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タイトルの写真はポーランドの首都ワルシャワにある「ポーランド蜂起記念モニュメント」<br />社会科の課外活動で来ていた小学生たちの「元気」を撮影したものです<br /><br />ポーランドには13の世界遺産があります<br />今回の旅行ではその内の5ヶ所を見てきました<br />クラクフ歴史地区(1978登録)<br />ヴィエリチカ岩塩坑(1978登録)<br />アウシュビッツ・ビルケナウ ナチスドイツの強制絶滅収容所(1979年登録)<br />ワルシャワ歴史地区(1980年登録)<br />ザモシチ旧市街(1992年登録)<br />~~~~~~~~<br /><br />ところで、旅行の満足度の目安に「もう一度行きたいか?」があると思います<br />ポーランドはまた行ってみたい所の一つです<br />一番の魅力は人たちの優しさです<br /><br />ポーランドの世界遺産のうちでアウシュビッツ強制収容所(1979年登録)は<br />広島の原爆ドーム(1996年登録)、オーストラリア囚人遺跡群(2010登録)、アパルトヘイト(人種隔離政策)の象徴である南アフリカのロペン島(1999年登録)等と並び通称「負の遺産」とよばれています<br />「負の遺産」という用語は日本独自のものです<br />ユネスコの世界遺産の審査基準に「負の遺産」というカテゴリーはありません<br /><br />ユネスコの世界遺産委員会の審査評価基準には10のカテゴリーがあります<br />その基準6に準拠してアウシュビッツも広島も登録されています<br />広島の原爆ドームは世界遺産委員会の正式名称では「Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome)」であり、広島市民の半世紀に及ぶ平和運動が評価の対象(基準6)になっています<br />世界遺産の認定にあたっては、政治的利用とナショナリズムへの利用は排除されています<br />世界遺産審査基準についてご関心ある方は<br />詳細は下記をクリック下さい<br /><br />http://www.unesco.or.jp/isan/decides/<br /><br />~~~~~~~~~<br />東欧には虐げられた歴史を持つ国が多いですね<br />チェコ、ハンガリー、オーストリア<br />その中でもポーランドの歴史は特別に過酷だと思います<br />そんな歴史の苦しみを持ちながら徹底的に親切なポーランドの人たちでした<br /><br />この旅行記はポーランドの<br />16世紀まで首都だったクラクフの近郊の「アウシュビッツ」と<br />今の首都ワルシャワにある「ワルシャワ蜂起モニュメントと博物館」を合わせた訪 問記です<br />2つの訪問場所をまとめて「ひとつの旅行記」にすることで、ポーランド旅行で「感じたもの」をレポート出来るのではないかと思っています<br />~~~~~~~~<br /><br />アウシュビッツでは、<br />ただ一人の日本人ガイドである中谷さんにご案内して頂けました<br />日本語での解説はやはり分かりやすく有り難かったです<br /><br />彼が展示品を日本語で解説する場面で繰り返したのは、この事実を歴史(70~75年前にあった悲惨な歴史)として見るだけではなく、現在も世界のどこかで起きている問題として、考えて欲しいと言う事だと思いました<br /><br />来場者は若い学生の団体が多く、<br />彼らが真剣に見ている様子も展示品と同じくらい印象に残りました<br /><br />~~~~~~~~<br />ワルシャワ蜂起モニュメント<br /><br />クラクフからワルシャワに戻りWestinに2泊しました<br />ワルシャワの旧市街を見て<br />キューリ夫人博物館を通り<br />次の角を左折するとモニュメントがある広場に出ます<br /><br />先生に引率された小学生たちが課外活動で来ていました<br /><br />~~~~~~~~<br />ワルシャワ蜂起博物館<br /><br />宿泊していたワルシャワウェスティンのフロントで場所を聞きました<br />地図を書いてもらって歩きました<br />左にヒルトンを超えて直進し、トラムの走っている通りを渡って次の角を左折すると<br />ワルシャワ蜂起博物館の入り口に出ます<br />観光バスが3台止まっていました<br /><br />~~~~~~<br />スライドショーにも纏めています<br />https://youtu.be/FxceIBSZoIM?si=CkWI_IBms2wz9nP8

ポーランドの歴史をたどる~アウシュビッツ強制収容所からワルシャワ蜂起モニュメントへ~ 2015年3月

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2015/03/13 - 2015/03/16

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norio2bo

norio2boさん

タイトルの写真はポーランドの首都ワルシャワにある「ポーランド蜂起記念モニュメント」
社会科の課外活動で来ていた小学生たちの「元気」を撮影したものです

ポーランドには13の世界遺産があります
今回の旅行ではその内の5ヶ所を見てきました
クラクフ歴史地区(1978登録)
ヴィエリチカ岩塩坑(1978登録)
アウシュビッツ・ビルケナウ ナチスドイツの強制絶滅収容所(1979年登録)
ワルシャワ歴史地区(1980年登録)
ザモシチ旧市街(1992年登録)
~~~~~~~~

ところで、旅行の満足度の目安に「もう一度行きたいか?」があると思います
ポーランドはまた行ってみたい所の一つです
一番の魅力は人たちの優しさです

ポーランドの世界遺産のうちでアウシュビッツ強制収容所(1979年登録)は
広島の原爆ドーム(1996年登録)、オーストラリア囚人遺跡群(2010登録)、アパルトヘイト(人種隔離政策)の象徴である南アフリカのロペン島(1999年登録)等と並び通称「負の遺産」とよばれています
「負の遺産」という用語は日本独自のものです
ユネスコの世界遺産の審査基準に「負の遺産」というカテゴリーはありません

ユネスコの世界遺産委員会の審査評価基準には10のカテゴリーがあります
その基準6に準拠してアウシュビッツも広島も登録されています
広島の原爆ドームは世界遺産委員会の正式名称では「Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome)」であり、広島市民の半世紀に及ぶ平和運動が評価の対象(基準6)になっています
世界遺産の認定にあたっては、政治的利用とナショナリズムへの利用は排除されています
世界遺産審査基準についてご関心ある方は
詳細は下記をクリック下さい

http://www.unesco.or.jp/isan/decides/

~~~~~~~~~
東欧には虐げられた歴史を持つ国が多いですね
チェコ、ハンガリー、オーストリア
その中でもポーランドの歴史は特別に過酷だと思います
そんな歴史の苦しみを持ちながら徹底的に親切なポーランドの人たちでした

この旅行記はポーランドの
16世紀まで首都だったクラクフの近郊の「アウシュビッツ」と
今の首都ワルシャワにある「ワルシャワ蜂起モニュメントと博物館」を合わせた訪 問記です
2つの訪問場所をまとめて「ひとつの旅行記」にすることで、ポーランド旅行で「感じたもの」をレポート出来るのではないかと思っています
~~~~~~~~

アウシュビッツでは、
ただ一人の日本人ガイドである中谷さんにご案内して頂けました
日本語での解説はやはり分かりやすく有り難かったです

彼が展示品を日本語で解説する場面で繰り返したのは、この事実を歴史(70~75年前にあった悲惨な歴史)として見るだけではなく、現在も世界のどこかで起きている問題として、考えて欲しいと言う事だと思いました

来場者は若い学生の団体が多く、
彼らが真剣に見ている様子も展示品と同じくらい印象に残りました

~~~~~~~~
ワルシャワ蜂起モニュメント

クラクフからワルシャワに戻りWestinに2泊しました
ワルシャワの旧市街を見て
キューリ夫人博物館を通り
次の角を左折するとモニュメントがある広場に出ます

先生に引率された小学生たちが課外活動で来ていました

~~~~~~~~
ワルシャワ蜂起博物館

宿泊していたワルシャワウェスティンのフロントで場所を聞きました
地図を書いてもらって歩きました
左にヒルトンを超えて直進し、トラムの走っている通りを渡って次の角を左折すると
ワルシャワ蜂起博物館の入り口に出ます
観光バスが3台止まっていました

~~~~~~
スライドショーにも纏めています
https://youtu.be/FxceIBSZoIM?si=CkWI_IBms2wz9nP8

  • アウシュビッツ強制収容所の入り口です<br />アウシュビッツのWebです(英文です)<br />http://auschwitz.org/en/<br /><br />ポーランド政府観光局の資料には以下の記述がありました<br />でも、ここでの「世界遺産」についての記述は間違っています<br />多分、ポーランド人が書いたものを和訳したのではなく、日本人スタッフが書いた文章だと思います<br />「負の遺産」という言葉は本文で書いたようにユネスコの世界遺産の審査基準には存在していません<br /><br />以下ポーランド政府観光局の資料からの引用です<br />第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが百万以上におよぶ人々を虐殺したヨーロッパ最大の絶滅収容所であるアウシュヴィッツは、「負の遺産」として世界遺産に登録されました。今も世界中から多くの人々が、追悼と平和を願って訪れます。 「負の遺産」として。

    アウシュビッツ強制収容所の入り口です
    アウシュビッツのWebです(英文です)
    http://auschwitz.org/en/

    ポーランド政府観光局の資料には以下の記述がありました
    でも、ここでの「世界遺産」についての記述は間違っています
    多分、ポーランド人が書いたものを和訳したのではなく、日本人スタッフが書いた文章だと思います
    「負の遺産」という言葉は本文で書いたようにユネスコの世界遺産の審査基準には存在していません

    以下ポーランド政府観光局の資料からの引用です
    第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが百万以上におよぶ人々を虐殺したヨーロッパ最大の絶滅収容所であるアウシュヴィッツは、「負の遺産」として世界遺産に登録されました。今も世界中から多くの人々が、追悼と平和を願って訪れます。 「負の遺産」として。

    オシフィエンチム (アウシュヴィッツ第一強制収容所) / アウシュヴィッツ博物館 建造物

  • アウシュヴィッツ=ビルケナウ<br />ナチス・ドイツの強制・絶滅収容所<br />Auschwitz-Birkenau<br />Niemiecki nazistowski obóz koncentracyjny i zagłady (1940-1945) <br /><br />1979年、世界遺産登録<br />

    アウシュヴィッツ=ビルケナウ
    ナチス・ドイツの強制・絶滅収容所
    Auschwitz-Birkenau
    Niemiecki nazistowski obóz koncentracyjny i zagłady (1940-1945)

    1979年、世界遺産登録

  • ミュージアムショップ<br />関連書籍<br />絵葉書<br />が販売されています

    ミュージアムショップ
    関連書籍
    絵葉書
    が販売されています

  • 朝早くから授業の一環で学生が団体で来ています<br />雨の中、長い行列が出来ていました<br /><br />ポーランド政府観光局の資料から引用します<br /><br />ポーランド語でオシフィエンチム(Oświęcim)というこの町は、ドイツ語名であるヨーロッパ最大の絶滅収容所がこの町にあったためです。1979年、アウシュヴィッツは、第二次世界大戦において人類の起こした悲劇の証拠であり後世に語り継ぐべき「負の遺産」として世界遺産に登録されました。今も世界中から多くの人々が、追悼と平和を願って訪れます。

    朝早くから授業の一環で学生が団体で来ています
    雨の中、長い行列が出来ていました

    ポーランド政府観光局の資料から引用します

    ポーランド語でオシフィエンチム(Oświęcim)というこの町は、ドイツ語名であるヨーロッパ最大の絶滅収容所がこの町にあったためです。1979年、アウシュヴィッツは、第二次世界大戦において人類の起こした悲劇の証拠であり後世に語り継ぐべき「負の遺産」として世界遺産に登録されました。今も世界中から多くの人々が、追悼と平和を願って訪れます。

  • Auschwitz Birkenau German Nazi Concentration and Extermination Camp (1940-1945)<br /><br />Web<br />http://auschwitz.org/en/

    Auschwitz Birkenau German Nazi Concentration and Extermination Camp (1940-1945)

    Web
    http://auschwitz.org/en/

  • 入り口の表記は3ヶ国語です

    入り口の表記は3ヶ国語です

  • 入り口には手荷物検査のトンネルと身体検査用のゲートがあります<br />形ばかりの検査という印象でしたが、Neo-Nazi対策だと説明でした

    入り口には手荷物検査のトンネルと身体検査用のゲートがあります
    形ばかりの検査という印象でしたが、Neo-Nazi対策だと説明でした

  • ポーランド政府観光局の資料から引用します<br /><br />収容所の歴史<br />アウシュヴィッツは、ヒトラー占領下にあったヨーロッパ地域で最大の強制・絶滅収容所です。ここに運ばれてきた人の数は数百万人に及ぶとも言われています。この場所で、主にポーランド人とユダヤ人を対象にした民族完全絶滅のための集団虐殺計画が実現されていったのです。

    ポーランド政府観光局の資料から引用します

    収容所の歴史
    アウシュヴィッツは、ヒトラー占領下にあったヨーロッパ地域で最大の強制・絶滅収容所です。ここに運ばれてきた人の数は数百万人に及ぶとも言われています。この場所で、主にポーランド人とユダヤ人を対象にした民族完全絶滅のための集団虐殺計画が実現されていったのです。

  • Arbeit macht frei(働けば自由になる)<br /><br />Wikiにこんな記述がありました<br /><br />2009年 - 「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」看板が何者かに盗まれ、のち3つに切断され捻じ曲げられた形で発見される。2011年5月に修復完了。今後は複製品を掲示し、実物は厳重に保管されている

    Arbeit macht frei(働けば自由になる)

    Wikiにこんな記述がありました

    2009年 - 「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」看板が何者かに盗まれ、のち3つに切断され捻じ曲げられた形で発見される。2011年5月に修復完了。今後は複製品を掲示し、実物は厳重に保管されている

    オシフィエンチム (アウシュヴィッツ第一強制収容所) / アウシュヴィッツ博物館 建造物

  • ポーランド政府観光局の資料から引用します<br /><br />ナチス・ドイツがオシフィエンチム市で「アウシュヴィッツ第1強制収容所(基幹収容所)」の建設に着手したのは1940年のことです。1940年6月には、ポーランド人政治犯を乗せた最初の移送列車が到着しました。その後、囚人数の増加と共に、収容所は拡張されていきます。1941年10月からは、オシフィエンチムの郊外約3kmほどに位置するブジェジンカ村(Brzezinka)に絶滅収容所として悪名高い「アウシュヴィッツ第2強制収容所ビルケナウ」の建設が始まりました。1942年春からは実際に絶滅計画が開始されています。さらに1942〜44年にかけて、ドイツの大企業の製造プラントなどが併設された「アウシュヴィッツ第3強制収容所モノヴィッツ」が造られました。その他にも近隣に合計40以上の補助収容所が設けられました。

