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かみのやま温泉エリアの一隅にある春雨庵(はるさめあん、山形県上山市松山)は「たくあん漬け」で知られる沢庵禅師(たくあんぜんじ、1573~1646)がこよなく愛し約3年間を過ごした庵として知られています。<br /><br />当庵の由緒書によれば幕府の厳しい宗教統制として元和法度(幕府の禁止令)や紫衣(しえ)事件(天皇の詔で決まっていた大徳寺の住職はを幕府が決め、また天皇から賜る紫衣着用は幕府が認めた者に限るなどが定められた)に対し強く抗議した京都大徳寺の沢庵禅師(たくあんぜんじ、1573~1646)は寛永6年(1629)8月に出羽国上山に流されます。<br /><br />当時の藩主土岐頼行(とき・よりゆき、1608~1684)は当地に小庵を新築し沢庵禅師を手厚く迎え、沢庵もこの庵をすっかり気に入り自ら「春雨庵」と命名、花鳥風月を愛でながら配流の身を慰めたと言われます。<br /><br />寛永9年(1632)二代将軍秀忠逝去により大赦令が出され、三代将軍家光により赦免された沢庵は3年間の流刑生活を終え京都に戻りますが、上山滞在中は禅の道の他詩歌・風流の道、水利や築庭の設計など京都・江戸の文化を伝え領民の為に広汎な知識を授けて、城下町の発展に貢献します。<br /><br />寛永11年(1634)家光が上洛した際天海や柳生宗矩の勧めで沢庵は家光と謁見、以後家光は沢庵に深く帰依するようになり、その後家光に懇願され江戸にて家光の相談を受ける立場となります。<br /><br />寛永16年(1639)4月、沢庵に帰依した家光は江戸品川に東海寺を創建し、沢庵を住職に迎え開山とします。<br /><br />江戸に居を移した沢庵は上山春雨庵で過ごした3年間が忘れられず、正保元年(1644)藩主頼行は春雨庵を模して東海寺境内に塔頭を建立してその名も春雨庵と名付け土岐氏の菩提寺となります。<br /><br /><br /><br />2022年11月30日追記<br /><br />草庵に建てられた説明板には次の通り紹介されています。<br /><br />『 春 雨 庵 の 由 緒<br /><br />江戸幕府の厳しい宗教統制のなかで、元和法度(幕府の禁止令)や紫衣事件に抗議した京都大徳寺153世の沢庵禅師は、寛永6年(1629)8月、この上山に流されてきました。<br /><br />当時の藩主・土岐頼行は、この地に小庵を建て居住させたが、沢庵は殊の外この小庵がお気に入り、自ら「春雨庵」と命名し、花鳥風月を愛でながら配流の身を慰められたと言われています。<br /><br />藩主・頼行も、名僧・沢庵に帰依して指導を仰ぎ、上山藩藩政史上、顕著な治績を挙げ、領民からも名君として慕われました。<br /><br />寛永9年(1632)7月、三代将軍・家光により赦免された沢庵は、3年間の流刑生活を終え江戸に帰られたが、この間、禅道のほか、詩歌・風流の道、水利や築庭の設計など、京都や江戸の文化を伝え、領民のためにも広範な知識を授け、城下町の発展に貢献されました。<br /><br />寛永16年(1639)4月、沢庵に帰依した将軍家光は、江戸品川に東海寺を創建し、沢庵を住職に迎え開山としました。<br /><br />沢庵は、江戸になっても上山の春雨庵過ごした頃が忘れられず、時折、語種になるので、正保元年(1644)に頼行は上山の春雨庵を模して、東海寺の境内に塔頭を建立し、その名も春雨庵と名付け、土岐家の菩提寺としました。<br /><br />じ来、幾星霜を経て品川春雨庵が一部改造の際、一間の長押と天井板などを譲り受け、昭和30年7月、この地に復元したのが現在の春雨庵であります。<br /><br />正面には沢庵の尊像(原図は吉川英治、作は初代野川陽山)と、茶人でもあった沢庵を偲び、南側には日本茶道院石山太柏設計による茶亭(望岳軒)、聴雨亭および飯田十基設計の茶庭が配されています。<br /><br />また、この「春雨庵跡」は、昭和28年8月31日、山形県史跡に指定されたものであります。<br /><br /><br />春雨庵にて詠める歌 二首<br /><br />   花にぬる胡蝶の夢をさまさじと ふるも<br />   音せぬ軒の春雨<br /><br />   浅くともよしや又汲む人もあらば われ<br />   にこと足る山の井の水          』<br /><br /><br /><br /><br />『 土 岐 灯 籠 の 由 来<br /><br />寛永6年(1629)、上山藩主土岐頼行公は、江戸幕府の厳しい宗教政策から紫衣事件に連座し、上山には配流された京都大徳寺第153世住持の沢庵禅師を、この春雨庵に迎え厚遇し、三年間禅師を尊師として教導を仰ぎ、上山藩政史上格別の治績を遺し、領民からも名君として慕われ、二代藩主頼殷公は大坂城代にまで栄進した。  <br /><br />元禄6年(1693)、頼殷公は東京都港区虎ノ門の江戸見坂に上屋敷を拝領され、その後、三度の屋敷替えもあったが、明治31年(1898)まで代々の土岐氏が居住した。<br /><br />その屋敷跡の庭園が、昨年7月に改造されることになり、土岐家19代当主実光のご厚意により、上山土岐会にその庭園にあった石灯籠6基と七層石塔一基が寄贈された。<br /><br />この灯籠の様式は、江戸時代中頃の風格を持つ貴重なものであり、上山市とも協議のうえ、「土岐灯籠」と命名し、上山市制施行並びに上山郷土史研究会発足50周年記念事業として、会員や有志の協賛と上山市の援助により、土岐氏と縁の深い当春雨庵に灯籠I基を建立したものである。<br /><br />   平成16年4月15日<br />                  上山土岐会<br />                  上山郷土史研究会 』

