古河旅行記(ブログ) 一覧に戻る
渡良瀬川を渡る三国橋に繋がる国道345号に迫る樹木で覆われた高台に頼政神社(よりまさじんじゃ、茨城県古河市錦町)があります。<br /><br />頼政とは平安時代後期の摂津源氏の武将である源頼政(みなもと・よりまさ、1104~1180)のことで、治承4年(1180)、平氏の専横に不満が高まる中、後白河天皇第三皇子である以仁王(もちひとおう、1151~1180)と結んで平氏打倒の挙兵を計画するもこれが露見、挙兵を知った平清盛の軍に追われ平等院での戦いに破れて自刃します。<br /><br />従者が頼政の首を笈に入れて持ち帰ったところ、下総国古河の龍崎で笈が急に重くなったため当地に首を埋葬しその霊を祀ったとの伝承があります。<br /><br />神社創建時期については他説がありますが元禄9年(1696)、当時の古河藩主松平信輝(まつだいら・のぶてる、1660~1725)が城内に遠祖の頼政の霊が祀られていることを知り神社として整備したと言われています。<br /><br />然しながら明治維新後城郭は廃され、大正年間には渡良瀬川治水対策のため大規模河川改修工事が実施され、頼政神社があった郭と共に本丸以下城郭はすべて削平され河川敷に一変します。<br /><br />大正年間に河川改修工事によって頼政神社は旧古河城北西端の観音寺郭土塁上に移されて現在に至っています。<br /><br /><br />2023年1月3日追記<br /><br />古河市ホームページには下記の通り説明されています。<br /><br />『 頼 政 神 社<br /><br />正一位頼政大明神といい、源三位頼政が祀られている。治承4年(1180)、源頼政は平家と宇治川で戦ったが、利あらず自刃した。その時従者に遺言して「我が首を持ち諸国をまわれ、我止まらんと思う時、必ず異変が起きよう。その時その場所へ埋めよ」といった。従者は諸国をめぐって下総国古河まできて休息した。再び立とうとしたが、その首が急に重くなって持ち上がらなくなった。不思議に思ったが、遺言通りその地に塚を築いた。これが頼政郭だという。<br /><br />この場所は古河城内南端にあたり竜崎郭ともいったが、明治時代末に渡良瀬川改修工事のため削り取られて川底になってしまうことから、現在の地に移された。その時、神社跡から古墳の副葬品と思われる金環・管玉・小玉・矢の根・大刀の断片が発掘され、現在は社宝として保存されている。』<br /><br /><br />

下総古河 古河藩主松平信輝が遠祖にあたり平氏打倒計画が露見し自刃した摂津源氏武将で以仁親王の信任厚い源頼政の霊を城内に祀った『頼政神社』散歩

12いいね!

2014/10/25 - 2014/10/25

81位(同エリア162件中)

0

25

滝山氏照

滝山氏照さん

渡良瀬川を渡る三国橋に繋がる国道345号に迫る樹木で覆われた高台に頼政神社(よりまさじんじゃ、茨城県古河市錦町)があります。

頼政とは平安時代後期の摂津源氏の武将である源頼政(みなもと・よりまさ、1104~1180)のことで、治承4年(1180)、平氏の専横に不満が高まる中、後白河天皇第三皇子である以仁王(もちひとおう、1151~1180)と結んで平氏打倒の挙兵を計画するもこれが露見、挙兵を知った平清盛の軍に追われ平等院での戦いに破れて自刃します。

従者が頼政の首を笈に入れて持ち帰ったところ、下総国古河の龍崎で笈が急に重くなったため当地に首を埋葬しその霊を祀ったとの伝承があります。

神社創建時期については他説がありますが元禄9年(1696)、当時の古河藩主松平信輝(まつだいら・のぶてる、1660~1725)が城内に遠祖の頼政の霊が祀られていることを知り神社として整備したと言われています。

然しながら明治維新後城郭は廃され、大正年間には渡良瀬川治水対策のため大規模河川改修工事が実施され、頼政神社があった郭と共に本丸以下城郭はすべて削平され河川敷に一変します。

大正年間に河川改修工事によって頼政神社は旧古河城北西端の観音寺郭土塁上に移されて現在に至っています。


2023年1月3日追記

古河市ホームページには下記の通り説明されています。

『 頼 政 神 社

正一位頼政大明神といい、源三位頼政が祀られている。治承4年(1180)、源頼政は平家と宇治川で戦ったが、利あらず自刃した。その時従者に遺言して「我が首を持ち諸国をまわれ、我止まらんと思う時、必ず異変が起きよう。その時その場所へ埋めよ」といった。従者は諸国をめぐって下総国古河まできて休息した。再び立とうとしたが、その首が急に重くなって持ち上がらなくなった。不思議に思ったが、遺言通りその地に塚を築いた。これが頼政郭だという。

この場所は古河城内南端にあたり竜崎郭ともいったが、明治時代末に渡良瀬川改修工事のため削り取られて川底になってしまうことから、現在の地に移された。その時、神社跡から古墳の副葬品と思われる金環・管玉・小玉・矢の根・大刀の断片が発掘され、現在は社宝として保存されている。』


