ローマ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。<br /><br />まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。<br /><br />イタリアには過去3度行ったことがあります。<br />最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。<br />2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。<br />3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。<br /><br />今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。<br /><br />イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。<br /><br />2015/5/6	水	成田→モスクワ→ローマ<br />2015/5/7	木	ローマ<br />2015/5/8	金	ローマ→ティヴォリ→ローマ<br />2015/5/9	土	ローマ<br />2015/5/10	日	ローマ<br />2015/5/11	月	ローマ<br />2015/5/12	火	ローマ<br />2015/5/13	水	ローマ→ナポリ<br />2015/5/14	木	ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ<br />2015/5/15	金	ナポリ<br />2015/5/16	土	ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ<br />2015/5/17	日	ナポリ→バーリ<br />2015/5/18	月	バーリ→マテーラ→バーリ<br />2015/5/19	火	バーリ→レッチェ→バーリ<br />2015/5/20	水	バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ<br />2015/5/21	木	バーリ→アンコーナ→フォリーニョ<br />2015/5/22	金	フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ<br />2015/5/23	土	フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ<br />2015/5/24	日	フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ<br />2015/5/25	月	フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト<br />2015/5/26	火	オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト<br />2015/5/27	水	オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト<br />2015/5/28	木	オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ<br />2015/5/29	金	ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ<br />2015/5/30	土	ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ<br />2015/5/31	日	ボローニャ<br />2015/6/1	月	ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/2	火	ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/3	水	ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/4	木	ヴィチェンツァ<br />2015/6/5	金	ヴィチェンツァ→ミラノ<br />2015/6/6	土	ミラノ<br />2015/6/7	日	ミラノ<br />2015/6/8	月	ミラノ→モスクワ→<br />2015/6/9	火	→成田<br /><br />前回「不思議な外観」と書いたクワットロ・コロナーティ教会にやってきました。窓が少なく、鐘楼というよりは見張り塔を備えた、要塞の様な建物です。正面はともかく、裏の方は、初め「お化け屋敷」かと思ったほど。ここも今回の旅で外せない目的地の一つだったのですが、外観については、全く不勉強だったことを思い知らされました。

イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その13 ローマ サンティ・クワットロ・コロナーティ

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2015/05/09 - 2015/05/09

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4

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junemay

junemayさん

2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。

まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。

イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。

今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。

イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。

2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田

前回「不思議な外観」と書いたクワットロ・コロナーティ教会にやってきました。窓が少なく、鐘楼というよりは見張り塔を備えた、要塞の様な建物です。正面はともかく、裏の方は、初め「お化け屋敷」かと思ったほど。ここも今回の旅で外せない目的地の一つだったのですが、外観については、全く不勉強だったことを思い知らされました。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • この写真は、後刻クワットロ・コロナーティ教会から出た際に撮った1枚です。小高いチェリオの丘の上に建つ古い要塞というイメージでしょう?<br /><br />この教会も4世紀に建てられた初期キリスト教の礼拝所(ティトルス)だったとされていますが、詳細は不明です。但し、1957年の修復の際の調査で、後陣の煉瓦の中に4世紀のものが含まれていたことがわかっています。また、文書が残されていないため、正確ではありませんが、遅くとも7世紀後半には修道院が併設されていたようです。<br /><br />まずは門をくぐってみましょう。ドキドキ!

    この写真は、後刻クワットロ・コロナーティ教会から出た際に撮った1枚です。小高いチェリオの丘の上に建つ古い要塞というイメージでしょう?

    この教会も4世紀に建てられた初期キリスト教の礼拝所(ティトルス)だったとされていますが、詳細は不明です。但し、1957年の修復の際の調査で、後陣の煉瓦の中に4世紀のものが含まれていたことがわかっています。また、文書が残されていないため、正確ではありませんが、遅くとも7世紀後半には修道院が併設されていたようです。

    まずは門をくぐってみましょう。ドキドキ!

  • 真ん中の門をくぐると、その先は第一の前庭になっていました。この写真は、振り返って門の方を写したものです。<br /><br />4世紀の創建後、教皇レオ4世(在位 847年〜855年)が大きな聖堂に立て直しましたが、この教会も1084年のノルマン人の略奪により火を放たれ、廃墟となります。この第一の前庭は、レオ4世時代に建てられた教会の前庭に当たります。

    真ん中の門をくぐると、その先は第一の前庭になっていました。この写真は、振り返って門の方を写したものです。

    4世紀の創建後、教皇レオ4世(在位 847年〜855年)が大きな聖堂に立て直しましたが、この教会も1084年のノルマン人の略奪により火を放たれ、廃墟となります。この第一の前庭は、レオ4世時代に建てられた教会の前庭に当たります。

