2014/12/20 - 2014/12/20
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kojikojiさん
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今年1年国内旅行に行っていなかったのと、年末になって温泉に行きたいと思ってクラブツーリズムとトラピックスのHPを覗いているとトラピックス社に「九州感謝祭4日間」というコースがありました。鹿児島以外の九州6県をバスで3泊4日で周って29,990円というものでした。母に声を掛けてみると「行く、行く!」との返事だったので12月20日出発のツアーを申し込みました。妻はHPでホテルのアップグレードを発見し、母に電話して「お義母さん、我が家だけだったらいいのだけど、お義母さんも一緒だったらホテルをランクアップした方がいいと思うの。でも私はお金が無いので差額を出してほしいな。」という事でツアー代金は1人8,000円追加となりました。そして当日、羽田空港からJALの便で福岡空港へ向かいます。そして現地の添乗員さんとガイドさんと一緒に飯塚市へ向かいます。最初はテレビドラマで有名になった炭鉱王の「旧伊藤伝右衛門邸」の見学です。福岡空港からは約1時間半のドライブです。駐車場からみんなで移動して1時間の見学です。邸宅には案内人の方がいらして邸内を案内していただけます。説明は非常に面白く特に白蓮さんの話は悲哀も含めて印象に残りました。そして1日目の終点は別府温泉になります。高速を使っても2時間以上かかり、真っ暗になってからの到着でした。そんな母親と妻を連れた初めての3人旅です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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羽田空港の集合時間は10時20分だったので朝はゆっくり出来ました。地下鉄とモノレールを乗り継いで1時間ほどで到着しました。このメンバーでの宿泊旅は今回が初めての事です。
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飛び石連休の初日なので混雑もあるようで早めにセキュリティーを通って中に入ります。福岡に到着後はすぐに出発して飯塚まで移動するので、空港か機内で昼食を済ませる案内がありました。お弁当とお茶を買っておきます。
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時ほぼ定刻に搭乗が始まり、機内に向かいます。
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この日のJALの便は満席だそうです。
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座席はABCの並び席でした。搭乗者の記名が無いチケットなので、受付した順番なのか分かりませんが、後で周辺のお客は同じツアーの方だったと分かりました。3人だから窓側だったのかと思いましたが帰りの便は違いました。これは添乗員さんが順番に配っていたので仕方ないですね。
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滑走路は混雑していうようで10分くらい遅れていました。
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ほとんど海上だった上に雲も多かったので、眺めはあまり良くありませんでした。
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海から入って福岡市内上空を大きくターンして着陸です。
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十数年ぶりの福岡空港に到着です。荷物をピックアップして表に出るとトラピックスの旗を持った添乗員さんがお出迎えです。総勢30人集合したところでバスへ案内されます。3人参加だったので座席は横並びに4席使えました。追加料金を母に出してもらっているので広い席は暗黙のうちに母が使う事になりました。
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麻生太郎筆の看板です。邸内の扁額などを見てしまうと…、近年の政治家で素晴らしい書というものは無いですね。
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明治、大正、昭和にかけて福岡県の筑豊地域は当時石炭エネルギー供給地で、当時「筑豊御三家」と呼ばれた麻生、貝島、安川に続いたのが炭鉱王が伊藤伝右衛門だったそうです。
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敷地面積約7570平方メートル、建物延床面積約1020平方メートルという巨大な邸宅です。
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表から見ているだけで建物の凝った造りが伝わってきます。
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高田忠周書の扁額が表玄関に掛かっています。右から「和協輯陸」(わきょうしゅうぼく)と読むそうです。平和な協調も農から起こるという意味だそうです。
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左には洋風の応接室があります。中央のマントルピースのタイルはイギリスから取り寄せたタイルだと思います。中国の瀋陽の張作霖の邸宅にも同じ時代のタイルがたくさん使われていました。
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テーブルに置かれた伊藤伝右衛門と白蓮の写真が悲しく見えます。
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中之間から角之間へ続く廊下です。廊下の雰囲気は横浜の三溪園にも似た感じがします。
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板戸絵は阿部春峰によるものです。福岡県鞍手郡で生まれた地元の画家です。
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京都に出て菊池芳文に師事して、日本画花鳥風月を学んだそうですが、伊藤伝右衛門はパトロン的な役目を果たしていたのでしょうか。
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角之間は茶室になっており、廊下を挟んだ反対側が水屋になっています。この辺りの風情や造りは母の実家の京都の二条陣屋を思わせます。帯を解いて塗り込めた壁も能舞台へ入る前の壁に似ており、参考にしたのではないかと思うほどでした。
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一番長い廊下の天井は矢羽天井になっており、平らに張られた板が目の錯覚で中央部が下がって見えます。
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「祝年莫如惜時 愛受莫務学」隠元禅師の書です。「年を祝うは、時を惜しむにしくはなし。身を愛するものは学を侮るなかれ。」
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「忠孝吾家之寶 経史吾家之田」と書かれ、忠孝は家の宝、儒教や歴史書の大切さを説いています。隠元禅師は長崎市興福寺ゆかりの禅師でもあります。
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本座敷から庭園側に出ると大きな蹲が置かれています。庭の中央部が工事中だったのが残念です。
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手入れが行き届いた庭園です。見学時間は1時間しかないので邸内だけで終わりそうです。
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本座敷から廊下側を望みます。
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反対側の庭園には池に太鼓橋が架かり、石塔が松の木の中に見えます。
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本座敷の扁額は東郷平八郎の書です。この建物の改築が済んだ1906年に書かれた物で伊藤伝右衛門の依頼によるものだそうです。
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座敷の襖には石炭王らしく遠賀川の川面の絵柄で、引手は帆掛け船になっています。
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襖1枚とっても贅を尽くしたものです。
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天井といい伊藤さんは網代が好きだったのでしょうか?