旅行の満足度
3.5
交通手段
JRローカル
  • 頼政神社・案内板

    頼政神社・案内板

  • 頼政神社・社標<br /><br />石標が立っている道に入るとすぐ右側に高台があって細い小道が見えます。

    頼政神社・社標

    石標が立っている道に入るとすぐ右側に高台があって細い小道が見えます。

  • 頼政神社・石段<br /><br />開けた小道がすぐ急こう配の石段になっておりここを登って行きます。

    頼政神社・石段

    開けた小道がすぐ急こう配の石段になっておりここを登って行きます。

  • 頼政神社・参道<br /><br />昇り切った所から平坦な参道が開けます。左側に薮に囲まれながら説明板が立っています。<br /><br />

    頼政神社・参道

    昇り切った所から平坦な参道が開けます。左側に薮に囲まれながら説明板が立っています。

  • 頼政神社・説明板<br /><br />灯籠二対、狛犬一対そして手水鉢一基が古河市指定文化財となっています。

    頼政神社・説明板

    灯籠二対、狛犬一対そして手水鉢一基が古河市指定文化財となっています。

  • 頼政神社・鳥居

    頼政神社・鳥居

  • 掲示板<br /><br />

    掲示板

  • 頼政神社・説明板<br /><br />当該神社の紋は三蝶菊浮線綾、伊豆蝶又は吉田蝶紋と呼ばれ、伊豆蝶というのは松平信綱を始めとする長沢松平氏系統が、代々伊豆守であった事に由来していると説明しています。

    頼政神社・説明板

    当該神社の紋は三蝶菊浮線綾、伊豆蝶又は吉田蝶紋と呼ばれ、伊豆蝶というのは松平信綱を始めとする長沢松平氏系統が、代々伊豆守であった事に由来していると説明しています。

  • 古河城下復元模型<br /><br />江戸時代後期における復元模型が描かれています。<br />残念ながら大正年間における渡良瀬川河川改修により城郭はすべて削平され現在では見る影は全くありません。

    古河城下復元模型

    江戸時代後期における復元模型が描かれています。
    残念ながら大正年間における渡良瀬川河川改修により城郭はすべて削平され現在では見る影は全くありません。

  • 頼政神社・参道

    頼政神社・参道

  • 大灯籠(右側)<br /><br />説明文によれば頼政神社を祀った際、実弟である高崎藩主松平輝貞(まつだいら・てるさだ)より寄進奉納あった大灯籠と思われます。

    大灯籠(右側)

    説明文によれば頼政神社を祀った際、実弟である高崎藩主松平輝貞(まつだいら・てるさだ)より寄進奉納あった大灯籠と思われます。

  • 大灯籠(左側)

    大灯籠(左側)

  • 頼政神社・第二鳥居<br /><br />第二鳥居の手前にある一対の石燈籠は家臣たちが寄進したものと思われます。

    頼政神社・第二鳥居

    第二鳥居の手前にある一対の石燈籠は家臣たちが寄進したものと思われます。

  • 頼政神社・社殿(全景)<br /><br />現状の社殿規模は小さく、平氏打倒の先駆的な役割を果たし後年源頼朝らの平氏没落に導いた人物を考慮すればそれにふさわしい待遇が求められるべきと思います。

    イチオシ

    頼政神社・社殿(全景)

    現状の社殿規模は小さく、平氏打倒の先駆的な役割を果たし後年源頼朝らの平氏没落に導いた人物を考慮すればそれにふさわしい待遇が求められるべきと思います。

  • 頼政神社・社殿(近景)<br /><br />天井には棟札が貼られています。

    頼政神社・社殿(近景)

    天井には棟札が貼られています。

  • 頼政神社・境内<br /><br />社殿から鳥居方向を捉えます。

    頼政神社・境内

    社殿から鳥居方向を捉えます。

  • 水神宮社殿<br /><br />境内の社として水神宮社殿が少し離れて配置されています。

    水神宮社殿

    境内の社として水神宮社殿が少し離れて配置されています。

  • 参道<br /><br />水神宮社殿から参道方向を眺めます。

    参道

    水神宮社殿から参道方向を眺めます。

  • 稲荷社

    稲荷社

  • 水神宮入口

    水神宮入口

  • 水神宮を臨む広場

    水神宮を臨む広場

  • 水神宮を臨む広場<br /><br />広場一隅には史蹟として古河藩作事所址と刻された石柱が見受けられこの辺りは城郭内であったことになります。

    水神宮を臨む広場

    広場一隅には史蹟として古河藩作事所址と刻された石柱が見受けられこの辺りは城郭内であったことになります。

  • 三国橋<br /><br />JR古河駅から西進、江戸町通(国道354号)を経て渡良瀬川を渡る三国橋に繋がる堤防道路の手前の高台から展望します。

    三国橋

    JR古河駅から西進、江戸町通(国道354号)を経て渡良瀬川を渡る三国橋に繋がる堤防道路の手前の高台から展望します。

  • 古河城船渡門址石標<br /><br />渡良瀬遊水地に接する堤防にかかる道路の内側に在する石標ですがこの周辺は城郭の一部であった事を示しています。

    古河城船渡門址石標

    渡良瀬遊水地に接する堤防にかかる道路の内側に在する石標ですがこの周辺は城郭の一部であった事を示しています。

この旅行記のタグ

12いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP