2014/09/27 - 2014/09/28
391位(同エリア1031件中)
熱帯魚さん
いつものように、ノープランの週末旅★
朝、海が見たくなって行き先を基隆に決定。
せっかくなので列車を途中下車してみようと思い、
鉄道の路線図を見て、汐止に寄ってから基隆に
行くことにしました。
汐止というと、大雨で浸水が多い場所という
イメージがとても強いです。
ほかにはっきりとしたイメージがわきませんでしたが、
ローカルな市場と老街をぶらぶらしたり、
地元のオジサンと交流してみたり…
意外にも楽しめました ^^
○ 汐止について ○
汐止は清の時代には「水返脚」「水転街」と呼ばれていました。この名は、基隆河が満潮になると、ここまで水が逆流してくることからつけられたそうです。日本統治時代になると、その意味を残しつつ、日本風の名前「汐止」に改名されました。
清の咸豊10年(1860年)台湾開港後、多くの外国人が台湾に洋行を設立し、貿易に従事しました。その影響で、淡水と大稲テイ(現在の台北市迪化街のあたり)の間には、機動船が頻繁に往来していたそうです。この時商人たちは淡水河をさかのぼりつつ、川沿いで茶葉を購入していたそうです。特に、汐止とその周辺の山地(平渓、石碇、瑞芳など)は茶葉の栽培に適していたため、これらの地で採れた茶葉を水返脚街の茶館に運び、茶館で茶葉を精製してから、基隆河を通って大稲テイに送っていました。また、汐止は基隆河の中流に位置し、ここからいくつかの支流に流れ込み、付近の山地に届くため、付近の山地の農産物の輸出や、物資の輸入のための集散地として発展しました。
日本統治時代になっても、列車の運賃が高額であったため、商人たちはこれまで通り船で運搬をしていました。大稲テイは台湾本島の貨物の重要な集散地であり、中国大陸や日本から輸入された貨物が淡水港から輸入され、淡水河を通って大稲テイに運ばれ、さらに基隆河を通って水返脚に運ばれました。当時の文献によれば、汐止関連の船着き場は12個。上流にいけば基隆、下流にいけば台北市に達することができたため、汐止は交通の便が高じて非常に繁栄したそうです。
(以上、中国語Wikipediaを参考にしました。行く前はこういう知識が無かったので、今読んでみて、そうだったのかーと思うことが多いです。)
★★ 讃!臺灣の旅 旅行記 9/26?9/28 ★★
01★台北★台北へ!
http://4travel.jp/travelogue/10936313
02★台北★朝のお散歩!公園に鳥居?
http://4travel.jp/travelogue/10936869
03★新北★汐止老街を歩く
http://4travel.jp/travelogue/10938387
04★基隆★海と奇岩を見に和平島へ!
http://4travel.jp/travelogue/10941864
05★基隆★おまけの和平島さんぽ
http://4travel.jp/travelogue/10943004
06★基隆★夕暮れの漁港
http://4travel.jp/travelogue/10943972
07★基隆★夜市めぐり?!八斗夜市と廟口夜市
http://4travel.jp/travelogue/11014247
08★台北★にわか鉄子の臺灣鐵道文化節 @ 臺灣鐵路管理局臺北機廠(旧 台北鉄道工場)
http://4travel.jp/travelogue/11015255
09★台北★水逐跡 水と環境教育特別展 @ 松山文創園区(旧 松山煙草工場)
http://4travel.jp/travelogue/11015376
10★新北★小碧潭駅まで行ってみたが
http://4travel.jp/travelogue/11015659
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- トランスアジア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
台北駅に到着〜
行き先は、「汐止」です。自動販売機で区間車の切符を買いました。22元 -
ホームへ
11時15分発の基隆行きの区間車に乗りました。 -
汐止に到着。
駅周辺を地図でチェック。
老街に行こう!! -
出口まで歩いていると、7-11がありました。なぜかくまモンがいました。
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お!大きく「汐止老街」と書かれています。
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矢印の方向に行く前に…
不思議な人形が… -
そして年配者が列をなしていました。
お弁当を無料で配っているみたいでした。 -
汐止老街は駅のすぐ近くにある中正路を指すようです。この時は歴史なんて全く知らずのぶらり旅でしたが、中正路は以前は水返脚街と呼ばれ、茶葉などを売る店が並ぶ町一番の繁華街だったそうです。
○ 汐止老街 (中正路) -
いきなり市場です。バイクがいきかって、忙しい通りです。観光客ゼロで、カメラ持っている私が目立つのなんのって…笑
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単なる市場かと思っていましたが、建物をよく見ると、古い騎楼であることがわかりました。
