1999/09/16 - 2009/09/16
49位(同エリア94件中)
あぶくまさん
山形県金瓶村(現上山市金瓶)出身で大正から昭和にかけての歌人 斎藤茂吉の生まれ故郷を訪ねました。
茂吉は明治15年にここに生まれ、同郷出身の「青山脳病院」を創設した斎藤紀一の養子になり、東京帝大医学部を卒業し、後年その次女輝子と結婚、精神科医斎藤茂太 作家の北杜夫(エッセィスト斎藤由香の父)の父親でもあります。
伊藤左千夫に師事し、医師、歌人として活躍し、「赤光」「あらたま」などの歌集を出版 「アララギ」の編集発行人でもあった茂吉は、柿本人麻呂の研究者としても、つとに有名でした。
昭和26年に文化勲章を受け、昭和28年2月に70歳9ヶ月で逝去しました。
表紙の写真は、茂吉がこよなく愛した蔵王の熊野岳山頂に建つ歌碑「陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ」です。
茂吉の歌碑国内外139基のうちの第一号で、昭和9年に建てられました。私が大好きな歌でもあります。
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金瓶の茂吉の生家付近を巡りました。
「茂吉ふるさと記念館」
休館日だったらしく、人影がありません。 -
茂吉の生家
今も守谷家の方が住んでおられます。 -
「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆる」茂吉
この奥の部屋で、茂吉は母「いく」の最期を看取理ました。 -
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「ふるさとの蔵の白かべに鳴きそめし蝉も身に沁む晩夏のひかり」茂吉
茂吉が一時疎開していた蔵 -
屋敷内にある老い松
「最上川の松」との命名は二男の北杜夫とその娘斎藤由香です。 -
養父斎藤紀一の生家
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旧金瓶小学校
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茂吉の菩提寺「寶泉寺」
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寶泉寺境内
「白萩は寶泉寺の庭に咲きみだれ餓鬼にほどこすけふはやも過ぐ」茂吉 -
茂吉のお墓
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茂吉の墓石の裏側
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左に立つ樹木は茂吉ゆかりの「アララギ」の木です。
別名「櫟(いちい)」ともいいます。 -
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子供のころの茂吉がよく遊んだ「金谷堂神社」
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寶泉寺裏手にある「火葬場跡」
大正2年5月に母「いく」逝去
この火葬場で野焼きの形で母の火葬を行いました。
歌碑には
「灰のなかに母をひろへり朝日子ののぼるがなかに母をひろへり」茂吉 -
母をこよなく愛した茂吉は、母についての多くの名歌を残しています。
「わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし」茂吉
「どくだみも薊の花も焼けいたり人葬所(ひとはふりど)の天明けぬれば」茂吉
「のど赤き玄鳥ふたつ屋根にゐて足乳根の母は死にたまふなり」茂吉 -
上山市にある「斎藤茂吉記念館」
館内には、茂吉の人生やその業績などに関わる資料が多くあり、改めて茂吉の歌人としての偉大さを知らしめてくれます。
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