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JR姫路駅を北進徒歩約18分の小高い丘に在する姫路城は御着(ごちゃく、姫路の東)に本拠を置く、かつて守護大名であった赤松氏系の小寺(こでら)氏の単なる支城に過ぎず、当城主の黒田官兵衛こと黒田孝高(くろだ・よしたか、1546~1604)は織田信長の先鋒として当地に進出の羽柴秀吉にこの城を中国攻めの拠点にふさわしいとして明け渡し、秀吉は三重の望楼式天守を持つ新城を築き天下取りの足掛かりとした城郭です。<br /><br /><br /><br />菱の門手前に建っている「姫路城の歴史」には次の通り説明されています。<br /><br />「 姫 路 城 の 歴 史<br /><br />播州平野の中心、姫山の上に、白い高雅な姿勢を見せて姫路城がそびえる。 白鷺が飛び立つ様に似ていて白鷺城とも呼ばれ、西南の役で熊本城が、そして太平洋戦争で名古屋城も昔ながらの面影を留めていない今日、姫路城は名実ともに日本一の名城である。<br /><br />姫路城の歴史は遠く1334年(元弘3年)にさかのぼる。 播磨国の守護職、赤松則村が護良親王の令旨を奉じ北条氏討伐の兵を挙げて、ここに砦を築き、1346年(正平元年)則村の子、貞範が城館を初めて築いたのである。<br />(最近の研究によれば、赤松築城説を否定し、築城は16世紀中頃の黒田重隆、職隆父子以前にはさかのぼれないとする説が出されている。)?昭和63年(1988)刊行・姫路市史第14巻「別編姫路城」?<br /><br />その後、羽柴秀吉が黒田孝高の勧めに従い、毛利氏攻略の根拠地として1581年(天正9年)三層の天守を築いたが、関ヶ原の戦いのあと播磨領主に封ぜられた徳川家康の娘婿、池田輝政が1601年(慶長6年)から8年の歳をかけて完成したのが、現在の五層七階の天守である。<br /><br />これは西国にある豊臣恩顧の諸将に対峙する西国探題職として、家康がこのように大規模な城を築かせたのである。<br /><br />そして池田氏のあと入部した本多忠政のとき、その子忠刻の室に千姫を迎え化粧櫓や西の丸を築き、1618年(元和4年)今日見られるような全容を整えた。<br /><br />その後城主は松平、榊原の諸氏を経て酒井氏が世襲して明治に至った。明治時代、この城も廃棄される運命にあったが、陸軍省中村重遠大佐の建言により保存された。そして幸いに太平洋戦争の被爆もまぬがれた。<br /><br />昭和6年(1931年)には大天守、西小天守、乾小天守、東小天守とこれを結ぶ4棟の渡櫓が国宝に、それ以外の建造物74棟が重要文化財に指定され、昭和31年(1956年)中濠以内107haが特別史跡に指定された。また平成5年(1993年)12月日本で初の世界遺産に登録された。」

播磨姫路 官兵衛をたずねる 改修された天守閣の雄姿に心打たれる名実ともに日本一の名城で世界遺産にもなった『姫路城』訪問

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2015/01/04 - 2015/01/04

885位(同エリア2327件中)

2

77

滝山氏照

滝山氏照さん

JR姫路駅を北進徒歩約18分の小高い丘に在する姫路城は御着(ごちゃく、姫路の東)に本拠を置く、かつて守護大名であった赤松氏系の小寺(こでら)氏の単なる支城に過ぎず、当城主の黒田官兵衛こと黒田孝高(くろだ・よしたか、1546~1604)は織田信長の先鋒として当地に進出の羽柴秀吉にこの城を中国攻めの拠点にふさわしいとして明け渡し、秀吉は三重の望楼式天守を持つ新城を築き天下取りの足掛かりとした城郭です。



菱の門手前に建っている「姫路城の歴史」には次の通り説明されています。

「 姫 路 城 の 歴 史

播州平野の中心、姫山の上に、白い高雅な姿勢を見せて姫路城がそびえる。 白鷺が飛び立つ様に似ていて白鷺城とも呼ばれ、西南の役で熊本城が、そして太平洋戦争で名古屋城も昔ながらの面影を留めていない今日、姫路城は名実ともに日本一の名城である。

姫路城の歴史は遠く1334年(元弘3年)にさかのぼる。 播磨国の守護職、赤松則村が護良親王の令旨を奉じ北条氏討伐の兵を挙げて、ここに砦を築き、1346年(正平元年)則村の子、貞範が城館を初めて築いたのである。
(最近の研究によれば、赤松築城説を否定し、築城は16世紀中頃の黒田重隆、職隆父子以前にはさかのぼれないとする説が出されている。)?昭和63年(1988)刊行・姫路市史第14巻「別編姫路城」?

その後、羽柴秀吉が黒田孝高の勧めに従い、毛利氏攻略の根拠地として1581年(天正9年)三層の天守を築いたが、関ヶ原の戦いのあと播磨領主に封ぜられた徳川家康の娘婿、池田輝政が1601年(慶長6年)から8年の歳をかけて完成したのが、現在の五層七階の天守である。

これは西国にある豊臣恩顧の諸将に対峙する西国探題職として、家康がこのように大規模な城を築かせたのである。

そして池田氏のあと入部した本多忠政のとき、その子忠刻の室に千姫を迎え化粧櫓や西の丸を築き、1618年(元和4年)今日見られるような全容を整えた。

その後城主は松平、榊原の諸氏を経て酒井氏が世襲して明治に至った。明治時代、この城も廃棄される運命にあったが、陸軍省中村重遠大佐の建言により保存された。そして幸いに太平洋戦争の被爆もまぬがれた。

昭和6年(1931年)には大天守、西小天守、乾小天守、東小天守とこれを結ぶ4棟の渡櫓が国宝に、それ以外の建造物74棟が重要文化財に指定され、昭和31年(1956年)中濠以内107haが特別史跡に指定された。また平成5年(1993年)12月日本で初の世界遺産に登録された。」

旅行の満足度
4.5
交通手段
JRローカル
  • 国府寺家本陣跡<br /><br />大名や勅旨が宿泊する本陣があって本陣を勤めた国府寺氏は黒田官兵衛を援けて転戦し、羽柴秀吉の知遇を得て、江戸時代には町家・在所の代表である大年寄りとなり、新藩主が入城する際には必ず国府寺氏邸に立ち寄るしきたりになっていたそうです。

    国府寺家本陣跡

    大名や勅旨が宿泊する本陣があって本陣を勤めた国府寺氏は黒田官兵衛を援けて転戦し、羽柴秀吉の知遇を得て、江戸時代には町家・在所の代表である大年寄りとなり、新藩主が入城する際には必ず国府寺氏邸に立ち寄るしきたりになっていたそうです。

  • 中堀土塁<br /><br />この土塁は姫路城の中堀土塁で、そのすぐ南側の道は国道2号線ですが中堀を埋め立てて道路に成した物です。

    中堀土塁

    この土塁は姫路城の中堀土塁で、そのすぐ南側の道は国道2号線ですが中堀を埋め立てて道路に成した物です。

  • 中堀土塁<br /><br />大手道と2号線とが交わる交差点の右側にも土塁が走っています。

    中堀土塁

    大手道と2号線とが交わる交差点の右側にも土塁が走っています。

  • 中堀跡説明<br /><br />

    中堀跡説明

  • 姫路城遠景<br /><br />大手道が左カーブする前の先は姫路城の姿が微かに認めらます。

    姫路城遠景

    大手道が左カーブする前の先は姫路城の姿が微かに認めらます。

  • 姫路城雄姿<br /><br />正面に大天守閣及び西小天守閣が並んでいます。

    姫路城雄姿

    正面に大天守閣及び西小天守閣が並んでいます。

  • 国宝姫路城石碑

    国宝姫路城石碑

  • 姫路城内堀

    姫路城内堀

  • 「大手門と桜門橋」説明

    「大手門と桜門橋」説明

  • 桜門橋<br /><br />江戸時代の木橋をイメ−ジして平成19年(2007)に築いた復元橋となります。

    桜門橋

    江戸時代の木橋をイメ−ジして平成19年(2007)に築いた復元橋となります。

  • 内堀と石垣

    内堀と石垣

  • 内堀風景<br /><br />桜門橋から内堀を一望します。

    内堀風景

    桜門橋から内堀を一望します。

  • 姫路城石標<br /><br />打込みハギの石垣を背景に「史蹟 姫路城」の石標が建っています。

    姫路城石標

    打込みハギの石垣を背景に「史蹟 姫路城」の石標が建っています。

  • 工事中の立て看板<br /><br />本丸と周辺は工事中で3月17日に完全オープンとのことです。

    工事中の立て看板

    本丸と周辺は工事中で3月17日に完全オープンとのことです。

  • 天守閣(遠景)<br /><br />三の丸跡の向こうの高台にそびえる天守閣が視野に入ります。

    天守閣(遠景)

