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■春の車旅〜相生・奈良・柳生・伊賀上野・志摩・伊勢・姫路・岡山〜第8編<br /><br />2日目・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />◆早朝5時ころ、兵庫県相生駅前H出発<br />▼山陽自動車道→中国自動車道→近畿自動車道→南阪奈道路<br />★川原寺/奈良県高市郡明日香村<br />★石舞台古墳/奈良県高市郡明日香村<br />★伝飛鳥板蓋宮跡/奈良県高市郡明日香村<br />★酒船石/奈良県高市郡明日香村<br />★橘寺/奈良県高市郡明日香村<br />★亀石/奈良県高市郡明日香村<br />★天武・持統天皇陵/奈良県高市郡明日香村<br />★飛鳥歴史公園(観梅)/奈良県高市郡明日香村<br />★高松塚古墳/奈良県高市郡明日香村<br />▼たかとり町家の雛めぐり/奈良県高市郡高取町<br />★大和郡山城跡(観梅)/奈良県大和郡山市城内町<br />★大和郡山市町並みめぐり/奈良県大和郡山市紺屋町<br />▼ならまち通り/奈良県奈良市<br />▼元興寺/奈良県奈良市中院町<br />▼猿沢池/奈良県奈良市登大路町<br />▼興福寺/奈良県奈良市登大路町<br />★奈良公園/奈良県奈良市登大路町<br />◆奈良県新大宮駅前H泊<br />3日目へつづく・・・<br />★印は想い出ふかい地です。<br /><br />▼興福寺/奈良県奈良市登大路町<br /> 猿沢池にうつる興福寺の五重塔は、奈良を代表する風景になっています。<br /> その興福寺は、藤原鎌足の死後の幸福のために建てられた山階寺が、飛鳥に移されて厩坂寺となり、平城遷都で移建されたと伝えられていますが、実は鎌足の子不比等の発願で氏寺として創建されたものです。<br /> 中金堂ができて間もなく、官寺なみの扱いを受けることになりました。その後721年(養老5)に北円堂、726年(神亀3)に東金堂と五重塔、734年(天平6)に西金堂が建てられて伽藍がおおかた整いました。<br /> そして、平安時代の初め813年(弘仁4)には、藤原冬嗣が南円堂を建てます。<br /> 藤原氏の力が大きくなるにつれて興福寺も勢いを伸ばしました。伽藍の外に一乗院・大乗院などの子院がつくられていきました。<br /> 興福寺は氏社である春日社一体だと主張して春日社の実権をにぎり、1135年(保延元)には若宮社をおこして翌年から若宮祭(おん祭)を始めます。<br /> 興福寺は東大寺と多武峯を除く大和の寺社をその末寺や末社にするとともに、大和の土着の武士たちに僧の身分を与えて僧兵の主力にし、大和を治めるようになりました。<br /> 1180年(治承4)の平氏の焼討ちで、堂塔はことごとく焼けました。ただちに復興事業にかかり、14年ばかりの間に堂塔が再建され、1210年(承元4)には北円堂も落成しました。<br /> 1143年(康治2)に創建された三重塔も、鎌倉時代前期に再建されたものとみられます。1411年(応永18)東金堂と五重塔が雷火のために焼失しましたが、東金堂は15年(応永22)に、五重塔は26年(応永33)に再建されました。<br /> このころからしだいに寺勢が衰えましたが、江戸時代には幕府の保護もあって少し持ち直しました。1717年(享保2)、金堂から出火して、東金堂・五重塔・北円堂・三重塔を残して大半の堂舎が焼けてしまいました。<br /> 西国三十三所札所だったので、南円堂だけはほぼ元どおりに再建されました。明治維新の神仏分離で、興福寺はいちじ空家同然になりました。<br /> 1872年(明治5)、中心の堂塔を残して他の諸院の堂舎や土塀がとりこわされ、五重塔が売りに出されたりしました。<br /> 1881年(明治14)に再興の許可がおり、寺としての形もしだいに整っていきました。1998年(平成10)から、壮大な伽藍の復原整理事業がすすめられています。<br /><br />▼奈良公園/奈良県奈良市登大路町<br /> 太政官布達により明治13年(1880年)2月14日開園されました。大部分が国有地で、奈良県が無償で借用し管理しています。<br /> 都市公園としての正式名称は「奈良県立都市公園奈良公園」といい、総面積は502ヘクタール。周辺の興福寺、東大寺、春日大社、奈良国立博物館、なども含めると総面積はおよそ660ヘクタール(東西約4キロメートル、南北約2キロメートル)に及びます。通常はこの周辺社寺を含めたエリアを&quot;奈良公園&quot;と呼びます。<br /> 奈良公園及びその周辺で生息するシカ(ニホンジカ)について 奈良公園に生息するシカは国の天然記念物に指定されている野生動物です。<br /><br />【手記】<br /> 今回は(も)老体にムチ打って梅の花が咲く相生〜奈良〜伊賀上野〜志摩〜伊勢〜姫路〜岡山と言ったところを回ってきました。<br /> 旅行2日目はハードスケジュールすぎました。大和郡山城から奈良市西新屋町の「ならまち通り」まで移動してきました。この日はいろんな観光地を歩き回ってきたので I am ベリータイアード ^^;;ですダ。<br /> あとひと踏ん張り、ガンバンベー!!ということで「ならまち通り・奈良公園」の散策記です。

