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JR中央本線上諏訪駅諏訪口から徒歩で約20分にある高島城(たかしまじょう、長野県諏訪市高島)は、天正18年(1590)に徳川家康の関東転封に伴い当時の諏訪領主諏訪頼忠(すわ・よりただ、1536~1606)が武蔵国に移った後、豊臣秀吉の家臣日根野高吉(ひねの・たかよし、1539~1600)が当地に2万5千石を以て入封、翌年城地の設計を済ませ文禄元年(1592)に着工、7年後の慶長3年(1598)に完成をみます。<br /><br />日根野高吉は安土城や大坂城の築城にも携わった築城の名手で、彼が城地と定めた場所は城の際まで諏訪湖の水が迫り、その景観が湖上に浮いて見えたことから「諏訪の浮城」の別名もあります。<br /><br />慶長5年(1600)の関ヶ原戦いで徳川軍に属した頼忠嫡男頼水(よりみず、1571~1641)は翌年家康の配慮により2万7千石を以て旧領の諏訪に藩主として戻り、以降10代藩主忠礼(ただあや、1853~1878)に至る270年間に亘り高島城は歴代諏訪氏の居城としてその威容を誇ります。<br /><br /><br />2023年9月24日追記<br /><br />現地に建てられた石製の記念碑には次の如く述べられています。<br /><br />『 高 島 城    浮城とも言う<br /><br />この地は高島城本丸跡である。この城はおよそ380年前 文禄 慶長年間<br />日根野織部正高基地が7年を要し彼独特の築城の技術を生かし諏訪湖に波打ちぎわに築いた難攻不落の水城で別名を浮城とも言われている。関ヶ原役の後は諏訪氏の居城となりそのまま転封もなく維新までつづいた。<br /><br />この間、城は中山道や甲州街道の道中記には必ず載せられる名勝でもあった。<br /><br />本丸内は藩主の御殿や書院、また一般政務の御用部屋、郡方また?方などがあり、能舞台、水?部屋など多くの建物で埋まっていた。<br /><br />明治維新の改革で高島藩は消え、明治8年には天守閣も破却されたが、諏訪氏の在城260余年間一度も百姓一揆を起こさせるような悪政のでたことのない名城であった。<br /><br />明治9年本丸跡は高島公園として公開され、護国神社も祭られ、諏訪の人々の心のよりどころとして親しまれてきた。今日も城内と言われた大手門以南の地形がおおよそ昔のままの姿をのこして近世の城郭を考えるいい資料である。今度の復興については文部省文化財専門委員大岡実博士の設計により、破却当時の姿を忠実に再現したものである。<br /><br />庭園は天守閣復興とともに諏訪高島城復興則成同盟会長岩本諏訪市長が自らの設計により、諏訪市が人の心の和によっていよいよ発展することを念願して躍動感を与えて造られたものである。<br />   昭和45年5月 』

信濃諏訪 小田原北条氏滅亡後家康の関東移封に随身し武蔵国に移るも関ヶ原合戦勝利後武勲をたて旧領に返り咲いた諏訪氏居城『高島城』訪問

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2014/09/23 - 2014/09/23

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR中央本線上諏訪駅諏訪口から徒歩で約20分にある高島城(たかしまじょう、長野県諏訪市高島)は、天正18年(1590)に徳川家康の関東転封に伴い当時の諏訪領主諏訪頼忠(すわ・よりただ、1536~1606)が武蔵国に移った後、豊臣秀吉の家臣日根野高吉(ひねの・たかよし、1539~1600)が当地に2万5千石を以て入封、翌年城地の設計を済ませ文禄元年(1592)に着工、7年後の慶長3年(1598)に完成をみます。

日根野高吉は安土城や大坂城の築城にも携わった築城の名手で、彼が城地と定めた場所は城の際まで諏訪湖の水が迫り、その景観が湖上に浮いて見えたことから「諏訪の浮城」の別名もあります。

慶長5年(1600)の関ヶ原戦いで徳川軍に属した頼忠嫡男頼水(よりみず、1571~1641)は翌年家康の配慮により2万7千石を以て旧領の諏訪に藩主として戻り、以降10代藩主忠礼(ただあや、1853~1878)に至る270年間に亘り高島城は歴代諏訪氏の居城としてその威容を誇ります。