    三の丸跡の向こうの高台にそびえる天守閣が視野に入ります。

  • 城郭見学案内

    城郭見学案内

  • 天守閣・大天守<br /><br />三の丸跡から五重の大天守を捉えます

    イチオシ

    天守閣・大天守

    三の丸跡から五重の大天守を捉えます

  • 天守閣

    イチオシ

    天守閣

  • 西の丸・櫓<br /><br />南東部の両端(東西)にそれぞれ櫓が建てられ、本多忠政が千姫を室に迎えた嫡男忠刻のために建てた御殿をの一部となっています。

    西の丸・櫓

    南東部の両端(東西)にそれぞれ櫓が建てられ、本多忠政が千姫を室に迎えた嫡男忠刻のために建てた御殿をの一部となっています。

  • 三の丸跡<br /><br />西の丸石垣下から今では広場となっている三の丸跡を一望します。

    三の丸跡

    西の丸石垣下から今では広場となっている三の丸跡を一望します。

  • 「姫路城の歴史」説明

    「姫路城の歴史」説明

  • 天守礎石の庭<br /><br />6千トンの建物を支えていたため地盤沈下で傾斜が発生、昭和の大修理で鉄筋コンクリートにして重量を直接岩層に持たせるようにしました。 それまでの役割を果たしていた礎石が不要となったのでもとの配置にして平面的に再現しています。

    天守礎石の庭

    6千トンの建物を支えていたため地盤沈下で傾斜が発生、昭和の大修理で鉄筋コンクリートにして重量を直接岩層に持たせるようにしました。 それまでの役割を果たしていた礎石が不要となったのでもとの配置にして平面的に再現しています。

  • 天守礎石説明

    天守礎石説明

  • 官兵衛ゆかりの石垣<br /><br />在城の黒田孝高(官兵衛)から当城を譲り受けた羽柴秀吉が三重の天守を有する新しい城を築きましたがその際の石垣が二の丸下に残されています。秀吉は築城にあたって官兵衛に命じているのでこの石垣にも官兵衛が加わっている可能性があります。

    官兵衛ゆかりの石垣

    在城の黒田孝高(官兵衛)から当城を譲り受けた羽柴秀吉が三重の天守を有する新しい城を築きましたがその際の石垣が二の丸下に残されています。秀吉は築城にあたって官兵衛に命じているのでこの石垣にも官兵衛が加わっている可能性があります。

  • 官兵衛ゆかりの石垣<br /><br />築城技術が稚拙であったので高垣が造れず、二段に分かれた石垣となっていますが、石垣も「野面積み」といって古式石積みでまとまって見れるのは幸運です。

    官兵衛ゆかりの石垣

    築城技術が稚拙であったので高垣が造れず、二段に分かれた石垣となっていますが、石垣も「野面積み」といって古式石積みでまとまって見れるのは幸運です。

  • チの櫓<br /><br />櫓を支える石垣は右から左に野面積みから打込みハギ、切込みハギへと変遷の姿が明確に示されています。<br />尚地表にある石塔は修築工事の際石垣の中から出てきた石仏などを集め五輪塔の形に積み上げて供養したものです。

    チの櫓

    櫓を支える石垣は右から左に野面積みから打込みハギ、切込みハギへと変遷の姿が明確に示されています。
    尚地表にある石塔は修築工事の際石垣の中から出てきた石仏などを集め五輪塔の形に積み上げて供養したものです。

