2014/10/05 - 2014/10/05
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Wind99さん
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西九州の3日目は長崎県北部から、佐賀県北部へ入る。
今回、最も行きたかった秀吉の朝鮮の役の前線基地となった肥前名護屋城址。
戦国時代の南蛮貿易の歴史ロマンに浸る。
来てみて気付いたが、平戸大橋が無い江戸時代は、平戸は島であり、自然の出島であった。なので平戸に鉄道が無いことも不思議であったが当然のことであった。
松浦市、伊万里市、唐津市、大村市
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- レンタカー
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-
今日も早く起きて、さっそくお出掛け。
昨夜のザビエル記念教会に行く。
途中、看板を見つけ降りてみると、日本には無い、六角形の井戸だそうだ。 -
さらに近くに樹齢数百年の大ソテツ。
オランダ、イギリスとの貿易華やかな頃、貿易商、川崎屋全盛の頃に植えられたものといわれている。
何故か南蛮らしい気がする。 -
昨夜も来た平戸ザビエル記念教会。
2006年に、ザビエル生誕500周年と平戸教会献堂75周年を記念し、その手前のルルドが建設された。ルルドの泉だ。 -
教会に入ってみた。神聖さが好きだ。
朝早く誰も居ないが、緊張する。 -
教会の斜め前にあった平戸殉教者顕彰慰霊之碑。
逆光で解りにくいが、平戸の空に大きく手を広げたイエスキリストの像。
フランシスコ・ザビエルが上陸した平戸は、日本初の教会がつくられるなど早くからキリスト教の布教が進んだが、秀吉の禁教令発布の際には殉教した信者は400人を超えたとされる殉教の地。 -
教会を過ぎ、観光看板の矢印に進む。
なんかー日本の古き坂道が気に入って撮影。 -
「寺院と教会の見える風景」として有名な場所。
実際はもう少し下った場所が最もよく見える場所だった。 -
その寺院の光明寺の経堂・鐘堂・山門。
1592年(文禄元年)、柴田勝家の三男空性により創建とあった。
創建年代にも驚いたが、あの柴田権六の・・・なぜだろう。 -
近くの正宗寺。平戸藩主松浦家第28代松浦隆信の墓があった。
隆信の時代は平戸が海外貿易に大きな賑わいを見せていた輝いた時代であった。
彼が没した4年後、貿易は長崎出島に集約され、平戸貿易の時代(33年間)は終わった。
歴史の変わった時だ。 -
平戸オランダ商館。港の先まで戻って来た。
1639年建造のオランダ商館倉庫を忠実に復元した資料館。
2011年にオープンした。 -
偶然見つけた足湯。だが・・・じつは・・・
足湯だけでなく、珍しく、うで湯があったそうだ。
気付かなかったw残念。 -
次は平戸城址に向かう。と市役所前に立派な石橋があったので、車を止めてみた。
ビューポインであった幸橋(オランダ橋)だった。
幸橋御門(復元)の向こうに見える。城と城下町を繋ぐ石造単アーチ橋。 -
幸橋御門の左側に英国商館遺址之碑。
実際、英国商館は橋を渡った向こうにあったらしい。
昨年(2013年)が、平戸英国商館設置400周年で、記念事業が展開されていたそうだ。 -
さらにその橋の横に、飾ってあった「オランダ船錨」
この大きな錨は、1952年に川内港から引き上げられたもので、平戸の歴史を物語っている。 -
鏡川に掛かる幸橋。
名前の由来は、1669年に当時の平戸藩主により始めて木造の橋が架けられ、長年の不便が解消したことを祝って付けられたため。
この橋が無いと、城から、港に行くのはかなりの遠回りになったはず。 -