Solitary Journey [1537] 猿沢池にうつる興福寺の五重塔は、奈良を代表する風景になっています。<興福寺・奈良公園散策>奈良県奈良市

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2015/03/07 - 2015/03/11

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MechaGodzillaⅢ&703

MechaGodzillaⅢ&703さん

■春の車旅〜相生・奈良・柳生・伊賀上野・志摩・伊勢・姫路・岡山〜第8編

2日目・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆早朝5時ころ、兵庫県相生駅前H出発
▼山陽自動車道→中国自動車道→近畿自動車道→南阪奈道路
★川原寺/奈良県高市郡明日香村
★石舞台古墳/奈良県高市郡明日香村
★伝飛鳥板蓋宮跡/奈良県高市郡明日香村
★酒船石/奈良県高市郡明日香村
★橘寺/奈良県高市郡明日香村
★亀石/奈良県高市郡明日香村
★天武・持統天皇陵/奈良県高市郡明日香村
★飛鳥歴史公園(観梅)/奈良県高市郡明日香村
★高松塚古墳/奈良県高市郡明日香村
▼たかとり町家の雛めぐり/奈良県高市郡高取町
★大和郡山城跡(観梅)/奈良県大和郡山市城内町
★大和郡山市町並みめぐり/奈良県大和郡山市紺屋町
▼ならまち通り/奈良県奈良市
▼元興寺/奈良県奈良市中院町
▼猿沢池/奈良県奈良市登大路町
▼興福寺/奈良県奈良市登大路町
★奈良公園/奈良県奈良市登大路町
◆奈良県新大宮駅前H泊
3日目へつづく・・・
★印は想い出ふかい地です。

