2015/05/09 - 2015/05/09
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
今日は午前中の予定を順調にこなすことが出来ました。これからサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ広場まで行って、そこからバスでアッピア街道を目指します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
サンティ・クワットロ・コロナーティ聖堂前の通りをしばらく進むと、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ広場に出ます。この建物は、広場の手前にあったサン・ジョヴァンニ病院付属の教会だったかな?
時刻はちょうどお昼頃。そろそろ、一息つきたい時間です。 -
上の写真の教会でも、見事な「ザ・寄せ集め」の列柱を楽しんでしまいました。寸足らずの柱もちゃんと他の柱を付け足して使っています。倒壊の恐れはないのかなあ? イタリアは地震国と聞いていますが、ローマでは少ないのかしら??
-
サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ広場に到着です。ひときわ目立つこのオベリスクは古代エジプト産で、「立っている」オベリスクの中では32mと世界一の高さを誇ります。重さはなんと455トンだそうです。
正面に見える建物はラテラーノ宮。 4世紀からアヴィニョン捕囚で教皇庁がアヴィニヨンに移転する1309年までの約1000年もの間、ここはローマ教皇の邸宅として使われていました。
その横にある二つのとんがり屋根がついた建物は、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂の祝福のファサードと呼ばれ、大聖堂の右翼廊に当たります。 -
祝福のファサードの脇にある古ぼけた八角形の建物は、ローマでも最古と言われるラテラーノ洗礼堂です。皇帝コンスタンティヌス1世により建てられ、5世紀初めに教皇シクストゥス3世によって建て替えられたと伝わるこちらの洗礼堂にも、「生命の樹」のモザイクが残っていると聞いていたのですが、今回は時間の関係で泣く泣くパス・・・
また来るっきゃないですねえ。 -
さて、オベリスクに戻りましょう。元々はエジプトカルナックのアメン神殿にあったもので、4世紀初めに船でテオドシウスのオベリスク(今コンスタンチノープル 現在のイスタンブールにあります)と一緒にアレキサンドリアに運ばれました。
時の皇帝コンスタンティヌス1世は、当初2本とも新しいローマ帝国の首都となるコンスタンティノープルに運ばせる予定だったようですが、実施前に亡くなってしまいました。引き継いだ息子のコンスタンティヌス2世は、何故かこちらの1本をローマに運ばせ、357年、あのチルコマッシモの中心スピーナに立たせました。 -
その時に、スピーナにもうすでに立っていたのが、現在フラミニオと呼ばれているオベリスクでした。フラミニオのオベリスクは、紀元前10年に皇帝アウグストゥスがやはりエジプトから運ばせたものです。
ローマ帝国の崩壊とともに2本のオベリスクは忘れ去られ、土の中に埋もれたままになっていましたが、教皇シクストゥス5世によって1587年に7mの地中から掘り起こされました。写真のラテラーノのオベリスクは3つに折れてしまっていましたが、ドメニコ・フォンターナの修復を経て(オリジナルより約4m短くなったそうです)、1588年、てっぺんに十字架をつけられ、こちらの広場に立てられました。この同じ場所には、1538年まで現在カピトリーノの丘のカンピドリオ広場にある第16代ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの騎馬像が立っていたのだそうです。
そしてもう1本のフラミニオのオベリスクは、市の北ポポロ広場の中心に立てられたのです。
台座には、エジプトの歴史、アレキサンドリアからローマへの輸送経緯とともにコンスタンティヌス1世の洗礼に関する碑文が書かれています。 -
イチオシ
ピンク色っぽい花崗岩でできた実に美しいオベリスクですね。
2000年以上たっているとは思えないほどくっきりとしたヒエログリフの文字が一つ一つ、ローマの青空を背景に浮かび上がりました。鉄を知らなかった古代エジプト人が銅と青銅の道具だけで、どうやってかくも精巧に、かつシャープに彫ったのでしょうね。 -
祝福のファサードは1586年にドメニコ・フォンターナにより設計されました。建物は2階建てで、大きな5つのアーチが特徴的です。
壁の柱は1階はドーリア式、2階はイオニア式で、2階部分のアーチの上には、「1536年 教皇シクストゥス5世は祝福のためにこれを建てる」と書かれた碑文が読み取れます。
ロッジアの上の2つ並んだロマネスク様式の鐘楼にはちょっとびっくり! とんがった屋根とその上についた丸いボールが、これまで見たローマの教会の鐘楼と余りにもかけ離れていたせいです。 -
ここで、午後の活動に備えて、広場の反対側にあったカフェでクイックランチ。またしても、食べ終わってから写真を撮っていないことに気づきました。
つまり・・・写真を撮るほどのものは食べていないということです。 -
食後、カフェのあるドメニコ・フォンターナ通りに沿って、ローマの城壁が伸びているのに気が付きました。この辺りもアウレリアヌス城壁の一部なのでしょうか?