駐車場に車を止め、登坂を上がると、まず北虎口門があった。
城は、平戸港を見下ろし、かなりの丘陵上にあり歩きがきつい。
この先が有料となる。 -
明治の廃城後、1962年(昭和37年)に再建され、現在は日本100名城(90番)に選定された。
-
本丸前門。
江戸中期に再建された珍しい城であるが、再建にあたっては山鹿素行の軍学に沿って縄張りがなされたというが、具体的にはよくわからない。 -
平戸大橋を渡り、本土側から望む。
1977年の大橋完成前までは、平戸は島であったのだ。
離島であり、17世紀に日本で始めて海外貿易の窓口となり、大いに発展したが、わずか数十年で長崎の出島にその地位を奪われ、歴史の移り変わりを感じ、もの悲しい。 -
一路、伊万里経由で唐津に向かう。松浦市に入る。
道の途中に大きな兜の飾りがあり、道を引き返してみると、松浦水軍の兜とあった。
松浦市は松浦党発祥之地で、松浦党とは中世に海を舞台に活躍した武士団で源平合戦や、元寇の役で活躍した郷土の誇りとあった。 -
R204(唐津街道)を走行中、松浦党ゆかりの城の看板を見付け、山頂まで何とか行ってみた。
松浦党を率いた松浦氏の祖源久が築城とあり、平安時代末期頃という。
天守台跡もあった。階段を登ると礎石と丸太の切り株があり、玄界灘が見渡せられ、遠い昔の海の武士団の心意気を思う。 -
伊万里市に来て、佐賀県に入る。松浦一酒造にあるカッパのミイラを見に来た。
見学したい旨、言うとあっちと言われ、中に入ってみた。自由に見られる。
昭和30年代に使われた道具や、カッパの置物が多い。 -
部屋の奥に来た。ドクドク。
あ、あー!! あれかー。昔から何度かTVで見たー、有名なあれだったのか。
無料で一般公開しているし、酒屋なので利き酒も用意してある。 -
約50年前、母屋の屋根がえの時に梁の上から見つかったもの。
箱には河伯のミイラと書いてあったそうだ。
日本唯一?かな。
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JR伊万里駅前広場にあった記念碑。海は伊万里の宝物 共に生きようカブトガニ。
が、がーん!! 伊万里=焼き物のイメージしかなかったけど、伊万里とカブトガニとの関係、昨夜シャワーで、スマホが水没し、調べられず。→後で調べると伊万里湾は、カブトガニの日本最大の生息・繁殖地だそうだ。
カブトガニは瀬戸内海という思いがあったが,北九州もそうであった。 -
しばらくひたすら走る。
ようやく肥前名護屋城だ。手前の外津橋手前で、黒田長政陣跡の碑を見つけた。
車を止めて歩き出すと、坂の途中の家の番犬が吠える。登るのを諦めた。 -
大手門口から入る。
見渡す限り広い。 -
肥前名護屋城址。
ここを右折し、大手門跡を通り、三の丸に達する。 -
2度の朝鮮出兵1592〜1598年のわずか6年間の城。
大阪城に次ぎ、人口10万の街が突如現れ、栄えた。
周囲3km内に、全国120もの大名が集まり、陣屋を築いた。 -
三の丸、二の丸と進み、本丸跡に達する
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高さ数mもある大きな石碑が広大な広場の真ん中にあり、名古屋城址とある。
この向こうは、玄界灘が広がり、壱岐、対馬、朝鮮と続く。 -
これも有名な石碑。丸みが良い。
この前線基地から韓国に渡った兵は20万、在陣は10万で総勢30万が陣立てされた。 -
誰もがここに立って、玄界灘を遠く望むと、はるか昔の幻と消えた太閤の夢を思わざると得ない。
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広い本丸跡の一番奥に、一段高いところがあり、天主跡だ。
ここには5重7階の天守が築かれ、金箔を施した瓦が葺かれていた。
壮大だ。 -
各大名の陣跡の案内図。