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写真を撮っていたら、何撮っているの〜?って肉屋のお兄ちゃんに聞かれました。
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騎楼側から市場(中正路)を見ると、こんな感じです。ちょっと薄暗いです。
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○ 徳濟宮
おまいり。
地元の方も次々と訪れて、お参りしていきます。 -
さっきはお店(屋台)がずらっと並んでいたのでわかりにくかったですが、こうやって見てみると、騎楼であることがわかります。
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古そうな住宅。まだ実際に人が住んでいるみたい。
ここで近くにいたおじさんに「大学何年生?」って聞かれて、喜ぶ私…笑 「いやー卒業して結構経ってるんですよー」なんて話しながら、写真パチパチ。 -
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ここまで来ると、もう端の方…
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もう使われていない?橋がありました。
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端まで来たので、さっきのオジサンがいた場所へ。
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オジサンが段ボールを運び終えて、家の前がすっきりしていました。「ここ、オジサンの家?」って聞いたら、「違うよ、友達の家」だって。
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オヤジ「写真勉強してるの?」
ワタシ「勉強してない。単なる趣味」
オヤジ「この通り、汐止で一番古い通りなんだ。100年くらい歴史があるんだよ」
ワタシ「へー。この家特に古いでしょ?」
オヤジ「そうだね、100年くらいの歴史があるかも」
ワタシ「日本統治時代くらい?」
オヤジ「そう」 -
ワタシ「中見学させてもらってもいいですか?」
オヤジ「いいよー」
ワタシ「ありがとうございまーす」 -
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建物の中は、住民の方が食事中だったので写真不可でした。
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せっかくなので、中正街だけでなく、その周辺の通りを歩いてみることにしました。すると、灯篭を発見。
汐止公学校同窓会と書かれています。公学校って、日本統治時代にあった学校の名前っぽいですが… -
ここにも灯篭。
…ってことは日本統治時代にはきっとここに神社があったはず、と推測。 -
現在は忠順廟と呼ばれています。
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灯篭はたっているものの、建物は神社っぽさゼロです。
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でも狛犬もいるし…
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昭和12年10月と書かれているし…
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さらにこのベンチが怪しい!!!
鳥居っぽい。なんか鳥居っぽい。穴も開いているし、鳥居だったんじゃないかと勝手に推測。
で、今調べてみたら…やはり以前ここには神社があったそうです。
清の時代、蘇家の住宅でしたが、その後、日本の能久親王の遺跡所となり、右側に神社が建設されました。神社は第二次世界大戦後に取り壊され、蘇家邸は忠順廟に建て替えられました。(参考:http://zhongshun.tw/01_01.html) -
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再び中正街へ。
12時過ぎて、市場もだんだんと人が減ってきました。店じまいしているお店も多かったです。 -
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お腹が空いたので、最初に目を付けていたこのお店へ。行きに通りかかった時はものすごく人が並んでいたのですが、お昼すぎると少し人が減っていました。それでも何名か並んでいました。
○ 海龍王魷魚ゲン -
メニューはいたってシンプル。名物は生魷魚ゲンらしい。
-
生魷魚ゲン頼みました。
イカが柔らかくて、おいしいです。 -
そして乾麺も。
あわせて85元。 -
お腹いっぱいになって、汐止駅まで戻ってきました。
汐止散歩終了♪次は基隆に向かいまーす。
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