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食後だめもとで向かったのは、スカラ・サンタ(聖なる階段)。ラテラーノ宮殿から見て広場を隔てて北東に位置する建物です。
ご覧の通りまだ人の出入りがあったので、昼休みに入っていて見られないと踏んでいた私にとってはラッキーでした。大急ぎで列の後ろに並びます。 -
この建物は、コンスタンティヌスの時代から教皇がアヴィニョンに移る1313年までの間、教皇のプライベートな礼拝堂でした。
階段は元々エルサレムのピラト総督の宮殿にあり、キリストも彼の受難の前にここを上ったとされています。またしても、この階段をローマに運んだのは、コンスタンティヌス1世の母、サンタ・ヘレナであるという「伝説」があります。勿論証拠は何もありませんが、反証材料もありません。
スカラ・サンタは入り口部分から素晴らしいフレスコ画で覆われています。ヴォールト天井には、プロスペーロ・オルシ作の「4人の福音記者」、そして向かって右側の壁には、チェザーレ・ネッビア作の「足を洗う」をそれぞれ見ることが出来ました。 -
28段の大理石の階段は、現在木枠で保護されていますが、その数か所に「染み」があるのだそうです。そう、かつてキリストがこの階段を上った時に流した血の滴だというのです。
実際に見ていないので、何とも言えませんが、その部分はガラスパネルに覆われていて、階段を上る人は見ることが出来るのだそうです。 -
スカラ・サンタの最上段(2階)の踊場前にある磔のフレスコ画です。こちらもネッビアの作品。
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巡礼者たちは、この階段を膝だけを使って上ります。建物内には、「膝で上る人のみ」という注意書きのボードが置いてありました。
膝だけで上れず、途中で棄権したのは、あの有名な宗教改革の創始者マルティン・ルターだけだったという逸話が残っています。彼がまだ聖アウグスチノ修道会の修道士だったころの話だそうです。
写真左側は、半分欠けてしまいましたが、ネッビアとアンジェロ・ダ・オアルヴィエト合作の「最後の晩餐」のフレスコ画です。 -
こちらは、スカラ・サンタ脇にあったイグナツィオ・ジャコメッティ作の「キリストとピラト」です。
反対側の右側に、キリストに接吻するユダ像があったのですが、なぜか写真が見当たりませんでした。 -
スカラ・サンタの左側には一般人、膝で上れない人のための階段があります。私も膝だけで上る自信はないので、ソスノウスキ作のピエタ像脇をゆっくりと上っていきましょう。
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一般人用の階段の両脇には、創世記をモチーフとしたフレスコ画が描かれていましたが、今考えれば、あまり注意を払わなかった気がします。
構造的には、お隣の階段と同じだと思いますが、かなりの角度のある階段です。これを膝だけで上るのは余程の信仰心がないと、心がくじけそうです。 -
こちらが、Sancta Sanctorum。教皇のプライベートな礼拝堂です。現在で言えば、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂がそれに当たりますね。
8世紀のオリジナルの構造は変えずに、1279年に教皇ニコラス3世(在位 1277年 〜1280年)が建て替えたものです。素晴らしいコズマーティの床! 祭壇前の壁には「ここより聖なる場所はない」Non est in toto sanctior orbe locusと書かれています。
身廊の四方の壁の下半分は大理石のスラブで覆われていて、その上には、ねじれた柱で仕切られた7つずつのアーチが並んでいます。アーチの間には、聖人達のフレスコ画を見ることが出来ます。窓のある2か所を除き、全部で26人。絵は13世紀の作と言われていますが、最近修復したそうで、昨日描かれたかのように色鮮やかです。 -
アーチの上にある大きな2枚のフレスコ画は、左がサン・ピエトロ、サン・パオロから礼拝堂を授与される教皇ニコラス5世(在位 1447年〜1455年)。右がキリスト像です。