ふと、このつわものどもも夢の跡を見て、なぜ、芭蕉はここにこなかったのだろうと。 -
もう一つ、この城の特徴は、秀吉の死により、朝鮮からの撤退と、廃城となったが、乱を恐れ、人事的に埋められ廃棄された城。
もしかすると、この大手門の落石も、人為的とも思えた。 -
隣接して立派な佐賀県立名護屋城博物館があった。無料がうれしいが何故だ。
入ってすぐ名護屋城の模型があった。聞くとこれは撮影OKとの事。 -
野外展示に、木下延俊陣跡があり見学が出来た。
天守に最も近い陣屋で、自然のまま樹木に埋もれたまま保存している。
見えている遺構はすべて本物だ。 -
城跡のある海の先端・波戸岬に来てみた。日本の渚百選&玄海国定公園。
芝生と、砂浜、玄界灘の海がコントラストで美しい。 -
岬には海中展望塔もあった。
無料の駐車場にはサザエのつぼ焼き(500円)の店がずらりと並んでいた。 -
岬から戻ると、山里口の入り口の石垣が見えた。
名護屋城博物館のビデオで、実際に秀吉が過ごしていた曲輪だと知っていた。
ここで芝居、能、茶道にふけっていたという。 -
名護屋城址に隣接する道の駅桃山天下市にも寄って見た。
駐車場の一角に、前田利家陣跡の森。
次は唐津へ向かう。 -
レンタカーのナビで、最寄の観光地を検索すると、マリンパル呼子が出てきたので寄って見た。
マリンパルが何かわからず、周辺を3周した。(遊覧船乗り場のことかな?)
呼子はイカで有名なのでちょっと前に知ったが、日本三大朝市と書いてある。まったく知らなかった。 -
港通りに、一箇所だけイカが干されていた。白く輝いていた。
それにしても朝市通りは短く狭いような気がする。 -
折角なので、イカ食べよう。
イカ本家の本店で、イカ丼セットを頼んだ。店内にはイカのいけすがあった。
イカに掛けるタレがオリジナルで、メニューより小皿が1皿サービスされた。 -
唐津へ向かう途中、また看板につられ、七つ釜に来た。
駐車場から、しばらく歩き、海中の5つ釜?を見ることが出来た。残り2つは奥にあるみたいだ。
さっきのパリンパルから遊覧船が出ていて、海から七つ釜が見えるのだろう。 -
今回最後の街、唐津に到着。
松浦川が唐津湾に注ぐ河口に位置し、小高い丘の上に唐津城天守が見えた。 -
上り階段はきつそうだが、良かった。
城の裏側に廻ると、登山用エレベーターが片道100円で利用できた。 -
秀吉の死後、廃城となっていた名護屋城の遺材を使用し、九州各地の諸大名の助力を得て築城した。
築城後、天守閣は無かったそうだが、昭和に想定した天守閣を建てたそうだ。 -
天守からの眺め。
市街地の奥に見える緑のベルトは、クロマツ林が美しい虹の松原。
日本三大松原のひとつで特別名勝に指定されている(知らなかった)。 -
5km続く松原を走ってみた。
もう時刻は16時近い。一路、長崎空港を目指す。
途中、日本三大美肌の湯 嬉野温泉と書いてあり、高速道を降りて寄り道するか一瞬迷ったが、素通りした。 -
長崎空港は、大村湾に浮かぶ箕島にあるが、その連絡橋の箕島大橋の袂の森林公園に天正遣欧少年使節顕彰之像があった。
1582年に九州のキリシタン大名の名代としてローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団。
陽が暮れて来た。 -
使節団が見つめる先は、夕陽に映える長崎空港。その先は欧州に繋がる。
左の塔は、長崎空港の管制塔。 -
レンタカーを返して、旅を終える。
羽田への最終便に1時間の余裕があるため、丁度良い。 -
レストランエアポートで、夕食に佐世保バーガーを頼んでみた。
本場のアメリカンテイスト。というより、ボリュームがアメリカンだ。
焼酎と共に頂いた。
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