  • 見れば見るほど不思議な見張り塔、いや鐘楼です。鐘楼の両脇はシンメトリーになっておらず、その後何度も修復を重ねたように見えます。<br /><br />門の出口のアーチは典型的なゴシック様式の先がとんがったアーチ。上に乗っかっている鐘楼と全くバランスが取れていません。窓の大きさも位置もてんでバラバラ。<br /><br />門のアーチの上には、教皇マルティヌス5世(在位1417年〜1431年)の元、ここで司教を務めた枢機卿アロンソ・ガリリョ・デ・アルボルノスAlonso Carrillo de Albornoz(スペイン人ですねえ。)の半分消えかかった紋章がありました。<br /><br />写真左側のアーチは、併設されている孤児院の入り口になっていました。

    見れば見るほど不思議な見張り塔、いや鐘楼です。鐘楼の両脇はシンメトリーになっておらず、その後何度も修復を重ねたように見えます。

    門の出口のアーチは典型的なゴシック様式の先がとんがったアーチ。上に乗っかっている鐘楼と全くバランスが取れていません。窓の大きさも位置もてんでバラバラ。

    門のアーチの上には、教皇マルティヌス5世(在位1417年〜1431年)の元、ここで司教を務めた枢機卿アロンソ・ガリリョ・デ・アルボルノスAlonso Carrillo de Albornoz(スペイン人ですねえ。)の半分消えかかった紋章がありました。

    写真左側のアーチは、併設されている孤児院の入り口になっていました。

  • これからくぐる門が、レオ4世時代の教会の入り口だったところ。しかし、まだこの先にも庭が続いているみたいですよ。

    これからくぐる門が、レオ4世時代の教会の入り口だったところ。しかし、まだこの先にも庭が続いているみたいですよ。

  • 厳めしいのは外観だけだったようです。第二の中庭に入ると、そこではゆったりとした時間が流れていました。<br /><br />さて、ノルマン人によって灰燼と帰した教会を再度建て直したのは、教皇パスカリス2世 (在位 1099年〜 1118年)でした。そして1116年に献堂された教会が、写真の現在の教会の元となった教会です。<br /><br />この新しい教会は、多分財政難だったのかあ? 以前の教会より柱4本分小さかったため、前の教会の身廊の一部だったところが今いる第二の前庭となったようです。大変複雑!<br />

    厳めしいのは外観だけだったようです。第二の中庭に入ると、そこではゆったりとした時間が流れていました。

    さて、ノルマン人によって灰燼と帰した教会を再度建て直したのは、教皇パスカリス2世 (在位 1099年〜 1118年)でした。そして1116年に献堂された教会が、写真の現在の教会の元となった教会です。

    この新しい教会は、多分財政難だったのかあ? 以前の教会より柱4本分小さかったため、前の教会の身廊の一部だったところが今いる第二の前庭となったようです。大変複雑!

  • (現在の)教会に向かって、右手を見ると、レオ4世時代の教会の右身廊と側廊を分けるアーケードの列柱が残されていました。<br /><br />12世紀の再建で、教会はその面積を小さくさせられただけでなく、2つの機関により敷地の大半を占領されることになります。写真のアーチの奥は、アウグスティノ女子修道会の修道院に割譲されました。そして、教会の左側(北側)と奥の中庭のほか、外庭の全部を占有したのは、先ほども紋章がありましたね。教会の司祭というのは名ばかりの歴代枢機卿の「宮殿」だったのです。

    (現在の)教会に向かって、右手を見ると、レオ4世時代の教会の右身廊と側廊を分けるアーケードの列柱が残されていました。

    12世紀の再建で、教会はその面積を小さくさせられただけでなく、2つの機関により敷地の大半を占領されることになります。写真のアーチの奥は、アウグスティノ女子修道会の修道院に割譲されました。そして、教会の左側(北側)と奥の中庭のほか、外庭の全部を占有したのは、先ほども紋章がありましたね。教会の司祭というのは名ばかりの歴代枢機卿の「宮殿」だったのです。

  • 3つのアーチのあるポルティコの奥に、ようやく現在の教会の入り口が見えました。

    3つのアーチのあるポルティコの奥に、ようやく現在の教会の入り口が見えました。

  • 扉の上には、クワットロ・コロナーティ(4戴冠殉教者)を崇める修道女と孤児たちを描いた16世紀のフレスコ画が飾られています。

    扉の上には、クワットロ・コロナーティ(4戴冠殉教者)を崇める修道女と孤児たちを描いた16世紀のフレスコ画が飾られています。

  • さあ中に入りますよ。<br /><br />身廊の両側の柱の数は5本ずつ。一目見て、大変寸詰まりなことに気がつきました。そりゃそうですよね。新しい教会では、身廊の長さを九分の五にされたというのに、後陣の方は以前と同じ大きさなんですから、均衡が取れていないという印象が強いです。<br /><br />壁はとても簡素で、殆どがむき出しのまま。後陣前の勝利の門(凱旋門)の左右にかろうじてフレスコ画が飾られているだけです。側廊に通常みられる礼拝堂も、この教会にはありませんでした。<br /><br />その理由は後でわかります。レオ4世時代の教会にあった礼拝堂は、再建された教会が元の約二分の一のサイズになってしまったため、教会内に収まらなくなってしまったのです。

    さあ中に入りますよ。

    身廊の両側の柱の数は5本ずつ。一目見て、大変寸詰まりなことに気がつきました。そりゃそうですよね。新しい教会では、身廊の長さを九分の五にされたというのに、後陣の方は以前と同じ大きさなんですから、均衡が取れていないという印象が強いです。

    壁はとても簡素で、殆どがむき出しのまま。後陣前の勝利の門(凱旋門)の左右にかろうじてフレスコ画が飾られているだけです。側廊に通常みられる礼拝堂も、この教会にはありませんでした。

    その理由は後でわかります。レオ4世時代の教会にあった礼拝堂は、再建された教会が元の約二分の一のサイズになってしまったため、教会内に収まらなくなってしまったのです。

  • 床は1084年施行の初期コズマーティ模様です。綺麗に修復された他の教会と比べるとだいぶ傷んでいて見劣りがしますが、あまり手を加えられていないところがかえって良いです。所々、どこから持ってきたのか、碑文の書かれた石板でつぎはぎされている部分があるのがご愛嬌でした(写真左側にちらっと見えます)。

    床は1084年施行の初期コズマーティ模様です。綺麗に修復された他の教会と比べるとだいぶ傷んでいて見劣りがしますが、あまり手を加えられていないところがかえって良いです。所々、どこから持ってきたのか、碑文の書かれた石板でつぎはぎされている部分があるのがご愛嬌でした(写真左側にちらっと見えます)。

  • 後陣はたくさんのフレスコ画と金で縁取られたスタッコで飾られています。半円形の部分は「天国の栄光」という題の壮大なフレスコ画で、トリニティ(父と子と聖霊(鳩))をトップに、その下に聖母と洗礼者ジョヴァンニ。そして大勢の天使と聖人たちが彼らを取り囲んでいます。<br /><br />その下の壁には全部で7枚のフレスコ画があって、クワットロ・コロナーティ(4戴冠殉教者)の殉教の伝説からの場面が描かれています。<br /><br />これらのフレスコ画は1630年にジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニGiovanni da San Giovanniによって描かれたものです。この17世紀の修復により、12世紀、つまり二度目の再建当時の装飾は全て失われてしまったようです。

    後陣はたくさんのフレスコ画と金で縁取られたスタッコで飾られています。半円形の部分は「天国の栄光」という題の壮大なフレスコ画で、トリニティ(父と子と聖霊(鳩))をトップに、その下に聖母と洗礼者ジョヴァンニ。そして大勢の天使と聖人たちが彼らを取り囲んでいます。

    その下の壁には全部で7枚のフレスコ画があって、クワットロ・コロナーティ(4戴冠殉教者)の殉教の伝説からの場面が描かれています。

    これらのフレスコ画は1630年にジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニGiovanni da San Giovanniによって描かれたものです。この17世紀の修復により、12世紀、つまり二度目の再建当時の装飾は全て失われてしまったようです。

  • この教会の最初のお目当ては、こちらの中庭です。左側廊の中ほどにある扉から回廊に出ることが出来ます。特に入場料は不要ですが、目立つところに献金箱があるので、まずは気持ちばかりのドネーションを!<br /><br />こちらは、13世紀の回廊です。中央につぎはぎだらけの小さな噴水があり、ちょうど周りの花壇に水を撒いている最中でした。

    この教会の最初のお目当ては、こちらの中庭です。左側廊の中ほどにある扉から回廊に出ることが出来ます。特に入場料は不要ですが、目立つところに献金箱があるので、まずは気持ちばかりのドネーションを!

    こちらは、13世紀の回廊です。中央につぎはぎだらけの小さな噴水があり、ちょうど周りの花壇に水を撒いている最中でした。

  • ここは、ローマで最も静かで平和な場所と言われているそうです。ロマネスク様式のこの回廊は1239年頃、コズマーティ一族によって作られたと言われています。<br /><br />本当に静かで、物思いにふけるにはもってこいの場所ですよ。<br />

    ここは、ローマで最も静かで平和な場所と言われているそうです。ロマネスク様式のこの回廊は1239年頃、コズマーティ一族によって作られたと言われています。

    本当に静かで、物思いにふけるにはもってこいの場所ですよ。

  • 回廊は、長方形で、長辺の方には、2本ずつの細い柱が8個ずつ計16個のアーチを形作っています。中央に2本の太い柱があり、その間が中庭への出入り口となっています。短辺の方は、6個ずつ計12個のアーチがあり、中央に装飾のある付け柱が立っています。<br /><br />この写真は、2枚前の写真とちょうど反対側から撮ったものです。

    回廊は、長方形で、長辺の方には、2本ずつの細い柱が8個ずつ計16個のアーチを形作っています。中央に2本の太い柱があり、その間が中庭への出入り口となっています。短辺の方は、6個ずつ計12個のアーチがあり、中央に装飾のある付け柱が立っています。

    この写真は、2枚前の写真とちょうど反対側から撮ったものです。

  • この回廊の修復は近年行われたらしく、アーチの上に伸びるコズマーティらしい装飾の帯も美しく甦っていました。星と十字と四角の組み合わせが素晴らしい・・・

    この回廊の修復は近年行われたらしく、アーチの上に伸びるコズマーティらしい装飾の帯も美しく甦っていました。星と十字と四角の組み合わせが素晴らしい・・・

  • 回廊の内側の壁にずらりと並ぶのは、20世紀初めの修復工事中に発見された石板や石造物です。<br /><br />波型模様はローマ帝国時代の代表的な文様の一つですね。石棺の蓋でしょうか?

    回廊の内側の壁にずらりと並ぶのは、20世紀初めの修復工事中に発見された石板や石造物です。

    波型模様はローマ帝国時代の代表的な文様の一つですね。石棺の蓋でしょうか?

  • 右側の下向きの三角形に、ハートに髭がはえたような形のものが3つ描かれているのわかりますか? 古代のいたずら書きだとしたら、ほほえましいですね。碑文にはなんて書いてあるのかな?

    右側の下向きの三角形に、ハートに髭がはえたような形のものが3つ描かれているのわかりますか? 古代のいたずら書きだとしたら、ほほえましいですね。碑文にはなんて書いてあるのかな?

  • 本当に、こんなに無造作に置いていいのかしら? と思ってしまう展示品の数々です。申し訳程度に説明書きがありましたが、イタリア語のみでした。

    本当に、こんなに無造作に置いていいのかしら? と思ってしまう展示品の数々です。申し訳程度に説明書きがありましたが、イタリア語のみでした。

  • 再度、列柱に近づいてみます。アーチの内側には、幾何学模様がフレスコで描かれているのを発見! こちらは白と黒の三角形の模様。

    再度、列柱に近づいてみます。アーチの内側には、幾何学模様がフレスコで描かれているのを発見! こちらは白と黒の三角形の模様。

  • そしてこちらは、赤と緑の涙型の模様でした。どういう意味なのでしょうね。<br /><br />さて、この教会第二のお目当てはこの回廊にあるサンタ・バルバラ礼拝堂です。

    そしてこちらは、赤と緑の涙型の模様でした。どういう意味なのでしょうね。

    さて、この教会第二のお目当てはこの回廊にあるサンタ・バルバラ礼拝堂です。

  • 今は独立した建物となっていますが、元々の9世紀に建てられたレオ4世時代の教会では左側廊に入り口があったそうです。つまり9世紀の教会の中で、唯一残された礼拝堂なのです。<br /><br />こちらは北側。わずかに残るフレスコ画は司教の姿の断片のみです。

    今は独立した建物となっていますが、元々の9世紀に建てられたレオ4世時代の教会では左側廊に入り口があったそうです。つまり9世紀の教会の中で、唯一残された礼拝堂なのです。

    こちらは北側。わずかに残るフレスコ画は司教の姿の断片のみです。

  • ややゆがんだ形の長方形というよりは台形でしょうか? 北側以外の三方の壁に3つの後陣があるという、面白い造りの礼拝堂です。<br /><br />堂内は暗くて、この写真にある二つの窓が光源の全てです。こちらは東側の後陣。不完全ですが、聖母子のフレスコ画がかろうじて確認できます。

    ややゆがんだ形の長方形というよりは台形でしょうか? 北側以外の三方の壁に3つの後陣があるという、面白い造りの礼拝堂です。

    堂内は暗くて、この写真にある二つの窓が光源の全てです。こちらは東側の後陣。不完全ですが、聖母子のフレスコ画がかろうじて確認できます。

  • こちらは南側の壁面。こちらのフレスコ画のみが9世紀の作品だそうですが、かつてはフレスコ画に覆われていた天井のヴォールトも今はご覧の通り。サンタ・バルバラの物語が描かれているということですが、あまりに痛みがひどくて、よくわかりません。<br /><br />

    こちらは南側の壁面。こちらのフレスコ画のみが9世紀の作品だそうですが、かつてはフレスコ画に覆われていた天井のヴォールトも今はご覧の通り。サンタ・バルバラの物語が描かれているということですが、あまりに痛みがひどくて、よくわかりません。

  • 回廊に面した西側(現在の出入り口)の左上のフレスコ画が、中では一番状態が良さそうです。壁に飾ってあるのは、かつて壁を覆っていた大理石の仕切り板のコピーです。<br /><br />うう〜ん。サンタ・バルバラのこともよく理解できておらず、いささか消化不良ですが、次、行きましょう。

    回廊に面した西側(現在の出入り口)の左上のフレスコ画が、中では一番状態が良さそうです。壁に飾ってあるのは、かつて壁を覆っていた大理石の仕切り板のコピーです。

    うう〜ん。サンタ・バルバラのこともよく理解できておらず、いささか消化不良ですが、次、行きましょう。

  • いよいよ、最大の見どころ、サン・シルベストロ礼拝堂です。この礼拝堂は古いレオ4世時代の教会の北側側廊にありました。現在は、教会の中ではなく、第二の前庭に入り口のあるアウグスティノ修道院の中にあります。<br /><br />シルベルトロ礼拝堂は、枢機卿ステファノ・コンティが自分のプライベートな礼拝堂として作ったものですが、献堂された年の前年、1246年に描かれた一連のフレスコ画で有名になりました。<br /><br />修道院の受付のベルを恐る恐る鳴らし、待つこと1分。対応してくださった若い修道女の方に「あの〜 サン・シルベストロ礼拝堂を見たいのですが・・・」と伝えると、「あちらですよ」とにこやかに教えてくれたのがこの扉。修道女さんに寄付をお渡しするのを忘れないでくださいね。<br /><br />鍵はないのかなあ と心配しながら扉を押すと、すでに何人か先客がいらっしゃいました。

    いよいよ、最大の見どころ、サン・シルベストロ礼拝堂です。この礼拝堂は古いレオ4世時代の教会の北側側廊にありました。現在は、教会の中ではなく、第二の前庭に入り口のあるアウグスティノ修道院の中にあります。

    シルベルトロ礼拝堂は、枢機卿ステファノ・コンティが自分のプライベートな礼拝堂として作ったものですが、献堂された年の前年、1246年に描かれた一連のフレスコ画で有名になりました。

    修道院の受付のベルを恐る恐る鳴らし、待つこと1分。対応してくださった若い修道女の方に「あの〜 サン・シルベストロ礼拝堂を見たいのですが・・・」と伝えると、「あちらですよ」とにこやかに教えてくれたのがこの扉。修道女さんに寄付をお渡しするのを忘れないでくださいね。

    鍵はないのかなあ と心配しながら扉を押すと、すでに何人か先客がいらっしゃいました。

  • まず目に入ったのがこの床。おお〜なんと素晴らしい! 正真正銘のコズマーティ模様です。色はグレーがかっていて、今まで見た中では一番地味に見えます。<br /><br />しかしながら両壁際の床は、幾何学模様の単調なパターンの繰り返しで、同じ作者、同じ時代の物とは思えませんねえ。

    まず目に入ったのがこの床。おお〜なんと素晴らしい! 正真正銘のコズマーティ模様です。色はグレーがかっていて、今まで見た中では一番地味に見えます。

    しかしながら両壁際の床は、幾何学模様の単調なパターンの繰り返しで、同じ作者、同じ時代の物とは思えませんねえ。

  • こちらは、聖域の床のコズマーティ模様。ため息が出る美しさです! 後期バロック時代の祭壇(1728年作)ともよくマッチしていますね。

    こちらは、聖域の床のコズマーティ模様。ため息が出る美しさです! 後期バロック時代の祭壇(1728年作)ともよくマッチしていますね。

  • 一連のフレスコ画は、教皇シルウェステル(シルベストロ)1世(在位 314年〜 335年)とローマ皇帝コンスタンティヌス1世の「伝説」が描かれています。<br /><br />あくまでも「伝説」であって、シルウェステル1世によるコンスタンティヌス1世の洗礼や、コンスタンティヌス1世の献金については、史実ではないことがその後判明しています。

    一連のフレスコ画は、教皇シルウェステル(シルベストロ)1世(在位 314年〜 335年)とローマ皇帝コンスタンティヌス1世の「伝説」が描かれています。

    あくまでも「伝説」であって、シルウェステル1世によるコンスタンティヌス1世の洗礼や、コンスタンティヌス1世の献金については、史実ではないことがその後判明しています。

  • 礼拝堂は長方形のトンネルのような形をしています。窓は写真の右側に見えるものと後陣に3つのみです。広さは、せいぜい20畳から25畳(どうしてここで畳が出てくるんだ!)位かなあ・・・

    礼拝堂は長方形のトンネルのような形をしています。窓は写真の右側に見えるものと後陣に3つのみです。広さは、せいぜい20畳から25畳(どうしてここで畳が出てくるんだ!)位かなあ・・・

  • 物語は入り口の壁から始まります。<br /><br />一番上の列にはキリストを中心として、左右に聖母と洗礼者サン・ジョヴァンニ、そして12使徒たちによるオールスターキャストです。<br /><br />二番目の列は左から、<br />1.皇帝コンスタンティヌス(以下皇帝)、群衆に対応中にハンセン病にかかる。<br />2.皇帝の病床でサン・ピエトロ、サン・パオロが夢に現れ、亡命中の教皇シルウェステル(以下教皇)を呼び戻すよう告げられる。<br />3.皇帝の使いが教皇のいるモンテ・ソラッテに向かう。<br /><br /><br />

    物語は入り口の壁から始まります。

    一番上の列にはキリストを中心として、左右に聖母と洗礼者サン・ジョヴァンニ、そして12使徒たちによるオールスターキャストです。

    二番目の列は左から、
    1.皇帝コンスタンティヌス(以下皇帝)、群衆に対応中にハンセン病にかかる。
    2.皇帝の病床でサン・ピエトロ、サン・パオロが夢に現れ、亡命中の教皇シルウェステル(以下教皇)を呼び戻すよう告げられる。
    3.皇帝の使いが教皇のいるモンテ・ソラッテに向かう。


  • 物語は、祭壇に向かって左側の壁に続きます。<br /><br />4.皇帝の使いが隠遁生活を送っていた教皇のいるモンテ・ソラッテに上る。<br />5.教皇はローマに戻り、皇帝にピエトロとパオロのイコンを見せる。<br />6.教皇は皇帝に洗礼を施す。<br /><br />このころの洗礼が全身浴だったことがよくわかります。この洗礼により、皇帝の病は癒えたのだそうですよ。勿論「奇跡」です。

    物語は、祭壇に向かって左側の壁に続きます。

    4.皇帝の使いが隠遁生活を送っていた教皇のいるモンテ・ソラッテに上る。
    5.教皇はローマに戻り、皇帝にピエトロとパオロのイコンを見せる。
    6.教皇は皇帝に洗礼を施す。

    このころの洗礼が全身浴だったことがよくわかります。この洗礼により、皇帝の病は癒えたのだそうですよ。勿論「奇跡」です。

  • 7.皇帝は教皇の即位を承諾し、教皇冠(Tiara papale)を捧げる。<br />8.皇帝を従えての教皇の行進。<br /><br />凄いですね。最期は馬に乗っているのは教皇、皇帝がそのそばを歩いているのですから、いかに教皇の権威がすごいかというPRにも使われ、その後のローマ教皇と神聖ローマ帝国皇帝との権力争いに発展しました。

    7.皇帝は教皇の即位を承諾し、教皇冠(Tiara papale)を捧げる。
    8.皇帝を従えての教皇の行進。

    凄いですね。最期は馬に乗っているのは教皇、皇帝がそのそばを歩いているのですから、いかに教皇の権威がすごいかというPRにも使われ、その後のローマ教皇と神聖ローマ帝国皇帝との権力争いに発展しました。

  • 右側の壁には、それ以外の教皇にまつわる「伝説」のパネルが3枚。といっても3枚目は殆ど剥げ落ちています。<br /><br />左は、ユダヤの儀式によって殺された牛を教皇が生き返らせている場面。またしても「奇跡」ですねえ。<br />中央は、皇帝の母サンタ・ヘレナが「真の十字架」を見つけた場面。そして、傷みの激しい右は、教皇がドラゴンから町を解放している場面です。

    右側の壁には、それ以外の教皇にまつわる「伝説」のパネルが3枚。といっても3枚目は殆ど剥げ落ちています。

    左は、ユダヤの儀式によって殺された牛を教皇が生き返らせている場面。またしても「奇跡」ですねえ。
    中央は、皇帝の母サンタ・ヘレナが「真の十字架」を見つけた場面。そして、傷みの激しい右は、教皇がドラゴンから町を解放している場面です。

  • フレスコ画は、鮮やかな色の植物が描かれた装飾で縁取りされていて、その下にはトンド(円形)に預言者や大司教などの肖像画が並んでいたようですが、現在はその殆どが剥げ落ちてしまっています。

    フレスコ画は、鮮やかな色の植物が描かれた装飾で縁取りされていて、その下にはトンド(円形)に預言者や大司教などの肖像画が並んでいたようですが、現在はその殆どが剥げ落ちてしまっています。

  • 下絵の線がうっすらと残っていますね。なんでも16世紀に聖歌隊席が置かれていたことが損傷を速めたようです。<br /><br />天井は赤い十字架とグレーの星の組み合わせパターンです。

    下絵の線がうっすらと残っていますね。なんでも16世紀に聖歌隊席が置かれていたことが損傷を速めたようです。

    天井は赤い十字架とグレーの星の組み合わせパターンです。

  • 祭壇は、碑文にある通り1728年作の後期バロック様式。多色大理石で作られています。全く雰囲気が違いますねえ。<br /><br />祭壇画は磔の場面。1700年頃の作品だそうです。

    祭壇は、碑文にある通り1728年作の後期バロック様式。多色大理石で作られています。全く雰囲気が違いますねえ。

    祭壇画は磔の場面。1700年頃の作品だそうです。

  • 祭壇周りのフレスコ画は16世紀の作品。一連の「伝説」のフレスコ画とは全く異なりますが、なかなか味のある作風だと思います。保存状態も良好。

    祭壇周りのフレスコ画は16世紀の作品。一連の「伝説」のフレスコ画とは全く異なりますが、なかなか味のある作風だと思います。保存状態も良好。

  • 祭壇に向かって左側のフレスコ画は、皇帝により非難されるクワットロ・コロナーティ(4戴冠殉教者)。

    祭壇に向かって左側のフレスコ画は、皇帝により非難されるクワットロ・コロナーティ(4戴冠殉教者)。

  • 手前の柱の人物は、教皇シルウェステル(サン・シルベストロ)ですね。

    手前の柱の人物は、教皇シルウェステル(サン・シルベストロ)ですね。

  • そして、右側のフレスコ画は、彼らが川に投げ込まれる前に、重しとなる(棺桶の代わり?)箱に入れられている場面。この絵を見る限りでは全部で5名いるようです。

    そして、右側のフレスコ画は、彼らが川に投げ込まれる前に、重しとなる(棺桶の代わり?)箱に入れられている場面。この絵を見る限りでは全部で5名いるようです。

  • 手前の柱の人物は、コンスタンティヌス1世です。<br /><br />写真の右上にある穴に注目。これは当時の拡声器で、ここで行われていることが階上の修道院で聞こえるようになっていたのだそうです。ここでは、密談はできないということですね。