祭壇に置かれているのは、「人の手によるものではない」とされる見事な浮彫のあるキリストのイコン。5世紀半ばの物とされていますが、こちらも確証はありません。
この時、非情にも係の人が入ってきて、見学者を追い出しにかかりました。どうやら見学は13時までだったようで、ああ〜まだ途中なのに〜 と思いながらも、暴れるにはちょっと勇気のいる場所だったので、逆らうことが出来ませんでした。 -
大急ぎで、他の部屋のフレスコ画を写しましたが、手元に残っているのは、この3枚だけ。
普通の階段の最上段の前にあったこちらは、「イサクの犠牲」。アブラハムに待望の男の子イサクが誕生しましたが、その子を山で焼いて我に捧げよと神に命じられた後の、アブラハムの激しい葛藤を描いた場面です。こちらは、創世記シリーズの1枚です。 -
もっと古い創世記ものがありました。こちらは、「イヴの創造」です。アダムが寝ている間に、彼の肋骨から作られたというのは有名なお話ですね。
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こちらは、確かではないのですが、多分「キリストの復活」(ステッラとブリル合作)。スカラ・サンタ最上段の右横にあった絵です。
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1階に追い立てられて、最後に撮ったスカラ・サンタの写真です。階段の入り口は閉鎖されていましたが、流石に膝で上っている最中の巡礼者については、上りきるまで待ってあげているようでした。
階上右の方に、怖〜い係の人が見えますでしょうか? -
スカラ・サンタを出て、アッピア街道に向かうバス停を探して歩きます。これがなかなか大変。
サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ広場にはたくさんのバス停があるのですが、案内図があるわけでなく、道行く人にバスの番号を告げて訊いても、殆どの人は自分の行く場所以外のバスのことなんて知りませんよね。観光客に尋ねても仕方がないので、停まっていたバスの運転手さん何人かにしつこく訊いて、ようやく方向がわかりました。
サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂の正面ファサードを横目に見ながら・・・ -
スカラ・サンタのある建物の裏の方に回ります。
あらら ここにも妙な建物があります。
こちらは、トリクリニウム・レオニヌムTriclinium Leoninum 。トリクリニウムとは古代ローマにおける建物内の正式なダイニングルームという意味だそうです。
レオニヌムはここでは教皇レオ3世(在位 795年〜816年)を指すので、「レオ3世のダイニングルーム」という意味になります。1743年に作られたこのモニュメントは、8世紀に彼が建てた宮殿内のダイニングルーム内の後陣とそこにあったモザイクをそっくり複製したものだと言われています。建物は、サンタ・マリア・マッジョーレのファサードを制作した大建築家のフェルディナンド・フーガ、モザイクはピエル・レオネ・ゲッツィPier Leone Ghezziの作です。
後陣のモザイクは、「平和をあなたに」と書かれた本を持つキリストと11人の使徒(なぜ12人ではないのかな?)。勝利の門については、左側は(複製建築当時すでに崩れ落ちていたので、オリジナルではない可能性大だそう)キリストがサン・ピエトロに鍵を授ける場面。右側は、サン・ピエトロがレオ3世に祭壇布を授ける場面が描かれています。
8世紀のダイニングルームは、当時の建築を知る上で貴重な資料だったのでしょうが、このような形で複製を残すというのがどういう意味を持つのか? なぜ屋外なのか? 正直よくわかりませんでした。 -
そうこうしているうちに、ようやく目指すバス停を見つけました。218番のバスは、ポルタ・サン・ジョヴァンニンからアルデアテイーナ行き。途中古いアッピア街道を走るバスです。
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バス停の位置は、この写真がよくわかると思います。サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ広場からはたっぷり5分以上かかる場所にありました。大聖堂の正面ファサードがこのように見える場所です。
時間の都合上、大聖堂の見学はアッピア街道からの帰りにしました。 -
1時間に2本の割合で走っている218番のバスに乗り込むと、すぐに城壁が見えてきます。車中からの写真なので、ブレブレです。
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バスはずっと城壁沿いに走ります。
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アウレリアヌス城壁 271年から275年にかけて作られた城壁です。厚さは平均で3.5m、高さは8mあり、100ローマンフィート (29.6m) ごとにこのような塔が見られます。
城壁は煉瓦造りに見えますが、実はコンクリートの芯を煉瓦で覆っているのです。現代のコンクリートは40年で中性化すると言われていますが、ローマ人のコンクリートは強度が数千年保たれるという優れものです。 -
見えてきた門が、サン・セバスティアーノ門。アウレリアヌス城壁にある19の門のうち最も大きく、保存状態も良いそうです。
サン・セバスティアーノ門は、アジア、地中海諸国からローマに入る玄関口でした。 -
現在、門の2階は、博物館になっています。昨日訪れたピラミデ近くにあったサン・パオロ門はオスティア街道の始点となっていて、オスティア博物館が併設されていましたが、こちらのサン・セバスティアーノ門にも3世紀のアウレリアヌスの時代の街の要塞の歴史を展示している博物館がありました。
この門からバスはアッピア街道に入ります。 -
アッピア街道 正確にはアッピア・アンティカ通りが三又に分かれる場所でバスを降りました。サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノから15分はかからなかったと思います。
こちらが、乗ってきたバス218番ですよ。 -
アッピア街道は道が狭く、車はかなりの速度を出して通行するので、道を歩くときは要注意です。何もかもが珍しいので、目に付いたもの片っ端からシャッターを押しています。
一見古そうに見えるでしょう? -
まずは、こちらの小さな教会ドミネ・クォ・ヴァディス?に寄りましょう。なぜ?がついているのかというと、ドミネ・クォ・ヴァディス?とは日本語に訳すと「主よ、何処へ?」という疑問形だからです。正式な名前はサンタ・マリア・デッレ・ピアンテSanta Maria delle Pianteと言いますが、誰もそうは呼びません。いつの間にかニックネームが世界中で有名になってしまいました。
このニックネームについては、ご存じない方もいらっしゃるかもしれませんので、ちょっと紹介しちゃいます。
キリスト教徒への迫害が盛んだったローマから逃げ出してきたサン・ピエトロは、この辺りでキリストに出逢ったのです。
彼は尋ねました。「主よ 何処へ?」
キリストは答えました。「ローマへ。もう一度十字架にかかる為に。」
この言葉によって、サン・ピエトロは迫害の恐怖を乗り越え、虐殺者たちに立ち向かうために、道を引き返したのです。 -
バスを降りたところから左の道がアッピア・アンティカ通り。中央の門に続く道は、サン・カッリストのカタコンブに続く道(歩行者専用)。そして右側の道はアルデアティーナ通りです。218番のバスは、この先アルデアティーナ通りを進みます。もう1系統のバス チルコマッシモ付近から出ている118番のバスは、このままアッピア・アンティカ通りを行きます。
アッピア・アンティカ通りはこの先さらに細くなり、終いには一方通行になります。118番、218番ともバスのルートは行きと帰りで異なりますので、ご注意ください。 -
「クオ・ヴァディス」はポーランドの作家ヘンリク・シェンキェヴィチの小説ですが、今では史実のように語られることが多いようです。アッピア街道とアルデアティーナ街道の分かれ道という地理的な条件も、物語の舞台としてぴったりですね。
古くは、ローマの神の一人で、帰還を司るレディクルスRediculusを祀った寺院が教会の正面にあり、旅人達は、この神に「道中の無事」を祈ったり、「無事帰還」を感謝したりしていたとのこと。
その寺院が教会に変身したのかどうかについては、何の手がかりも残っていません。こちらの教会に関する最古の記録は9世紀の文献で、そこには「主が現れた場所」と表現されているそうです。