2023年9月24日追記

現地に建てられた石製の記念碑には次の如く述べられています。

『 高 島 城    浮城とも言う

この地は高島城本丸跡である。この城はおよそ380年前 文禄 慶長年間
日根野織部正高基地が7年を要し彼独特の築城の技術を生かし諏訪湖に波打ちぎわに築いた難攻不落の水城で別名を浮城とも言われている。関ヶ原役の後は諏訪氏の居城となりそのまま転封もなく維新までつづいた。

この間、城は中山道や甲州街道の道中記には必ず載せられる名勝でもあった。

本丸内は藩主の御殿や書院、また一般政務の御用部屋、郡方また?方などがあり、能舞台、水?部屋など多くの建物で埋まっていた。

明治維新の改革で高島藩は消え、明治8年には天守閣も破却されたが、諏訪氏の在城260余年間一度も百姓一揆を起こさせるような悪政のでたことのない名城であった。

明治9年本丸跡は高島公園として公開され、護国神社も祭られ、諏訪の人々の心のよりどころとして親しまれてきた。今日も城内と言われた大手門以南の地形がおおよそ昔のままの姿をのこして近世の城郭を考えるいい資料である。今度の復興については文部省文化財専門委員大岡実博士の設計により、破却当時の姿を忠実に再現したものである。

庭園は天守閣復興とともに諏訪高島城復興則成同盟会長岩本諏訪市長が自らの設計により、諏訪市が人の心の和によっていよいよ発展することを念願して躍動感を与えて造られたものである。
   昭和45年5月 』

旅行の満足度
4.0
交通手段
JRローカル 徒歩

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  • JR上諏訪駅ホーム<br /><br />改札口に行く途中の1番ホームに「足湯のコーナー」が設置されています。2~3人ほど中で楽しんでいる様子です。

    JR上諏訪駅ホーム

    改札口に行く途中の1番ホームに「足湯のコーナー」が設置されています。2~3人ほど中で楽しんでいる様子です。

  • 足湯説明<br /><br />駅のホームに配置されており粋な計らいと感心します。

    足湯説明

    駅のホームに配置されており粋な計らいと感心します。

  • JR上諏訪駅舎

    JR上諏訪駅舎

  • 高島城外堀<br /><br />

    高島城外堀

  • 高島城石垣と水堀

    高島城石垣と水堀

  • 高島城櫓<br /><br />石垣の上部に建つ櫓と水堀とのコントラストは見応えがあります。

    イチオシ

    高島城櫓

    石垣の上部に建つ櫓と水堀とのコントラストは見応えがあります。

  • 高島城天守<br /><br />更に歩くと手前の櫓に中央の大手橋、そして向うには天守が控えています。

    イチオシ

    高島城天守

    更に歩くと手前の櫓に中央の大手橋、そして向うには天守が控えています。

  • 高島城天守

    イチオシ

    高島城天守

  • 冠木(かぶき)橋

    冠木(かぶき)橋

  • 冠木(かぶき)門

    冠木(かぶき)門

  • 本丸石垣と堀説明

    本丸石垣と堀説明

  • 本丸跡<br /><br />大手門を過ぎると辺りは正面に庭園が眼に入ります。

    本丸跡

    大手門を過ぎると辺りは正面に庭園が眼に入ります。

  • 冠木門跡説明

    冠木門跡説明

  • 本丸絵図

    本丸絵図

  • 角御櫓<br /><br />本丸絵図面に記載のでは「角御櫓」と記載されている櫓を大手門内側から捉えます。

    角御櫓

    本丸絵図面に記載のでは「角御櫓」と記載されている櫓を大手門内側から捉えます。

  • 高島城説明<br /><br />慶長年間に豊臣方大名で築城の名人日根野高吉が7年を費やして諏訪湖の波打ち際に建てた難攻不落の水城で別名「浮城」とも称されています。

