2014/10/25 - 2014/10/25
101位(同エリア162件中)
滝山氏照さん
法興山・妙光寺(みょうこうじ、茨城県古河市中央町)境内に徳川家康の側室で後の徳川御三家のうち紀伊徳川家の始祖頼宣(よりのぶ、1602~1671)と水戸徳川家の始祖となる頼房(よりふさ、1603~1661)をもうけたお万の方の石塔があります。
石塔の側にはお万の方の足跡が記載された石碑が建ち、下記内容の記述があります。
「将軍徳川家康の側室で、紀伊徳川家の祖頼宣、水戸徳川家の祖頼房の生母。
天正5年(1577)上総勝浦城の正木左近大夫邦時の娘として生れる。
後、影山長門守利広の養女になったと伝えられ、幼少より法華経に結縁していた。
文禄2年(1592)17歳、縁あって徳川家康に仕え、晩年の家康に最も寵愛された女性となった。
お万の方は、33歳の若さで身延山久遠寺に晋山した心性院日蓮上人に師事して、法華信仰の道に入った。
お万の方は、息子の紀州大納言頼宣と水戸中納言頼房に命じて大野に大伽藍を寄進させた。これが今の本遠寺である。
以後お万の方の本宗外護の丹誠は厚く、日蓮大聖人の霊蹟復興に尽力した。
元和2年(1616)家康が亡くなると養珠院と号した。
寛永17年(1640)にはそれまで女人禁制であった身延の七面山に、「女人成仏の法華経守護の七面天女の御山に法華経を信ずる女人が登れぬはずはない」と白糸の滝で7日間の水こりをとって、初めて女人として山頂を極めた。
七面山女人踏み分けの祖とされる由縁である。
承応2年(1653)8月21日江戸紀州邸にて77歳の生涯を閉じた。
(遺言により本遠寺に葬られた)
お万の方は、日光東照宮参拝の折り、妙光寺に、度々立ち寄られている。
即本尊並びに諸尊像はお万の方の御建立である。大野山本遠寺との縁あってお万の方の遺骨を分骨して埋葬された。現在、「養珠院殿妙詔日心大姉]と云う法名が一般的であるが、当山に於いては「養珠院妙詔日心大姉」と云う
「殿」のない戒名になっている。
この事はお万の方がお亡くなりになられてからすぐに分骨されてお墓が建てられたと云う事実を示している。
平成20年6月、当山歴代の墓地にあったものを、350有余年を過ぎて風化著しいため、現在地に整備し永遠に後世に伝えるものである。
妙光寺第三十五世 泰道院日蔭 」
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- JRローカル
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妙光寺・寺門
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石碑
石門の傍らには「お万の方ゆかりの寺」と彫られた石碑が配されています。 -
妙光寺・寺標
左側には「妙光寺」と刻された石柱が立っています。 -
妙光寺・境内
よく手入れされている樹木が眼に入ります。 -
妙光寺・参道
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妙光寺・馬頭観世音塔
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妙光寺・馬頭観世音塔(近景)
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妙光寺・馬頭観世音塔説明
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古河市名木古木
当該寺境内にはイチョウが古河市指定の木となっています。 -
銀杏の樹木
境内には名木として銀杏が植えられています。 -
名木古木・説明板
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妙光寺・本堂
中央に階段を伴った鉄筋二階部の本堂を見上げます。 -
お万の方供養塔(遠景)
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イチオシ
お万の方・供養塔
お万の方の出自は安房正木氏の一族で父親邦時(別名頼忠)は勝浦正木氏の当主、併せて熱心な日蓮宗の信徒です。日蓮の出生地が安房鴨川であることと無関係ではないと思われます。 -
塔身部
何か文字が描かれていますが完全に読み取りできません。 -
お万の方・石碑
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妙光寺・日蓮上人立像
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妙光寺・境内
例によって本堂から寺門方向を一望します。 -
母子観音像
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動物慰霊所
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