では、教会の中に入ってみましょう。内部は驚くほど小さく一廊式で、左右のアーチは3つのみ。身廊は白と明るい灰色の2色でまとめられています。 -
15世紀の聖母子の祭壇画がある祭壇には、たくさんの鉢植えが並べられていて、なんだか普段着の教会という雰囲気です。
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祭壇上の半月形部分には、前述の有名な物語から取った場面が描かれています。前述のヘンリク・シェンキェヴィチが「クオ・ヴァディス?」を書いたのは1895年のことですが、この絵が小説の後で描かれたのかどうかについては、はっきりしませんでした。
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左右の壁のフレスコ画や額縁に入った絵については、特筆するものはあまりないようです。
ただ、静かで明るく、よそよそしさが全くないこの雰囲気は心地よいものでした。 -
左壁にあった、天国の鍵をしっかり抱えたサン・ピエトロのフレスコ画。下には「主よ 何処へ」と書かれています。
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相対する右壁には、キリスト。「ローマへ。もう一度十字架にかかる為に。」
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聖域の左右の壁に相対する2枚も、ピエトロとキリストです。
こちらは、サン・ピエトロの磔図。キリストに会った後、彼はローマに戻り宣教活動を行いますが、皇帝ネロの迫害を受け、殉教したとされます。自分がキリストと同じやり方で処刑されるに値しないとして、自らこの方法を望んだと言われています。 -
そして、こちらがキリストの磔図。
ここまでやられると、多少食傷気味になってしまいますねえ・・・ -
この教会で、もう一つ特筆すべきものがあるとすれば、こちらの仏足ならぬ「キリスト足」です。入り口に近い床の上にありました。但しこちらは複製で、本物はこの教会の先1kmのところにあるサン・セバスティアーノ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂にあるそうです。
キリストが残したとされる足型は、大理石板の上に残されていて、伝説によれば、サン・ピエトロがキリストと会った後に奇跡的に現れたとされています。 -
以前はこの上に自由に乗ることが出来たそうですが、それにより周りの碑文を損傷してしまったため、現在は鉄の棒で保護されています。
専門家の間では、これは単なるローマ帝国時代の神への奉納品だという見方が有力です。多分そうなのでしょう。
しかし、仏足を見慣れている私たちからすると、妙に親しみ感じるんですよね。この足型。キリストも偏平足だったんだ・・・な〜んちゃって! -
さあ、では、アッピア街道を歩いて・・・と思ったのですが、あまりの交通量の多さにちょっとびっくり!
先ほど買ったバスの切符がまだ使えるので、おとなしくバスで行くことにして、バス停まで戻りました。 -
門のある真ん中の道は、ここからだとそうは見えませんが、次第に寂しい山道になり、女性が一人で歩くには寂しいと「地球の〇き方」に書かれていたのでパス。城壁外のこの辺りにはカタコンブが大小合わせて30ほどあるそうですが、その中でも最大の大きさと言われるのがサン・カッリストのカタコンブ。
一昨日訪れたトラステヴェレのサンタ・チェチリアの墓もここにあったとのこと。興味はあるのですが、カタコンブのハシゴをする気にもなれず、今回はサン・セバスティアーノ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂のカタコンブを目指すことにしました。
颯爽とチャリを飛ばすおじちゃま。車に気を付けてね! -
途中見かけた案内板。左がチェントロ。右がアッピア街道、チェチリア・メテッラの墓、サン・セバスティアーノのカタコンブと書かれています。
-
イチオシ
ナゾーネ君は、今日も元気よく、惜しげもなく、水を吐き出していました。石畳とナゾーネの組み合わせ、ぞくぞくするほどローマです!