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邸内のいたるところに生花が配されているので、建物が生きているように感じられます。同じようなことがフランスのロワール渓谷の城巡りをした時に感じました。
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欄間の透かし彫りもこのように凝ったものになっています。
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「ももとせの 後また誰か ここに立ち 月を仰ぎて おもふやむかしを」
歳を重ねて自分の人生の先が見えてくれば詠めるでしょうが、白蓮さんは一体幾つでこの歌を詠んだのか。 -
伊藤家の家紋は「丸に三枡」(男性)と「五三の桐」(女性)ですが、菊のモチーフも多く見受けられます。
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御所人形は木から作られ真っ白な肌にぽっちゃりとした肉付きが特徴で、手足など細部に至るまで繊細な木彫りにて作成しております。とキャプションにあります。白蓮さんの時代から伝わるものなのでしょうか。今は香合でしか見掛けませんが、ぶりぶりを持っています。
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冬の午後の柔らかい日差しが広い庭園に差し込んでいます。
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中国の古典庭園を模したのでしょうか。西湖などの景色だと分かり易いのですが、置かれた石や橋や石塔には意味があるのだと思います。
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この軸についての説明はありませんでした。
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邸宅の奥に階段があり、ここは20人から30人に限って入れ替えで2階に上がれます。この二間続きの部屋は白蓮さんが住んでいたところだそうです。繊細な意匠が施され、伝右衛門さんの白蓮への想いが込められているように思います。
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床脇の天袋の沖縄蝶の絵は水上泰生の手によるものです。福岡県筑紫郡住吉の生まれです。
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中央の黒い蝶は伊藤伝右衛門さんのリクエストで描かれたそうです。蝶が全部で5頭なのは筑豊の御三家に伊藤家などを加えた五家という意味だそうです。
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部屋の周囲には畳敷きの外廊下があり、広大な庭園が見渡せます。
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同じ景色を白蓮さんが見ていたのかと思うと感慨深いです。
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「朝化粧 五月となれば 京紅の 青き光も なつかしきかな 」
柳原白蓮が旧伊藤邸で暮らした時に詠んだ一首で、五月の光の中で朝化粧した時にハマグリの中の口紅になつかしい京都を飯塚からしのんで詠んだ歌で、大正4年発刊の白蓮の第一歌集「踏絵」をはじめ、その後「白蓮自選歌集」や「流天」などに収録された白蓮がこよなく愛した歌だそうです。 -
床の間には美しい花が活けられ、床の天井は竹の曲面を生かしながら家紋の連続を意匠にしています。
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15畳敷きの大広間に戻ってきました。12畳の次間が続き、西側と北側に一間の畳廊下がめぐり、板張りの濡れ縁もあります。天井は栂(とが)板張りです。
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角之間の掛け軸には「うくひすは いまをはしめの ねのことく 昔をおもふ その日を思ふ」と書かれています。
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タイル貼りの浴室ですが檜風呂は修復されていて新しかったです。
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洗面所の鏡はビクトリア朝の装飾が施された重厚な造りです。
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食堂は松の枝の意匠の照明器具と洋風の調度品といった和洋折衷の典型的な部屋です。
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「わが夢の あをばわかばに とけ入りて かろきこころの 朝ぼらけかな」
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白蓮の歌集は読んだことはありませんでしたが、近いうちに読んでみようと思いました。その前に生前に父にもらった会津八一の読んでいない歌集もあるのですが。
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邸内の見学で1時間が過ぎてしまいました。庭園を見学する間は無く、トイレの近くだけ覗くにとどめます。
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この角の2階の部屋が白蓮さんの部屋です。
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邸内の案内をしてくださったボランティアの方です。聞くところによるとガイドさんによって説明は全く違い、邸宅の印象も違うそうです。この日はとても良いガイドさんだったと思います。
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母も昔は自宅だった京都の二条陣屋の案内をしていました。ある日東京から見学者がありましたが、中学生だった母の妹しか在宅しておらず、戻ってきた高校生の母が説明することになりました。東京から来た見学者が父という訳です。当時の高校生もこんなになりました。
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この時が午後4時半でこの後211号線を南下して山田SAから大分自動車道を別府温泉に向かいます。バスガイドさんが道中を説明してくれますが、日田も小鹿田も耶馬渓も真っ暗でした。
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