南陽・上山・白鷹旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 山形県金瓶村(現上山市金瓶)出身で大正から昭和にかけての歌人 斎藤茂吉の生まれ故郷を訪ねました。<br /> 茂吉は明治15年にここに生まれ、同郷出身の「青山脳病院」を創設した斎藤紀一の養子になり、東京帝大医学部を卒業し、後年その次女輝子と結婚、精神科医斎藤茂太 作家の北杜夫(エッセィスト斎藤由香の父)の父親でもあります。<br /> 伊藤左千夫に師事し、医師、歌人として活躍し、「赤光」「あらたま」などの歌集を出版 「アララギ」の編集発行人でもあった茂吉は、柿本人麻呂の研究者としても、つとに有名でした。<br /> 昭和26年に文化勲章を受け、昭和28年2月に70歳9ヶ月で逝去しました。<br /> 表紙の写真は、茂吉がこよなく愛した蔵王の熊野岳山頂に建つ歌碑「陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ」です。<br /> 茂吉の歌碑国内外139基のうちの第一号で、昭和9年に建てられました。私が大好きな歌でもあります。 

茂吉のふるさと 金瓶(かなかめ)巡り

13いいね!

1999/09/16 - 2009/09/16

49位(同エリア94件中)

0

19

あぶくま

あぶくまさん

 山形県金瓶村(現上山市金瓶)出身で大正から昭和にかけての歌人 斎藤茂吉の生まれ故郷を訪ねました。
 茂吉は明治15年にここに生まれ、同郷出身の「青山脳病院」を創設した斎藤紀一の養子になり、東京帝大医学部を卒業し、後年その次女輝子と結婚、精神科医斎藤茂太 作家の北杜夫(エッセィスト斎藤由香の父)の父親でもあります。
 伊藤左千夫に師事し、医師、歌人として活躍し、「赤光」「あらたま」などの歌集を出版 「アララギ」の編集発行人でもあった茂吉は、柿本人麻呂の研究者としても、つとに有名でした。
 昭和26年に文化勲章を受け、昭和28年2月に70歳9ヶ月で逝去しました。
 表紙の写真は、茂吉がこよなく愛した蔵王の熊野岳山頂に建つ歌碑「陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ」です。
 茂吉の歌碑国内外139基のうちの第一号で、昭和9年に建てられました。私が大好きな歌でもあります。 

PR

  • 金瓶の茂吉の生家付近を巡りました。<br /><br />「茂吉ふるさと記念館」<br /> 休館日だったらしく、人影がありません。 

    金瓶の茂吉の生家付近を巡りました。

    「茂吉ふるさと記念館」
     休館日だったらしく、人影がありません。 

  • 茂吉の生家<br /><br />今も守谷家の方が住んでおられます。

    茂吉の生家

    今も守谷家の方が住んでおられます。

  • 「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆる」茂吉<br /><br /> この奥の部屋で、茂吉は母「いく」の最期を看取理ました。

    「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆる」茂吉

     この奥の部屋で、茂吉は母「いく」の最期を看取理ました。

  • 「ふるさとの蔵の白かべに鳴きそめし蝉も身に沁む晩夏のひかり」茂吉<br /><br /> 茂吉が一時疎開していた蔵

    「ふるさとの蔵の白かべに鳴きそめし蝉も身に沁む晩夏のひかり」茂吉

     茂吉が一時疎開していた蔵

  • 屋敷内にある老い松<br /><br />「最上川の松」との命名は二男の北杜夫とその娘斎藤由香です。

    屋敷内にある老い松

    「最上川の松」との命名は二男の北杜夫とその娘斎藤由香です。

  • 養父斎藤紀一の生家

    養父斎藤紀一の生家

  • 旧金瓶小学校

    旧金瓶小学校

  • 茂吉の菩提寺「寶泉寺」

    茂吉の菩提寺「寶泉寺」

  • 寶泉寺境内<br /><br />「白萩は寶泉寺の庭に咲きみだれ餓鬼にほどこすけふはやも過ぐ」茂吉

    寶泉寺境内

    「白萩は寶泉寺の庭に咲きみだれ餓鬼にほどこすけふはやも過ぐ」茂吉

  • 茂吉のお墓

    茂吉のお墓

  • 茂吉の墓石の裏側

    茂吉の墓石の裏側

  • 左に立つ樹木は茂吉ゆかりの「アララギ」の木です。<br /><br />別名「櫟(いちい)」ともいいます。

    左に立つ樹木は茂吉ゆかりの「アララギ」の木です。

    別名「櫟(いちい)」ともいいます。

  • 子供のころの茂吉がよく遊んだ「金谷堂神社」

    子供のころの茂吉がよく遊んだ「金谷堂神社」

  • 寶泉寺裏手にある「火葬場跡」<br /><br />大正2年5月に母「いく」逝去<br /><br />この火葬場で野焼きの形で母の火葬を行いました。<br /><br />歌碑には<br />「灰のなかに母をひろへり朝日子ののぼるがなかに母をひろへり」茂吉

    寶泉寺裏手にある「火葬場跡」

    大正2年5月に母「いく」逝去

    この火葬場で野焼きの形で母の火葬を行いました。

    歌碑には
    「灰のなかに母をひろへり朝日子ののぼるがなかに母をひろへり」茂吉

  • 母をこよなく愛した茂吉は、母についての多くの名歌を残しています。<br /><br />「わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし」茂吉<br /><br />「どくだみも薊の花も焼けいたり人葬所(ひとはふりど)の天明けぬれば」茂吉<br /><br />「のど赤き玄鳥ふたつ屋根にゐて足乳根の母は死にたまふなり」茂吉<br />

    母をこよなく愛した茂吉は、母についての多くの名歌を残しています。

    「わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし」茂吉

    「どくだみも薊の花も焼けいたり人葬所(ひとはふりど)の天明けぬれば」茂吉

    「のど赤き玄鳥ふたつ屋根にゐて足乳根の母は死にたまふなり」茂吉

  • 上山市にある「斎藤茂吉記念館」<br /><br />館内には、茂吉の人生やその業績などに関わる資料が多くあり、改めて茂吉の歌人としての偉大さを知らしめてくれます。

    上山市にある「斎藤茂吉記念館」

    館内には、茂吉の人生やその業績などに関わる資料が多くあり、改めて茂吉の歌人としての偉大さを知らしめてくれます。

この旅行記のタグ

13いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP