2016/10/20 - 2016/10/20
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クラちゃんさん
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鎌倉幕府滅亡後は急速に衰退したと思われる鎌倉は「鎌倉公方」が置かれその後も東国の本拠として繁栄する。数奇な足利氏の歴史、足利直義の謎の死、やぐらが残る報国寺、手厚い保護を受けた覚園寺等足利尊氏とその一族の足跡をを訪ねる。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル
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鎌倉公方(足利公方)邸旧跡
治承4年(1180)源頼朝に重く用いられた源氏の名門である足利義兼が居を定め約270年にわたり足利氏の鎌倉屋敷があった。足利尊氏、直義の兄弟は当地で生まれ育った。
建武3年(1336)足利尊氏は室町幕府を開創し、鎌倉には東国を統治するため鎌倉府といわれる政庁を置く。首長を鎌倉公方と称し関東に下向した基氏が初代となり氏満、満兼、持氏、成氏と世襲する。
康生元年(1455)成氏は下総古河に移転しこの付近は廃墟となり大正頃まで字「御所の内」があった。 -
足利公方邸旧跡近くにある御所内駐車場の看板
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浄妙寺
臨済宗建長寺派、創建文治4年(1188)開基足利義兼、中興開基足利貞氏、始めは真言宗極楽寺として足利義兼が開創、正嘉年間(1257~59)蘭渓道隆の弟子月峰了然が住持となり臨済宗の寺院となる。元弘3年(1331)足利尊氏が父貞氏を葬った時に増築し貞氏の法名から浄妙寺に改名した。鎌倉公方足利家の菩提寺、3代将軍足利義満は鎌倉五山五位とした。盛時には七堂伽藍が整備され塔頭23院があった。火災・地震で衰退し現在は総門、本堂、客殿で構成されている。
境内は国史跡で、本堂裏に足利貞氏の墓といわれる宝篋印塔がある。 -
浄妙寺境内
山の斜面に延福寺跡がある。足利尊氏の異母兄高義のために建てられ開基は金沢顕時の娘高義母契忍禅尼、高義が若くして亡くなるので上杉氏の娘を母とする尊氏・直義が世に出ることとなる。
観応の擾乱で尊氏は弟直義を当寺に幽閉し病死したとも毒殺されたともいわれる。 -
足利貞氏の宝篋印塔
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足利直義の墓
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報国寺
臨済宗建長寺派、創建建武元年(1334)開基足利家時、尊氏の祖父足利家時は、家祖源義家が残したという「七代の孫に生まれ変わり天下を取る」の機が熟していないので「我命を縮めて三代の内に天下を取らせたまえ」の願文を残して自決し裏山のやぐらに家時以下足利一族の墓という石塔が並んでいる。
足利家と上杉家の菩提寺で五山・10刹に次ぐ諸山に位置づかれた。
永享の乱’1439)で4代鎌倉公方持氏の嫡男義久が当寺でわずか14歳で自刃している。
境内の孟宗竹の竹林が知られ「竹の寺」と称される。
川端康成が小説「山の音」、「千羽鶴」の着想を得たといわれる。 -
報国寺やぐら 家時と義久の墓
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報国寺の竹林
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理智光寺跡
鎌倉幕府滅亡後、建武2年(1335)に起きた中先代の乱で足利直義の命を受けた淵辺義博は東光寺(現鎌倉宮)に幽閉されていた護良親王を殺害する。親王の首を見つけ弔ったのが理智光寺の僧といい付近の小高い丘の上に宮内庁管理の護良親王の墓がある。本尊の木造阿弥陀如来像は覚園寺の薬師堂に安置されている。廃仏毀釈で廃寺となる。横浜市戸塚区柏尾に仕女が首を抱えて鎌倉中の道を通り首を洗った井戸、首を埋葬した王子神社がある。 -
永福寺(ようふくじ)跡
源頼朝が鎌倉に建立した鶴岡八幡宮寺、勝長寿院ともに三大寺院の一つ。
文治5年(1189)源義経、藤原泰衡ら数万の怨霊をなだめるため発願し、建久3年(1192)創建される。伽藍は中尊寺二階堂を模した本堂・阿弥陀堂・薬師堂を中心に大きな苑地があり壮麗な寺院であった。頼朝政子夫妻を始め歴代将軍が参詣し境内において蹴鞠・花見・歌会が行われた。
鎌倉幕府滅亡後新田義貞と鎌倉に入った尊氏の嫡男義詮(4才)は別当坊に入り細川和氏らの補佐を受け戦後処理にあたる。建武2年(1335)中先代の乱を鎮圧し鎌倉を奪還した尊氏が陣を張り観応の擾乱後にも滞在する。
応永12年(1405)焼失しその後は再建されなかった。
発掘調査が行われ礎石・庭石・経塚が発見され現在歴史公園をを目指して整備復元工事が行われている。二階堂という地名がある。 -
覚園寺
真言宗泉涌寺派、創建永仁4年(1296)、開基北条貞時。
鎌倉幕府2代執権北条義時が健保6年(1218)に建てた大倉薬師堂を前身とする。永仁4年(1296)北条貞時が三度目の元寇が起こらないことを祈願し寺とする。当初は真言・天台・禅・浄土の四宗兼学の場であった。鎌倉幕府滅亡後後醍醐天皇の勅願所、建武の新政が崩壊すると足利氏の祈願所となる。その後焼失し文和3年(1354)足利尊氏により薬師堂が再建され天井に尊氏自署銘が残る。享徳の乱で鎌倉公方足利成氏が下総古河に移ると衰退する。地蔵堂に鎌倉時代の木造地蔵菩薩立像が安置され黒地蔵と呼ばれている。境内は広く茅葺きの薬師堂を始め中世の面影をよく残しており国史跡に指定されている。 -
鎌倉宮(大塔宮・旧東光寺跡)
祭神大塔宮護良親王、開基明治天皇、創建年明治2年(1869)
旧官幣中社、明治2年勅命により創建され、明治6年明治天皇が行幸している。 -
土牢
祭神の護良親王は後醍醐天皇の皇子として生まれ11歳で比叡山延暦寺の大塔に入室し大塔宮と称される。20歳で天台座主となるが後醍醐天皇の鎌倉幕府の討幕のため挙兵に応じ還俗して護良を名乗る。天皇親政後征夷大将軍となるが足利尊氏と対立し鎌倉に流され当地にいた尊氏の弟直義により東光寺境内に幽閉される。建武2年(1335)最後の執権北条高時の子時行が鎌倉奪還に攻め込んだ中先代の乱で、直義は逃げる際、渕辺義博に命じて親王を殺害する。社殿裏に親王が幽閉された土牢がある。 -
鎌倉鶴岡八幡宮
源頼朝の創建時から明治初期まで神仏習合の鶴岡八幡宮寺であった。
明治の廃仏毀釈で仏教関係の施設は徹底的に破却された。
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