2014/10/04 - 2014/10/04
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Wind99さん
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2日目、早朝の長崎市から出発。
市内の観光は、車やサイクルでは難しく、路面電車が最も適している。
長崎市を出て、レンタカーにて島原市、佐世保、平戸市を廻る。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- レンタカー
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翌朝も雨は残った。
HOTELから徒歩5分ほどで、中島川にかかる眼鏡橋に到着。
国の重要文化財に指定されている日本最古のアーチ型石橋。 -
「日本橋」「錦帯橋」と並び日本三名橋。
1982(昭和57)年の長崎大水害で半壊したが、翌年復元された。 -
1634年(寛永11)、興福寺二代住持、唐僧・黙子如定(もくす にょじょう)の技術指導で架設されたといわれている。
その像が橋のすぐそばにあった。 -
路面電車(長崎電気軌道は九州で唯一の私鉄)に乗ると、建造が古い車両だったらしく、「この車の経歴書」が掲げられていた。
昭和28年、日立製作所製だ。人間なら61歳で、まだ定年まで4年あるw。
賑橋駅から築町駅まで924mを乗る。 -
築町駅を降りてすぐのところ。長崎新地中華街の玄武門(北門)に来た。
横浜中華街、神戸南京町とともに日本三大中華街と称される。 -
今度は路面電車で新大工町駅まで行く。中島川河畔に上野撮影局跡があった。
1862年に、上野彦馬が長崎に開業した撮影局。
坂本龍馬、高杉晋作ら幕末に活躍した若き志士や明治時代の高官の肖像写真を数多く撮影した。
日本最初の戦場カメラマン。 -
若宮神社参道の坂を登って行く。途中、「藤屋跡」の看板があった。
龍馬ゆかりの料亭で、幕末の長崎を代表する西洋料理屋。(現在は私有地で入れず) -
15分ほど登ると、龍馬のぶーつ像があった。以前来た時にはなかった。
日本で最初にブーツを履いたいわれる龍馬。
この大きなぶーつのモニュメントは、実際にぶーつの中に足を入れて舵を握ることができる。→誰もいなかったので、一応やってみた。ふむふむ。 -
ぶーつ像からすぐに、亀山社中記念館があった。ようやく到着。
開園の9時までしばらく門前で待った。
日本初のカンパニーとなった亀山社中。2年後に海援隊と改名した。 -
一番で入館した。聞くと、はじめの部屋(10畳)は撮影OKとのこと。
2011年に名誉館長に就任した武田鉄矢が寄贈した龍馬立像が目を引く。
他に8畳、3畳と中2階(1〜2畳)があり、一家4人程度が住める広さ。
別に土蔵と馬小屋があったそうだが・・・、よく見るとこの母屋が亀山社中の建物であった可能性は高いと記されていたがが、確実では無さそうだ。狭すぎると思う。 -
複製のブーツとピストル。
龍馬像の前では、日本刀が置いてあり、それを持って撮影できるという。 -
路面電車で出島へ行く。
長崎市は道も狭く、坂も多く、車やサイクルで廻るには不便で路面電車が一番。 -
出島全体案内図。
鎖国時代の約200年間、日本で唯一西洋に開かれていた貿易の窓口、出島。 -
東側ゲートから入場。まずは出島のミニ模型から。
ここでは19世紀初頭の出島の復元を目指しているという。
以前来た時には、ここはまだ公開されていなかったので、唯一長崎で来たかった所。 -
雨のせいか人通りが少ない。
雨の中、名前だけは知っていた「ちりんちりん」を売っていた屋台のおばあさん。
しかも長崎名物の前田冷菓製だ。 -
でも、先月秋田で食べた「ババヘラ」と同じだと思った。
後で調べると、こちらが発祥で、修行していた職人が後に秋田に持ち帰ったとの記載を見た。アイスの質も違うらしい。 -
カピタン部屋、乙名部屋(おとなべや)、一番船船頭部屋、ヘトル部屋、旧石倉、旧出島神学校等、歩くだけなから10分ほどで廻ることが出来る。
ブロンズ製12ポンド砲は、1954年に浦上河口付近で発見されたもの。1640年製。 -
西側水門(荷揚場)横。
1634年、徳川幕府はキリスト教の広がりを防ぐため、長崎の町に住むポルトガル人を一か所に集めるため、海中に扇型の島を作り、出島とした。 -
瓦敷きの側溝
出島では、道の両側に雨水を流す瓦を敷いた側溝があり、それを復元したという。 -