    ポーランド政府観光局の資料から引用します

    ナチス・ドイツがオシフィエンチム市で「アウシュヴィッツ第1強制収容所(基幹収容所)」の建設に着手したのは1940年のことです。1940年6月には、ポーランド人政治犯を乗せた最初の移送列車が到着しました。その後、囚人数の増加と共に、収容所は拡張されていきます。1941年10月からは、オシフィエンチムの郊外約3kmほどに位置するブジェジンカ村(Brzezinka)に絶滅収容所として悪名高い「アウシュヴィッツ第2強制収容所ビルケナウ」の建設が始まりました。1942年春からは実際に絶滅計画が開始されています。さらに1942〜44年にかけて、ドイツの大企業の製造プラントなどが併設された「アウシュヴィッツ第3強制収容所モノヴィッツ」が造られました。その他にも近隣に合計40以上の補助収容所が設けられました。

  • 収容所の建屋を入ると展示がある<br /><br />ポーランド政府観光局の資料から引用します<br /><br />現在公開されている施設<br />第1収容所の跡地には、収容棟と「Arbeit macht frei(働けば自由になる)」の文字を掲げた門が残されています。「アウシュヴィッツ=ビルケナウ国立博物館(Państwowe Muzeum Auschwitz ? Birkenau)」として公開されている一部の収容棟内には、大量虐殺(ジェノサイト)という犯罪のおぞましい証拠が保存・展示されており、見学者はナチスが犠牲者たちから没収した私物(身分証明書、写真、旅行鞄、眼鏡、杖、靴、宝飾品など)、義手・義足、髪の毛の山などを目の当たりにすることになります。

    収容所の建屋を入ると展示がある

    ポーランド政府観光局の資料から引用します

    現在公開されている施設
    第1収容所の跡地には、収容棟と「Arbeit macht frei(働けば自由になる)」の文字を掲げた門が残されています。「アウシュヴィッツ=ビルケナウ国立博物館(Państwowe Muzeum Auschwitz ? Birkenau)」として公開されている一部の収容棟内には、大量虐殺(ジェノサイト)という犯罪のおぞましい証拠が保存・展示されており、見学者はナチスが犠牲者たちから没収した私物(身分証明書、写真、旅行鞄、眼鏡、杖、靴、宝飾品など)、義手・義足、髪の毛の山などを目の当たりにすることになります。

  • 人々はあらゆる地域から収容所に集められた<br /><br /><br />ポーランド政府観光局の資料から引用します<br /><br />当初の囚人たちはポーランド人が中心でしたが、その後、捕虜になったソ連兵、ロマ、その他の国からの収容者が増えてゆきました。<br />1942年以降、アウシュヴィッツ収容所はヒトラーによるユダヤ人の最終的解決の一環として、ユダヤ系市民を大量虐殺するための場所となっていったのです。この収容所には『アンネの日記』で有名なアンネ・フランクも一時収容されていたことがあります。また、戦前に長崎でキリスト教の布教活動に携わり日本人に親しまれていたコルベ神父も、ここに収容され、ある囚人の身代わりとなって亡くなりました。犠牲者数の特定は今となっては大変難しく、28カ国の110万人以上に上るといわれています。そのうち圧倒的多数はユダヤ系の人々で、ポーランドだけでなくナチ占領下の様々な国からここへと輸送され、虐殺されたのです。<br /><br />〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜<br />アンネフランクの日記<br /><br />https://www.google.com/culturalinstitute/exhibit/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF/wQi4lSIy?projectId=the-holocaust&amp;hl=ja

    人々はあらゆる地域から収容所に集められた


    ポーランド政府観光局の資料から引用します

    当初の囚人たちはポーランド人が中心でしたが、その後、捕虜になったソ連兵、ロマ、その他の国からの収容者が増えてゆきました。
    1942年以降、アウシュヴィッツ収容所はヒトラーによるユダヤ人の最終的解決の一環として、ユダヤ系市民を大量虐殺するための場所となっていったのです。この収容所には『アンネの日記』で有名なアンネ・フランクも一時収容されていたことがあります。また、戦前に長崎でキリスト教の布教活動に携わり日本人に親しまれていたコルベ神父も、ここに収容され、ある囚人の身代わりとなって亡くなりました。犠牲者数の特定は今となっては大変難しく、28カ国の110万人以上に上るといわれています。そのうち圧倒的多数はユダヤ系の人々で、ポーランドだけでなくナチ占領下の様々な国からここへと輸送され、虐殺されたのです。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
    アンネフランクの日記

    https://www.google.com/culturalinstitute/exhibit/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF/wQi4lSIy?projectId=the-holocaust&hl=ja

  • 展示プレートです<br />和訳しました<br /><br />アウシュビッツは1940〜1945年にかけてナチスドイツの強制絶滅収容所であった<br />ナチスは少なくとも130万人をアウシュビッツへ移送した<br />その内<br />ユダヤ人は110万人<br />ポーランド人は14〜15万人<br />ジプシーは23000人<br />ロシア人捕虜15000人<br />その他の捕虜25000人<br />その内110万人はアウシュビッツで死去<br />犠牲者の90%はユダヤ人であった<br />ナチス親衛隊はほとんどの人たちを毒ガス室で殺害した

    展示プレートです
    和訳しました

    アウシュビッツは1940〜1945年にかけてナチスドイツの強制絶滅収容所であった
    ナチスは少なくとも130万人をアウシュビッツへ移送した
    その内
    ユダヤ人は110万人
    ポーランド人は14〜15万人
    ジプシーは23000人
    ロシア人捕虜15000人
    その他の捕虜25000人
    その内110万人はアウシュビッツで死去
    犠牲者の90%はユダヤ人であった
    ナチス親衛隊はほとんどの人たちを毒ガス室で殺害した

  • 展示プレートです<br />和訳です<br /><br />我々は祖国ドイツのポーランド人、ロシア人、ユダヤ人、ジプシーを排除しなければならない<br /><br />第三帝国法務大臣オットー・ティラック

    展示プレートです
    和訳です

    我々は祖国ドイツのポーランド人、ロシア人、ユダヤ人、ジプシーを排除しなければならない

    第三帝国法務大臣オットー・ティラック

  • 被害者の焼却灰のつめられたモニュメント<br /><br /><br />Author: Paweł Sawicki<br />The urn with human ash

    被害者の焼却灰のつめられたモニュメント


    Author: Paweł Sawicki
    The urn with human ash

  • 被害者の書類の展示に見入る女子学生

    被害者の書類の展示に見入る女子学生

  • 収容所に収容された被収容者により撮影された写真<br />奇跡的に持ち出されパルチザンに回覧されたという<br />

    収容所に収容された被収容者により撮影された写真
    奇跡的に持ち出されパルチザンに回覧されたという

  • 同じく<br />火葬の写真<br />被収容者が死んだ被収容者を焼却している

    同じく
    火葬の写真
    被収容者が死んだ被収容者を焼却している

  • 被収容者の処理は<br />銃殺、絞首刑であったが<br />処理能力向上が必要になったナチスドイツは毒ガスや排気ガスの使用の効果実験をユダヤ人捕虜たちで行った<br /><br />ガス室が作られ毒ガスでの大虐殺が主流になっていった<br />毒ガスとして使用されたチクロンBは本来農薬です<br />アウシュビッツには殺人用途に20トンが納入された<br /><br />〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜<br />Wikiから引用<br /><br />ツィクロンB (独: Zyklon B, 英: Cyclon B) は、ドイツのシアン化合物系の殺虫剤の商標である。しかし第二次世界大戦中にナチス・ドイツによるホロコーストで、強制収容所のガス室で毒ガスとして用いられたため、現在は農薬としては用いられておらず、その他の使用(シラミ除去など)に対してもユダヤ人団体からの抗議で商用に至っていない。<br /><br />カナ表記は一般的には「チクロンB」ともされ、英語読みで「サイクロンB」とも言うが、全て同じ薬剤である。

    被収容者の処理は
    銃殺、絞首刑であったが
    処理能力向上が必要になったナチスドイツは毒ガスや排気ガスの使用の効果実験をユダヤ人捕虜たちで行った

    ガス室が作られ毒ガスでの大虐殺が主流になっていった
    毒ガスとして使用されたチクロンBは本来農薬です
    アウシュビッツには殺人用途に20トンが納入された

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
    Wikiから引用

    ツィクロンB (独: Zyklon B, 英: Cyclon B) は、ドイツのシアン化合物系の殺虫剤の商標である。しかし第二次世界大戦中にナチス・ドイツによるホロコーストで、強制収容所のガス室で毒ガスとして用いられたため、現在は農薬としては用いられておらず、その他の使用(シラミ除去など)に対してもユダヤ人団体からの抗議で商用に至っていない。

    カナ表記は一般的には「チクロンB」ともされ、英語読みで「サイクロンB」とも言うが、全て同じ薬剤である。

  • Wikiからの引用です<br /><br />ドイツ統治下の各地より貨車などで運ばれてきた被収容者は、オシフェンチムの貨車駅(1944年5月以降は第二強制収容所ビルケナウに作られた鉄道引込線終着点)で降ろされ、「収容理由」「思想」「職能」「人種」「宗教」「性別」「健康状態」などの情報をもとに「労働者」「人体実験の検体」、そして「価値なし」などに分けられた。価値なしと判断された被収容者はガス室などで処分となる。その多くが「女性、子供、老人」であったとされる。ここで言う「子供」とは身長120cm以下の者を指すが、学校や孤児院から集団で送られて来ていた子供たちは形式的な審査もなく、引率の教師とともにガス室へ送られた。

    Wikiからの引用です

    ドイツ統治下の各地より貨車などで運ばれてきた被収容者は、オシフェンチムの貨車駅(1944年5月以降は第二強制収容所ビルケナウに作られた鉄道引込線終着点)で降ろされ、「収容理由」「思想」「職能」「人種」「宗教」「性別」「健康状態」などの情報をもとに「労働者」「人体実験の検体」、そして「価値なし」などに分けられた。価値なしと判断された被収容者はガス室などで処分となる。その多くが「女性、子供、老人」であったとされる。ここで言う「子供」とは身長120cm以下の者を指すが、学校や孤児院から集団で送られて来ていた子供たちは形式的な審査もなく、引率の教師とともにガス室へ送られた。

  • Wikiからの引用です<br /><br />被収容者は、男女問わず頭髪をすべて刈り、消毒、写真撮影[16]、管理番号を刺青するなど入所にあたっての準備や手続きを行う。管理番号は一人ひとりに与えられ、その総数は約40万件とされる。私物は「選別」の段階までに、戦争遂行に欠かせない資源としてすべて没収されており、与えられる縦じまの囚人服が唯一の所持品となる。最後に、人種別・性別などに分けられた収容棟に送られた。

    Wikiからの引用です

    被収容者は、男女問わず頭髪をすべて刈り、消毒、写真撮影[16]、管理番号を刺青するなど入所にあたっての準備や手続きを行う。管理番号は一人ひとりに与えられ、その総数は約40万件とされる。私物は「選別」の段階までに、戦争遂行に欠かせない資源としてすべて没収されており、与えられる縦じまの囚人服が唯一の所持品となる。最後に、人種別・性別などに分けられた収容棟に送られた。

  • Wikiからの引用です<br /><br />被収容者をさまざまな実験の検体として扱った。いわゆる「人体実験」である。カール・ゲープハルト、エルンスト・ロベルト・グラーヴィッツ、ホルスト・シューマンらはスラブ民族撲滅のために男女の断種実験を、ヨーゼフ・メンゲレは双子や身体障害者、精神障害者を使った遺伝学や人類学の研究を行ったとされる。<br /><br />ほかにも新薬投与実験や有害物質を囚人の皮膚に塗布する実験などが行われた。命を落とした者は数百に及び、たとえ生還できたとしてもその多くには障害が残った。ニュルンベルク裁判などはこれらの行為を医療犯罪として裁いた(医者裁判に概要)。また、裁判の結果を受け、医学的研究における被験者の意思と自由を保護する「ニュルンベルク綱領」が示された。

    Wikiからの引用です

    被収容者をさまざまな実験の検体として扱った。いわゆる「人体実験」である。カール・ゲープハルト、エルンスト・ロベルト・グラーヴィッツ、ホルスト・シューマンらはスラブ民族撲滅のために男女の断種実験を、ヨーゼフ・メンゲレは双子や身体障害者、精神障害者を使った遺伝学や人類学の研究を行ったとされる。

    ほかにも新薬投与実験や有害物質を囚人の皮膚に塗布する実験などが行われた。命を落とした者は数百に及び、たとえ生還できたとしてもその多くには障害が残った。ニュルンベルク裁判などはこれらの行為を医療犯罪として裁いた(医者裁判に概要)。また、裁判の結果を受け、医学的研究における被験者の意思と自由を保護する「ニュルンベルク綱領」が示された。

  • 被収容者の私服たち

    被収容者の私服たち

  • 女児の赤いニットワンピース<br />70年以上前のものとは思えなかった

    女児の赤いニットワンピース
    70年以上前のものとは思えなかった

  • Wikiより引用<br /><br />住環境は非常に劣悪であった。この地域は、夏は最高で、摂氏37度、冬は最低で、マイナス20度を下回る。第一収容所はもともとポーランド軍の兵営であったため暖房設備は完備されていたが、収容所として利用された時には薪などの燃料は供給されなかったと言われている。掛け布団は汚れて穴だらけの毛布(薄手の麻布に過ぎない)のみであった。カポなどSSに協力する者には個室やまともな食事が与えられている。

    Wikiより引用

    住環境は非常に劣悪であった。この地域は、夏は最高で、摂氏37度、冬は最低で、マイナス20度を下回る。第一収容所はもともとポーランド軍の兵営であったため暖房設備は完備されていたが、収容所として利用された時には薪などの燃料は供給されなかったと言われている。掛け布団は汚れて穴だらけの毛布(薄手の麻布に過ぎない)のみであった。カポなどSSに協力する者には個室やまともな食事が与えられている。

  • この柵で複数の被収容者が並べて絞首刑にされた<br />これは、復元されたものだという<br /><br />毒ガス室の運用開始にともない、絞首刑、銃殺刑は見せしめ、脱走や反抗への見せしめに使われるようになった

    この柵で複数の被収容者が並べて絞首刑にされた
    これは、復元されたものだという

    毒ガス室の運用開始にともない、絞首刑、銃殺刑は見せしめ、脱走や反抗への見せしめに使われるようになった

  • 絞首刑場には<br />花束が捧げられていた

    絞首刑場には
    花束が捧げられていた

  • 初代の収容所所長ヘスの絞首刑台<br /><br />1947年4月16日<br />アウシュビッツの初代所長ルドルフ・フェルディナント・ヘスはアウシュヴィッツにて絞首刑に処された<br /><br />Wikiへのリンク<br /><br />http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ルドルフ・フェルディナント・ヘス

    初代の収容所所長ヘスの絞首刑台

    1947年4月16日
    アウシュビッツの初代所長ルドルフ・フェルディナント・ヘスはアウシュヴィッツにて絞首刑に処された

    Wikiへのリンク

    http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ルドルフ・フェルディナント・ヘス

  • 毒ガスを使用して800人単位で殺人が行われた<br />ここの毒ガス室の内部は唯一撮影禁止になっていた

    毒ガスを使用して800人単位で殺人が行われた
    ここの毒ガス室の内部は唯一撮影禁止になっていた

  • 鉄条網には6000ボルトが流されていたと言う<br />自ら感電し自殺する被収容者も居た

    鉄条網には6000ボルトが流されていたと言う
    自ら感電し自殺する被収容者も居た

  • ビルケナウ (アウシュヴィッツ第二強制収容所) 史跡・遺跡

  • ポーランド政府観光局の資料から引用します<br /><br />第2収容所ビルケナウの広大な敷地には、今日ではわずかな数のバラックと焼却炉の瓦礫が残されているにすぎません。1967年に除幕された犠牲者の追悼のための国際受難記念碑(Międzynarodowy Pomnik Męczeństwa)が目を引きます。

    ポーランド政府観光局の資料から引用します

    第2収容所ビルケナウの広大な敷地には、今日ではわずかな数のバラックと焼却炉の瓦礫が残されているにすぎません。1967年に除幕された犠牲者の追悼のための国際受難記念碑(Międzynarodowy Pomnik Męczeństwa)が目を引きます。

    ビルケナウ (アウシュヴィッツ第二強制収容所) 史跡・遺跡

  • ビルケナウ (アウシュヴィッツ第二強制収容所) 史跡・遺跡

  • ビルケナウ (アウシュヴィッツ第二強制収容所) 史跡・遺跡

  • ビルケナウ (アウシュヴィッツ第二強制収容所) 史跡・遺跡

  • Wikiより引用します<br /><br />第二収容所はバラックと言うべき非常に粗末なつくりで、もともと、ポーランド軍の馬小屋であったものや、のちに一部は基礎工事なしで建てられたため床がなく、上下水道が完備されていないため地面は土泥化していた(汚水は収容者が敷地内に溝を掘って流した)。暖房は簡素なものがあったが、燃料の供給はされなかったと言われ、なぜこのような暖房設備が作られたのか、理由は不明であり、隙間風がいやおうなく吹き込み役目を果たしていなかったと言われる。排水がままならない不衛生なトイレ(長大な縦長の大きな桶の上にコンクリートの板を置き、表面の左右に丸い穴をあけただけのもの)を真ん中にはさむ形で三段ベッドが並べられ、マットレスの代わりにわらを敷いて使用した。トイレの使用は、午前・午後2回に制限されており、目隠しになるものもなく、一斉に使用を強制された。非衛生的環境であったため、病原性の下痢も蔓延しており、きわめて非人間的扱いがなされた。映画『シンドラーのリスト』では、汚物まみれのトイレの溝に隠れて、処刑をまぬがれた少年がいた描写がされている。

    Wikiより引用します

    第二収容所はバラックと言うべき非常に粗末なつくりで、もともと、ポーランド軍の馬小屋であったものや、のちに一部は基礎工事なしで建てられたため床がなく、上下水道が完備されていないため地面は土泥化していた(汚水は収容者が敷地内に溝を掘って流した)。暖房は簡素なものがあったが、燃料の供給はされなかったと言われ、なぜこのような暖房設備が作られたのか、理由は不明であり、隙間風がいやおうなく吹き込み役目を果たしていなかったと言われる。排水がままならない不衛生なトイレ(長大な縦長の大きな桶の上にコンクリートの板を置き、表面の左右に丸い穴をあけただけのもの)を真ん中にはさむ形で三段ベッドが並べられ、マットレスの代わりにわらを敷いて使用した。トイレの使用は、午前・午後2回に制限されており、目隠しになるものもなく、一斉に使用を強制された。非衛生的環境であったため、病原性の下痢も蔓延しており、きわめて非人間的扱いがなされた。映画『シンドラーのリスト』では、汚物まみれのトイレの溝に隠れて、処刑をまぬがれた少年がいた描写がされている。

  • トイレです<br />

    トイレです

    ビルケナウ (アウシュヴィッツ第二強制収容所) 史跡・遺跡

  • ビルケナウ (アウシュヴィッツ第二強制収容所) 史跡・遺跡

  • ビルケナウ (アウシュヴィッツ第二強制収容所) 史跡・遺跡

  • 暖房用の炉<br /><br />ツアーを代表して添乗員のIさんがバラの花束を献花しました

    暖房用の炉

    ツアーを代表して添乗員のIさんがバラの花束を献花しました

  • ポーランド政府観光局の資料から引用します<br /><br />終戦直前に、ナチスは自分たちの蛮行を隠すためにガス室や死体焼却場を徹底的に破壊し、重要書類の処分を行い、歩ける収容者をドイツ方面へと連行してゆきました。アウシュヴィッツ収容所は1945年1月27日にソ連軍によって解放されます。<br /><br />世界遺産登録の経緯<br />終戦後間もない1947年、ポーランド国会においてアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所を後世への教訓のために保管することが決定し、アウシュヴィッツ博物館が設立されました。そして1979年にはユネスコによって世界遺産に登録されます。

    ポーランド政府観光局の資料から引用します

    終戦直前に、ナチスは自分たちの蛮行を隠すためにガス室や死体焼却場を徹底的に破壊し、重要書類の処分を行い、歩ける収容者をドイツ方面へと連行してゆきました。アウシュヴィッツ収容所は1945年1月27日にソ連軍によって解放されます。

    世界遺産登録の経緯
    終戦後間もない1947年、ポーランド国会においてアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所を後世への教訓のために保管することが決定し、アウシュヴィッツ博物館が設立されました。そして1979年にはユネスコによって世界遺産に登録されます。

  • 公式HP: www.auschwitz.org.pl<br />見学料: 無料。ただしガイド付の場合は有料。日本語ガイドは要事前予約。<br />見学時間: <br />    8:00 - 15:00 12月〜2月<br />    8:00 - 16:00 3月・11月<br />    8:00 - 17:00 4月・10月<br />    8:00 - 18:00 5月・9月<br />    8:00 - 19:00 6月〜8月<br />※ 曜日に関係なく毎日開放。ただし1月1日、12月25日、イースター初日の休日を除く<br /><br />〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜<br />Wikiからの引用です<br />多くの要人が公式・非公式にかかわらずこの地を訪れている。一例として、1979年にはポーランド出身のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、2006年5月28日にはベネディクト16世が訪問している。ベネディクト16世は「この地で未曽有の大量殺戮があったことは、キリスト教徒として、ドイツ人の教皇として耐え難いことだ」と述べた。年間を通じてイスラエル人学生の修学旅行のルートになっている。日本からの訪問も増えており、多くても200人程度だった年間訪問者が近年は5,000人を超えた。

    公式HP: www.auschwitz.org.pl
    見学料: 無料。ただしガイド付の場合は有料。日本語ガイドは要事前予約。
    見学時間:
    8:00 - 15:00 12月〜2月
    8:00 - 16:00 3月・11月
    8:00 - 17:00 4月・10月
    8:00 - 18:00 5月・9月
    8:00 - 19:00 6月〜8月
    ※ 曜日に関係なく毎日開放。ただし1月1日、12月25日、イースター初日の休日を除く

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
    Wikiからの引用です
    多くの要人が公式・非公式にかかわらずこの地を訪れている。一例として、1979年にはポーランド出身のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、2006年5月28日にはベネディクト16世が訪問している。ベネディクト16世は「この地で未曽有の大量殺戮があったことは、キリスト教徒として、ドイツ人の教皇として耐え難いことだ」と述べた。年間を通じてイスラエル人学生の修学旅行のルートになっている。日本からの訪問も増えており、多くても200人程度だった年間訪問者が近年は5,000人を超えた。

  • ここからワルシャワです<br /><br />ホテル(ウェスティンワルシャワ)から歩いて10分<br />トラムの走っている道を渡って次の角を左折すると<br />ワルシャワ蜂起博物館の正面玄関です<br /><br />大型観光バスが3台止まっていました

    ここからワルシャワです

    ホテル(ウェスティンワルシャワ)から歩いて10分
    トラムの走っている道を渡って次の角を左折すると
    ワルシャワ蜂起博物館の正面玄関です

    大型観光バスが3台止まっていました

    ワルシャワ蜂起博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  • ワルシャワ市内にあるワルシャワ蜂起博物館<br />Warsaw rising museum<br /><br />Websiteは下記<br />http://www.1944.pl/en/

    ワルシャワ市内にあるワルシャワ蜂起博物館
    Warsaw rising museum

    Websiteは下記
    http://www.1944.pl/en/

    ワルシャワ蜂起博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  • ワルシャワ蜂起博物館ミュージアムショップ<br />

    ワルシャワ蜂起博物館ミュージアムショップ

  • 第二次世界大戦中のドイツ占領国では「ドイツ人専用」の表示が交通機関やレストラン、映画館、劇場の入口などに掲げられ人種差別行われた<br /><br />Wikiの原文です<br />The slogan Nur für Deutsche <br />(English: &quot;Only for Germans&quot;) was during World War II, in many German-occupied countries, a racialist slogan indicating that certain establishments and transportation were reserved only for Germans. <br />Signs bearing the slogan were posted at entrances to parks, cafes, cinemas, theaters and other facilities.

    第二次世界大戦中のドイツ占領国では「ドイツ人専用」の表示が交通機関やレストラン、映画館、劇場の入口などに掲げられ人種差別行われた

    Wikiの原文です
    The slogan Nur für Deutsche
    (English: "Only for Germans") was during World War II, in many German-occupied countries, a racialist slogan indicating that certain establishments and transportation were reserved only for Germans.
    Signs bearing the slogan were posted at entrances to parks, cafes, cinemas, theaters and other facilities.

  • 当時のワルシャワ市内が再現されている<br /><br />ポーランド兵士4万人が死傷<br />市民18万人が死亡<br />ポーランド市の90%が消滅したという

    当時のワルシャワ市内が再現されている

    ポーランド兵士4万人が死傷
    市民18万人が死亡
    ポーランド市の90%が消滅したという

  • 命をかけて祖国ポーランドの為に戦った英雄たちの展示<br />

    命をかけて祖国ポーランドの為に戦った英雄たちの展示

  • ポーランド軍の小さな要塞<br />中には質素な居住スペースがあった

    ポーランド軍の小さな要塞
    中には質素な居住スペースがあった

  • 当時の広報活動は印刷物<br />活字と印刷機

    当時の広報活動は印刷物
    活字と印刷機

  • 広報活動のビラ

    広報活動のビラ

  • パルチザンのグループ毎に識別のための旗があったという<br /><br />白は尊厳<br />赤は自由<br />を表している

    パルチザンのグループ毎に識別のための旗があったという

    白は尊厳
    赤は自由
    を表している

  • 蜂起軍の紋章

    蜂起軍の紋章

  • ナチスが市民を銃殺している展示を見つめる女子高校生

    ナチスが市民を銃殺している展示を見つめる女子高校生

  • ワルシャワ蜂起博物館ミュージアムカフェです

    ワルシャワ蜂起博物館ミュージアムカフェです

  • ワルシャワ蜂起博物館ミュージアムカフェです<br />午後の西陽をあびてユッタリとした時が流れていました

    ワルシャワ蜂起博物館ミュージアムカフェです
    午後の西陽をあびてユッタリとした時が流れていました

  • Warsaw Uprising Monument (Polish: Pomnik Powstania Warszawskiego)<br /><br />ポーランドの首都ワルシャワ<br />旧市街のキューリー夫人博物館を抜けて次を左折<br />しばらく行った裁判所のそばの広場にあるワルシャワ蜂起記念モニュメント<br />Powstanie Warszawskie<br />Monument to the Warsaw Uprising<br /><br />第2次大戦末期に起こったポーランド地下軍(国内軍)とワルシャワ市民とによるドイツ占領軍に対する蜂起<br />軍事的には反ドイツ,政治的には反ソ連の性格をもった<br />ロンドン亡命政府につながる国内軍司令部は,ソ連軍によるワルシャワ解放が目前に迫ったかに思われた1944年7月下旬に一斉蜂起を決定した<br />8月1日共産党員を含むほとんど全市民の参加のもとに蜂起が敢行され,市の中心部が解放された。

    Warsaw Uprising Monument (Polish: Pomnik Powstania Warszawskiego)

    ポーランドの首都ワルシャワ
    旧市街のキューリー夫人博物館を抜けて次を左折
    しばらく行った裁判所のそばの広場にあるワルシャワ蜂起記念モニュメント
    Powstanie Warszawskie
    Monument to the Warsaw Uprising

    第2次大戦末期に起こったポーランド地下軍(国内軍)とワルシャワ市民とによるドイツ占領軍に対する蜂起
    軍事的には反ドイツ,政治的には反ソ連の性格をもった
    ロンドン亡命政府につながる国内軍司令部は,ソ連軍によるワルシャワ解放が目前に迫ったかに思われた1944年7月下旬に一斉蜂起を決定した
    8月1日共産党員を含むほとんど全市民の参加のもとに蜂起が敢行され,市の中心部が解放された。

    ワルシャワ蜂起記念碑 モニュメント・記念碑

  • このモニュメントは<br />ポーランドがまだ共産党政権だった<br />ワルシャワ蜂起45周年にあたる1989年に造られました<br /><br />Wikiより引用します<br /><br />Warsaw Uprising Monument (Polish: Pomnik Powstania Warszawskiego) is a monument in Warsaw, Poland, dedicated to the Warsaw Uprising of 1944. Unveiled in 1989, it was sculpted by Wincenty Kućma and the architect was Jacek Budyn. It is located on the southern side of Krasiński Square.<br /><br />The monument has been described as &quot;the most important monument of post-war Warsaw.&quot;[1] Gazeta Wyborcza reported in 2012 that it is one of the most visited landmarks for foreign tourists.[2]

    このモニュメントは
    ポーランドがまだ共産党政権だった
    ワルシャワ蜂起45周年にあたる1989年に造られました

    Wikiより引用します

    Warsaw Uprising Monument (Polish: Pomnik Powstania Warszawskiego) is a monument in Warsaw, Poland, dedicated to the Warsaw Uprising of 1944. Unveiled in 1989, it was sculpted by Wincenty Kućma and the architect was Jacek Budyn. It is located on the southern side of Krasiński Square.