▼興福寺/奈良県奈良市登大路町
 猿沢池にうつる興福寺の五重塔は、奈良を代表する風景になっています。
 その興福寺は、藤原鎌足の死後の幸福のために建てられた山階寺が、飛鳥に移されて厩坂寺となり、平城遷都で移建されたと伝えられていますが、実は鎌足の子不比等の発願で氏寺として創建されたものです。
 中金堂ができて間もなく、官寺なみの扱いを受けることになりました。その後721年(養老5)に北円堂、726年(神亀3)に東金堂と五重塔、734年(天平6)に西金堂が建てられて伽藍がおおかた整いました。
 そして、平安時代の初め813年(弘仁4)には、藤原冬嗣が南円堂を建てます。
 藤原氏の力が大きくなるにつれて興福寺も勢いを伸ばしました。伽藍の外に一乗院・大乗院などの子院がつくられていきました。
 興福寺は氏社である春日社一体だと主張して春日社の実権をにぎり、1135年(保延元)には若宮社をおこして翌年から若宮祭(おん祭)を始めます。
 興福寺は東大寺と多武峯を除く大和の寺社をその末寺や末社にするとともに、大和の土着の武士たちに僧の身分を与えて僧兵の主力にし、大和を治めるようになりました。
 1180年(治承4)の平氏の焼討ちで、堂塔はことごとく焼けました。ただちに復興事業にかかり、14年ばかりの間に堂塔が再建され、1210年(承元4)には北円堂も落成しました。
 1143年(康治2)に創建された三重塔も、鎌倉時代前期に再建されたものとみられます。1411年(応永18)東金堂と五重塔が雷火のために焼失しましたが、東金堂は15年(応永22)に、五重塔は26年(応永33)に再建されました。
 このころからしだいに寺勢が衰えましたが、江戸時代には幕府の保護もあって少し持ち直しました。1717年(享保2)、金堂から出火して、東金堂・五重塔・北円堂・三重塔を残して大半の堂舎が焼けてしまいました。
 西国三十三所札所だったので、南円堂だけはほぼ元どおりに再建されました。明治維新の神仏分離で、興福寺はいちじ空家同然になりました。
 1872年(明治5)、中心の堂塔を残して他の諸院の堂舎や土塀がとりこわされ、五重塔が売りに出されたりしました。
 1881年(明治14)に再興の許可がおり、寺としての形もしだいに整っていきました。1998年(平成10)から、壮大な伽藍の復原整理事業がすすめられています。

▼奈良公園/奈良県奈良市登大路町
 太政官布達により明治13年(1880年)2月14日開園されました。大部分が国有地で、奈良県が無償で借用し管理しています。
 都市公園としての正式名称は「奈良県立都市公園奈良公園」といい、総面積は502ヘクタール。周辺の興福寺、東大寺、春日大社、奈良国立博物館、なども含めると総面積はおよそ660ヘクタール(東西約4キロメートル、南北約2キロメートル)に及びます。通常はこの周辺社寺を含めたエリアを"奈良公園"と呼びます。
 奈良公園及びその周辺で生息するシカ(ニホンジカ)について 奈良公園に生息するシカは国の天然記念物に指定されている野生動物です。

【手記】
 今回は(も)老体にムチ打って梅の花が咲く相生〜奈良〜伊賀上野〜志摩〜伊勢〜姫路〜岡山と言ったところを回ってきました。
 旅行2日目はハードスケジュールすぎました。大和郡山城から奈良市西新屋町の「ならまち通り」まで移動してきました。この日はいろんな観光地を歩き回ってきたので I am ベリータイアード ^^;;ですダ。
 あとひと踏ん張り、ガンバンベー!!ということで「ならまち通り・奈良公園」の散策記です。

同行者
一人旅
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
自家用車

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  • ■春の車旅〜相生・奈良・柳生・伊賀上野・志摩・伊勢・姫路・岡山〜第8編<br /> ならまち観光案内図を見て散策順を決めます。猿沢池→興福寺→奈良公園と周ろう。

    ■春の車旅〜相生・奈良・柳生・伊賀上野・志摩・伊勢・姫路・岡山〜第8編
     ならまち観光案内図を見て散策順を決めます。猿沢池→興福寺→奈良公園と周ろう。

  • ▼ならまち通り/奈良県奈良市高畑町<br /> 興福寺の五重の塔が見えます。テクテク歩いて猿沢池へ向かいました。

    ▼ならまち通り/奈良県奈良市高畑町
     興福寺の五重の塔が見えます。テクテク歩いて猿沢池へ向かいました。

  • ▼ならまち通り/奈良県奈良市今御門町<br /> 梅と鹿がデザインされたマンホール 奈良らしい。<br /> そうそう、この近くのお店でお土産を買ったら、おつりで2000円札が出てきた。

