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平成27年2月23日の古都鎌倉散策の後半です。葛原岡神社・源氏山公園から化粧坂切通しを下って海蔵寺→英勝寺→寿福寺をめぐり、鎌倉駅から帰途についた。千葉市緑区の自宅を出て、北鎌倉駅下車、鎌倉駅まで歩き、帰宅するまでを万歩計によって計測してみた。歩数(約16,800歩)、歩行距離(約10km)、歩行時間(約3時間)、消費カロリー(約490kcal)であった。<br />写真は英勝寺の竹林。

古都鎌倉散策(その2) 海蔵寺から寿福寺へ

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2015/02/23 - 2015/02/23

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山帽子

山帽子さん

平成27年2月23日の古都鎌倉散策の後半です。葛原岡神社・源氏山公園から化粧坂切通しを下って海蔵寺→英勝寺→寿福寺をめぐり、鎌倉駅から帰途についた。千葉市緑区の自宅を出て、北鎌倉駅下車、鎌倉駅まで歩き、帰宅するまでを万歩計によって計測してみた。歩数(約16,800歩)、歩行距離(約10km)、歩行時間(約3時間)、消費カロリー(約490kcal)であった。
写真は英勝寺の竹林。

旅行の満足度
5.0
同行者
友人
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 扇ケ谷の小道。化粧坂切通しを下って、次の目的地海蔵寺へ向かう途中の趣のある素敵な小道。

    扇ケ谷の小道。化粧坂切通しを下って、次の目的地海蔵寺へ向かう途中の趣のある素敵な小道。

  • 海蔵寺に向かう道の左手の崖に掘られたやぐら?。

    海蔵寺に向かう道の左手の崖に掘られたやぐら?。

  • 海蔵寺。1253(建長5)年に創建され、かっては七堂伽藍を持つ大寺院であった。鎌倉幕府滅亡に際して焼失したが、1394(応永元)年に再建された。現在は1785(天明5)年建造の庫裡、浄智寺から移築された仏殿、大正時代に建造された本堂などがある。

    海蔵寺。1253(建長5)年に創建され、かっては七堂伽藍を持つ大寺院であった。鎌倉幕府滅亡に際して焼失したが、1394(応永元)年に再建された。現在は1785(天明5)年建造の庫裡、浄智寺から移築された仏殿、大正時代に建造された本堂などがある。

  • 底抜の井。鎌倉十井のひとつで海蔵寺山門の前右手にある。

    底抜の井。鎌倉十井のひとつで海蔵寺山門の前右手にある。

  • 海蔵寺山門から本堂を望む

    海蔵寺山門から本堂を望む

  • 梅が美しく咲く海蔵寺の庭

    梅が美しく咲く海蔵寺の庭

  • 海蔵寺に咲く福寿草

    海蔵寺に咲く福寿草

  • 海蔵寺。梅と鐘楼。

    海蔵寺。梅と鐘楼。

  • 海蔵寺の苔。鎌倉では美しい苔の庭が多い。

    海蔵寺の苔。鎌倉では美しい苔の庭が多い。

  • 海蔵寺本堂裏の庭園

    海蔵寺本堂裏の庭園

  • 海蔵寺の裏にあるやぐら

    海蔵寺の裏にあるやぐら

  • やぐらの内部

    やぐらの内部

  • 「十六井戸」に向かう海蔵寺の脇の小道

    「十六井戸」に向かう海蔵寺の脇の小道

  • 「十六井戸」に向かう岩を掘った道

    「十六井戸」に向かう岩を掘った道

  • 「十六井戸」の正面。鎌倉十井のひとつ。

    「十六井戸」の正面。鎌倉十井のひとつ。

  • 「十六井戸」の内部。洞穴の中に十六の穴があり、そこから水が湧き出している。鎌倉は一般的に水の便が悪く、良質の水が湧く井戸は貴重なものであった。特に良質の水の湧く10の井戸を鎌倉十井と呼んだ。海蔵寺には鎌倉十井のうち二つもあり、水の寺とも呼ばれた。