  • 「下山里・上山里下段石垣」説明

    「下山里・上山里下段石垣」説明

  • 「姫路城石石垣について」説明

    「姫路城石石垣について」説明

  • 「黒田官兵衛ゆかりの石垣」説明

    「黒田官兵衛ゆかりの石垣」説明

  • 二の丸石垣<br /><br />秀吉時代の石積み技法は稚拙で石垣と石垣を合わせる隅角の稜線が不揃いとなって居ま。

    二の丸石垣

    秀吉時代の石積み技法は稚拙で石垣と石垣を合わせる隅角の稜線が不揃いとなって居ま。

  • 二の丸(工事中)<br /><br />工事用ネットで覆われている姿が確認できます。

    二の丸(工事中)

    工事用ネットで覆われている姿が確認できます。

  • 内堀一部<br /><br />上山里下段石垣付近から内堀を一望します。

    内堀一部

    上山里下段石垣付近から内堀を一望します。

  • 上山里下段石垣<br /><br />三の丸跡広場に降り振返って上山里下段石垣を見上げます。

    上山里下段石垣

    三の丸跡広場に降り振返って上山里下段石垣を見上げます。

  • 西の丸・櫓<br /><br />同様に三の丸から西の丸東端の櫓(「カ」の櫓 )を捉えます。

    西の丸・櫓

    同様に三の丸から西の丸東端の櫓(「カ」の櫓 )を捉えます。

  • 旧西大柱<br /><br />天守閣の地階床から6階床までを東大柱と共に350年に亘って支えた柱で江戸時代の明歴2年(1656)柱や土台の老朽化の為補強工事を行ったが昭和の大修理で柱真に腐れが判明し新規柱と交換した経緯があります。<br /><br />

    旧西大柱

    天守閣の地階床から6階床までを東大柱と共に350年に亘って支えた柱で江戸時代の明歴2年(1656)柱や土台の老朽化の為補強工事を行ったが昭和の大修理で柱真に腐れが判明し新規柱と交換した経緯があります。

  • 旧西大柱説明

    旧西大柱説明

  • 「菱(ひし)の門」全景

    「菱(ひし)の門」全景

  • 姫路城案内図<br /><br />天守閣とその周辺は工事中で立入禁止となっており、平成27年3月27日から見学可能のようです。

    姫路城案内図

    天守閣とその周辺は工事中で立入禁止となっており、平成27年3月27日から見学可能のようです。

  • 菱(ひし)の門<br /><br />二の丸の入口を固めた櫓門で、柱や扉は欅(けやき)材を用い脇戸つけて、両柱の上の冠木に、木彫の「菱の紋」を打っていることからこの名前が付されたそうです。

    菱(ひし)の門

    二の丸の入口を固めた櫓門で、柱や扉は欅(けやき)材を用い脇戸つけて、両柱の上の冠木に、木彫の「菱の紋」を打っていることからこの名前が付されたそうです。

  • 菱の門<br /><br />門脇には「國寶姫路城」の表札が掲げられています。

    菱の門

    門脇には「國寶姫路城」の表札が掲げられています。

  • 「菱の門」説明

    「菱の門」説明

  • 世界遺産姫路城<br /><br />明治初期の鳥瞰図が掲示されていますがよく描かれています。

    世界遺産姫路城

    明治初期の鳥瞰図が掲示されていますがよく描かれています。

  • 西の丸跡<br /><br />藩主本多忠政が大坂夏の陣後将軍秀忠の娘千姫を娶った息子の忠刻(ただとき)の為に元和4年(1618)御殿を建てた所で忠刻の官位から中書丸と称していました。

    西の丸跡

    藩主本多忠政が大坂夏の陣後将軍秀忠の娘千姫を娶った息子の忠刻(ただとき)の為に元和4年(1618)御殿を建てた所で忠刻の官位から中書丸と称していました。

  • 西の丸跡説明

    西の丸跡説明

  • 天守閣<br /><br />二の丸跡から天守閣の雄姿が見事なまでに視野に入ってきます。(見学者が多数カメラを構えていました。撮影スポットのようです)

    イチオシ

    天守閣

    二の丸跡から天守閣の雄姿が見事なまでに視野に入ってきます。(見学者が多数カメラを構えていました。撮影スポットのようです)

  • 百間(ひゃっけん)廊下入口<br />

    百間(ひゃっけん)廊下入口

  • 百間廊下<br /><br />西の丸の西端に沿っておよそ300mに亘る廊下、内部はいくつもの部屋に仕切られており、一部は忠刻の御殿で働く奥女中の居住の他倉庫として使用されていました。<br /><br />同時に西側をから攻撃に対する防御の役割を果たし具体的には廊下の外に向けては格子窓や狭間が備えられていました。

    百間廊下

    西の丸の西端に沿っておよそ300mに亘る廊下、内部はいくつもの部屋に仕切られており、一部は忠刻の御殿で働く奥女中の居住の他倉庫として使用されていました。

    同時に西側をから攻撃に対する防御の役割を果たし具体的には廊下の外に向けては格子窓や狭間が備えられていました。

  • 「百間廊下」説明

    「百間廊下」説明

  • 「西の丸櫓群」説明

    「西の丸櫓群」説明

  • 百間廊下内部<br /><br />300mの廊下の所々には内側への扉が設置され行き来が可能となっています。

    百間廊下内部

    300mの廊下の所々には内側への扉が設置され行き来が可能となっています。

  • 百間廊下内部<br /><br />廊下の直線部分もあって実に見事に作られています。

    イチオシ

    百間廊下内部

    廊下の直線部分もあって実に見事に作られています。

  • 百間廊下内部

    百間廊下内部

  • 天守閣<br /><br />百間廊下から天守閣方向を一望します。

    天守閣

    百間廊下から天守閣方向を一望します。

  • 天満天神<br /><br />百間廊下から眺める天満天神が祀られている男山を眺めます。天満天神の信仰厚い千姫は毎朝長局(ながつぼ、奥女中の住居)の廊下から参拝していたそうです。

    天満天神

    百間廊下から眺める天満天神が祀られている男山を眺めます。天満天神の信仰厚い千姫は毎朝長局(ながつぼ、奥女中の住居)の廊下から参拝していたそうです。

  • 「千姫と化粧櫓」説明

    「千姫と化粧櫓」説明

  • 百間廊下<br /><br />手前の化粧櫓から百間廊下を見渡します。外部から見てもかなり長い多聞櫓で、城郭を防御する砦の雰囲気を合わせ持っているいる印象があります。

    百間廊下

    手前の化粧櫓から百間廊下を見渡します。外部から見てもかなり長い多聞櫓で、城郭を防御する砦の雰囲気を合わせ持っているいる印象があります。

  • 化粧櫓<br /><br />千姫が長局廊下から天満天神を参拝した際の休憩所であった化粧櫓を外から捉えます。

    化粧櫓

    千姫が長局廊下から天満天神を参拝した際の休憩所であった化粧櫓を外から捉えます。

  • 天守閣<br /><br />化粧櫓下から捉えた天守閣も立派な姿を見せています。

    天守閣

    化粧櫓下から捉えた天守閣も立派な姿を見せています。

  • 乾小天守<br /><br />東・西と共に三小天守のうちの一つで西北に位置(乾方向)する櫓であるため乾小天守と言われています。

    乾小天守

    東・西と共に三小天守のうちの一つで西北に位置(乾方向)する櫓であるため乾小天守と言われています。

  • にの門櫓・石垣<br /><br />打込みハギ石垣のため隅角稜線が直線に決まっています。

    にの門櫓・石垣

    打込みハギ石垣のため隅角稜線が直線に決まっています。

  • にの門櫓<br /><br />唐破風屋根に乗っている鬼瓦には十字紋が彫られていることがわかります。十字紋と言えばキリシタンの名残りとか魔除けとも言われてますがいずれしても珍しい紋と言えます。

    にの門櫓

    唐破風屋根に乗っている鬼瓦には十字紋が彫られていることがわかります。十字紋と言えばキリシタンの名残りとか魔除けとも言われてますがいずれしても珍しい紋と言えます。

  • 十字紋の鬼瓦説明

    十字紋の鬼瓦説明

  • 扇の勾配<br /><br />石垣が上部にいくほど反り上がるような石垣となっていることで、石垣が開いた扇の曲線に似ていることからこの名が付されています。

    扇の勾配

    石垣が上部にいくほど反り上がるような石垣となっていることで、石垣が開いた扇の曲線に似ていることからこの名が付されています。

  • 扇の勾配<br /><br />方向を変えてみますが、敵が石垣をよじ登らせない為の工夫であり、石積み工法が進化している姿と言えます。

    イチオシ

    扇の勾配

    方向を変えてみますが、敵が石垣をよじ登らせない為の工夫であり、石積み工法が進化している姿と言えます。

  • 「扇の勾配」説明

    「扇の勾配」説明

  • ぬの門<br /><br />この門を上がると二の丸跡に入ります。

    ぬの門

    この門を上がると二の丸跡に入ります。

  • 官兵衛の歴史館<br /><br />「り」の一渡櫓に小展示館として黒田官兵衛に関する諸物品・資料等が展示されています。

    官兵衛の歴史館

    「り」の一渡櫓に小展示館として黒田官兵衛に関する諸物品・資料等が展示されています。

  • 天守閣<br /><br />二の丸跡から天守閣を眺めます。各場所から天守閣を眺めますがそれぞれ見応えがあります。

    イチオシ

    天守閣

    二の丸跡から天守閣を眺めます。各場所から天守閣を眺めますがそれぞれ見応えがあります。

  • お菊井戸<br /><br />播州皿屋敷のお菊が責め殺されてこの井戸に投げ込まれたと言われる井戸です。

    お菊井戸

    播州皿屋敷のお菊が責め殺されてこの井戸に投げ込まれたと言われる井戸です。

  • お菊井戸

    お菊井戸

  • お菊井戸説明

    お菊井戸説明

  • ぬの門

    ぬの門

  • 菱の門<br /><br />帰路に際し菱の門を内側から撮ります。

    菱の門

    帰路に際し菱の門を内側から撮ります。

  • 天守閣<br /><br />菱の門内側からまた天守閣を捉えます。<br />

    天守閣

    菱の門内側からまた天守閣を捉えます。

  • 三国堀<br /><br />天守閣の手前の石垣は歴史の変遷を感じさせ、ほどんどが野面積みですが右側の一部に打込みハギの石垣が築かれています。

    三国堀

    天守閣の手前の石垣は歴史の変遷を感じさせ、ほどんどが野面積みですが右側の一部に打込みハギの石垣が築かれています。

  • 山陽電車姫路駅ビル<br /><br />JR姫路駅にほど近い山陽電車姫路駅ビルですがこの辺りが姫路城の外堀だったそうで幅は14mで長さは4.2Km余と大規模で江戸城、小田原城、大坂城に次ぐ規模でした。

    山陽電車姫路駅ビル

    JR姫路駅にほど近い山陽電車姫路駅ビルですがこの辺りが姫路城の外堀だったそうで幅は14mで長さは4.2Km余と大規模で江戸城、小田原城、大坂城に次ぐ規模でした。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • ごまさん 2015/03/04 22:23:56
    美しいお城ですよね。
    滝山氏照さんへ

    こんばんは、姫路城が化粧直しがすんで美しい姿を見せてくれましたね。
    最近よくテレビの旅番組で見かける事が多くなりました。

    私も高校の修学旅行以来なので、記憶も薄れていますが滝山氏照さんの旅行記を見ながら、部分的に思い出しました。

    「お菊井戸
    播州皿屋敷のお菊が責め殺されてこの井戸に投げ込まれたと言われる井戸です。」
    これは興味が有ったので、私も井戸の中をじっくり見ました。
    とても大きなお城でとても綺麗だな〜と覚えています。
    時代劇で姫路城がバックに映ると、懐かさも覚えました。

    いつかまた訪ねてみたいです。
     
      ごま

    滝山氏照

    滝山氏照さん からの返信 2015/03/04 23:43:50
    姫路城
    ごまさん、こんばんは


    度々のお立ち寄りありがとうございます。


    実は初回の訪問で、今年1月3日からの一連の城郭訪問の主たる目的である姫路城見学が実現できて久しぶりに感激したところです。

    残念ながら本丸とその周辺は見るとこができませんでしたが、グランドオ−プンが今月27日ですから再度の訪問を期しています。

    姫路城は陸軍大佐の働きかけで現在もその雄姿を現してくれてますが、他方保存されずそのまま破却され我々の眼から消えた城郭が多数あったことを考えれば、ひじょうにもったいない事だったと思います。


    滝山氏照

滝山氏照さんのトラベラーページ

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