    ▼ならまち通り/奈良県奈良市今御門町
     梅と鹿がデザインされたマンホール 奈良らしい。
     そうそう、この近くのお店でお土産を買ったら、おつりで2000円札が出てきた。

  • ▼ならまち通り/奈良県奈良市今御門町<br /> 今御門町商店街から猿沢池へ出てきました。

    ▼ならまち通り/奈良県奈良市今御門町
     今御門町商店街から猿沢池へ出てきました。

  • ▼猿沢池/奈良県奈良市登大路町<br /> 奈良八景の一つに数えられる猿沢池は、周囲360m、池畔の枝垂れ柳越しに望む興福寺五重塔は昔も今も変わらぬ絵はがきの画題になる名勝です。

    ▼猿沢池/奈良県奈良市登大路町
     奈良八景の一つに数えられる猿沢池は、周囲360m、池畔の枝垂れ柳越しに望む興福寺五重塔は昔も今も変わらぬ絵はがきの画題になる名勝です。

  • ▼猿沢池/奈良県奈良市登大路町<br /> 石碑には、『むかし、むかしから 猿沢池には 不思議な いい伝えが あります 澄まず 濁らず 出ず入らず 蛙はわかず 藻は生えず 魚が七分に 水三分』と書かれています。 <br /><br />

    ▼猿沢池/奈良県奈良市登大路町
     石碑には、『むかし、むかしから 猿沢池には 不思議な いい伝えが あります 澄まず 濁らず 出ず入らず 蛙はわかず 藻は生えず 魚が七分に 水三分』と書かれています。

  • ▼猿沢池/奈良県奈良市登大路町<br /> 「猿沢池の水は、決して澄むことなく、またひどく濁ることもない。水が流入、流出する川もないのに、常に一定の水量を保っている。亀はたくさんいるが、なぜか蛙はいない。なぜか藻も生えない。毎年魚が放たれているのに、魚であふれる様子がない。水より魚の方が多くてもおかしくないような池。」という意味だそうです。

    ▼猿沢池/奈良県奈良市登大路町
     「猿沢池の水は、決して澄むことなく、またひどく濁ることもない。水が流入、流出する川もないのに、常に一定の水量を保っている。亀はたくさんいるが、なぜか蛙はいない。なぜか藻も生えない。毎年魚が放たれているのに、魚であふれる様子がない。水より魚の方が多くてもおかしくないような池。」という意味だそうです。

  • ▼猿沢池/奈良県奈良市登大路町<br /> 猿沢池にうつる興福寺の五重塔は、奈良を代表する風景になっています。

    ▼猿沢池/奈良県奈良市登大路町
     猿沢池にうつる興福寺の五重塔は、奈良を代表する風景になっています。

  • ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町<br />・三条通り<br /> 

    ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町
    ・三条通り
     

  • ▼興福寺/奈良県奈良市樽井町<br />・三条通り えんむすび采女(うねめ)神社

    ▼興福寺/奈良県奈良市樽井町
    ・三条通り えんむすび采女(うねめ)神社

  • ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町<br />・三条通り 正面は一の鳥居<br /> 

    ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町
    ・三条通り 正面は一の鳥居
     

  • ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町<br />・三条通り 古都奈良の町には人力車がよく似合う。

    ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町
    ・三条通り 古都奈良の町には人力車がよく似合う。

  • ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町<br />・五重塔<br /> 興福寺は、藤原鎌足の死後の幸福のために建てられた山階寺が、飛鳥に移されて厩坂寺となり、平城遷都で移建されたと伝えられていますが、実は鎌足の子不比等の発願で氏寺として創建されたものです。<br /> 

    ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町
    ・五重塔
     興福寺は、藤原鎌足の死後の幸福のために建てられた山階寺が、飛鳥に移されて厩坂寺となり、平城遷都で移建されたと伝えられていますが、実は鎌足の子不比等の発願で氏寺として創建されたものです。
     

  • ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町<br />・五重塔<br /> 中金堂ができて間もなく、官寺なみの扱いを受けることになりました。その後721年(養老5)に北円堂、726年(神亀3)に東金堂と五重塔、734年(天平6)に西金堂が建てられて伽藍がおおかた整いました。<br /> 

    ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町
    ・五重塔
     中金堂ができて間もなく、官寺なみの扱いを受けることになりました。その後721年(養老5)に北円堂、726年(神亀3)に東金堂と五重塔、734年(天平6)に西金堂が建てられて伽藍がおおかた整いました。
     

  • ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町<br />・南大門跡<br />  そして、平安時代の初め813年(弘仁4)には、藤原冬嗣が南円堂を建てます。<br /> 藤原氏の力が大きくなるにつれて興福寺も勢いを伸ばしました。伽藍の外に一乗院・大乗院などの子院がつくられていきました。<br /> 

    ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町
    ・南大門跡
      そして、平安時代の初め813年(弘仁4)には、藤原冬嗣が南円堂を建てます。
     藤原氏の力が大きくなるにつれて興福寺も勢いを伸ばしました。伽藍の外に一乗院・大乗院などの子院がつくられていきました。
     

  • ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町<br />・東金堂<br /> 興福寺は氏社である春日社一体だと主張して春日社の実権をにぎり、1135年(保延元)には若宮社をおこして翌年から若宮祭(おん祭)を始めます。<br /> 

    ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町
    ・東金堂
     興福寺は氏社である春日社一体だと主張して春日社の実権をにぎり、1135年(保延元)には若宮社をおこして翌年から若宮祭(おん祭)を始めます。
     

  • ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町<br />・東金堂<br /> 興福寺は東大寺と多武峯を除く大和の寺社をその末寺や末社にするとともに、大和の土着の武士たちに僧の身分を与えて僧兵の主力にし、大和を治めるようになりました。<br /> 

    ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町
    ・東金堂
     興福寺は東大寺と多武峯を除く大和の寺社をその末寺や末社にするとともに、大和の土着の武士たちに僧の身分を与えて僧兵の主力にし、大和を治めるようになりました。
     

  • ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町<br />・東金堂<br /> 1180年(治承4)の平氏の焼討ちで、堂塔はことごとく焼けました。ただちに復興事業にかかり、14年ばかりの間に堂塔が再建され、1210年(承元4)には北円堂も落成しました。<br /> 

    ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町
    ・東金堂
     1180年(治承4)の平氏の焼討ちで、堂塔はことごとく焼けました。ただちに復興事業にかかり、14年ばかりの間に堂塔が再建され、1210年(承元4)には北円堂も落成しました。
     

  • ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町<br />・東金堂<br /> 1143年(康治2)に創建された三重塔も、鎌倉時代前期に再建されたものとみられます。1411年(応永18)東金堂と五重塔が雷火のために焼失しましたが、東金堂は15年(応永22)に、五重塔は26年(応永33)に再建されました。

    ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町
    ・東金堂
     1143年(康治2)に創建された三重塔も、鎌倉時代前期に再建されたものとみられます。1411年(応永18)東金堂と五重塔が雷火のために焼失しましたが、東金堂は15年(応永22)に、五重塔は26年(応永33)に再建されました。

  • ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町<br />・南円堂<br /> このころからしだいに寺勢が衰えましたが、江戸時代には幕府の保護もあって少し持ち直しました。1717年(享保2)、金堂から出火して、東金堂・五重塔・北円堂・三重塔を残して大半の堂舎が焼けてしまいました。<br /> 

    ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町
    ・南円堂
     このころからしだいに寺勢が衰えましたが、江戸時代には幕府の保護もあって少し持ち直しました。1717年(享保2)、金堂から出火して、東金堂・五重塔・北円堂・三重塔を残して大半の堂舎が焼けてしまいました。
     

  • ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町<br />・南円堂<br /> 西国三十三所札所だったので、南円堂だけはほぼ元どおりに再建されました。明治維新の神仏分離で、興福寺はいちじ空家同然になりました。<br /> 

    ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町
    ・南円堂
     西国三十三所札所だったので、南円堂だけはほぼ元どおりに再建されました。明治維新の神仏分離で、興福寺はいちじ空家同然になりました。
     

  • ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町<br />・南大門跡<br /> 1872年(明治5)、中心の堂塔を残して他の諸院の堂舎や土塀がとりこわされ、五重塔が売りに出されたりしました。<br />

    ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町
    ・南大門跡
     1872年(明治5)、中心の堂塔を残して他の諸院の堂舎や土塀がとりこわされ、五重塔が売りに出されたりしました。

  • ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町<br />・三条通り<br /> 1881年(明治14)に再興の許可がおり、寺としての形もしだいに整っていきました。1998年(平成10)から、壮大な伽藍の復原整理事業がすすめられています。<br />

    ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町
    ・三条通り
     1881年(明治14)に再興の許可がおり、寺としての形もしだいに整っていきました。1998年(平成10)から、壮大な伽藍の復原整理事業がすすめられています。

  • ▼菊水楼/奈良県奈良市高畑町<br /> 興福寺のすぐそばにある明治時代中期創業という古い歴史を持つ料亭旅館です。

    ▼菊水楼/奈良県奈良市高畑町
     興福寺のすぐそばにある明治時代中期創業という古い歴史を持つ料亭旅館です。

  • ▼菊水楼/奈良県奈良市高畑町<br /> 江戸時代に建てられた表門や明治時代築の本館および旧本館などが登録有形文化財に指定されています。

    ▼菊水楼/奈良県奈良市高畑町
     江戸時代に建てられた表門や明治時代築の本館および旧本館などが登録有形文化財に指定されています。

  • ▼菊水楼/奈良県奈良市高畑町<br /> 入り口は、江戸時代に作られた薬医門

    ▼菊水楼/奈良県奈良市高畑町
     入り口は、江戸時代に作られた薬医門

  • ▼菊水楼/奈良県奈良市高畑町<br /> 

    ▼菊水楼/奈良県奈良市高畑町
     

  • ▼奈良公園/奈良県奈良市登大路町<br />・一の鳥居<br /> 奈良公園は太政官布達により明治13年(1880年)2月14日開園されました。大部分が国有地で、奈良県が無償で借用し管理しています。<br /> 

    ▼奈良公園/奈良県奈良市登大路町
    ・一の鳥居
     奈良公園は太政官布達により明治13年(1880年)2月14日開園されました。大部分が国有地で、奈良県が無償で借用し管理しています。
     

  • ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町<br />・一の鳥居<br /> 都市公園としての正式名称は「奈良県立都市公園奈良公園」といい、総面積は502ヘクタール。

    ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町
    ・一の鳥居
     都市公園としての正式名称は「奈良県立都市公園奈良公園」といい、総面積は502ヘクタール。

  • ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町<br />・江戸三<br /> 周辺の興福寺、東大寺、春日大社、奈良国立博物館、なども含めると総面積はおよそ660ヘクタール(東西約4キロメートル、南北約2キロメートル)に及びます。

    ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町
    ・江戸三
     周辺の興福寺、東大寺、春日大社、奈良国立博物館、なども含めると総面積はおよそ660ヘクタール(東西約4キロメートル、南北約2キロメートル)に及びます。

  • ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町<br /> 通常はこの周辺社寺を含めたエリアを&quot;奈良公園&quot;と呼びます。<br /> 

    ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町
     通常はこの周辺社寺を含めたエリアを"奈良公園"と呼びます。
     

  • ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町<br /> 奈良公園及びその周辺で生息するシカ(ニホンジカ)

    ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町
     奈良公園及びその周辺で生息するシカ(ニホンジカ)

  • ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町<br />・奈良国立博物館前の広場

    ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町
    ・奈良国立博物館前の広場

  • ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町<br />・奈良国立博物館前の広場<br /> 奈良公園に生息するシカは国の天然記念物に指定されている野生動物です。決して飼育されている動物ではありません。<br /><br />

    ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町
    ・奈良国立博物館前の広場
     奈良公園に生息するシカは国の天然記念物に指定されている野生動物です。決して飼育されている動物ではありません。

  • ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町<br />・奈良国立博物館前の広場<br /> 野生動物は「無主物」であり、所有者はありません。<br />

    ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町
    ・奈良国立博物館前の広場
     野生動物は「無主物」であり、所有者はありません。

  • ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町<br />・奈良国立博物館前の広場<br /> だからといって、個人が捕まえたり、傷つけたりすることは違法行為です。

    ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町
    ・奈良国立博物館前の広場
     だからといって、個人が捕まえたり、傷つけたりすることは違法行為です。

  • ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町<br />・奈良国立博物館前の広場<br /> 鹿は、普段は奈良公園のシバや、木の実、木の葉などを食べて生活しています。鹿がお腹を壊しますので、人間の食べ物(パン、お菓子、野菜など)を与えないようにしましょう。

    ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町
    ・奈良国立博物館前の広場
     鹿は、普段は奈良公園のシバや、木の実、木の葉などを食べて生活しています。鹿がお腹を壊しますので、人間の食べ物(パン、お菓子、野菜など)を与えないようにしましょう。

  • ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町<br />・奈良国立博物館前の広場<br /> 2014年7月現在1,362頭の鹿がいるそうです。

    ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町
    ・奈良国立博物館前の広場
     2014年7月現在1,362頭の鹿がいるそうです。

  • ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町<br /> コスプレの集会のようなものと遭遇〜。

    ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町
     コスプレの集会のようなものと遭遇〜。

  • ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町<br /> 最近はすごい恰好が流行るんだな。

    ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町
     最近はすごい恰好が流行るんだな。

  • ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町<br /> このキャラクターはなんて言うのでしょうか?おじいちゃんにはわからない。

    ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町
     このキャラクターはなんて言うのでしょうか?おじいちゃんにはわからない。

  • ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町<br /> ^^ 〜♪

    ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町
     ^^ 〜♪

  • ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町<br /> 以上で奈良公園散策終了です。大仏殿まで行こうと思っていたのですが、疲れていたのでやめました。

    ★奈良公園/奈良県奈良市登大路町
     以上で奈良公園散策終了です。大仏殿まで行こうと思っていたのですが、疲れていたのでやめました。

  • ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町<br /> 先ほどのコスプレ集団です。<br /> へ(´o`)へ チカレました。近鉄奈良線新大宮駅前のHへ向かいます。

    ▼興福寺/奈良県奈良市登大路町
     先ほどのコスプレ集団です。
     へ(´o`)へ チカレました。近鉄奈良線新大宮駅前のHへ向かいます。

  • ▼奈良公園/奈良県奈良市登大路町<br />・一の鳥居<br /> 旅行2日目はいろんな観光地を歩き回ってきたので I am ベリータイアード ^^;;ですダ。ハードスケジュールすぎたー。

    ▼奈良公園/奈良県奈良市登大路町
    ・一の鳥居
     旅行2日目はいろんな観光地を歩き回ってきたので I am ベリータイアード ^^;;ですダ。ハードスケジュールすぎたー。

  • ★平城宮跡/奈良県奈良市佐紀町<br /> 次の旅日記は「旅行3日目・平城宮跡観梅記」です。<br /><br />   THE END.  つづく・・・

    ★平城宮跡/奈良県奈良市佐紀町
     次の旅日記は「旅行3日目・平城宮跡観梅記」です。

       THE END.  つづく・・・

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