西側入り口の長崎出島オランダ商館跡の碑。
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路面電車で長崎駅に行く途中、大波止駅のアナウンスで、文明堂総本店のカステラのPRを聞く。車窓から撮影。
文明堂のカステラの本家、発祥が長崎の文明堂総本店。 -
JR長崎駅ホーム内にあった、御朱印船の模型。来週から始まる長崎くんちで使用されるという。
秀吉の南蛮貿易を支えた御朱印船。だが江戸時代の鎖国政策で終焉となった。 -
駅には特急かもめが停車している。
博多〜長崎を往復する特急列車だ。 -
長崎県の東、島原に来た。
まず、日本名水百選の島原湧水群、鯉の泳ぐまちを見る。
約50ヶ所から自噴する湧水は適度な炭酸ガスを含んでいるという。 -
島原名物のかんざらし(別名白玉粉)の幟が出ていたお店。
これも帰ってから調べて解ったので、知っていたら、このスイーツを頂きたかった。 -
しまばら湧水館。
よく見ると無料休憩所だ。
「かんざらし」手作り体験を随時受付けている。 -
江戸時代、島原藩4万石の居城であった島原城。
石垣が壮麗だ。 -
ぐるっと廻って天守閣に来た。
係りの人が忍者装束で出迎えてくる。
階段の登りがきついので、受け付けでは、無料で荷物を預かってくれていた。 -
明治の廃城後、復元した天守閣の50周年記念であった。
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城の裏手にまわると、郷土出身者で文化勲章受賞者である北村西望先生の彫塑を展示する「西望記念館」があった。
周囲にも彫塑が多く見られた。 -
天守閣から見る雲仙普賢岳。圧倒的な圧力に見える。インパクトある威容が印象的。
山頂付近の白い雲辺りは、平成新山だ。直線で5km位の距離。
1991年に大規模な火砕流となり、大きな被害となった。 -
島原武家屋敷街に来た。
ちょっと沖縄を連想させる街並み。
2003年都市景観大賞「美しいまちなみ賞」大賞を受賞しているという。 -
3つ残る武家屋敷の1つの鳥田邸。無料で入れる。
暗がりの家の中では、食事をしている家族の人形があった。 -
今度はしばらく北上し、佐世保のハウステンボスを、遠めに見た。
ホテルオークラJRハウステンボス、タワーシティーのドムトールン展望室、アートガーデンのシンボル白い観覧車。
うーん。いつか見に来たいかも。 -
夕景前の佐世保港。山並み(赤崎岳かな)が美しい。
ここには、アメリカ海軍佐世保基地と海上自衛隊佐世保基地があり、湾には多くの戦艦の姿が見られた。 -
佐世保のビュースポットとして九十九島がある。
それを見れる展望台は複数あるが、最も海に近い展海峰 (テンカイホウ)を選んだ。
駐車場から少し歩くと、展望台が見えた。 -
展望台に登り風景を見た瞬間、自然と口から声が出てしまった。「すばらしいー」と。
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前に見に行った伊勢志摩の横山展望台を思い出した。
どちらも引きを取らない絶景だ。
もう少し待てばすばらしい夕焼けになるが、北上を急ぎ、平戸まで走る。 -
夜、平戸に着いた。が、暗闇に光る2つの建物が気になった。
それが気になり光を頼りに光源を探し、狭い坂道を上がって行った。と、1つ目はザビエル記念教会だった。
これはなんと、半月に照らされたきれいな歴史ある教会で、ライトアップされていた。 -
2つ目は平戸城。
駐車場まで行って見たが、城門は閉ざされており、また遠くからしかその天守閣を望めなかった。
宿泊先はこの平戸城が見える、平戸港前の場所。
暑さで汗だくだったので、まずお風呂。そして荷物と車を置いて、散歩に出た。 -
歴史を感じさせる街並みのメインストリート。
港に沿って、街並みもカーブしている。
シャッター店は無いようだ。 -
散歩してみると夕食が食べられそうな店は、焼き鳥屋が1軒とこのレストラン?と、デイリーヤマザキのコンビニが1件だった。
この店に入る。 -
「平戸うちわえびとアスパラとベーコンのクリームスパゲッティー」と焼酎をオーダーする。
昔風のバーカウンターで、ゆっくり食事した。
ここは平戸港と、西肥バスターミナルがある交流地点だが、内も外も人を見掛けない。
闇夜に浮かぶザビエル記念教会と平戸城のライトアップが歴史を感じさせ、ここは心地よい安心感を覚えた。
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