    手前の柱の人物は、コンスタンティヌス1世です。

    写真の右上にある穴に注目。これは当時の拡声器で、ここで行われていることが階上の修道院で聞こえるようになっていたのだそうです。ここでは、密談はできないということですね。

  • 天井画は、キリストを中心に、4人の天使と4人の福音記者達。四隅には名前入りで、クワットロ・コロナーティ(4戴冠殉教者)の姿が描かれています。

    天井画は、キリストを中心に、4人の天使と4人の福音記者達。四隅には名前入りで、クワットロ・コロナーティ(4戴冠殉教者)の姿が描かれています。

  • あっ 正面の丸い窓の両側に「受胎告知」発見!<br /><br />いつの間にか、小さな礼拝堂は10数人の人たちで溢れていました。でもみなさんとても静かです。小声で解説している人が若干1名。残念ながらイタリア語でした。もう少し詳しく解説が聞けたら良かったのですが・・・

    あっ 正面の丸い窓の両側に「受胎告知」発見!

    いつの間にか、小さな礼拝堂は10数人の人たちで溢れていました。でもみなさんとても静かです。小声で解説している人が若干1名。残念ながらイタリア語でした。もう少し詳しく解説が聞けたら良かったのですが・・・

  • ということで、サン・シルベストロ礼拝堂終了です。<br /><br />気になったポスターがありました。開催日は4月の日付なので、もう終わってしまったらしいのですが、枢機卿ステファノ・コンティの宮殿で最も権威ある部屋が予約制で公開されると書いてあります。秘蔵の13世紀のフレスコ画が見られるようです。<br /><br />うわぁ〜 残念でした・・・<br />

    ということで、サン・シルベストロ礼拝堂終了です。

    気になったポスターがありました。開催日は4月の日付なので、もう終わってしまったらしいのですが、枢機卿ステファノ・コンティの宮殿で最も権威ある部屋が予約制で公開されると書いてあります。秘蔵の13世紀のフレスコ画が見られるようです。

    うわぁ〜 残念でした・・・

  • サン・シルベストロ礼拝堂の入り口はこちらの扉からどうぞ。右側に「アウグスティノ修道院」Monache Agostinianeと書かれた石板が目印です。

    サン・シルベストロ礼拝堂の入り口はこちらの扉からどうぞ。右側に「アウグスティノ修道院」Monache Agostinianeと書かれた石板が目印です。

  • お終いは、第一の前庭にあったフレスコ画です。西側のロッジアの礼拝堂前の扉の上にあったのは、1588年に描かれた、ヤシの葉を携えた4戴冠殉教者のフレスコ。横の壁には、ねじれた柱の左側に、「キリスト降誕」。右側に「訪問」。聖母マリアが「妊娠中」、いとこのエリサベツ(彼女も妊娠していた)の家を訪ねたという話が元になっていると思われます。<br /><br />ふとしたことから、この教会クワットロ・コロナーティ聖堂を知りましたが、大変貴重なものがそこここにあって、ローマの懐の大きさを感じました。次回は是非、ステファノ・コンティの宮殿を見たいなあ・・・<br /><br />ということで、この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その14 ローマ スカラ・サンタ〜アッピア街道で!

    お終いは、第一の前庭にあったフレスコ画です。西側のロッジアの礼拝堂前の扉の上にあったのは、1588年に描かれた、ヤシの葉を携えた4戴冠殉教者のフレスコ。横の壁には、ねじれた柱の左側に、「キリスト降誕」。右側に「訪問」。聖母マリアが「妊娠中」、いとこのエリサベツ(彼女も妊娠していた)の家を訪ねたという話が元になっていると思われます。

    ふとしたことから、この教会クワットロ・コロナーティ聖堂を知りましたが、大変貴重なものがそこここにあって、ローマの懐の大きさを感じました。次回は是非、ステファノ・コンティの宮殿を見たいなあ・・・

    ということで、この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その14 ローマ スカラ・サンタ〜アッピア街道で!

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この旅行記へのコメント (4)

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  • マリアンヌさん 2015/08/10 17:28:29
    美しい回廊☆
    junemayさん、こんにちわ。

    前編のサンクレメンテ・ラテラノといい今回のクワットロ・コロナーティといい大変興味深い場所をご紹介いただきありがとうございます。
    とっても好物です☆

    回廊好きなのですが、とても美しい回廊ですね。
    回廊についての本を購入したものの熟読してないのですが、確かその本に載っていたように思います。
    私も今年シエナ近郊の回廊を訪れたのですが、時代が近いせいか近しい匂いを感じます。
    回廊にあったローマの棺(波型)は、ピサのカンポサントにあったものに似ています。
    コズマーティ様式の床も素敵です。
    ローマにこんな古いフレスコ残ってるのですね。
    ピサのサン・ピエトロ・グラードで実に素晴らしいフレスコを見ましたが、やはり近いものを感じます。

    いつか訪れてみたいです。
    マリアンヌ

    junemay

    junemayさん からの返信 2015/08/10 18:41:44
    RE: 美しい回廊☆
    マリアンヌさま

    早速の訪問ありがとうございます。
    私のようなイタリア初心者に暖かいお言葉気恥ずかしいです。

    素晴らしい作品はその背景があって完成するものだと思っているので、美術館や博物館にあるものより町の中や教会、遺跡等のなかにあってこそより光り輝くと感じています。たとえそれがコピーであっても、背景、歴史、環境って大事ですよね。

    ニューヨークのメトロポリタン美術館の分館ザ・クロイスターズってご存知ですか?
    お金持ちのアメリカ人らしく、第一次大戦後荒廃したフランスの教会から回廊ごと買い取って、アメリカまで運んで博物館にしてしまったことにまずは脱帽しましたが、街中ではなく、回廊に相応しい環境まで選んだのはさすがだと思っています。

    でも残念ながら歴史が感じられないんですよね。

    ローマ(イタリア)は2000年以上の歴史があって、現代に生きる人もその歴史と同居している、古いものも新しいものも、ごく当たり前の風景の一部でしかないというところに凄さを感じます。うまく説明できませんが、大好きです。

    文章が下手なので、素晴らしいとか美しいとかしか表現できないのがつらいです。ピサのサン・ピエトロ・グラード 私もいつか見たいです。またコメントを頂ければ嬉しいです。ありがとうございました。

    junemay


    > junemayさん、こんにちわ。
    >
    > 前編のサンクレメンテ・ラテラノといい今回のクワットロ・コロナーティといい大変興味深い場所をご紹介いただきありがとうございます。
    > とっても好物です☆
    >
    > 回廊好きなのですが、とても美しい回廊ですね。
    > 回廊についての本を購入したものの熟読してないのですが、確かその本に載っていたように思います。
    > 私も今年シエナ近郊の回廊を訪れたのですが、時代が近いせいか近しい匂いを感じます。
    > 回廊にあったローマの棺(波型)は、ピサのカンポサントにあったものに似ています。
    > コズマーティ様式の床も素敵です。
    > ローマにこんな古いフレスコ残ってるのですね。
    > ピサのサン・ピエトロ・グラードで実に素晴らしいフレスコを見ましたが、やはり近いものを感じます。
    >
    > いつか訪れてみたいです。
    > マリアンヌ

    マリアンヌ

    マリアンヌさん からの返信 2015/08/10 23:03:51
    RE: RE: 美しい回廊☆
    junemayさん、返信ありがとうございます。

    私こそ、のんびり村めぐりばかりで教会知識初心者です。
    junemayさんはじめ、4トラの皆さんから多くを学ばせて頂いています。


    > 素晴らしい作品はその背景があって完成するものだと思っているので、美術館や博物館にあるものより町の中や教会、遺跡等のなかにあってこそより光り輝くと感じています。たとえそれがコピーであっても、背景、歴史、環
    境って大事ですよね。
     →共感です!
       ニューヨークのメトロポリタン美術館は行ったことがなくザ・クロイスターズは存知あげません
      が、同様な想いをベルリンのペルガモン美術館のバビロニア遺跡を見て感じました。
      素晴らしい青いタイルのイシュタール門とそれに続く青いタイルの道まで持ってきてしまって
      いて…
      そう、も残念ながら歴史が感じられないなと思いました。

    ピサのサン・ピエトロ・グラード、もしよろしければ覗いて見て下さい。 

    http://4travel.jp/travelogue/11032070

    今後ともよろしくお願いいたします。
    マリアンヌ

    junemay

    junemayさん からの返信 2015/08/12 22:47:42
    RE: RE: RE: 美しい回廊☆
    マリアンヌ様

    こんばんは。
    ピサのサン・ピエトロ・グラード、拝見いたしました。
    素晴らしいですね。外からあの後陣を見ただけで、叫び出してしまうと思います。トンドの中に入れられたお皿?も中のフレスコ画もとても素敵です。
    あのお皿が美術館にあってもあまり感激がないかもしれないけれど、あそこにあるから良いんですよね。

    昨年ピサは斜塔をちらっと見るだけの時間しかなかったので、また行く口実が出来ました。ピサ・ロマネスクも大好きです。カンポサイトは行ったときにとても気になったのですが行けずじまい。ルッカとピサを掛け持ちしたのが間違いでした。ただピサは斜塔周辺があまりにも観光客の数が多くてそれだけで敬遠してしまったんです。朝一番か夕方遅くがねらい目のようですね。

    色々と楽しませていただいてありがとうございます。またお寄りしますね。

    junemay

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