羽前上山 権力に屈しない清廉潔白な沢庵禅師が流罪地で上山藩主土岐氏の厚遇を受け3年間を過ごした『春雨庵』散歩

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2014/08/26 - 2014/08/26

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滝山氏照

滝山氏照さん

かみのやま温泉エリアの一隅にある春雨庵(はるさめあん、山形県上山市松山)は「たくあん漬け」で知られる沢庵禅師(たくあんぜんじ、1573~1646)がこよなく愛し約3年間を過ごした庵として知られています。

当庵の由緒書によれば幕府の厳しい宗教統制として元和法度(幕府の禁止令)や紫衣(しえ)事件(天皇の詔で決まっていた大徳寺の住職はを幕府が決め、また天皇から賜る紫衣着用は幕府が認めた者に限るなどが定められた)に対し強く抗議した京都大徳寺の沢庵禅師(たくあんぜんじ、1573~1646)は寛永6年(1629)8月に出羽国上山に流されます。

当時の藩主土岐頼行(とき・よりゆき、1608~1684)は当地に小庵を新築し沢庵禅師を手厚く迎え、沢庵もこの庵をすっかり気に入り自ら「春雨庵」と命名、花鳥風月を愛でながら配流の身を慰めたと言われます。

寛永9年(1632)二代将軍秀忠逝去により大赦令が出され、三代将軍家光により赦免された沢庵は3年間の流刑生活を終え京都に戻りますが、上山滞在中は禅の道の他詩歌・風流の道、水利や築庭の設計など京都・江戸の文化を伝え領民の為に広汎な知識を授けて、城下町の発展に貢献します。

寛永11年(1634)家光が上洛した際天海や柳生宗矩の勧めで沢庵は家光と謁見、以後家光は沢庵に深く帰依するようになり、その後家光に懇願され江戸にて家光の相談を受ける立場となります。

寛永16年(1639)4月、沢庵に帰依した家光は江戸品川に東海寺を創建し、沢庵を住職に迎え開山とします。

江戸に居を移した沢庵は上山春雨庵で過ごした3年間が忘れられず、正保元年(1644)藩主頼行は春雨庵を模して東海寺境内に塔頭を建立してその名も春雨庵と名付け土岐氏の菩提寺となります。



2022年11月30日追記

草庵に建てられた説明板には次の通り紹介されています。

『 春 雨 庵 の 由 緒

江戸幕府の厳しい宗教統制のなかで、元和法度(幕府の禁止令)や紫衣事件に抗議した京都大徳寺153世の沢庵禅師は、寛永6年(1629)8月、この上山に流されてきました。

当時の藩主・土岐頼行は、この地に小庵を建て居住させたが、沢庵は殊の外この小庵がお気に入り、自ら「春雨庵」と命名し、花鳥風月を愛でながら配流の身を慰められたと言われています。

藩主・頼行も、名僧・沢庵に帰依して指導を仰ぎ、上山藩藩政史上、顕著な治績を挙げ、領民からも名君として慕われました。

寛永9年(1632)7月、三代将軍・家光により赦免された沢庵は、3年間の流刑生活を終え江戸に帰られたが、この間、禅道のほか、詩歌・風流の道、水利や築庭の設計など、京都や江戸の文化を伝え、領民のためにも広範な知識を授け、城下町の発展に貢献されました。

寛永16年(1639)4月、沢庵に帰依した将軍家光は、江戸品川に東海寺を創建し、沢庵を住職に迎え開山としました。

沢庵は、江戸になっても上山の春雨庵過ごした頃が忘れられず、時折、語種になるので、正保元年(1644)に頼行は上山の春雨庵を模して、東海寺の境内に塔頭を建立し、その名も春雨庵と名付け、土岐家の菩提寺としました。

じ来、幾星霜を経て品川春雨庵が一部改造の際、一間の長押と天井板などを譲り受け、昭和30年7月、この地に復元したのが現在の春雨庵であります。

正面には沢庵の尊像(原図は吉川英治、作は初代野川陽山)と、茶人でもあった沢庵を偲び、南側には日本茶道院石山太柏設計による茶亭(望岳軒)、聴雨亭および飯田十基設計の茶庭が配されています。