    The monument has been described as "the most important monument of post-war Warsaw."[1] Gazeta Wyborcza reported in 2012 that it is one of the most visited landmarks for foreign tourists.[2]

  • 引率の若い先生のカメラに向かってポーズをとる小学生たち<br />ポーランドの未来を期待させる写真だと思います

    引率の若い先生のカメラに向かってポーズをとる小学生たち
    ポーランドの未来を期待させる写真だと思います

  • 1944年8月1日17時<br />ポーランド国内軍は蜂起を開始<br />国内軍は橋、官庁、駅、ドイツ軍の兵舎、補給所を襲撃する<br /><br />この時刻は「W」と呼ばれ、現在でも毎年8月1日の17時にサイレンが鳴り、1分間の黙祷を捧げられているという<br />〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜<br /><br />There is a city<br /><br />その時ポーランドは1分間黙祷します<br />この動画でわかる様に<br />ポーランドの旗が風ではためいていますが人も車も止まっています<br />クリックしてご覧下さい<br /><br />http://youtu.be/Ejd2rsXoQSI

    1944年8月1日17時
    ポーランド国内軍は蜂起を開始
    国内軍は橋、官庁、駅、ドイツ軍の兵舎、補給所を襲撃する

    この時刻は「W」と呼ばれ、現在でも毎年8月1日の17時にサイレンが鳴り、1分間の黙祷を捧げられているという
    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

    There is a city

    その時ポーランドは1分間黙祷します
    この動画でわかる様に
    ポーランドの旗が風ではためいていますが人も車も止まっています
    クリックしてご覧下さい

    http://youtu.be/Ejd2rsXoQSI

  • 記念碑での写真撮影が終わって走り出す小学生たち<br /><br />小学生たちの「元気」にポーランドの明るい未来を感じました

    記念碑での写真撮影が終わって走り出す小学生たち

    小学生たちの「元気」にポーランドの明るい未来を感じました

    ワルシャワ蜂起記念碑 モニュメント・記念碑

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この旅行記へのコメント (18)

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  • mistralさん 2017/10/07 09:16:16
    明るい未来が。
    norio2boさん

    おはようございます。
    旅行記に沢山の投票を頂きましてありがとうございます!
    norio2boさんのアウシュヴィッツの旅行記、
    以前は投票だけで失礼しておりましたようで
    今回はコメントをさせていただきます。
    ガイドさんは同じ中谷さんだったんですね。
    私がシャッターを押せないままでいた多くの展示品を
    沢山の画像で残していただき、あの日を鮮明に辿ることが
    出来ました。
    一度は行かなくては、と思っていた地に立つことができ
    その1日が終わり、気が抜けたような感覚を思い出します。
    多分緊張していたんだと思います。
    norio2boさんがおっしゃってますように
    ポーランドはもう一度訪れたい国となっています。
    過去の悲しい歴史があったとしても
    今に生きる人々には、心の優しさをあちこちで感じました。
    表紙の写真の子供達、本当にあちこちで校外学習の子供たちに
    出会いましたね、のイキイキとした表情から
    この国の明るい未来が思い浮かびますね。

    mistral

    norio2bo

    norio2boさん からの返信 2017/10/10 17:31:37
    Re: 明るい未来が。
    mistralさん

    お便りありがとうございます

    旅行の計画、実際の旅行、旅行記の整理と旅には3つの楽しみがあると思います。

    最近はもう一つみなさんの旅行記を読ませて頂くという楽しみに気がつきました。

    同じところへ行っても、感じるもの、思うものは千差万別です。旅は「太鼓」のようなものかも知れませんね。叩き手が変われば色んな音が出るようです。

    コメントありがとうございました。今後ともよろしくお付き合いください。
  • milkさん 2017/03/18 21:48:51
    私にはまだ行かれそうにない...。
    norioboさん、こんばんは。

    イサムノグチのNY旅行記を拝見している中、アウシュビッツの旅行記を見つけてこちらも拝見させて頂きました。

    ヨーロッパを旅して沢山の戦争の爪痕を見て来ました。
    2年前にはアンネの家にも行って来たので、次はアウシュビッツに行かなくてはと思っていますが、現実を直視出来る自信がなくてなかなか行く決心が着かずにいます。

    norio2boさんの旅行記を拝見しているだけでも心苦しくなって来て、まだ行く準備が出来ていないなと思いました。
    行くなら私も中谷さんのガイドをお願いしたいと思っています。

    元気な小学生たちは明るい未来を感じさせてくれてちょっと救われました。
    早く地球上から争いがなくなって欲しいものですね。

    milk

    norio2bo

    norio2boさん からの返信 2017/03/19 14:24:54
    RE: 私にはまだ行かれそうにない...。
    milkさん

    すっかり春の様子です。
    場所によっては桜の開花もあるような天気ですね。

    この旅行記はどうやってアップするか考えました。
    結局、ワルシャワの独立記念広場の彫刻たちと、たまたま偶然そこで社会科の屋外授業で記念撮影していた子供たち
    それから、道を聞いたり、食事をしたりした時のポーランドの人たちの「特別な優しさ」に感じたものを旅行記(どなたかに見て頂く旅のレポート)にする
    と言うことであのような形式、構成になりました。

    YouTube版も貼り付けています。


    旅の感想は
    ガイドの中谷さんと同意見で
    昔の出来事として捉えるのではなく
    今でも(注意すると身じかに)起きていること
    だと思いました。

    次の旅行記楽しみにお待ちしています。
  • frau.himmelさん 2015/11/25 11:55:53
    充実した旅行記、ありがとうございます。
    norio2boさん、こんにちは。

    とても素晴らしく充実した旅行記拝見させていただきました。
    アウシュビッツ強制収容所、
    私も10年ほど前に訪れて、あまりの悲惨さに目を覆った覚えがあります。

    norio2boさんのお写真にもありましたが、館内案内板の説明の文字は3か国語で表記されていましたが、ドイツ語はありませんでしたね。
    おそらくドイツ人が一番多く訪れるであろう場所にも関わらず、ドイツ語表記なし、これがせめてもの、当時のドイツに対する抵抗なんだなと思ったものでした。

    まだユーチューブなど見ていませんので、また見せていただきます。
    ありがとうございました。

    himmel

    norio2bo

    norio2boさん からの返信 2015/11/26 08:46:18
    RE: 充実した旅行記、ありがとうございます。
    himmelさん

    メッセージありがとうございます
    ポーランドは言葉が分からないのでツアーで行きました
    自由時間が多くて、歩き回れて楽しかったです
    ポーランド人は優しさです

    テロが各地で頻発していますが
    他人に対する思いやりや優しさを改めて思い出したいと思います

    今後ともよろしくお願いします

    PS
    ニューヨークのセントラルパークのストロベリーフィールズの動画です

    http://youtu.be/0qN5BnRpZxc
  • たらよろさん 2015/06/16 12:48:02
    アウシュビッツ強制収容所
    こんにちは、morio2bo様

    やはり、生きているうちに、この場所に行って
    自分で見ておかなければ、、、
    本当にそう感じます。

    負の遺産という言い方は日本人の勝手な呼び名なんですね。
    世界遺産基準にそういうのは無いんだ〜
    素敵な語り口で
    この悲しい歴史をおしえてくださり、
    とても勉強になった旅行記でした。

    いつの日か、ポーランドに行ける日をと思っています。

      たらよろ

    norio2bo

    norio2boさん からの返信 2015/07/04 10:26:09
    RE: アウシュビッツ強制収容所
    たらよろさん

    お便りありがとうございます
    4Tは初心者です
    よろしくお願いします

    ポーランドの印象は人たちのやさしさだと思います
    機会があったら行って見てください

    人は悲しみが多いほど人には優しく出来るのだから
    海援隊の送る言葉の歌詞ですが
    虐げられた歴史との対比で
    特にそう思いました
  • ひでおさん 2015/05/05 04:03:34
    興味深い旅行記でした。
    はじめまして。
    年末に1人でプラハ、クラクフ、ワルシャワを周ろうと計画しております。

    小さな頃から戦争映画やホロコーストの映画をたくさん見て来ましたが、
    norio2boさんの旅行記は涙無くして見れませんでした。

    私も中谷さんのガイドを是非お願いしたいと思っております。


    norio2bo

    norio2boさん からの返信 2015/05/19 05:47:06
    Re: 興味深い旅行記でした。
    メールありがとうございます
    ポーランド旅行の一番の思い出はポーランドの人たちの親切です
    このような国柄の経験は初めてでした
    英語は普通に通じます

    クラクフでは口コミにアップしていますが美味しいチョコレート屋さんがあります

    楽しい旅を
  • ガブリエラさん 2015/05/03 22:50:16
    辛いですが、私もしっかりと見てきました。
    norio2boさん☆

    こんばんは。
    初めまして、ですよね(*^_^*)
    フォローして下さったのに、海外に行ってたので、お礼が遅れてしまってすみません。私も、フォローさせて下さいね!

    実は、4月21日〜22日、ワルシャワに再度行ってました。
    ポーランドは、本当に人が優しくて、何度でも行きたくなる国ですよね(^O^)
    同じ印象を持たれてるので、嬉しくなってしまいました♪

    アウシュビッツは、正直怖くてしょうがなかったのですが、今となっては、やはり行って自分の目で見て、よかったと思います。
    戦争なんて、絶対ダメだと、強く思いました。

    今回の旅行(4月後半)で、バルト三国に行ったのですが、カウナスの杉原知畝さんの旧日本領事館に行って、感銘を受けてきました。
    戦時中でも、立派な日本人がいらっしゃったこと、とても誇りに思いました。

    また、旅行記にお邪魔いたしますね。
    これからも、よろしくお願いいたします。

    ガブリエラ

    norio2bo

    norio2boさん からの返信 2015/05/19 06:10:18
    RE: 辛いですが、私もしっかりと見てきました。
    ガブリエラさん

    メールありがとうございます

    4Tは初心者です
    ここは旅好きの旅のエキスパートが沢山いらして勉強にになります

    年内の計画は
    アメリカの東海岸、アンドリューワイエス、ノーマンロックウェルの美術館巡り
    あと
    ベルリン、ミュンヘンの美術館巡り
    を調べ中です
    この旅の計画作業が最近では一番楽しい作業です

    あと、たまにはツアーも拾っています
    今回のポーランドは気の合うひとがいたのでFacebookでお友達になりました

    今後ともよろしくお願いします
  • アイリスさん 2015/04/25 18:27:03
    つらいです・・・
    こんにちは

    旅行記拝見させていただきました。

    アウシュビッツ・・・私がたしか小学生の時、今はなき伊勢佐木町の松坂屋で催されていた「アウシュビッツ展」というのを父と観に行った事があります。
    父に導かれ何気なく入った展覧会でしたが、何の予備知識もない小学生の私にとってはものすごい衝撃でした。
    その時の展示物は今になっても私の頭の中から消える事はありません。
    旅行記読ませていただいて、私はここへは行けないな・・・と思いました。
    つらすぎる・・・
    私が行けない分、norioさんの旅行記で体験させていただけて感謝です。
    norioさんの旅行記で胸がいっぱいです。

    アイリス

    norio2bo

    norio2boさん からの返信 2015/04/25 19:36:37
    RE: つらいです・・・
    アイリスさん

    メールありがとうございます

    4Tを始めてから
    旅行の後の楽しみが増えました
    今回で91件目のアップです

    今回の旅行記はワルシャワの蜂起の
    博物館とモニュメントと合体させて、少しは、落ち着いて読んでいただけるレポートになったのではないかと思っています

    ツアーでしたが
    この日は、選択で27名のうち3名の方がクラクフ市内観光されました

    気分を害されたようでしたら
    お許しください

    アイリス

    アイリスさん からの返信 2015/04/25 21:39:55
    RE: RE: つらいです・・・
    norioさま

    気分を害すなんてとんでもない・・・
    人として、自分の目で見なければいけない現実に起こったことを私は恐ろしくて見れないのです。
    この時代に生きていなかったから関係ない、よその国の事だから関係ないでは済まされない問題だと思っています。

    旅行記読ませていただいて、アウシュビッツにたくさんの若い人たちが真剣な眼差しで見学されているのを見てなんだかほっとしました。


    クラクフのチョコレート屋さんの口コミも読ませていただきましたが、チョコレート好きの私としてはどうしても食べてみたい!そう思いました。
    いつか日本でも売られるといいですね〜

    アイリス

  • yume-chanさん 2015/04/25 14:05:38
    いつかは・・・
    こんにちは

    興味深く拝見しました。
    沢山説明されていて分かりやすかったです。

    しかし当時の悲惨な場では、胸が絞めつけられる思いですね。

    以前NHKか何かで、ドキュメンタリーを見ていつか訪ずれたいと思っていました。

    この旅はツアーでしょうか?
    特にこの場所は、日本人のガイドが必要ですね。

    yume-



    norio2bo

    norio2boさん からの返信 2015/04/25 19:19:38
    RE: いつかは・・・
    yume-さん

    メールありがとうございます
    27名のうちアウシュビッツは行かない人が3人いました

    英語は殆どどこでも通じますので
    個人旅行も大丈夫だと思います

    クラクフのチョコレート屋さん
    口コミでアップしてますので必ず寄ってみて下さい

    ポーランドの人たちは特別に優しいですね
    海援隊の贈る言葉という歌の歌詞に
    人は悲しみが多いほど
    人には優しくできるのだから〜
    という事ですね

    今後ともよろしくお願いします

    yume-chan

    yume-chanさん からの返信 2015/04/25 21:05:06
    RE: RE: いつかは・・・
    そうですか、行かれない方の気持ちも分かります。

    私は長崎の原爆資料館と沖縄の姫ゆりの資料館で、気分が悪くなりました。
    残された「物」もそうですが、故人の写真はかなりキツかったです。
    幼い子からお年寄りまで・・・

    本当に悲惨ですね。

    平和が何よりですが・・・今も遠い国で争いがあったり
    罪の無い人々が虐げられたり、現地にいなくても辛いですね。

    私は難しい英語が分からないので、日本語ガイドが必要です。
    もし、いつか行けたら花を手向けたいと思います。

    yume-

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