-
バス停付近にあった、砦のような家?
搭の先端の家屋は新しそうですが、下の方はどう見ても遺跡です。 -
対面にあったのも古そうな邸宅。右手に自転車のマークの看板が出ているのがわかりますか? こちらがアッピア街道のインフォメーションになっていました。親切なお兄さんが、見どころを説明してくれますよ。
あっ 118番のバスがやってきましたよ。 -
停留所二つ分ですから、あっという間にサン・セバスティアーノ・フォーリ・レ・ムーラ(城壁外の聖セバスチャン聖堂)に到着です。バスを下りたところには、このような十字のついたモニュメントのある駐車場になっていました。
-
観光客は聖堂よりカタコンブがお目当てのようです。なにせ、カタコンブという言葉の起原は、ここサン・セバスティアーノ聖堂から生まれたとされているのです。元々はギリシャ語で、「空洞に近い状態」という意味だそうです。今では全世界共通で地下墓地を指す言葉となりました。
長くなりましたので、この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その15 ローマ アッピア街道(2)で。
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この旅行記へのコメント (4)
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- とし坊さん 2015/08/13 15:07:06
- 歩いてみたいですね
- こんちは 行動的なjunemayさん素晴らしいですね
今度ローマに行けたならば ぜひこの足で歩いてきたいですね
この日記を参考に計画立てますね(^O^)
- junemayさん からの返信 2015/08/13 15:49:56
- RE: 歩いてみたいですね
- とし坊さま
私の拙い旅行記にいつも訪問いただき、ありがとうございます。
ガイドブックすらなかった昔と異なり、今はインターネットで路線バスの時刻表まで事前に調べられる時代となり、勝手気ままに旅を楽しめるようになってきました。
ローマで会ったアメリカ人の素敵なご夫婦に、「1週間滞在予定だけれど、全然足りない」と申し上げたら、
「僕たちも、以前1週間で全く足りなかったので、今回は郊外にアパートを借りて、1か月滞在しているんだよ」ですって。
羨ましい〜!
是非、自分の思うまま欲するがまま、ローマの町をお楽しみください。
今後ともよろしくお願いいたします。
> こんちは 行動的なjunemayさん素晴らしいですね
>
> 今度ローマに行けたならば ぜひこの足で歩いてきたいですね
>
> この日記を参考に計画立てますね(^O^)
-
- めておら☆さん 2015/08/13 09:36:35
- アッピア街道すてき!
- junmayさん、こんにちは、めておら☆と申します。
アッピア街道、私も以前から行きたくてウズウズしてるので
すが、アクセス悪そうで毎回先送りになってました。
でも・・・やっぱりイイですね♪
参考にさせていただき、次は是非この足で歩いてみたいな。
めておら☆
- junemayさん からの返信 2015/08/13 15:56:33
- RE: アッピア街道すてき!
- めておら☆さん
ご訪問ありがとうございます。夏休みでしょうか?
アッピア街道も、私の場合は、ほんのさわりだけです。せめて1日時間がとれればもう少し内容の濃いたびになったでしょうが、私のようにあっちもこっちもと欲張りな人間の場合、どうしてもつまみ食い程度で終わってしまいます。
同じ頃の貴女の旅行記、最後のローマを除いては拝見させていただきました。今回もいつもに増して素晴らしいですよ。最期のローマの部分は私の行ったところとかぶる部分がありそうなので、ローマ滞在を書き終わってからの楽しみにとっておきます。
今回の旅行の計画にも、めておら☆さんの過去の旅行記が大変役に立ちました。改めてお礼を申し上げます。また、お暇なときにお寄りください。
junemay
> junmayさん、こんにちは、めておら☆と申します。
>
> アッピア街道、私も以前から行きたくてウズウズしてるので
> すが、アクセス悪そうで毎回先送りになってました。
> でも・・・やっぱりイイですね♪
> 参考にさせていただき、次は是非この足で歩いてみたいな。
>
> めておら☆
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