    「十六井戸」の内部。洞穴の中に十六の穴があり、そこから水が湧き出している。鎌倉は一般的に水の便が悪く、良質の水が湧く井戸は貴重なものであった。特に良質の水の湧く10の井戸を鎌倉十井と呼んだ。海蔵寺には鎌倉十井のうち二つもあり、水の寺とも呼ばれた。

  • 十六夜日記の筆者阿仏尼の墓といわれている。海蔵寺から英勝寺に向かう道の脇のやぐらの中にある。

    十六夜日記の筆者阿仏尼の墓といわれている。海蔵寺から英勝寺に向かう道の脇のやぐらの中にある。

  • 英勝寺の庭園。英勝寺は1636(寛永13)に家康の側室(水戸頼房の養母お勝の方=英勝院)が太田道灌の屋敷地跡に建立。仏殿、鐘楼、山門は創建当時のもの。

    英勝寺の庭園。英勝寺は1636(寛永13)に家康の側室(水戸頼房の養母お勝の方=英勝院)が太田道灌の屋敷地跡に建立。仏殿、鐘楼、山門は創建当時のもの。

  • 英勝寺鐘楼

    英勝寺鐘楼

  • 英勝寺山門

    英勝寺山門

  • 英勝寺仏殿

    英勝寺仏殿

  • 英勝寺仏殿前の瓦を埋め込んだ作られた小道。

    英勝寺仏殿前の瓦を埋め込んだ作られた小道。

  • 英勝寺仏殿の軒下四面に十二支の彫刻が刻まれている。その中で私の生まれ年の「巳」・・・・。

    英勝寺仏殿の軒下四面に十二支の彫刻が刻まれている。その中で私の生まれ年の「巳」・・・・。

  • 英勝寺の侘助。この花を見ることが今回の鎌倉行の最大の目的の一つであった。

    英勝寺の侘助。この花を見ることが今回の鎌倉行の最大の目的の一つであった。

  • 英勝寺の侘助

    英勝寺の侘助

  • 英勝寺の竹林

    英勝寺の竹林

  • 寿福寺。鎌倉五山第三位の寺。1200(正治2)年北条政子が栄西を開山として創建。総門をくぐると50mほどの石畳の参道が続く。参道の正面に仏殿、右手に鐘楼と庫裡などが並ぶが拝観はできない。

    寿福寺。鎌倉五山第三位の寺。1200(正治2)年北条政子が栄西を開山として創建。総門をくぐると50mほどの石畳の参道が続く。参道の正面に仏殿、右手に鐘楼と庫裡などが並ぶが拝観はできない。

  • 寿福寺参道

    寿福寺参道

  • 寿福寺参道

    寿福寺参道

  • 寿福寺参道わきの苔

    寿福寺参道わきの苔

  • 寿福寺山門の左手の小道。この道を進むと仏殿の背後の墓地に・・・・

    寿福寺山門の左手の小道。この道を進むと仏殿の背後の墓地に・・・・

  • 仏殿背後の墓地にあるやぐら。高浜虚子の墓。ここで鎌倉のガイドをしているという青年と会う。青年はこれが高浜虚子の墓であり、その左手には大仏次郎の、そして右手奥には北条政子と実朝の墓があると教えてくれた。

    仏殿背後の墓地にあるやぐら。高浜虚子の墓。ここで鎌倉のガイドをしているという青年と会う。青年はこれが高浜虚子の墓であり、その左手には大仏次郎の、そして右手奥には北条政子と実朝の墓があると教えてくれた。

  • 大仏次郎の墓

    大仏次郎の墓

  • 北条政子の墓石が収まっているやぐら。

    北条政子の墓石が収まっているやぐら。

  • 北条政子の墓石<br />

    北条政子の墓石

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