ですが、この旅行記そのものもお見事ですね、感服いたしました。

    なかなか見切れませんが、おいおい楽しみながら、お邪魔させていただきます。

    実はこの12,1月はパリでの滞在すがその次は、秋のローマを堪能したいと密かに企てております、老人故馴染んだところばかり巡り歩いておりますが、それでも旅はいいものですね、

    貴方も良い旅をお続けください、合掌!

    duc teru

    junemay

    junemayさん からの返信 2017/09/18 23:52:15
    RE: ご訪問ご投票ありがとうございました
    duc teruさん こんばんは

    こちらこそ、いつも楽しませていただいております。ありがとうございます。パリの1か月羨ましいです。パリには過去4度ほど出かけましたが、行くたびにいつも同じところをグルグルで、町の全容が殆どつかめずにおります。もう数年したら、スーツケースを持った移動中心の旅をやめて1か所定住型の旅に切り替えようかと考えております。そうしたら、真っ先に行きたいのがローマ、そしてパリです。

    この冬もパリに行かれるのですね。冬のパリは寂しくないですか? 知り合いのフランス人が、冬のパリには太陽がない。太陽が恋しくて恋しくて、それで2月の「フェト ド シャンドルー」というお祭りの日に大きなクレープを焼いて、それを太陽に見立てて春の訪れを待つんだよ と話しているのを聞いたことがあります。

    遅筆ゆえ、スローペースの更新となりますが、またのおいでをお待ちしております。duc teruさんの旅行記も楽しみにしていますよ。

    junemay


    > junemayさん
    >
    > お礼に参上しました。お立ち寄り頂いた愚作に比して、
    >
    > 貴記の素晴らしいこと、素敵な写真と、詳細な解説、大変参考になりました。
    >
    > 教会シリーズ、大作ですね、1か月に及ぶ旅も大変ですが、この旅行記そのものもお見事ですね、感服いたしました。
    >
    > なかなか見切れませんが、おいおい楽しみながら、お邪魔させていただきます。
    >
    > 実はこの12,1月はパリでの滞在すがその次は、秋のローマを堪能したいと密かに企てております、老人故馴染んだところばかり巡り歩いておりますが、それでも旅はいいものですね、
    >
    > 貴方も良い旅をお続けください、合掌!
    >
    > duc teru

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