2015/03/16 - 2015/03/16
132位(同エリア249件中)
山帽子さん
平成27年3月16日、JR板橋駅から旧中山道の板橋宿をありし日を思いながら散策した。その後、石神井川沿いに歩いて東十条の十条冨士塚へ。そこからJR東北本線に沿い、旧日光御成道などを歩いてJR上中里駅へと向かった。この散策のきっかけになったのは山本一力の「ぺんけい飛脚」である。加賀前田家とその大名行列に興味が惹かれ、小説の舞台となった板橋宿をぜひ一度自らの足で体験してみようと思った。折角板橋まで行くのだから、ついでに旧中山道と一部並行する旧日光御成道も行程に加えてみた。「その1」では板橋宿を、「その2」では十条冨士塚、名主の滝公園、王子稲荷神社、音無親水公園、飛鳥山公園内の旧渋沢庭園などを中心とした。表紙の写真は地名「板橋」の由来となった現在の板橋である。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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JR板橋駅を出ると駅前ロータリーの先に近藤勇の墓がある。維新戦争の折に、新撰組局長近藤勇は新政府軍に下総流山で捕えられ、この付近で処刑された。
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近藤勇の墓
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墓碑の傍らに立つ近藤勇像
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板橋駅前の旧中山道。江戸日本橋から上野、信濃、木曽、美濃、近江を経て京三条大橋まで69の宿場があり、草津で東海道と合流する。東海道よりは約40km長い。参勤交代で中山道を利用する大名は東海道と比較するとかなり少なかったという。ただし、二条城番、大阪城番、日光例幣使などは片道を必ず利用したという。また、将軍に献上する宇治茶の茶壺道中や将軍に輿入れする和宮などが通行したという。
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平尾宿の通り。板橋宿は平尾宿、中宿、上宿の三つの宿があり、それらを総称して板橋宿という。
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平尾宿の通り
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観明寺。江戸時代に板橋の寺として人々の厚い信仰を集めた寺。境内にある稲荷神社はもと加賀藩下屋敷内に祀られていた三稲荷のひとつ。また、参道入り口にある庚申塔は1681(寛文元)年に鋳造されたという。なお、加賀藩下屋敷は板橋宿平尾にあり、総面積は約21万8千坪の広大な屋敷地であった。
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観明寺稲荷神社
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観明寺庚申塔
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懐かしいたたずまいの銭湯花の湯。花の湯の脇の路地を入ると平尾脇本陣跡である。
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板橋宿平尾脇本陣跡豊田家跡。豊田家は板橋宿の問屋、脇本陣、平尾の名主を勤めていた。近藤勇は処刑されるまで豊田家に幽閉されていたという。
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十字路の手前が平尾宿、先が中宿。
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中宿
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中宿の通り
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文殊院。江戸初期に飯田家の菩提寺として建てられた。
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文殊院
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中宿名主飯田家跡。江戸時代を通じて名主、問屋、脇本陣を勤めた。代々宇兵衛を名乗る。1861(文久元)年の和宮の下向の時には本陣役を勤めている。
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板橋。江戸時代の橋は木製の太鼓橋で、長さ9間、幅3間であった。
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石神井川とその上に架かる板橋
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石神井川と桜。満開となったらさぞ見ごたえがあるだろう。
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縁切榎。 男女の悪縁を切りたい時や断酒を願う時に、この榎の樹皮をそぎ取り、煎じてひそかに飲ますとその願いが成就するとされた。また、和宮下向の際はこの榎を避けるためにう回路が設けられた。、
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いたばし観光センターに保存されている初代の縁切榎
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縁切榎を訪ねた後、板橋まで戻り、板橋の下を流れる石神井川沿いに東十条へ向かう。
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