    高島城説明

    慶長年間に豊臣方大名で築城の名人日根野高吉が7年を費やして諏訪湖の波打ち際に建てた難攻不落の水城で別名「浮城」とも称されています。

  • 本丸跡庭園

    本丸跡庭園

  • 本丸能舞台跡

    本丸能舞台跡

  • 能舞台説明

    能舞台説明

  • 多聞跡

    多聞跡

  • 本丸跡庭園

    本丸跡庭園

  • 本丸跡庭園

    本丸跡庭園

  • 本丸跡庭園

    本丸跡庭園

  • 本丸跡に建つ護国神社鳥居

    本丸跡に建つ護国神社鳥居

  • 本丸跡に建つ護国神社社殿<br /><br />

    本丸跡に建つ護国神社社殿

  • 富士見櫓跡

    富士見櫓跡

  • 富士見櫓跡

    富士見櫓跡

  • 多聞跡

    多聞跡

  • 本丸跡一部敷地

    本丸跡一部敷地

  • 土戸門(つちどもん)跡<br /><br />大手門からの入城を認められない商人や職人が出入りを許される門でした。<br />

    土戸門(つちどもん)跡

    大手門からの入城を認められない商人や職人が出入りを許される門でした。

  • 土戸門跡説明

    土戸門跡説明

  • 本丸御殿跡

    本丸御殿跡

  • 本丸御殿跡説明板

    本丸御殿跡説明板

  • 高島城天守<br /><br />樹林の向こうには本丸北西隅にそびえる天守が建立されています。

    高島城天守

    樹林の向こうには本丸北西隅にそびえる天守が建立されています。

  • 天守の前に立つ高島城説明板

    天守の前に立つ高島城説明板

  • 天守内部説明<br /><br />1階には主としてパネル展示、2階は遺品や資料の展示そして3階は市街を一望する展望となっています。

    天守内部説明

    1階には主としてパネル展示、2階は遺品や資料の展示そして3階は市街を一望する展望となっています。

  • 天守雄姿<br /><br />三層三階の天守となっています。

    イチオシ

    天守雄姿

    三層三階の天守となっています。

  • 市街展望<br /><br />天守から本丸大手橋方向を捉えます。

    市街展望

    天守から本丸大手橋方向を捉えます。

  • 市街展望<br /><br />天守から本丸庭園方向を眺めます。

    市街展望

    天守から本丸庭園方向を眺めます。

  • 市街展望<br /><br />築城当時は諏訪湖の波打ち際だったようですが現在では埋めたてられ「浮城」の面影はありません。

    市街展望

    築城当時は諏訪湖の波打ち際だったようですが現在では埋めたてられ「浮城」の面影はありません。

  • 市街展望<br /><br />上諏訪駅方向を眺めます。

    市街展望

    上諏訪駅方向を眺めます。

  • 天守入口展望

    天守入口展望

  • 天守石垣<br /><br />野面積みの石垣が見られます。

    天守石垣

    野面積みの石垣が見られます。

  • 本丸跡展望<br /><br />天守入口から庭園を含む跡地を一望します。

    本丸跡展望

    天守入口から庭園を含む跡地を一望します。

  • 高島城亀石<br /><br />水をかけるとまるで亀が生きているようになり願いが叶うと言われています。

    高島城亀石

    水をかけるとまるで亀が生きているようになり願いが叶うと言われています。

  • 亀石説明

    亀石説明

  • 角櫓

    角櫓

  • 多聞跡

    多聞跡

  • 冠木橋展望<br /><br />冠木橋上から水堀を一望します。

    冠木橋展望

    冠木橋上から水堀を一望します。

  • 冠木橋展望

    冠木橋展望

  • 上諏訪温泉周辺まち歩きマップ

    上諏訪温泉周辺まち歩きマップ

  • 中門川

    中門川

  • 高島城三の丸跡(味噌醤油製造店舗)<br /><br />店舗の壁には「神州一味噌醸造元」「神州一醤油醸造元」の看板が掲げられており、なにか懐かしい気持ちになります。

    高島城三の丸跡(味噌醤油製造店舗)

    店舗の壁には「神州一味噌醸造元」「神州一醤油醸造元」の看板が掲げられており、なにか懐かしい気持ちになります。

  • 高島城三の丸跡

    高島城三の丸跡

  • 高島城三の丸跡説明

    高島城三の丸跡説明

  • 高島城縄手道跡<br /><br />大手門に繋がる唯一の欅並木路が高島城の縄手道であったそうです。

    高島城縄手道跡

    大手門に繋がる唯一の欅並木路が高島城の縄手道であったそうです。

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