2016/06/15 - 2016/06/15
1669位(同エリア7320件中)
愛吉さん
久しぶりに歩こう会幹事を担当します。
何処にするか、目ぼしい処は既に行き尽しており、いろいろ悩みました。
結局選んだのは鎌倉。
鎌倉は既に何度か訪ね、有名処は訪問済、それで一味違う場所として選んだのが武家の古都としての鎌倉です。
武家の歴史を伝える処に焦点を絞ります。
出発点は鎌倉駅、ルートは妙本寺〜鶴ケ岡八幡宮(段葛)〜白旗神社〜宝戒寺〜東勝寺跡〜北条高時腹切りやぐら〜頼朝の墓〜荏柄天神〜鎌倉宮です。
悲劇の場所ばかりになってしまいました、このコースで10時半に鎌倉駅を出発し途中で昼食、鎌倉駅帰着は3時10分です。
表紙の写真は八幡宮
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- JRローカル
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10時半に鎌倉駅集合です。
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駅から歩いて10分程、大きな門が見えます。
妙法寺総門です。 -
正面に妙本寺の扁額。
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傍に立つ説明板。
もう少し詳細を調べると、以下の如くです。
比企能員は2代将軍頼家の乳母父であり、又娘若狭の局が将軍嫡男一幡を出生して権勢を奮っていました。
これに危機感を持った北条一族(時政、政子)が謀略を以て能員を暗殺、同時にここ比企氏の館を焼討し、3代将軍に予定されていた一幡を含め比企一族を謀殺します、その比企邸跡に建つのがこの妙本寺なのです。 -
総門を潜り進むと、今度は方丈門が在ります。
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方丈への階段を登ります。
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本堂の屋根、立派ですね。
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本堂の上には鐘楼。
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正面の階段を上がった先には二天門。
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門全体はこんな感じ、あじさいに囲まれています。
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正面を飾る極彩色の彫刻。
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二天門の仁王像
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同上
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二天門を入ると広い境内の奥に祖師堂、開祖日蓮上人を祀るお堂です。
ちなみにこの建物の建つ場所は、流人頼朝を援助仕続けた比企の尼の住居跡であり、又頼朝の夫人政子が尼を頼り、2代将軍頼家を出産した建物があった場所と云われています。 -
祖師堂の左側前方には日蓮上人の像。
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像の反対側、墓地前の一画に竹矢来で囲まれた場所が在ります。
一幡袖塚です。 -
近寄ってみましょう。
3代将軍を約束された一幡は、母親である比企能員の娘若狭の局と共にこの比企邸で暮らしていましたが、北条氏の焼討に遭い討死します。
死体は見付りませんでした。
そこで、焼跡から見付かった一幡の着物の袖を埋めて墓としました。
小さく可愛らしい五輪塔です。 -
袖塚の斜め後ろには、比企一族の墓が在ります。
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苔むし無念の想いが籠った墓です。
2代将軍頼家は修善寺に幽閉され、その後北条氏に謀殺された事は岡本綺堂著の修善寺物語で世に知られる通りです。 -
10分程歩いて鎌倉のメインストリート若宮大路二の鳥居に来ました。
ここから修復なった段葛が始まります。 -
段葛の説明です。
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修復なった段葛。
頼朝が造った当時の姿を取り戻しました。
正面に拝殿が見えます。
桜の若木が植えられ、20年後が楽しみです。 -
八幡宮境内に入りました。
源氏池の小島の上には源氏の旗上神社。 -
手前は静御前が舞を舞った舞殿、後方は拝殿。
しずやしず しずのおだまきくりかえし 昔を今になすよしもがな
頼朝は激怒しましたが、陪席の重臣達は静の堂々たる態度に感動したと伝えられます。 -
拝殿。石段の脇、注連縄の張られた場所にかの有名な大銀杏が立って居ました。
1218年1月13日雪の降る夜、この石段で3代将軍実朝が頼家の遺児公暁に暗殺されます、その折公暁が身を隠していたのが、この大銀杏なのです。
尚現代の学説では、暗殺の犯人が果たして公暁なのかどうか疑われています。
実朝の首も今尚見つかって居ません。 -
銀杏が植わっていた跡地。
2代目が育ち始めました、奥に見えるのが元の銀杏の幹。 -
石段の下を脇に入り、白旗神社へ向かいます。
途中にこんな石が置かれています。 -
源氏の白旗神社。
頼朝、実朝を祀る黒く落ち着いた神社です。 -
八幡宮の東門を出て7〜8分程進むと、宝戒寺に突き当ります。
ここは代々北条氏が屋敷を構えた場所で、北条氏滅亡後、後醍醐天皇が足利尊氏に命じ寺を建立させた事がはじまりです。
又源氏を象徴する白い萩を植えた事から萩寺の別名もあります。 -
参道の入り口には、北条氏屋敷跡の石碑が建ちます。
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宝戒寺本堂、本尊は子育て地蔵菩薩で国の重文に指定されています。
非常にきれいなお地蔵さんで、一見の価値が在ります。
では何故お地蔵さまかというと、鎌倉幕府滅亡時にこの北条屋敷で自刃した北条一族数百人の中に多くの婦女子が含まれていたからで、その祟りを恐れたからと云われます。 -
境内には多くの地蔵像や五輪の塔が並びます。
皆小さく可愛いものばかりです。 -
次は宝戒寺を出てその横道に入ります、滑川にかかる東勝寺橋を渡り谷戸に入って行くと、東勝寺跡に到着です。
今は草木が茂り何も有りません、背後に山が迫る鎌倉寺院特有の地形で、深山幽谷の趣さえ有ります。
ここは北条泰時が建てた、北条氏の菩提寺でしたが、新田義貞の鎌倉攻めの時、最後の執権北条高時が一族郎党八百余人と共に自害した場所でもあります。
鎌倉市青年会が大正7年に建てた石碑が草に埋もれていました。
芭蕉の句を思い出します。
夏草や 兵どもが 夢のあと -
細道を辿ると、こんな立札があります。
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正面やぐらの中に小さな石塔が祀られます。
高時の腹切りやぐらです。
手を合わせてやぐらを後にします。 -
昼食を取って一服後、先ず訪ねたのが頼朝公の墓です。
ここは頼朝公の持仏堂である法華堂が在った場所で、没後廟所に改められました。
法華堂については石碑の解説をお読み下さい、ここでも多くの方が亡くなって居ます。 -
頼朝公の墓についての説明。
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頼朝公の墓。
手を合わせて来ました。 -
次に訪れたのは、荏柄天神社です。
頼朝が1104年に鎌倉の鬼門を守る社として建立しました。
日本三天神の一つです。 社殿は重要文化財。 -
流石学問の神様、多くの絵馬が納められます。
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境内の奥、階段を上がると。
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横山隆一等154人の漫画家が建立した絵筆塚。
合計154枚の短冊に河童の絵が描かれています、拡大して見て下さい。 -
鎌倉宮に到着です。
ここは大塔宮護良親王を祀る神社です。
建武の中興に功績のあった護良親王を偲んで、明治2年明治天皇が設立しました。
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拝殿に近着きます。
この神社の建つ地は、中興後の足利尊氏の反乱で捕らえられた親王が、幽閉殺害された東光寺の跡地です。
神社の裏には、幽閉されていた土牢や、殺害後に首を置いた石の台が残されています。 -
境内の一隅にこんな像が置かれています。
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撫で身代わり像です、由来をご覧下さい。
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身代わり人形も納められていました。
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これで武家の古都・鎌倉の小さな旅は終了です。
如何だったでしょうか、悲劇の場所、ものの哀れを感じる場所ばかりで、些か気が滅入る旅になってしまいました。
これも武家の古都ゆえの宿命なのでしょうか。
ここからはバスで鎌倉駅に戻ります。
終
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