また、この「春雨庵跡」は、昭和28年8月31日、山形県史跡に指定されたものであります。


春雨庵にて詠める歌 二首

   花にぬる胡蝶の夢をさまさじと ふるも
   音せぬ軒の春雨

   浅くともよしや又汲む人もあらば われ
   にこと足る山の井の水          』




『 土 岐 灯 籠 の 由 来

寛永6年(1629)、上山藩主土岐頼行公は、江戸幕府の厳しい宗教政策から紫衣事件に連座し、上山には配流された京都大徳寺第153世住持の沢庵禅師を、この春雨庵に迎え厚遇し、三年間禅師を尊師として教導を仰ぎ、上山藩政史上格別の治績を遺し、領民からも名君として慕われ、二代藩主頼殷公は大坂城代にまで栄進した。  

元禄6年(1693)、頼殷公は東京都港区虎ノ門の江戸見坂に上屋敷を拝領され、その後、三度の屋敷替えもあったが、明治31年(1898)まで代々の土岐氏が居住した。

その屋敷跡の庭園が、昨年7月に改造されることになり、土岐家19代当主実光のご厚意により、上山土岐会にその庭園にあった石灯籠6基と七層石塔一基が寄贈された。

この灯籠の様式は、江戸時代中頃の風格を持つ貴重なものであり、上山市とも協議のうえ、「土岐灯籠」と命名し、上山市制施行並びに上山郷土史研究会発足50周年記念事業として、会員や有志の協賛と上山市の援助により、土岐氏と縁の深い当春雨庵に灯籠I基を建立したものである。

   平成16年4月15日
                  上山土岐会
                  上山郷土史研究会 』

旅行の満足度
3.5
交通手段
JRローカル 徒歩

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  • かみのやま温泉<br /><br />途中の温泉ホテル街の一角には足湯が設けられています。因みに足を入れてみますがとても熱くて楽しむどころではありません。

    かみのやま温泉

    途中の温泉ホテル街の一角には足湯が設けられています。因みに足を入れてみますがとても熱くて楽しむどころではありません。

  • 春雨庵(はるさめあん)山門

    春雨庵(はるさめあん)山門

  • 澤庵和尚石標

    澤庵和尚石標

  • 春雨庵跡石碑

    イチオシ

    春雨庵跡石碑

  • 春雨庵・山門扁額<br /><br />山門の上部には「春雨庵」と記載の扁額がみえます。

    春雨庵・山門扁額

    山門の上部には「春雨庵」と記載の扁額がみえます。

  • 沢庵漬・石碑<br /><br />「沢庵漬発祥地」と刻された石碑が傍らに建立されています。

    沢庵漬・石碑

    「沢庵漬発祥地」と刻された石碑が傍らに建立されています。

  • 春雨庵由緒・説明板

    春雨庵由緒・説明板

  • 沢庵和尚愛用の水<br /><br />庵内には沢庵和尚が愛用していた「山の井の水」と称する井戸跡が見られます。

    沢庵和尚愛用の水

    庵内には沢庵和尚が愛用していた「山の井の水」と称する井戸跡が見られます。

  • 春雨庵(全景)

    イチオシ

    春雨庵(全景)

  • 春雨庵内部<br /><br />内部正面には沢庵を描いた尊像があります。

    春雨庵内部

    内部正面には沢庵を描いた尊像があります。

  • 「たくあん」実食<br /><br />庵の上り口に「たくあん」が器に入っています。試しに口に入れてみますと確かに「たくわん」の味でした。

    「たくあん」実食

    庵の上り口に「たくあん」が器に入っています。試しに口に入れてみますと確かに「たくわん」の味でした。

  • 茶亭

    茶亭

  • 春雨庵中庭と庭園

    春雨庵中庭と庭園

  • 土岐氏石燈籠<br /><br />土岐藩の上屋敷(虎の門)の庭に配置された石燈籠6基のうち1基が春雨庵の庭に移されています。

    土岐氏石燈籠

    土岐藩の上屋敷(虎の門)の庭に配置された石燈籠6基のうち1基が春雨庵の庭に移されています。

  • 土岐氏燈籠説明板

    土岐氏燈籠説明板

  • 茶庵<br /><br />訪問時は草庵はお休みでした。

    茶庵

    訪問時は草庵はお休みでした。

  • 土岐氏石燈籠<br /><br />月岡神社境内(上山城本丸跡)に配置された土岐氏石燈籠1基も上屋敷に建立されていたものです。

    土岐氏石燈籠

    月岡神社境内(上山城本丸跡)に配置された土岐氏石燈籠1基も上屋敷に建立されていたものです。

  • 土岐氏石燈籠由来説明板

    土岐氏石燈籠由来説明板

  • 沢庵桜

    沢庵桜

  • 沢庵桜説明板

    沢庵桜説明板

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