2015/07/05 - 2015/07/05
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suomita2さん
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1243 八坂通りから建仁寺に 本当に久しぶりだ.多分25年ぶりくらいだろう.まず摩利支天堂など周りを見学した後,本坊より中に入る.枯山水の大雄苑などすばらしい.茶室の東陽紡も歴史がある.中の海北友松の襖絵は複製だが,雰囲気は出ている.法堂の小泉淳作双龍図は2002年の作だが少しユーモラスだった.
そのあと看板に誘われ両足院の半夏生を見に行く.素晴らしかった.
最後にこれも学生の呼び込みに誘われ,西来院で行われていた佛教大学書道部の学外展に.素晴らしい書道だ.今どきの学生がこんな字をしっかり書くだけでも感激.また佛教大学ならではの場所で展覧化をやるのはうらやましいと思った.
1346 建仁寺を後にして花見小路通りに
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- タクシー ANAグループ 徒歩
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1243 八坂通りより建仁寺に
建仁寺 寺・神社・教会
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浴室 寛永五年(1628年)三江和尚(諱紹益)によって建立された。七堂伽藍のひとつで内部は待合、浴室、土間(火炊場)に三分されている。湯気で体を温める蒸し風呂で、禅寺では入浴も修行の大切な部分として、厳しい作法が細かく定められている。http://www.kenninji.jp/grounds/index.html
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明星殿
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開山堂への道 旧名護国院、古くは興禅護国院といい、開山栄西禅師の入定塔(墓所)。苔むした庭に開山お手植えの菩提樹が今も茂っている。
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放生池より勅使門 銅板葺切妻造の四脚門で鎌倉時代後期の遺構を今に伝えている。柱や扉に戦乱の矢の痕があることから「矢の根門」または「矢立門」と呼ばれている。元来、平重盛の六波羅邸の門、あるいは平教盛の館門を移建したものといわれている。
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山門
大正12年、静岡県浜名郡の安寧寺から移建したもの。
空門・無相門・無作門の三解脱門。「御所を望む楼閣」という意味で「望闕楼」と名づけられる。楼上には釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が祀られる。室町時代中期の瑞巌龍惺の「春眺」の詩の中に「望闕楼高くして帝城に対す」という句がある。 -
門を入り
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摩利支天堂に向かう
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庭を通る
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摩利支天堂
禅居庵の境内にあり、開山大鑑禅師が中国より将来した摩利支天を祀る。「摩利支」は、威光、陽炎が神格化した古代インドの女神。現在では三面六臂で七頭の猪に坐すお姿から、開運・勝利の利益、特に亥年生れの人々には守り本尊として信仰されている。堂宇は天文の兵火で焼かれ、同16年(1547年)織田信長の父、信秀が再建、近年では明治8年、平成7年に屋根部分の大改修が加えられ今日に至っている。京都府指定文化財。 -
合掌
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門
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手水舎
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イチオシ
法堂 明和2年(1765年)上棟。
仏殿兼用の「拈華堂(ねんげどう)」。五間四間・一重・裳階付の堂々とした禅宗様仏殿建築。正面須弥壇には本尊釈迦如来座像と脇侍迦葉尊者・阿難尊者が祀られてる。また、その天井には平成14年(2002年)創建800年を記念して「小泉淳作画伯」筆の双龍が描かれた。 -
1257 本坊へ
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俵屋宗達風神雷神複製
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金沢翔子 あの書家だ.ダイナミックな字だね
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○△□乃庭 宇宙の根源を三つの図形で示す 地□ 水○ 火△で象徴
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本坊中庭潮音庭
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方丈へ
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重文花鳥図襖 複製
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海北友松 桃山時代
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対馬行列輿
寛永十二年(1635)「五山十刹(ござんじゅっさつ)諸山之諸法度」という寺院統制令が制定され、学徳兼備の五山層を「碩学(せきがく)」と呼び一定の禄が与えられるようにりました。
その碩学に、建仁寺では「古澗慈稽(こかんじけい)」「三江紹益(さんこうじょうえき)」「利峰東鋭(りほうとうえい)」の三師が推薦されました。
また五山僧は漢文に関する知識が深く、朝鮮との外交文書作成を行う「対州修文職(ついしゅうしゅうぶんしょく)」もしくは「以酊庵修簡職(いていあんしゅうかんしょく)」とも呼ばれる職に適任だと幕府が判断したのです。
以酊庵(いていあん)というのは、九州長崎の対馬にあった寺の名前です。
この寺は対馬の太守(たいしゅ)・宗義調(そうぎちょう)の請いに応じ景轍玄蘇(けいてつげんそ)が朝鮮との通講の任に当たった天正8年に開かれました。
徳川幕府は寛永12年南禅寺を除いた五山寺院の天龍・相国・建仁・東福の四山碩学中より「対州修文職」を選出、輪番制で以酊庵に出張駐在させることになります。この対州修文職は慶応2年(1866年)まで230年続き、この間87名のべ126名の輪番僧が赴任しています。これらの僧は当時の五山の代表的人物で、建仁寺からは18師が名を連ねています。 -
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琴棋書画図 複製
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イチオシ
清涼軒
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東陽坊
草庵式二帖台目席。天正15年(1587年)に豊臣秀吉が催した北野大茶会で、利休の高弟・真如堂東陽坊長盛が担当した副席と伝えられている。 二帖台目席で最も規範的な茶室とされ、茶室の西側には当寺の名物「建仁寺垣」が設けられている。 -
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烏帽子石かなあ..
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安国時恵瓊はあたしは立派な怪僧だったとおもう
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田村月樵遺愛の大硯
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大雄苑
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枯山水
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本尊は東福門院寄進の十一面観音菩薩像 本尊十一面観音の周りも海北友松の絵
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法堂へ
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本尊釈迦如来座像と脇侍迦葉尊者・阿難尊者
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イチオシ
平成14年(2002年)創建800年を記念して「小泉淳作画伯」筆の双龍
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方丈 慶長四年(1599)恵瓊(えけい)が安芸の安国寺から移築したもので、優美な銅板葺の屋根が印象的な禅宗方丈建築。
また前庭に枯山水様式の「大雄苑(だいおうえん)」を有する -
1324 これで中の見学終了
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両足院の半夏生に誘われていくことにした
両足院 寺・神社・教会
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黒田長政の毘沙門天を収める
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両足院の中へ
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中庭
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苔にむした庭園の先に
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イチオシ
半夏生の庭園だ
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イチオシ
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イチオシ
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最後に西来院で佛教大学書道展が開かれていたので見に行った
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なかなか皆うまい こんな場所で行えるのは佛教大学だからだね.
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1346 建仁寺を後にして花見小路通りに
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建仁寺のパンフ
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入場券 500円
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両足院パンフ 入場料500円
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半夏生の解説
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書道部学外展のパンフ
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